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【成田悠輔】仕事を辞めても大丈夫。働くことはただの言い訳

なりゆかない37:33

Transcription

あと僕、ちょっと長い目で見るとすごい重要かなと思うのは、働き方どうデザインするかっていう話と、同じぐらい、そもそもちょっと働く必要はあんまないんじゃないかっていうか、働かなくていいって思える世の中を作 るってすごい大事なんじゃないかと僕思ってるんですよ。

というのは、なんかベーシックインカムの議論とか色々ありますけど、まあなんかいくらやってもなんかやっぱり世の中で一人前の社会人たるものを働くべきみたいな固定観念ってすごい僕たちの中にあるじゃないですか。で、過去30年間とか見ると、平均的な日本人な生産性とか、なんか確か30代から半世紀ぐらいでまあ3倍とかになってて、その単位時間あたりを生み出せる付加価値みたいなのってとてもつまら増えてるんですよ。だからそんなに働かなくたって生存していけるし、生きていけるわけですよね。

で、実際に平均的な日本人が働いてる時間とかも徐々に減ってて、ここ30年ぐらいで労働者一人当たり10%ぐらい減ってるんですかね。全体としてみると結構生産性も高くなってて、人間一般ので働かなくても生きていけるようになってると。だけど、じゃあ働かなくてもいいってみんなが思えてるかっていうと全然そうじゃなくて、なんかワールドバリューサーベイとか見ると、働かない人間はタイだかとか、働くことは社会にとっての責務かとか、そういう質問するとその答えほとんど過去半世紀くらい変わってないんですよ。

どうにかしてその、そもそも働かなくたっていいっていう風にみんなが思えて、無駄に、とりあえず働いてる人達っていうのを減らすって方向がすごい重要なんじゃないかと思うんですけど、その働かないって言ってるとその無職のイメージがあると思うんですけど、専業主婦も別に働いてないわけじゃないですかなのでなんかで日本ってヨーロッパに比べるとやっぱり働いてない専業主婦多いですよ。なのでパリとかだと専業主夫10%以下なんですけど、今でも東京って多分3割以上が専業主婦いるんですよね。なのでその働かない人が家庭にいるのが当たり前だよねっていう文化で行くと、日本の方が実は働かない人を許容する文化が強いと思うんです。

ただ現状でいくと、若い人達ってそのじゃあ大学卒業しましたって言うと、半分の人たちがもう奨学金という名前の借金を送ってスタートなので、そうするとそれから返さなきゃいけないから、働かないという選択肢がまずないんですよ。ね。なんでですね、若い人たちが結婚して子供を産もうと思っても、なんか二人で借金を負っちゃってるので、なんかそもそも借金返すまで子供なんて作れないし、専業主婦なんて言えないよねっていう状態になって、働かなきゃいけない状況っていうのになっちゃってるのは借金のせいでっていうのがあるんじゃないかなと思うんですけど。

なんか僕は思うの、働くってことに対するその過剰な僕たちの信仰があるためにもう働かなくて済むようになった人たちも働き続けるし、なんか必死に競争しなくてもいい人たちも競争し続けるって傾向がすごいあるような気はしてるんです。なんかその競争信仰、労働信仰みたいなことによって新しいものが作られてるよりいろいろな付加価値が作り出されてるっていう側面もあるけれども、同時にそれによって本当に働かなくちゃいけない人たちが追い詰められてる、ギリギリのところに押し出されてるって側面もあるんじゃないかなって感じがなんとか印象論としてするっていう感じです。

高齢者が働いてる率って先進国の中で日本突出して高い気がするんですよね。ちょっとデータないんですけど、なんかコンビニとかでもおじいちゃんおばあちゃんって日本働いてるじゃないですか。なんかヨーロッパとか東南アジアとかアメリカとか僕見ますけど、なんか6、70言ってる人がそんな働いてる国って見たことないですよね。って動くぐらいかな。なんかかなり特殊な気がするんですけど。成田さん的にどう思います?外国住んでますし。

うーん、なんかこれは印象なんですけど、日本人って暇を持つことがなんか下手な印象はすごいあって、会社の同僚とかとそもそも飲みに行ったりするのももうすっげえ好きじゃないです。でやたらめったらなんかあの仕事と生活が一体化してるなっていう感じは年取ってようが若い人だろうがあって。それに比べると僕は住んだことがあるのはアメリカだけですけど、あの国はとてつも無くドライだなっていう感じで、その仕事にける人間関係みたいなのはその仕事時間終わると結構パッと切れるっていう感じがすごいあって、でそっから先は完全に生活の方に移行するみたいなことがあるんです。それが多分その老後と現役時代みたいなものの切り替えにもそのまま働いてるんじゃないかなっていう感じはなんとなくします。

