Transcription
え、試せ大学の質問コーナーです。
え、怒られて育ってしまって自信を持てなくなったような気がします。そうなった場合どう立ち直るのが良いでしょう。
これは以前ですね、えっと、叱られると勝負弱くなるという動画を撮りまして、それについての、え、ご質問、追いかけたご質問だと思うんですね。で、この、ま、実際に人に叱られて育つというのを、ま、叱り方にも色々ありますけどね。まあ、でもそれを、ま、自分が何をやるにしても1個1個ジャッジされるような光り方、え、または、え、まさに今から集中してやろうと思う時に声をかけられちゃったとかですね。そういう場合には何か自分が集中してやろうとする時にそれが集中できなくなったりですね、または失敗したらどうしようって怖くなったりとかですね。そういうものが頭の中に残っちゃって、え、うまくなんていうかな、パフォーマンスできなくなるって言うんですかね。自信が持てなくなるっていうことがあると思うんですね。
これはあの子供たちを指導されてる方たちはですね、これましょうがないんですけども、え、中高大統のトレーニングを見ることはあんまりないんですね。中学校もそうですし、広大とで日本はこう各セクションで切れてますから指導者が全部見る人はあんまりいないわけですけども、これが私たちは私は先週癌の立場ですけど、小学校から始めて中高大と来るとですね、ま、大学が1番象徴的なんですけど、教校校選手で、え、ま、伸びなくなると言うんですかね。伸びにくくなるっていう選手に特徴があるんですね。それ何かって言うと、え、自分が失敗した時に瞬間的に監督の顔を見るんですね。こういう選手は陸上はまだ多くないですけど、競技はこれは非常に多い気がしますね。それは何が起きてるかっていうと、端的に言うと自分のパフォーマンスの物差しを外に置いてるってことなんです。今のプレイはいいプレイでしょうか、悪いプレイでしょうか?教えてください先生ってやってるわけですね。自分の視点。しかもそれがゆっくり考えてじゃなくて、もう瞬間的にジャッジは外がするもので自分がするもんじゃないっていうのが働いてるわけです。で、一方で、え、自分がやったことがいいか悪いか自分で考えてなぜ失敗したかを考えて次のプレイに生かすっていうのは、ま、一般的に言われる、考える選手なわけですけど、これは物差しが内在化したわけですね。自分の中に自分 の、え、行為がいいかどうかを判断する。で、こういうものは、あの、自分でやっていく中でだんだんだんだんこの冊しを作るしかないんですけど、でも全ての子供こう いうものあると思うんですね。自分がやってること、これいいんだっけ、どうだっけって考えることあると思うんですけど、考えてる最中に外からそれはいい、それは悪いって介入した場合ですね。で、そうすると物差しを外部に委託するっていうことを覚えちゃって、ま、楽なではあるんですよ。そ、方がなぜなら大人の方があの、もっと知ってることは多いですから。で、そうすると、ま、外の人に判断してもらえればいいんだってことになってしまって、ま、自分がやってることが、あの、いいか悪いかすら分かんなくなるっていうことなん。で、それである大学生ぐらいになると急に先生が距離を起き始めるんで、そういうスタイルに変わるわけですね。手取り足取りはなってさあ、みんな大人だから自分で考えなさってやっちゃうんですけど、そうしたら、え、私今の練習やっていいんでしょうか?この練習今のは良かったですか?て聞こうとするんですけど、誰も自分のことを見てくれてないっていうこの状況に戸惑ってフォーマンスが出なるってパターンが多いんですね。
じゃ、ちょっと質問者の方だもう少し叱らてやってきて自分がやることに対してこれでいいんだろうかと自信が持てくなったろうと思うんです。で、ま、これなんかいろんなアプローチがあると思うんですけど、私が見ていて1番いいなと思うアプローチは楽しいことをやるっていうことなんですよね。人間楽しいことをやる時にですね、え、それがうまく行ってるかどうかってのは判断してないわけですね。ああ、楽しいな。で終わりなんですよ。で、ま、遊びのなんて言うんでしょうね。人間が何か遊びますけども、遊びの要因っていうのはこれまで遊びの関係の哲学者の人が色々整理されてきてますけど、その1つ大事な要素にですね、自己目的性ってのあるんです。それ要するに、え、遊びっていうのは何かのために遊ぶんじゃなくて、ただ楽しいから遊んでるって、これが遊びであるという風に言うんですね。で、考えてみるとこれ遊びって言ってますけど人間の集中とかクリエイティビティってまさにこれですよね。つまり何か人間が集中する時には何かのために集中してるんじゃなくて集中しちゃってるわけですね。ま、楽しいからとか面白い興味深いとか色々ありますけども実は集中は集中そのもので完結しちゃってるわけですね。
