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えっと、店大学の質問コーナーです。え、ちょっとしつくいようですけども、これ来週からこちらをお引っ越しをします。する予定ですね。ランニングや体学めに、関するものはこちら。え、それ以外の哲学なんかで素朴な疑問系は別にお引くすると、こういう構造でこれから詰めていきますのでよろしくお願いします。
さて、え、質問ですね。生さんが見切りをつけるタイミング、諦めるタイミングをどう見極めてきたか改めて教えていただきたいです。私は4月から仕事環境が変わり、なれないながらも自分なりの目標を持ってやってきましたが、先日体調を崩し崩しました。それ以降仕事中にモニターの文字が頭に入ってこなくなったり、息苦しくなってきたりするようになりました。体の反応がこのように出てしまった以上、休職を視野に入れていますが、休むことの罪悪感が頭を離れません。
はい。あの、ま、結論として休んだ方がいいと思うんですよね。で、うん。な、何て言うんでしょうね。こう私が現役の時にですね、ま、現役を引退してからですかね、何年か経って、ま、ある撮影かなんかで海外に行くことがあってですね、その勝つ撮影が終わって、その後ちょっと違うとこによって帰ってきたことあったんですね。で、その時にドライブをしながら車乗ってたんですけど、ふと底で何なんだろう。なんか自分の中でちょっと焦りみたいなものがあったんですけど、ふっと冷静になって何なんだろう。この今が大事だよ置いてかれたら大変なことになるよ。20代で成長できないと30代40代では可能性がないよ。え、30代ではもう20代でできることできないんだよと。
ま、このレースというのはどんどんどんどん、ま、まるでですね、あの、自転車でクリムっての見られるかと分かると思うんですけど、スタートして1周回って、この1周のここで株何人が落ちるだったかな?クリテリム、そういうルールでした。ちょっとわかんない。ま、じゃあそういうルールのなんかランニングのゲームとかありますよね。筋肉漬け。ただ8人に走って回2人が落ちると。で、また走って次の2人が落ちる。最後2人の息打ちになるみたいな。なんかそういう気分になりますよね。人生がこうスタートしたよ。挑んでスタートするんだけど、え、受験とかで脱落し、それから会社に入る時に脱落し、え、会社にせっかく入っても20代の時に働きすぎてうつになって脱落しとかで、だんだん脱落してて、最後残ったのこの人ですって。で、あとは諦めなかった人がそこに行けるんですって。で、その人が人生の喜びを強授するんですっていう、こういう物語が非常に私は強いなと思うんですね。で、ある程度真実もある気はするんですけど、でもこうあまりにも単一的ですよね、レースの見方がね。で、実際にはそんなレースに乗ってない人たくさんいますし、ま、もうだめだ。このレースおしまいだと思って降りてで自分の行きたいように生きてみようと思ってみたらその方が幸せだったしな何なら社会的に成功しちゃったってパターンもいっぱいあるわけですよね。
なんかこのレースから降りる時の怖さってのがありますよね。私はまあ早々に大学ぐらいまでは多分ま、スポーツとはい入ってたんですけど23の時に会社やめちゃったんでその時にレース降りちゃったんだと思うんですね。違うとこに走り出しちゃって、ま、そんな私でも時々思いますからね。やっぱり20代30代でちゃんとした僕はこの社会人のトレーニング受けてないんじゃないかもないんですけど、これが本当に良くない40代、50代って響いてくるんじゃないかとかそういうこと思うんですけど、ま、しょうがないですよね。そっち行っちゃったから。
改めて思うんですけども、あの私たちはこのレースを走っている時に横に走っているありえたもう1つの人生っての走ってないわけですね。ここ走ってる時は見えもしまうと特に1回目はところが1回レース降りてみてそっちを走ってみるとあれあのこのありえ、この人生以外にももう1つ別の人生がありえたんだってことに気がつくわけですね。
