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はい、それでは古典ラジオ番外編を始めたいと思います。
ではでは本日の番編はゲストをお招きしてお話を聞いていきたいと思います。早速ご紹介しましょう。実験寺員報道寺総委員長松さんです。お願いします。
はい、よろしくお願いいたします。ようこそ福に。
そうです。福岡まで京都から来ていただきました。はい。来ていただきましたけども、え、まずは僕の方から簡単にプロフィールですね、紹介します。
え、学生時代に武道と仏教に出会い、中国北京で 5 年間の武術修行を積んだ後、信号立集総本山最大寺でシ戸業 うん。え、そして伝方感定を重報。ま、これなんかそういう名前の これはあれですよね。あの正式にお坊さんになったみたいな意味で捉えばいいですよね。こはい。で、え、日本仏教にとまらずミヤンマーやチベットの構想にも指示し、密日教の瞑想法を探求。え、現代社会に生きる部教を模索し、京都に実験人員報道寺を設立ということですね。はい。お願いします。情報量が多いですけれども、 [笑い] 今日ははい。
ま、竜玄さんを呼んでですね、仏教哲学会にしたいなと。うん。思ってるんですよ。はい。今までだから古典ラジオでは仏教の方は呼んだことないから本当にお坊さんに来ていただきましてということですね。はい。
でも付き合いはねずっとね、ま、長くま、 4 年ぐらい前からあの空海最長のシリーズをした時にはい。僕が仏教哲学に初めて触れはい。え、意味不明すぎ [笑い] ま、本で読んだ時にあ、もう素晴らしいなと思ったもののそれ以上の理解ができない。これは絶対日本では無理だという確信を得てうん。そのお坊さんを探してた時に、そのお坊さんを探してた時にってあれですけど、ま、教えていただける方はい。あの、本当に当時高校生だった方から紹介していただきましてうん。うん。あの、行ったらすごかったっていう。だから、え、もう4年、5 年ぐらいのお付き合いになる。そうですね。ですね。それから本当に、ま、そこから 12 年ぐらいはなんかそんなに連絡してなかったですけど、ここ 3年間ぐらい毎月実は京都に通って、はい。お世話になってます。あらゆるそのビジネスパーソンたちをですね、ま、紹介したりだとかはい。僕、ま、な、なんでビジネスパーソンって言ってるかって言うと、はい。まさに今ビジネスパーソンに必要そうな哲学だなと思って、その万人に必要なんですけど、特にビジネスパーソンに必要そうだな。なんかめちゃくちゃ成功したビジネスパーソン。うん。はい。はい。はい。あの、お金持ってるけど苦しんでる人たちいっぱいいるんで。なるほど。苦しみ。国まみれてる。仏教用語のね、国ねにまみれてる。あの、自分ではすごい幸せだと思ってめちゃくちゃ苦しんでんなみたいな人たちがたくさんいて、その人たちに、あの、苦しいですよね。確かに。じゃあ行きましょうつって言って。なるほどね。 [笑い] なるほど。あの、ちょっとした。自分もそうですよ。なるほど。ちょっとしたおし活だね。 [笑い] ま、確かにね。あの、川部さんのね、会が昨日ありましたから収録連日やってますけど、カー部さんも連れて行きましたけど。うん。うん。うん。そこで出会って毎月僕は学んでるんですよ。うん。ですね。はい。
だから今古典としてもえっとなんか勉強会みたいなやられてるんですか?勉強会は宗教勉強会を全部やってまして、全部っていうのは 3大宗教全部やってて、そのイスラム、キリスト教、そして仏教はい。ていうのを宗教勉強会を車内でやってるんですね。で、法人クルーはそれ参加できるんですけど、そ、あの、やってまして、で、僕その今の世界を理解するために宗教本当に避けて通れない。特に 3大宗教って思ってるんですけどうん。キリスト教はほら、あの番外編で出ていただいた千葉先生、そのプリンストン大学に今所属している千葉先生、プリンストンって言ったらキリスト教プロテスタントのアメリカの、ま、本当に最も権威ある大学うん。ですね。うん。の進学家の先生から学んでますと。はい。はい。はい。で、イスラムは先生2人いて、ま、1 人サウジアラビア大学で、もう1 人はすごく教えるのがうまい実践的な、あの、非常にビジネスパーソンとしても活躍してらっしゃる。うん。うん。あの、宗教指導者ではないが、えっと、実践者として非常に活躍してらっしゃる、ま、インド人の先生から学んでるんですけれども、一方であの、仏教はですね、あの、ま、こういうとしてるかもしれない、そのわゆるそういう大学所属とかそこで学んだとかいうわけでもない、その竜玄さんから学んでるんですけど、これはやっぱりそれこそね、ま、荒野さんとか比えさんとかあるじゃないですか。あります。最も権威がある。はい。はい。そうだね。うん。で、ま、龍さん信号立なんで荒野さんの警付にいらっしゃるけれどもその荒野さんの構想とかから学んでるわけではない。うん。ですけれども、それは、ま、そのお坊さんに会ってきた中でやっぱりシンプルに仏教哲学ですね。はい。はい。ていうものを伝えるっていう目においてやっぱり玄さんがすごい僕から見て素晴らしかったっていう。うん。ありがとうございます。うん。うん。あの、本当に僕が評価するような立場でもないんですけれどもレベルが違ったというか。なるほど。なるほど。はい。いうのでレベルが違ったってら多分失礼になっちゃうかもしれないんですけど。うん。ま、深井君がやっぱすごくそう僕から見て素晴らしかったんで。うん。うん。もうナチュラルに玄さんにいろんな人を紹介することになったという。うん。で、修行もして、ま、実践者であ、あられるので修行もしてらっしゃるんで。はい。はい。はい。その学者さんともやっぱりちょっと違う。うん。うん。うん。この身にしみる話してくれるなっていうのと、あとやっぱりうん。仏教のやっぱ問答っていうのがあるんですよね。うん。その僕たちが財系みたいな出してないじゃないですか。うん。うん。うん。うん。