で、だから何か人間がうん、なんだろうな、あの、やっていく時に外に置かないで自分が目の前にやってることを、しかもあの、人の声も内在化しますから長い間叱られた人ってのは叱る人の考え方だ。声が内在化しちゃうんですね、自分に。そして自分の頭が何かやろうとする時にツッコミをずっと入れ続けるわけですよ。そう、ま、ダめだ。ほら、また手動かしてて、ほら、こうやるんだって。ほら、またこれっていうのが自分の頭の中で自分が自分に喋ってるわけです。ま、監督のみならず会過省の親に関わられた子供も多分似たようなことだと思うんですね。これででもよくあの叱るのがじゃダメなんですって言うんですけどね。実際には干渉なんです。つまり関わる日率が高すぎると子供の頭の中に親の声が残りすぎてしまうんです。何かやろうと思った時に大丈夫と かちょっと失敗した時にあ、失敗して大丈夫とかっていう風にとにかく子供がやってる世界に対して外から心配をするなりジャジをするなり、ま、叱る人も大体心配してるんですよ。未来にこの困らないようにって入るんですけど、いずれにして も過感渉なんですね。関わりすぎてるわけです。子供が自分でやってる世界に対して外から関わりすぎてて成長させてあげたい。将来困らないようにしてあげたいってその関わりによってその子たちの声の中にその時の大人の声が入り込んでしまうで大人の声が入り込むって何かって言うと全てにおいてフラットな人はいませんからその人の価値観なんですよね。例えば私は自由な価値観持ってるんで、まあ自由でどうぞどうぞって言って、ま、よく子供たちのハードルの事故やったら親御さんが心配されて何も教えてくんないんですねって言うんですけど、私はそれが好きなタイプなんですけど、私みたいな声がけが子供の頭の中に入ると、まあ、何でもいいか大丈夫か自由でやればいいやっていう声が入るわけです。で、私はそれをいいと思ってんですけど、それは1つの考え方ですよね。だ同じように叱る人とか何かやる人っていうのも、え、それをやってるんだけど、それはその人の1つの見方なんですね。早くうくなった方がいいとか、早く友達と仲良くなった方がいいと、それもその人の1つの考え方に過ぎないわけです。みんなの考え方、合意された考えじゃないわけです。だから思いっきり敷かれる人っていうのはメタがない人なんですね。ま、ないって言ったらちょっとあれかな。ま、でも要するにうん。列に並びましょうって叱り方する国そんな多くないですから、つまり将来この子は海外に住むって考えたら列に並んだ方がいいかどうかよくわかんないねとか、ま、そういうことはどんどん入ってくるわけです。でもそ、それがいいに違いないって思える時に人は躊躇なく敷かれるわけですよね。ま、ですのでその人の頭の中に入ってきた のはそのある人のこう強い1つの価値観が 入り込んじゃったっていう。それによって自分が何かやろうとした時にずっと頭がチャッティングしちゃうと。その声によっ てで、その声をじゃどうやって止めるかというと抗うとか、新しい声を入れるとか、みんな色々やるんですけども、ま、私は結局ああ、楽しいな、気がついたら時間が過ぎちゃってた。あ、そういえば自分の頭か自分でツッコミを入れる、それでいいのか失敗したらどうするんだ?みんながお前のこと笑ってるぞって声が止まってたな、一瞬っていうこの瞬間を作るのが私は大事だと思います。これによって、あ、自分で自分が楽しいことをやるで、自分で自分を判断する、ま、ジャッジする時はジャッジするって、こういう感覚なんだってのを覚えていけるんじゃないかと思うんですね。
あの、物差しを内在化した人ってのは楽しむっていうことは実は1番難しいんですよ。楽しいことやりなさいって言われた時に1番混乱するって言うんですかね。え、正しいことをやりなさいとか、え、KPIを達成しなさいとか、そういうのは全部考え方分かるんですけど、心の赴くままに楽しいことやりなさいっていうのが1番難しいわけです。なぜならこれは物差しがない世界ですので、でもこれが結局自分の人生の質を決めるんだと思うんですよね。心の赴くままにやっていくっていうことが。それを、ま、蘇ら せるために、え、結局は私は楽しむことやるべきじゃないかと。で、検索していただくと楽しめないのは何が原因で すかっていう動画も確かあったと思うんですけど、もしかしたら文章で書いてるかもしれないですけど、まさに今話したようなことをお話ししてるのありますね。ですので、え、是非このちょっと叱って、ま、叱ってもうまくいくパターンもありますけど、叱ってちょっと自分の中で自信がなくなっちゃったなって思うパターンは、あの、自分で自分のこと達成して勇気を出 すっていうのはこっちももう1つアプローチてあるんですけど、まずただただ心の盲目ままに楽しいことをやってみるっていうのをやってみてはいかがでしょういうのは私の意見なります。はい。
ということで、え、世大学ではですね、皆さんの質問に該答する形でお話してますので、え、ご質問がありましたらどしどしお寄せください。