Transcription
はい、質問コーナーです。今日のご質問は、もうめちゃくちゃ私の好きな面白いやつですね。いつも楽しいお話をありがとうございます。質問させていただきます。自分の名前に寄って受ける影響について、たせさんのお考えを聞かせてください。
人は自分のことをある枠の中に収める心理が働くものと考えます。例えば、血液型A型には几帳面な人が多いという情報を得た上で、自分がA型だと知っていた場合、「自分は几帳面な人間なんだ」という無意識の心理が働き、その状態に収まるとします。結果的にA型は几帳面な人が多くなるといった話です。名前にこの性質が強く働くのではないかと考えています。ほとんどの場合、幼少期の頃に自分の名前の意味を両親から聞きますし、最も多く触れるであろう文字になるためです。たせさんは子供の頃から唯一無二の存在になりたいという思いがあったようですが、これも名前とから関連付けできそうに思います。
「和」や「友」が入ってくると、たせが高くなるといった分かりやすいもの。反対に、名前に特に意味はないと教えられた人の特徴など、調べていくと面白そうだなとよく思います。自分の名前によって受ける影響について、是非たせさんの考えをお聞きしたいです。
最高の観点ですね。もうご本人の中で多分仮説ができていて、私も大同意なので、もうそれで十分かなと思うんですけども、ま、ちょっとだけこの話面白いので膨らませながらやっていきたいなと思います。
おっしゃるようにですね、ま、人って自分で自分にラベリングしたものに収まるとする意識があると思っていて、私は思いますね。なので、私たちが性格や本来って呼んでるものの中に、実は生まれた瞬間のこう先天的ものですね、DNAなんかによって位置付けられるもの、それから幼少期の環境によって作られるもの、そして私たちが強く「自分はこういうものである」ってラベリングしたもの、この合わせ技によって私たちってできてると思うんです。
で、ラベリングってどこから来るかというと、やっぱ幼少期の頃の「気がついたらあなたはこういうものだ」っていうのを、ま、周辺から受けたり、また自己認識をするっていうことなんです。なので、私の性格っていう全くピュアなものっていうのは、実はなくて、私たちに見つけることはできなくて、私たちの中にすでに社会を取り込んでしまっているものがあるので、この社会を取り込む時に、一緒にラベリングも取り込む。「私とはこういうものである」っていうので、これがま、おっしゃっている血液型や名前、自分の由来、「私とはこの名前がついている、このような存在である」っていうのを、取り込んでいるんじゃないかと思います。
なぜならば、私たちて「自分は何者か」っていうのを自分から考えるわけじゃなくて、周辺から、自分周辺の人間が自分を扱う扱い方によって認識しているところは結構ありますよね。周りの人が自分を丁重に扱うと、「自分は素晴らしい人間だ」って思っちゃったりとか、ま、思ったりとか、自分、周りが自分を粗末に扱うと、「自分はダメなやつだ」と思っちゃったりとか。
なので、自分、ま、そもそも、あの相対的に比較しない自分なんて存在しないわけです。あの思考実験ですけど、無人島の中に自分が生まれて、ま、誰とも合わないと人生で。である時に船が向こうからやってきて、ま、なぜか言葉だけは通じるっていう前提にしておいて、で、あなたが自己紹介しようとした時に、「まず私は背が高いです」って言えるのかどうか、ということなんですね。あ、なぜなら今まで誰とも比較したことがないので。身長175cmだったとして、それが一体背が高い方に分類するのか、低い方に分類するのか、優しいのか、厳しいのか、ま、全然わかんないわけです。
つまり、多分ね、自分とは何者であるかっていうのは、あの質問を変えると、「自分とはこの社会における、全体感の中のどこに位置付けられるか」っていうこういう問いになっていくわけです。これよくわかんないと、あ、周りと比較できなきゃよくわかんないということかなと思います。なので、ま、自分が社会を取り込むってのは、ま、そういうことなんじゃないかと思ってるわけです。
その時に私たちにやっぱりこう、たぐり寄せるきっかけが必要なんですね。「自分とは何者か」って時に、何か、「あ、そういえば子供の時に一人で遊ぶの好きだったから、きっと自分は一人で何かするのが好きなんだ」とか、そういう風に周りのきっかけを元に自分っていうのを、ま、形作っていくわけなんですけど、それは半分ぐらいは本当にそういう性質で、でも半分ぐらいは思い込みっていうか、ラベリングがあると思うんです。
で、そのラベリングのが、えっと、後天的であるほど、ま、曖昧には当然なりますよね。35歳の時にやったことをきっかけに「自分とこういう人間か」っていうと、それよりは3歳の時からやってたからそうだって思う方が根拠がわけですけど、ま、さらに遡ると、そもそも自分の名前とかですね、動かしがたいものでそうなってるんです。よって言うと、「あ、そうか」と思う、え、ところがあるんじゃないかと思います。これま、意識的な話です。
無意識的にもですね、自分の名前が周辺の人にこうアナウンスする効果、自己認識する効果の両方があると思うんです。これ確か実験があってですね、あのなんか、え、例えば名前がですね、日本人風とかアメリカ風とかで、ま、これ差別の、あの、検修するためのものなんですけど、やっぱ名前の中に人種を象徴するものがあるんですけど、その名前だけで試験が受かりやすい、受かりにくいみたいなものがあって、これがま、あの、アファーマティブアクションってよくアメリカで言われますけれども、ある人種の人たちを優遇しましょうっていう根拠に、なっていて、これはデータ的には本当にあるんです。
だ、つまり、私たちはある名前からその人の属性を想像し、さらにその名前がついてるつき方みたいみたいなものからですね、なんかま、大まかに想像して、で、そのようにその人に対して接してる側も無意識に接してるみたいな。ま、こういうのってなんか英語のやつが多いんですけど、あの、アメリカ人の名前の一般的な星的な名前がついてる人か、それともちょっと珍しい名前がついてる人かによって、きっとこの人はなんか星的なこう、なんかIBスタイルで来るだろうって想像したりとか、ヒッピーっ ぽいのかなとかなんかそんな風に勝手に想像する。
漁師の環境とか、ま、そういうところもあるんだろうと思うんです。ですので、やっぱり名前、周辺がその名前を持ってその人に接する接し方が違う。さらに自分自身も自分の名前によって自分の、あの認識の仕方が違うっていうことがあるんだろうと思います。なんか職業の選択とかですね、え、ま、例えばこう出されてる「和」や「友」が入ってる人の方が、人をケアをする医療従事者とかですね、そういうことにつきやすいとか、確かそんなデータもあったような気がします。
ですので、おっしゃる通り、名は体を表すというかですね、どんな名前がつくかによって、どんな性格とか何を好むかっていうのは影響してるってのは私も十分にあるだろうと思います。参考までに私の名前は「大」っていう名前なんですけども、え、大きく見るっていうことを私もどうして、も癖としてあるんですけど、それは今の私がなんか一旦周辺から引いて客観的に見るとかですですね、あのメタに見るっていう癖にも繋がってるんじゃないかと勝手に思っております。
素晴らしい質問ありがとうございまし。あの、こちらでは全然競技と関係なくですね、みんなの疑問をみんなで話して考えて、これをきっかけにいろんな議論をするのが楽しいという場ですので、え、こんな質問いただけるのはとてもありがたいです。皆さんもご質問があれば是非こちらにお寄せください。