で、修行も別にそんなね、あの、竜さん行った時に瞑想とかさせてもらいますけど、修行してるわけでもない。まあね、日常でで、日常ではシンプルに経営とかその俗物にまみれてますけども、このままみれた自分がそのいわゆるなんかこうこれってどうしたらいいんだっけみたいなこと に悩んだ時にうんこれって仏教から見たらどうなんですかみたいなこと聞くんですよ。うん。なるほど。したら仏教哲学をベースとしたその実践者として龍けさんから答えがくるみたいな。うん。これがやっぱりそのなんて言うかな。めっちゃよき良き[笑い]ありがとうございます。これがめっちゃいいなと思ってて。なるほどなるほど。はい。これをしてくださる方としてもやっぱりそれって学者さんにできないんではい。できないって言い切ったらちょっと失礼なのかもしれないんですけどそれをさられる立場でもないじゃないですか。うん。そうですね。研究者ですからね、学者。はい。はい。はい。なのでそういうそれとしてその先生としてあの色々ま学んでるしも温度答もさせていただいてるっていう。なるほど。ま、こんな感じでうん。はい。
いや、ありがとうございます。ま、僕はあのボゲ仲間しましたね。ボ [笑い] ゲ仲間て言っていいの?せずはい。どうもせず仏教についても学ばずボを一緒にしましたね。ボゲ仲間です。楽しかった[笑い]なんですけど、え、そうじゃなくって今日は仏教の話をたっぷりと聞いていきたいと思うんではい。えっと、こう全何回になるかちょっとわかんないんですけど、ま、普段僕たちが問答させてもらってる中のそのあ、これは届けた方がいいなっていうエッセンス何個かすでにこの 3年間で僕いいてるんですね。これもしっかりマスターピースだなというか、もうこれを知ってるだけでめちゃ豊になれるなみたい。うん。それもできればこの放送の中でパッケージとして皆さん皆さんに届けていければなていう風に思ってるんですよね。うん。あ、それ楽しみだね。僕は逆にあんまり龍ゲさんと 1 度しかお会いしたことがないので楽しみ。そう。なんで、ま、さっきビジネスパーソンって言いましたけど、ま、ビジネスパーソンに当然ですけど限らずうん。ま、いろんな人たちに聞いて欲しいなっていうのが、ま、今回の回はい。で、ま、やっぱりキリスト教仏教って言ったら次はイスラムですね。うん。も慎にやらねばならぬと僕が認識しているスラム。うん。うん。はい。はい。はい。重要ですよね。はい。2 回目は仏教ということでですね。で、ま、仏教って宗教なんだけどその根本哲学のところがあるんで、ま、その部分をうん。まずは学んできたいなと思います。ということで、今日はよろしくお願いします。長番になると思いますがはい。うん。
どこからこの仏教の話に入るといいのかっていうのはちょっと僕は何度も竜玄さんのところに行きうん。あらゆる人たちのモドを見た結果ですね、ここがいいんじゃないかなと思ってる入りがあるので、そっから入ってもらですけれども、とりあえず座組みますか。いや、あの、全然違います。違、全然違います。座は前収ですし、 [笑い] 色々違うんですけど、そのはい。その仏教っていうのが何を目指しているのかっていうところで、やっぱその苦しみうん。うん。にフォーカスしていると。うん。苦しみとは何か。ま、区とは何かそしてなぜ区にフォーカスしているのかっていうところから仏教を紹介するとあ、なるほどなってなりやすいかなと思っているしうん。ま、我々全員苦しんでるじゃないですか。うん。何も苦しんでないですっていう人多分ほとんどいないってか多分それブッダなんで。そうだね。あの教えてください。はい。[笑い]苦しいです。苦しいです。はい。なんでそこま苦しみの定義からあるんですけどちょそっから入ってもらうとすごい分かりやすいんじゃないかなと。で、そこから中哲学根本に入っていくと僕は分かりやすいんじゃないかなと思ってるんで。うん。そうだよね。あと個人的にはちょっとそのお釈迦様の現体権とかのところからどう哲学に派生していったのかちょっと知りたいですね。はい。だ、そこも含め。ま、聞きたいこと我々もう全部聞いていいのでまさに問答も目の前でやりつつうん。うん。うん。ちょ、ま、一緒に学んでいけたらな、リスナーさんの皆さんと思ってますんで。ああ、聞きたい。聞きたい。じゃあはい。りげさん、じゃ、まずその仏教が苦しみにフォーカスしている区とは何かっていうところからはい、よろしいですか?はい、でははい、そっから行きたいと思います。
えっと、その本題に入る前にですね、ちょっとやっぱ皆さんにあのお伝えしておくべき前提っていうのがあると思っておりまして、まず私の立場からなんですけど、え、当然ですけど僕は別にその全仏教を代表するっていう立場にはないわけですよね。 [笑い] で、そもそもその全仏教ってまになるのかいう問題もあって、全然そんなことはないわけですよね。で、さらに今深井さんもあの言及してくださいましたけど、僕は学者じゃないう んですね。え、当然そのオカルト思考でもないですし、わゆるなんかそのビリーバーでもないんですね。もうお坊さんの立場で何を取るんだっていう話ではあるんですけど、別になんかその進行をしてゴリゴリお祈りをしてっていう立場でも僕はないです。うん。え、で、どういうことかというと、そもそも仏教っていうのは僕は哲学体系、思想体系だと思っていて、それをこう世の中にどう生かすのか、自分自身がどう世界と向き合って幸せに生きていくのか。え、なので当然ですけどそのためにはやはりその仏教の協理驚愕っていうですね、え、カチっとしたものは学ばなければいけない。で、そ、え、学者さんそこがまさに学者の先生たちの面目薬場ですよね。うん。ですですね、な術論文と書籍を出していいそういうもの僕たちは参考にして、え、場合によっては直接お話を伺いに行って学んでいる。だけど僕の立場はその学者ではないですよね。私はあくまで実践者、ま、仏教者と言うべきかもしれないですけど、え、その仏教思想というものをこの世界に自分自身にどう使いこなして、え、自分を世界を幸せにするかっていうのが僕の立場だ。