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他人に笑われたりどう思われるかが気になって新しい自分になれません

為末大学 Tamesue Academy9:25

Transcription

えた大学の質問コーナーです。いつもお話を聴かせてもらい、新しい気づきや力をいただいています。ありがとうございます。

質問です。悩みや叶えたいことを改善するために、今までの自分を変えて新しい自分に生まれ変わりたいと思う時、相手からどう思われているだろうか、笑い物にされやしないかなどの不安が出てきます。例え笑い物にされようとも、自分の信じる道を進めばいいなどと自分を鼓舞するのですが、どうも不安をすっかり脱ぐことができません。無理して自分を変えようとすることは、物事に固執しているとも思うのですが、ここを乗り越えることが自分にとって大きなことだとも感じています。こういったことに対して、たせさんのご経験やお考えを教えていただけたら幸いです。

はい、これありますね。誰にでもね。えれ少なからずですね。で、まあこれ多分整理するとですね、自分自身が、え、相手からどう思われてるとか、笑い物にされないかっていう不安が出て、なかなか新しい自分になれない。ま、これはちょっと具体的にはどんなのか分からないですけど、ま、とにかくちょっと今までとは違うアプローチをするとか、自分の意見を言うとか、え、ちょっとまあ、なんていうかな、うん、なんかちょっとユニークなこと言ってみる。なんかそういうことを変えていきたいんだけれども、それがなかなかできない。もしそれをしたら、みんなからどうへ、あいつなんだ、急に変わっちゃって、とかなん、なんかつまんないこと言ってとうまくできてないじゃん、みたいなことを思われるのが不安なんだ、という話だと思うんですね。

で、構造を多分説明すれば、いやいや、それは自分自身っていうものの評価が社会に依存していて、社会側の評価で自分が決まると思ってると。ま、これが良くないんだと。ま、アドラー的に言えば、このようなものは分離しましょうと。ま、いずれにしても、え、他人の評価とあなたは関係ないんだと。あなたはあなたでいればいいんだ、ということなんだろうと思うんですね。

で、一方でこれってマッチョな話ですよね。なぜなら、え、基本的には西洋から生まれた心理学って、自分っていうものを想定してる私は思ってるんですね。つまり、自分っていうのはあると。もうちょっと言えば、インディビジュアルな個人がいるということですね。でももしこれが、私たちが人類っていう、ま、あるしよ全部繋がった1つの肉体だとしたら、で、その中の細胞の1つだと私たちがしたらですね、これ結局自分たちのアイデンティティなんてこの細胞1個1個にはなくて、全体が決める以外にないってことになるわけです。私は比較的、与的な個人っていうのはこういう見方をしてると思ってるんです。だから、与においての社会から笑われるとか、他人からどう思われるか、本当に死活問題なわけですよ。これがなぜなら、アイデンティティの全てになるわけなんで。だからこの恐れは、自分は自分でいいんだってコブするのは、実は私は結構、なんて言うんでしょうね、なんていうか、細胞1つに、あなたは他にはない唯一無理の細胞になればいいって言ってるようなマッチョな話で、ま、これでいける人はこれでいいんですけど、そうじゃない人はなかなか不安なんだろうと思うんですね。だから理想はそうだと、できるんならそれがいいと。でもできないる人っていうのは、私は一部なんじゃないかなという風に思ってるんです。

もう1つちょっと別の観点ですけど、これ私、社会において私もま、比較的他人を笑わせる側になること多いんですけど、一方 でそうじゃない側にもいたことがある、ま、経験としてはですね、人を笑わせる側にいる人っていうのは、常に強い権力を持ってるんです。なぜなら、その場を自分のユニークで、うわっと笑わせることはできるんですね。で、一方 でそれやろうとみんな色々するんですけど、そんなにうまく言うもは言える人ばっかじゃないので、これなんで権力かって言うと、笑わせることができる人は、命令することができる人よりももっと残酷に相手を貶したり、相手の地位を確定させられるんです。つまり、面白い人が、笑わせられる人が、え、誰かを指さして、あ、誰かが言うことに全て、あいつ寒いよね、ていうなんか、え、何言ってるかちょっとわかんない、とかっていう風に、いじるだけでも、その人が言うこと全てつまらなく、そのコミュニティにおいてはですね、そういうことできるパワーを持つわけですよね。だ、笑わせる人っていうのはすごい強力な権力者なんですけど、ま、それ自覚的であればいいんですけど、結構無自覚な人っているわけです。それで人を笑わせると、ま、他人を笑わせるなんていうかな、笑いを扱える人といじめする人って本当神一英なので、で、これにま、自覚的であるかどうかっていうのは、実は私ものすごい重要だと思うんです。だから笑い物にするされるっていうのは、まあ1つその観点が私はあるんじゃないかなという風に思ってます。

