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こんにちは菊谷です。今日のテーマは、インドで仏教が衰退した意外な理由とは、ということをテーマにお話ししたいと思います。
ご承知のようにインドは仏教発祥の地でして、ま、ゴータマ・ブッタという方がこのインドのガンジス川流域で、え、仏教を広められました。お釈迦様が亡くなられた後も、ま、アショーカ王とか、カニシカ王といった、え、王が仏教を保護したこともあって、ま、インドで仏教が隆盛を極めた時期もあったんですけれども。
また、この時には、え、インドに龍樹という大乗仏教の大家と言われるナーガールジュナという人とか、あるいは弥勒菩薩、世親菩薩、あるいは無著といった、ま、この、いわゆる高僧という人を多数輩出した時代がインドにもありました。
で、当時はインドのことを天竺と中国では呼んでたんですけども、え、中国の僧侶が、え、天竺に行って仏教を学ぶ。そのために旅に出ると。ま、こういう三蔵法師と言われるような人たちが、ま、西遊記で有名な、ね、天竺を目指して、そこで仏教を学んで留学して、そして戻ってくると。そして仏教を中国で広めると。ま、ですから天竺、インドこそまさに仏教を学ぶ中心地だった、そういう時代もあったわけですよね。
ところが、そのインドは今日はどうかと言うと、インド14億の人口いると言っても仏教は0.7%。ま、ほとんどがヒンドゥー教、80%以上がヒンドゥー教、そして45%がイスラム教と。そしてその後キリスト教、シーク教と続き、仏教はわずか0.7%というのが今日のインドの現状です。
え、ではなぜそうになってしまったのか。かつて、え、ブッタが仏教を解かれたインドの地が、なぜ今は仏教が廃れてしまったのかという、この意外な理由をですね、ま、今日は、あ、お話ししていきたいと思います。お聞きください。
え、今日の目次は、この3つです。1番目が多宗教の王朝による侵略。え、2つ目が民衆の教化を怠った。3つ目が祈祷仏教になった。え、この3つからお話しいたします。
仏教がインドで衰退した理由として、真っ先に挙げられるのは、まいわゆるこの多宗教の王朝ですね。いわゆるこの4世紀だっったらヒンドゥー教を国教とする王朝、グプタ朝と言うんですけども、え、それがインドの政権を握って、それでヒンドゥー教が国の宗教になったと。
それまではお釈迦様2600年前、インドに現れて仏教を解かれてより約1000年間の間、こう仏教が、え、インドで栄えたんですけれども、ま、特にこの4世紀ぐらいからヒンドゥー教国教とする王朝が、え、次々とできて、そしてヒンドゥー教が力を取り戻してきたと。
ま、力を取り戻してきたってのはどういうことかというと、ヒンドゥー教というのは、あの、ま、バラモン教とも言いまして、元々そのインドに住んでいた、いわゆるインダス文明を作ったドラヴィダ民族を、中央アジアの方から侵略してきたアーリア人が侵略しまして、そのアーリア人が今日の、あの、インドを作ったわけです。で、そのアーリア人が持ち込んだ宗教が、え、バラモン教という宗教で、で、土着の、え、民族であったドラヴィダ民族に、カースト制度という、え、鉄壁の階級制度っていうのがあるんですけども、それらの制度を作り上げた宗教っていうのが、バラモン教というものがあるんです。それがいくつかの教えを付け加えたりして、今日のヒンドゥー教となってますので、ま、ヒンドゥー教っていうのは、あの、バラモン教と言われるもので、これはもうお釈迦様が、え、仏教を解かれる前からも存在してたものなんです。ま、土着の宗教、民族宗教と言ってもいいです。ちょうど日本で言うならば、日本神道ってそれに当たります。日本神道はもういつ頃できたのかってのはも分かりませんけれども、少なくとも仏教が伝来する時にはもう日本神道はもう日本の中にあった宗教なんです。そして、神々を祀ったり、神社を参拝したりしてたのは、もう弥生時代にはもう日本はそういう信仰を持ってましたので。で、それが、大和朝廷の時代、聖徳太子の頃ですね、え、仏教が伝来してきたということですから、仏教は、え、その後にやってきた宗教ですね、日本では。