役割だとお坊さんっていうのはそういう役割だと思っていますので、あくまで一修行者、1実践者の私の会社 ですというところですね。ま、そこで僕が言ってるから仏教はこうだっていう、え、そういうこう完全なるこう確定みたいなのは、え、しないできたいということと同時に竜原は自分の修行体験とかからそういう風に考えたんだなっていうことは、あの、認識していただき、だから一時資料として扱っていただけるといいのかなっていう風に思うんですね。そう。ま、後でその大腸仏教とかジ部仏教の違いとかあと竜玄さんその権業と密教で行くと密教の方 ですよね。大仏教に権業と密教って 2 つ大きく分けて種類があって、密教が何かみたいな話も伺っていって、より立場がそこで鮮明になっていくと思うんですけど、ま、前提としてっくり言うとそうですね。うん。うん。そういう立場であるとはい。なので、あの、そういう聞き方をしていただけると僕はありがたいです。も、そもそもこの周波が分別れていくとかっていうのはそっから現れてるわけですよね。え、もうそこに1 つの解釈しかなかったら仏教っていうのも1 つしかないはずであって、え、上土州、上土新州とかですね、新婚集、天来集みたいな違いが現れるのは各時代にですね、その解釈をして自分の、え、修行の中でこうだと見出した方々に、ま、フォロワーがついてですね、それが、ま、歴史のターを経て残っているものが周派ですから、え、そのような解釈をしないとですね。え、この仏教を博物館の列品には僕はしたくないですね。うん。博物館に並べられてるったら怒られますよね。そう。絶対怒られちゃうんだけど。うん。でもやっぱ仏教っていうのは使いこなしてなんぼだと思う。そのガラスケースの中に入ってなんか崇め立て祭るものではないと僕は思いますから。え、そういう意味では生きた仏教っていうのを実践するっていう上で、ま、そういう考え方がありなのかと、え、いう風に聞いていただきたいと思います。うん。
なるほど。ありがとうございます。はい。で、もう1 つですね、この仏教っていうまず言葉が厄介なんですよね、実はね。あの、ま、みんな仏教仏教って言って僕も便利な概念なんて使いますけど実はですね、この僕の分類的には、え、 3+14 つの仏教っていうのが僕たちが普段仏教って使ってる言葉に含まれてるっていうことがあって、ここを認識していただいた方が混乱がないかなと思うんで、その話を先にします。え、よくですね、仏教って欲望を否定しますよねと。え、欲を捨てて清らかな行いをしなさいみたいなこと言うわ。わけだけどまさにですね、この実社会で活躍しておられる経営者ビジネスパーソンとかがですね、全部欲を捨てたらどうなるか会社が潰れます。生きていけないっていうことになる。なので、え、ま、様々な経営者の方とかが仏教に興味はあるけど欲を捨てれないんで、僕には仏教は適さないですっていう方が、ま、おられるんですけど、ここ問題なんですね。そうじゃない。仏教って実はその 1+34種類あってえ、そのを捨てるっていうのはその中の一部なんだと いう考え方ですね。実はだいぶ違う。え、ここちょっと丁寧にまずは前提なんで行きたいと思うんですけど、まずは今のですね、え、ま、仏教の思想は、え、お釈迦様ですね。え、 2500 年前の北部インドに、え、おられたゴータシダルタと呼ばれた方ですね。実材した。そうですね。とか周波なんてあるわけないですよね。うん。うん。うん。先端を歩いておられる方、お釈迦様の歩かれたね後に仏教っていうものが出てくるわけで、で、つまりお釈迦様もあのジャズセッションのようにライブだったわけですね。え、王様だったり商人だったり村人だったりと対話をして問答をして、え、こういう問いに対して、こういう問題に対してこのように考えるんだと教えてくださった。うん。うん。うん。それが、ま、仏教になっていくわけですよね。うん。隣におデさんとかがいらっしゃって、お釈迦様のその問答をですね、覚えていて、で、お釈迦様が亡くなった後にそれをこう忘れないように書き記したわけですね。で、これがお経というものになっていくんですけど、だからお釈迦様の時代にお経なんてなかったわけですね。で、この時代のことを、え、基本的に原始仏教っていう言い方をします。え、つまりその教えの時手であるところの、ま、ブッダお釈迦様がもうそこにいらっしゃるんで、何でも聞けるんですね。そうです。言葉に戻りますと、これサンスクリトですね。元々の言葉に戻すと仏教と観約されているのはブッダバーダーという言葉なんですね。で、ブッダっていうのは悟った人っていうことです。ま、ブッダですね。で、バーっていうのはその人が語った言葉っていう意味なんですね。言葉ということです。で、なぜ言葉を発したかと言うと、そのブッダは人々を教えるために言葉を語ったんで、だから観約された時に物の教えで仏教と訳されてるわけですね。これ何の問題もない。いい役だと思います。で、ポイントはこのバーダーですね。言葉の語り手、教えの時手はブッダその人。うん。うん。で、これだからオリジナルですね。ここが仏教のもう根本のソースになります。うん。え、その3+1って言ってるこの1 の部分はここですね。もう別です。はいはいはい。で、ところがですね、このソースであるところのお釈迦様って人間だからなくなるんですよね。う ん。で、亡くなってしまれた後、わかんないことがあったらまずみんなその現行録点を見るわけですよね。それでも解釈がよくわかんない。これどう取ったらいいの?この文章みたいなことは、ま、ざに起きるわけですよね。で、その困った。もういないんで、お釈迦様。うん。うん。で、その時そこで活躍したのが、え、上座に座られた、高いところにお座りになっておられた長老たちですね。え、つまり修行をずっと積んでおられて自共に認める高い地位におられた方々にみんな聞きに行くんですよね。え、ここはどう考えたらいいですかと。あるいはその点の中にないような話に自分が直面してわかんない。