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【円安の正体】貯金1000万円が実質880万円に!インフレ時代に日本人の資産を守る方法

投資の灯台29:39

Transcription

通帳を開くたび、数字は変わらずそこにある。減ってはいない。むしろコツコツ積んできた分だけ少しずつ増えてさえ。それなのに暮らしは毎年少しずつ苦しくなっていく。

スーパーの品の中身は変えていないのに、レジで表示される合計だけが重くなっていく。給料日は来ているのに、月末の残りが薄くなっていく。節約しているはずなのに、たまる速さだけが落ちていく。この違和感に[咳払い]名前をつけられないまま働いている人は多いはずだ。

はっきり言う。それは気のせいではない。数字で示せる現実だ。総務省の消費者物価指数は2020年を100として今や113.5まで上がった。この6年で物価はおよそ13.5%上がった計算になる。つまり君が通帳の中に守ってきたい1000万円で買えるものは今や6年前のおよそ880万円分しかない。差し引き120万円分、君は1円も使っていない。1円も損切りしていない。それでも120万円分の買う力が音も立てずに消えた。

問題はここからだ。この120万円分はどこへ行ったのか?蒸発したのではない。泥棒が入ったのでもない。消えた先はちゃんとある。

今日の話は円安と物価高の解説では終わらない。この目減りが誰の得になっているのか、なぜ止まらないのか。その構造まで降りていく。そして最後にこの時代に貯金とどう付き合えばいいのか。私の考えを話す。

本チャンネル投資の東大はデータと歴史をもにお金とこの社会の仕組みを読み解いていく場だ。ただしその解説には私個人の主観や解釈、偏りが多分に含まれている可能性がある。決して未来の利益を保証するものではない。投資に関する最終的な判断は必ず君自身の責任において行ってほしい。

今日のような話のさらに奥の部分はノートに書いている。お金の仕組みだけでなく、人生と幸せの話、働くことと自由の話では出さないむき出しの本音まで包み隠さず文字にしている場所だ。断っておくが、次に上がる10倍株や短期で1発を当てる方法を探しているなら、あそこに君の探し物はない。なくていい。時間を無駄にするだけだ。逆に今日の話のように数字の裏側で動いている仕組みをゆっくり考えたい人には役に立つはずだ。

動画は多くの人に向けて話すが、ノートの文章は画面のこちら側で考え続けている1人に向けて書いている。今はまだほとんどの記事を無料のまま開けてある。概要欄にリンクを置いた。物価は上がり続けているが、あの場所で文字を読む値段は今のところ据え置きだ。

まずは今起きていることの正確な姿から確認したい。日本円は今年6月の末、1ドル162円台に沈んだ。1986年12月以来、およそ40年ぶりの円安水準だ。昭和の円安レートが帰ってきたと報じられた。

政府と日銀も黙って見ていたわけではない。4月30日、1ドル160円70000台まで円が売られたところで、およそ1年9ヶ月ぶりとなる円買いの為替介入に踏み切った。財務省の発表によれば、4月末から5月にかけて投じた資金はおよそ11兆7000億円。円安局面の介入としては過去最大の規模だ。相場は一時155円台まで押し戻された。だが、およそ1ヶ月で効果は薄れ、円は再び162円台へ落ちていった。市場では次は170円、いずれは180円という予測まで語られ始めている。

断っておくが、これはあくまで一部の予測であり、為替の先行きは誰にも読めない。ただ国が過去最大の資金を投じても流れを変えられなかったという事実だけは残った。

円安は君の財布とどう繋がるのか。経路は単純だ。日本はエネルギーと食料の多くを輸入に頼っている。輸入品の支払いにはドルが必要だ。円が安くなれば、同じものを買うためにより多くの円を差し出すことになる。感覚を掴むために単純な計算を1つ。1000ドルの品物は、1ドル100円の世界なら10万円で買える。130円なら13万円。162円なら16万2000円だ。品物は何も変わっていないのに、円の側が弱くなっただけで値段は6万円以上も膨らむ。

この膨らんだ仕入れの値段が、電気代に、ガソリンに、パンと油と調味料に少しずつ上乗せされて君のレジに届く。断っておくと、冒頭で見た13.5%の物価上昇の全てが円安のせいではない。資源そのものの値上がりや、国内の人手不足といった別の要因も混ざっている。ただ円安がこの値上げの圧力を下から支え続けているという構図は変わらない。