で、実はインドでもそうで、インドは、アーリア人の作ったバラモン教という宗教が既にもあったんです。民族宗教、土着の宗教として。そこにお釈迦様があの仏教を解かれた。これ2600年前と。で、そっから1000年ぐらい仏教が非常に栄えた時代もあったんですけれども、え、4世紀あたりから、え、このヒンドゥー教の王朝が、え、次から次とできて、そしてヒンドゥー教が力を盛り返すようになってきたということなんですね。
ま、この国家権力によって、え、宗教が保護されれば、その宗教が隆盛を極めると。あるいは国家権力によって迫害されて、その宗教が、え、その国からなくなっていくということは、世界の歴史の中で繰り返されてきたことですが、ま、インドでもこの侵略した王朝がコロコロ変わりますので、その侵略した王朝によって仏教があの衰退していったということが1つ言えます。
本格的にあの仏教が衰退したのは10世紀頃に、このイスラム教の王朝が、え、インドに侵略してきたんですね。で、イスラム教はアラビアの他に神はなし、ということで、ま、他の宗教を弾圧しますので、それで、あの仏教というのは相当迫害されて、ま、決定的だったのはこの12世紀、イスラム教の王朝によって、ま、象徴的なこのヴィクラマシーラ僧院という、ま、当時1000人以上の僧侶がいた、その勝者であり、いわゆるこのたくさんの僧侶が生活していた場所であり、そしてまた大学であった、そういうあのヴィクラマシーラ僧院というのがあったんですけども、ま、そこを侵略して、ですね、ま、その時にそこにいたたくさんの僧侶たちはネパールやチベットに亡命したということがありました。ま、この時をもって、え、インドの仏教の滅亡と言われたりもします。
その後も、このムガル帝国とか、イスラム教の影響の大きい王朝が続きましたので、今のインドのこのガンダーラ地方ってこちらの方ですね、昔は非常に仏教が栄えたところなんですけど、そこはもう今アフガニスタンとかパキスタンとか、全部イスラム教の国になってますよね。ま、昔はインドの一部で非常に仏教が栄えた地域だったということなんですけど。で、こちらのあの今のインドはヒンドゥー教ですね、ということになってしまったのは、これらの、あの、征服した王朝の国の宗教によって、そのようになったと。
ま、これはもう国家権力によって、その国の宗教が翻弄されるってことは、ま、よくあることでして、例えば中国、今の中華人民共和国なんかは、もう共産主義になってから、いわゆるこの仏教という宗教が衰退してしまいましたよ。ね。仏教史において中国っていうのは大変な大きな影響を与えた国なんですけれども。で、ですからたくさんの仏教徒がいたんですけれども、ま、1950年、49年かな、中華人民共和国が成立してから、ま、何しろ共産主義ってのは唯物論のイデオロギーですから、ま、それであの国家教育もしてますので、ま、教科書なんかも唯物論を教えますので、で、宗教、仏教の否定ということで、ま、今でもあの仏教というのは非常に下火ですよね。中国、中華人民共和国においては。中華民国、台湾の方は、え、仏教盛ですけれども。あそこに一部残るのみですよね。ほとんどのこの漢民族と言われる、仏教史における大きな影響を与えた民族なんですけども、中華人民共和国は今はそういう状況です。ま、これも国家権力によるものですよね。
ま、日本でもですね、国家権力によって仏教があの迫害された時期がありまして、それちょうどあの明治時代ですね。明治時代に、当時の明治政府が、日本神道を国教化したわけです。日本神道国教化政策ということによって、ま、日本人たるものを天照らす大神を祭りなさい、で、神棚を設け、え、天皇を現人神と思って参拝しなさい、と。ま、こういうことが徹底されて教育で徹底された時期がありました。その時に廃仏毀釈運動ってあります。廃仏毀釈ってこういう字を書きます。仏教を廃すると。そしてこのお釈迦様のものを、この捨てると。廃仏毀釈と言ってですね、ま、そういうことが日本全国でありまして、ま、当時寺が潰されたり、焼き打ちにあったりということもいくつもあったそうです。
ま、インドの仏教がなんで衰退したのかってことを語る際に、まず第1に挙げられるのは、え、これら国家権力による侵略によって、え、仏教が衰退していったということは、これは、言えることだと思うんですけども。ただですね、あの、それは外部要因であって、うん、1番はですね、やっぱり民衆の中に、ま、インドには民衆がいるわけで、その1人1人の心の中に仏教の教えがなくなっていた。まいわゆる仏教という教えの求心力が民衆の中からなくなっていた。もし民衆の中に仏教という教えが大切にあったならば、どんなに権力者が自分たちの宗教を押し付けようと思っても、そんな簡単になくなるものじゃありませんので。てことは、え、外部要因としてはやはりこの侵略した王朝がそのように仏教を迫害したっていう事実があった。それはその通りですけども、だけどそのインドの民衆が仏教を大切にする気持ちがなくなっていた。仏教の求心力が非常に著しく低下してたということが、ま、言えるわけです。
