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世界の196カ国に渡航して変わったのは、世界の味方じゃなくて僕自身でした。過去の自分っていうのが本当に消えてしまいました。どうも旅ビートです。
前回の報告動画にあるように、僕は28歳で日本の証人国家全196カ国に渡航することができました。今回はその世界制覇の旅が一体どういったものだったのかっていうのを皆さんにお伝えできればいいなと思うんですけれども、今回は特に旅の話っていうよりかは、どちらかというと僕の内面感情みたいなところにより注目をして皆さんとお話できればいいなと思っております。特に後半、この動画、本当にもう僕を知ってる人、知らない人、全員に見ていただきたいです。10代、20代の若い方から僕と同世代、僕より上の世代の方々、本当にたくさんの方に見ていただけたらいいなと思ってます。
そもそも僕がなんで世界制覇を目指そうと思ったかというと、まあ、色々理由があったりするんですけれども、本当に大きくは2つですね。好奇心と若気の至りみたいなところですかね。旅を始めたのも、世界のいろんなところを知りたい。どんな世界が広がってるんだろうっていうので、僕は22歳の時に初めて東南アジアを一周する旅に出たんですけれども、まあ、その東南アジアを一周する中でいろんな気づきがあって、じゃあこれが日本から近い東南アジアだけじゃなくて、もっと大きな世界に広げたらどうなるんだろうか、っていうので世界一周は始めて、じゃあ、まあ、世界一周も終わって、じゃあ世界一周はできたけれども、世の中には196カ国ある中で、これをさらに知ったら自分は何をどう感じるんだろうか、っていうのも知りたかったし、どんな世界が本当に広がってるのかっていうのを僕はこの目でリアルで見たいっていうのがあります。
とはいえね、そんな綺麗事だけじゃ絶対に世界を回り切ることはできないので、若気の至りっていうところで、僕が世界制覇をしようと決めたのが2023年の5月になるんですけれども、当時皆さんご存知の方もいらっしゃるかもしれないんですけれども、35万円で世界一周っていう、僕の中では世界2周目の旅が終わって、で、当時中南米大陸を旅してたんですけれども、その時大体僕が渡航国数50カ国ぐらいだったんですね。で、先ほどの35万円で世界一周っていうので、インスタやったりYouTubeとかで結構多くの方々が僕をフォローしてくださってるっていう状況で、結構旅のプロみたいな形でおっしゃっていただくことが増えました。ただ僕の感情としては、確かに世界は2周していたり、渡航国数50カ国は行っていたんですけれども、全部の世界から見たら1/4しか行ってないと。で、1/4しか行ってないのに僕は本当にプロを言えるんだろうか。そう言われる資格はあるんだろうか、っていうのが思いまして、当時本当に僕は生きり切ってたと思うんですけれども、旅でできへんことはない。俺に行けへんところはないと思ってて、ただ現実を見たらまだ1/4しか行ってへんから、これはちょっとあまりにも恥ずかしいと思って世界全部の国に行くことに決めました。
で、当時はもう生きり切ってた人間やったんですけれども、中南米のスラムとかもいろんなところを突っ込みまくってたし。ただ本当にちっちゃい頃の僕はっていうと、そんなね、土胸とか肝が座ったっていう人間ではなくて、本当に怖がりでしたね。皆さんに想像しやすいのであれば、コナン、名探偵コナンの犯人の黒い役の方いるじゃないですか。あれとかすら見るのが怖くて目を細めてたりとか、見ないようにしてたりとか。あとは実家の周りが真っ暗だったんですけれども、街灯がポツンポツンポツンあるぐらいの夜とか怖かったので、走って家に帰ってるぐらいの臆病物でした。
じゃあ、そんな僕が世界の全部の国に行って一体何を見てどう感じたのかっていうのを、これから皆さんにお伝えできればと思います。でも本当に196カ国、いろんな国がありました。96ってまだ数えられるからそんな多くないのかなとは思うんですけれども、いざ数えてみると本当に多くて、もちろんその中には怖かった国とかもいっぱいありますし、危険な国とかもね、あって、例えばハイチやったり、コロンビアやったり、パナマ、アルゼンチン、アフガニスタンとか、本当に挙げたらキリがないぐらい、もういつ死んでもおかしくないんじゃないかなっていう気分でいっぱいでした。本当に常にこの世界制覇で僕は命を落としてしまうんじゃないかなという覚悟もしてました。パナマやったり、アルゼンチンのスラムに行った時には本当に危険すぎて警察の方に保護されるっていう状況になったり、今現在でほぼ唯一といっていいほどの無政府国家状態であるハイチにね、本当に無防備で突っ込んでいたりとか、タリバン政権のアフガニスタンに行ってタリバンにね、難されたりとか、本当にいろんな経験をしましたね。
あとは命の価値の違いを感じた国とか、まあ、それはコロンビアやったりするんですけれども、先日ジョーさんの新番組デッドラインでもお話をさせてもらったんですけれども、まあ、日本とか僕が例えば世界一周するよって言ったりしたら、本当に命だけは気をつけてね、だったり、どこどこ行ってくるよ、国内とかでも旅行に行ってくるよ、とかだったら気をつけて行ってきてね、とか、出かける時にも気をつけてね、運転気をつけてね、とか、結構命を、まあ、より尊重するって言ったら語弊があるかもしれないんですけれども、そういった風潮がある中で、実際にね、南米のコロンビアで襲われた時は、警察の方にそのことを言っても、今もしかしたら襲われて命がなくなるかもしれないっていう瞬間でも、本当にパッと見て「一言分かった」とこだけ言ってそのまま立ち尽くしてたりとか。まあ、どっちが正解とかっていうのはないとは思います。どんだけ命は重いものなのか、どんだけ命は軽いものなのかっていうね、数字で表せるものではないので、一概には言えないんですけれども、とはいえ日本でね、命最優先っていう環境の中で生きてきたので、本当にその出来事は僕にとってはカルチャーショックでした。