ここで多くの人が見落としている別れ目がある。通帳の数字とその数字で買える量は別のものだという別れ目だ。通帳に記録された1000万円は「名目」と呼ばれる。その1000万円で実際に買える量は「実質」と呼ばれる。銀行は名目を守ってくれる。一円も減らさず、通帳に守ってくれる。だが実質を守ってくれる仕組みは、あの通帳のどこにも書かれていない。

通帳は嘘をつかない。ただ全部を語らないだけだ。しかもこの目減りには痛みの合図がない。株価が下がれば、口座は赤い数字で君に知らせてくれる。損をしたと誰でも気づく。ところが預金の実質が削られる時、通帳は何の警告も出さない。残高は昨日と同じ顔でそこにある。だから人は気づかない。気づかないままこの6年で1割以上の買う力を差し出してきた。私はこれを「静かな没収」と呼んでいる。

「美食があるではないか」と思った君へ。確かに日銀は金利を上げ始め、預金にもわずかな利息がつく時代が戻ってきた。それ自体は良い変化だ。とはいえ規模が違う。この6年で物価は13.5%上がった。通帳の利息がその速さに追いつく水準にないことは、君の通帳の利息欄が1番よく知っているはずだ。守っているつもりの場所が、追いかけっこでずっと負け続けている。それが今の預金の正確な現在値だ。

それではなぜこの没収は止まらないのか。ここからが今日の話の心臓部だ。素朴に考えればおかしいはずだ。物価高で家計が悲鳴を上げている。円安がそれに拍車をかけている。国民がこれだけ苦しいのだから、国は全力で止めに来るはずだ。そう考えたくなる。けれども1つの数字を見ると景色が変わる。財務省の見通しでは、国の普通国債の残高は2026年度末でおよそ1145兆円に達する。国はこの国で最大の借金を抱えた債務者だ。

そしてインフレには、教科書があまり大きな声では言わない性質がある。物価が上がると借金の重さが実質的に軽くなるという性質だ。借りた時の1145兆円と、物価が上がった後の1145兆円では、同じ数字でも重さが違う。物価が上がるほど、過去に積み上がった借金は経済全体の大きさに対して相対的に小さくなっていく。つまり君の預金の買う力を削っているのと同じ力が、反対側では国の借金を軽くする方向に働いている。君の実質が減った分と、国の負担が軽くなった分は同じコインの表と裏だ。

これは陰謀論ではない。インフレ税という名前で昔から経済学が知っている構造だ。歴史を遡ると、この構造を100年以上前に言い当てた男がいる。経済学者のケインズだ。第一次世界大戦の直後、1919年に書いた『平和の経済的帰結』という本の中で、彼はこう記した。「インフレーションという継続的な過程によって、政府は国民の富の重要な部分を、密かに、誰にも気づかれないうちに没収することができる。この方法はただ没収するだけでなく、私的に没収する。多くの人を貧しくしながら、一部のものを豊かにするのだ」と。

100年前の言葉だ。それなのに今、君の通帳で起きていることの説明として、これ以上のものを私は知らない。ケインズの言葉には続きの意がある。「多くの人を貧しくしながら、一部のものを豊かにする」という部分だ。ではその一部のものとは誰か?まず最大の債務者である国。そして資産を預金ではなく、株式や土地のような物価と一緒に値上がりするもの形で持っている人たちだ。

インフレの時代、同じ国に住みながら資産の置き方一つで、払う側と受け取る側に分かれていく。労働と預金で生きる人ほど重く払い、資本を持つ人ほど軽く済む。取られ方はいつも見えにくく、いつも非難されない。増税と比べてみると、この仕組みの気味の悪さがよくわかる。消費税を1%上げようとすれば法案がいる。国会の審議がいる。選挙で審判を受ける。政治家は職をかけることになる。だからこそ増税の話は毎回あれだけ揉める。

ではインフレ税はどうか?法案はいらない。審議もいらない。誰も賛成票を投じていないのに、物価という形で全員から気づかれないまま徴収されていく。給料明細の天引きとそっくり同じ構図だ。見えない形で取る仕組みは、取られる側が怒れないように設計されている。私はそこに、この国の取り方の癖のようなものを感じる。机上の理屈ではない。この国には実際にやった記録が残っている。

敗戦の翌年、1946年2月、政府は預金封鎖と新円切り替えに踏み切った。国民の預金は銀行に凍結され、引き出しは世帯主で月に300円までと制限された。その封鎖の間に猛烈なインフレが走った。当時の記録では、数年でおろし売りの物価はおよそ70倍。戦時中に貯蓄は国のためだと進められて、国民が積み上げた預金と国債は、数字の上では残ったまま買う力だけがほとんど消えた。

