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日本政治に絶望してるあなたにとっておきの解決策を教えます(京都大学/文芸批評家・浜崎洋介)

『表現者クライテリオン』チャンネル35:11

Transcription

人はね、なんかのストレスとか圧があった時ってポンとこう挫折するんだよ。確かに力能下がる。下がるんだけど下がったまんま本当に下がり続ける人がいるわけ。うん。

下がった時に跳ね返す人がいるわけ。この弾力性がある人と弾力性ない人。これは一体どこで分かれるのか。はい。

これが実はこの夜の最大の問なんです。はい。

つまり繊細な性質の人の方が頑丈な身体の人よりもなんと収容所生活をよりよく耐えたてはっきり言うわけ。はい。

これはどういうことなのかっていうと、ここから始まるわけ。皆さんこんにちは。太田です。本日は浜崎先生お越しいただきました。よろしくお願いします。はい、よろしくお願いします。

本日はですね、ピクトールフランクルの夜と霧りから学ぶ絶望の乗り越え方ということで、今の世論というか、ま、その政治とかを見てるともうちょっと絶望せざるを得ないというか、ま、このこの暗いうん。この空気っていうか、この世の中がいつまで続くんだっていうような先を見通せないこの絶望感。

[音楽]

がいつなくなるのかっていうことはもう分からず結構絶望してる人多いと思うんですよね。で、ま、給料も上がらないし、で、ま、その個人の経験で言ってもやっぱ皆さんこう人生を生きていく中で1度はやっぱ絶望するような経験を味われてることが多いんじゃないかなと思うんですけれども。

そこで是非ちょっと浜崎先生にその絶望官からを乗り越えるにはどうすればいいのかっていうことをちょっと教えていただきたいなと思ってまいりました。うん。はい。

えっと、これ実はこの話をもらう前に、あの、実は、ま、この、これを読んだんだって話をしてたんでね、そのビクトールフランクルの夜に。はい。で、これが新役版でこっちがま、旧約版。うん。で、これ不思議なことにですね、どっちも出てるっていうも同じ処防で出て勝ち合ってるって話なんだけど、ま、だから手に取りやすいのはもしかしたらこっちかもしれない。新役の方かもしれませんが、そのフランクルの中に、え、なんていうかな、ま、ホロコーストの強制収容所に入れられて、それでもなお希望失ななかった人がいたんだって話をちょっと、ま、太田君としたと。はい。言った時にそれすごく興味がありますって言って、ま、読んできたんですよね。はい。

それで、ま、今日こういう話をしようじゃないかという話になって、今その話をしてるところなんですが、ありがとうございます。

えっと、どうしようかな。じゃあ、ちょっとうん。皆さん、これフランクルって、え、あるいはこっちかな、あの、馴染みがない人もいるだろうから、どういう人なのかから少しだけお話をしようかなと思うんですが。はい。

え、彼はですね、まず精神会なんですよ。はい。で、どういう人かという、1905年に生まれてます。はい。で、1905年ってことは、ま、先に言いましょう1945年だから、え、そこで40歳です。うん。ということはその40歳の前、35歳から40歳ぐらいまでの間にどこに行ってたかつうと、今、ま、ちょっと分かったと思いますが、え、ユダヤ人として捉えられてホロコーストつまり強制収容所に入れられてた。そういう人なんですね。

で、彼自身はですね、1905年にウストリアのウィンに生まれて、で、若い時からですね、フロイトと分通を始めるみたいな、そういう人なんですよ。で、フロイトに、ま、入れ込んだかと思いきや、ま、そっから少しずつこう距離を取ってて、アドラーなんかにも、ま、あってる。うん。で、アドラーからのこう教育も受けていて、で、その後ですね、インの私立精神病院で1200人の治療に、ま、携わったという風に言ってるんですね。はい。

で、その後に彼自身の、え、個人病院を開業して、え、これは精神医学の世界では有名なんだけど、実存分析とかあるいはロゴセラピーという、ま、彼自身のやり方の、ま、精神医療のやり方を確立したという風に言われて、で、その人がですね、いつじゃあこうヒットのかっていうのと、いうのかと言うと、1941年はい。で、だからさっき見ったように、ま、3、4年の間だからホロコストに出られるんだよね。ホロコストっていうか、そのごめん なさい。強制収容所にはい。