僕なんか働 くって結構言い訳なんじゃないかっていう気がしてて、みんな僕も含めて自分があの存在してることにに対する自信とかみんなないと思うんですよ。しかもなんか大して能力もないんで、その大したものも生み出せないと思うんですよ。それに対してなんか存在しててもいいっていう言い訳を与えてくれてるっていう側面は労働とか仕事すごいあるなっていう気がするんですよ。でこれ行っていいのかわかんないんですけど、僕ただの印象論として人類の半分以上の人は働かない方がいいと思ってるんですよ。っていうのは基本的に何か生産活動をする時にマイナスの影響しか及ぼしてない人っていうのが僕すごい多いと思ってて、なんかやたら連絡網とかに入ってるだけの人とかすげー多いじゃないですか。で僕の業界だと僕に日本の大学の先生とかも正直9割ぐらいの人たち全く何してるんだか僕わかんなくて、研究の成果も何もないですし、授業とかも若い学生の時間を奪ってるだけで何の価値も生み出してないと思うんで、社会的に何かいない方がいいと思うんですよ。で社会的にいない方がいい人たちがだけどいてもいいんだよって言ってもらうための装置として働くとか労働っての今機能してるんじゃじゃないかなと思うんですよ。でこれは僕すごく良くない状態だと思ってて、その仕事っていうアイデンティティ以外に自分が世の中に存在していていいんだって思えるような色んなアイデンティティをこうなんかもっと世の中に作っていくことってのがすごい大事なんじゃないかなっていう気はします。

アイデンティティじゃない人がしがみつきますよね。その仕事とか社会とかに。だってなんか社長辞めた後会長になって、会長辞めたと相談役なるみたいな。

働くでやめたんだから引退したら会長の後は相談役になられたりしないんですけど。

いや、今の話ですごく面白いし大事だと思うんだけど、やっぱり人間ってね、なんかやっぱりどっかで自分が役に立ってるっていう風に思わないとこう生きていけないっていうとこあるじゃないですか。で、だからまあそれに慣れたに言わせれば本当に役に立ったらいいけど、役に立ってないケースが役に立つっていうことの定義が狭すぎるんだと思うんですよ。つまり仕事をしてなんか仕事のアウトプットと言えるような感じのものを作るっていうことが役に立つことだって僕たちは思い込んでるんだと思うんです。だけど別にアウトプットなんてなんか視点によってはただのゴミみたいなもんであって、ある意味で別に人間存在しているだけで役に立ってるって言えば言えるわけじゃないですか。だからその専業主婦みたいな人達っていうのが働いてなくても存在意義があると僕たちが持ってるのは、存在してることそのものの役に立ってる、その利益みたいなものを僕たちが暗黙に理解してるからですよね。だから家族みたいな仕組みとか、あるいは何か故郷みたいな仕組みとかったのはそういう簡単なお金とか生産とかに結びつけられないの価値を保ってる制度だと思うんです。それをもっとたくさん作れるんじゃないか。

わかります。すごくね。だからやっぱり我々この日本に住んでる人々っていうのは、その心の持ち方としてね、今成田さんもおっしゃってるような、やっぱりその生きているっていう事自体がもう価値があるっていう風にね、なかなかこう言ったりと物事を考えられないっていうのがね、あの長としてあるんですよ。だからその下手するともうあんまり意味のないようなハードルをね、自分で作っちゃって、でそこに、もうとにかく到達するためにもひたすらもう汗かくっていうことがそれそのことが大事だっていう思い込んでしまう。だからそれが例えばその企業社会だってあんまり意味のないようなハードルを作ってそこに一生懸命やれやれ働き働けっていうことで価値を生まないようなね、あるいはそのむしろマイナスの価値を作っちゃってるって事がありゃせんかっていうね、そういうこととも繋がってるんじゃないか。

ひろゆきさんは仕事と同じぐらいゲームやってるっていう有名ですけど、ゲームでアイデンティティは手に入ってますか?