そして反対側で何が起きたか。国の借金だ。国債残高は経済の規模に対して、1944年度末の144%から、1949年度末には11%まで軽くなった。財務省の研究資料にも、国民の余剰貯金の実質価値が失われることで政府の債務問題は解決されたという趣旨の分析が残っている。踏み倒してはいない。返してはいる。ただし価値の抜け落ちた円で。ケインズの没収がこの国で一度、教科書通りに実行された記録だ。

誤解のないように言っておく。今の日本があの時と同じ道を歩いているという話ではない。当時は敗戦という極限の状況であり、物価の上がり方も桁がまるで違う。しかし物価の上昇が債務者を軽くし、預金者から買う力を移していくという力学そのものは、規模の代償を問わず今も同じ向きに働いている。歴史が教えてくれるのは予言ではなく力の向きだ。

誤解しないで欲しい。政府が国民を貧しくするために円安を放置していると断定するつもりはない。政府は今年6月、政策金利を31年ぶりに1%まで引き上げた。動いてはいる。ところが金利を上げるほど、今度は国自身の借金の利払いが膨らむ。1045兆円の債務者にとって、金利は自分の首を占める刃物でもある。強くは閉められない。国民の買う力を守ることと、自分の借金の重さ。この2つが天秤に乗った時、前者へ急いで針が触れる理由は構造として弱い。だから私はこう読んでいる。円安と物価高は、国にとって苦しい顔をしながらも、内心ではそれほど都合の悪くない痛みなのだと。

ここまで聞いてこう思ったかもしれない。「分かった。貯金がダメなのだな。全部投資に回せばいいのだな」と。違う。話はむしろ逆だ。ここを読み違えると、円安よりも早く資産を失うことになる。

日銀の資金循環統計を見ると、日本の家計が持つ金融資産はおよそ2286兆円。そのうち現金と預金はおよそ1002兆円で、比率にして49%。18年ぶりに5割を切ったとはいえ、いまだに家計の資産のほぼ半分があの通帳の中にいる。この1002兆円そのものが悪いのではない。問題は置き方の偏りだけだ。

現金には他のどんな資産にも変えられない仕事がある。1つ目は生活を守る仕事だ。病気、失業、家族の急変。人生の不運は株価の都合を待ってくれない。その時に頼れるのは、明日そのまま使える現金だけだ。2つ目は心を守る仕事だ。相場が崩れた夜、足元に現金の層があるものは眠れる。ないものは底値で投げ売りする。暴落で市場から退場していく人の多くは、知識の不足ではなく現金の薄さで負ける。

では何年分あれば足りるのか。答えは年齢と働き方と家族の形で変わる。働き盛りで収入の口が太いなら、生活費の数ヶ月分から。定年が近く収入の口が細くなっていくなら、年単位の厚みでと考えるのが1つの目安だ。だから生活防衛の資金は戦略的に、そのままでいい。ここは削るところではない。私が今日問題にしているのは、そこから先の話だ。

10年使う予定のない金まで、20年後のための金まで、全てを通帳に寝かせておくこと。それは安全ではなく、一つのカゴに全ての卵を入れる行為だ。カゴの名前が銀行だから安全に見えるだけで、サムネイルに書いた「貯金だけの人は終了」という言葉の要点は「だけ」にある。貯金が終わるのではない。貯金だけという偏りが、物価の上がる時代に削られ続けるという話だ。

もちろん全ての人が同じ場所に立っているわけではない。生活防衛の資金を積んでいる途中の人もいれば、事情があって投資どころではない人もいる。それを怠慢だというつもりは私にはない。ただ当分使う予定のない金が通帳で眠ったままになっているなら、今日の話は君の話だ。

守り方の話に入ろう。派手な話はしない。順番の話をする。最初にやることは金融商品を買うことではない。物差しを変えることだ。今日から資産を名目ではなく実質で見る癖をつける。通帳の残高ではなく、その残高で何がどれだけ買えるかで考える。この物差しを持った瞬間、銀行預金は元本が減らない安全資産という顔から、物価に毎年少しずつ削られる資産という素顔に変わる。逆に値動きがあるという理由だけで危険とされてきた資産の中に、物価と一緒に育つ性質を持つものがあることも見えてくる。危険の定義が、値動きの裏から買う力を守れるかどうかへ入れ替わる。ここが出発点だ。

具体的には、年に1度でいい。通帳の残高と、その年の物価の動きを並べて、自分の買う力が今年どちらへ動いたかを確かめる。銀行のアプリは教えてくれない数字だから、自分 で見るしかない。この5分の習慣を持つだけで、君はもう気づかないまま削られる側ではなくなる。

