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神戸新聞情報文化懇話会・CiRA共催シンポジウム(山中伸弥 教授)

京都大学iPS細胞研究所_CiRA50:16

Transcription

[拍手] [音楽] [拍手] 欧米の皆さんこんにちは。ただいまご紹介賜りました京都大学 ips 細胞研究所社長の山中伸弥です。今日は朝ちょっと雨が降っておりまして心配しましたが、何とか天気が持ち直してくれて、こんなにたくさんの方にお集まりいただきまして本当にありがとうございます。

先ほど孝司社長からご紹介ありましたが、神戸新聞が120周年を迎えられたことをこれよりお祝い申し上げます。また、120周年を記念するこのような記念の講演会を開催共催で開催していただきました褒美新聞情報文化懇話会の皆様、そして神戸新聞の皆様に心より御礼申し上げます。

私は今あの京都大学で研究をしておりますが、ということでよくあの京教大の出身と間違っていただくんですけれども、実はあの神戸大学卒業生であります。1981年に多い大学入学いたしまして、87年卒業いたしました。何学部かと言いますと、大北の友達は山名たお前はラフウェーブだとっ言って学の名前を覚えてくれていない人が結構います。神戸での六年、実際はですね気が終わって3年しかできなかったんですが、楽日に本当に明け暮れる毎日でありました。と言ってもですね、プレーヤーとしてはあんまり上手ではなかったみたいで、たくさん写真が残っているんですが、ボールを持っている写真は一球も赤い1枚もありません。一番いいのがこれくらいてですので、あのまあプレーヤーとしては大したことなかったんですが、しかし一生懸命楽日の練習をしていました。そしてラグビーの練習のない時に医学の免許蒸しましてぶし医者になったわけであります。

で今日の公演はまず私を医学の道に導いてくれた恩人の紹介から始めたいと思います。とっても私が尊敬している男性でありますが、この男性でありまして、教科書等で見られた方ございますでしょうか。もしおられたらびっくりするんですけれども、あのこれは僕の父親でございました。残念ながら教科書には載っておりません。しかしですね、息子が言うのもなんです、結構昭和6年、あすみません昭和5年生まれですが、背も高くてなかなか男前だと思います。特にあの息子の僕が見てですね、なんといっても頭が羨ましいなといつも思いますがあまり笑えないこと言ってすみません。

父はですね、石でも研究者でもありませんでした。エンジニヤ、同志社大学の工学部を出た技術者でありまして、大阪にあの東大阪という町工場で余命な街がございますが、そちらで小さな小さな町工場を営んでおりました。非常に元気な学生時代は乗馬をやっていたとか聞いておりますが、非常に元気だったんですが、私がですね中学生くらいの時に気がお仕事中に怪我をしまして、毛皮あ治ったんですが、その治療の過程で輸血をする羽目になってしまいました。予想以上に出血をしまして予定していなかった輸血をしました。で毛皮のおりましたが、残念ながら行け2が原因で肝臓のあの肝炎になってしまいました。当時はまだ原因が分かっていない肝炎になりました。ということで治療法もございませんので、ドンドンドンドン悪くなっていきまして肝硬変になりました。

父の [音楽] そういうなんて言いますか健康が損なわれていくのを横で見ている間にですね、だんだん校医学への興味ん、医者担うなるべきじゃないかと思うようになりまして、また父もですね、も自分の仕事は菅なくていいから医学部に行ったらどうだとに進めてくれて医学に1981年、お外大学に入ったわけです。膣道ですね、あまり毎日仕事をしていましたからながあんまり旅行した記憶もほとんど無いんですが、よっぽど嬉しかったのか僕の神戸大学の入試の発表の日はですね、わざわざ一緒に合格発表を見に行ってくれて、もし売ってたらどうしようと思ったんですけれども、まあでも本当に売れそうに合格発表一緒に見たのを覚えています。

しかしなにせ治療法がございませんからもどんどんどんどん悪くなっていきまして、私のはの医学部6年間っていうのはもう父が悪くなる砂投稿何もしてあげれないまま見ていく実籾幻叶いそういう6年間でもありました。そして1987年に医学部を卒業して医師になりました。しかしあのそのころにはずいぶん7の病気は重く肝硬変が住んでおりまして、本当に苦しそうでしたが、そんな中でもですね僕がの天敵としてあげると苦しい中でも高売れそうにしていたのを覚えています。しかし残念ながら私が医師になった翌年の1988年にはなくなってしまいました。57歳でした。