どう考えたらいいですか?で、それを長老たちがブッダに変わって教えてくれるわけですね。うん。うん。で、この長老たちのことをサンスクリットパーリ 5でテラーと言います。うん。で、テーラーが語ったこと教えたことでテーラバーダ という新しい仏教がここに出現するんですね。え、よく、え、いわゆる南方ジ部と言われるものですね。今の東南アジアに広がっている仏教のこと。うん。タイとかミンマーとかのね。今でもそのジョザブ仏教ですよ。そうです。はい。で、このジョザブ仏教が英語だとこのテーラバーダブッディズムと呼ばれるの聞いたことある方多いと思うんですけど。うん。にはい。え、つまりもうここで時が変わってるわけですね。そうですね。オリジナルのブッダバーダー 仏の教えだった。これオリジナルのソースですね。で、これの解釈として解釈をしてくださるのがテラー うん。で解かれた言葉バーダー だからこの時点でもオリジナルの仏教ではないわけ ですよね。はい。ま、そのたの言葉は信頼はできるんだと思うんですけど、でも本当にお釈迦様の本をうん。本来言いたかったことを正しく伝えてるかって言うとそれ分かりよがないですね。うん。なのでこの時点でも結構な断列があるわけですね。うん。うん。うん。で、さらに歴史が下ってきますと、この長老たちの推に対してそれはその員の奥深くにいてですね、え、その身分が保証されてそれに専念できるあなたたちの解釈としてはそれはいいかもしれないけど、じゃあそうじゃない、え、例えば出荷することをもしていない普通のまさにビジネスパーソンみたいな人たちにその考え方って結局役に立たなかったりしないかと出てくるわけですよね。じゃあ仏教っていうのはそういう特殊条件にある人にしか適用できない教えなのか。あ、そんなことはないよね。ていう人たちが出てくるわけですよね。で、これがマハーヤーナ。マハーっていうのは偉大なるとか巨大なっていうんですね。ヤーナっていうのは乗り物っていう意味なので、え、彼らは自分たちはそのあらゆる人を乗せて海を渡れる、え、偉大な乗り物なんだと。で、それに対して、ま、カウンターとしてですね、その長老たちの教えはうん。あなた個人用だと。それは小さいっていうことで症状とですね、ま、これちょっと差別的な言い方なんであんまりしないようにしようっていうのが、え、近のですね、え、考え方ですけど、ま、歴史的にはそういう言い方をしたわけですね。その特殊条件において意味を持つもの、それはやっぱり範囲が小さい。そうじゃなくて、その特殊条件を外して不遍的にあらゆる人に適用できる教えっていうのがお釈迦様の本意じゃないのかと。つまりやっぱりここも解釈の問題ですね。確かに、え、そのソースであるとこのブッダバーダというのにしてどう解釈をするのかっていう、ま、解釈が違うものが現れてくるわけですね。これが大と、え、呼ばれるものですね。で、さらにもう1 つこの大象の中からですね。大腸の哲学は全く問題ない。素晴らしい。その通りだ。うん。ただより実践的に行こうよ。うん。うん。え、その念だけ掲げて論理研究するだけじゃなくて実際に自分の体を使ってですね、え、その悟りっていうものを自分自身にインストールしてうん。社会に使いこなして実際にやっていこうよっていう人たちが、ま、現れてくる。で、この人たちがいわゆる、ま、私の立場であるところの密教っていうのになっていくんですね。うん。で、なんでこの秘密の密っていうのかっていうと結局ですね、この身体性が関わってくるっていうことは個人の問題になるんですね。また1 周ってまた個人の問題になってた感じですか?そうです。ちょっとね、え、ただま、その大場の論理をベースにしてるんで、適用範囲は広いんだけど、あなたがどうするかっていうのはあなたの問題なんで。ああ、あなたのやり方がだ、10 万人にみんな等しい価値を持つかって言ったらそうはいかないんでなのでその人のやり方っていうのは他の人は実は見ない方がいいのかもしれない。引っ張られちゃうんでね。あのスポーツなんかでもそうですよね。大谷選手がああいうバッティングするからってみんなね、大谷さんの言う通りにすればいいのかってそんなわけないわけですからね。[笑い]うん。1 人の問題だよね。そののんだろう変化されないって意味で秘密っていう言葉を使うようになるわけですね。うん。うん。うん。うん。で、ま、ざっとした仏教の歴史ですけど、え、この時点ですね、そのオリジナルのお釈迦様の教えうん。で、結局これは誰にも今わかんないですね。え、文献では残ってるけど実際にお釈迦様がどんなつもりでそれをおっしゃったのか分からないソースがある。うん。で、それに対する解釈として、え、上部、長たちの教え、え、そして、え、大、この不性がある教えで、その大場の中から、え、実践しようぜっていう密教、この3つの立場があるわけですね。え、なので仏教っていうのにこれが全部放がされてるんで、仏教って言った時にどれのことを言ってるのか。なるほどね。その根本のソースは、ま、別として置いとくとして、上座部、大、密教っていうこの3つの中のどの立場の話をしてるんだっていうのを明確にしないとうん。何言ってんかわかんないですよね。はい。はい。無気力であれみたいなのは上座部 ですね。解てることで大場はなんか首女を救いに行こうぜって言ってるから全然無気力であれとかも言ってないし。そうです。そうです。ま、密教とかはさらにそれをそのカスタマイ、自分にカスタマイズして実践していこうって言ってるからさ、まさに全然、ま、言ってることが大元は一緒なんだがうん。結構重要なポイントでそうい点があるからこそちゃんと派閥として分別れているしうん。そうね。今日は密教の話だよっていう話ですよね。そうです。僕は密教の立場からお話をする。ま、たまたま僕がですね、ま、縁があって密教だっていうのもありますし、ま、歴史的に言ってもですね、密教っていうのが一応最新バージョンなんで、仏教のということはそれ以前のものを全部一旦放してるんですね、人形教は。