で、その直前に看護師の、え、ティディという人と結婚していて、で、その結婚した直後に夏から出頭命令が出るんだよ。あ、そうなんですね。そうなんです。で、その後に両親妻に、え、強制収容所にこう抑留されるわけで、欲流されてる間に父親が死亡します。はい。

で、その後にですね、え、1944年になりますが、アウシュビッツに移送されるんです。で、アウシュビッツっていうのはもう聞いた瞬間に皆さん分かると思うけどガス質なんですよ。イコールだからね、アウシュビッツにもしたらとしたら多分フランクルは生き残ってない。うん。

ここで、え、分けられるんですね。で、アウシビッツ行きと違うところ行きで。はい。で、フランクルは、ま、偶然が左右したんでしょう。違ったんですよ。うん。なのでガ質には行かなかった。でもそこで分けられたのは誰かと言うと、ま、彼女も実は画質に行ってないんだけども、え、妻とはそこで引き離されることになる。ああ。

で、その後妻と別れてフランクル自身はドイツのバイエイロン地方のダッハウ収容所というところに、ま、収容されるんですね。はい。で、4月に、え、そっから解放されてウに帰還するんです。で、帰還したら妻は帰ってくるのかなと思いきや、どうもね、話によると妻は収容所で解放されるんだけど解放直後に死んでるんですね。ああ、というのを知らされると。で、知らされてから、ま、ショックですよね。もちろん。しかも体ももうもう骨と皮みたいになってますからね。うん。そっから生活ができるようにまでなってってのはちょっとかかるでしょう。ま、1年2年。それで言うと、まあ、1947年になってようやくだけど筆を持ち始める。それで書いたのがこの夜時。はい。という本になるんですね。で、なんとこれ9日間で書いたという風に言われてる。あ、そうなんですね。たった9日間多分もう一期火星だったんじゃないかな。はい。

で、自分の中に染み込んでるあの記憶を思い出しながらそれを造形していくっていう作業だったんじゃないかなと私なんかは想像するけども。

なんかあの即の記号を噛切れみたいなところに収容所で書いてたみたいなあります。そうです。そうです。あのだから自分のロゴセラピーも含めてだけどその自分の言葉をどうにかして生かさなきゃいけないと。うん。で、待ってる人がいる。もちろんがいる。そう思ってて彼はその神きれに書いてたっていうのは言われますよね。うん。そう、そう、そう。で、そういうのも全部集体制するんですよ。うん。

もちろんこれはあの、なんて言うかな、中要所上の話が主なので、あの、精神医学の話は最後の方に、ま、出てくるとはいえ。はい。メインはそっちじゃない。うん。

で、ただね、これね、あの、これもそうなんだけども、そうだな、こっちから、え、夜と霧りの副題というか、これ実は現代なんだけど、現代はこう書いてあるんだよ。ドイツ強制収容所の体験記録って書いてある。うん。で、これ本当の現代はこうなってます。強制収所における心理学者の体験ってなってます。

[音楽]

ああ、ということは心理学者が、え、体験する観察したってことが前提なんです。はい。だからこれはね、あの勘違いをしてる人がいるかもしれないけども、ホロコーストの悲劇を記録したものと思っているとちょっと違うんですよね。うん。もちろんその側面はある。

あ、だも、それ心理学者が見ている、つまり心理学者がその時に人の心理はどうやってダメになり。はい。あれいいはダメになったところはどうやって、え、回復し、え、あるいはその回復した以上にどうやって自分を保ったのかといったような記録にもなってるんですよ。はい。

だからね、こん中で読めば分かると思うけども、ま、1つの確信にあった問をこうまとめときましょう。つまり圧倒的な虐待と恐怖上ですよ。これ読んでもらうしかないと思うけど、もう目を覆うようなというから読んでられないようなことがいっぱい書いてある。はい。はい。

でもその中で人はね、大体質感情症に落ちるってわけよ。うん。つまりちいち外のとてつも残酷な外界に適用してると自分の感情がもう持たないので、うん。感情にこう負蓋をするんだよね。はい。それでなんとか自分をこう守ろうとするとそれぐらいまで行っちゃうんだけどもその中で時々あまりの上にだって読む限りはパンキれ1くりと1日だよ。1 キレと水のようなスープ1杯。うん。これで1日やるんだよ。信じがいことを毎日起こるわけじゃない。はい。