一方でね、一番優しかった国も僕は一番ってつけるとちょっと難しいんですけれども、パキスタンなのかなって思ってまして。パキスタンって日本で言ったら結構不法移民のイメージやったりとか、テロ、イスラム過激派で危険なイメージがあるとは思うんですけれども、本当に現地で出会う人々はめちゃくちゃに優しくて、本当にこれでもかというぐらい優しくて、うまく言葉にすることはできないんですけれども、今まで僕が感じてたパキスタンに対するイメージは本当に失礼なものだったなと改めるほどに優しい人が多かったです。特にね、僕が感じたのはパキスタンの左上にあるペシャワールっていうところなんですけれども、そこも外務省の危険レベルで言ったらマックスのレベル4がついている地域なんですけれども、イスラム教っていうのが旅人に対して手厚くもてなせっていう信仰がありまして、まあ、この旅人っていうのは本来僕みたいなバックパッカーとかではなくて、その巡礼者に対してのことだったんですけれども、それでも今現在ではそういう海外旅行者やったり、困ってる人がいたら手を差し伸べろ、言ったところで、いろんなところね、ご飯やったりとかお茶とかご馳走になったり、本当に困ってたらすぐ「どうしたん?大丈夫か?」みたいな形で声をかけてくれたり、「ウェルカム、ウェルカム」っていうね、本当にリスペクトを持った精神で接していただくことがたくさんありました。同様にね、似たような国で言うとイラクとかシリアであったりも、メディアの印象とはかなりかけ離れているなと感じました。僕もね、どっちかというと本当に戦争やったりとかテロ、危ないっていうイメージばかりが先行してたんですけれども、実際に現地で出会った方々は本当にね、優しかった。びっくりするぐらい優しくて、なんでこの人たちがこんな悲劇に巻き込まれてしまったんだと。かわいそうっていう言葉は逆に失礼かもしれないんですけれども、本当にね、心苦しかったですね。すごい笑顔で僕に接してくれる方も、どういった過去を持ってるのとか、昔の時はどうだったっていうのを聞くと、お父さんがイスラム国に殺されてしまったんだ、やったり、自分が住んでた家が空爆されて住む家も食べるものもなくなってしまったんだ、っていうね、言葉をもうじきじきにその方々からたくさん聞いたり。僕はそのリアルを知ることが聞くことができて良かったんですけれども、知れば知るほど本当に世界は残酷だなと、あまりにも不公平だなっていうものも感じてしまいました。
一方で貧困国にもたくさん行ってきたんですけれども、例えばブルンジやったり、南スーダンとかが挙げられますかね。世界貧困国ワースト1位にワースト1が南スーダン、ワースト2がブルンジになるんですけれども、これは僕はどっちかというと、行く以前はそんな貧困国なんて正直かわいそうだなと思ってたんですよね。ただ実際に行ってみると、その価値観は大きく変わりました。僕がその方々をかわいそうだなと思ってた、僕を見てかわいそうだなと思いました。つ、ありますか?その方々にとって「かわいそう」って言っている僕に対して、そんな感情を持つなんて「かわいそうな人間だな」と思ったっていうことですね。ていうのも彼ら、すっごい幸せそうだったんですよね。特にブルンジ、びっくりするぐらい幸せそうで、本当に月給で言ったら日本人やったらバイトで1日で稼げるような金額とかやったりもするんですけれども、なんなら本当に数時間とかで稼げるような金額。僕も思ってたんですけれども、1日1ドルしか稼げへんとか、どうやって生活すんねん、みたいな。やけど彼らの目には光が宿ってたんですよね。すっごい幸せそうで、お金はないけど俺たちは幸せなんだつって、周りにいる人々と助け合って、今ある日常を1歩ずつ1歩ずつ支え合って生きていくんだっていう。まあ、僕たちはどっちかというと先進国と言われて、GDPはね、ちょっと落ちてたりはするんですけれども、他の国からしたら裕福だと、言われてる中で、そのね、お金がある程度ある=裕だと思ってたんですけれども、決してそんなわけではないなと改めて感じることができました。
ただもちろんお金がなくても幸せって全員が全員言えてるっていうわけではなくて、南スーダンだと僕はちょっと経験として、南スーダンで一番高いホテルに泊まろうと思って一番高いホテルに泊まったんですけれども、2万6、7000円ぐらいの。そこは本当にラグジュアリーで、プールとかもジムももちろんあるし、屋上にはクラブミュージックが流れてるバーとかも。みたい感じだったんですけれども、そのね、ホテルの客室から外を眺めてみると、本当に強風が吹けば飛んでしまいそうな、トタンの家に住まわれてる方々が見えてたり。本当に目のと鼻の先で、彼らからしたら自分たちはこんなに苦しい思いをしてるのに、やっぱり目の前にはお金持ちの人たちがいるっていう現実を毎日毎日直面するわけで、そこに対してね、僕たちのような立場の人が必ずしもお金がなくても幸せって決めつけてしまうのはあまりにも失礼だと思うので、100%そうだとは言いきれないんですけれども、本当に足したような感、貧困国と呼ばれる国では感じさせていただきました。