必要というのが多分最初から間違ってるんですけど、でもその社会で承認されてる人は価値があって、そうじゃない人は価値がないっていう思い込みを多分日本の社会はみんなに押し付けようとしてて、でなんか世間体とか社会を騒がせるのは良くないよね、でなんかっていうのは今は世間はこういう風にするのが当たり前とかっていう法律とは違うルールをみんな守らなければいけないって思い込まされてるじゃないですか。なのでその社会でも価値のある人でいなければならないっていう誤解をし続けってる人が多数派になっちゃってるっていう事な気がするので。でなんか昔だとじゃあそのもう引退しましたで孫の世話をしてますっておじいちゃんおばあちゃんとかって別に存在価値ないとか言われないわけじゃないですか。別にもう好きに暮らせばとで生きがいなんですか孫の世話しても楽しいでそれて幸せだから別に十分じゃんっていう話が、あなたは社会で何で役に立ってるんですかみたいなことを聞くようになったということが間違いだと。

そうですね。なんか他の国で僕その話あんまり聞かないですよ。なんか引退しましたって言ったら引退したんだっていうのでなんかバカンスとかにしてるの楽しそうだねで終わりなのになんかその社会で価値がありますかあなたの社会的ななんかその存在価値を教えてくださいみたいなことを聞くっていうのがそもそも間違いであるって言う。なんか人を殺してはいけない、なぜですかって聞くこと自体が間違いだよ。みたいなのと一緒で、なんか聞いちゃいけないことが多分当たり前かのように聞いてるっていうのがどうなのかなと思うんですけど。

全くそうだと思います。なのでちょっと結論としてはどうやって働かなくてもいいじゃん作っていくかっていうことにたどり着くかなっていう感じがします。生活保護みんなが取りまくって、それが当たり前になっちゃえばいいんだと思うんだよね。だから周りみんな生活保護取ってるんだから別に俺も取っていいじゃん。で、あいつらみんな働いてるんだから僕働かなくていいじゃんっていう社会にしたなんかより豊かになるんじゃないかなと思うんですけど。

心は、それが僕がベーシックインカムについて持っているちょっと懸念というか批判なんですよ。っていうのは今おっしゃった通り、僕達って心が弱くて、ちょっとお金もらったぐらいだと働くのやめられないんです。でなんか働いてないと自分のアイデンティティが由来ちゃうとかなんか働いてないと世の中とか社会に対する責任を果たしてないみたいに未だに僕たちと思ってると思うんですよ。で本当に重要なのは、その働いたりお金を稼いだりしなくても特に気にせず自信を持って生きていけるような人間をどう作るかっていうのが長い目でみると社会に僕が重要だと思ってるんです。それを実現するためにはベーシックインカムとのあんまり役に立たないんじゃないかと思っていて、お金を配るっていうよりもむしろ人間の心とか考え方みたいなものをどう改造するかっていうことを考えないといけないんじゃないかなと。

その生活に困窮していて最低賃金に近いレベルで働いてる人達って、その自分にスキルがなくていつでもその非正規雇用だとクビにされるかもしれないしっていうので多分やりがいってそんなに感じられてないままずっと生活のために働き続けてるだけだと思うしね。なのでそういう人たちのうつ病もやっぱり発症するわけじゃないですか、働いていたとしても。で、そのじゃあ例えばじゃあベーシックインカムになりましたって時に、じゃあお礼も中学校でバスケ教えるわっていう人でも暮らせるわけですよ。中学生にバスケ教えてそのチームがじゃあなんか大会で勝ちました。ああよかったじゃあ。でじゃあ今度高校でも教えますとか、剣道でもいいし、その中縄跳びとか何でもいいんですけど。で何かその地域に貢献することで自分がやってることの結果が出る。でその子供たちでありがとうございましたって言われるだけ。でどうでもいいコンビニで働いてるように、よっぽど満足度高いと思うんですよ。

なんで会社入るといいと思いますか?