で、その中でその絶望の中で人のパンを奪い取るあるあるはその絶望からですね、鉄線つまり電気策電気が流れてるそこに飛び込む。つまり自殺だよ。その自殺をしてしまうとか、あるいはまあそうだな、ま、要するに優しさとかそういうものを完全になくしてて、え、完全にボロ切りのようになっていく。そういう人たちは一方に書くんだよね。にも関わらずその中でなお希望を持っていた人がいた。はい。

ここなんだ。え、つまりは植えた人にパンを分け与える。あるいはちょっと列車の底から見える夕日にすごく感動するその心が残っている。うん。あるいはですね。え、そうね、自らのなる愛みたいなものを守り抜きながら人に接することができる。こういう人たちがいたということも同人書くわけ。はい。

で、これまさにレジエンス問題で、つまり強人性問題で人はね、なんかのストレスとか圧があった時ってポンとこう挫折するんだよ。確かに力能下がる。下がるんだけど下がったまんま本当に下がり続ける人がいるわけ。うん。

下がった時に跳ね返す人がいるわけ。この弾力性がある人と弾力性ない人。これは一体どこで分かれるのか。はい。

これが実はこの夜の最大の問なんです。はい。

というのが、ま、多分もらうと読みやすくなるんじゃないかなと思うんですね。で、その上でね、ちょっとこうせっかくだからちょっと読みましょうか。少しだけ。あの、これついこないだも実はちょっと講演でやってきたんだけど、ちょっとその部分含めて読んでいきますが、例えばね、こう言ってる。え、ちょっと省略しながら読みますよ。

えっとね、まずなんか強制収容所に入った人は内面化への傾向があった人々がいったってまず証言するわけ。内面化つまり外部に適応したり外部にやられちゃったりするんじゃなくて自分に引きこもるっていうと聞こえ悪るけども自分の面をこう賛成するだけの余裕を持って。はい。はい。でそのようでこう来る。えっと外的状況苦痛であるにせよ彼らの精神にとってそれほど破壊的には体験しなかったつまり内面会への傾向を持ってた人は実は破壊的にはそれらの靴を体験しなかったっていうんだよ。うん。強かったっていうわけね。その上でこなぜなら彼らにとっては恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。つまり外部から内部へと逃れるって言い方をするわけ。

じゃ、もうちょっといいきましょう。え、その上で各してそして各してのみ繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも収容所生活をよりよく耐えたというパラドックスが理解されるのであるとんだよ。つまり性質の人の方が頑丈んと収容所生活をより耐えた。ああてはっきり言うわけはい。これはどういうことなのかっていう投から始まるわけだよ。でヒントは内面への道だよねうん。

この内面の道じゃ何なのか。それが次に行きます。ちょっと読みましょうか。例えばこういう風に上がってくることになるな。ちょっともね、記日のように、え、強制収容所の人間における内面生活の崩壊の究極的な理由は主数え上げられた心理的身体的原因の中に存在しない。自重要なのはつまりいっぱい崩壊していった人間がいたんだけどそれは身体的原因の中には存在しないっていうのだよ。はっきり。うん。精神だってわけね。

その上でこう送る。ある自由な決断に基づくものだとすればこのことはもっと詳細賛に述べられなくてはならない。収容所の修字についての心理学的、え、観察はまず最初に精神的人間的に崩壊していった人間のみが収容所上の世界の影響に陥ってしまうということを示しる。ちょっと言い直すよ、簡単に。精神的に崩壊していくと同時にその人間だけが収容所の世界に影響されちゃう。収容所のある価値観念あるシステムそこに完全に飲み込まれてちまうていうわけ。つまり主要上の言いナになっちゃうってわけ。それがむしろ1番崩壊を早めたってんだよ。

その上でこうくるまたもや内面的になりどを持たなくなった人間の実が崩壊せしめられたということを明らかにしている。内面的な寄り所を持たない人間が崩壊した。うん。そしてもう1つではこの内面的な寄り所とはどこに損するべきであり、どこに損し売るんだろうか。これが今や我々の問題なのであると語るんだよ。

ということは最終的に問題なのは内面の道と言ったと同時に内面的寄り所と言ってるよね。寄り所というのは単なる個人の内面意識ではないでしょう。引きこもったといえば聞こえ悪いがその時に寄り所自分を支える何かとの関係があったと言ってるわけ。はい。

