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た大学の質問コーナーです。質問です。世の中では諦めなければ努力が実り夢が叶うという人もいますが、実際人間それぞれ限界値が違うのでしょうか。それとも諦めず努力を続ければ本当に努力が実り夢が叶うのでしょうか。長文失礼します。あと総合探求の授業でたさんが出ててびっくりしました。ありがとうございます。
なんだろうな、総合探求の学校の授業ですかね。あの、ありがとうございます。で、これご質問多分整理すると、ま、諦めなければ努力が見のって夢が叶うのか、それとも、え、空きま頑張ってもダメなものもあるっていう、そういう整理ですかね。ちょっと文章だけではそれが読み取れなかったんですけど、ま、そういう風に理解をしながらお話します。
これ難しいところですよね、本当に。え、例えば世界一になりたいと思っ選手いっぱいいるんですよね。で、私たちの世代にも。でも世界一になれるのって4年に1人なんですね。例えばオリンピックで言うとね。で、オリンピックで金メダル取れるのは1人と。で、そうなりたかった人が1000人いると、999人の努力は無駄であったっていう整理もできますし。
で一方でここに対してロジカルに考えるなら、え、夢が叶わないなら、それは努力不足だっていうロジックをはめるとですね、999人は努力不足であったってことになるわけですね。でもちょっと私、それはなんか乱暴だなっていう気がするわけです。あの、実際に現場にいながら、ま、みんな結構限界に近いところまでトレーニングしていて、で、みんな努力不足。一番本当に努力したやつがキメなリストなのかなって言うと、ま、そんなことないと思うんですよね。あの、俺陸上始めて何年とかで世界一になるような選手もいますからね。それはやっぱり持って生まれた才能大きいよねと思うわけです。
ですので、ま、あの、目が叶うってことは努力って要素だけで決まらないし、運もあるし、才能もあるし、環境もあるし、タイミングもあるし、という、ことでいろんな複合的な要素がある中で、ま、ただ努力することがそれの確率を高めますか?って言うと、ま、高めるだろうなと思います。ただ夢が必ず叶いますよって約束できますか?って言うと、私はできないと思います。
で、領域によって努力の影響度が大きい世界と小さい世界があって、ほとんど才能で決まるような世界もあると思います。例えば身長を競うっていうスポーツがあるとしたら、もう身長が高く生まれてこない限りは勝負に勝てないですよね。で、陸上競技はちょっとそっちに近いですよね。技術的な要素よりもかなり身体的なものは影響するので、ま、そうするとそのなんだよこれ、結局生まれだよ。生まれじゃねえかよっていうツッコミしたくなりますよね。私も何回も突っ込みましたけど、ま、それでも明日になると走ってるんですが、ま、そういう意味で、え、い、難しいとこですね。
で、これらの質問に対してよくこれ語られて、難しいなと思うんですけど、私はあの皆さんに、あの是非これちょっとお、若い方かなと思うんですけど、お話したいなと思うのは、あの結局成功した人とかですね、夢が叶った人も、夢が叶うって分かってたから努力したわけじゃないってことなんですね。で、世の中に大人になると分かるんですけど、あ、この人一生懸命頑張ったけど夢叶わなかったんだなって人にはたくさん合うわけです。あの、ち、地方のスナックとかに行ってお母さんとかにやって深く話していくと、あの若い時に女優になりたくて、え、ま、都会に住んで一生懸命努力したけど難しいと思って途中で、諦めて地域に帰ってきて今お店やってるって方に会ったりするわけです。で、お母さん努力だよっていう風に言う人もいるかもしれないですけど、ま、あの世界もやっぱ運が大きいと思うんですよね。で、ま、それはそれで納得して生きていくとか、ま、いろんな人生があるわけです。かと言って、ま、うまくいった人もいるんですけど、ま、私は自分の実感として相当な確率で運だと思ってるんですね。だけれども一生懸命やると確率が高くなったりするってのもこれ間違いないんですけど、大事なことは、あの確実な努力すると思夢が叶うって分かってれば努力しますっていう人は、まあ大体夢が叶わないってことなんですね。もうわかんないんでね、みんなね。あの、だけどやってみるしかないじゃないかって月動かされてやるってことなんです。
