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“あいつだけ売れた”バンドが迎えた悲劇

みのミュージック12:48

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ようこそミュージックへ。どうも井野です。本日はですね、1人に成功と注目が集まってしまったせいでバンドが崩壊してしまった。そんな切ない切り口で動画お届けしていきたいと思います。面白いと思った方は是非チャンネル登録そして高評価お願いします。

まずはですね、ジャクソン5ご存知マイケルジャクソンがいたグループですね。69年デビュー。当時まだ子供だったマイケルジャクソンの天才的なボーカルを武器にですね、ABCとかIバックとかね、デビューから4局連続全米1位を獲得しまして70年代前半にはアイドル現象を巻き起こします。

その後なんですけども、レコード会社の遺跡に伴いましてグループ名をジャクソンズと改めまして活動を継続します。この時期も結構ファン多いですよね。例えばBlameitontheboogieとかね、shakeyourBodyなどなど、ま、ディスコ路線で結構ヒットを放っていきました。

一方マイケルジャクソンなんです が子供時代からソロ活動自体を行っていたんですけどもこの辺りになってきてソロのキャリアの方がもう確変状態に突入していきます。79年にアルバムオフ・ザ・ウォールを発表しまして本格的に成人ソロアーティストとして成功納めます。そしてその次82年のスリラーですよね。非常最も売れたアルバム。こんな作品を立て続けに発表しちゃったら当然ジャクソンズともちょっと摩擦が生まれてしまう。この頃のマイケルすでにキング・オブ・ポップと消されるような存在となっていました。当然兄弟グループとの活動は停滞していく。

ただですね、スリラーを発表した後の84年にですね、ジャクソンズ名義でビクトリーツアーというのを行っていまして、こちら大成功を納めたんですが、やっぱり注目がマイケルに集中しちゃうってのがありました。結果ツアー後にメンバーのマイケルとマーロンが脱退を表明。残った兄弟89年にアルバムを発表したんですが商業的には振るわずグループは事実上の活動停止となってしまいました。

ま、さすがにね、マイケルジャクソンレベルの成功を納めてしまったらこれはちょっとしょうがないかなって思ってしまうんですけども、ジャクソンズとかね、ジャクソン5の音楽性も当然素晴らしいんで、ちょっと切ないですよね。ただやっぱ兄弟としての絆なのかスリラーを出した後もツアーを行っているっていうのはね当時を知らない人からするとちょっと意外に感じるかもしれません。

続いてはデスティニーズ・チャイルドよりビヨンセですね。90年代後半にビヨンセを中心 に結成されました女性R&Bグループ。セイ・マイ・ネームとかサバイバーとかの大ヒットを放ちました。ま、あと他にもね、チャーリーズ・エンジェルの主題歌とかね。こちらはなんと全米シングルチャート11週連続1位記録しています。グループの人気は沸騰したんですけども、他のメンバーと比べてもビヨンセの人気とそして実力がちょっとね、突出してたんですよね。ある意味60年代のシュープリームスと被るところがありますよね。ダイアナ・ロスに人気が集中しちゃって、そっからソロに転向みたいなソロ思考の強さとか野心の強さみたいなところもダイアナ・ロスとビヨンセって僕の中で重なるところがあるんですけども、ビヨンセ2003年にソロアルバムのデンジャラス・イン・ラブを発表しました。で、こちらが大成功を納めまして、グループは2005年のワールドツアー中にバルセロナで正式に解散が発表されます。

このね、デスティニーズ・チャイルドのビヨンセのね、人気の集中っぷりを表す当時のメディアのね、文章があるんですけど、これかなりやばくて、他のメンバーは彼女の輝きを曇らせる誇りに過ぎないみたいな、それぐらいのこと言われちゃってるんですよ。これはちょっと他のメンバーは切ないですよね。

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続きましてはTMネットワークですね。小室哲也のケース。84年メジャーデビューですね。ゲット・ワイルドとかセルフ・コントロールなどのヒット曲をね、送り出しました。当時のね、グループの成功とも並行して小室哲也は楽曲提供だったりプロデュースをね、積極的に行っていきました。80年代のね、末ぐらいにはもうその才能が注目されていたんですね。そして90年にバンド名をTMNに改めましてバンドは新たなチャプターに入っていきます。ところが94年の4月に小室は突如TMNプロジェクトの終了を宣言しまして東京ドームでのラストコンサートを持ってバンドは一旦幕を下ろします。

