Transcription
ダメ大学の質問コーナーです。
質問です。僕は無限の向上心の危さについて最近ずっと考えています。人間は無限に成長できるという神話が日本という国家にはあると思っていて、もっともっと上昇しなけなば無限に成長しなければならないという脅迫観念がなんとなく流れていると思います。けれど、こういった再現のない向上心は多くの人間を破滅に導いた危い思考だとも思っています。オリンピックにしても自分に限界はないと思うことで成長しようと思うけれど、その成長するべきというべき思考によって傷つき、再現なく自分の心を傷つけて破滅してしまう選手もいると思います。つまり我々は上昇思考を抱きながらもどこかでこの辺で納得しておこうという引き際をちゃんと分かっていないと苦しんでしまうと思うのです。ためさんは向上心の中で成長していく中でどこで人は納得をすればいいと思っていますでしょうか?たさんの意見を聞きたいです。
はい。え、これ大変ですね。素晴らしいご質問で、必ずしも競技だけにはですね、あの限らない話だと思いますね。で、あのこれですね、日本って今おっしゃってるんですけど、実は日本より私はアメリカ、ま、世界中アメリカは結構特殊な国だと思うんですけど、ま、比較的日本よりはですね、え、アメリカ、ま、西洋、ま、アメリカでしょうかね。アメリカって国の方がこの考え方強いと思うんですね。つまり物事ってのは基本的にはあの楽観性ですよね。良くなっていくんだと。いろんなことあるけども発展していくんだと。常に、え、フロンティアがあってそれを開拓していくことで良くなっていくんだと。フロンティアは、え、外にもあるし自分のなかにもあるし、この能力を開発していくってことはいいことなんだと。ま、こういう考え方が前提にあると思うんですね。ま、世界中ある程度あると思うんですけど、やっぱり一番強いのは私はアメリカかなという風に思っています。ま、おそらくそれってなんか過去を例えばなんカルバン派ですかね。なんかこうそのキリスト教のなかでこの能力自分自身っていうのをこう開発していくってことをぜトするような、ま、そういう考え方が来てんじゃないかという本を昔読んだ気がするんですけども、ま、ともかくそんな感じかなと思うんです。とはいえ私たちの中にもありますよね。ま、人類全体としてあると思うんですよね。
で、これのあの、ま、ネガティブな方ですね。問題点の方をご指摘されてんだと思います。で、いい点はですね、ま、言われてると思うんですけど、このことによってやっぱり私たちは社会はどんどん前に進んできたと思うんですよね。え、いろんな問題もあったと思うんですけど、ま、もっと良くなるはずだということで、え、いろんな科学技術が進んでですね、ま、昔は、え、入用児の脂肪率ってのは非常に高くて平均寿命が40、50って国もありましたけど、今先進国は大体70歳超えぐらい行ってますよね。まだ途上国の方あれですけど、でもこれもま、あの科学技術の発展でですね、なるべく安価な医療が届くことで、え、寿命が伸びたりってこともありますし、ま、あの昔は人権侵害とか色々ありましたけど、それもだいぶ良くなってきてますしね。ま、基本的にはこうやって向上心を持つことで社会は良くなってきたと私は思ってますね。で、一方でこのなかに自分たちが巻き込まれるとですね、どんどんどんどん終わりなく終わりない向上心でいくことがいいことなんだというわけですね。でもこれってどっかで脱落する人出てくるわけですよね。金メダルみんなが目指せば一人以外は金メダリストじゃないわけですから、ま、そうなっちゃうと。ま、それでもナイスチャレンジって思っていけばいいんですけど、どっかにですね、あれ、これ俺のなんか能力が低かったの。俺の努力不足って思ったり、またはあの、そんなんじゃだめだ。もっと頑張って金メダル取れないとって言って、もう足も疲れているのにこのトレッドミルから下ろしてもらえないとこれで走り続けなきゃいけないのえみたいな。で、唯一下ろしてもらえるタイミングってのはうつ病とかなんかなんかの突発的なイベントで頑張れないっていうことが公的に認められた瞬間に初めて走ることを許し、走るのをやめることを許してもらえるみたいなこういう感じありますよね。その辺ご指摘なんじゃないかと思うんですね。