やりたいことがないとか何もなかったら一旦あるし、会社というのに所属してまあ安心感が得るとか最低限の収入を得るみたいなところではいいかなと思ってます。あと会社に入ったらいいなと思うのは、日本はネームバリューとか働きとかにすごい判断されるじゃないですか。というよりかは大企業に入ってるっていうのが高く評価されるから入った方がいいんじゃないかなと思って。だから多分会社に入るとかってそういうなんかツールとしての価値とかステップとしての価値みたいなのが基本なんだと思うんです。ほぼ全ての人にとって。だからなんかよく就活とかってやりたいことがとか何を目指すべきかみたいなちょっとべき論っぽい感じになるじゃないですか。もっと気楽になんかただのゲームとして自分にとって大事な駒を揃えるように就活すればいいんじゃないかなっていう気もするんです。

っていうのとなんかその自分に合ってるものを見つけなくちゃいけないとか、自分がこう極めていく道を見つけ出してそれにあってる会社を選ばなくちゃいけないみたいな感じあるじゃないですか。それって何か受験生とかも同じようなこと結局言うわけなんですよ。受験勉強で何か偏差値ばっかり気にしてていいんだろうかとか。だから受験にしにしても就職にしてもまあ別に有名な会社入るのが難しい会社とかに入っておけばいいっていうことにほぼ全ての人にとってはなるんじゃないですかね。もしそんなやりたいこととやるべきことがあるんならまあまあもうすでに就活してないと思うんですよ。ある意味で就活してる時点でそんなにまだすごい強い情熱とかすごい強い欲求とかないってことじゃないですか。それ全然いいと思うんです。

それだとしたら結構開き直って一番なんかオプションバリューというか、今後どういう方向に進んでいっても価値を持つような会社を目指すというんで、すごいしょうもないゲームとして捉えていいんじゃないかって思ってます。

KPIを無視する力ですかね。その心。あるいは価値観とか評価指標みたいな無視すると言ってもいいんですけど、人間が抱えてる不幸とか不満足のうちかなりの部分は間違った評価指標を自分の心に吊り込みすぎたことによって生まれてる部分が大きいと思うんです。学歴とかも典型だし、お金とかも典型だと思うんです。けどお金とかで人間が不幸になってる場合って本当にお金が足りなくて不幸になってるケースよりも、むしろ人間の幸福っていうのはお金を持ったりお金を使ったりすることで達成できるはずだっていう特に根拠のない価値観も自分に刷り込んでしまうと、でその刷り込んだ価値観と比べて今の自分は足りてないって思って不幸になる場合がすごいと。それと基本的に同じことなのが自分が何か持ってる額と人が持ってる学校比べる、とか自分が持ってたり変えるものと他の人買えるものを比べたりして、その比較で不幸になるっていう場合がほとんどじゃないですか。これって結局お金みたいなそんなに重要じゃない評価指標を重視しすぎてのために起こることだと思うんです。同じことってのがそのありとあらゆる領域で繰り広げられてると。学歴みたいのもそうだし、偏差値みたいのもそうだし、から世の中に存在するいろんなポジションとか型紙みたいなものていうのもすごく似た構造を持ってると思うんです。それって多分こう社会を動かしていく上では必要悪的な部分があると思うんです。それでみんなを幻想によって追い込んで馬車馬のように頑張らせると、個々人の観点からするとそれで不幸になってる場合すごい多いと思うんです。そこからどう自由になるかっていうことをもっと教育とか子育てみたいなレベルで考えてもいいんじゃないかなっていう気はするんです。

お金の例とかで行っても例えば3桁億円ぐらい資産を稼ぐ人って割合は少ないけど数として結構いるわけじゃないですか。日本人でも今多分1000人2000人ぐらいは資産100億円以上だと思う。一方で全然違うタイプの人を考えて、ほとんど一文無しにならないと目の前に100万円を置かれた時に、それにつられずに済む人っていうのちょっと想像したりするじゃないですか。僕の感触としては後者の方がずっとレアでずっと価値があると思うんですよ。後者みたいな人に逆に言うとほとんど会ったことがないんですよ。

そうですよね。あんまりイメージできないです。それができる人をどう作り出すかっていうことが大事なのか。

はい。なので価値観に従って勝利できる人を作り出すってことをやると、基本的に競争になったり勝ち負けを作り出す方法になっちゃうと思うんです。全員は勝てないですもんね。一部だけ。でも逆にその価値観から自由になって金があろうがなかろうがサウナと水風呂に使ってれば幸せでやたら上機嫌な人みたいなのにどうなれるかっていうのが自分にとっても大事だなと思って。僕自身がもう典型的に社会性ないのでそれを正当化してるだけっていう側面はあるんですけど。

