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子供があまり頑張らない時はどうしたらいいですか

為末大学 Tamesue Academy7:44

Transcription

え、試せ大学の質問コーナーです。質問です。子供がスポーツをする際に夢中になることが大事で、親はあまり余計なことを言わない方がいいという考えは本当にごもっともと思っています。子供に強制させてはいけないと日々自分に聞かせています。

ただ、これはよくある事例だと思うのですが、何かのスポーツ少年団などのチームに入っていて、子供はその時間は楽しそうに取り組むが、家では自主連など一切やらない。走行しているうちに後からチームに入ってきた子に実力で抜かれてしまった。ここで親としては我が子には危機感を持って自主連などに取り組んでほしいのに、一向に何もやらない。親はこのままだと試合に出られなくなるぞなどと言って自主連メニューを作ってしまう。

このような状況はどうしたらいいのでしょうか?それでも親はこう掘っておくという状態が良いのか、もしくは家でもそのスポーツに夢中にさせられるように工夫するのが良いでしょうか。お考えを聞かせていただきたいです。

あるあるある中のあるああるですね。え、これのようですけどバイケースだと思うんですけども、でもその上でどう考えるかてとこの話をしたいなと思うんですね。

で、おっしゃるようにですね、人が何かに、え、夢中になったりですね、好きになるとか自信をつけるっていうことって、え、ま、主体的に自分が取り組むってことは大事だっていう、これ私の基本的な考えなんですけど、ま、そういう風に結構世の中もありますよね。例えばなんかそういうのはありましたっけな。内発的同期付けとかですね。外発的同気づけってのは外からやってくるモチベーションだけど、内発的ってのは自分からやりたいっていうものなんだとかですね。え、私のように死体性が大事なんだって子供たちがやりたいようにさせてあげましょう。外は強制しちゃいけませんよっていうところがこれ前提にです、私と外というのを2分してるわけです。

で、一方で社会はそうなってないですね。例えば、え、駅から家に帰る途中にラーメン屋さんがあって、ラーメン屋の前を通ると匂いがして、あ、ラーメンの匂いがする美味しそう。お腹空いた。ぐーってなりますよね。でもこれはお腹が空いていたことをラーメンの匂いが気づかせたのか、ラーメンの匂いがお腹を空かせたのかっての微妙なとこにありますよね。俺と同じように結局人のモチベーションなんて周辺環境と自分との間の相互作用で生まれてくるもので、どっちかに確実に依損してるわけじゃないわけですよね。

で、基本的にはこの間をずっと教育って私は論争してると思うんですね。この間、この間のどの辺ですか?あなたの教育感っていう。で、全部自分っていう教育感は外から基本的に決めちゃいけないと。本人の自由にさせようと。本人が決めたらそれがその子の人生なんだね。で、外から強制するモデルっていうのは、あの、本人が何を好きかは本人は気づけない。例えば赤ちゃんその場に置いといたら何もやんないでしょと。で、子供その場に置いてたらどうやってその子がクロアチアを好きって気づくんですか?て、それクロアチアの情報に触れる機会を作んないとダめでしょってことになるので、周辺の環境を作る人はこれはどう、あれはどう、いや、もうちょっと頑張ってみたらいや、そこは来られるとこでしょうと色々アプローチすることで引き出していく。

このスポーツ選手のオリンピアンはです、自分から実施的にやってるんだってよく現説がありますけど、ま、考えてみるというとですね、室フ家は子供の時のお父さんがハンマー投げてる横で遊んでますし、吉田さのおじさんですかね、ま、レスリングの道場やってたり、井上高生お父さんが柔道やってたりとですね、子供の時にそれが好きと思う前にすでに環境がそうであったっていうわけですね。で、これつまり環境が自然とあることと意図的に大人が持ってくることは一見違うようですけど、ある種の強制なんですよね。周辺環境。それ以外が選べないわけですから。環境、我々が日本語喋るってのは日本語の環境に生まれたわけなんで、ま、そういう意味でいくと、あの、子供の死体性と周辺の強制との間を綺麗に分けるっていうのはロジックとしてはシンプルでいいんですけど、本当はこの間のグラデーションが全てで、だから答えがないっていうのが、ま、私の逃げのようですけどね。私の回答なんです。

で、その上でじゃどうする?どうすればいいんだろうって言うと、ま、やっぱりある程度想像してもらうのは大事な気がするんですよね。頑張んないとレギュラーが取られるんだとかいろんなことです。ま、その時にレギュラーを取られたら悔しいからいやそしたらもう活躍できないから悲しいでしょっていうのは悲しいかどうかわかんないわけですね。私は陸上のレギュラー取れたり悔しかったんですけど、学校の勉強であいつはダメだなって言われるのはあんまり悔しくなかったんです。そのように子供が本当にそんなスポーツをするのは好きだけど、そのスポーツで上に上がりたいと思うかどうかは正直わかんないわけですね。スポーツにもいろんなモチベーションありますから。そしていや、いいんだ、このスポーツで勝たなくでもって言ったところで、それが問題かどうかは、ま、結局家のほうで決めるっていう感じだと思うんです。でもそこで意図して、え、いや、我慢して、ま、それはこの子は決めることだからってやりすぎても良くない気もするんですよね。

あの、負けたらおしまいだっていう、そういう親から立派なオリンピアンとか有名な学者さん生まれたりしてるわけですよね。だからなんか表面に見えてるそのスタイルとその人の奥にあるその人らしさっていうので関係で決まるんで、なんかちょっと難しいわけですよね。これね、外から見たらパワハとかモラハラに見えるけど非常に愛を感じてるってパターンいっぱいありますしね。逆に非常に丁寧で優しいんだけど本当に冷たいなこの人っていうパターンもあるじゃないですかね。人に興味ないんだなとかそういうのバランスなんで、ま、難しいなと思うんですね。

でも私はまずは1つこれこの時がチャンスだなと思うのは、実力で抜かれてしまいレギュラーから落ちたという経験を子供は1回した方がいいと思うんですよね。あ、練習しないと実力で負けてレギュラーから落ちるんだって。その時にその子が悔しいって思うか、まあそんなもんかなと思うかは、ま、そのある種子自身のなんて言うかな、あの性質で決まるんじゃないかと思うんですね。その時に別にいいやと思っても他のことでは悔しいと思うかもしれないですね。でもご家庭が絶対にそういうのは嫌なんだという価値観だったら、ま、それはしょうがないですよね。まあ、しょうがないでしょう。うちに生まれてきたんだからうちの価値観で行かせてもらうよっていう一言言って、ま、やったらいいんじゃないかと思うんですよ。負けてお前負けたらおしまいだろうみたいなのもまああるっちゃあると思うんですよね。という感じがいたします。

1つポイントとしては執着しないってことじゃないかと思うんですね。子供がレギュラーに落ちそうでお前これ練習しないとやれだぞって言ってやれやれっていうのはいいんだけど、やれやれって言ってもやっぱやんないんだ。ま、じゃあしょうがないなはいいんですけど、やれやれやれ。なんでやんないんだ。やれやれ。なんでやんないんだ。お前絶対やらないと許さないぞまで行くとやばいと。なんで何事もその執着なんだろうと思うんですよね。絶対にそうしなければならないっていう執着がはまっていいこともあるんですけど、そうじゃなかった場合にはちょっと大変になるので、その時は少しあ、まあしょうがないかという風に諦めるっていうのが大切なんじゃないかなと思ってます。

すいません。何の回答もしてないようですけどと私は考えますが、皆さんはいかがお考えでしょうか。