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【前編】創業8期で売上310億円 渋谷の新世代 事業創造マーケティングカンパニー ナハトの社長 安達友基の告白 |

ワンキャリア転職14:30

Transcription

皆さんこんばんは。ワンキャリア転職 ナビゲーターの福田のり子です。今回は 社長インサイト渋谷で働く社長編です。

今夜ナビゲートするのは異常なスピードで 成長している株式会社ハです。 スタジオにはナハから代表取締り役である 足立さんにお越しいただきました 。よろしくお願いします。お願いします。

今日は様々な人生の意思決定の瞬間について色々伺っていきたいと思ってるんですけれども、 まずどんな学生でしたかというところから伺いたいと思ってます。 大学の時は飲み沢の代表やってました。 飲み沢の代表。 当時で500 名ぐらいいるのみサークルの昼間やってて、 夜は西ブのバーで働いてました。 おお、いい経歴お持ちですね。 かなりその頃からコミュニケーション能力は高そうですよね。 どうなんすかね。なんかちょっと好点的にそれできないとお金もらえないみたいな場所で働いてたんで学んだっていう感覚はありますけど。 え、それは小さい頃から会話が上手だったわけではないということですか? じゃないと思いますね。あんまり中高校とかでみんなから好れるキャラではなかった気はします。 でもそこでどうやってそのコミュニケーション能力ってわれたんですか? モテたくて。 あ、いい。ま、ある意味純粋な同機ですね。 それは、ま、あの、女性からっていうだけではなくて、多分男性からというか、 大学生になった瞬間になんか高校生とゲーム変わるっていうか、 圧倒的にコミュニケーション能力っていうのが最も重要な能力に来るじゃないですか。 そうですね。 それをひしひしと感じまして はい。 これはちょっと頑張らねばなと。

そこからこう大体の人は就職するわけじゃないですか。 うん。 そのタイミングで留学されたんですか? ほとんどお酒しか飲んでないんですよ。なんで就活の時に話せる話があまりになくて、当時の認識で言うと飲みサークルで代表やってることだったり西ブでバーテンをやってるってことはあの就活のネタにならないと思ってたんですよね。ちょっとこれネタ作りに留学に行こうと思って行きましたね。 その時はどちらに ニューヨークアメリカが世界の中心だって当時って とりあえず中心の中心であるニューヨークに行こうみたいな本当短落的な理由で行ってみたみたいななんか英語を学びに行ったんですけどニューヨーク行って語学校とか単大の隣に座る学生が僕の友達は人を殺してメダルをもらってるんだみたいな すごいエピソードですね。 戦争戦中の国とかなんかそれ聞いた瞬間になんか前薬の定義みたいなのが 1 回こうパンってなったのはニューヨーク行ってよかったなみたいな。 ああ。1 回自分の常識の枠を飛び出してしまったっていう形なんですね。 うん。てかそれが1 番ニューヨークで学んだことで大事な話だったのかなとは思いますね。

そのニューヨーク生活でもうどういった生活されてたんですか? 地獄。 地獄。1年間 体重80kmぐらい あるんですけど、当時は 53kg ぐらいしかなくなっちゃったんですよ。 うん。 うん。 本当ガリガリで、とりあえずお金もないで行ったんで、で、物価高いじゃないですか。 そうですね。 あの、どう考えても月10 万も使えないような状況でシェアハウスの一質が 9万5000円するんすよ。 うわあ。 で、残り5000円生活みたいな あの、1ヶ月1万円生活どころじゃない。 そうです。そうです。めちゃくちゃ痩せて 1 年経って空港ついて親が迎えに来てくれたんすけど、親にギュっと抱きしめられました。 いや、本当ですよ。送り出す親のみからしたら何があったのってなりますよね。その間 その生活で楽しかったですか? 楽しくはないですよね。 いや、でもあの友達が増えるんでで、ま、奢ってもらったりしてなんとかして真ん中飲み行くとかはい。

で、そのニューヨークを経験されて戻ってくるタイミングとかは うん。 ちょうど1 年行って帰ってきたんですけど 1 年経ってるんでまた就活の時期終わっちゃってたんですよね。 あ、なるほど。そういうことですね。就活終わりぐらいに行ったからまた就活終わりに帰ってきちゃったってこと。 そうなんですよ。 で、これがひどくて僕の当時にすごい新卒の一斉のタイミングがずれまくってるんですよ。 分かります。私もあの、生まれ映が 2年ぐらいなんではい。 そうですね。ず、めちゃくちゃずれて、 ずてたじゃないですか。で、もうわけわかんなくなっちゃって、 で、気づいたらまた就活の時期を、新卒の時期を逃し、 さすがにもう1 年じゃないなと思って、しっか卒業はしながらもまたバーテに戻るっていう。