これまで生きてきて社会性がつまりいい意味でのサイコパス性を持ってるということはすごく強みだなと思う。ともかくその人と同じ土俵に乗っかろうとしなくて済むっていうことじゃないですか。そうですね。その能力はすごく大事だと思っていて、例えば学力で競い合ったり、あるいはなんかどれだけ有名な会社に入れたかできそうやったり、あるいはスタートアップでどれだけ時価総額を伸ばせたかとか、どれだけ資金調達をできたかったんで、そういうのなんか分かりやすいじゃないですか。でもこの手の物ってやっぱわかりやすい指標での競争なので誰でも参入できてすごく危険で難易度の高い競争だと思うんですよ。その競争がたまたま得意だった超超一部の人以外にとっては全く理にかなってない証拠してると思うんですよ。確かに僕とかたまたまその学力軸みたいなのの競争が自分にとってはすごいいいレースだったんですけど、他の人たちを見てるとどう考えもコスパ買ってないと思うんです。そうするそれ戦い続ける能力よりそこから離脱する能力の方がずっと大事なんだろう。

そういう意味で言うと学校みたいなものが矯正してくるような価値観とか、会社が強制してくるような価値観とか、あれは資本市場が強制してくるような価値観から逃げ出す能力をどう作り出すかっていう意味で社会性をどう自分の中から削ぎ落としていくかっていうことが教育の大事な役割なんじゃないかなっていう気はしますね。

でもあともう一つ大事かなと思うのは、なんか働き方が職業においてやっぱりすごく古くて、歴史を通じて残ってきたものはそんな簡単には消えないと思う。なのでやっぱり職業選択とかその仕事の選び方で僕たちの悪い癖は今周りにいる人たちのうち多くの人がやってる事ってすごい流されがちだと思うんですよ。もし流されるんだったら今周りにいる人たちじゃなくて、歴史を通じて人類がやってきたいろいろな仕事の中でずっと残り続けてきたものを多くの人がやってきたことっていうことの、方が残りやすい可能性は高いのかなって気はするんです。

処世術としては学歴とかあればあるに越したことはないと思うんですよ。ただ同時に処世術とか戦略として学歴を持つかどうかってことと、それが大事だと思うかどうかってことは別だと思うんですよ。でたまたまその競争に失敗してもそれにコンプレックスを持ったり恨みを持ったりしなくても済むような心の持ち方をどうやって作り出すかということが大事なのかな。職歴みたいな世界においては単純にその分かりやすいヒエラルキーの上をどんどん目指していくっていう価値観がちょっと壊れつつあると思うんですよ。それと同じことが学歴とかについても起こせたらいいんじゃないか。でそのためにはその学歴見たら軸で成功するっていうことがいかに別の軸で呪いを作り出してしまうかいかに退屈な生き方しかできなくなってしまうかみたいなことをみんなが認識するようになればいいのかなって気はするんですよ。

東大みたいなとこ行っちゃうと親戚の人たちから何の文句も言われないようなキャリアパスが目の前に出てきちゃうわけですよね。だからその深い動機もなくそれが人が羨む道だという理由だけで入っていっちゃう人はものすごく多いんですよ。でだいたいあの今の僕くらいの年になるとみんな人生の危機に直面するというアイデンティティクライシスに直面するってのがすごく多い。そういう意味で言うとそういうその普通の優等生コースに乗っていくことの残念さみたいなものっていうのがもうちょっとみんなに体感として伝わるようになるといいのかなっていう気はしますよね。

個人が生産性を上げるっていう意味では成田さんご自身が何かこう生産性を上げるためにやっていることってありますか?

一つは無駄だなと思ったことをやってくれと言われた時に嫌ですという断る力です。嫌われに行くということ。難しいですけど気分転換も大事かなと思います。昼寝とか焚き火とかろうそくつけてみるとか色々やったりします。

難しい問題なんですが大事なのは貪欲になる。欲を出すってことかなと思うんですよ。でとある民間の研究所が調べたアンケートで日本人が給料控除したことがありますかって言うと7割の人がないって答えるらしいんですよ。転職しても給料が上がりましたかって言うと上がらなかったっていう人の方が多いらしいんですよ。なのでこうみんな企業側もその工事働く個人のがもうちょっと遠慮しちゃってるって部分があると思うんです。受け入れがちですよね全てのことね。なのでその転職する先を積極的に探してで必要であれば今の場所と交渉して賃金を上げていくとか、企業側もいい人材がいると思ったらお金を積んでも取りに行くみたいな形でちょっと小川さんみたいにガンガン戦いに行くという人が増えるといいんじゃじゃないかなと思ったり。

するところで戦いですか。大きな変化が生まれようというこの全体の潮流がある中で新しいこの働き方を模索する日本の企業そして働く一人一人になんか成田さんから何かアドバイスというのはありますか?