あとは先家の国もそうですね。ロシアやウクライナであったり、イスラエル、あとは内戦中のスーダンであったり、ニジエルとかもね、僕の中では結構印象に残ってまして、やはり戦争=悲壮感みたいな印象が僕の中ではあったんですけれども、僕が実際に現地で感じたのは真逆で、本当に普通の日常が流れてたんですよね。当然僕は最前線には行ってないのでそう感じるのかもしれないんだけれども、テレビとかメディアは本当にロシア=危険だったり、ウクライナ=危険、またはハイチ=危険みたいなところでたくさん報道が流れているとは思うんですけれども、本当にそれは、まあ、一部って言っていいのか分からんけど、本当に一部の話で、そういう世界もあれば違う世界もあるっていうことと、僕はもう世界中で感じたので、もちろんメディアが悪いとは言わないです。僕も発信してる側ですし、ただ僕がこういう発信者でもありながら現地でも感じたのは、その話されているトピックとしての主語がどこまでの範囲を示しているのかっていうのは、本当に受け手側がもちろん発信者が意識することでもあるし、受け手側がより意識をしてその情報をキャッチしないと、この世の中っていうのはどんどんどんどん狂った方に行くんじゃないかなと、感じてしまいました。例えばで言うとロシアとかですね。ロシアは皆さんの中の印象ではロシア=戦争中っていうイメージだと思うんですけれども、僕が言ったサンクトペテルブルクであったりモスクワでは、本当に戦争の背の字も感じないほどで、ここが本当に地下のロシアかと言われなければ気づかないぐらい穏やかな日常が広がっていました。僕も結構自分の目で見たものを信じたいタイプなんですけれども、じゃあ僕が感じたロシア=安全っていうものを、もう自信を持って大々的に多くの方に「ロシアは安全でした。全然危険じゃないです」と言ったら、これって語弊が生まれますよね。実際に、まあ、これはね、僕が見てない世界なので、それを100%として信じるのは、これもまたどうかなとは思うんですけれども、実際にロシアの最前線では今も戦闘が行われてるわけで、毎日戦闘員の方々が亡くなられているっていう現実もあると思います。そういった現実を差して自分が見た世界だけを発信するっていうのも、もちろん違うし、だからと言ってそっちの戦地だけを見て「ロシアは今危険だ」っていうのも違うと思うし、どっちも紛れもない事実なんですよ。ただどちらか一方だけで話してしまうと、それは後々話の段階が落ちるにつれてどんどんどんどん歪みが生じてしまうなと感じました。
あとは国境で違う国とかもいっぱいありましたね。例えば中東のイエメンからオマーンに抜けた時とかも、イエメンは本当にボロ小屋みたいなところが意味で、ただオマーンに抜けた瞬間、もう本当にちょっとした宮殿のような意味やったりとか、その抜けた先にもキラキラしたガソリンスタンドやったりレストランがあったりとか、本当にただ境界線として国が分かれているだけで10数メートルしか離れてないのに、こんなにも違うのかっていうのも世界のあちらこちらで感じました。
はこういった世界中を見て改めて日本を見返すと、本当に恵まれてるなと感じます。まあ、大前提として恵まれてる=幸せでは僕はないとは思うんですけれども、ただこのいろんな選択肢がある日本っていうのはほんまに恵まれてるなと思います。安全。もちろん、まあ、日本中でもいろんな事件が起こってたりはするんですけれども、とはいえ戦争はしてへんし、人権っていうのも守られてるし、いろんなね、保証やったり、生活保護制度もあったりとか、パスポートとかでも先人の方々が築き上げてくれた信頼によって、本当に世界トップクラスのパスポートの強さを誇り、僕とかは特に恩恵を受けさせてもらった方だと思いますし、もうそれをね、どっちかというとパスポートが強いのは当たり前だと思っているような世の中の風潮やったりとか、これって本当本当によく違う角度から見てみると恵まれてるなと思います。アフガニスタンとかであればパスポートの強さが世界最低レベルで、ビザなしで30何カ国しか行かれへんとか。ま、日本のね、このパスポートが強いっていう当たり前はずっとキープし続けていきたいとは思うんですけれども、とはいえここに対してこれはもう当たり前で僕たちが持っている権利だ、みたいなところで感謝をしない、当然のものとして捉えるのは違うことだと思いますし、そういったものに気づけたのは本当に良かったのかなと思います。日本は本当に僕大好きですね。海外見れば見るほど日本のことが大好きになっていきました。
あとはシンプルに奢り論争とか、エレベーターは止まるべきか歩くべきか論争みたいなところも、なんて幸せなことなんだ。そんなことで悩めるのは、っていうのも感じましたね。まあ確かにね、重要なお話だとは思うんですけれども、今の日本社会で生きていくのであれば、ただ一方で世界に目を向けてみると、本当に今日の生活、明日の生活、明日戦争に巻き込まれて殺されてしまうかもしれない。ギャングに襲われてしまうかもしれない。強盗にあって殺されてしまうかもしれないっていう日々を生きないといけない世の中がある中で、そういったことでね、悩めるのは本当に微笑ましいと言いますか、うん、良いことでもあるなと思います。
と同時に世界の理不尽さも感じましたね。まあ、他国のいわゆる貧困国の方々から聞いたら「お前日本人やのに何言ってんねん」と思うかもしれないんですけれども、本当に理不尽でしたね。生まれた場所によってこんなに違うんかと。うん。同じ人間やのに。とはいえね、海外で例えば100円とかの詐欺にあっても怒っちゃう自分もいたんですよね。うん。なんて心の狭い話やって、まあ、考えたら思いますけど、どうして僕は100円であんな怒ってたんだろうか、みたいな。現地の人からしたら100円っていうのは大金で、まあ、僕からしてもお金はお金なので、そこに代償はつけてはいけないと思うんですけれども、まあ、日本で言ったら1時間もあれば1000円ぐらいは稼げるわけで、100円だとし たら大体6分働けば稼げる金額。それをね、まあ、現地の方から騙されたからとか、騙される感情になるのが嫌だったからとか、っていうので起こったりしたっていうのは、うん、彼らの立場から考えると理不尽ですよね。僕たちは、まあ、仮に100円、1000円あればこんだけの生活がここでできるんだ、みたいな。でもあなたたちにとっては1000円稼ぐことってそこまで難しいことでもないよね、みたいな。まあ、あちら側から押し付けるのは違うとは僕も思うんですけれども、とはいえちょっと俯瞰してその事実を考えると、うん、確かに同じ人間やのに、そんなにね、生まれた場所で人生の難易度が変わってしまうっていうのは、いかがなものかっていうのもリアルとして感じました。
