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「気合」や「根性」の本質は?

為末大学 Tamesue Academy10:34

Transcription

はいたせ大学の質問コーナーです。

「質問です。いつもたせさんの配信で刺激をもらっています。試合や試験など、結果が明確に出る勝負事における気合や根性の本質は何だと思いますか?また、それを高める方法はあると思いますでしょうか?」

私は、その時点の健康状態が良いほど、その人が持つ気合いや根性の最大値を発揮しやすいと考えます。一方で、気合や根性の最大値を高める行動があるというより、元々の性格、環境因に左右される部分が多いのではないかと考えています。ちなみに、短期間で発揮されるものが気合や根性で、長期的に発揮されるのが執念、執着ではないかと考えています。もしご興味を持っていただけたら、書いていただけると幸いです。

これは面白いことを考えられますね。というか、私にちょっとなんとなく思考プロセスが似てる感じはしますけども、気になるんですよね。気合と根性の定義とかね、本質がね。

えっと、私なりのですね、え、考え、もうすでに考え終わりだと思うんですけど、お答えするとですね、ま、気合と根性って呼んでるものは、うん、ま、おっしゃるようにですね、なんか短期的な執着心っていう感じがするんですね。でも、もうちょっと言い方すると、焦点をこう定めてですね、で、ま、自分自身の方の心の動きっていうのを一旦なしにして、この焦点に向けて全部のリソースを集中させることができ るっていう、このことを気合いと根性って呼んでるように思うんですね。

で、これ面白いことに、世界中ですね、気合と根性っていう言葉を出すと、多くの場合がですね、この腹に関する言葉を言うんですね。英語でもガッツ、フィーリングガッツって言いますけども、ガッツとかよく言うんですけど、ま、内臓ですね。なんか、なんとなくそれが定まってるとかですね、腹って言葉、確かロシア語でもそんなだった気がしますけど、そういって言う。そうなんですね。やっぱりなんとなく人間って腹が決まるとか、腹、腹、腹で、なんて言うんでしょうね、こういうものは、ま、決めてるって感覚あるんでしょうね、頭よりもですね。

で、ま、本質はおそらくだから、焦点を定めて、それが短期管理的でですね、ぶれないようにできることなんだろうと思うんですね、我々。それを外から見たい、根性が諦めそうな局面でも諦めないとかですね、え、瞬間的に、なんかこう集中できてる、とか、そんな風に言うんじゃないかと思います。

で、のですね、健康状態が良いほどっていうのも、これも正しいと思います。私もそういう風に思います。で、定めるこ、最大値を高めるこのは、元々の性格と環境飲、これも私も第3世ですね。で、環境因子じゃ何、元々の性格ってどういう性格かとか、環境象は何かかって言うとですね、やっぱり一て物事に対して執着しやすい性格ってのがあってですね、で、それが結構気合い根性系なんじゃないかなと思います。

ま、性格で言うと、ADHDっぽいよりは若干、ASDでしたっけね、自閉傾向がある人の方が気合と根性がありそうだけれども、ただADHDははまるとはまるんで、私はま、そっちでしたけど。そう いう人間にとってみると、ほとんどのことはすぐやめちゃって秋っぽくて気合と根性なく見えるのにある領域だけ異常に集中してる。でもそれ気合と根性っていう風に見えるってよりも、完全に没頭していて、周りから音が聞こえなくなってる状態っていう風に見えるんじゃないかと思い ます。ま、没入っていう感じですかね。私の人生も気合と根性はあんまなかったんですけど、没、没入はすごいあったなという感じがしてますね。

ま、なんかそんな風に色々、あの人の性格によってハマり方とか、そういうのはあると思うんですけど、ま、なんとなく大変な状況とか困難な状況でもそれを切り開いていくっていうことは、没入でいくのか、もうちょっと客観的に諦めちゃいけないと思っていくのか、ま、若干なんか執着をして、これだと思ったらそっから焦点がえ、外れにくい性格なのか、ま、そういうもので決まるかなと思います。

で、だけどこれらの奥にもう1つあるなと思ってるのは、やっぱり私、自己肯定感だと思うんです。で、自己肯定感って最近ですね、ちょっと乱用されるようになってるなと私 を思っていて、え、自己肯定感を鍛えようみたいな話があると思うんです。私、それは自信じゃないかと思うんですね。で、自己肯定感 はもうちょっと本質的で、でもうちょっと残酷だと思うんですね。つまり、自己肯定感をある年齢までに得られなかった人は得がいんじゃないかと思ってます。得られるんだ けれども、得がたいものじゃないかと思い ます。

で、それ自己肯定感って言い方を変える と何かって言うと、私は素晴らしいとか何か ができる、これはやれるにしいないと思うと かっていう類いじゃなくて、どんな私であれ、私は素晴らしいとかですね、どんなか形で あれ、私は私でいいのだっていう腹落ち感 っていうんです、不感で。そうすると何が起きるかって言うと、社会的な評価と自分の存在感が一致しなくても構わなくなるん ですね。で、試合で負けたりとか、ここで諦めたりとか、なんとかするっていうこと自体が自分の存在とあんまり関係がなくなるんで、ま、非常にそれが、え、まあ、なんて言うんでしょうね、強く見えるって感じですね。