なので語れる範囲、考えられる範囲っていうのが密教が1番広いので、僕はこう密教っていうのをベースの立場に仏教に向き合うっていうのが1番、ま、こう立場を広く取れるんでいいかなっていう風に思っておりますのでうん。ま、なんか分かりやすくザ部と大場の違い僕から勝手に説明しちゃうと譲部は自らが悟ろうとする。そうですね。自分が悟ることをひたすら先認して先進っていうのをやり続けていてっていう競技ですよね。うん。そうですね。その認識対象ですよね。うん。はい。で、大仏教はどちらま自らもちろんそうなんだが主上の悟り、自分以外の大勢の悟りっていうものを対象としてうん。うん。ま、こと考えたりしないといけないねって言ってるうん。ていう違いが上座部とうん。その大場ででだから大場から見ると少女って別死されちゃう。はいはいはいはい。もちろんね、向こうには向こうの言分あると思いますけど、あのそういう認知だよっていう話を整理しておけばさっき龍ゲさんが自分がどの立場でで無気力とか言われるとちょっとそれは密教とは違うよって話。そうですね。ありがとうございを持つなとかっていうのもではそのように教えないよ。教えない。違う。はい。はい。はい。で、もう1 つ今話が出ましたのでこれも先に、え、理解だいてると早いかなって思うのがそのままさに今話を振っていただいた仏教の目的に関わるんですけどうん。うん。皆さん仏教の目的って、え、悟りを開くんじゃないって思いますよね。違うんすか?いやいや、そうなんですよ。うん。なんか日本語ってすごく、ま、あの豊かな言葉なんだけどうん。絵モくてほくて曖昧だと開くって具体的にどうなることだと思います?てなんか [笑い] パって答えられないでしょ。いや、確かに難しいね。これお坊さんでもパって答えられる人多分あんまないんですけど。あとね、他にも言葉あるんですよ。例えば下脱。うん。はい。はい。はい。悟りを開く。うん。下脱する。あともう1つネ。うん。ああ。はい。はい。バーだ。うん。至うん。うわ、なんかほぼニアリーコールで使ってた。ああ、もう1個成仏する。あ、はいはいはい。はい。はよ。成仏しろよみたいな。はい。はい。この4つ。うん。悟りを開く、下脱する、値ハに至る、成仏する。うん。これの意味の違いってバッて明確に言える人ってあんまいないんですよ。うん。うん。うん。ちょっとずつ違うんですよ。はい。違う。ここが理解しといてだけると早いかなって思ってこの話ますけど。聞いたことない。それはえを開くのはうん。ちょっと例えをしますね。その目標は、え、例え話ね、崖を登ることです。はい。うん。てします。はい。で、悟りを開くのは崖を登り切ることができる力を得るっていうことです。なるほど。力を得るなんだ。力を得るのが悟りを開くです。で、下脱するは実際にその力を使って崖を登り切ることです。はいはいはいはいはい。で、根ハに至るは確かに崖の上にも立ったんです。はい。はい。状態です。はい。で、仏っていうのがここがまさに大腸と座部の違いになってくるんですけどうん。崖を登る力を得て崖を実際に登り切るという行為を行い確かに崖の上に立った私がまだ崖を登れない人に崖を登りきる力を与えることです。あ、ええ、与えることなんですね。成仏って自分がえ、ブッていうのは他の人の区を抜く力があるわけですから。ああ、そっか。そっか。はあ。そっちになるのか。はい。だから上部の方々の目標は自分が崖を登り切った根半に至ることが目的です。なるほど。で、大場はそっからさらに進んで実際に崖を登り切った私が崖の登り方分かったから、まだそこの力を持ってない人にエンパワメントをして道を教えて崖を登らせる力を付与することができるようになった状態っていうのが成仏したていうこと。へえ。でも空海さんとかやっぱ最長さんとか完全にそれ目指してる感じありましたもんね。やっぱはい。だここが違う。ま、要はその少女って呼ばれてしまうのはお前がゴールに至ったらもうそれでいいのかよと。ま、いいんですけど。いいんだけどじゃあうん。あなた以下でまだ苦しんでる人はほっとくのうん。ていうのが大場の問いかけですかね。あなたがその崖の上に立つことができたのであれば登れずに苦しんでる人たを導いてあげたらいいんじゃない ていうポイント。ここもう1 個重要なのがその成仏の状態で他の人に崖を登ることができる力を付与し導くであって引っ張り上げるんじゃないんですね。え、ここ仏教の特徴。へえ。うん。だこれが引っ張り上げてあげるってなってくるとちょっと一心教っぽくなるんですよ。うん。ああ、救いを与えるっていうのはああ、仏教の場合には自分でやる力を与えるんです。うん。やってあげるんじゃないんですよ。ここもちょっと違うところ。面白いポイントだと思う。確かに一心教だとやっぱり神の音調なくしてうん。うん。何かを凄まじいことなし遂げるってちょっと恐れ多いというか。はい。うん。ふん。ふん。だから仏教の立場はあなたご自身でも多分できるとは思うんだけど私がアドバイスすることによってそれがもっと楽になりますよね。で、もしやり方がわかんないんだったら僕がアドバイスしますから、それで考えていただければあなたにもできるんじゃないですかっていうポジション。あの、究極自分で頑張ってやりましょうっていうことですよね。その代わり僕はフルサポートしますよっていうのがその上仏の状態ですかね。この辺も仏教の特徴だと思います。その自爆例がなんかこう浄化されるっていう意味じゃないんですね。 [笑い] そっちと思ってましたね。ね、ちょっとこのスタジオ自爆いるっぽい。何回もカメラがカメ ラ取ってくるっていう地味な嫌がらせをするクソ自爆がいるんで [笑い] さんに払ってもらおうぜとかいう冗談に言ってましたね。はい。全然違った。[笑い]違うんだ。違うんだっていうのが結構ポイントです。で、その上でじゃあその崖を登ることと今僕が例えたのが一体何なのかっていうのがその区からの脱却って話になるんです。そうだ。その区の話だからそういうにフォーカスはい。最初の質問にやっと帰ってすいません。