まあ、そんなことを考えながらいろんな世界を見ていろんな人に会っていくとね、どんどんどんどん昔の自分っていうのが消えていく感情になっていきました。本当に自分たちが生きてる世界っていうのは一体何なんやっていうのもたくさん思いましたし、特に危険と言われてる国に渡航する時とかはより一層強くその感情を感じまして、伝わりやすく例えるならば、歴史の世界に生きてるような感覚だったんですよね。歴史って本来教科書とかであったり、過去のことを見る知るっていうものだと思うんですね。決して僕たちと交わることはない。直接的にっていう出来事だと思うんです。危険なところも僕の感覚では同じで、本来絶対に交わらないだろうなと思っている世界に自分が入り込んでしまっているっていうんですかね。その土地にいる。例えば世界最大の難民危機と言われてるスーダンやったりとか、イエメンとかに行った時とかも、あくまでそれは僕の中では歴史みたいな出来事で、僕には直接関わりのないことだと思ってたんですね。ただ実際に現地に行くと、もう当然なんですけれども、その場に僕がいるわけですよ。それがね、無限にあるんですよ。スーダンやったり、ソマリアやったり、ハイチやったり、アフガニスタンやったり、シリアやったり。そんなところをね、もう本当に短い期間で生きしていくうちにどんどんどんどん感覚っていうのがバグってきて、うん。さっきの歴史の話でいくと、鎌倉時代に行って、次は平安時代に行って、次は江戸時代にいて、次は明治時代にいるみたいな。スーダンにいて、ハイチにいて、ソマリアにいた。ありえないじゃないですか。そんな鎌倉時代に自分がいるなんて。江戸時代に自分がいるなんて。っていうのも、それが実際に怒っちゃってるわけなんですよ。僕の頭の中では非日常の中に足を入れていると言いますか。おかしい話じゃないですか?鎌倉時代で鎌倉時代の人間と鎌倉時代のご飯を食べて鎌倉時代に寝ている。これを例えば鎌倉時代をスーダンに置き換えると、スーダンに行ってスーダンの人間と関わってスーダンのご飯を食べてスーダンで寝ている。ってもうわけわかんないんですよ。本当にそんぐらい存在してる世界なんですけれども、自分とは違う惑星にあるっていう認識でした。僕はおそらくほとんど皆さんもそうだと思い。ニュースでそういう世界があるんだなと認識はしているものな。実際にその世界を目に見ているわけではないじゃないですか。例えばそういう戦争とかの国だけじゃなくても、交通事故とかでもそうですね。まるまる県のまるまる市で交通事故にあり、20代の男女が死亡、みたいな。テレビとかスマホで見てる僕たちからしたら、まあ、そういう事実があるんだ。まだ若いのにかわいそうだね、って思うは思うと思うんだけれども、別にそれって現実ではないじゃないですか?僕たちにとってあくまで画面の奥やったりで起こってる話で。ただその当事者であったり、その周りの方々にとっては歴とした現実なんですよね。その現実に何回も入り込んでいるみたいな感覚ですかね。なので、そのあまりにも非日常に感じるものがどんどんどんどん日常に感じてくると言いますか、もう正直何が本当なのか分からなくなりました。どっちが100%正解なのかみたいな。日本のような世界が正解なのか、一方で他の国の世界のものも正解なのか、みたいなどんどんどんどん感情っていうのが麻痺していったんですね。
あとは海外であると期待をしないであったりとか、日本の感覚だったらこうしてくれるよね、普通っていうのがしてくれなかったりとかっていうケースがたくさんあるので、そもそもの期待値をなくしておくであれば、いいことがあったら嬉しいし、別に悪いことがあっても元々期待しないからダメージも食らわないっていう、まあ、一種の自分を守るための術みたいなものだとは思うんですけれども、そういうのをやってくうちにね、本来感じるはずの感情っていうものをどんどんどんどん失っていきました。結局自分が傷つくのが嫌で自分を守るためにそうしていたのかなと思うんですけれども、そういった感情をね、誰にも共有することができなかったんですよね。うん。まあ、いわば孤独と言いますか。もちろん誰もが世界制覇を目指しているわけではないですし、そういった危険な国やったり貧困国とかに行って自分が本当にどういった世界で生きているのか、生きるとは一体何なのかっていうのを考えてる中で、他の方にそれを相談しても、もちろん伝わらんとは思いますし、そもそもその世界全部の国に行くっていうことがどういったことなのかっていうことを理解してる方もぶっちゃけね、多くはないと思います。なのでそれに共感できる方も少ないですし、ついてこれる方も当然少ないと思います。僕のSNS単員とかで言うと、35万円で世界一周とかの方がより皆さんがついてきてくださってるなっていう感覚はありました。分かりやすいじゃないですか。35万円で世界一周するの方が、20代で世界全部の国行きますってもう正直わかんないじゃないですか。確かにすごいことなんだろうなとは思うけど、それが一体どれぐらいすごいことなのかっていうのが分からないと思うので、皆さんに取ってまあ、変な話、自分ごととして落とし込めないと思うんですよね。落とし込めないってことは、それに対して応援をすることができやへん、と言いますか。でもこれは皆さんが悪いってわけではなくて、しょうがないことだとは思うんですよ。僕もしっかりと伝えてこうへんし、世界制覇っていうのがどういったものなのか。