そのことが医学部を卒業して医師になったばかりの私にとってはあの非常に大きなトラウマと言いますか無力感位襲われました。何してるんだろう、せっかく家の勧めもあって医学部を出ていさになったのに自分の父親に何もしてあげることができなかったと、いうことでまあそのことが結局その後研究者へと方針転換した大きな理由の一つでありました。

この父の病気がその後どうなったかをあと一枚だけスライドで紹介させていただきたいと思います。必要がなくなったのが1988年でございましたが、翌1989年にアメリカで原因が分かりました。顕微鏡写真でありますが、ニュースっが見つかったんですね。c 型肝炎ウィルスと uv ですがアメリカで見つかりました。この小さな家そのウイルスに父親は命を奪われたわけです。原因が分かりましたので世界中の研究者企業が治療薬の開発にワーッととりかかりました。多くの研究者の努力のか がありまして2014年2特効薬が販売されました。まず2013年だったと思いますアメリカで販売をされまして、それから1年ぐらいの時間を経て日本でも販売されました。ハーブんという不正です。これはもう本当に素晴らしい薄いです。飲み薬公有地から錠剤んです。なんか注射もしなくていいんです。この飲み薬を3ヶ月間飲みますとほぼ全ての患者さんから c 型肝炎ウィルスが消えてなくなるというまさに夢のような薄いです。ですから今だったら父親は死ななくてすんだと思います。当時はどうしてもなかった病気が今はも治る病気になっています。これは研究者の努力の成果です。研究が病気をやっつけとそういう成功例でもあります。私たち医学研究者日々一生懸命研究しておりますが、共通の目標があります。それはまさに研究の力で病気を克服する。これが私たちたくさんの医学研究者の共有するビジョン目標であります。

c 型肝炎の歴史というのは研究が病気に家があった勝利の歴史であるんですが、同時にですね、私たち学研究が今直面している問題二つの大きな問題を無能の見事に物語っているそういう例もあります。どういう問題があるかといいますと、まず原因がアメリカで見つかったのが1989年、特効薬が販売されたのが2014年でございますから、その間実に25年、四半世紀もかかってしまった。世界中の緊急者が必死で研究したにも関わらず25年もかかってしまいました。この時間が何十年もかかってしまう。これが医学研究の一つ目の課題です。

二つ目は何か。もう一つ大きな課題があります。先ほど言いました2個の特効薬、こんな錠剤の女無粋です。この一条いくらだと思いますか。すいません後大阪の商売人の息子なのですぐ値段の話はしていません。天外なと思う人どれくらい某1000円くらいこんなチェックですよゴーセン。そうですよね。1万円くらいだと思われるか食べるくらい。1万円ずいぶん高い。本当は5万5000です。この小さな飲み薬が55,000です。これを3か月毎日飲む必要がありますから、1人の患者さん直すのに数百万円かかってしまう。このコストがかかりすぎるというのが医学研究の2つ目の課題です。せっかくできた素晴らしい治療法の値段が数百万、今もっと高い数千万という治療法もどんどんどんどん出来てきています。少し前まではに学研究者は新しい治療法さえ作ればそれで生後だ。でもこれからはいかに早くそしていかに低コストで作るかと いうことが社会的な義務であっ いうふうに感じています。

私自身はの桜や不幸といいますか、この c 型肝炎の研究には全くタズサいませんでした。ここから私自身の研究の歴史について簡単にご紹介したいと思うんですが、一旦者になりましたが研究者になろうと思いまして、もう一度台学園2戻りました。大阪市立大学の大学院に入りまして、そちらで学位をいただいてさらに研究のトレーニングを2ケ用ということでアメリカに行きまし。3ガン cisco アメリカに視界がこのゴールデンブリッジでゴールデンゲートブリッジで有名なきれいな街でありますが、こちらにございますグラッドストーン研究所というところに1993年に留学いたしました。31歳で初めて日本以外の国に進みました。3年余りこちらで研究者のトレーニングをさらに進みましたが、この3年間が私の人生にとって非常にあの重要な3年となりました。当時のを出しまだ30代でございましたが、ポジの私と私の直属のボスのトム先生の写真でありますが、私はあの1995年ですから33歳、20年ちょっと前でございますが、まあこの写真を見せするほぼ唯一の理由はですね、20年前はもう少し負担さだったとそのそれを見せたいだけなんですけれども、この期間いろんなことを学びましたが、アカーのいろんな実験技術学びました。明日し一番学んだのは技術ではなくて精神的な人生のモットーと言いますか、それを学びました。それが vw という短い言葉であります。これを教えていただいたのは当時の研究者庁のロバートマーレン先生、今名誉所長をされていますが、彼はあの当時も今もあの子のドイツの車乗っておられまし。て、それになぞられて vw と言われたと思うんですが、この場合の vw はもちろんドイツの車のことではなくて vision and work hard -v w なとしっかりしたビジョンを持ってそれに向けて一生懸命努力すれば間違いなく研究者とし て成功するよとそんな風におっしゃいました。