そんな偉そうなことは言えないんですよ。やっぱり縮こまったりこれまでの慣習にとらわれずに自分が手に入れたいと思うものを積極的に手に入れていくっていうちょっとを出していくっていう姿勢を企業も個人も取ることが結果としてみんなの収入を上げていくってことにつながるのか。

貪欲であれということですね。

とはいえ転職してもねうまくいくかどうかわからないという中でどういう意識でこう働いていったらいいのかなという不安を抱えている方って今すごく多いんじゃないかなというふうに思うんですけれども、この辺りどんな風に?

多分日本社会が変わってしまってみんな多かれ少なかれ不安を感じながら生きていくしかない社会になったって受け入れちゃうのが早いんじゃないかなと思うんですよ。なので昔の日本社会と今の社会を比べると色々な形でなんか不確実でよくわからないっていう感じがするじゃないですか。でもそういう風に世界が変わっちゃったんだと思うんですよ。これだけこうビジネスの環境とか技術の環境の流れが速くて20年経つともう全くトップの企業の顔ぶれも一新してるって感じですよね。なのでそういう世界になってしまって世界中の人がそういう感覚と戦ってる。日本人もその例外じゃなくなってしまったっていうことなんじゃないかなと。それは避けられない流れなのであるとなので自分だけが辛いわけではなくて日本人みんなちょっと不安で人類みんなちょっと不安っていうぐらいに思っておけばそんなに辛く感じる必要もないんじゃないかなと思います。

働く中で一貫して生き続けてらっしゃる感覚ってのあるんですか?

僕はそもそもあんまり働きたくないというのと、分かりやすいキャリアとか仕事っていうのをできるだけ作らないようにしていて、やっぱりこうはっきりとカテゴリがあるものとか仕事の名前がついてる物って競争も激しいしいろんな人も入ってくるじゃないですか。そうすると人と競争しなくちゃいけなくてつらいんですよね。なんか自分自身の場合はできるだけ何やってるのかよくわからない人になって他の人と競い合わなくてもいいようにしたいなと思ってよくわからないことをやってるっていう感じのスタイルも気づいていらっしゃる。

たまによくわからないです。ただちょっと振り返ってみると、そういう成功者のメッセージみたいなのに僕はうんざりしてるっていう部分もあるんです。なんかあらゆるところにそういうものが溢れかえってるじゃないですか。いろんなメディア見てもイベント見ても本を見てもなんかそういうビジネス啓発っぽいもの自己啓発っぽいものに溢れてる。ただお約束しますがほとんどの人間にとって人生はそんな大したものにはならないですからね。あの成功物語とか程遠いですね。結構グダグダな人生が待ってると思うんですよ。自分の経験からそう言えると思ってます。

さらに成功者って言われるような人もですね、よくよく見てみるとそんな大したことない場合が多いと思うんですよ。たまたまいい人とかいい組織と巡り合えたとか、あるいは生まれながらにすごく特殊に恵まれた体を持ってたとかスタイルを持っていたとか頭脳を持ってた。そんな人ばっかりです。さらにはたまたますごく伸びてる業界があったりとか、いきなり爆発する領域があったりしてそこにたまたま出会わせたというただただ運が良かった人っていうのも多いと思うんですよ。そうそういうたまたまうまくいった人っていうのを僕たちはこう祭り上げてですねでその過去の経験に基づいてそこから無理やり教訓を引き出したりね未来に向けたメッセージを抽出しようと頑張りすぎる傾向がちょっとあるなっていう気が前からしてるんですよ。ただ成功した人っていうのは運がいい人なんでそうそういう人たちの経験とかその人たちの教訓っていうのは結構偏っていて歪んでるものの場合が多いと。とてもデータとかエビデンスとは呼べないようなものの場合が多い。そんなところから無理やり教訓とかを引出して本当に未来に向かって役に立つのかっていう気が正直しちゃうんですよ。

