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【東大寺】まるごと東大寺 10分で東大寺のすべてがわかる これであなたも奈良の観光ガイドに 知っておきたいハナタカポイントを徹底解説 金剛力士像・大仏のすべて 奈良とびっきり観光ガイド 【奈良観光】

奈良とびっきり観光ガイド by  佳山隆生【奈良観光】13:55

Transcription

縄跳び10分で丸ごと東大寺。簡単に東大寺を知っていただくために、ハナタカポイントのみをまとめてみました。皆さんこんにちは、奈良とびっきり観光ガイド加山流星です。

東大寺は聖武天皇が作った華厳宗のお寺です。華厳宗は奈良仏教のなんと十宗の一つです。奈良仏教につきましては、仏教の宗派を知る前編で詳しく解説しております。

「大華厳寺」に掲げられるこの扁額は聖武天皇の文字で、大華厳寺は東大寺の別名です。こちら南大門はお寺への入り口で、我が国最大の山門となっています。平安時代に暴風で倒壊しましたので、現在のものは鎌倉時代に重源というお坊さんが再建したものになります。

南大門は、上を見上げていただくと屋根裏のすべてが丸見えです。これは化粧屋根裏と言いまして、当時の大仏殿と呼ばれる建築様式の特徴です。資材も少なくて済みますし、短期間で作り上げることができる非常に経済的な作り方です。

そして門の内側にあるのが金剛力士像です。まず門に向かって左側の口を開いている方が阿(あ)、右側の口を閉じている方が吽(うん)です。画像は夜のライトアップの時のものになりますけれど、光が当たっている方が分かりやすいですのでこちらで解説いたします。この阿が「あー」と入り、吽が「うーん」と吸い込んで、この二体が息を合わせて門番をしているわけです。これが一般的に良く知られている阿吽の呼吸の語源です。

そして、社会科の教科書には必ず出てきた「運慶・快慶作」と教えられた仁王像ですけれども、昭和63年からの解体修理では、それぞれの体の中から木札、いわゆる覚書のようなものが発見されました。そこからは、吽を運慶と快慶が、阿を湛慶・成慶が作ったことがわかっています。湛慶は運慶の長男、成慶は慶派を代表する仏師です。そして阿行は運慶・快慶が作ったとのことなんですけれども、おおよそは運慶は、大工でいう棟梁のような立場で全体を見る統括者であったというのが最近の定説です。また、その他25名の仏師を得て、わずか69日間で作り上げられたと伝わります。

そしてこの像の作り方なんですけれども、各部を別々に作って最後に一体に仕上げる作りという技法が用いられています。阿行・吽業それぞれが約3000パーツからなっています。とてつもない数ですよね。

そしてここからは東大寺七不思議をお話しいたします。この金剛力士像の配置に注目です。金剛力士って門番ですよね。ですので門の外を向いているのが一般的なんですね。しかしながら東大寺南大門では内側を向いています。真ん中に立ちますと両サイドから睨まれます。

それともう一つ不思議があります。実は阿行と吽業の左右の配置なんですけれども、一般的にはご本尊から見て左右に阿行、吽業と配置されます。この一般的な配置法からですと、東大寺のご本尊は大仏ですので、大仏殿から見て左右、南大門を外側から見ますと右に阿、左に吽となるわけです。このあたりが南大門の大きなハナタカポイントとなります。こちら南大門につきましては、東大寺編のパート1で詳しくご案内しております。

では次に大仏殿のハナタカポイントです。こちらの大仏殿は残念ながら2回焼け落ちています。1180年の治承の焼き討ちと1567年の三好・松永の乱によるものです。ですので現在の大仏殿は3代目ということになります。世界最大級の木造建築と言われておりまして、高さ48メートル、横幅は57メートル、奥行きは50メートルほどあります。こんなに迫力ある建物ですけれども、実は創建当時のものは今の1.5倍もあったそうです。

屋根上の金ピカは金銅(こんどう)と言いまして、鳥の尾っぽをかたどったものです。鯱(しゃちほこ)同様に装飾と日よけのためのものになります。そしてこの窓は「喚鐘窓(かんしょうまど)」と言いまして、お正月やお盆など年に数回しか開くことはありません。開くとこのようになります。

それでは大仏を見ていきましょう。大きな仏さまですので大仏なんですけれども、正式名称は盧舎那仏(るしゃなぶつ)と言います。座高は約15メートル、顔の長さだけで5メートルもあります。大仏殿が2度消失していますので、それに伴いまして大仏も2回焼け落ちています。実際に見ていただきますとよく分かるんですけれども、お顔だけが非常に綺麗なんですね。お顔は江戸時代に作り変えられています。胴体は鎌倉時代のもので、奈良時代のものは台座近くの一部のみとなっています。