の会社でいらっしゃる方多いと思うんですけど、平日の2時3時ぐらいに公園でぼっとすることってあんまないですよね。でも休みを取ってそういうことやる時もありますよね。あの時の何とも言えない社会からの阻害感ってあるじゃないですか。このあれ俺いいのかなて菓子パン食べながら牛乳飲んでていいのかなって思うんですけどでもそういう人生がありえるわけですね。土日を働くっていう人生もあるかもしれません。この実は違う私たちが見ているこの走ってるルートとレーンとは違うレーンを走ってる人たちがいて、ま、走ってるという表現もおかしいかもしれないですけどそこにはそれなりの幸せがあり、ま、喜びがあるわけですよね。だからいろんな社会には喜びや人生がありながらそれを人がそれぞれ選んでるんだけども、どうも最初の段階で選択肢を広く見せてくれないように構造になってるわけですね。社会が最初にに見えるのはある程度決まった全員が走っていくロードなんですよね。
マラソンのスタートみたいな感じでまずはこれから走りましょうって言ってみなしてで途中でこうそれていくと実はマラソンコースの横でカヌーやってましたとかバーベキューやってましたっての色々も、見えてきてえ、それ最初に言ってようと思いながらまじゃあバーベキューで行くかとかカヌーで行くかとか色々みんなそれぞれにそれマラソン走ってる人たちから見るとそのレーンを恐れたっていうことしか、なかなか見えないのでレーンを恐れたで終わっているんです。だから走ってる人たちは、あ、レインを恐れたらどんな人生なんだろうとか思うんですけど、でも時々、え、このぐらい年齢になるとね、そういう人とか飲んだりすると、あ、そういう人生があんのかとか、移住、あの、地域に移住してね、実家の近くに移住してそうやって生きていくってのはあるのかとか、何が幸せなんだろうとか色々考えるんですけども、そういう風にいろんな選択肢があるっていうことだと思うんですね。私、あの、諦める力って本書いた時に1番のがこの伏線、人生ってのは無数の伏線であるとレースという表現すらあってないかもしれないようにあらゆる生き方がある中で1番最初に選んだ生き方正確には選んですらわけですね。我々生まれた時には周りの人はもう走り出してますから、それを走り出していって走って走っていって、ある年齢になった時にふとその恋から降りることに強烈な恐怖感を覚える。なぜならそこ以外生きたことはないんでね。でもそこを1回降りた時に私の場合は降りてしまうと違う人生があり、それはそれで幸せだったっていうこと。むしろ私はそう。それが良かったって思うんですけど諦めるっていうことはこのレーンから降りてみるっていうことで。
降りたって大したことは起きないしそこにまた全然いろんな可能性がある。ただ問題はそのレが見つかったら降りようは聞かないわけですね。全員から降りるとそれが見つかるんです。これが人生の厄介なとこでスペースができなければ何を埋め ていいかが分からない。埋めたいものが見つかったらスペースを作るわけじゃないんですよね。これが勇気がいるとこなんですよね。見つかってからやめればいいんじゃないと。ま、だから次の彼氏が見つかって今と別れれば不安はないですけど、別れるから見つかるんだっていうことが人生の真実なんだろうと思うんですね。これが諦める力で私は書きたかったあの応援の書なんですけど、私に撮ってみるとそれを言いたかったってことなんですよね。
諦めるタイミングというご質問ですけど、これは最後まで分からないし、え、人にってあまりにも違うし、誰もこれをはっきりは言えないんですけど、私は1つ言えるのは結局人生の最後の瞬間をイメージするしかないんじゃないかと思ってますね。自分の人生の最後の瞬間、え、何歳か分からないですけど、病室か、ま、実家か分からないですけど、ま、我々の世代は病室ではしないかもしれないんで、ま、家で横になりながら、あ、ちょっとそろそろお迎えが来るのかもしれないなと。で、色々貼ってあると昔のものが貼ってあるのを見ながらどういう人生だったかなと思いながら、まあ色々うまくいかなかったけど、ま、こういう人生もありだったかなと思うか。あの瞬間あの時もしあっちを選んでたらどうだったんだろうと思うかまそういう感じじゃないかと思いますね。ま、結論から言いますと私の経験上はですね、諦めて後悔することはどちらかというと比率として少ないと思いますね。続けて後悔することの方が実は多いんじゃないかと。ま、この場合難しいんですけど、そのそっちに目指したいと思って続けてるもの諦めると後悔するんですけど、モヤモヤしながらでも続けなきゃいけないから続けてるって思ってるものをやめるに関しては大体良いことが多いというのは私の結論でございますね。