で、じゃあどういう風にすればいいんだろう。で、一方でこれを樽が知るっていう風に考えるような樽を知るですね、仏教の考え方もあります。やっぱり欲望ってのは終わりがないんだと。だから今あるものを見ていこうじゃないかというのが、ま、あの仏教の教えでありますよね。これもやっぱり人間があのうまくやってく上での一つの知恵だったんじゃないかと思うんですね。で、どんな風に考えるといいんですかっていうのは私も実は答えを持ってるわけじゃないんですけども、私がこう思うなってのはですね、な、何て言うんでしょう?うん。この向上心っていうものがやっぱり自分の好奇心から始まるべきじゃないかと思うんですね。ま、いろんな向上心あると思うんですけど、その向上心の中で必ずしも外に認められないものもたくさんあるんじゃないかと思うんですよ。え、ま、自分はこれが好きでやってるとだ、けど、それ外から見たらそんなのやってどうなんの?という風に言われたりもする。でも、ま、好きなんだ自分がということってあると思うんですね。で、この向上心って呼んでるものの中に、え、ま、世の中的に認められるものを求めるっていう向上心の法と、で、もう一つは自分がそれをこうもっと極めてみたい、上達してみたい、え、どうなってるのか見てみたいみたいななんかそういう方もあると思うんです。で、結構私はあの降りられなくなるのは全車の方で校舎はですね、別にレールに乗ってる感が出ないんじゃないかと思うんです。なぜなら校舎はいつやめても構わないし誰も強制してないんですよね。でもその中でもそれやりたいと自分が思ってる。やらなきゃいけないんじゃなくて自分はそうしたいと思ってるっていうようなことが言えるんじゃないかと思うんです。もちろんこれもですね、化した社会みたいなもあると思うんですね。脅迫観念で、え、ずっと子供の時から親に言われた言葉かなんかで、「こんなもんじゃダメなんだと。もっとちゃんと自分を成長させて行けるとこまで行かないとダメだ」という風に、「タ打だは悪なんだ」と言われてたりすると、まるで自分がそう思ってるかのように走り続けちゃうってパターンがあると思うんですけど、これもあるんですけど、で、やっぱ基本的に自分がそうしたい、自分の心の赴くままに探求したいことを追っかけていくってのが私はあの素晴らしいんじゃないかなと思うんです。だからこの向上心っていうものがどこからま、そんな綺麗にはいかないんですけどね。その向上心って呼んでるものが私の場合はだからこれ全く同じようなこと悩みましてですね、選手の時に何なんだろうって。じゃ、オリンピックがなければ自分は走らないのかとか本来考えなくてもいいようなこと考えてたんですけど、ま、ある日ふと思ったのは向上心と好奇心っていうのがあって、私やっぱり好奇心なんじゃないかと。自分がどこまで行けるのか見てみたいっていうこれが本当の根源的な自分の思うことで、ま、そのことによって社会的に向上してるかどうかも関係ないし、ま、もうちょっと言うと能力が下がっていく。いろんなものの社会的な能力とか走ることもそうですけども、あの外との相対評価では下がっていってるのに自分のなかで成熟していってるってことも私はあるんじゃないかと思っていて、それはじゃ意味がないって人もいると思うんです。それじゃアウトプットでインパクト出ないからそれでいいって言ったら全部良くなっちゃうから逃げてるだけじゃないかっていう人もいるんですけど、ま、私はそれも含めて人間ってのは自由に自分を追っかけてく権利があると思っていて、ま、そうできるもんだと思ってるんで、ま、そういうことを考えれば、ま、ちょっとなんて言うんでしょうね。いいかなと思うんです。そっちは。