そうなると、インドの民衆はなぜ仏教に惹かれなくなってしまったのか。仏教を大切にする気持ちがなくなっていたのかという、ここがですね、やはりこの仏教を伝えるものとしても、大いにこの反省しなきゃならない部分があると思いますし、知っておかなきゃならないところがあるんですよね。そこで、なぜインドで仏教は、え、民衆から求心力を失っていったのかという、その部分をこの後お話しします。
理由は2つあるんですけども、その1つとして、え、民衆への教化を怠っていったと。ま、これは、1つ言われる理由なんですね。実は、あの、ヒンドゥー教やイスラム教を国教とする王朝が侵略してくる前から、仏教はあの国王によって熱く保護されていたんですけれども、大事院で一握りのエリートたちが難しい教義を論じ合うというような、そういう形になってたんです。
で、大衆の教化とか、民衆の救いということについては、おろそかになっていたと言われます。つまり、一握りのエリートが、え、難しい仏教の教義を、え、彼らの僧院と言われるところ、もう、いわゆる国家権力が用意した、国が定めた、国が作ってくれた僧院、というところ。ナーランダー僧院とか、そういう有名な僧院ってあるんですよ、インドに。で、そこに仏教を志すエリートたちが集まって、仏教の教義を、ああだこうだと議論してたと。
ところが、大衆や民衆はどうした。民衆はやっぱりヒンドゥー教を信じてたんですね。バラモン教を信じてたん です。バラモン教はヒンドゥー教っていうのは、シヴァ神とか、ヴィシュヌ神とか、そういう神に手を合わせて、病気直しとか、あるいは、あ、これ手合わせるとお金が儲かりますよとか、そういう、あの、信仰ですね。で、民衆はそういう信仰だった。で、仏教の難しい教義というのは、もうわしらには関係ないと。こういう、あの、断絶があったんです。
だから、あの、イスラム教が政権取った時も、やはり民衆の中にヒンドゥー教っていうのはなくならなかったのは、もう土着の宗教として深く人々の心の中に根付いていたということが言えます。
で、このインドの状況っていうのはですね、これは日本にいる私たちも実はよく分かるんですね。それなぜかと言うと、平安時代なんかは、奈良時代、平安時代ってやはり国家権力による、あるいはこの有力な貴族が保護する仏教だったんですね。比叡山にしても、あるいは奈良の興福寺にしても、いわゆる有力貴族の庇護として保護されて発展していった。比叡山なんかも、そこに、修行学問できる人たちは、も、頭のいい貴族の子弟たち。一般民衆は仏教を知らなかった時代です。そういう比叡山や高野山といった山に入ることができるのは、え、厳しい修行学問のできる一部のエリートたちだったんです。あるいは貴族の子弟たちが地位を求めて、そういう有力な寺に入るというのが、日本の仏教の形です。
で、一般民衆は結婚してますから、ほんで、一般の俗人の生活を送ってますので、そういう山に入る人、仏道修行のできる人っていうのは結婚してない独身の人ですよね。そしてまた、肉食を禁じる仏教の教えですから、ま、漁師とか、いわゆる魚の漁師、あるいは猪を狩る猟師、あるいは商人やら遊女やら、そういうこの、さげまんの人たちていうのは、もう仏道修行の器にあらずということで排斥されていた時代です。で、多くの民衆は肉を食べたり、え、結婚したりしなければならない立場でしたので、仏教の救いはわらには関係ないということで、ま、仏教の教えが民衆と乖離してた時代。それが奈良時代や平安時代です。
だから、あの、政治家の立場から言うと、国家権力の立場から言うと、仏教というのは歴史の表舞台にはよく出てくるんですけども、いわゆる一般民衆にとっては、以前としてこの日本神道の、神々に手合わせたりしてるとか、無着宗教として彼らが信じているものであって、ま、仏教の教えというのは、え、難しくてエリートが学んでるものと、こういう構図がありました。