ここまで聞いてまだ全然こう企業の気配が見えてないんですけれども。 そう。そうすね。 うん。バーテンになられた後はどういう風な流れだったんですか? いや、そのバーでバー店やってたんですけど、そしたらお客さんでなんかどうせやったら勇気会社やってみなよ言ってくださるお客さんが で就活もうまくもちろん行ってないんで、ま、もう目の前のものに飛びつくじゃないですけど、ホイホいついていったっていう感じで 1社目の起業をしました。 ね、 どんな会社を立ち上げられたんですか? ブロガーの報告のサポートをする会社を立ち上げましたね。 今ほどSNS がまだそこまで来てなくてブログで稼げるっていう人たちがいる時代ですよね。 うん。すごい調子も良かったんですよ。かなり僕 1 人しか社員というか、ま、いないんですけど 1000万ぐらいADリておみたいな。 すごいですね。 ヶ月後ぐらいから調子良くて で、結構2 年かちょっとぐらいやってて結構会社お金貯まったんじゃないかなって思ったらオーナーと音信普通になって騙されてるわけじゃないんですけど経験はま、僕にないんで食もなくなるみたいなお金もないみたいな感じにもう 1 回戻るみたいな。 なるほど。そんな人生ゲームの振り出し戻るみたいなことあります? あ、結構僕の人あるっす。 何でもノりでやっちゃってるん正直今思うとあれがなかったら企業も経験できてないですし、こういう人生もなかったなと思うんで、ま、今はもう感謝しかないかなみたいな。

そこからまた次に向かって動き出すわけですよね。 うん。 ま、色々あったんすよね。だ、 6 ヶ月ぐらい遊んでたんすよ。実家暮らしだったんで。 なるほど。 ま、ちょっとバイトしてパチンコ打って で、夜麻雀して、 もうそのなんかな、何て言うんですかね、あの、今のあのお姿とのこう楽さが本当に興味をられると言いますか。 でもなんか大学生ってそんなもんじゃないですか。是非、あの、味わっていただきたいんですけど、 最初の3 ヶ月ぐらいめっちゃ楽しいですよ。 はい。けど後半3ヶ月ぐらい逆になんか 嫌な気持ちになってくるっていう か、あ、なんか微妙な人生送ってるし、 これ30まで続かないのも分かってて って いうのがなんか嫌で、で、とある日に 同い年ぐらいで経営 者やってる 知り合いにこうこうで今いてみたいな、え 、めっちゃもったいないよみたいな。ゆき 君だったらいつでも雇うのにみたいなで 言ってくれたんですよ。で、俺その瞬間に 人によっちゃ雇ってくれるなみたいな。 うん。 いてな、ちょっとやる気出てきて、じゃあどうせ今から起業して何もうまくいかなくてもそのままそっちの会社入るも後からできるなみたいな。ま、負けて会なみたいな。勝ったプラだなみたいな思ってそんなマイナスないゲームないじゃないですか。ま、そこなんでもう なんでま、1 回やってみるかみたいなのを、ま、親に伝えてそしたらなんか、え、あんた就職してなかったのみたいなぐらい興味ない親てか、ま、任せてるよみたいな。でもあんたがやりたいんだったらいいんじゃないみたいな。 で言ってもらったんで、これいけるなみたいな。とりあえずやってみるかみたいなんで、地元の後輩 1人誘って はい。 カフェで1 番最初の仕事をやり始めたっていうのが創業のきっかけかなと思います。

それが今の仕事ですか? そうです。そうです。そうです。 今どこにSNS に気づくタイミングありました? いや、なんかちょうどそのブロガーの時のサポートでマーケティング自体は 2年ぐらいすごい学んでたんですよ。1日 16 時間勉強しながら、えっと、仕事もするみたいなのをずっと繰り返してたんで、なん、マーケティングに関してはちょっとできるようになってたんですよね。 で、ちょうどInstagramが Instグラマーみたいに言われてて、で 、やっとなんかinstグラamがお金 稼いでるみたいなのが世に認知さ れ始めたぐらいで参入したって感じなんで 、それもなんかなんとなくというか、あ、 いいかもみたいなやったらうまくいくかも なってやったらやっぱなんかとりあえず 飛び込むっていう飛び込んだ後に考える みたいな。 ま、でも今こう喋ってると確かにそう今喋った話が 234 歳で完結してるんで、ま、めっちゃ行動はしてるんだと思うんです。 そうですね。 うん。 あんま覚えてないですけど、とりあえずなんかやってみようみたいなはあるかもしんないですね。