この解散の背景なんですけどもやっぱり小室哲也がもっともっとプロデュース業に専念したいみたいなね、そういったモチベーションの変化があったとされてい ます。当時からね、もう小室サウンド、小室ファミリーみたいな一大ブーム社会現象を巻き起こしていましたから当然かなりの手応えがあったのでしょう。実際95年から4年連続で小室哲也が日本レコード大賞受賞してますからね。

その後99年にですね、バンドは再始動を行ったんですが、皮肉にもこの時期は小室ブーム、そして小室ファミリーの人気がちょっと衰えてきた時期と重なるんですよね。

続いてはチェッカーズ藤井フミヤです。83年デビュー7人組ですね。元々はドゥーアップグループラッツ&スターとかと同様ですよね。ただ本人たちの好みにはそわない歌謡曲路線でデビューして成功を納めました。ギザギザハートの子守唄とかジュリアに傷心とかね。ま、アルバムには結構後派なドゥーアップナンバーとかも入ってるんですが、ま、ただこの路線は当たりまして大ヒット連発アイドル的な人気を獲得しました。

ただですよ、80年代に入るとメンバー間の意見に相違が生じるようになっていきます。結果92年にチェッカーズはおしまれつつも解散を発表しました。そして藤井フミヤはソロ活動を本格化させます。藤井フミヤのソロキャリアはロケットスタートみたいな感じでしたね。93年にリリースしたソロ第1弾シングルのTRUE LOVEなんですけども、これがなんと240万枚を超える大ヒットを記録。他に もね、96年のアナザー・オリオンとかね、こちらは120万枚超え。チェッカーズの他のバンドメンバーも音楽活動続けてはいたんですけども、やっぱり当時ほどの注目を集めることはできませんでした。

続きましてはNWAのケース、アイス・キューブとドクター・ドレーですね。数年前にね、映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』が公開されまして、ま、バンド内の確執のストーリーは結構記憶に新しいって人も多いのかなと思いますが、86年LAで結成されたギャングスター・ラップのグループですね。当時としてはね、もう前例がないレベルの過激なリリックをね、ま、ラップするスタイルで登場しまして、物を醸しながらも全米クラスのビッグネームとなりました。

ただですよ、もう成功を手にしてから結構早い段階でグループ内には確執が生じてくる。主要なソングライターの1人であったアイス・キューブなんですけども、報酬配分を巡る不満から結構早い段階で脱退しちゃうんですね。89年の末に脱退します。この辺りは映画でも結構印象的なシーンとして描かれていますよね。レコード会社のさ、おっさんのオフィスにこう突撃してって野球バットかなんかでこう部屋をめちゃくちゃにするみたいな。ま、あれは事実をベースにしてるのか僕はちょっと分かりませんけど。

その後ですよ、自身のフルスNWAに向けてですね、痛烈なディストラック「ノー・ヴァーセリン」を発表します。これはもうでもあらゆるディストラックの中でも古典中の古典ですよ。これを受けてNWA側もアイス・キューブを非難するなども確執が大やけに噴出します。その後NWAさらにアルバムを発表しまして、ま、全米1を獲得したりもしてるんですが、さらにそっからですね、プロデューサーのドクター・ドレーも抜けてしまうと。これによってNWA事実上崩壊してしまいます。ま、アイス・キューブとドレーが抜けちゃったらもうさすがにきついすよね。

ま、他のメンバーもタレント揃いではあるんですが、その後ね、例えばアイス・キューブだったら『アメリカズ・モスト・ウォンテッド』っていうね、アルバムを発表したりとか、あと俳優業でも結構成功しますよね。加えてドクター・ドレーは『ザ・クロニック』を発表してGファンクを世の中に広めていくと、ここはやっぱりちょっとね、残ったメンバーと両者明暗を分ける運命になったのかなと思います。

続いてはジェネシスですね。フィル・コリンズ。商業的な最盛期は80年代なんですけども、歴史は意外に長くてですね、60年代の後半に結成されたイギリスのプログレバンドです。ジェネシスのファンは2パターンいますよね。プログレの時期しか聞かない人、そしてポップな時期しか聞かない人。意外と両方またがって聞く人って少ないんじゃないかな。全体の1割ぐらいじゃない?両方の時期非常に魅力的なんですけども、元々フィル・コリンズはバンドの1ドラマーという立場だったんですね。ピーター・ガブリエルというボーカリストがいたんですけども、彼がやめてフィル・コリンズが歌うようになる。ま、言ったらだから仕方なく歌うようになったタイプのミュージシャンなんですよ。ところがピーター・ガブリエルと声質がちょっと似てたっていうのも、ま、幸いしましてジェネシスはそっから無理なく活動を継続することができました。