この関係性が実は人々を、え、目の前の現実だけに囚われることをせずに飲まれることをせずにさせずに自分を保ったその原因じゃないかと彼は指摘するわけない。うん。

その上で例えばここで面白いことが2つ出ます。その上で内面的な寄りどを2つに分けるんだよ。フランクでは1つは外的な状況に、ま、外的な状況っていうの かな、ある種の内面が希望なんだけど、でも状況がこうなったらこうなるだろうなっていう、そういうものに寄り所を見い出した人々と、もう1つは内的なまさに対話関係よりこれを見い出した人々が違ったってんだよ。はい。今度はだから寄り所を見い出した2つがまた別れるわけだよ。うん。

じゃあ寄り所をまず外的な状況論に求めた人間たち、これどうなったかって、これもまた面白い報告なんだよな。これどうなったかと、例えばね、こういうことが起こったっていうわけ。とてつもなく残酷で、とてつもなく絶望的な状況になる時って人はさ、やっぱりなんとか希望を見出そうとするから。はい。妄想も込みでいつかこれは必ず解放されるんだって思うわけね。はい。

で、ある人が夢を見たっていうわけ。この夢ってのが1945年の2月に見られた夢らしいんだけど、そこまで詳細に書かれてるんだけど、どういう夢かと言うと、その年の、つまり1945年の3月30日に戦争が終わってそっから解放されると夢を見たんだって。で、この夢はおそらく神や何かのお告げだろうと。ま、そう思い込むんだろうな。なのできっとここが私たちの解放の日だっていうことだけを寄り所に毎日毎日こう過ごすんだよ。そうするとどうなるかというと、確かに1時は一時的には元気になるの。うん。うん。そこまで待とう、頑張ろうってなるわけだよ。で、頑張るんだけどだんだんだんだん知が、ま、迫ってくるわけじゃん。で、3月30日の解放の希望、あ、希望こう胸に日々を過ごすんだけど、え、だんだんだんだん近づいてきて3月27、3月28、3月29っても全然状況は変わんないけ。全然状況は変わなくなって、ついに3月29日前日ね、そこで彼はどうなったかって言うと、えっと、突然発心地を発症するんだよ。うん。で、地ってのは圧倒的にもうすんごい高熱を出してで、息大になるわけな。で、それでもう死にかけるんだけども、その翌日つまり彼が夢を見た、解放される夢を見たその日だよ。え、3月30日彼は死んじゃう。うん。

つまり外的状況に寄り過ぎた時にその状況が答えてくれない時にね、彼は息耐えるわけ。はい。これは本当にレジレントかというと、やはりちょっと違う。うん。

で、もう1つだけ例を出しておきましょうか。これも同じようなことが報告がある。これももっとまあ健長かな、今のことで言うと。で、そうするとね、同じようなことが起こったわけ。え、19これ44年のクリスマスらしいんだけども、そこでは、え、休暇が出て家に帰ることができるという噂がバッといきなり広がったってわけ。はい。ま、分かるよね。え、コロナかなんかもさ、これつまで続くんだよっていう時にいやいやいや、来年きっと開けるよとか言ったら、ま、それがなんか信じられるみたいな。はい。そういうことだと思うんだけども、ま、それと同じようなことが起こったと。その時に、え、1944年のクリスマスをみんなだからこうすがりつくわけね。で、そこまで元気の出るようないいニュースはないかにいいニュースはないかってこう探すんだけど、クリスマスになろうとしてるのに全然いいニュースが届いてこないわけ。あれ、あれってなって結局クリスマスの到来ともに自分たちの期待が裏切られたことを知るわけ。うん。その瞬間に何が起こるかと言うと、それまで見たこともないほど大量の死者が出るんだよ。はい。これは収容所内で今までで死んだ数で最も多かったという風に記録される。うん。

これも結局外的なものに寄り所を見た人間がつまり偶然性に裏切られた時に一気に死んでいく弱くなっていくとのあのまあなんか1つの少礼でしょう。だとしたらおそらく外的状況だけに我々は希望を見な出すわけにはいかない。はい。

だからさ言ってもいいよね。私たちに引きつけるんだったら確かに今のデフレ状況まデフレというかスタグルエーションというか状況の中であるは政治がこんな状況の中でうん。希望が持てないが希望はもちろん外的状況に見出そうとすることも必要だと思う。そのことによって1個1個のことを変えていこうとするから。ただしそれだけだったらそれができなくなった時私たちはふと倒れてしまう可能性がある。はい。