2つ目は順番を守ることだ。私は借金と手数料とインフレの3つを「資産を溶かす悪」と呼んでいる。増やす福利を探す前に、まず溶かす福利を読む。これが順番だ。生活防衛の資金を確保する。金利の高い借金があるなら先に片付ける。その上で残った当分使う予定のない金、それがインフレという悪にさらされ続けている部分であり、今日の主役だ。

貯まった金の置き場所として、世界に広く分散された株式のインデックスを長い時間をかけて積み立てるという一般的な方法がある。株式は物価が上がる時、企業の売上や利益も名目で膨らんでいくため、長い目で見れば物価と一緒に育ちやすい性質を持つとされてきた資産だ。しかも世界に分散すれば、円という一つの通貨に人生の全部を預けた状態から、半分を海外に出すことになる。円安で君の買う輸入品が高くなる時、海外資産の円建ての評価は膨らむ方向に働く。生活の痛みと資産の動きが部分的に打ち消し合う形だ。

もちろん株式には株式の揺れがある。買った翌年に3割下がることも歴史の中では普通に起きてきた。だからこそ生活防衛の現金が先で、投資は残りの金でという順番がいる。それでもためらう君の声が聞こえる。「円安の今から外に出て、明日円高に触れたら損をするではないか」という声だ。正直に答える。その可能性はある。1ドル162円で買った海外資産は、円高になれば円建ての評価が下がる。

ここで思い出して欲しいのは、為替の行き先は誰にも当てられないというさっきの話だ。当てられないものへの答えは、当てに行くことではなく、時間を分けることだ。毎月同じ額を積み立てれば、円安の月にも円高の月にも買うことになり、買う値段は長い時間の中で平準化されていく。そして長期で見れば、勝負を決めるのは為替の往復ではなく、投資先そのものが育つかどうかの方だ。為替は行っては帰ってくることを繰り返してきた。企業の稼ぐ力は長い目では育ってきた。だからかけるのは為替の方向ではなく、時間と分散だ。

ここで皮肉な事実を1つ。円安を止めきれないこの国は、新NISAという非課税の枠だけは着々と広げてきた。自分では君の買う力を守りきれないくせに、自分の力で守れという道具はちゃんと用意してある。国からのメッセージとして、これほど正直なものもない。枠を使うかどうかで、この時代の立ち位置は別れていく。調子をどうするかは君が決めることだ。私が代わりに決めることはできないし、すべきでもない。ただ私自身は、生活を守る現金の層を確かめた上で、残りを世界に分けて起き続けるという考えを変えるつもりはない。円の通帳一つに自分の20年後を全部預けることの方が、私にはよほど怖い影に見えるからだ。

最後に今日の話を一つにまとめたい。円安の物価高も君のせいではない。君は何にも間違えていない。真面目に働き、使うのを我慢し、コツコツ積んできた。その積み方そのものは誇っていい。ただ時代の側が変わった。物価が上がらなかった30年の間、貯金は本当に強い守りだった。その成功体験が、物価の上がる時代にはそのまま静かな弱点に変わる。悪いのは君の努力ではない。ゲームのルールが変わったことを、誰も君に正面から知らせなかったことだ。責めるべきは過去の君ではない。知った上で動かない、明日からの君だけだ。

恐れる相手を間違えないで欲しい。君の敵は円安ではない。180円になるかどうかでもない。為替の行き先は誰にも当てられない。本当の敵は、通帳の数字を見て安心したまま、買う力が削られていることに気づかない。その無自覚の方だ。気づいたものから黙って置き方を変えていく。

何もしない自由、もちろん君にはある。しかしこの時代の「何もしない」は中立ではない。削られる側に立ち続けるという一つの選択だ。帰ったら今夜通帳を開いてみるといい。数字は昨日と同じ顔で並んでいる。だが君はもう、その数字が黙っていることを知っている。知った上で、どこに何を置くか。それを決められるのは1145兆円の債務者ではなく、君だけだ。

私は知った側で生きると決めている。ノートには今日の話の先にあるものを書いている。お金の置き場所の話だけでなく、削られる側から抜けた後で何を大切にして生きるかという話までだ。一発の逆転を探す人のための場所ではない。考えていきたい人のための場所だ。今はほとんどの記事が無料のまま開いている。概要欄のリンクが入り口だ。通帳と違って、あそこに置いた文字は読んだ分だけ君の中に残る。