その上で深夜、深夜が work hard 視点が良くしていると。じゃあビジョンは何かと聞かれました。で僕はスラスラといやそれはマーレイ先生とそれはもう一生懸命実験をしていい論文を書いて研究費をいっぱいもらってそして良い職に就きたいからですとスラスラとございました。あの今大阪弁に楽しておりますが、当時は当然英語で会話をしていたわけでありますが、そうしますとですね、まあれ先生は野心家とそれはビジョンじゃないと。それは work hard の手段だろうと。何のために石を止めて研究者になるんだなったんだと。何のために小さな娘2人と奥さん連れてアメリカまで来ているんだということを問い詰められまして、ようやくですねうんがなぜ研究者になったかと いう自分のビジョンを思い出しました。それは最初にお話しいたしました父親のような今の医学では治せない患者さん病気ケガの患者さんを研究の力で将来直したいと。それが自分のビジョンなんだ。そのために印象よやめて研究者になったんだということを思い出しまして、まあそれ以降はですね自分のビジョンを忘れないようにしています。こうやってこの vw のお話をするのももうほとんど自分のためです。こんなことを言っていながら未だによく忘れます。毎日4忙しいとついつい目先のことにとらわれて本当のビジョンを忘れてしまいますが、自分への戒めとしてこういうことを申し上げております。

で日本に帰りました。1997年35歳のときに日本に帰りました。日本に帰ってですねまあいろいろいろんなことがありましたが、まああのいろいろございましてこうですね非常に幸運に恵まれました。1999年奈良先端科学技術大学院大学という大学があのままならぬでございますが、ここで准教授として雇っていただいて上に教授がいない研究室でしたので研究室のリーダー自分の研究室を持して持つというそういう大きなチャンスを37歳の時にいただきました。今でこそ30代で研究室持つということは増えてきていますが、この当時はですねだいたい50歳くらいにならないとジュンの言及数もてなかったんですが、37歳でこういうチャンスをいただきました。これが本当にああの私の人生大きな出来事でした。

ところでこの7先端科学技術大学院大学という大学のことをご存知の方はどれくらい正直にちょっと約1割m未満でありまして、あのいいんです私も行くまで知らなかったのでそんなもんなんですが、これ国立なります。なぜ皆さんご存知ないかというと大学院しかないんですね学部がないので普通の受験は関係ないですので一般の方にはあまり知られていないんですが、研究者の間ではもうすごい有名な研究を行うための大学です。非常に素晴らしい研究環境がございます。周辺の京大阪大そして灯台頭からですね若手の30代40代前半の教授准教授情報選んできまして活気にあふれる大学です。

でここでも私の研究が広域に幸を進んだわけでございますが、1999年の12月1日、約20年前に心ときめかしながら着任いたしましたが、着任すると同時に大きな問題があるということをすぐ学びました。それはどんな問題かというと、一体大学院生が入ってくれるんだろうかと。に本気な問題になります。x 額に12月に着任しました。で4月になると120名くらいの大学院生が全国の理系の学部を卒業した学生さんが入っています。120人大学院生で研究室は20個くらいあります。選ぶ権利は学生さんにあります。有名な教授もたくさんもらってどんどんそういうところは学生さん殺到します。ところが人気のない所は過去5年間学生30そういうところもあるということで僕はですね着任したばっかりで他は全部教授なんですが僕だけ准教授当時は助教授と呼んでいましたがなんか犯人も経ている感じです。もちろん一番若い一番運営でした。そして一番ピンボ研究費も一番少なそういうところに今の機能ですね学生さんが来てくれるんだろうか。来てくれるわけがない。大学院大学なのに大学院生全部だと非常に高まずいわけです。これは困りました。急に有名になれない92研究費ももらえない9人と死も取れないどうしようと思ったんですが、そのときに僕を助けてくれたのがマーレ先生の教えの vw ですと。そうビジョンだったらすぐ使えると思いま。魅力的な研究室のビジョンを掲げたらそれに惹かれて学生さんが来てくれるかもしれないと思いました。