前置きがなでも部教ってね、ここが厄介なんですよね。そのきなりピンポイントでそのトピックを話すとあれでもこれってとか、え、それわかんないとか、え、こうじゃないのって出てくるんで土台からね、こう積み上げていくとなるほどって多分でちょっとこれめんどくさいんですけど、あの、ちょっと頑張ってね、お付き合いただければと思う最初にね、マップを [笑い] [笑い] いただく方がいいですよね。はい。じゃあ区からの脱却とは何かはい。そ、そしてなぜそれを目指すのかっていう区はい。はい。で、お釈迦様ってこれから多分色々お話していきますけど、ま、仏教全般めちゃくちゃロジックなんですね。うん。もういいよっていうぐらいカチカチのロジックで来るんですよ。仏部教の本質ってね。うん。うん。でもところふってこうロジックじゃないところが出てくるのが僕は人間っぽくて好きだなって思うんですけど。うん。この仏教の根本目的ですね。はい。仏教というは一体何をしようとしてるのか。なぜお釈迦様は仏教という、ま、要は教えを解いたのか。何のためにお釈迦様はですね、修行し、何を悟り、そして何を教えたのか。これ、ま、いろんな考え方もちろんあると思うんですけど、僕なりにここだなって思うのがその区からの脱却なんですよね。で、お釈迦さんは拠点の中で、ま、こういう雰囲気のことおっしゃっておられて、あらゆる全ての生きといける者たちは皆うん。区から逃れ楽を得ようとする性質を持っている。うん。これは疑いがないなので皆そこに行けるように務めるべきだし手助けをするべきだ。で、これが前提なんですね。はい。はい。うん。だ、そこにあんまりこう例えばね、西洋のカトとかって人の幸せとは一体何だろうかみたいなことむちゃくちゃ考えるわけですよ。お釈迦さんはあんまりそれ考えない。いや、区から離れ楽を得るっていうのはみんなが当たり前にそうだよね。そうじゃないものを私は見たことがないておっしゃってる。ここからまず行きたいんですけど、え、そこは割とバクっといくんですけど、じゃあくって一体どういう定義でおっしゃってるんですすかっていうことには明確な定義があるんですね。で、あの、ま、普通にね、日本、日本語ってやこせて本当にあの古い話ですけど、見と肛門とかね、人生楽ありゃ雲あるさみたいな。エモいエモいんですよ。うん。なんかそうだよねってなるんだけど、そんな話してるんじゃないですか、仏教はね。でも言葉同じ。なんで難しいんですけど、普通パって食って言うと、ま、も分かりやすく英語で言うとペインとかね、ストレスみたいなね、サファリングとかね、フィアーとかね、なんかそういう感じの、ま、ネガティブなことっていうイメージで、ま、別に間違ってないんだけどうん。うん。もっと精密な定義で、え、ま、お答えを言うと認識力があるものですね。ま、つまり生命がうん。何かを望みうん。欲しう。そしてそれが叶わないうん。得られないということによって発生する心理作用なんですね。うん。うん。うん。で、その叶わない、得られないっていうことだけではなくてそこからなんかお気持ちが発生するわけですよね。うん。うん。やだ。そう。だからすごくしょうもないことから超級のものまで全て区に入るという。 [笑い] そういうことですね。例えばなんかなんだろう。もうお腹空いてはい。今日の昼飯食いたいのにまだ収録があって 12[笑い]時なのにうん。うん。今はいけないな。このはい。ちっちゃいですね。ちっちゃい。めちゃくちゃどうでもいいけどちっちゃいだし。はい。はい。はい。あのもうマジで生きるのが超辛くてはいはい。もう自分が全く誰にも認めてもらってないし本当毎日死にたい。これもです。どっちもクッとしてえっとそのお釈迦様は定義していると。そうです。今のは規模のまず差がないって話。差がないというかなんか食って言うと僕の中だと結構苦しいやつを食だと思ってる。うん。なんかまあまあなんか例えばちょっと常ってあいたみたいなのはなんか苦じゃないっていう感覚があったんですけどくです。くですよね。はい。定義的にはね。定義的にはあの、ま、ねられたかったら食じゃないけどねられたくもないのに急にちょっと詰ねられて相いてってなったらこれでさえ食うなるほど。ほんと蚊に食われるとかね。そうですね。痒いの嫌なのに痒いみたいな。マジでどうでもいいんだけどでもくで寒い。部屋がちょっと暑いとか。あ、ま、まさにまさに。もうく。寒い。あ、ちょっと寒くだから一切くってそういうこと。そう。あの、全てのあり方の中にこれね、全てがくだってお釈迦さん言ってない。全ての物事の中につがる可能性っていうのがゼロになることはありえない。なるほど。うん。全ての物事の中に種はある。うん。発動する可能性。そう。可能性は絶対ある。そこから逃れることは絶対にできないっていうのが一う。可能性がある世界に生きてることから逃れることができない。そうですね。意です。はい。で、その中でそのくっていうのはだから不可費なんですね。生きてる以上はつまりそのうん。望んで干して叶わない。得られないで望むするっていうことがゼロになったらくはなくなるかもしんないけどそれってもう生命じゃないですよねってなってくるんで。え、それはもう不可費。ただその区の成手、区が満てくる、区が完成するっていうのは避けようでお釈迦さん言ってる。その完成って何かっていうと、え、さっき深さんの例えにもちらっとありましたけど、絶望の方に向かっていくっていうことですよね。なんか、あの、うん、痒いのやだとかなんか雨降っててクシーたいのにタクシーないみたいな。そんな区は、ま、ある意味どうでもいいんですよ。しょうがねえなつって終わるわけですからね。待ち合わせ遅刻しても怒られて終わりみたいな話なんだけど、それがですね、例えば人生を左右するような重大局面で何かやらかしてあ、終わった。みたいな。あ、でも絶望に行くわけですよね。ちょっとお腹減ったぐらいやったらまあいいわ。だけどお前一生も食わせねえぞって本当にそうなるってなったらこれ絶望ですよね。