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こんにちは。本日は社交的なのに心を開かないこのことについてお話ししていきます。人見には見えない人見内場を探求することで、ある無意識の行為によって心を閉じている、そんな理解にたどり着きます。ご自身の理解を深めたい、そのような方の1つの考え方としてご参考になれば幸いです。
目次はこちらです。
1番 社交的なのに心を開かない人の特徴
2番 社交的なのに心を開かない人のメンタル内場
3番 心を開かない理由と仕組み
最後に4番 心を開くかどうかの選択についてお話しして終了します。
それでは始めていきましょう。16個ありますので、1つずつさらさらっといきます。
1番 基本的に24時間演技中。自分を演じることが癖になっている特徴です。関わる人や場所によって仮面を使い分けるため、人との接し方が変わります。表と裏の顔を極端に使い分ける。それを自覚して使い分ける人もいれば、それ自体が素になっている人もいます。
2番 ごまかしが多い。特に自分に対してのごまかしが多い特徴です。納得したとごまかすための自分ルールがたくさんあります。その結果、諦め、妥協、思い込み、嘘、抑圧、我慢、これらを対応することになります。
3番 メタ認知が高い。他者との関わりや勝負ごとがあれば、相手の気持ちを自分以上に優先します。相手の方が勝ちたい意思が強そうだと思えばわざと負けたりします。反対に意地悪なところもあるのでわざと勝ったりもします。そこでメタ認知が生きてきます。負けたらその後に「面倒だな、その人負けちゃいけない立場だな」と思うなど、一途的に結果作りを影で作る、いわゆる暗躍者です。
4番 我慢強い。あらゆることを耐え忍ぶ経験値がとても高い特徴です。鉄の門を心に作る基になります。自己犠牲が増えたり、妄想や空想に浸りがちにもなります。
5番 自分が損をしても納得する。幼い頃からの我慢経験は、自分が損しても納得するあり方を構築します。自分を優先しない欲求を抹消しても違和感がないため、真意や本音を言わなくなっていきます。いわゆる他者に利益を与える「いい人」です。与えるだけ与えて大化を求めない。いつの間にか一方通行で利用されることも起きます。利用されていると分かれば突然消えます。社交的なのに心を開かない人は、「いい人」でありながらも発砲美人とは違います。知らないところで相手の心を傷つけていたりもします。
6番 1人の時間がないとダメになる。共存する、一緒にいる時間が長くなると縛られている感覚を感じて窮屈になってきます。自分だけが知っているそんな隠れ家的な居場所を求める修正のような性質のようなものがあります。自分を解放するその時間を1倍求めます。1人の時間がないと頭がおかしくなる、もう狂ってしまうというそんな場合もあります。根本的には1人を好みます。ただ実質的な孤立とは違い、自分という人間1人に対して、人間以外の他との関わりに心が安らげます。その他とは動物や虫だったり、植物だったり、川や海、風だったり、雲だったり、そういった自然の生命や意識体との関わりです。例えば私は石を見てるだけでいいんだ、そんな感じで、これを1人でする時、真の笑顔が見えたりします。
7番 ガラスのハート。周囲には思いもしないことで深く傷つくことがあります。自律が強い特徴でもあります。自己ルールに基づいたあり方が強固なため、無意識に他者を傷つけることをします。ただ自らも他者に分からないところで傷つきます。
8番 相談されることが多い。ただ自分から相談はしない。自らを消費させても他者に利益を与えます。ただ利益を他者から求めたり他者を消費させる行為を好みません。これによって「いい人」としての社交性が発揮され、周囲からの評価は高まります。
9番 テンションの上下変動が激しい。陽気な時と陰気な時のアップダウンが激しい特徴です。気楽な場では異様なほどテンションが高い。ただ嫌いな人の前では異様なほどテンションが低いというのがあからさまに出たりする人です。こういった態度を隠さないところが発砲美人とは違うところです。