そこで当時自分が行なっていた研究を踏まえてどういうビジョンがいいかなぁと思って考えたのが結局今につながるビジョンでありました。これが作当時作ったビジョンです。万能細胞という細胞があります。ちょうどですねこの私がならに移った follow 人間の受精卵からアメリカで万能細胞が作られました。es 細胞というすみませんあの es 細胞をご存知な方どれくらいおられますか。ちょっと何度もてよあこれならセンターより多くて3割から4割。あの不妊治療をしているプリニックに行きますと体外受精をしてっ受精卵があるわけですが、お母さんに戻すよりも多めに作りますので沢山の受精卵が凍結保存されています。ほとんどはそのまま使われることがありません。その使われなかった受精卵をアメリカの研究者がご両親の承諾を得て研究に利用させていただいてできたのが es 細胞という版の細胞です。これはですねどんどん増やせてなんで万能かというとどんどん増やせるで増やした後で脳とか心臓とかもいろんな細胞を作れるとなどんな細胞にでもなれるという意味で万能細胞と言われています。私この es 細胞技術にもともとネズミの es アームの研究していましたが、人間の es 細胞のニュースに接しても本当にものすごい飛び上がって興奮しました。これで医学が変わるかもしれないと思いました。

ところが同時にですね人間の受精卵を使うということに対して大きな課題があるということもすぐ理解しました。なんとかですね同じような万能細胞をら以外から作れないか。患者さんご自身の皮膚や血液の細胞から細胞の運命をごリセットしてですね冥王も受精卵のような状態にもと覗い台にセット致しまして es 細胞と同じような万能細胞が作れたらどんだけ素晴らしいだろうと思いまして、これを自分の初めての研究室のビジョン長期目標としました。そして4月に入学した120名の学生さんの前でこれとほぼ同じスライドを用いて自分のビジョン自分の研究室のビジョン夢応答と持ち時間30分間かけて滔々と語ったの昨日のことのように18年前にちょっと前なんですが、ほんと覚えています。もちろんですねすでに私阿の研究を始めて10年以上経っていましたので、いやこれはのできたら確かに素晴らしいけれども難しいよねと何年かかるかわからない20年30年というかも a にできないかもしれないということはよく分かっていましたが、そういうですね難しいっていうことは抱く生産にはあの一切言わずねこれができたらどんだけ素晴らしいかこれはとしてやりましょうということを30分間しゃべり2型ました。

ところ3名だまされちゃn花子。この3名です。あのもう僕にとっては忘れる事の出来ない3名の初めての山中県初めての学生さんです。この3名が僕にとって明日人生最大のコーン一つです。 [音楽] この3名がいなかったらああ ips はできなかったと思います。ということでこの3名をはじめとするものすごい頑張りのおかげでですね、20年30年かかると思っていたのが6年でできました。それが ips 細胞です。できてしまうと非常に簡単でした。まず2006年にネズミで成功しました。ネズミの皮膚の細胞をとってきまして、この上にですが4つの難しい記号みたいに書いてありますが、これ遺伝子の名前なんです。遺伝して何万をちょっとあると今言われています。その2万校の中から4つを選んできました。そしてこの4つを同時に皮膚の細胞に外から送り込みます。遺伝子を送り込むというのはもう簡単にできます。今あの中学校この実習でもできるぐらいのもう一般的な技術になっていますが、ですからこの愛ペースを作るというのは簡単なんです。難しかったのは2万校から4つを選ぶ選ぶというとこがもう本当に苦労をしました。あのまだ4つってわかってたら良かったんですが、何個かもわからないので1個か2個か10個から100個か分からない中で4つまで絞り込むというのが一番苦労しましたが、絞り込んでしまうと後はもう簡単で皮膚の細胞だった細胞があら不思議という感じなんですが、運命が変わりまして形も能力も変わりまして es 細胞と区別の付かない ips 細胞ができる。

あの念のためにお伺いしたいんですが、i sim をご存知の方は4割くらいんだったんですが、ips 細胞を同じの方はどれくらいでおられます。ちょっと英語ます908%でそれ安心しました。ただですね ips 細胞がなぜ ips 細胞という名前になったかはあまりご存じないと思います。あの es 細胞が目標 es 債務のような細胞を作りたかったんですね。そしてできました。だから名前も es 細胞人 のような名前にしたいと思いました。ただ es の良いはエンブリオっていう受精卵という意味の英語 s はステムセル三木抜き細胞。だから s はもう決定なんですね。ステムセル。いいはエンブリオじゃないからこの細胞はエンブルー受精卵を使ってないので es 細胞ではありません。s が決まっていて2文字にしたいということで asbs cs ds リースをダメで fs とかもう可能性かにありますよね。全部ですね一個一個インターネット検索すると残念ながら既に他へ使われていました。asbs の cs bs とか cs なんかもその放送ですよね。ds はゲームでし s もなんか疲れました。ということで2文字じゃダメだということで三文字だったらユニーク何があるかなと思って探したら ips だったらなんとか僕の検索では他のものに引っかからないと。しかも一応それなりの英語インディーユースプロポーテントステムセルとプロリポテントというのはの万能性という英語ですが、それを誘導した in news したということで頭文字で ips と ips 細胞ということでいま世界中でこの名前が定着いたし。

