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人間の高度な思考は頭の中の言葉によって支えられている。
いや、そんなの関係ねえ。そんなの関係ねえ。はい。おっぴしと。
以前このチャンネルではアファンタジアという特性を紹介しました。この特性を持っている人は頭の中にりんごを浮かべてくださいと言われても、そこには鮮やかな赤い果実が映像として描かれることはなく、ただ真っ黒な闇しか広がっていない。それでも概念としてのりんごは理解している。詳しくは過去の動画をご覧いただくこととしまして、これは単なる想像力の欠如ではありません。私たち人類は個体によって世界の理解の仕方、情報の保管の仕方、さらには思考の形式そのものが根本的に異なっているという事実が、この時代になってやっとなんとなく科学的に確立されてきたというわけです。
そして今回は最新の研究によって浮かび上がってきた第2の個体差、アネンドファジアについて。アファンタジアが視覚的なイメージの欠落だとすれば、アネンドファジアは言語音、つまり聴覚的なイメージの不在と言い換えることができるでしょう。具体的に言えば、彼らの頭の中には私たちが思考の一部と捉えているあのうなる声が一言も響いていません。完全な静寂、無音です。
「今日、何をしようか。」「この動画の声ってAIかな?」とか、そんな日常の独り言から、耳にこびりついて離れないあの日の余計な一言。でも彼らの中では、それらが頭の中の声として鳴ることはありません。
「言葉がなくてどうやって考えるの?」「それは読み書きができないということ?」「自分はどっちタイプなんだろう?」そんな疑問が湧いてくるはずです。この動画で、アネンドファジアという特性が現在どこまで分かっているのか。私たちは本当に言葉なしでは考えられないのか。こういった点について、研究データを一緒に見ていきましょう。
きっかけは2015年。以前の動画で紹介したアファンタジアという特性が、アダム・ゼマン氏によって命名され、論文が発表されたこの年。ウィスコンシン大学の認知科学者、ゲイリー・ルピアン氏は、このニュースに強い衝撃を受けました。ルピアン氏の専門領域は、言語が認識をどう変えるのか。この分野では、1920年代に心理学者ヴィゴツキーが提唱して以来、心理学会に君臨してきた鉄の置き手がありました。人間は頭の中で言葉(なる声)を使うことで高度な思考ができる。つまり、学会にとって「脳内言語処理がない=まともな思考ができない」というのが常識だったのです。
しかし、アファンタジアのニュースをきっかけに、ルピアン氏は疑念を抱きます。「心の目にこれほどの差があるなら、心の耳にも同じような断絶があるんじゃないか。」こうして彼は、生徒や同僚に「君たちの頭の中で思考が声として響いているか?」と聞き始めました。すると、非常に優秀で知的な学生や同僚たちの中にも、「一部、一度もそんなことを聞いたことがない」と回答する人間がいることに気付きました。彼は早速これを研究対象とすることにしましたが、問題はどのように検証したらいいのかという点でした。
アファンタジアの実験同様に、脳内の出来事は常に主観の壁に阻まれます。7年前に心理学者ニスベットとウィルソンの研究では、人間はどうやって考えましたかと後から聞かれると、無意識に辻褄を合わせ、本当は使っていなかった言葉や映像を捏造してしまう修正があると分かっています。私たちは自分の思考を直接見ているのではなく、自分の行動を見て「後から多分こう考えたはずだ」と自分自身に説明しているに過ぎないというのです。人間は自分の頭の中のことを何一つ確実に話せない。つまり、うちなる声がないと言っている人も、実はあるのに気がついていないだけかもしれないし、逆にあると言っている人も、本当はないのにあると思い込んでいるだけなのかもしれない。
この主観の壁を突破するために、ルピアン氏が注目したのが、ラスベガス大学のラッセル・ハルバート氏が40年以上続けてきたDE法(経験サンプリング法)でした。ハルバート氏は、被験者にランダムになるブザーを持たせて日常生活を送らせました。そして、被験者は音が鳴ったまさにその瞬間、1秒以内の意識の状態だけを記録させるというサンプリングを40年間も続けていました。ちょっと狂気的ですね。この時撮るのは何を考えていたかという意味ではなく、言葉は鳴っていたか、映像はあったかという現象の形だけのメモです。
