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大学の質問コーナーです。いつもありがとうございます。模倣について掘り下げてお聞きしたいです。私はダンスやヨガなど、インストラクターの動作やポーズを模倣することが苦手です。一方で妻は簡単に真似することができています。私は右手は開く、左足は閉じるという風に、左右手足の動きを個々に捉え、結果として流れの中で手足が逆転したり、テンポがずれることが多いです。妻は左右の手足のというよりは全体の動きとして捉えているようで、右左を意識せず動作を捉えているようです。本にも説明するのが難しいようですが、模倣がうまくいっている人は動作を全体として捉えていて、左右さを感じていないのか、もしくは無意識に右の動作をそのまま左に置き換えるのができているのでしょうか。模倣する見ることのコツと左右さについてご意見いただければ嬉しいです。
これまた大変に興味深いですね。ご質問でですね、え、ま、色々どこから行こうかなって感じなんですけど、まずは模倣の話をして右左に行きたいと思いますね。で、模倣はですね、えっと、おそらくこれ男女差があると思ってます。で、女性の方が模倣がうまいですね。で、それをま、一般的にほら、男子は力でなんとかして、女性は力を抜けるからうまいんだよとか言ったりするんですけど、多分私はですね、これミラーニューロンというか共感能力が関係してるんじゃないかと思うんですね。つまり、相手の体の動きを自分のものとして、見たものをこちら側で再現するっていうことを、え、ですね、分析だと難しいんですね。なんか分析的にやるっていうよりも、相手になったようにやるっていう演技に近いんですね。モノマネとか。だから1個1個の部分部分を見るっていうよりも、えっと、なんてでしょうね、これちょっとま、こういうのを好きな方だったとしたら、あの、いいと思うんですけど、スタニスラフスキー・システムってのがありまして、これがま、演技の世界では、あの、演劇の世界では教科書的に捉えられてるそうなんですけど、要するに、え、どういう風にやれば人は演じられるのかってことやってくんですね。で、その中に、あの、模倣の力ってのがスタニスラフスキーが話をしてるんですが、これ何が言いたいかと言うとですね、見た目だけを模倣するとどうしてもエギくさくなったり、ギシしてくると。ところがその人の置かれたとか背景とか、その人の性格を想定していったところから始めると、非常にいろんな動きとか発言が連動性を持って自然に演じることができるということを話してるわけです。で、決して個別の動きじゃないんだと。その人にまず状況を描くところから始めると、そのようにならざるを得ないっていう、そういう考え方をするんですね。で、人の動きの模倣って多分これにちょっと近くて、1個1個見るっていうよりも、ま、その人のようになったように、ただ動いてみるとかですね、キリンになったように動いてみるとか、熊になったように動いてみるとか、そういうなんしょうね、ま、これも模倣なんですね。当然キリンじゃない、首長くないし、森あのクマじゃないから体も違うしまなんなら、え、なんでしょうね、柳になったようにってせ植物で生物動物ですら ないっていうものに対して、そのように自分があえてなったように動いてみるっていうことをやるのが、この今上手にできるかどうかの第1歩さです。これ分析的ってよりも、分析したって対象物があまりにも違うんで、分析もできないわけですけど、ま、それに自分が乗り移ったかのようにやるっていうことで、自然と出てくる動きが表現されていくっていうことなんだろうと思います。