本当に大事なのは成功者のメッセージを聞くことではないんじゃじゃないかという気がしてるんです。じゃあ何が大事なのか僕がもっと大事だなと思うのは、うまくいくかどうか全くわからない。むしろ多分失敗するという中でもとりあえず無理やり足を踏み出してしまう意味不明な勇気というのをどう持つかということじゃないかと思う。っていうのは人間がいろいろやれることとか言えることを考えられることの中でもうすでに僕たちが試してきて成功したものっていうのはもうごくごく一部ですよね。でその裏側にはまだ試されてない領域とか忘れられてしまったこととか、あるいはそこは何もないから行かない方がいいとか、そこは地雷がたくさん埋まってる領域だから手をつけない方がいいと言われてるような領域がブワーッとたくさん広がってると思うんです。僕たちはその中で何の保証もなく、もしかしたら足を突っ込んだら突然爆発して爆破されて終わりかもしれないっての領域にとりあえず足を踏み出さなくちゃいけない。その時に実験をしてみる一歩足を踏み出してみる何の根拠もない勇気をどうか。それが大事なんだと思うんです。特に最近の社会ってコンプライア社会とかよく言われるじゃないですか。そういう傾向が強まりすぎるといかにして常識とかあるいはみんなが従ってるようなルールっぽいものというのからちょっと逸脱して新しい方向を試すか、やってはいけないやらない方がいいと言われてるようなものにちょっと手を伸ばしてみたり、言ってはいけないとか言わない方がいいと言われてるものをとりあえず行ってみるというような実験っぽい精神をどう持つかっていうのがとても大事になってくるんじゃじゃないかなと思う。そういう成功するかどうかと全く関係がない、とりあえずわけがわからないものを試してみるという精神。これをどう身につけるかというのが一番大事なんじゃないかと思う。成功はいったん忘れた方がいいという記載します。

じゃあどうすればまだやられてないこと、やらない方がいいと人が思ってるようなこととか、言わない方がいいと思ってるようなことに手を伸ばせるんだろうか?人間はこうそのための方法を3つぐらい作り出しきたんじゃないかなっていう気がするんです。その3つというのが僕が幼児性、異国性、そして物質性というちょっと謎めくキーワードでまとめているものなんです。

一つ目の幼児性というのは、幼児つまり子供であることとか子供になることというのを利用するという手なんです。この聖書の一番よく表してるおとぎ話があるんです。裸の王様っていうおとぎ話なんですよ。この裸の王様っていうのはもともとオリジナルのタイトルがあって、そのタイトルは王様の新しい服っていうタイトルにあるんですよ。ファッションに関わるお話なんですね。で、そのファッションとか服が好きな王様がいらしいんです。で、その王様を騙そうって言って詐欺師たちが寄ってくるんですよね。その詐欺師たちの殺し文句というのが面白くて、世にも珍しい透明の素材でできた服を開発したんだと言って寄ってくるんです。で、それで口八丁で八丁でうまく王様をですね思い込ませることに成功するんです。ここにあるこれは確かに透明の素材でできた服だと。で王様は喜んでその透明の服というのを着てですね、裸のままパレードに繰り出し始めるんです。王様は偉い人だからそうやって思い込まされてるの見てると周りの人もちょっとそれをだてなくちゃいけないのかなっていう気になってくるんですよね。で、その透明の服と称するものをみんなで見て、これは美しい、美しいと言ってみんなで同調し始めるんです。で王様はついに素っ裸のままその透明な服を着てパレードを始めてしまう。そこに一人の子供がいたんですよね。子供はまだ大人の世界の共通了解を知りません。常識もない。忖度しないというかそもそもできないわけなんですね。で、その素朴なナイーブな正直さを持って、あ王様が裸だと指をさしていってしまう。そんな物語なんですよね。ここに現れてるのはバカになれというメッセージ、そして無知になれというメッセージなのかと思います。つまり何かを発してしまって何が起きるのか全くわからない。考える力さえない。常識もなくバカで無知な子供だからこそ言えてしまうことやれてしまうことがあると。というメッセージがここにあるような気 がします。

同じようなことが2つ目の異国性というものについて見えるんじゃないかと思います。異国の地理つまり部外者だったりアウトサイダーだったり、あるいは広い意味での外国人であるがゆえに言うべきことややるべきことを一方的に言ってしまえるというものです。僕もちょっと外国人ぽいところがあってなんか日本社会に半分属してるようで属していないから好き勝手のことを言えるという側面がちょっとあるのかなという気がします。最近皆さんも好きかもしれないガーシーさんとかっていう方いらっしゃいますよね。あの人も何をやっているのかわけがわからない感じになってます。が日本社会に属していないからこそタブ芸能界のタブメディアのタブーみたいなものを無視して好き勝手なことをやる。それいいのか悪いのか賛否両論あるでしょう。ただ外に属してるからこそ何か言えるという側面があると。でこういう形で子供になったり、あるいは部外者になることによって、その社会に外側から圧力をかけていくということが人間ができることの2つのアプローチなのかなと思います。