ました。でこの ips 細胞は、そして翌2007年に人間の ips 細胞人間の皮膚の細胞から同じ4つの因子で ips 細胞の誘導に成功いたしました。この ips 細胞は元の皮膚の細胞になり二つの性質がございます。es 細胞と同じ性質でございますがほぼ無限に増やすことができます。そして増やした後で脳の神経細胞とか心臓の筋肉の細胞肝臓の細胞マリとあーライブ細胞を大量に作ることができる。これが ips 細胞 es 細胞の能力でもあります。この2つの細胞の違いは由来だけです。もう一旦できてしまうところも区別つきません。それぐらいにいています。es 細胞が受精卵から作るのに対して ips 細胞は 大人の細胞から作る。これだけが違います。ですから es 細胞がなければ ips 細胞は100%できてい ませんでした。今私たちは es 細胞ディマーレされてきたことをもとにして ips 細胞の研究に移ろうとしています。

ips 細胞は大人から作ることができますので es 細胞ではできなかった理屈がのことができます。一番大きいのはどんな一から作っているかということが分かるということです。es 細胞はの凍結受精卵から作りますから、そのもちろんしてが病気なのか健康なのか全くわからないんですが、ips 細胞は大人もう一から作りますから健康な人もしくは特定の病気の方から突く。それがの ips 細胞の利点であります。もともとは皮膚の細胞から作っていましたが、寄付はやはり最初するのが少し麻酔も必要ですし出血もいたしますし一針6必要があります。今もっと簡単に最初できる細胞からつくっています。どの細胞かというと血液ましょ靴犬缶1本分だけあの人間ドックとか普段お医者さん委員会の時に採血していただきますと皆様お一人お一人の ips 細胞を作ることができます。血液の中でもあの人パ級と呼ばれる細胞から作ります。リンパ球はですねほとんど増えません。そして待てども暮らせどもじーっと見ていてもリンパ球のままなんですが、そこに先ほどの少数の遺伝子を送り込みますと1ヶ月くらい時間かかりますが、あら不思議ということで形も能力も全く変わります。違う細胞になります。それが ips 細胞と呼ばれる最高です。リンパ球血液の細胞ですからとかとか浮いてるんですけれども、ips 細胞に変わりますとしたにくっつきます。細胞の培養サイト方採択かたことがある方もおられるかもしれませんが、こういうパシフィックの幼でバイオしました。もちろん上向けてバーいたしますが、この ips 細胞は下にくっついてべちゃっとを大広がっていきます。血液はもういたままであります。

でこのハイペースになりますとこういうお皿何百枚何千枚と増やすことができます。だいたい1枚200万個ぐらいの ips 細胞が入っていますが、それを何百枚ですか何怒っ何16個お金等場所さえあれば何兆候と増やすことができます。増えた後でさらに加工しますといろんな細胞に作り替えることができまして、例えばあれはちょっと待ってくださいねいうことです。このようなハックこれ角度しています。心臓の細胞です。こういうのをこういうお皿何百枚と作ることができます。しかも不思議なことにこれを何百個という心臓の細胞ですが、あの同期するんですね。中にご飯で見てももう幼全体がこう白土しているようなそんな状態になりますので、わずか試験管1本分の毛正義から高校いう拍動する信金の細胞何百枚だか何をここ何十億個作れる。これが ips 細胞の技術です。

この技術を用いて私たちは今治すことができない病気やケガを近い将来直したいとそういう研究開発に取り組ん でいます。2つの大きないる応用の可能性があります。これがその2つでありまして、患者さんの血液は皮膚の細胞から ips 細胞を作ります。ips 細胞でどんどん増やします。増やした後で目的の細胞に作り変えます。例えば父親のような肝臓の病気の方でしたら肝臓の細胞を大量に作り出すことができ。これをですね臓器のお代わりに肝臓の細胞を移植して肝硬変のストア直せるかもしれません。これを再生医療と言います。もう一つはあ患者さんに移植するのではなくて研究室で複数の会社に使うかあのもう一つの二水の開発も非常 に期待されている ips 細胞の使い方であります。

