📱

Get Our Mobile App

Take your business learning on the go!

Download on the App StoreGet it on Google Play

人間相手だとなぜイライラするのでしょうか

為末大学 Tamesue Academy8:17

Transcription

え、試さ大学の質問コーナーですけど、これさっき取ったやつだ、これ。

はい、上大学の質問コーナーです。こんにちは。いつも興味深く拝聴させていただきます。質問です。私は普段対人関係において怒りを感じることがほとんどないのですが、オンラインゲームとなるとすごくイライラしてしまいます。不思議なことにCPUコンピューターです、CPU相手だとそれほどの感情はきません。また子供への質のような場面でもイライラすることがあります。対象が自分の支配が及ぶ相手だと認識しているということなのかもしれないと自分では思ったりもします。たせさんもゲームをやるとおっしゃっていますがイライラしたりしますか?また競技相手に対してイライラや憎しみのよう な感情が生まれたことありますか?

はい。え、これ私もありますね。やっぱイライラしますし。ゲームやってても切れたりしますよね。

で、えっと、これちょっとですね、こCPU相手と人間相手、私あんまり人間相手にゲームすることは少ないんですけども、オンライン上でですね、知らない人の相手だとですね。でも確かに友達とやってたりするとなんかイライラ、えっと、機械に負けるよりもイライラが大きいような気がするんですよね。

で、これ何なん?ま、まず1つは我々の認識の話ですよね。簡単に言うとこっち側が一体どう認識してるかなんですけど、な、何て言うんでしょうね。私はコミュニケーション可能になると人のイライイラっていうのは増えるんじゃないかと思ってるんですね。え、もうちょっと言うとですね、え、それがさらに、え、許される相手、近くなってくるっていうか、許してもらえる相手になればなるほどイライラが出てきやすいと。つまり、え、コンピューターってコミュニケーション不可能ですよね。こちらが話しかけて、ま、そういう風に設計することは可能です。ま、基本的には相手がコミュニケーション取ってくれないですけど、コミュニケーション不可能な世界があり、そしてオンライン上で人間であれば話せばきっと帰ってくるだろうなって世界があり、そして憎心に近づいてくるとさらにお互いの信頼関係があってちょっとよそった怒りをぶつけても向こうがこちらを見限らない、離れていかないっていう世界があってで徐々に徐々にこっち側に対してイライラが大きくなっていくと私は思ってるんですね。あの、この辺に対し、人に対して起こることもイライラすることも あると思うんですけど、ま、あんまり表質しないと、ま、そもそも感情が生まれにくいと。で、ここら辺から人間だともっとイライラが出てきていって、で、関係が近くなってくると、だからこそイライラが大きくなるわけじゃないんですけれども、ま、表質することも可能になってくわけですね、イライラを。で、これ何かと思うとですね、結局私たちは、え、イライラすることによって相手がこうその、それを聞く可能性がある時にイライラしてんじゃないかと思うんです。

あの、昔ですね、あの、どなたかが、え、アカデミアの方でですね、えっと、ま、SNSで発信したいんだけど、色々世の中の反応が、え、返ってきて、これも大変ですよねっていう風に言った時に、あ、それはじゃあ、えっと、過去の発言ってことにしましょうよっていう、つまり過去本で書いたことの引用みたいな感じだって いう風にしましょうっていうおっしゃった方いたんですね。で、そうすると、ま、何々、何々は何々だって書いて、え、何々よりりって書いてるわけですね。で、まるでそれはどっかから引っ張ってきた引用の言葉かのような出してんですけど、実際にはその人はその場で書いてんですよ。それでもね、全然見せてもらったら全くリプライがないんですね。あの、相手からの面もなぜかって言うとですね、機械に対して何かを言うほど人間はペッパ君に起こってる人あんまいないですよね。だからこの話す相手はコミュニケーション可能で相手もこれを見てるのかどうかを人間は思ったより意識してるんじゃないかと思ってて全く反応が返ってかないような機械的な対応に対して人はそんなに切れられないわけですね。ま、そこまでバカじゃないっていうか人間もですね。

