Transcription
成績が下がった。それだけなら単に内容が難しくなったのかもしれない。でも親は時々数字より先に違和感に気づく。
「最近熟どう?」
「別に普通。」
「普通って内容難しくなった?」
「うん。まあそうなのかな。」
「前期は結構良かったよね。」
「ああ、そうだね。田中先生だったし。」
[音楽]
「え、山田先生分かりづらいの?」
「いや、そういうわけじゃないけど。」
「じゃあ何?」
「うん。わかんないけど。田中先生の方が良かったな。」
「山田先生厳しいとか?」
「そうでもないよ。」
「ならなんで?」
「なんとなく。」
「こんにちは。」
「た志君のお母様、どうされました?」
「すみません。お忙しいところ少しだけご相談いいですか?」
「え、もちろんどうかされましたか?」
「あの、大した話じゃないんですけどね。え、最近高の様子がちょっと気になっていて、様子。成績も少し落ちてきてるんですけど、それより前に比べて塾に行くのを面倒がって、まあ、やる気が下がったって言いますか。」
「ふむ。」
「い、でも塾の話をあまりしなくなって、それでこの前ポロっと田中先生の方が良かったって言ったんです。もちろん山田先生が悪いとかそういうことじゃないと思うんです。本人もうまく理由は言えないみたいで。」
「ふむ。」
「なんて言ってました。」
「ただなんとなくとしか。」
「ふむ。」
「厳しいとか分かりにくいとかそういう感じでもないみたいなんですけど。」
「分かりました。少しこちらでも様子を見てみます。」
「すみません。変なこと言ってしまって。」
「いいえ。こういうなんとなくが一番大事なこともありますから。」
「山田先生、ちょっといい?」
「はい。」
「たし君のことなんだけどね。最近授業中はどんな感じ?」
「たし君ですか?うん。」
「そうですね。授業自体はちゃんと受けてますし、宿題もやってきます。ふむ。」
「ただちょっと反応が薄い時はあります。」
「反応が薄い。」
「はい。説明してる時は頷くんですけど、ざ一人でやらせると止まることがあるというか。」
「そういう時はどうしてるの?」
「そうですね。基本はどこが分からないか聞いて必要ならもう1回説明してます。」
「そうすると高志君はどんな反応するの?」
「いや、そこは正直微妙な時もあります。でも僕としては放っておくわけにもいかないのでふむ。止まってたらすぐ声はかけるようにしてますが。」
「なるほど。何かまずかったですか?」
「いやいや、君はよくやってくれてるよ。ただね、た志君が何がわからないか、分からない顔してる時あるでしょ?」
「ああ、はい。ありますね。」
「その時君は分からないところを聞くでしょ。」
「はい。」
「でも生徒によってはね、年齢に関係なく、まだそこまで言葉になってないことが多くあるんだ。教える側はつい子供が自分で説明できることを前提にしてまう。でも本当は本人にも何がどうなのかよくわからないまま手だけが止まっていることがあるんだよ。」
「じゃあそういう時ってどう見ればいいんですか?」
「それはね、何が分からないかを聞く前にこの子は今何を感じてるのかを見るんだ。」
「じゃあこの続きをやってみようか。たし君。」
[音楽]
「はい。」
「さっき一緒にやったやつだよ。まず何からやるんだっけ?」
「どこがわからない?」
「 えっと、じゃあもう1度説明するから分からなかったら言ってね。」
「はい。」
「間違ったことを言っているわけではない。でもこの会話の中で子供の本当の状態はほとんど見えていなかった。傾きが2で接片が3になるわけ。ここまで大丈夫?」
「大丈夫です。」
[音楽]
「あれ?今日なんか違うな。」
「じゃあ例題やってみようか。」
「はい。」
「理解できてないなけど問題わかんないっていうより頭に入ってきてない感じ。今日学校なんかあった?」
「いや、別に。」
[音楽]
「そう。部活はどうだった?」
「休んだ。」
「珍しいね。」
「うん。」
「どうしたの?」
「遅刻したら先生に帰れって言われたから帰った。」
「え、あいつマジでムかつくわ。」
「そっか。でも本当に帰ったんだ。」
「そう。やばかったかな?」
「大丈夫。明日は遅刻しないでけば先生何も言わないと思うよ。」
「うん。」
「よし、じゃあ今日はがっつり進むより1問ずつ丁寧に行こうか。」
「うん。」
「つまりね、君は何を教えるかをよく見ている。でも誰に教えるかが少し抜けてる。」
「誰に教えてるか?」
「あ、もちろん集団授業なら話は別になるし、君のやり方で問題ないよ。でも小人数あるいは個別の時は相手をよく観察しなくちゃいけない。例えば同じ1次関数でもね、疲れてる日に受け取る1次関数と自信がある日に受け取る1次関数はもう別もんなんだよ。」
「確かに人間は内容だけで物を受け取ってるわけじゃ[音楽]ない。その日の気分も自信のも相手との関係も全部込みで言葉を受け取るんだ。」
「人は言葉そのものだけで動くわけではなく、その言葉を誰からどんな気持ちで受け取るかで同じ一言でも意味が丸るで変わってしまうんだよ。」
「難しいですね。僕に分かるんでしょうか?」
「全部は分からなくったっていいんだよ。でもね、分かろうとするかどうかは全然違う。子供ってのはな、案外ちゃんと見てる。この大人は自分を直したいだけなのか、それとも自分[音楽]を分かろうとしてるのか?そこを見てる。これはね、勉強だけの話じゃないよ。親が早くしなさい。なんでこんなこともできないのっていう時もそう。言ってることが正しいかどうかより先に子供は感じるんだ。この人今の自分を見ていってるのか?それとも自分の理想を[音楽]押し付けてるだけなのか?私が親御さんと面談する時だって同じだよ。」
「え、相手が何を求めてるかも見ずに正しい説明だけしても信頼なんかされん。この人自分のこと考えてくれてるなって思われるから初めて話が入るんだよ。」
[音楽]
「そうして追加費も入るってわけか。」
「人は正しい人に心を開くんじゃない。自分をちゃんと見てくれる人に心を開くんだ。だから教えるってのは説明の技術の前に相手の関心が大切なんだよ。」
「こんにちは。」
「あ、こんにちは。今日は少し様子が違うな。つもと違って先に挨拶したな。」
「先生、宿題わからなくってあんまりできてないです。」
「うん、分かった。それになんか今日はいつもより言葉が多い。元気なのか?何かいいことでもあったのかな?じゃあ今日はここからやろうか。」
「はい。」
「はい、もしもし。」
「あ、やぶ分にすみません。山本進学塾の山本です。」
「あ、先生、この前ご相談いただいた件なんですが。」
「はい。」
「もう少しこのまま山田で見させていただこうと思います。」
「そうなんですね。」
「え、成績だけ見ると教え方の問題に見えることもあるんですが、どうもそうではないみたいでして、それ以前に子供との関わり方の方が大きいこともありますから。」
「はい。」
「子供たちはこの人自分のことちゃんと見てるなって感じるとその分ちゃんと答えようとするものなんですよね。」
「確かにそうかもしれませんね。」
[音楽]
「誰かを育てる力とは正しいことを言う力ではない。相手を自分の思う正しい形に近づける[音楽]力でもない。その人が今何を感じ、どこで止まり、何に怯え、なんら出せるのか。それをちゃんと見ようとすること。人は正しさだけでは変わらない。この人は[音楽]自分のことをちゃんと考えてくれている。そう感じた時に初めて自分の力を出し始める。誰かを育てるとは、その力がうちから出てこられる土台を作ることなのだと思う。」