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はい、質問コーナーです。質問です。なぜ人は感情的になって起こるのでしょうか。教育や指導において、感情的になって起こる人や威圧的な、威圧的な態度を取る人が私の周りに多いです。効果的ではないと思うのですが、なぜそうしてしまうのでしょうか。
はい、これはですね、えっと、おそらく2つに分けられた方がいいと思いますね。ま、本当にこの指導者で起こるタイプ、私も嫌だったなと思ってます。で、一方でですね、怒っちゃうことは起こっちゃうんですよね。あ、のですので、え、まあ、なんでしょうね、意図的に起こる、起こることを自分に許可しているということと、怒ってしまうというこの2つの分類を整理した方がいいかなと思うんですね。
で、まずなんで人は怒ってしまうのかっていうのは、これちょっと言い換えるとですね、うん、となんで人はお腹が空くのかに近い気がするんですね。やっぱりそういう風になんか反応しちゃうもんだっていうことではあるわけですね。ただ、お腹が空くっていうことほどダイレクトじゃなくて、怒るっていうのはやっぱりそれに対してカチンと来るだけの、なんて言うんでしょうね、メカニズムがあるわけです。うんなんか例えば、ま、動物同士でも怒り合ったりしてますから、そういうプリミティブな怒りっていうのは、ま、人にはあるわけです。なんか理不尽なことされると人は怒るわけですし。だ、それがあの、え、なんで?みたいな感じのこととかで起こるパターンもあるわけですよね。で、それはその人にとってのこうじゃなきゃいけないとか、こうすべきとか、こうであるべきみたいな感じのものに接触して起こったりしてるわけです。これ人によって結構違うわけです。一方で殴られたら誰でも怒りますから、そういう怒るみたいなものがあって、まいずれにしても反応なんだろうと思うんですね。
である程度、あの人間ってのはこの怒るってことを抑制っていうか、あの変更できると思うんですね。あの、つまり、ま、よっぽどひどい思いをしたことで怒るってのはありますけど、そうじゃないパターンであれば反応ですから。なんかなんかあった時に怒りそうになるけど、あれ、よく考えてみて、これって怒るところかな?とか、なんで自分こんな怒るんだろうみたいなものを客観的に見ると、それが抑えられるみたいな、もうこの反応の対処ってのがあると思うんです。
で、で、その次に本当に怒ってしまうっていう時に、ま、これ考え方なんですけど、やっぱり人間も怒る時に自分に怒ることを許可してると思うんですね。で、この許可するっていう、これが多分すごく、え、ま、起点にあって、で、指導者で怒る場合は戦略的に怒ってる、感情的になってる人も結構いるわけです。つまり、それがき、生徒にとって聞いてきたっていう経験を持ってるわけです。この怒ると、これで起ってんじゃないかと思うんですね。で、多分、あの疑問に思われてるポイントはこの戦略的に怒る、怒ることを容易に許可してるような指導者の人たちは、どうしてそうなってるのかって。これ威圧的な態度はまた別で、これはこれでまた戦略的なわけです。人を制するためにそうやってやっていると。
で、なんでそうしてしまうかって言うと、ま、一言で言うともうそういう世代なんだろうと思うんですね。多分、え、そのように育てられたりとか、またそうするとこう色々コントロールしやすくだったりしたんだろうと思うんです。で、特にあの日本の教育の中では、良い教育者とは、あの生徒をしっかり起立を持って、え、唐突できている存在であるっていう考えが結構根強くあってですね。これ別に先生だけじゃなくて親子さんもそう言われるんですね。生徒がきっちり起立を持って動いていて、別になんか、なんて言うんですね、軍隊みたいに動いてなくても、ワイワイワイワイしてても、ピって吹いたらシュッと列になったりすると、メリハリがいいですね、みたいなことがあったりするわけですけど、このやっぱ閉める瞬間のを作るためにわざと感情的になったり、え、怒りでコントロールするパターンって結構あると思うんです。なんかそこは1つ疑問に思われてる点なんじゃないかなっていう風に思ってます。
で、効果的とは何かってことなんですけど、教育にとって私も本質的には教育効果的じゃないと思うんですけど、今言ったような唐突を取るってことに関して、やっぱり効果的なんだろうと思うんです。それ教育の方向が違うっていうか、向かうべきところが違うから、何を効果的とするかが変わってきちゃうっていうことだろうと思うんです。ですので、ま、私はま、そういうことが背景にあるんじゃないかなということかなと思います。
で、でもなぜそうなんでしょうかっていう疑問の部分と、どうすればそうなくな、そうじゃなくなるんでしょうかってことも含まれてると思うんですけど、私はまずやっぱりそれがあんまり効果がないよなっていう認識が広まることかなという風に思うんですね。効果があると思ってる間は良かれと思ってやるので治らないわけですよね。だ、これには効果がないっていうことが、ま、あのデータ的にも示されていったり、ま、そういうことを自分で経験していくしかないのかなと思います。ま、変わらなくても世代感で変わってくんですけども、早く変わってほしいですよね。なるべくこれってやられた方はやっぱりしんどいですから。それはまあ1つあるのかなと思います。
で、もう1つは、これはこちら側から促せることじゃないですけど、自分に対して思うのは、やっぱりあの以前仏教のですね、瞑想の番組に出た時に、あの二の矢を受けないっていう言葉があったんですね。それ何かって言うと、ま、人に肩がぶつかってムカッとするのは、これ1の矢であると。で、これに関しては人は避けられないと。これを自体抑えることはできないんだと。だけどそれでムカッとして、何をこの野郎とか、何くそって思のは、これ2つ目の矢であると。で、この矢は防げるんだと。つまりカットするんだけど、その次のステップにすぐ前にここに一瞬気づきが存在していて、で、この気づきの瞬間に、そ、これやる意味があるんだっけ?ってふっと冷静に帰るとか、そこまで怒ることなんだっけ?とか、これが本当にいいことなんだっけ?っていうのを、はっと我に変る瞬間を作ることで、2の矢は防げるという風にブッタは言ったそうなんですね。で、それを促すのが瞑想であると。ですので、ま、私はこの二の矢を受けないようにしていくという心の変音を作っていくっていうのが、ま、本質的なアプローチになるんじゃないかと思っています。