とにかく回してみようで始まったこのナトの SNS マーケの授業ですけれども、他者とこうちゃんと 差別化して始めたっていうような形だったんですか? もうもうすに結構業者さんはあって、 ただ結構当時お金の見払いとか広告主さんから代理店はお金受けて仕事は行われるけどインフルエンサーさんに払われないみたいな結構多くてなんか疑震暗期になってるインフルエンサーさんが多かったっていうのはありますね。 やっぱりそこは人を大切にしなければいけないという思いがその当時からあったことですか? うん。え、どうなんすか?普通じゃないですか? いや、そうなんですよね。本来であればそれがあるべきだとは思うんですけど、ま、どうしてもこう自分のところのビジネスを優先させてしまったりとかっていうような状況がその見払いとかに繋がるのかなっていう気もしなくもないんですけど。 うん。 ま、裏切られるのが辛いっていうのは結構身に染みて分かってるんで、なんか、ま、そういうようなしたくないなみたいなはありますよね。

そこからこう徐々にいろんなところに、ま、毎年経験値を積んでいくわけじゃないですか。 どういった密筋を当初描いてらっしゃったんですか? あんまないすよね。 なるほど。 明日食うお金がなくて困るわけじゃないですか。 だからとりあえず仕事するで仲間も呼んじゃったから仲間も食わせなきゃみたいな 。また仲間が仲間読んでくるからまた仲間 も食わせなきゃみたいなのをとりあえず 繰り返すしかないじゃないですか。って いうのが本当に最初の5近目まではもう 以外あんま考えてなかったすよね。ちなみに にどうして渋谷を選ばれたんですか?IT 企業なんだと思ってです。 そう。 で、あと僕の実家が渋谷の山駅隣ぐらいのとこだったんで、ずっと渋谷に遊びに行ってたみたいな。なんか渋谷に会社とかあったらすごい幸せだなって自分個人も思ってたし、 Google あるらしいみたいなとかなんか大きい会社があるらしいみたいな聞いてじゃ渋谷じゃないみたいな。ポジティブな話で言うと渋谷は多分日本一広告が多い町だと思うんですよ。 1 番世界に発信されるのって渋谷じゃないですか? そうですね。 皆さん本当にスマートフォンで今撮影されてますもんね。 うん。てなると、ま、そこに広告の会社があるっていうのは、まあ、 1個、 ま、落ちとしてはいいのかな。でも当時は何も考えてないですよ。とりあえずみんな来やすいだろうし、そこがいいかなぐらいの気持ちでやってるって感じですかね。

1 期目から3 億円っていう数字が出てますけれども、そこもやっぱりこう視聴者の皆さんはすごいって思うところだと思うんですよね。 うん。 どういう風に感じらか? あんまりすごくないんじゃないかなみたいな。そうな。 業界的に、ま、飲食店で 3 億円とかすごいと思いますよ。ま、業界による、ま、広告事業で 3 億円ぐらいだとまあるのかなっていう気はしますけどね。 そうするとその1期目終えた時も うん。 まあまあこう頑張った分稼いだなぐらいの気持ちでした。 1 期目も丸1年じゃないんですよ。 うん。7 月スタートで3末決算にしてるんで、丸 1年じゃないんですよね。 じゃあ名のことすごいじゃないですか。 いや、なんかすごくないと思うんですよね。多分これあの業界によるって話だと思うんで、ま、どこの会社さんも 1チーム増えて3 億円ぐらい売上変わる時あるじゃないですか。 うん。 なんでワンチーム作るぐらいの感覚だと思うんですよね。なんで別に大したあれじゃないと思います。 で、ま、1 期目からこう手応えみたいなところはありましたか? うん。手応えはめちゃくちゃありましたね。すごいパブルだと思いながら。 ああ。 それはどういったところで感じてたんですか? やっぱり圧倒的に時代がいいというか すごいもの売れるなみたいな。 ああ、 広告回すとだからやっぱはい。 SNS は伸びてるのにクランさんの中でも気づいてるあのそこにデジタルシフトしてる人が少ないんで有益な広告に対して競合が少ないんで本当にレッドオーシャンブルーオーシャンでこういうこと言うんだなみたいな うん。 当時はそれでもレッドオーシンだと思ってたんですよ。 でも違った。 ま、そうっすね。会社のレベルで言ったら何倍にもなってますけど、 やっぱりこう難易度で言ったら上がってるとは思うので、なんで 3 入っていうのはすごい大事なんだなっていうのはなんか後から分かりましたね。

マスメディア時代からやっぱマルチチャネ ルっていうどんどんどんどん専門性が増し てって唯一逆算してることがあってどうせ 死ぬなみたいな悩んだ時は1回こう 死にかけの自分でちょっと話す みたい人が好きな人がいいと思いますねっ ていうカルチャーとか空気が大事で楽しん で勝てる方が絶対いいっすよ。