その後ね、しばらくはプログレ的な路線を継続するんですけども、80年前後ぐらいから徐々にポップ色が強くなっていく。中でも大ヒットしたのが『インヴィジブル・タッチ』ですよね。フィル・コリンズ自身も81年にソロ歌手としてデビューしまして、『イン・ジ・エア・ナイト』など数々のソロヒットを飛ばします。

ただですよ、このソロ活動がもうめちゃめちゃ売れちゃったんですよね。当時のジェネシス売れてなかったわけじゃないんですよ。ただそれを凌駕するぐらいフィル・コリンズが売れちゃった。あと多分なんかまかないですけどフィル・コリンズってめちゃめちゃ体力ある人だと思うんです。ライブ・エイドでさ、イギリスとアメリカ両方であの人出演してましたもんね。レッド・ツェッペリンの再結成、ジミー・ペイジ、ロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズ、そしてフィル・コリンズみたいな、ま、そういうのもやったりしてましたけど。

結果96年にフィル・コリンズはジェネシスから脱退を表明します。実はその後ね、ジェネシス新しいボーカリストを迎えましてアルバムを制作してるんですが、音楽的にも商業的にも振らない作品となりました。結果バンドは解散してしまう。

フィル・コリンズってソロ活動だけで1億枚以上のレコード売ってるんですよね。ちなみにバンドとソロで両方1億枚以上を達成したアーティストっていうのはさっきも話したマイケル・ジャクソン、フィル・コリンズ、そしてポール・マッカートニーしか達成してない記録らしいです。ただなんかフィル・コリンズの場合面白いのはさ、元々ドラマーで、しかもめっちゃいいドラマーなんすよ。別にそんなになんかボーカルっていうところに色気を感じてなかったにも関わらずなんかピタっとはまっちゃって才能が開花してってこんだけ売れるっていうストーリーね。これは非常に珍しいのかなと思います。

そして続いてはコモドアーズですね。僕はあのコモドアーズめちゃめちゃ大好きなんですけども、一部の人からはあ、あのライオネル・リッチーがいたバンドねって思われてることだと思います。切ないけどな。めちゃめちゃいい曲いっぱいあるんですけどね。マシンガンとかブリックハウスとかイージーとか結構ね、たくさんヒット曲もあるんですが、そんな中で徐々にライオネル・リッチーが歌うちょっと甘いバラードの路線。ここに注目が集まるようになっていきました。

80年代に入るとですね、ライオネル・リッチーバンド外での活動を広げていきます。例えばカントリー歌手のケニー・ロジャースに楽曲を提供。レディというナンバーですね。他にもダイアナ・ロスのデュエットのエンドレス・ラブとか。これらが大ヒットを記録しまして、ライオネル・リッチー82年にソロ活動に乗り出します。

ライオネル・リッチーのね、キャリアここからどんどん浮上していくんですが、80年代前半のコモドアーズは苦戦を強いられました。コンサート規模も縮小。なんと解散したと大衆からは思われていた報道だったみたいですね。ただ意外にもライオネル・リッチーが不在となった後の2作目のアルバム、こちらの『ナイト・シフト』しぶくトップ10入りするヒットとなっています。ま、粘り強く頑張ったんだよね。ただ結局そっからやっぱりコモドアーズ徐々に徐々に活動が縮小していく結果となりました。

一方でライオネル・リッチーも皆さんもご存知だと思うんですけども例えばオール・ナイト・ロングとかハローとかね、もう大ヒットを連発しまして極めつけにはウィ・アー・ザ・ワールドですよね。さっきも名前上がりましたけども、ケニー・ロジャースとかダイアナ・ロスとかこれまでの人脈と人望を駆使してですね、ま、多くの大スターを証集しまして、こちら結果的にグラミーの最優秀楽曲賞を受賞するほどの成功を納めました。ウィ・アー・ザ・ワールド単体の解説動画もやってるんでよ、よかったらそちらもチェックしてみてくださいね。

ということでいかがだったでしょうか?今回は1人のメンバーに注目だったり、成功が集中してしまって、バンドが崩壊してしまったストーリーお届けしていきました。切ない。多分他にもいっぱい例があると思うので、皆さんよかったらコメント欄の方に書き込みお願いします。動画が面白いと思った方は是非高評価そしてチャンネル登録お願いします。そんな感じでミノミュクでした。では。

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