これ前半はですね、このやっぱりコンって非常に大事で、コンプレックスがある人の方が気合いと根性があるように見えるんですね。なぜなら頑張るので。でもちろんそのままサバイブして人生の最後までこの気合と根性があるタイプで、幼少期に強烈なコンプレックスがあって、それを覆すためにやってくっていうモデルもあると思うんですけど、ま、そうじゃなかったモデルの場合は、どちらかって言うと頑張れるっていうことを、なんて言うん でしょうね、頑張ればできるんだとかですね、え、1番大事なものは失わないんだっていう確信がある人の方がやっぱり諦めないで頑張れるわけですね。

で、どっかそこが揺らいでる、つまり、最後に最後にやっぱり私はダメなんじゃないかとかですね、1番大切なものは外にあって、それを失ってしまうんじゃないかとか、そういう感覚がある人はやっぱなかなかこの気合いと根性が埋められがたいような気がします。で、その場合はやっぱ徐々に徐々にですね、確信を持ちながら高めていって、え、気合と根性得ていくのかなという風に思ってます。

で、やっぱりこれ、ま、簡単に言うと、私気合と根性ってグリッドってあのダックワースさ んていう方が言った、え、日日能力の表したものですね。これ興味の一貫性、え、だっていう風に言われてますよね。興味が一定してて、それが一定期間続くっていうのがグリッドだと、ま、キト根性だと思っていいと思うんですよね。だからそういうものを、ま、しっかり、ま、身についてる人ほど社会的な成功をすることは多いです。という風に言ったものになり ます。

で、私はこれ気合と根性はじゃ鍛える、自分ならどう鍛えるか、自分はどう鍛えられてきたかって言 と、私の人生で気合と根性が鍛えられるような局面は外的にですね、もたらされた局面はほぼなかったと思い ます。で、だけど一般的にはすごい頑張ったと言われること多いんですけど、それは何か って言うと、基本的には自由にしてるんだ けど、けれど も1番大事なものを獲得するにはやるしか ないんじゃないかっていう風に自分で思ったっていう感じなんですね。

だからこれ習慣的に気合と根性が身についた人もいると思います。それ環境的に絶対諦めちゃいけないっていう風に言って、諦めるってことに 対して考えたこともないと恐怖感を持って頑張る人ってのいるわけですね。で、これ結構、ま、これもこれで大事だと思うんですよね、教育では。だけど本質的にその人にと根性が宿ってるわけではなくて、自分の心がどうあれ、諦めちゃいけないんだ、諦めるなんて許されないんだってのをすり込んだっ てパターンのですね、結構これ大人の人多いんですけど、気合と根性系で。

でも私の場合は、ま、諦めてもいいかってどっか思ってるんですけど、でもこれやるためにはやるしかないじゃないかっていう、ちょっと能動性のある気合と根性なっていう感覚があるん です。なので、なんか、うん、私 は小さい時に我慢させるとかっていうより も、ま、自由にしてるんだけど、本当に大事なものがあった時にそこにガっと焦点を当てて追っかけ続けてくドライブかけさせていくっていうことが、ま、大切なんじゃないか なっていうのを思ってますね。

でもう1つ、案外大事だなって思うのは、これ私の友人から聞いたんですけど、イギリスの、え、ま、比較的貴族階級っとかアッパークラスの人たちの四則が入る寄宿者ですね、ま、量があって学校に行くっていう、ま、ハリーポッターみたいな、ああいうとこに行かれた方が、え、ま、1年に1ヶ月かなんかそこの、ま、イギリスですからね、寒いですけど、隙間かがある量に過ごして、で、食事を減らして、寒さと上を1ヶ月体験するっていう、ま、超非科学的かも しれないですけど、そういうことやってるそうなんです。今わかんないですよ、10年、20年前はやってた。なぜかって言うと、結局そういうお腹がすく、寒て時に人の意思は揺らぐから、その瞬間に揺らがないようにするためには、そういう環境を作るしかないって いう。

これななんか社会においてはですね、私いつも矛盾するなと思うんですけど、基本的な教育ってのはだんだんそういう、ま、自由に子供たちの自由に選択して縛るのやめてこうって感じなんですけど、本当のアッパー クラスの教育に入ってくと、むしろ昭和型っていうか、人生において困難をやってくるんだから、その困難を疑似的に作ってですね、を乗り越えさせるっていう教育が案外あってですね、これイギリスだけじゃなくてその 他の学校でもですけど、なんかこの辺皮肉だなって思うんですね。本当のリーダーになろうと思うなら、結局ハードシングス、あのそこを経験するしかないっていうのを経験則的に分かっていて、それが教育プログラムの中に組み込まれる、組み込めるのは何かって言うと、それに合意した親たちがいるから遠慮せず組み込めるっていう、このなかなか社会とのバランスの難しさは感じますかね。

とても面白い質問ありがとうございました。