で、そこにあの、鎌倉新仏教と言いますけれども、え、法然上人や親鸞上人といった方が現れて、三乗の仏教を、大乗の仏教にした、あるいは貴族の仏教を庶民の仏教にした、出家の仏教を、在家仏教にした、そういう功績が、え、鎌倉時代にあった法然上人や親鸞上人という方々がされたことなんです。この時代に一部の貴族などのエリートによる仏教から、一般民衆が心の支えとする仏教へと、日本の仏教は変貌を遂げていったわけです。
ま、それで鎌倉時代、室町時代、戦国時代と。戦国時代なんかはもう織田信長の、一向一揆なんかもありますようにも、民衆のすごいボルテージも、仏教を大切にするボルテージの前に戦国大名さえも恐れをなしたっていうような、この民衆のエネルギーっていうのは、それだけ一般庶民が仏教の教えをすごく大切に思っていた時代が日本であったんですよね。
で、その仏教が民衆の教化を怠ったのは、この江戸時代なんですね。で、江戸時代になってから仏教は葬式仏教、法事仏教として、え、また衰退していきました。それはですね、あの、檀家制度と言って、これは徳川幕府が決めたことですけれども、え、各寺院にそれぞれの、人たちは所属しなきゃいけないと。これ檀家とか、ま、浄土真宗では、門徒と言いますけれども、え、ですから、自分はどこどこ寺の檀家です、となったら、もう先祖代々ずっとその檀家寺なんですよね。だから自分は、この寺の宗派は嫌だから、こっちの宗派に行きます、というのは許されない。もう、いわゆる国家権力によって、江戸幕府によって、その決められちゃってるんです。もう戸籍がもうそこの寺でできちゃってるんです。まだから、自分は、この宗派に入らないから、あっちの宗派行きますとか、自分はこの宗教嫌だから、あっちの宗教に移ります、というのはそんな、おいそれとできない時代が江戸時代だったんですね。
檀家制度と、今は違いますよ。今は別に自由ですけども。それで、当時はそうだったので、あ、大衆の教化ってことは、もう寺がやらなくていいというか、ま、寺もやっちゃいけない。他の、俺んとこ来いってことも言っちゃいけないというような制度にも、もう国家権力に組み入れられてしまったという時代があったんですね。僧侶としては別に布教しようがしまいが、え、自分の寺の門徒の数は変わらないですから。そして、あの、葬式、法事をなりわいとして、えたくさんのこのお布施が入ってきますので、ま、それであの布教ということに対して非常に消極的な体制になったんですね。葬式仏教、法事仏教と、揶揄されるこの今の日本の仏教会、現状っていうのは、この江戸時代に文化制度によって形作られたと、こう言えます。
それで、この江戸時代が亡くなって明治時代になってからも、え、葬式仏教、法事仏教で、その伝統にあやかって、え、仏教会っていうのは来たんですけども、どんどん衰退していく。これじゃあいかんってことを、も、最近になってようやくこう思う人も増えてきたのか、ま、仏教の僧侶が、あの、こうしてね、本を書いたり、分かりやすく話をしようと思って、YouTubeとかブログなんかで、え、書いたりして、少しでもこの仏教の教えを伝えようっていう動きが出てきたのは、ま、平成、令和ありがたい状況だなと思ってます。
え、仏教は形骸化したものであってはいけないので、その仏教の教えは多くの人々の心を幸せにする教えですので、それを、あの、仏教を伝えるものはですね、ま、大いに伝えていかなきゃならないと、私は、思います。
え、インドで仏教が衰退した理由として、その2として、え、仏教が祈祷仏教になり下がっていったと。え、祈祷仏教という言葉がありますけども、元々仏教は祈祷をして、え、病気を治すとか、え、商売繁盛とか、そういうことは、あの、言わないのが仏教の教えなんですね。ですから、仏教の教えに祈りとしてご利益をもらうと、こういうことはないんです。本来は。それは、あの、ヒンドゥー教はそうです。ヒンドゥー教はマントラという、え、呪文を唱えて、そして、あの、いわゆる今日の神社であるような商売繁盛とか、即時延命とか、交通安全とか、縁結びとか、安全祈願とか、そういうこの祈願したり、祈ったりして、これらのご利益をもらうと、ま、こういう形はヒンドゥー教なんかは今もそうですし、マントラ一生懸命唱えて、こういうですね、ご利益をあのもらうと、ま、こういう宗教ですけども。