その結果判明したのは、常に脳内で実況中継されていると自覚する人でさえ、実際に言葉が音として響いていたのは全思考時間の30%から50%に過ぎず、中には一度も声が聞こえないという層が確実に存在するということでした。ですが、これも当然本人の深刻主観であることに変わりありません。ハルバート氏のデータは長年自己申告に過ぎないと無視されてきましたが、2016年、彼はこのDES法にfMRIを組み合わせることで新たな知見を提示しました。被験者が「今、言葉のない思考をしていました」と報告した瞬間、脳スキャンの結果、言語中枢であるブローカ野において明確な活動は検出されなかったことが示されたのです。思考という知的なプロセスが行われている最中に、言語エリアが動いていない可能性がある。ハルバート氏によるこの2016年の発見は、ルピアン氏にとって重要な意味を持ちました。うちなる声がしないというのは、単なる感じの違いではなく、言語処理を必ずしも必要としない思考様式の可能性を示唆していたからです。これにより、ヴィゴツキーの鉄の置き手は、科学的な検証の対象へと引きずり下ろされたのでした。
ルピアン氏はまず、思考スタイルを数値化するIRQ(内面的表象尺度)を完成させました。これは、自分の頭の中にどれくらい言葉が響いているかを自己申告でスコア化するもの。皆さんも考えてみてください。問題解く時、自分自身と会話することがあるか?本を読む時、言葉が音として聞こえることがあるか?ルピアン氏は、このアンケートで主観的なスコアを数値化できるようにしました。ですが、これでも当然まだ主観の壁は超えられません。
研究が大きく進展したのは2021年。自身がうちなる声を持たない当事者である、コペンハーゲン大学のヨハン・ネダーガード氏が研究に合流しました。ルピアン氏とネダーガード氏は、ネダーガード氏の持つ「音が絡む作業でワンテンポ遅れる」という実感をもとに、ついに主観を排除したテストを確立したのでした。
まず行ったのは、インフューミーテストと呼ばれるもの。彼らはIRQを使って93名の被験者を、うちなる声があるグループとほとんどないグループに分け、それぞれにこのテストを実施しました。テストでは、モニターに2つのイラストが同時に表示されます。例えば、ソックスとボックス、キーとツリー、ヘアとベアといった具合です。もちろん、ボックスとツーといった組み合わせもあります。被験者はこの2つの名詞はイを踏んでいるかを判断し、手元のイエスかノーのボタンをできるだけ早く押すというものです。画面には文字が一切表示されていないため、被験者が回答するには、イラストを見てその名前の音を思い出す。そしてその音を脳内の保存領域に一時的にキープする。さらにもう1つのイラストの音と頭の中で聞き比べるというプロセスが、脳内で強制されます。
実験の結果、こうした見た目は違うが音は同じというペアの判定において、うちなる声をほとんど持たないグループは、対象群に比べて正当率がおよそ6ポイントも低く、反応時間もおよそ120ミリ秒ほど遅延しました。これは認知科学において統計的に優位な差とされます。この原因について厳密な特定はまだされていませんが、推測では彼らは脳内で音を直接鳴らしてキープできないため、イラストを見てから名前を検索し、スペルを思い出してそこから論理的に音を推測するという、より複雑な工程を辿っている可能性が考えられます。
次に、図形と色のテスト。モニターには色、もしくは形という文字が映し出されていて、その下に赤い丸や青い四角といった色を持った図形が出ています。「色」という指示が出ている時に赤い丸が表示されていたら「赤」という回答ボタンを押す。「形」という指示が出ていたら「丸」という回答ボタンを押すというテストですね。色で答えるか、形で答えるかの指示は数秒で切り替わります。この時、多くの人は指示が色から形に変わった瞬間、頭の中で自分に「形」という言語的な指示を飛ばし、脳のモードを切り替えているような感覚を抱きます。いわば、言葉をプログラムの書き換えの合図として使っているわけです。ところが、実験の結果は私たちの直感に反するものでした。このルールの切り替えにおいて、両グループの成績に優位な差は見られなかったのです。これは何を意味するのでしょうか?例え頭の中で言語的な叫びが聞こえなくても、この課題に関してはうちなる声がある人々と同じスピードで処理できていたのです。もちろん、指示の切り替えを必要としない純粋な視覚テストでも、両グループの成績は正解率もスピードも差はありませんでした。この結果は、ヴィゴツキーが唱えた「言葉こそが思考を駆動するエンジンである」という置き手に一石を投じるものとなりました。うちなる声という言語的な思考プロセスは、思考の絶対条件ではなく、あくまで一つの補助手段に過ぎないことが示唆されたのです。
