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ルールの範囲内では何でもやっていいのでしょうか?

為末大学 Tamesue Academy8:41

Transcription

はい、ダメ大学の質問コーナーです。

ご質問になります。いつも楽しく拝見しております。自分がスポーツにおいてモヤモヤしていることにつきまして、たさんのご意見を伺えればと思います。

勝負事において、ルールの範囲内であれば何でもやる、つまり勝負事に徹することを卑怯と判断することがあります。相撲で横綱が立ち合いに変化することはルール上は問題ないですが、横綱の品格など問題する動きのように思います。直近で言うと、サッカーのPK時にボールを水で濡らす行為などは賛否両論がありました。

結局は本人がどのように立ち振る舞うかによると思うのですが、問題視される行動はうまくはまれば勝利の確率を上げる行為であり、技術の一つと言えなくはないかなと思います。ルールは絶えず変化していくもので、本当にダメであれば規制するという動きになるかと思いますが、その境目はどこにあるのでしょうか。大変に興味深いですね。

ご質問ありがとうございます。

まずですね、これを理解する、というか議論するにはですね、大事なことがあります。それは、ルールとですね、アンリテンルールってよく言いますけどね、英語で。まあ簡単に言うと、ルールに書かれていないルール、ということだと思うんですね。

日本においてはマナーとか、倫理とか、スポーツマンシップということもありますけれど、実体はですね、スポーツにおいて選手が行っている行為が、ここら辺までだと思います。で、ルールがここにあるとしたら、ここ、このぐらい結構あるんですよ。ま、このぐらいってどのぐらいだって感じですけど、ま、結構あるわけです。このルールに書かれてない暗黙の了解みたいなものはですね。

で、これをどう扱うのかってのは結構難しいわけです。でもこれがなくなるとですね、ま、ルールに徹するわけですけど、ルール内なら何でもやっていいって言うとですね、何が起きるかと言うと、ルールの分量がめっちゃ長くなるんですよ。なぜなら全部書き込まなければいけないからですね。

で、例えばですね、陸上競技見てる方多いと思うんですけど、見てたりですね。陸上競技において、厚底シューズというのが出ましたよね、最近。これまでは陸上の世界でシューズって、反発行為を禁ずる、確か日本語ではそういう書き方だったと思うんですけど。つまり、走るということに対してシューズがですね、過度に、ま、反発力って決定はならないということだと、ま、反発したりとか、そういうことだと思うんですけど、めっちゃ曖昧ですよね。

でもね、反発力って何ですか?と言うと、ま、衝撃吸収も一つの反発力で、衝撃吸収してそのままペタンていく素材なんてないですから、必ずこの溜まった弾性がですね、ポンと弾力でこう、跳ね返すわけですよね。で、それって反発力じゃないの?とかですね、ま、山ほどあるわけです。だけど、ま、なんとなく曖昧なその世界で行っていたと。

一方で、そこにナイキが切り込んでいって、ま、反発行為というものの、ま、解釈をま、うまくやりながら、ま、厚底スパイクシューズというのを出していったと。で、ま、そう考えていくと、ま、そこの間にイノベーションあるよね、って考え方もあるんですけど。

で、一方でそれ本当に厳密にやっていくと、ま、なんて言うんでしょうね、ま、例えばあれとかいい例ですよね。あの陸上競技の100mのフライングが一発アウトになったってのは、ま、これ法規上の問題もあるんですけど、元々は一人一回だったんですね、フライングが。で、けどそれだったら、ギリギリを狙ったらいいじゃない、って思っちゃうわけです。人情として。あの世界大会の決勝とか、もうこれでメダル取るかどうかも、勝負分けますから、人生分けますから。ま、ギリギリを1回あるんだったら狙っちゃえ、って思いますよね。

で、それがフライングがあいついで、100mが放映上7分で取ってたのに20分かかったとか、そういうことが起きるわけです。それでこれいかんだいかんだ、で、フライング1回にし ましょう、っていう風にルールが変わったんですけど。1個しかなかったら当然みんなやりますよね。それ。それでうまくはまったら儲けもなわけね。だからフライング1回にし たとな。大体のレースにフライングが出始めったっていう問題があって、ま、じゃ最初からフライング1発禁止にしようかってなったわけです。