まあ、例えばで言うと、ある研究者の方がめちゃくちゃ遠いところに地球と全く同じような惑星を見つけました。って言ったとします。これって多分本人やったり、その周りの方々にとってはむちゃくちゃすごいことだと思うんですよ。本当にありえへんぐらい。ただ僕もそうなんですけれども、あ、すごいなとは思うけど、それが実際どれぐらいすごいかっていうのは分からんですよね。どれぐらいの確率で発見できるものなのか、それを発見するのにどれぐらいの労力がいって、どういった家庭を踏んでいきたのかっていうのが全く分からへんから。それが世界制覇も同じようなものやと思ってます。世界制圧っていうのがどういったものかも分からへんから、どういう過程を踏んでるかも僕も見てなかったんで、分からへんからついてかれへんし、何も共感できへんみたい。これがね、僕が、まあ、SNSをやってきて感じた大きなギャップと言いますか。それまではSNSとかで有名やったり人気な方々って、実際にすごいことをされていて、それに対してファンの方々がついていってるのかなと思ってたんですよね。でも実際には違くて、別にそんなにすごいことじゃなくても、より多くの人に伝わりやすくて、で、より共感もできて応援もしやすい、ちょっと難しいことをしている方々が多くの方を引きつけるんだなと感じてしまいました。なので、今こうやって応援してくださってる皆さんには本当に失礼な話ではあるんですけれども、それに気づいた時に本当にSNSっていうものに対して、おっくになって、リアルがすごいっていうものではなくて、伝え方がうまいやったり、見せ方がうまいっていう虚像性の方が大事なんかと、本当に世の中理不尽やなとそこで感じてしまいました。本当にこれもぶっちゃけてしまうんですけれども、そんな、まあ、SNSという偽物の世の中の中で、そもそも僕自体は自分で自分のことを認めることができていたので、自己肯定感っていうのは高かったんですけれども、わざわざその虚像性の集まるSNSに自分が身を置いて自分の評価を下げたくないとも思いましたし、SNSでの数字はエンターテイメントによって築き上げられた虚で、僕はね、かっこつけるようかも知れないんですけれども、そういった虚像性で作られたものに憧れてるってわけではなくて、本物にね、なりたかったんですよ。僕自身も正直その虚像性っていうのをどんどんどんどん作り上げてしまえば、もっともっと数字っていうのはついていたと思います。ただSNSに魂を売ることはできませんでした。
そんなね、いろんな世界を見ていく中で自分の感覚が麻痺して、かつ孤独も感じて、そこにね、プラスアルファで疲労も来るわけですよ。本当に僕お金がなくて常に切り詰めて24時間とか30時間何も食べへんとかも何回もやったし、空港泊やったりの宿とかも数えきれへんぐらいあったし、それでもね、自分が決めた目標、28歳中に世界制覇をするっていうものからは絶対に逃げたくなかったし、そこから逃げたらこっから生きてる間ずっと僕が20代の後半自分としては命をかけてやってきたものから逃げたって、そのね、負のレッテルを一生背負い続けることになるし、それだけは絶対にしたくなかったので、本当にね、ただただ世界制覇を絶対成し遂げるっていう狂気のみでずっとね、進んできました。で、世界制覇は金額として、まあ、ちゃんと数えてないから分からないんですけれども、大体800万から900万ぐらいかかりましたね。もちろん親からお金なんてほとんどもらってへんし、本当に家族が旅行に行って僕が参加できてない時に、まあ、家族旅行で浮いた分みたいな1万2万みたいなをもらうぐらいとかで、クラファンもね、前回の動画にあるように僕は自分の旅にクラファンするのは絶対に嫌だったのでやらなかったですし、本当になんとかんとか自転車操業で旅をしながらお金を稼いでやり続けてきました。
そんな中でね、もちろん危険レベル3とか4の国やったり、普通に強盗がたくさん起こっている国とかもあるわけで、いつ襲われるか分からない。死ぬかも分からないっていう恐怖感にも襲われながら世界制覇っていうのはどんどんどんどん続いてきました。そんな状況の中でね、これまだ僕の感情をぶん殴ってくるような出来事があるんです。また例えばミャンマーとかインドネシアとかに行った時になんか分からん時とかあったりすると、現地の人に聞くじゃないですか。「エクスキューズミー」って。その聞いた瞬間、ほんまに瞬間ですよ。相手からしたら僕が何者なのかっていうのを認識してない状態。その状態で、「エクスキューズミー」って聞いた、パッと振り返った瞬間、もう僕が日本で見る100%の笑顔を余裕で超える120%、150%ぐらいの笑顔で「どうしたの?」って言ってくれるんですよね。こって笑って「どうした?」僕そういう人に出会った瞬間、あれ、俺これどんだけ多くの国に行ってすごい旅ができたとしても、人間としてこの人らには一生勝てへんわと思って。こんだけ自分が色々色々もがき続けて世界制覇とかやってるのにですよ。この人らには勝てへんわっていうね、違うベクトルでぶん殴られるんですよ。ノーガードのところ。本当にいろんな意味で世界って広いなって感じましたね。その時は。