ただちょっと考えてみるとこの幼児性とか異国性とアプローチは突き詰めるとダメなんじゃないかという気もしてくるんです。なぜかというとこの2つ、これまでお話しした方法は所詮外側から社会を変えようとするアプローチですよね。どちらもその社会に属していないちょっとアウトサイダーだからこそ、そこにてこてこてこと出かけて行ってなんかピンポンダッシュかなんかのいたずらをしてあっかんべーと言って去っていける。そういう部分があるわけです。よく言えば外圧、悪く言えばただのヤジを飛ばしてる野次馬とあまり変わらないですよね。本当に大事なのはその社会の内側からその社会を変えるような変化をインサイダー自身がどう作り出していくかということではないかと。で内側から変化を作り出すという上で大事になるだろうと思うのが最後のキーワードである物質性と呼ばれるものです。武士の心ですね。この物質性というものを表すエピソードというものが歴史上にいくつかあります。そのうちの一つが日本の第二次大戦後の復興にまつわるエピソードなんですね。

ちょっと大昔の第二次大戦直後に戻ると、日本は東京結構焼け野原になっていてGHQっていう組織に占領されたっていうのは有名な話ですよね。で特にそれまで日本経済を牛耳っていた大企業の経営者たちとかってのはばーっと追放される。財閥企業っていう一番大きな企業たちも解体させられることになったんですよ。その時にその財閥の一角を握っていた渋沢財閥で財閥があったそうなんです。その財閥はそのトップが当時大蔵大臣をやっていたこともあってGHQからあるニンジンをぶら下げられたそうなんですよ。密を提示された。それは自分たちに協力してくれたらお前たちだけは財閥解体を免除してやってもいいぞという特権を与えられたそうなんですよ。とても面白いのは当時のその渋沢財閥というのがその特権を拒否したという話なんです。つまり解体しなくていいと言われたのに自ら解体される道を選んだそうなんですよ。その決断を当時の財閥のトップは2個没という合言葉で表現しています。2個没というのはニコニコ笑いながら没落しようというメッセージです。

ここにあるのはいわば社会とか経済を次のステージに持っていくために自分たち自身を解体してしまう。やってはいけないこととか言ってはいけないことを言うどころではない。むしろそれに手をつけたら自分自身が解体されてしまう。自分自身が返り血を浴びてしまう。そして自分たちが死んでしまうかもしれないというような危険を積極的に引き受ける。それによって世の中自体を次のステージに持っていくというそんな精神がここに現れてるんじゃないかなという気がします。

そう考えていくと僕たちが本当に参考にすべきそして尊敬すべき存在というのはいわゆる分かりやすい成功者ではないんじゃないかなという気がしてくるんです。成功の上に正攻法を積み重ねていって自分を高めていくような存在というよりは、むしろ自分たちの成功や経験というのを積極的に破壊できるような存在。自分たちが成し遂げてきたことというのがもしかしたら何の意味もないのかもしれない。それどころか世の中にとって害でさえあるのかもしれないという意識を持って自分たち自身を解体していけるような存在。そういう存在こそが世の中を内側から変えていくために最も大事な存在なのではないかという気がしている次第なんです。

これが一番最初に紹介して多分皆さん のほとんどがもう忘れてしまっている言葉 に返ってくるんですね。投げられた石にとって登っていくことがいいことでもなければ、落ちていくことが悪いことでもない。これから皆さんは何か登っているのか落ちているのかよくわからないような状態、うまく行っているのか言っていないのかわからないような状態、成功に向かってるのかただぐずぐず停滞してるだけなのかわからないような状態、そんな時間をすごく長く過ごすことになると思うんですね。自分もそうですし、誰もがそうなんだと思います。ただそこで何か諦めたり判断したりしないでいただきたいという気がします。むしろ何がいいことで何が悪いことなのかわからないような状態に耐えることこそが生きることなのではないかなという気がします。そしてもしどこかで周りの人たちが成功だとみなすようなものをもし皆さんが成し遂げたとしたら、そこから積極的に没落することが大事なのではないかなという気がします。ニコニコと自分自身が作り上げてしまった成功とかプライド、それをどう破壊して積極的に没落していけるか、それが大事なんだろうと思います。