ていうことだよね。だとしたらもう1つの寄り所を持つ他はない。それをま、フランクルは内的な関係性と言っていくつかの例を紹介してんだ。ちょっとこれもじゃあ皆さんのために紹介しますと。はい。

えっとですね、まずこういうこと言ってますね。これフランクル自身の例です。これも非常に感動的な部分なんだ けど、えっとね、ある時、ま、非常に辛い労働、強制労働なので何かを思うとかふと立ち止まるみたいなそういう余裕もないんだよね。目の前のことだけで必死。それだけで生きてるだけもふっと何かよびったんだろうな。妻のことを思い出したっていうんだよ。うん。その瞬間に心の中がプッと明るくなって温かさが満たたっていうような業者があります。で、その時からああ、私はなんてことを忘れていたんだと愛してくれたあの妻がいたじゃないかと言ってその妻との会話を始めたっていうわけ。その時に彼はですね、まさに妻のおかげを呼び出しながらその語い合うことによって今目の前の現実からの逃げ道を内的な関係をそこで担保するんだよ。これ がま、寄りどになるわけね。

で、それでなんとか生き延びたってわけで、もう1つ、例えばこれもこの中で語られてることだけど、仲間と共にこの現実、目の前の現実を突き離すために毎日1つは笑い話を作ろうって言ったらしいんだよ。うん。笑うってのはこんな絶望的な状況で笑うって、え、ある時は不謹慎って言うかもしんないけど、でもね、私は不謹慎だと思わない。それこそが私たちが生き耐える、あ、生き延びるある種の術だろうとさも。うん。で、笑うってのはこんなバカみたいな状況を相対化するってことだから、やっぱり目の前の状況から逃げることなんだよ。あの、正しくね。そしてそのことに よって、え、ユモはそれを、ま、保ったんだってわけね。

で、もう1つ例えばこういう人もいたってわけ。収容所の外に植えられた丸の木。これを見てその木だけを話し相手にして毎日を過ごした少女。こういうのも出てくんだよ。で、この彼女はね、結局死んでしまうんだけども、でもね、フランクルの描写は非常に明るい。うん。彼女自身は人間性を失わなかったし、最後まで明るかった。最後まで希望を失わなかったっていうわけ。こういう生き方をしてるってわけで、最後の2人がまたすごいんだ。これがね、2人の音が出てく。

1人はまあ、ダめだ。もうこんな現実でもう希望もクソもない。絶望すぎてうんたいって言ってる人間に対して精神会のフランクルだから手をしの延べるわけだよ。そん時に思い出せと。お前は一体どういう関係性の中に置かれたのか。うん。って言った時にはっと思い出した男が2人いるってわけ。1 人がそうだ。異国の地で俺をつまり父親の自分を待ってくれてる子供たちがいたじゃないか。で、これをもう思い出すんだよね。さっきの妻と似てるよね。で、この子供たちの存在を思い出した瞬間にそれを支えにして内的な関係返して彼は生き延びるんだよ。

そしてこれで最後もう1人はね、そう、お前が置かれた立場を考えろ。それはまだやってない仕事があるだろう。その仕事はこの先誰かが待ってるはずだって言ってまだ完結してない仕事のことを思い出させて、その仕事が待っていることをある種に して生きようと。はい。ま、仕事も関係性だよね。他者との、え、それを、ま、内的 な関係にしていくとつまりもうお分かりだと思いま すが、寄り所というのは単に外的 な希望ではない。自分が一体誰と関係していて、誰から呼びかけられていて、誰が待っているのか。はい。その自覚なんだよ。つまり目の前の現実を相対化するものはうん、現実の中にないんだとしたらまさに現実は違う。もっと言うと内的なこの関係性によって生きる力を蘇らせる。はい。

