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子供にどこまで自由にさせますか?

為末大学 Tamesue Academy11:02

Transcription

生大学の質問コーナーです。

え、質問です。たけしさんが親としてお子さんに委ねるべきではないと思われることはありますでしょうか?例えば就寝時間など、親が決めて管理するのが良いと考えているのですが、小学高学年になるとどこまで関わってあげるべきか悩んでいます。お話を聞いてみたいです。よろしくお願いいたします。

はい。うんとですね、ま、こちらまずこちらの中ではですね、基本的にこれランニングとあの人間新から人間を理解しよう。みんなで考えて楽しもうというものなんですけど、ま、時々こういう教育的なお話ご質問いただいて書いと申し上げてます。ま、私と言ってもそっちは全然専門ではないんで個人的な考えでお話してますけど、ま、私の考えはですね、え、うん、どこまでってのは難しいんですけども、うん、倫理の側面と生活、この2つかなと思ってますね。

で、倫理ってのは何かって言うと、え、何かをしてはいけないとかですね。こういうことを人としてはやっちゃいけないんだって。むしろや何々を推奨するってよりも、ま、心の作り方みたいな感じですかね。善悪の作り方みたいなもので、そこは強制的に、強制的っていうか、外部から形を作っていくべきじゃないかと思ってるんですね。

で、もう1つは生活ですね。これ生活自分で整えられるようになる。これ週慣に近いですので、え、分かれば整えるっていうのは結構無理があってですね、習慣なので。習慣ってどういうことかって言うと、好き嫌いにもちょっと近いわけですよ。なんかムズムずするとそれを失いと。あとは息を吸うようにやっちゃうってやつですね。例えばえっと、なんだろうな。まあ、なんか私たち、ま、日本人の方が聞いてた日本人だったらですね、なん海外ずっと10日間ぐらい回ってたら、あ、なんとなく味噌汁飲みたいなと思ったりしますけども、これ何のロジックもないわけです。それなんか懐かしさとかある人の習慣とか体にすり込まれたものですよね。同じようになんとなく朝早く起きないか気が済まないとか食べ物が乱れてくるとちょっと気持ち悪いとかこういうもののっていうのは本人 が意識的に考えて作るもんじゃなくて幼少期の習慣なんですよね。で、幼少期のこの習慣の部分、ま、倫理もちょっと近いんですけども、そういうものに関しては私は強制をしていくべきか、強制っていうかな、あの、形周辺環境を形づくっていくべきじゃないかと思いますけどね。何を当たり前とするかですけども。

で、これこのお答えする時にですね、非常に私いつも気になるっていうか考えた方がいいと思ってることはですね、強制とは何かということなんですよね。で、私たちはよく子供たちに強制しちゃいけない実質性が大事だと。ま、これ高校後最近非常に世の中に広まってきていいことだと思うんですけど、我々の時代は強制いっぱいありましてめんどくさかったですけども、でも一方で強制しているしてないものがクリアに分けられるなんて思うのはいくら世の中あんまりにもこう浅く見てると思うんですよね。だ、それどういうことかって言うとですね、私たち強制とは何かと言うと、力や何かによって何かをさせられることだと思うんですけども、例えば私たちはIwasbンって吉野ひさんが死で書かれましたけど、英語では Iwasbンで受け身系ですよね。で、私たちは生まれたいともですね、このようにせを受けたいとも意思表示する前に生まれさせられるわけですね。生んでくださるとも言えますけども、意思確認してないわけです。そこで自由し当然確認できないわけですけども、で、生まれたところが、え、本当アメリカが良かったとか、先進国が良かったとか色々言っても日本がいいとか、え、選べないわけですね。強制的にそこに生まれさせられると。で、さらに生まれた後はその環境を受け入れるしかないわけですね。で、ある年齢までそうやっていくわけですよ。で、だんだんだんだん自我ができてきて、私こう生きてきたり、僕こう思うっていうことができてきた辺りから、え、自分は、え、パンを食べたいのにうどんを食べさせられてるとかですね、それは強制だとかそういう感覚を芽えてくるんですけど、これって要するに、ま、周辺環境に対して自我が出てきて、その間に圧歴が生まれていっただけの話で、それより前の世界は全部強制なわけですよ。選んでないわけですから、選べないわけですしね。で、もうちょっと厳密に考えると自我が最後までに残らなければ何も強制なんて定義できないわけですよね。自我があるから抵抗するんだけど、もし自我がなければ、まあ、なんてかな、それを強制と言えばいいのか、何て言えばいいのかよくわかんないわけですよね。