でこの絶望っていうのが発生して何がいかんかと言うと絶望はやっぱりねつがるんですよね。暴力。はい。あのに向かって自分の方に向かってくるとほとうつになるとか完全無気力とか引きこもりとか最悪の場合には自っていうことになるしまそれも暴力か自分を痛めつけてるわけですからね。はい。で、に向うと本当に殴ったりとかなんかったりとか最悪のテロリストになってですね、たくさん人殺すみたいなことになっていくので、この絶望の方に区が向かっていくと世界は悪くしかならないんで、で、そっちに行くのをなんとか回避しようっていうのが結構仏教の大きなポイントだと思う。何でもそうなり売りますよね。例えば本当に雨の日にタクシーが捕まらないこと1 点を持ってその暴力レベルにまで発展させることは可能自分の理で僕とかすごいイらつきやすいタイプで本当に自分僕本当メタ日認知能力は高いけど高い結果ですね自分がしょうもない人間かすごい理解してるなと思ってるんですけど [笑い] 分かるわかるわかるわかるわかるわかるわかるなやばいやべ怒ったくですに対してのストレスいえからいいで [笑い] 本当にしょうもないんですけど、菊さんの多分ね、1/3 ぐらいの人間なんすよ。[笑い] いや、わからんけど。ちっちゃい。だいぶちっちゃい。みじこぐらいなんですけど、ま、なんかそこですごい自分が感じてるのが本当にしょうもないことですごくちゃんとストレス持てる。確かにな。で、そのストレスって脳価科学で言うとその神経の炎症なんですよね。脳神経の炎症だっていうの犬井先生っていう方から脳価科学の先生から学んでうん。そう。要は起こす必要もないを僕は起こし続けていると。そうか。それはまさに自分に対する暴力であると言えるなと思うんですよね。うん。なるほど。うん。うん。なんでほ、確かになと。確かにね。その身体的な暴力がなくても怒りがつふつた時点でもうメンタルに良くないもんね。そう。例えばお腹が空いてるのでもさ、例えばいいやなんかどうにでもできるじゃん。例えば存な自我とかを持てれば私のような人間に12時にもなってご飯を提供しないとは何事だっつって切れることは可能じゃん。確かに。で、そのような自我とそのなんていうか認識で生きていてストレスを貯め続けてそれが自分の暴力にもなっているし、ま、なんならその言い方って他者に対する暴力にもなっていてで、それがもう全く何のメリットもなく、いや、そもそもその生物というのはそういう状態求めてないでしょ。うん。うん。うん。うん。で、そうならない方がいいんじゃないと。で、同じ現象が起こったとしても、その、そのように捉えてそういう風にストレスを、ま、ストレスのことだけを言ってるわけじゃないと思うんですけど、くっていうのはうん。うん。うん。そういうなんていうか、くっていう悪い心理作用の方に持っていくことも可能だしうん。持っていかないことも可能じゃないと。うん。うん。うん。うん。そこ人によって違うしじゃんみたいな。うん。うん。お。いうこと超単純化するとまず出発点としてそういうことをそうですね。そのゴダルタさんが言ってるとはい。いうことですよ。なるほど。で、そのの概念が今度楽なんですよね。で、楽っていうのもなんかほとちょっと楽しいとか嬉しいとか楽チっていう意味ではないんですよね。あ、いや、めっちゃ楽チのイメージありますよね。何もしてやることないと。そんな感じですよね。義ない状態であ、楽とか、もうリゾートでほゲほゲしてるような感じっていう風なイメージ持ちますけど、そうじゃない。え、区の大概念なので食ってもう1回整理すると求めて望んで得られない。え、叶わないことから発生する心理作用がです。で、楽はそれの逆だから、つまりこれ以上も求めるものがない状態、満ちたり足りている、満たされている状態のことをさ、その状態から発生する心理の作用ですよね。だ、本当にお腹が減ってた時に自分の大好きなものを出していただいて本当美味しくて、で、ま、その食べさせてもらった環境も良くて、食後のお茶も美味しくて、うん。もう道足りたっていうになんかあえて違う欲求がバーンって湧いてくるって普通ないと思うんですよね。想像していただいたらそうですよね。めちゃくちゃ本当に求めてたもの食べてお腹いっぱいだうわ美いしかったねつってめっちゃディズニーランド行きたいみたいな [笑い] その瞬間にないんですよね。ディズニーランドに行けなかったらどうにかなってしまいそうだみたいななんかそうそういう欲求ってわかないじゃないですか。だ、本当にあの満足の中でこれこれが毎日永遠に続けばいいよねし続けて、え、そっからそういう心理が立ち現れてるっていうのが楽の状態なんで、で、そう言われるとあらゆるものは生きとしけるものは区から離れ楽を得としてるっていうのはそうですよね。いや、本当にあの昆虫とかバクテリアとかでもそうじゃないですか?彼らなりにね。そう。うん。そうですね。で、人間の場合にちょっと高なんでよじれることが可能なんですよね。そうです。ので成長のためにストレスが欲しいとか社会のルールとか。これめちゃくちゃおもろいですよね。だから生き物である以上何かを能動的にやってるから生き物であるわけだからもう全く一切動かない生き物ってうん。いるかもしんない。生命とでもそれはかっていう話。そうですよね。なんでそのウイルスでさえ、ま、こう被して移っていったりしてるっていうその濃動性がある方向性とベクトルが存在していることがもうすでに楽というジャンルが存在しているという言えるよね。指摘してるってことですよね。うん。ストレスが欲しいと成長のたにね、例えば筋トレなんかもそうですね。あれ何やってかわかんないじゃないですか。筋肉痛痛痛痛いんだけどでもそれを求めてるわけだからじゃ筋トレしたい人にいや筋肉痛むからやめた方がいいよって筋トレさせないってなると苦を与えてるわけですよね。うん。だ人間ってその後等さがあるからちょっと話が難しい。ボディビルダーに筋トレ禁止したらよほどの区でしょうね。リやもんな。 [笑い] 存在否定だから楽すぎて苦になるわけですね。