ではもう少し近い画像で見ていきましょう。まず大仏の後ろの部分、こちらは後背(こうはい)と言いまして、大仏から放たれる光明を表しています。一般的にはよく「後光が差す」とか言われますよね。その光のことです。そしてこの小さな仏様は化仏(けぶつ)と言いまして、大仏の化身です。よりたくさんの人々を救うために出現しています。

次に大仏のこのパンチパーマのような髪型、これは肉髻(にっけい)と言います。この「肉」という漢字は、螺旋階段の「螺」ですよね。普通の基準になった髪の毛という意味です。この一つの大きさは高さ約30センチ、直径が約20センチで、ちょうど皆さんの顔ぐらいの大きさになります。皆さんの顔が頭の上に483個ついています。9個が欠けていますので、元は492個あったそうです。

そしてこの眉間にあるのは白毫(びゃくごう)と言います。こちらからも光明が放たれて人々の苦しみを取り除くと言われています。あとはこの手の形、これを印相(いんぞう)と言います。仏像によってこの印相は違うんですけれども、大仏のこの右手は与願印(よしゅいん)と言いまして、人々の恐れを取り除く形です。簡単に言いますと、「恐れずに私に近づきなさい」「恐れずに前へ突き進みなさい」みたいな感じでしょうか。そして左手は与願印(よがんいん)と言いまして、人々の願いを叶えますよという形になります。釈迦如来で一般的な印相となっています。

次に大仏の周りの仏像のお話です。大きなお寺では基本的にご本尊の両サイドには脇侍(わきじ)と言われる仏像がわきます。これを三尊形式と言います。大仏の脇侍は虚空蔵菩薩と如意輪観音です。仏像についての基礎知識は、仏像の種類を知る基本の4種類編にて解説しております。

さらに四隅には方角を守る四天王像が置かれています。その一つがこちら、増長天(ぞうちょうてん)です。「増長」は「増える」という意味で、「天」は「天」です。増長天は南を守っています。ここでハナタカポイントです。四天王像は必ずこの邪鬼(じゃき)を踏みつけています。

こちらが多聞天(たもんてん)です。「多くを聞いて」という意味ですね。多聞天は北を守っています。ここでもハナタカポイントがあります。まず四天王像としての多聞天が単体で置かれますと、毘沙門天(びしゃもんてん)と名前を変えます。多聞天より毘沙門天の方が馴染み深いのではないでしょうか。そして特にこの多聞天が踏んづけているこの邪鬼を「天邪鬼(あまのじゃく)」と言います。人と逆さの言葉ばかりする人を天邪鬼と言いますよね。語源はこの邪鬼になります。

ここからがまたまた東大寺七不思議です。四天王像は四隅に置かれますので4体あるはずなんですけれども、大仏殿の残り2つは顔だけになっています。こちらが南を守る増長天、そしてこちらが東を守る持国天(じこくてん)の生首です。結構皆さん素通りされる部分ですので、ぜひ大仏殿の注目ポイントとしてご覧ください。四天王像につきましては、仏像の種類を知る天武編にて詳しく解説しております。

大仏殿最後のハナタカポイントはこちら。誰が見ても象ですよね。昆虫の足の数は6本ですよね。何本ありますでしょうか。こちらも不思議ですよね。あの世の生き物ですから、我々には象に見えてもそうでないのかもしれません。

東大寺は2度の戦乱によりまして消失していると先にお話しさせていただきました。ですので残念ながら奈良時代から残る建造物が少ないんですね。丸ごと東大寺、最後はその奈良時代からの遺構の代表格をご案内いたします。

1つ目は大仏殿の真ん前にある近藤八角灯籠(こんどうはっかくとうろう)です。創建当時からずっと明かりを灯しています。

2つ目は少し歩くことになりますけれども、こちら手紙(てがみ)です。東大寺にはいくつかの門がありましたけれども、創建当時から残るのはこちらのみとなります。

3つ目はこちら、東大寺の鐘です。外側の部分は後世のものになりますけれども、吊るされている鐘は創建当時、大仏を作った残りの銅で作られた正真正銘の奈良時代のものとなります。

4つ目は上院エリアにあります三月堂(さんげつどう)です。向かってここから左側の部分が奈良時代からある建造物となります。左右少し形が違いますよね。鎌倉時代に新たに作られた右側部分と合体させたそうです。

丸ごと東大寺、いかがでしたでしょうか。東大寺のハナタカポイントをご案内させていただきました。これであなたもお連れの方に、あたかもガイドができるかと思います。さらに詳しくお知りになりたい方は、東大寺編全6分をご覧ください。ご視聴ありがとうございました。さよなら。