ここにポイントがあるとフランクルは探的に指摘する。

ってね、思い出してみたいのはそん中で彼は面白いこと言っていて、その時に初めて個人の人間の一性と唯一性が蘇えると思ってるわけ。はい。これはね、パッと聞いただけだとピンとこないかもしれない。なんでかと、関係性と唯一性って矛盾するかに人は思うじゃない。はい。関係していたら唯一性じゃないし、唯一性だったら関係性じゃないみたいな。うん。でもそれは違うはずだよ。関係があった時だけ私たちは唯一性を感じることができるんだよ。うん。だってそうだよね。例えばな、私が父親だと。ま、実際父親だけど私の息子にとって私は私しかいないでしょ。うん。これが唯一性だよ。つまり自分1人だけできて唯一性。それは違うでしょ。それ単に孤立してるだけだから。うん。唯一性とか掛け買えのなさってのは関係性があった時だけこの関係性において掛け替えがないわけじゃない。なるほど。これがなくなった瞬間にこの関係が崩れるんだから。はい。だからこそ関係を取り返すことによって飲み始めて自分がけがえのない存在であり、掛け替えのないそれは唯一性であり、え、一性であるとだからこそ私は生き延びるようにならないのだという、ま、明るさというか炎が燃えてくるわけ。はい。ここに彼は意識を向けさせると。うん。

でね、そこで面白い言葉を最後にフランクルが語ることになる。これはちょっと彼の結論部分だから全部読もうかな。お願いします。こう彼はだからそこで、え、言ってますね。ちょっと読むね、結論部分です。

ここで必要なのは生命の意味についての問の観点変更なのである。観点を変えよっつってんだよ。生き方における。で、こう言ってる。すなわち人生から何を我々はまだ期待できるかが問題なのでは なく、むしろ人生が何を我々から期待してるかが問題なのである。ちょっと難しいよ。ちょっと言い直すよ。人生から何を我々は期待できるかって言った時に主体は我々です。はい。我々が意識的に何が期待できんのかななんて解いちゃダめだっつってるわけ。そうじゃなくて人生が何を我々から期待してるか。うん。つまりこの場合守護は人生がなんだけど言いますね。関係がです。うん。関係が何を我々から期待してるか。そこに耳を傾けよっつったんだよ。

で、そういった上でこう来る。そのことを我々は学べば学ばねばならず、また絶望してる人間に教えなければならないのである。哲学的にちょして言えばここではコペルニクス的展開が問題なのであると言えよ。すなわち我々が人生の意味を問うのでなく、つまりてめが人生の意味を問うんじゃない。私の意識のうちに意味を求めたちょそんな意味はないんだつってるわけ。そうじゃなくて、我々自身が問われたものとして、関係から問われたものとして体験された時初めて私の中に生きる希望が生まれるって言ってるわけ。ここがコペルニクス展開なんだよ。ああ、主体の停点を視点を私のうちではなくて関係性の側に置くんだよ。はい。そっから何が問いかけてるのかに耳を傾け。そうすると人生の意味を私1人の意識の内側じゃなくて私を支えてる関係その中に求めるが故えに、え、他者から誰から呼びかけられてるのかそこに意味が宿るよね。はい。

この意味のことを彼は自分の使命だって言うんだよ。うん。これは素直にならないとこの使命は見つからない。自分が自分が自分が自分が自分がつったって絶対見つかんねえしあるいはその若い頃に僕って内面が空虚だから自分探しだつって内省しててもしょうがない。あるいはですね、ここの関係を全部切ってなんかインド行ってもしょうがないんですよ。インド行ってもインド人と関係しないから。で、結局帰ってきてなんかインド体験して終わったなみたいなそういうんじゃ意味がなくて置かれた場所で生きていくその関係性こから何がお前は求められてんのかと向ける。このことを彼はゴセラピーゴス味におけるセラピー癒しってでゴスをもうちょっと変えましょう。言葉ですよね。

ということは言葉、言葉自体は関係性でしょ。私1人が日本語を作ったわけじゃないし、私がこれをつげと言ったって明日から告にならないんだよ。机は机なの。それは私が生まれる前からあって、人と私との関係をつぐものこそが言葉だとしたら、その言葉から来る関係性を、え、支にしてそこに何が求められるかだけに真剣になれと。これが生き延びる道でありかつレジエンスだってつってるわけ。これがフランクルの夜とんですよ。いやあ。

そう思うとですね、単なるホロコースト体験ではないということが分かると思うし、いかに絶望的なところにあっても人は品とあるいは特を守りきることができる同時にそのと得こそが自分を生き延びさせるとはいいうことも分かると思う強さとは矛盾しないということをですね、ま、言ときたいなと思いますよね。はい、ありがとう ございます。

ということで、本日ははい。え、ビクトールフランクルの夜と霧りからはい。絶望の乗り越え方っていうのはその関係性の中に見せると。うん。そうですね。いうことを教えていただきました。本日はありがとうございます。はい。はい。ありがとうございました。