とかそういう孤独とかを色々感じる中で、やっぱり貴族意識っていうのもすごい大事なんやなっていうものも認識しました。元々僕はもう自由最高やんみたいな、誰にも縛られへんしで、どっかのコミュニティに属するとかも嫌だったので、どっちかというと一匹狼のような性格だったので、結構一人が好きだったんですけれども、まあとなっては多くの方が会社員であったり、何かしらのコミュニティに属するっていうことを少し理解できるよう になったのかなと思います。結局人間はどこか心の拠り所を探しているんじゃないかなと。本能的に。ほんまに昔やったらよく友達とか周りの人とかで、仕事も楽しくないし給料も低いしでも海外に行きたいし、こんなこともやりたいしって言ってるのに、ずっと会社員でおるから同じ会社でなんでなんて疑問に思ってたんですよ。今すぐやめればええやん、みたいな。でもやっぱそれちゃうんやなと。うん。理論上は確かにそうなんやけど、本能的に心の拠り所っていうか、今ある安全圏から抜け出すことができないんだなと思って。それがもちろん良いとか悪いとかって言おうとは思わないです。ただ、あ、そういう貴族意識ってやっぱり人間の中にはあるんやなっていうのを改めてこの世界制覇で僕は感じました。よく聞くあのお金持ちの方々とかがFIREした後、暇になった後、虚無感であったり虚無になるっていう話をきくと思うんですけれども、あ、まさしくこの感覚なんやろうなと。うん。僕もね、お金は持ってないですけれども、まあ、ある種ね、世界制覇っていう究極の自由みたいなことをしていた中で、やっぱりこの貴族意識ってところに目が向いてしまうのかっていう、お金持ちの方々も、まあ、やることがないみたいな暇で暇で何のストレスもないし、責任感もない。旗から見たらあたかも良さそうに見えるけれども、実際当事者と乗ってみるとそれはすごく辛いことなんだなと、少しばかりね、その感覚交わることができました。昔やったら舐めたこと言っとんなと思ってましたけどね。お金持って自由で何甘えとんねん、みたいな。それが最高やろと思ってたけど違いましたね。うん。とか他にも例えば嵐の大野君とか、めちゃめちゃ大人気でもう一気やったのに一般社会に戻るみたいな。うん。当時意味わからなかったですけど、なんでな、みたいな。めっちゃもったいないやん、みたいな。でも今ならやっぱ分かりますね。全然大野君とは比べもんにならないぐらいの地位だと僕は思うんですけれども、なんやかんや普通っていうのが最強なのかもしれんなと感じた時もありました。
元々コミュニティ嫌っていうのもあって、どこにも属してるとかもないし、友達はね、いっぱいおったんですけれども、どんどん年齢が上がるにつれて、まあ、世界制覇をしてる時とか、中高やったり大学の友達とかが結婚して一緒にバカほど遊んでたのに、やっぱり第一優先が家庭になって遊ぶ時間がなくなったりとか、僕の帰る場所がないみたいな状況になったりとか。恋愛についてもね、世界制覇してる間はもうそっちに取られたらあかんと思ってほとんど我慢してたんで、どっかにね、心を寄せるとかっていうこともできなかったんですよね。そういうことをね、経験していくうちにどんどん外っていうものから自分に目を向けるようになったんですよね。例えば友達とか女の子とかめっちゃ遊びたいけど、遊びたいって僕の願望だけで収まらないじゃないですか。相手も遊びたいとか、相手も都合がいいっていうのがあった時に遊べるじゃないですか。なので例えば僕が海外行って、うわ、めっちゃしんどいな、みたいな。でも日本帰ったらあの友達と遊ぼう、みたいな。この子と遊ぼう、みたいな感じで思ってても、それが実現しないこともあるんですよ。なった時に傷つく君は僕じゃないですか。めっちゃ遊びたいのに。そもそもそんな日本帰られへんから、日本にずっと住んでていつで も遊べるような状況やったら、別に1回遊ばれへんとか2回遊ばれへんとか全然気にしないですけど、本当に帰るのが1週間とかしかないで会える機会が1日とかしかないっていう状況で遊ばれへんってなるとマジかってなるじゃないですか。まあ、言うたら傷つくじゃないですか。どんな理由であれ、仕事がめちゃめちゃ忙しいとか、ほんまに大事な理由であれ、僕は遊びたかったのに、みたいな。でもそのエゴを相手に押し付けるのは違うと思うので、だったらさっき言った海外と同じで、最初から期待をしなければいいんだと思ううちにね、どんどん元々持ってた感情とか他人に対する期待っていうのはなくなっていきましたね。まあ、とはいえね、日本に住んで友達といっぱい遊んで女の子といっぱい遊んでとかしてても、結局は多分逆で、今の僕の生活、海外に行きたい、世界制覇したいとかって思うと思うので、初詮は内者ねだりなんだなと。人間は欲ぶけえなと思うんですけれども、とはいえ世界制覇を本気でするっと決めた僕からしたら、すごくね、その拠り所っていうのがないっていうのは僕はしんどかったんです。
じゃあそんな世界制しんどやったらやめたらええやん、て思う人も絶対いますよね。やめるとか期間を伸ばすとか。それでも僕が20代で世界制法をしようと押し切ったわけは、やっぱり旅をしてるといろんな出会いがあったり、まあ、貧困国とか行ったり戦地に行ったりもそうなんですけれども、自分が想像していなかった世界が広がっている。それを実際に見ることができる。で、その想像してなかった世界の中でいろんな優しさにも震えることができるとか、ていうことを通して結局「生」を実感したかったんじゃないかなと僕は思っています。「生」っていうのは生きるっていう意味ですね。なので僕の場合で言うと、そういういろんな出会いやったり、いろんな世界を見た結果として、20代で世界制覇っていうものがあって、で、この20代で世界制覇っていうものを通して、僕がこの世に生きていたっていう証を残しておきたかったんじゃないのかなと思ってます。いわば人生の意味あったりとか、生きる目的っていうものを20代で世界制覇っていう行為に当てはめてたんじゃないのかなと今となっては感じてます。昔から僕の人生のテーマっていうのが「死ぬ時に後悔したくない」っていうものだったんですけれども、で、その背景なんですけれども、僕実は昔から死ぬのめちゃくちゃ怖かったんですよ。死恐怖症みたいなタナトフォビアって言うんですか?小学生の時とか自分がいつか死ぬことを考えてすごい生き苦しくなったりしてたんです。死んだらこの僕という魂はどこに行ってしまうのか。体は燃やされてしまうかもしれないけれども、この脳やったり考えやったり自分という存在はどこに消えてしまうのか、みたいな。