で、え、私以前ですね、えっと、あの、ま、非常に天才児っていうんですか、ジーニアスって言われる、ま、例えば宇宙をいきなり興味持って研究しちゃう小学生とかですね、そういう子たちを集めたコミュニティがあって、その子たちに体育を教えたことあるんですけど、ま、多くの子はやっぱり、え、運動が苦手だったりするんです。で、その中で1人面白い子がいて、走るっていう行為が1個1個考えすぎて転んじゃうっていう子がいるいたんですね。ま、あの、非常に強いアスペルガーの子供だったんですけど、ものすごい優秀な子で、で、その子は1個1個の動作を全部頭で考えてしまうんだっていうことを言ってたんですね。で、その子にアドバイスしたのが、ま、色々やったんですけど、するにもう目の動きだけですね。だから、あそこほら見て、見たまま、見たまま、見たままとか、そういう風に自分の意識を身体に一切向けさせないことをやっていった結果として走れて、ま、走れるとですね、え、すごいじゃんて、ま、向こうからすると、それまではただのハードルおじさんなわけですよね。ハードルおじさんですらないと、なんか急に来て体育を指導し始めたおじさんだなって感じなんですけど、ま、本当にそれがやってうまくできたら、あ、ちょっとやるちゃんて尊敬してきて、で、バーっと急に宇宙の話しかしらしてみたいな子だったんですけど、でも、ま、要するに人の脳に特性が結構あって、そういう風に分析的に見る人って男性に多いと思うんですね。で、納得するとできると、自分でロジックが納得できないと体で表現できないっていう、なんですけど、それも正しいんですけど、まずは自分の体が動くって行為はとても無意識的なもので、模倣は共感的なことなので、一切色のもの取っ払って、なんかそれっぽく、細部はどうでもいいんで、それっぽく捉えてやってみると、そしてロジックを理解し細部を詰めていくって、そんな順番がいいんじゃないかと思います。
で、左右さです。これは、え、ま、正直右も左違ってもどうでもいいんで、気にしなくていいと思うんですけど、これはあのピダハンていう本がありましてですね、え、右と左っていう言葉を持たない種族なんですね。で、その人たちが右と左を使わないでどうやって世界を認知するかっていうこと。で、ま、川沿いに住んでるんで、川の上で下で、自分がどこ向いてても川の上の方、下の方って説明をするんですけど、面白いことにですね、目の前にこうやって3つ並べますよ。例えばリップクリームがあって、真ん中にペンがあって、1番右にこう分ちがあると。で、これを後ろにそのままやってくださいっていう。大体多くの人はですね、こういう状態だと、こういうもの作るんです。あの、このところがピダハンは右と左がないんで、この形のまま、ままるで自分が天空から見てるようにですね、この状態をこのまま作るわけです。左右が入れ替わらないと。自分に対しての左右ではなくて、絶対的な位置がそのままあるっていうことをやるんです。で、左右ってこ実はすごい人工的な概念で、ま、極めて主観的ですね。私が定義できないと、誰かが定義できないわけですから、あの、こ、こ、誰に対しての左右なのかっていうことは常に問われるわけです。だから目の前の人の左は私にとっての右であるみたいなことなんですけど、これを言語的に考えていくと、あの、後から我々が生み出したことなんで、自然界にはないことなんで、左右ってのは我々が左右を生み出してるんで、左右を意識するには常に私と私という中心と左右って話になっていきて、これって運動する上ではおそらくすごくスピードが遅いんです。常に一旦考えて左右という言語的に考えて落としてくることなんで、スピードが遅いと。ま、そう考えていくと、ま、左右っていうものを、あ、1回取っ払って、右だろが左だろが、間違えてようがやるっていう方が、ま、運動ってやっぱりとても無意識な動作なので、そっちの方が自然に動くんだろうなという風に思ってます。ですので、何かを見て模倣しようという時には、決して自分が客観的に観察してるんではなくて、一生懸命その中に入ってみて、一旦そのようにやってみると、いうのが、あの、考えることを1回捨てて、そのようにやってみるっていうのがとても良いんだろうと思っております。ま、ちょっと言ってることわかんない私も話しながらなんか、えらい抽象的だなと思な話しましたけど。でも、あの、もし頭の方で理解したかったらですね、先ほど言ったピダハンともうなんだっけな、なんか本の名前出しましたけど、それを是非読んでいただけるといいんじゃないかと思います。え、全く別の本ですけども、自然界における左右右左みたいな本もありまして、これ、カタツムリの巻き方が毎回同じ方向なのはなぜなのかみたいな、非常に興味深いことを書いてる本なので、こちらもお勧めします。