今日あと20分時間残っていますが、この2つの再生医療と薬の開発について簡単にご紹介したいと思います。私 posterior 休憩をはさんでまん大先生と意気な先生がそれぞれ再生医療と薬の開発についてより詳しくお話しされますので、私はもう本当にごく何と言いますか簡単にし説明したいと思います。

まず再生医療でありまして、俊達も行っとられたようにマイペース細胞を使った再生医療では透明がう世界を引っ張っています。世界中の研究者が頭の動向に思っています。世界的には先行していた es 細胞を使った研究が進んでいますが、そういった方も日本のこの ips の道工事とみています。日本が馬激走だったらもうたちも es から ips に変えようとそう思っている人もたくさんいると思います。で一番の原動力がこの理研の高橋政代先生、その右腕がこの後お話しされるまん大先生、お二人とも眼科医な。今も患者さんを見ておられる眼科医でありながらこういう非常に最先端の研究もされているそういうお2人であります。すでにですね2014年2 ips 細胞を使った手術を行われています。対象となった患者さんは加齢黄斑変性という病気の患者さんです。今スライドを見ていただいているわけですが、網膜でこの光を受け止めているわけです。網膜というのは何層かの細胞がありますが、一番裏打ちしているこういうプロ多い色素が沈着した光を通さない細胞が一番後ろで裏打ちをしています。鏡鏡も一番がその後ろに光を通さない一層なものがありますが、これがないどちゃんの光受け止めることができないですが、加齢に伴ってこの裏打ち細胞が破けてしまったりもしくは逆に功を分厚くなりすぎて歪んでしまう。それが加齢黄斑変性の原因ということで視力がどんどんどんどん失われていきます。

この患者さんのご自身の皮膚の細胞から誰か先生まん大先生のチームが ips 細胞を作られて ips 細胞から網膜の細胞を作り新たに造られました。後ろに見えていますのが顕微鏡写真ですが、肉眼の写真がこの左上です。先ほどから言っていますこシャーレの中で梅をしておりましてごシート状に加工されました。そしてここから必要なを曲だけ聴いておられまして患者さんのを傷んでしまっている網膜の細胞と入れ替えるという手術を4年前に置くなりました。両方の女とも同じ秒きーでしたらあのこれはあまだ試験段階の治療治療法段階ですので片目だけ手術を行い行われました。総数と手術を行った方の目は視力低下がピタッと止まっ いましたが、残念ながらシューズをされなかった方の目はどんどんどんどん病病気が住んでをも失明状態に なっておられるという事です。ですか患者さんは両方主として欲しかったということで基本的にこの1例目の手術は製法であったと行うとあんまん大先生から詳しくご説明ありますが青峰だったと思うんですが、同時に大きな課題も学びました。

それはどんな課題かというと、患者さんご自身の細胞を使ったんです。そうするとですね、いろんな過程を経る必要があります。まず患者さんの皮膚の細胞を最初いたしまして ips 細胞を作り変えましてで品質8日を ips 細胞の品質評価をしましてそこから網膜の細胞を作って網膜の品質8日をしてやっと移植できるということでも1年くらいかかってしまうんですね。1年経つと患者さんの状態変わってしまって手術できなくなることも多いです。網膜の場合はあ以上にですね例えば心臓の病気肝臓の病気にこういう病気だと1年待っている間に患者数はなくなってしまう場合もあります。これが一つめの問題。もう一つはコストです。この1人の患者さんの ips をつくって必要かをして移植すると、この1塩だけでも数千万1億円近いお金がかかりました。1人の患者さんで一応県1人だけだったらなんとかなりますが、患者さんは何万人もおられますので、このままじゃあなかな か日本的な治療にはなりません。どうしたらお金と時間の問題を解決できるか一般的な治療にしたいと思っていますのでどうしたらいくということで私たちの研究所が取り組んでおりますのは再生医療用の ips 細胞ストップという技術です。

患者さんご本人からではなくて他の健康なボランティアの方からあらかじめ ips 細胞を作っておこうと。患者さんご自身の細胞を使うのは服で言うとも完全オーダーメイドでも測ったですねその人だけに合ううこつこれはもうぴったり合うんですがお断り時間がかかるじゃあ一着だけ作ってそれをみんなにきてもらおうなるとたまたまサイズが合う人は良いですが、ほとんどの人はこんな感じで小さすぎるもしくはぶかぶかすぎるとこれ困るわけです。細胞の場合も同じような感じです。ご本人の細胞だともう完璧なんですが、他の子の細胞だと合わなくて困るものがあります。それは何かというと細胞はサイズではなくて名駅のタイプです。一人ひとりが違う免疫のタイプをお持ちです。名器のタイプが違うさえを移植すると拒絶反応が起こってしまいます。拒絶反応というのほんと恐ろしくて患者さんを治すためにやることが帰って拒絶反応で患者さんなくなってしまったりすることもあります。