でもこれって選手からすると、めっちゃプレッシャーがあって、あんまり私いいことだと思えないんですよね。なぜなら4年間かけて予選、準決勝、決勝ときて、決勝でフライングしてアウト。これ走れないです。もうそのまま帰んなきゃいけないって、なんかそれでいいの?っていう感じは私はちょっとしますけどね。でも、ま、厳密にやっていくとそういう風になっていっちゃうという感じ。

だからこのフライング1回できるんだけど、このフライングってのは権利じゃなくて、ま、救済措置っていうか、ま、もしそうなった場合でもいきなり走れなくなったらみんな困るよね、っていう世界にいたわけです。つまりルール上は確かにみんなフライング1回だけど、でもその権利使ったら8回フライングやり直すことになるんで、そんなことになったらレース崩れちゃうから、ま、みんな一応フライングしないように出るよねと。で、ダメだった場合でも救済するよ、一人1回までっていうものだったのを、利用し始めた途端にルールがガっと迫ってきて、ま、こうなってしまったという風に私は見えてるんです。

ですので、ま、これおっしゃる通り、誰かがそこに対して踏み込んでいくと、ま、例えば日本の今の選挙とか結構それに近いですよ。ルール上これできるじゃん、っていう風にやっていくと、ま、できわけですよね。で、少なくともそれをやった人や短期間においては、それが勝負に有利に働くと思うんですけど、必ずそのことによってルールゲームのバランスが崩れて、面白くないじゃん、っていうことになって、ルールの方がガっと迫ってきて、それを認めないことになると。で、大体認めない時にはルールが足されますから、ルールがさらに複雑化されるということになっていくわけです。

じゃあこのルールに明記されないものを見認めるかどうかはどうやって決まっていくのか、どういう基準で、このアンリテンルールの世界というのが決まるのかというと、私は一言で言うと、観客だと思ってます。選手じゃなくて。つまり、観客から見てそれは面白いのかっていう。ま、さっきの陸上競技の話も要するに放映時間に収まるかどうかって観客ですよね。だから、見ている人がそれを面白いと思えるかどう か、それをフェアだと思えるかどうかが、結局基準を決めていて、思えないようなものは必ずルールができてもう一度ひっくり返されるっていうことなんじゃないかなという風に私は思っています。

でもう一つ、別の側面でですね。じゃこのアンリテンルールの世界にみんなを踏み込んで、ルールの側が変わってきますよね。より複雑化しますよね。そうすると何が起きるかと言うと、ルールをよく知ってる人が有利になるわけです。なぜならそんなルールみんな読み込めないので。で、そうなっていくと、こはリテラシーの高い人、つまりルールをよく知ってそれを扱える人たちが有利になっていくと。

で、これが生きつくと最終的には複雑でもうよくわかんない世界がやってきて、あるエリートの世界とか、ま、美容なんでしょう、官僚制度とかです。官僚が強いとか、そういうことになっていき。で、それが生地までいくと何なんだこれはって言って、シンプルにしろって言って、1回ガラガラガラっていう風にルールをもう1回戻される、またはその複雑化されたルールと共に衰退していくと。面白くなくなって、もっとシンプルなルールで運用されるような世界の方にみんなの注目が集まっていくと。ま、こういうことで歴史が繰り返されてきたんじゃないかなという風に思ってます。これめちゃくちゃ面白い世界ですね、ルールに対して。

で、最後に私のちょっと個人的な見解を言うと、ルールってのは実は何の根拠もなくて、誰かが作っためちゃくちゃ私的で人工的なものなんだけど、なぜか日本人はルールを絶対視するっていう傾向にあって、これって統治者からしたら最高なんですよね。なぜならルールを守る人たちですからね。ま、日本の場合問題なのは、このルールを私的に守るような独裁者は いなくて、なんとなく空気でルールが出来上がって、それをみんながそれに絞られるっていう、そういう面白い国なんですけど。

ま、ともかくこのルールは変えられるんだ、って前提に立つかどうかが、私は日本人のクリエイティビティを決めてると思ってます。あれは全て人工的な、何一つ自然から生まれた、覆せないものはないんだ、っていう前提に立つと、世界の見え方もまた変わっていくんじゃないかなという風に思っております。