結構僕疑問に思ったことっていうか感想あって最後にそのうん。解放されるじゃないですか。うん。で、解放されて1 回外に出るけど、また戻ってきて仲間に今日1日どうだったって聞いた時にやなんかあんまりこう感動しなかったみたいなその現実感を持てなかったみたいなこと言うところあるじゃないですか。はい。はい。はい。はい。本当に自分解放されたのかみたいな。うん。うん。うん。あれっていうのはそのどういうあれなんですか?もうその抑制されすぎてその感覚を忘れてるみたいなことなんですかね。うん。うん。

ま、もちろんそれもあるとは思うんだけど、私が思うのはおそらくその収容所における関係性はあるわけでしょ。収容所との関係とか、ま、あるいは監視、監視じゃないか、監守かとの関係とかいろんなものがあったんだけど、そっからいきなり解放された時に解放そのものってのは関係性かって言うと関係性じゃないでしょ。うん。だからこっちで関係性が作れてないんだよ。なるほど。そうするとみたいになるわけだよ。ああ。

あ、だから関係が取り戻してきたところでようやく、あ、俺は生き延びたんだ。あとあっちとは違う関係性が持ってたんだってことが分かるでしょ。そこでもやっぱり結局ポイントは関係でね。なるほど。私たちは関係性がなかったら実感さえ手に入らないってことなんだよ。はい。それが最後にもやっぱ明らかにされるよね。確かにそうですね。その最後にもうは話さるを得ないあの長い苦闘の日々みたいなとこじゃない。そうそうそうそうそう。最後に家に帰ってそのもうこの体験を誰かに話さないといけないみたいな。うん。うん。で、もうその話っていうのはもう尽きることがない。うん。それっていうのはここでの関係性を自覚することによって自分は向こうとの関係が切れたっていうか、青手から離れたっていうことを実感してるってことなんですね。うん。そういうこと。なるほど。

で、しかもその語る距離ができた時だけ初めてその距離感の中でそれを相対化すると同時に解放されたこっちが出てくるよね。はい。それはやっぱりこう噛みしめようとしてそれを語るんだよ。なるほど。だ、語りが癒しになるってのもそこでしょ。はい。語った時って要するにそれは体操、あ、対象化であり対化だからトラウマを語らなきゃいけないのはそこなんだ。だからああ、本当にトラウマから解放された人ってのはトラウマを語ることができるようになるわけ。はい。それ自体が対象化だからね。なるほど。そう考えてもいいんじゃないかな。ありがとうございます。

あとその絶望を乗り越えるのは関係性が大事っていう話でそれを裏付けるめちゃくちゃいい例が最後になったなと思ってうんうん。うん。その最後解放されて家に帰ってもうこれはもうアシビってその強制場にいる時に何十回も夢で見てたそのことがついに実現したとは解放されてもう自分のこの家に帰ってこれれるって言ってでもそこにはそのお帰りって言ってくれる人がいないっていうところでまた絶望してそれで死んじゃうみたいなうんうん。そうなんだよな。例があるじゃないですか。あれのはまさにその解放を求めるんじゃなくてその関係性を復できるっていうそこのに希望を持ってるっていうことなんですよ。そう。そういうことだよね。本当そうだと思う。で、これもまあ今の話で思い出したから言うけどこれね、スピノ座の話もやっぱちょっと思い出すところがあってはい。え、最も人にとって有ものは人だって言うんだよ。うん。ま、そういう名な言葉があるけど、ま、ちょっとずれるかもしれないけど、つまり何を言ってるかと、人が人とカップリングした時だけ人は孤独という最も恐ろしいものを乗り越えることができるわけ。はい。で、乗り越えることによって力能は上がるっていうわけ。うん。で、これを崩壊させること、破壊させることこそが悲しみで、その果てはもちろん自殺や死しかないってわけ。うん。で、それぐらい実はね、人が1人では生きていけないって事実は重く考えなきゃいけない。だから保守とかね、そういうのはドロギーじゃなくて事実なんだよ。人は1人では生きていけない。近代個人主義の1つの建かもしれないけどそのの建前としてやった方がいい資本主義社会ってのがあるからそこでやってるけどそれだけが本当だと勘違いした瞬間人間が壊れるぞって話なんだよ。はい。それを私たちは全金大臣はみんなしてたけど近代教育の中でみんな忘れていてその事実みたいなものに素直に目を向けろよと。その時人は1人じゃ生きていけないってことは当たり前だろうと。それをまさにフロコストという絶望的な極限状況の中で証明したのがまたフランクルだったって言い方もできますよね。なるほど。うん。ありがとうございます。