であの私の経験はまあなんかあの、ま、陸上競技において私はあんまりあれなんていうかな、それほど悩みはなかったですけど、でもそういう風に社会において自分自身がなんか新しいことやったりとかすると、どう思われるんだろうか、と。何しろ何にもわかんなかったんで、私陸上競技しか知らなかったんで、その他の世界に出ていく時に、例えばカンファレンスで自分が今から発言することっていうのは、みんな、え、何そんなこともしんないの、とか、なんか検討派のこと言ってない、っていう風に思われちゃうって恐れがま、協力にあるわけですよね。で、それを打破してやってくっていうのを私は比較的マッチョスタイルでやりましたから、とにかく無理やり100人以上前で最初に質問するんだ、っていうことだけ決めて、それをま、何年もやって慣れていったってのはありました。ただま、私の場合はそれまなんかできたんですけど、なんでできたか多分陸上競技っていう1個の軸が思いっきり強く立ってて、それが軸になったんじゃないかと思うんです。あの沖橋によいて、それでピボットできたんじゃないかと思うんです。で、で、多くの人にとってみると、それって難しいことで、え、そうするとじゃどうすればいいか、っていうと、私はあの小さなコミュニティの中で実験していくのが1番いいかなと思ってます。であの、な、なんて言うんでしょうね、なんか小グループの中で新しい自分っていうのを、ちょっとそこで実験してみて、で、それでみんなが受け入れられるか、で、ま、もうちょっと言うと、受け入れるか受け入れないか、と関係なくやっていくってことを繰り返して、徐々に徐々に自分に慣れさせていくと、確立させていくっていうことだと思うんです。で、それをま、うまくやっていくのが、ま、私は1番現実的な道なんじゃないかなという風に思ってます。なのでスモールグループを作る、そこで自分自身をこう実験していって、新しい自分っていうのを馴染ませていくっていう、ままるでですね、あいきなりでっかい順動鍋で作るんじゃなくて、小さな鍋の中で自分っていうものをやりながら、徐々に徐々にその周辺と馴染ませていって、あいけるかなって思ったら、だんだん鍋を広げていくっていう、それが私は現実的なやり方なんじゃないかなという風に思ってます。

おっしゃるように、恐れっていうのは自分が生み出していて、社会を過剰に自分が意識していて、そんなものとは無関係の自分は自分のままでいればいいんだっていう風に言うわけですけども、でもこれができたら誰も苦労しねえよ、って話でもあるわけですね。なぜなら、私たちっていうのはそんなにはっきりとしたインディビジュアルな個人を持ってないし、特に日本においてはそういう風に個人を定義できないので、ま、そうすると恐ろしいのは、ま、誰もがそうだと思うんですね。その前提でやられるのがいいんじゃないかなという風に思ってます。

で、最後にあの、ま、私がこういうことで思うのは、あの実際に変われるかどうかよりも、変わろうとして一歩踏み出したっていうこと自体が、自信にとっては1番インパクトがあって、なので、あのハードルをよく私たち子供に飛ばせるわけですね。で、別に陸上普通の体育の授業なんで、別にハードルなんか飛びたくねえよ、っていう子が半分以上なわけですよね。ま、それでも飛んでいくんですけど、でも結局ハードルを飛ばなきゃいけないっていうのをやめてから、最初はそうしてたんですね。体育だから、もうみんな飛ぶんですよ。でも途中から飛んでない子も別に気にしなくして、別に飛ばなでハードルの高さも色々にして、飛びたい人だけ飛んだら、ってい風にしたんですね。このルールの中で、それでもハードルを苦手な子がハードルを飛んだ場合は、劇的にその子の目が変わります。なぜならば、その子がハードルを飛ぼうと思ったのはその子だし、で、ハードルを飛んだのもその子で、転んだとしてもですね、で、そのことがやっぱものすごい自信にインパクトあるんです。これ私が飛べって言って飛んだのとは違うわけです。強制されてないと。だ、自分で勇気を出したっていうことが1番自信にインパクトがあるんです。そうしようとしたのは私であると、他ならない。で、それを、あの、まずは、あの自分の中で育てていっていただけるのがいいんじゃないかなと思います。

あのも、ま、もしこのあったかいコミュニティっていうのがなくてですね、うまく自分が出せないって言ったら、ま、ここで話してもらえればですね、我々がみんなで応援するっていうのが、ま、そういう場所があるってのが私は大切なことじゃないかなと思ってます。