ま、と、そうすると当然その中にでは何をしてもいいのか、人を傷つけてもいいのかってなってくると尊厳とかいろんな概念が出てくるわけですけど、でもこの強制されているされてないの境い目ってのは非常に曖昧だってことだけはあの私は理解しておくべきだと思うんですね。で、強制も目に見える強制と見えない強制ってのはあってどちらかというと人の心に嫌な感じを残すのは目に見えない強制の方なんですよ。例えば頑固親父があのいいか前もう風呂入れと嫌だって言ってもうるさい入れと言ってあの野郎と思いながら風呂に入りながら絶対こんな家出てやるとこれが成立するわけです。ところが、え、ま、ちょっと象徴的にあの、お父さんお母さんでやっちゃいますけど、これお父さんの場合もあると思いますけども、あの、そろそろお風呂に入ったらどうって言って、え、嫌だって言って、あ、そっか。お風呂に入らないと本当にな、お父さん、お母さん悲しいな。でもそう いうお父さんとお母さんを悲しませるようなことはしないわよね。きっとみたいなアプローチもあるわけですね。で、そこでうるせえなクソバクソじって言えばいいんですけども、え、子供も子供で本当は分かってるわけですね。外的環境が。なぜならばこの被護者がギブアップすれば自分は死んでしまうかもしれないと。世の中に放り出されたらとても生きていけないということ分かってるわけですね。で、どんなに、え、親が意識したって、この圧倒的パワーバランスってのは崩れ、あの、なんていうか、いざ発動すればそうなっちゃうわけですよ。で、子供もバカじゃないんで、それ指してるわけですね。で、あと察していながら子供がどう振る舞うかと言うと、マジでこの人するかもしんないと思うのか、それしないと思ってるのかってとこですね。で、さらにしないと思ってる中にももっと複雑なものがあって、それ何かって言うと、うん。親の心の弱さを見抜いた時ですね、子供がだ、この人に逆らったりとか自分が自由にしてもいいんだけどそうするとこの人傷ついて一人じゃ生きていけない。つまり親の何て言うかな弱さを見た時に親に躊躇するようになるわけですね。本気でアタックするの。で、そうするとこの人を悲しませないようにしなきゃいけないっていうことから自分の行動が始まっていくってわけです。ま、つまり両サイドなるわけですね。こっち側の方はあの強、ま、典型的ななんかこう頑固親父系っていうかね。ま、教育ママ系でもうやれやれギャンギャンやってでやられて従うってま、そのままシュンとなるパターンもあるんでしょうけどならないパターンは絶対こいつはいつかやっつけてやるみたいな感じの、ま、そういうともこの間に摩擦がある世界ですね。またはギュっと押し潰されて何の抵抗もできなくなって顔色を伺うみたいになっちゃうパターンでもう1歩でこっちサイドの方は自分の自分がちゃんとこれをやっていかないとこの関係が崩れてしまうんじゃないか不安を感じるパターンですね。つまり安定してないとおのとかですね。記護者の際とまそれに対してこう躊躇するっていうパターン。この両方も実は強制なんですよね。それによって相手を動かすことはできることはできるんですけど、ま、子供もあります。子供っていうかな、なんかストーカーとかでありますよね。そのなんとか、あなたが来てくれないと私死んじゃうとか、僕死んじゃうみたいな。それも同じことですよね。自分自身を傷つけてあなたの責任を追わせるんだっていうことをうまく使いながら相手をコントロールするモデルですね。ま、エニベイ、そう いうのが前提にありながらでも私が思うのは、う、結局のところ本当の意味の自主性っていうのはその対立の中にしか成立しないんじゃないかと思うわけですね。自由を与えて自由にどうぞっていうのっていうのはどう言えばいいのかな。感触がないわけですね。でもそれよりも周りから強制されてるものに対してこれは嫌だとかこれは好きだって思うことを集めていって自分っていうのを形づくっていくように思ってて本当に何の感触もない空間に放り出されると自分っていうものの輪郭がむしろ見えなくなるんじゃないかと思うんです。なのでやっぱり一定の強制が周辺でありながらそれに対して自分が反発するってことはあるんだと思います。

で、あとは、ま、倫理感のところですね。ま、これは別に独特の倫理化を植えつけなくても、ま、世の宗教も、え、いろんな国家の文化権も大体人を傷つけちゃいけないし、他者に優しくしましょうって言ってますしね。公共にあの貢献しましょうとか、ま、この辺は多分そうすることで群れが生存しやすかったんだろうと思うんですけど、こういう公共的な倫理感みたいなものは自分が身につけつつ徐々に作り上げてくんだろうと思うんです。なので、ま、私はあんまり気にせずこう、特に生活はですね、もうこの時間に食べる、この時間に寝るっていうのは決めてそっから逸脱させないっていうのは非常に重要かなと思ってますね。で、なんで重要かって思うとうん、表に見えているその子供のやってることとかの背景に大体生活があると思う。これ子供じゃなくて実は大人もそうですけど、ちゃんとした時間にご飯食べてちゃんと運動して寝てると結構メンタルが安定するんですね。で、逆にメンタルが安定してない人はそのことが影響して寝れる時間がずれたり食べられなくなったりっていう風に生活が乱れてくるわけですから、ま、これ私個人の話なんで何の根拠もないですけど自分の人生で非常に良かったのは立て直し方をスポーツから学んだことです。自分のメンタルが崩れそうになる時に朝ご飯と寝る時間からコントロールしに行って自分のメンタルを立て直すっていうのを、ま、スポーツから学びましたからそれを自分のメンタルに直接突っ込んで考え方で直すっていうのをあんまり聞かないんですね。聞くのは生活を安定させるっていうことで、ま、そういうものの感覚を掴む、習慣を掴むっていう意味では生活と倫理感ってところは強制でいいんじゃないかと思いますけど、ただこれって親もやんなきゃいけないんで大変ですけどね。の方は生活乱れてるけど、お前はやれってわけにはいかないんでね。

以上です。