じゃあどうするか服の場合はですねこういう二種類くらいサイズを揃えておけばだいたい誰にでもそれなりにアン服が提供できます。細胞の場合は免疫のタイプをそろえておこう。ただですね免疫のタイプというのは何万種類もあります。今日この改造でたまたま免疫のタイプが完全に位置するストっていうのはまずおられ ないと思います。一卵性の双子のご兄弟お住まいがおられたら一致しますが、それ以外は親子でも兄弟でも h しません。そしたら何万3も作る必要があるのかとそうだとないということがわかってきました。私たちがスーパードナーというふうに読んでおり ます遠くシュナ名駅のタイプを持ちの方がおられます。スーパードナーの方っていうのはその方の細胞他の人に移植しても拒絶反応があまり怒らない小さくて済むそういう女特殊な名機のタイプの方です。ですからこの会場にも一人喰らうられるかもしれません。じゃあそのまれな人をどうやって探すか私たちはあの日夕日本赤十字社からものすごい協力を得ています。日夕というのはですね血小板輸血骨髄バンクさい帯血バンクこういった事業を返して何万人という日本人の名機のタイプのデータベースをお持ちです。日誌敵の協力を得ることによってスーパードナーの方を効率よく見つけることができてい ます。これまでに20名くらいのスーパーどうなのかと見つけています。そういったスーパーどうなのかとを見つけると同院ご説明をいたしまして同意が得られた場合は下げさせていただくさい帯血バンクの場合はもう臍帯血移植に使われなくなった血液をいただいています。そして私たちの研究所にありますクリーンルーム非常に高度に管理された細部盤用の施設で ips 細胞を作ってそれを出荷するということを着々と進めています。

この私が作っているストップの細胞を使って多くの研究が今進行しています。これは一例でありますが、網膜の病気以外に同じ目の角膜の病気あと神経パーキンソン行ですとか心不全性頚髄損傷等様々なああ研究が進んでいますけど時間の関係で少しだけご紹介いたしますが、まず一つ目はパーキンソン病であります。こちら。高齢化に伴ってどんどんの患者さんが増えています。これからも60歳以上の方100人に1人ぐらいパーキンソン病になるんじゃないかとそんな風にも言われています。この病気あの例えばアメリカのマイケル j フォックスさんですとかモハメドアリさんですとかああ患者さんとして有名な方も多いわけでございますが、全身の動きがスムーズにできなくなります。原因は脳の中の奥にあるも本当にあの全部合わせても米粒大くらいの細胞の塊があります。no テコに受けあるんですが、その中の本当に米粒くらいしかない細胞でドーパミンという物質を作る細胞なんですが、米粒大の領域だけがああ高齢がに伴って機能しなくなります。頭パーミンをちゃんと作れなくなります。たったこれを細胞なんですが、症状は全身の動きがスムーズにできないと車椅子になっ たり寝た気になってしまうということもあります。でも原因はもうこの時の細胞ですから、その細胞さえ ips 細胞からつくってあげて移植すれば理論的には機能を再生できるはずです。でこのお金 q 坊も高橋先生は es 細胞しかなかった頃からずっとも10年以上されていて、今 ips 細胞で猿のパーキンソン病のモデルがございます。こちらで安全性と効果をずっと検証されて、その結果ですね先ごろ厚生労働省の巨漢町人を得て年内にも臨床試験治験と呼ばれる患者さんに協力していただいて効果と安全性を人間で確かみるとこういう段階まできました。パーキンソン病も本当に世界中たくさん患者さんおられますので、これはこれから本当の少年バー臨床応用に向けての正念場であると思います。