で、すいません。あと1個なんですけど、あの、特品が大事だっていう話。特ヒをいかなる状況でも失っていけないっていう話でうん。うん。その出た後にフランクルがその収容所時代仲良くしてた人と出かけるシーンがあって、で、そこで麦畑を踏み荒らしながらうん。進むと別にそこを避けてもいいのに。で、フランクルがいや、これ踏んだらここの家の人に悪いから向こうから行こうよって言ったらその友人がいきなり切り始めてはいはいはい。いや、俺たちがあそこで受けたに比べたらこんなことをしょうもないことじゃないかと。なんでそんなことで怒られないといけないんだみたいないいシーンあるじゃないですか。うん。あれ僕すごい印象的だったんですよね。うん。

これだからレジネンスだよね。こう彼もだから同じストレスを受けたわけだよね。ストレスを受けて解放された瞬間にこのストレスをつまりルさち万にしてるんだよね。はい。で、同じストレスをだから相手に与えてやろう。うん。そのによって実は相手も苦しむ。その苦しみにおける連帯なんだよ。実は。うん。連帯って言うと聞こえか。つまり同じ苦しみを受けさせることによって自分が孤独じゃないということをああ、あの納得したいんだよ。それがルさンチマや反撃に変わるわけだけどこの反撃は自分から出てくる内発性の反撃じゃないんだよ。なんでかっていうと、自分が与えれた暴力から出てくる暴力でしょ。はい。ということは主体はあっちなんだよ。うん。

実はこの暴力性ってのはこっちが主体になってるから実はホロコーストの暴力を証明してるわけ。ああ。ということはお前さんの自由じゃないよ。それってお前はまさに暴力にコントロールされてるだけだなっていう話にもなってるわけ。なるほど。本当の自由は内や性だから。はい。そこを守るためにこそ内的な関係性で自分を守れっつってるわけ。ああ。

と思うと、ま、ルサンチマンがどれだけ不毛なのかということもよくわかると。なるほど。すいません。ありがとうございました。はい。

ここまでご視聴いただきありがとうございます。つも本物の情報を求め激道の時代を強く生きようとする勉強熱心なあなたに1つご案内があります。それは月刊表現者というオンライン組です。

月韓表現者は京都大学の4名の甲子人が日本を強く豊かにするための本物の考え方を探求するオンラインです。日本が陥っている最大の危機は何が正しくて何が間違っているのかという判断基準。クライテリオンが曖昧になってきていることです。例えば自分の出世のことしか考えず国民から税金を取ることしか頭にない財務官僚。総理の椅子に座ることだけが目的となり、国民をひたすらいじめ総理大臣。自分たちに都合のいい情報だけを流し、国民を誘導しようとしているマス メディア。彼らの愚行に対して何も疑問を持たず、何も考えないでいることはまるで栄養のある食事の代わりに毎日毒のようなものを摂取しているのと同じです。このことによって私たちは知らず知らずのうちに心と体の健康が損われ社会の活力が失われ日本人としての誇りが失われる月刊表現者はこのような危機的な状況に立ち向かい何が本当に大切なのかという基準を見つけ出そうとする試みです。より良い社会を作るための道を探しそれを発信していくことを目指しています。安倍総理の内閣官房産業を務め、京都大学教授の藤井サがメインパーソナリティを務め、同じく京都大学の教授人である柴山太、浜崎洋介、川端優一郎の3名が毎月交代性で出演し、対談形式でコンテンツをお届けします。大学教授の議論と聞くと専門的で難しそうと思うかもしれませんが、決してそんなことではありません。は一般の人にも分かりやすく解説することを常に心がけており、ユモは溢れる議論は思わずくすっと笑ってしまうほどです。円タめ感覚で本物の知識を得ることができ、さらに日本を強くするための大切な判断基準を得られる番組となっています。月刊表現者の詳細は動画祭り、概要欄またはコメント欄のリンクをクリックしてください。私たちは現代日本で共に生きるあなたに何が本当に大切なのかという基準を持って欲しいという思いから日々情報発信を行っております。毎回多くの方にいいねやコメント、チャンネル登録をいただきます。次回もお楽しみにお待ちくださいませ。