いや、そういうことですよ。だ、つまりそのよくこれも誤解があってなんか仏教は空を否定するって言ってそんなことしたら成長とかがないから俺その考え方やだっていう人いらっしゃるんだけど [笑い] じゃだだだそういうことなんですよっていう話なんですよね。 [笑い] あなたは成長のためにある程度のストレスが欲しいなのにそれが与えられないのはだっておっしゃってるわけだから仏教を適用するんだったらじゃあなたに適切な成長のためのストレスが与えられるようにお手伝いをしましょうねっていうのが仏教なんでこの原則っていうのは多分変的に当てはまるはずなんですよね。うんうん。なるほど。なんかね性癖とかもそっちにで考えるとか分かりやすいなってるね。あ、と縛られたみたいなね。欲求ってたらあれですけど、普通やりたくないのを求めてるっていうあれが仏教の概念でいくと叩かれてるのが楽になるっていうことですね。それでうわって気持ちいいってなってたらそれは楽うん。はい。はい。はい。という定義になるという。これで整理すると暗くっていうことがどういうことかっていうのがだいぶわかる。はい。はい。で、その中でその楽の方は今ちょっとその東索の話がありましたけど、めちゃくちゃバリエーションあるんですよね。その何にその人がそう、そう、同じ人でも状況で変わるわけじゃないですか。さっきまでは腹いっぱいでハッピーだったけど、もう、もうそれじゃなくて、まさにディズネランド行きたくなるかもしんないし、SM クラブに行きたいかもしれないし、その楽の対象っていうのはコロコロコロコロ変わるんで、なので仏教のアイデアとしてはその楽は追求してもキりがないから楽を妨げるものにフォーカスした方が分かりやすいんじゃないっていう話ですよね。つまり楽はこれ以上求めるものがない状態から現れる。うん。で、はめん叶わないてかられる。じゃ、そのっていうのをり払うことができたら満たされた状態に移行するわけじゃないですか。なるほど。うん。なのでその何を喜ぶかは分からないんで、その喜び楽を妨げてる区っていうものにフォーカスしましょうねっていうので、え、仏教っていうのは区の方にこう目線を生かすわけですね。なのでそのいわゆるペシミズムじゃないわけですよね。うん。論者ではなくてくっていうものにフォーカスをすると現実的にその生物万物の生物が求めてそうな方向ベクトル持ってるベクトルの方に行けるんじゃねって悟った人が言ってたってことです。なるほどそういうことですね。で、それがま、え、観約協点では言葉としてバック予楽特っていう言葉になるんですね。え、抜く苦しみでバック ですね。抜く区を抜きましょう。うん。で、与えるあのですね、与するのに楽と書いて、え、楽、バック、楽を抜き、楽を与える。うん。で、これは自分から他者に対してですね、あなたにある区を抜いてあげましょう。あなたにない楽を付与してあげましょう。ですね。で、もう1 つ追ってる陸特、これ離れるくうん。得る楽な。これ自分自身のことと解釈したらいいと思うんですね。私に今ある区から私が離れる。うん。うん。で、私に今ない楽を私が得るっていうことだ。つまり自に区から離れ楽を得ていく。うん。さっきのあの崖の登るやつがまさにまさにそうですね。対応してるわけですね。うん。うん。うん。で、このバック予楽ら陸とク楽が一致した境外願い祈りのことを慈悲と言うんですね。お慈悲。うん。でとっていうのは実はこれ違う概念なんですね。え、サンスクリット語を観約した時に中国のその翻訳した人が多分1つの言葉にまとめて作った言葉でオリジナルのサンスクリクトパーリンという言葉に慈悲っていう言葉はないんですね。字と火がある。うん。で、字の方は喜び楽を与えようっていう心が自の心。うん。で、火っていうの、ま、悲しいとされてますけど、火の方がそこにある苦しみを取り去りましょうっていう心が火なんですね。で、これはベクトル的に一緒でしょ。マイナスを0に戻しましょうがですよね。で、0 からプラスに積み増してきましょうっていうのが字だから方向が一緒だから多分翻訳した人は慈悲っていう風に1 タームにまとめたんだけどで、それちょっと輪郭がボケてしまったんですよね。え、本来は字とっていう概念だと取るべきであってなのでこれがバック予楽得楽が慈悲なんですよね。その区を抜き楽を与える。これが慈悲です。で、これを原則に世の中に生きていきましょう。自分の行動のチョイスっていうのを考えていきましょうっていうのが僕は基本の仏教だと思っていってうん。うん。ちなみにさっきあの龍玄さんがそのなんていうかこう成長したい人にまその人の楽っていうのは成長する方向でくっていうのが成長できない方向である。ま、ある程度の負をかけたいで、その人にそのその成長の方向性みたいなのを伝えていくのが仏教だっていう話されてたじゃないですか。ま、一方でなんか自分が勉強してる限りはあの導入だから単純化してくれて言ってると思うんですけどなんかこう執着の話あるじゃないですか。うん。うん。要はその成長したいうん。すぎて執が生まれうん。そのトラップされ続けるというか、その求めても得られない。ていう状態をまさに再現し続けるっていうことを取り除くっていう感覚なんでなんかそこうまく伝わるといいなと思ったんですけど。そうですね。これがその次の段階ですよね。じゃあどうやって区から離れるのか。はい。はい。はい。ですね。で、唐突ですけど、その話次回にしていいですか?いい時間なんで。おお、なるほど。あ、もうそ、そんな時間か。50分ぐらい喋ってますね。[笑い]そうなん、分かりました。すいません。もう前提だけで一番終わってしまった。え、いや、まず大事なところから。はい。はい。じゃあ次回以後も引き続きお願いします。ありがとうございます。よろしくお願いします。株式会社古典の活動は皆さんの古典来る日によって支えられています。僕たちの活動を応援したいと思ってくれた人は是非画面のアイコンから古典クルーに参加していただけると嬉しいです。お願いします。お願いします。