さて他のいろんな病気んパーキンソン病りもさらに患者さんの料金もで使えないかと今の凶こうやって座っていただいておりますとなりの方あのを友人であったり知らない方かも知れませんは、せっかく隣なんですから少しの挨拶でもして頂けたらと思うんですけれども、あの今まあ会いさせていただいた都内の硬くもしくはご自身非常に申し訳ないんですが、二人のうちどちらか近い将来がんになります。これが現実です。今元はまさに国民病で2人に1人ががんによって水分子量も済みましたが、遅漏訪問なオルガンも増えてきまきていますが、3人に1人ががんで亡くなるとまさに国民業であります。私は非常につらかったですが2年前親友をやり歓迎なくしています。平尾誠二産別も恒例頭最高大活躍したあのちょうど同じ年です。ね僕は彼に憧れて大学時代烙印をしたんですけれども、おまい a子縁があって大人になってから彼とこうやって親しく会うことができて本当に40代になって出来た親友とかでも持ってくれていたらほんと幸せなんですけれども、もう僕からはホントそんな存在でしかし彼56歳、矢地が映ってません。なくなった時は54歳ですよね。ですからあのまだまだこんなギーがが住んでも治らないかもたくさんあります。でもこういった今治せない病気を治すのが私たち研究者の仕事です。

私たちの研究所の金子を新准教授という若手の売買の研究者が何とかごめん駅の力で免疫というのは外から入ってきたウイルスとが細菌をやっつけるだけではなくて身体の中で生まれた内なる敵がん細胞も攻撃するんです。ところががん細胞とやたら元気で1本免疫細胞やはり六十七十ドラってくるとメイクさんパパ2弾た力を失ってきますからダン大体はがん細胞が勝ってしまうところがですねこの免疫細胞から ips 細胞を作ることができます。ips 細胞にすると細胞は帰りますしかもいくらでも増やしますます ips 細胞を作ることによって明記細胞を若返らせてしかも何百倍何千倍に増やしてそれをもう一度患者さんに回数こういう新しい免疫療法こういったことに金子先生をはじめたくさんの多いの研究者がトライしています。先ほどボートにもめました1人の患者さんイチョウ件近くかかるという治療の多くは癌に対する治療です。そういった治療をですね ips 細胞を使うことには特にはないペースでもストックを使うことによって1億円ではなくて100万円とか200万円とかそういう家ようにしたいとふうに金子先生一生懸命頑張っています。

もう一つですねがん患者さんが増えていって増えるのが輸血です。元に対して手術もそうですし化学療法放射線量どの両方しても副作用で出血してしまったりします。輸血が必要になります。今日本は1隻のご尽力で献血という形でなんとか輸血血液を確保しているんですが、ご存じのように日本は世界最高速でそうし法令化を迎えています。誰がどう考えても輸血が必要な高齢者はどんどん必要にが増えて入って輸血をしてくれる子供さんはどんどん減っていますからそこで献血扇の方法が必要ですが、この私たちの同僚の衛藤先生は ips 細胞から血液を作ると いう研究を進めています。血小板赤血球それぞれ研究を進めていますが、特に血小板方がかなり進んでいましてこちらも先日厚生労働者に承認されましたので1年以内には臨床研究を始めることができるとそういう段階まできました。

雷 ps 細胞のもう一つの使い方が薬の開発です。これ一つだけ紹介いたします。fop という非常に難しい名前の病気があります。英語で略して fop でござい ますが、今日もあの患者さんやもうとか怒られてるかもしれません。全身の筋肉や骨の中に全身の筋肉やあの筋の中に惚れができてしまうなんかどんどん体が動かせなくなってしまう大変な病気です。国内に80名くらい師が患者さんがいません。世界でも鮮明くらいです。患者さんが少ないのでなかなか研究も進んできませんでした。しかし私たちはこの真ん中ニンスタリアもとくんを始め何人かの患者さんから ips 細胞を作ってなぜ骨がいっぱいできてしまうのか、そして病気をおっしゃる薬がないのかという研究を進めています。この一緒に撮った写真のこの絶車 山本君が先生これしてくださいとどういう意味かわかりでしょうか。これは山本君の患者さんの多くの難病の患者さんが思いで私たちの薬を1日でも早く作ってくださいとそういう非常に良い [音楽] 研究者からとって本当に思い患者さんの思いでありますが、その思いをしっかり受け止めているのが今日この後を発表される池や先生当時大先生であります。この薬の開発については池や先生から個のアウトを詳しく紹介していただけると思い。

以上の非常に駆け足でありましたが、私たちは今世界中の研究者と協力しながら ips 細胞を使って今は治せない病気やケガを近い将来治す来ペース細胞というのは日本が作った日本初のリリースです。この技術を日本だけではなくて世界に届ける多くの医療技術はアメリカヨーロッパで来ておくれて日本に入ってきます。そのためにどうしても高額ないようになってしまいますが、雷ペースは私たちが世界に届けるしかもできるだけ低コストで統計とこれをぜひ実現させたいと思います。これからも私たちの研究を温かく見守っていただけたらと思います。ご清聴誠にありがとうございました。 [拍手] 田村教授ありがとうございましたーーー [拍手]