そのヒンドゥー教が隆盛していくのに、仏教会もですね、この乗っかったというか、同じようなことやり始めたわけです。真言を唱えてご利益をもらうと。祈祷仏教と、ま、いわゆるこの仏教というところの密教というやつですね。密教というのは秘密仏教の略でして、いわゆるこの神秘的な儀式をするのが特徴です。で、これはあのインドで始まったんです。いわゆるこのヒンドゥー教の儀式的な傾向に仏教が近づいた形です。この密教が起こったのは7世紀後半です。で、8世紀に、え、善無畏、金剛智、不空という、このインドの3人の僧侶が中国に伝えたんです。ちょうどあの中国は唐という時代の全盛期で、ま、仏教を熱く保護した時代だったんです。で、この3人のインドの僧侶を熱く保護した中でも、この不空という人、ま、この人が、あの、安史の乱というのが唐で起きたんですが、その時に功績を上げたんです。ま、それであの、唐の皇帝から厚く保護されて、で、密教はこの国を守る、まいわゆる鎮護国家の宗教として非常に隆盛を極めたんです。
で、唐で大きな力を持った密教だったんですけれども、ま、唐という国が滅びると同時に、この密教は中国の仏教会から姿を消しました。ま、ところがですね、この密教が日本でまた花開いたんですね。それはあの空海という人物が、え、日本から中国に留学してきまして、この不空の弟子の恵果という人に師事して、そして密教を習った。そして日本に伝えたんです。で、この密教がまた日本の貴族にものすごく受け入れられた。病気、疫病なんかで苦しむ、そういう不安を抱えている貴族にとっては、病気を治してくれる、当をしてくれるということで、あの空海は引っ張りだこになったんです。で、その空海のありの人気に、自分もということで、最澄も空海に密教を教えてくれと頼んだと、ま、こういうエピソードもあるように、ま、密教が一 đạiブームになったんですね。
ま、当時日本で、は、あの、呪術とかね、そういうこう病気直しの呪術みたいのはいくつもあったんですけども、その中の1つに仏教も密教ということで、そうことやり始めたと。で、真言宗の密教もあれば、もう天台宗の密教もあって、お互い競ってこの祈祷仏教をやり始めたんです。天台宗の密教を台密と言え、真言宗の仏教を東密と言ったりするのは、いずれもこの祈祷仏教をやり始めたということです。ま、それが貴族たちのニーズだったということですね。
までも本来の仏教というのは、こういう商売繁盛とか、即時延命、病気直しというような、こういう、あのご利益を求めて祈ると、というのをお釈迦様の教えじゃないんです。お釈迦様の教えというのは、え、苦しみには必ず根源があるんだと。苦しみには原因があるんだと。まいわゆる、世の中いろんな苦しみがあります。思い通りになりません。だ、それには原因があるんだと。その苦しみの原因は何かというのを徹底的にまず見極める。それが仏教に教えられてることなんですね。ま、ちょっと医者がね、病気になった時には診断するじゃないですか。診断して、で、その病気の原因はこれだと突き止めて、そしてその病気の原因をなくすじゃない。そしたら全快できる。もちょうどその医者がそうするようにですね、仏教というえは、人間が苦しむのはなぜか、その苦しみの原因があるんだ。その原因、苦しみの根本原因を知って、それを取り除いてこそ、え、本当の幸せになれるんだってことを、そういう道を教えたのが仏教なんですよ。
だから、人間の苦しみの根源を断ち切って、真の幸せを教える教えが仏教なのに、それがなぜか病気直しやお金儲けの祈祷仏教になり下がってしまった。ま、それであの仏教の深い教えが、え、インドにおいて骨抜きになってしまったというのが、これまた仏教の衰退の大きな原因だったんです。ま、本来の仏教の教えから離れて、大衆のニーズに迎合した結果、仏教自身が、の自殺行為と言ってもいい、仏教の教えを自らが捨てる、みたいな形になってしまった。それで大衆の求心力を失って、え、それでそこに外発というか、外から侵略者がやってきて、え、仏教は衰退していったと。え、これがあの、インドで仏教が衰退した理由としてあげられると言えます。
これはインドだけに起きたことでなくて、今でこそ日本は仏教国と言われてますけども、同じ轍を踏まないようにしなければならないな、ということを思いましたものですから、え、今日話題にしてみました。
え、ご視聴どうもありがとうございました。
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