だからなんかコミュニケーション可能だって思ったとに急に人ってイライラするんじゃじゃないかと思うんですね。これはコミュニケーション可能であると。で、それ同時に期待が生まれるんだと思うんですね。こちらもコミュニケーション可能だし、向こうもコミュニケーション可能なんだとしたらさすがに言わなくてもこのぐらい分かるんじゃないのっていうべきっていうんですかね。相手に期待するっていうんでしょうね。こういう風に振る舞うべきでしょっていう役割っていうか、それが出てくるとそうじゃない振る舞いをした途端にここで助けるべきなのに助けなかったとか、ここでは普通紳死的に振る舞うべきなのに振る舞わなかったってことでイライラが大きくなるんじゃないかと思うんです。これが機械だとですね、ま、そうやってプログラムされたんだからしょうがないよねぐらいにしか思えないですけど、人間になった途端にそこに何か相手側の意図や、え、本来、え、普通だったら分かるでしょっていう役割期待っていうんですかね。それが分かってないことに対して、またはそれを本人が、え、裏切ったこととかね、意図的にそうかもしれないことに対して俺立ちが生じるんじゃないかと思うんです。

で、これ本当に不思議なもんなんですけど、あの、ま、まさにそういうやり取りが、あの、友人感であったことがあってですね、まあ、なんか、ま、チケット取るとかそんなやつだったんですけど、すごいそれがこう良くなかったんですよ、対応がね。ま、私同じチャットグループにいて、ま、これ確かに怒っちゃうかもなと思って、で、実際にその方に会うとですね、外国人だったんですね。で、その外国人だって分かった瞬間に怒ってた人がああ、じゃあしょうがないねっていう風に言ったんですね。え、つまりなんか共有する普通こうでしょっていうものの基盤みたいなものはやっぱ文化で違いますよね。当然期待されることは。で、それがずれてるんだったら別に意図的じゃなくてその人もわざとじゃなかったんだっていうことが分かって、まあ、じゃあしょうがないねっていう風になったんじゃないかと思うんですね。だから、まあ1つ人間相手がこうコミュニケーション可能で同じ共通の認識を持ってるって思えば思うほど人っていうのは苛立ちが生じやすいんじゃないかという風に思ってます。ま、諦めが生じにくいっていうんですかね。

で、さらにこれが家族まで来たりとかですね。ま、恋人もそうかもしれないですけど、そこまで来ると、ま、他者だとですね、ま、やっぱりそれなりに距離がありますし、言うと離れていく可能性ありますけど、家族ってあんま離れていかないですよね。だからそうすると今度甘えっていうのは生じきって生じてきて、え、ま、甘えとなんか苛立ちってせ、表裏みたいなもんだと思うんですよ。そのなんて言うかな、怒っても離れていかないからこそ怒っていくみたいな。怒ってさっと離れる人に対してはそんな人怒んないですよね。ま、諦めちゃうってか相互に何か執着もしていて相手が許すだろうということも動かないことも分かっていることで怒りがぶつけやすくなっていくっていう。それでここであの家族感のあのなんて言うんでしょうね。お子さんに対してとかっていうのはま大きくなってくんじゃないかなっていう風に思うんですね。

で競技相手に対してのイライラとかは私もありましたけど憎しみはなかったですね。ってそんなになんか相手を見る競技じゃないんでね。なんかイライラとか憎しみはなかったですね。ライバル感はありましたけどね。

でもこれ面白いですよね。私本当に思い、この年になっても思いますけど、人間が何かにイライラするってことはもう明確に自分の何かを投映してるわけですよね。ここにね、あ、私はこれをイライラするようなところが自分にあったんだなってことに気がつくのは非常にいつも興味深いなと思っておりますね。はい、以上。回答になってるか分からないですけども、私はそういう風に思いましたが、え、皆さんは いかが感じられたでしょうかあ。