さらにもう少し言うと、もっと強い状態は何かって言うと、うまくいくかどうかすら頓着しないような状態。うまくいくかどうかすら、え、もはや構わない状態でそれをやるんだと。それの究極の状態が、それをやることが楽しい面白いって状態なんですね。楽しい面白いの、あの最大の特徴は、それをやってること自体からすでに報酬を得てるってことなんですね。報酬って何かって言うと、喜びや楽しみとか生きる実感です。あ、これが楽しい。あ、これが面白いんだ。で、この結果なんか、ま、成功ってま、いろんな見方ありますけど、端的には社会的に評価されることですよね。社会的に設定されたオリンピックとかなんか合格するとか、そういうものにリーチして有名になるとかです。それを得ることだと思うんですね、成功で。
ところが自分の技能が上達していくってことは、仮に披露されなければ自分の中ではできた感はあるけど、ま、少なくとも他者から認められるわけじゃないわけです。でもこのこと自体面白いって思う人は努力が止まんないわけです。もうちょっと言い方変えるとその人にとってみると、努力ではなくて娯楽や、え、探求の一部になってるってことなんですね。このような人は強いですよね。なぜなら、え、成功するために努力してるわけじゃなくて、努力そのものが娯楽化してるわけなので。で、これが私が何度も申し上げる、楽しいのが大事ですよ、面白いのが大事ですよ、好きなことやるの大事ですよって言ってるのは、努力が娯楽化する心境だからなんですね。
でももしこの状況に入れる人って私そんなに多くないと思うんですけど、もし自分に好きなものや楽しいものや面白いと思えると、したらもうこれは何としても死守しなけれはならないわけです。なぜならば努力が娯楽化する貴重なエリアなんですね。でも気をつけなければならないのは、そんな世界でさへ仕事にした途端とかですね、これで成果出さなきゃいけないと思った途端、あんなに楽しかった面白かった楽しかったことが急に義務的に感じられて、しなければならないっていう気分になってくることなんですね。この楽しい娯楽と義務の間ってのは非常に微妙なラインにありまして、これはとっても気をつけなきゃいけない世界です。私が面白いと思う範囲にとめなきゃいけないと、楽しいと思うようにやらなきゃいけないと。
私の人生で本当に運が良かったのは、中学生の時の先生の口癖が大「楽しいかと面白いこと、面白いと思ってやってるか?」っていう、もうこれが私の陸上競技の根幹になって、これが私の心最後まで守ってくれた魔法の言葉でしたけども、これがあるかないかが本当に重要だと思ってますね。
で、考えてみると夢が叶うで、ま、これ叶うといいんですけども、もし自分の人生が楽しい、面白いと思うことを夢中になってやってやってやってやり続けて、気がついたら自分の人生があ終わるって瞬間が訪れたら、こういう人生って成功でしたかどうでしたか?っていうと、私は大成功だと思いますね。途中で夢が叶って、やっと夢が叶った、さあこれから何して生きていこうと思いながらうろうろする人生よりも、こっちの人生の方がよっぽど充実してますよ。
ですからこの夢が叶うっていうこと自体が、叶った後のことはあんまり想定されないんですけど、ま、私はあの幸いにして夢が叶った後の人に会うことありますけど、必ずしも幸福度は高いし豊かな生活をしてる人も多いんですけど、必ずしも充実してるわけでもないし、その世界はその世界なりの虚しさもあるわけです。
これ私が言いたいのは、いややっぱりなんだ、金持ちも成功した人もみんな同じように苦しんだって言ってなんか両院を下げると、そういう話じゃなくて、ま、やっぱそれなりに社会的に成功した豊かだしま、余裕もあっていいよねっていうのはこれ間違い無いんですけど、ただ心からの充実とか生きている実感みたいなものっていうのは、もう外形的なものがいくら整ったところで何ともならなくて、やっぱりああこれをいやっている間生きてる感じがするみたいなものって言うのはプロセスなんですね。結果じゃなくて。このプロセス自体から喜びを得る人生ってのは私は一番豊かな人生だしま、考えてみると生きるってことはプロセスですから、死ぬまでのこのプロセス自体を充実させないと、どこにも最後に、この時点でゴールでオッケーだったら残りもずっとオッケーみたいなものってないんですね、人生で。なぜなら生きてしまうので、その後も。
そう考えていくと、やっぱり楽しい面白いとものもつめてこれをやってればいいんだって充実できるようなものが見つかる、見つかった人は強いなと思います。だいぶ話がずれてしまいましたが、えー、結論として夢が叶うかどうかは分からないけれども、そこにむかって充実してる毎日があるなら、そっちの方が実は大事な宝物になるんじゃないでしょうかというのが私の答えになります。私の人生はそういう人生だったので。