今でもね、考えると怖いのでなるべく考えないように、はしてるんですけれども、皆さんからしたらそういう危険なところとかいっぱい行ってるから死ぬの怖くないんじゃないかなと思ってる方もたくさんいらっしゃったとは思うんですけれども、これは本当に真逆で、死ぬのが怖いからこそなんとかして自分が生きているっていう実感を得続けていたいと思ってたんでしょうね。おそらくこの死ぬまでの時間をいかにどう楽しむのか、みたいな。まるでセミみたいですよね。1週間しかない短い命をひたすら泣き続けるみたいな。この80年、100年時代って言われる、まあ、限られた時間の中でどんだけ泣くことができるのか、みたいなことをやっていたのかなと僕は思います。なので事実として196カ国全ての国には行ったんですけれども、結局はずっと自分っていうものは何者なのかであったり、自分はなぜ生きてるのかであったり、そのね、生きる意味であったり、生きた証を僕は追い続けてたんじゃないかなと今振り返ると感じます。
本当にね、世界全部の国を見ても正直分からなかったです。ぶっちゃけ日本もわかんないです。日本人として29年間生きてきたけど、日本のこともちっぽけも分かってないと思います。もちろん分かってると思います。ただそれを分かってるって自分の中で思いたくないっていうか、世界はもちろん全部の国見たけれども、それを知っているって言いたくない自分がいますね。さっきのロシアの戦地の話やったりとか、ハイチの話やったりとかで、やっぱり自分が見たものを100%本当って信じることがどうしてもできなくなってしまったので、じゃあこの世界を見てないや、みたいな。その世界を踏まえて一体どうなのか、みたいな。日本で言えば僕世界全部の国行ったとはいえ、まだ日本の四国行ったことないんですよ。ってなると四国をまだ見てないのに日本を全て知ったかな、いうのは僕はおこがましいですし、もし四国を見たとしても、例えば横浜区間に住んでたけど大阪とかで大阪に住んでてある程度は知ってるけど全部は知ってるわけではない、てなった時に果たして自分は超えた方が大阪を知ってる横浜を知ってる物を知ってる、と言えるのかっていうのも感じてしまう。それと同様に世界も全196たけど、世界はこうだとか、世界のね、全てを知っているっていうのはあまりにもおこがましいな。ただこの地球上には人とこの子の集合体がたくさん集まった結果できた国が本当に196カ国存在していたっていう事実だけはね、この世界制覇を通して自分の中で得ることはできたので、それでね、満足かなと思います。ほんまにかっこつけるならば、まるでソクラテスの「無知の知」を知ったかのような感じがしました。自分は何も知らないっていうことを知ったよ。世界制覇で当てはめるのであれば、世界全部の国に行ったけれども、自分はまだ何も知らない未熟くものなのだって言うことを理解することはできたって言いますか。本当に昔の自分はもう僕が最強で何でもできて、この世界制覇も当然できて、もうそうなったらより強い人間になるだろうなと思ってたんでびっくりですよね。まさか自分の弱さをここに来て感じることになったのか。自分は弱くて死にたくないから強くなりたいっていう願望で僕は強さを待とうとしてたのかなと感じてます。
世界制覇とか国座ってる方たくさんいると思うんですけれども、僕なりの感覚なんですけれども、多分こうなりますよ。大体50カ国とか60カ国あたりか、自分が一番最強やと思うんですよ。僕私はもうどこでも行ける海外なんて楽勝やみたい、無双モード状況で。で、80カ国ぐらいになると、あれまだ半分も行ってないの?僕私結構世界見てきたけど、まだ半分経ってない、およってなるんですよ。で、その次100になると、これでやった半分か、めちゃくちゃ感覚的には言ってるんですよ。ちょっと世界の広さに絶望し始めて。そんでそのまま120カ国ぐらいに行くと、あれ自分って本当は世界の何も知らないんではないかっていう疑信が生まれてきて。で、150ぐらいになると、やっぱ自分は何も知らんだんじゃないか、っていうのが大多数占めてくる。一方でちょっとだけ世界制覇あと50カ国ぐらい行ったら、この気持ちが全て晴れて、自分は世界を全て知ったって感じるんじゃないか。のびってる状態で。でも180カ国ぐらいになると、物理的なね、世界制覇は終わりかけているので、世界の狭さを感じるとともに、世界の奥深さっていうところにまたぽっこに投げられて。で、結果的に196カ国到達した時には、自分はちっぽけで世界の何も知らない、ただ地球上に存在している一人になったと実感すると思います。もちろん性格やったり年齢、時間のかけ方、お金のかけ方で変わってくると思うんで、違いには言えないと思うんです。もしこれから世界制夜から目指してる人は楽しんでいってください。
もしかしたら今日のこの話を聞いて、中には「かわいそうやな。世界制覇してもそんなことを思うのか」みたいに、自分の弱さに気づいてしまったのか、って思う方もいるかもしれないんですけれども、僕はどっちかというとこの世界制覇を通して、その自分の弱さっていうものに気づけて良かったなと思います。というよりこれは僕の持論なんですけれども、おそらくほとんど全員の方が70代、80代になったら、まあ、僕が言ったような感情を察することになるんじゃないかなと思ってます。それを20代のこの早い段階で気づけたっていうのは大きなアドバンテージだと思ってますし、それにね、うまく生かして引き続きね、チャレンジし続けたいなと思ってます。