で、もう一つこれなんでこんな風にドライブかかんのって言うとですね、ま、すごい突き詰めると社会と資本主義だと思うんですよね。資本主義っていうのは、ま、元々は色々ありましたけど、やっぱり一番大きいのは資本をドライブとしてでかくしていこうぜってことだと思うんですけど、その資本をドライブとする時にですね、うん、市販期に一回、ま、要するに目標立ててその目標達成するっていうことずっとやっていくわけですね。で、この目標高いとで、この終わることなく目標追っかけていきますよっていうことをマーケットに対してアピールするわけです。IRとかって言ったりするんですけど、私たちはどんどんこんな可能性を追求してこうやって大きくなっていくんですよって言うと、あ、そうなの?じゃあこの時の期待値からこれを乗せとくかって言って株価が上がってくるわけですね。で、株価が高いことによって買収されたりするリスクがなくなったりとか、ま、このことを利用して他者を買収したりも可能になっていくわけなんですけど、つまり期待値を煽るゲームになってるわけですよね。どんどんどんどん。で、この、この根拠は世の中ってのは大きくなっていくんだと、物事は発展するんだっていうまさに おっしゃるように無限の向上心があるはずだっていうことを折り込まれたのが株式市場なんだと思うんですね。でもなんか不思議な感じはするんですよね。私はどっちかと言うと自然とかですね。ま、宇宙からなんかを見るみたいな視点が好きなんですけど、なんて言うんでしょう。発展していると思っているのは人間の視点であって、宇宙はただただひたすらに冷たくエントロピーが増大していくということしか言ってくれないわけですよね。そういう法則に支配されてるわけですから。だから何にとってのは一体発展なのかって考えると、ま、人間の視点から発展してるに過ぎないよねと。ま、冒頭に私が言ったことで矛盾するようなんですけど、私たちらの目から見て社会は発展し良くなっていっていると思うんですけれども、私たちを外から見てる目からすると、これもまた一つのある種の最後にあのカオスになっていくプロセスの1つに過ぎないってことかもしれないですね。という感じはするんですね。なので、まあ、元世を見れば向上に煽られてる気がするんだけども、宇宙からを見れば全てにも意味がないし、全てにも意味があるとも言えるし、向上使用が住まいが最後はみんな宇宙と散りとなっていて、何もかもがなんて言うのかな、カオスになるんだっていう、ま、そういう感じもするんですよ。本当のシナリオの最後ですね。自分の人生の最後って言えば、ま、だいぶスパいですから、そこでは何かあるんでしょうけど、ま、なので、うん、なんかこの、ま、とはいえ社会はやっぱり下しげできてますからね。で、それにある程度乗っかるんですけど、どっかそこに対して覚めてるっていうか、ま、そういうゲームなんだよね。なんか世の中って考えてみるとゲームなんだよねっていう視点もどっかにありながら、ま、一方で走ること走りませんっていうことをやってくのが、ま、私はいいんじゃないかなと思うんですね。あんまり大真面目になりすぎずにかと言ってこうなんて言うんでしょうね。社に構えてですね、霊勝気味にならずにま、だっ たら「いや、どうせみんな踊ってんだったら踊ってみるか」というのが、ま、いいんじゃないかなと思います。
あの、私の好きな言葉でチャップリンが言ったですね、「人生というのは、あの、寄ってみれば悲劇だけれども、引いてみれば、え、奇跡だ」という話がありまして、ま、本当に物事引いてみるとそのような向上に駆られてる人間のこの集団っていうのも奇跡な話なのかなっていう気もしなくもないですけどね。まあでもどうせなんだから一生懸命やるのもいいじゃないかということで、「同じ踊るアホに見るアホ同じアホなら踊らにゃ損損」というのが私が思ってるような考え方です。はい。
こういった世代学が皆さんの質問に答える感じでですね、あのお話をしてますので是非皆さん色々ご質問がありましたらいただければとありがたいです。