2024年、ルピアン氏が疑問を抱いてから9年もの歳月を経て、彼らはこの研究結果を1本の論文として発表しました。そこで彼らは、このうちなる声を持たない特性をアネンドファジアと命名したのです。
2024年までの研究が導き出した結論。それは、私たちが思考と呼んでいるものの正体が、実は2つの階層に分かれているという事実でした。1つ目が思考の本体。言葉になる前の概念が組み上がるベースのOSですね。2つ目の階層、思考の言語化プロセス。その結果を言葉という形式でなぞる追加機能です。第2章の実験でうちなる声を持つ人々の反応が早かったのは、このツールを使いオンループによって情報を脳内にキープできたからかもしれません。仮にそうだった場合、思考を言語でなぞる習慣を持つ人々にとって、この言語化プロセスは思考を安定させ、一時的に保存するための強力なサポートツールなのかもしれません。一方、アネンドファジアの人々には、この内的な言語化プロセスという補助装置が主観的に存在しないため、当然脳内で言語が音として響いたりすることはなく、共通するベースのOSである概念思考のみで全ての知的な問題を処理しているのです。
ですが、第2章のタスク切り替えテストで、うちなる言葉を多様するグループとアネンドファジアのグループの間に全く差がなかったという事実は非常に重要です。これはこれまで心理学会で信じられてきた、「言葉による自分への指示(セルフトーク)がなければ複雑な思考は切り替えできない」という定説に対して、再検討を迫る結果となりました。少なくともこの課題においては、彼らは言語的なセルフトークを前提としなくても、内的な言語軸思考を持つ人々と同等の成績が得られていました。
これが何を意味するのか?アネンドファジアの人々からは、こんな主観報告もあります。「言語を介して思考する必要がない分、情報の劣化が少なく、事象の本質をよりダイレクトに掴み取っているように感じる。」ネダーガード氏は自身の感覚をこう語っています。「私の思考は文章として流れるのではなく、複雑な地図が瞬時に展開されるような感覚です。」言語を介した思考軸を持っている人々は、集中しようとしても「今日の晩御飯は何にしよう」「さっきの言い方はまずかったかな」といった無関係な独り言が脳内を支配し、リソースを奪うことが多々あります。一方で、アネンドファジアの人々は、こうした言語的な雑念に思考のリソースを奪われにくい、といった主観的な報告も寄せられています。
また、彼らの脳から音が完全に消えているわけではありません。アファンタジアの人々が夢の中では鮮やかな景色を見ることがあるように、アネンドファジアの人々も声を聞くことがあると報告されています。ネダーガード氏も「夢の中では誰かが話しかけてきたり、自分が言葉を発したりするのも聞くことがある。それはとても不思議な感覚だ」と述べています。つまり、彼らの脳には音を鳴らすスピーカーは備わっているものの、覚醒時にはその配線を利用していないということなのかもしれません。
さて、言語を介した思考軸を展開しがちな人々と、完全に静寂なアネンドファジアの方々。当然、アファンタジアのようにそれは0か100かではなく、程度の差がグラデーションのようにあるでしょう。少し余談ですが、ネダーガード氏はうちなる声が身体的な持久力にどう関わるかも研究しているようです。例えば、マラソンなどの過酷な運動中、人は「まだ行ける」「あと少しだ」といううちなる声で自分を統制したりします。うちなる声が封じられる、または元々ないと、この言語的な自己制御が使えないため、身体の疲労に対するアプローチが異なると考えられるようです。確かに僕も、お腹が非常に緩くてすぐに緊急事態が発生してトイレを探して彷徨うんですが、大体は頭の中で「まだ大丈夫だ。まだまだ耐えられる」と思っていますし、確かにそのおかげで自分の活躍金が防されているのかもしれません。例えそれが震え声であっても。ということは、仮に僕がアネンドファジアだった場合、今の僕より漏らすということでしょうか。パンツを多めに買いましょう。
いずれにしましても、アネンドファジアもアファンタジア同様に、どっちが優れているかといった問いはあまり意味がなく、私たちが学ぶべきは、隣に座っているその人は自分とは全く異なる方法でこの世界を捉え、全く違う形で思考しているかもしれない、という観点ではないでしょうか。どうもありがとう。
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