で、まあ、これからの目標なんですけれども、これも前回の動画の通りは中に行きます。はい。やっぱさっき言ってた歴史の話、鎌倉時代や明治時代みたいな形で、本当に自分がソマリアにいるのかみたい、本当に今スーダンにいるのか、ハイチにいるのかっていうのが、確かにそれが現実なんですけれども、分からないわけなんです。信じがいと言いいますか。なのでそれをもう視覚的に一進させたいな。僕がこのね、自分の足で歩いて自分の目で見た全196カ国っていうのは実際どのような姿をしているのか、中からね、よろしてみたいと思います。ほんまに地球は青くて丸いのか。そうしたらね、僕のその鎌倉時代やったり、そういった感情とかも全て吹き飛ぶことができるので、あ、本当にあそこで存在しているんだ、っていうのであったり、すごくすごく楽しみです。その時にまた改めて自分が何をどう思うのか。今はね、どちらかというと、まあ、20代で世界制覇ってかなり生き急いでしまったっていうものがあるので、ちょっと自分として未熟な中にその20代全部の国に行 くっていうすごいことを成し遂げてしまったので、事実と感情が追いつかないっていうので、若干弱い部分に自分が目を向いてるかもしれないんですけれども、その宇宙に行った時にはもっと自分っていうのが強くなって、いろんな環境に揉まれた中で改めて見たら、この20代で世界制覇をしたっていう経験がまた違う色で見えるんじゃないかなと思うので、今のこの感情が全てだとは僕は思っていないので、まだ違う感情も全然出てくると思うので、それもね、楽しみにしていきたいと思います。
で、まあ、これも前回の動画でもお話したんですけれども、じゃあその宇宙に行くっていう壮大な目標の前に、まずはまた世界に出ようと思ってます。ただこれは僕の旅っていうわけではなくて、より多くの皆さんに世界のリアルっていうものを知っていただきたいなと思っています。自分のね、楽しく旅はもう終わったと。とはいえね、全く同じことはちょっとしたくはないので、今まで世界制覇っていうお金も時間もない中で広く浅く世界を見てきたので、次はもう少し興味のある分野であったり、多くの方が見たいだろうなと思うところに、より深く入り込んで、そのリアルっていうものをドキュメンタリー消し出すっていうものをYouTubeでやっていきたいます。で、その新しいチャンネルとしてスタジオ196っていうものを作ります。ただやっぱり世界を広く浅くはお金そんな書けんなくても見れるんですけれども、より深く見ようと思うとどうしてもお金がめちゃくちゃかかってしまうんですよ。例えばベネズエラのオカルト宗教の祭りを向けたいとかなっても、そこまで結構郊外まで離れていたりとか、その祭りに参加するようにお金がかかったとか、単独ではおそらくいけない可能性もあるので、現地ガイドさんをで実際に取材もさせてもらいたいからさ、取材費としてもお金を押し払いした方が、ま、こっちのね、エゴだけではなくなるの。やっぱりどうしてもYouTubeとか撮影してるとこっちのエゴで撮影してもらうわけじゃないですか。何撮ってんねんと思う方も多いと思いますし、撮るんやったら金くれや、みたい。そうなった時にやっぱり、まあ、インタビューさせてもらう、動画を撮らしてもらうからお金を支払いするっていうのは一番ね、スマートだと思うので、これからしばらくそういった撮影を続けていくにあたっては、今まで本当に1かバチかで行ってみて、やったら取らしてもらうとかとは取れるかどうか分からん状況でもとりあえず行ってみる、みたいな。不確定要素がある中で浅い情報しか取れないっていうことが多かったので、これからはも本当にしっかりと取材費としてお金をかけて、事前にしっかりとアポとかも取って、で、そこに対して使い内容を取りに行きたいので、どうしてもね、お金がかかってしまいます。なのでね、そのスポンサーさんを是非募集できればいいなと思っているので、現状特にね、条件とかも何も設けていないので、是非ちょっといろんな世界を見たいよ。もっとね、深い世界を見たいよとか、僕にしか見せられない世界を是非見してくれっていう強い思いを持ってくださる方はインスタのDMやったりメールで一度僕にご連絡いただければ嬉しいです。ほんまに取りたい世界いっぱいあります。いっぱいあるけども取れてないっていうのが現状なので、皆さん是非手を貸してください。
ま、というのでね、本当にまとめると世界制覇っていうのは本当に面白かったです。本当に面白くて壮大で、まさか最強やと思ってた僕がこんな弱さに気づくなんて思ってもなかったし、A人生させてもらってるなと感じるです。まあ、人間だしも間違いなく死ぬんでいつかはその死ぬまでの間にいかに自分が他人に評価されんくても自分の中で幸せと感じれるもの、いかに見つけることができていかにそれを解決することができるのかっていうのがね、本当に重要やと思うので、この話かを聞いてると行きづらそうやなって思う方もいらっしゃるかもしれないんですけれども、これはどっちかというと本当に他者評価っていうものから自己評価っていうものを切り替えていくものなのかなともお知るので、おそらく経営者の方とかは結構似たような感じなのではないかなと思ってます。自分がね、色々孤独とかを感じる中でそれを乗り越えていかに周りに評価をされずに自分で自分のことを出すことができるのか、いうところがすごくね、今後としても非常になって、これをね、乗り越えて先っていうか、こっからまたもう一段、もう二段強くなったら果たして自分はどういう人間になってるのさっていうのはほんまにほんまに楽しみで。はい。それらを全て超えた後、自分が死ぬ最後の瞬間、一体何をどう思うのかっていうのもすごいね、悲しみながらこの世界制覇がその時どう映ってるのかっていうのもね、すごいすごい気になりますし、本当になんか深いチャレンジでしたかな。決してね、精神が壊れてしまったとかそういうわけではないので安心してください。ただ昔のね、何も考えてなかった自分っていうのが消えてしまって、新しい自分やったり、もしくは本来の自分やったっていうものが少し見えたのかなぐらいなので、はい。これからね、まだまだものに挑戦していきたいと思います。ではまた次の動画でお会いしましょう。