10番 うなる怒り静かな投資。これは逆境に強い特徴でもあり、自分に負けない人です。「いい人」でありながら、特定の人には極端に浅はかな嫌悪を表します。「合わないな」「嫌いだ」「迷惑だ」「この人利用してくるな」と、そういう人に対して無言の抵抗を貫く。まるで人格が変わったかのように人との接し方が変わります。これは相手の立場が上であっても自分の意を貫くので、嫌いであれば嫌いな態度を徹底的に貫く、そんな真の強さがあります。
11番 完璧主義。自己ルールで自分自身をガチガチに縛りつけます。成功、成果、これらは当たり前のものとして流しますが、しかし些細なミスは引きずります。自分に厳しい人であり他者にも厳しいです。
12番 明るくて疲れやすい。一見明るく活動的に見えます。しかし1人の時には地球が滅亡するかと思うほど目が黒くなります。全部黒くなります。明るく他者との関わりを楽しんでも、その後1人になった時にどっと疲れが現れます。
13番 行動的で飽き性。結構なめんどくさがりです。刺激を求める傾向がある。そのために外交的な一面を持っています。ただ人見なため、内的でもあります。両方の性質があります。行動してもすぐに飽きてしまうところがあり、気分や気象がコロコロ変わります。単独行動を好み、結構自由な人です。
14番 忖度が上手。 他者に合わせるのが上手で、その場の空気を読むことにたけています。全体を包括する前述したようにメタ認知が高く、何より認識力が高く、よく気づく人です。他者以上に他者のことを理解している人もいます。
15番 初対面の方が仲良し。初めの印象がとっても良く、関われは関わるほど距離感が開いていく特徴です。何回も合っているのにちょっと話した時には、まるで初めましての空気感が出たりします。急に関わり方が分からなくなることもあり、敬語を使ったりよそよそしくなることもあります。相手はちょっと困ります。
最後に16番 感受性・共感性。敏感性が高い、いわゆる繊細な人です。人によってはHSPやエンパスと言われる基質があります。
以上が特徴でした。社交的なのに心を開かない人は、人見知りに見えない人見知りです。そんな人の内情をお伝えしたいのがこちらです。不安と恐怖の対処が知的で上手。内向的で本来は人見知りですが、不安と恐怖の対処を知的に済ませるために外交的な取り扱いができる、そんな考え方です。これは社交的な内向性、または外交的な内向性と言えるかもしれません。
内向性を基盤に外交性を後付けする装備する形です。そもそも人見知りとは、知らない人や大勢の前など、人との関わりに不安や恐怖を感じる状態を意味します。人との関わりで恐怖心を抱くその時に相手に対する嫌悪ではありません。自分の中で認められない抵抗や反発があるため、アプローチは相手ではなく自分の内側一択です。克服するという方法もありますが、内側の抵抗や反発をなくせば不安や恐怖を感じても問題ではなくなるのです。なので自分が恐怖心を抱いていないと思えればいいのです。
この結果、外交性を用いて社交的に振るまえるように努力します。これによって対人にて感じる不安や恐怖を対処するこのメンタル内場の鍵となるのがごまかしと我慢。これは言い換えると演技と自己納得です。社交的になるための演技と、嫌なことがあっても納得できる力量。これによって仮面をたくさん作って他者に利益を与えます。「いい子」を演じたり「いい人」になったり。かかる人によって話す内容や話し方を変えます。
ごまかしと我慢は社交的な外名を構築します。これを幼い頃からやっていれば経験値が増えます。相手が何を考えて求めて喜んで評価するか、これを捉える。そのための予測、先読み、洞察、考察、分析能力、これらを高めてきます。内光性気質が基盤にあるため、外交性を取り入れることで外側と内側の情報2つを得ることになります。
これらを個々に分別し、情報処理する。これによって俯瞰性やメタ認知が高まります。内側は内側として保持する。そして日々の人間関係は感性感受性敏感性を高める経験則になっていくと、情報収集の量と質が高まります。これが認識力が高くなっていく状態です。
イメージとしては自分を主体にしてエネルギーのテリトリーをブーンと円形に広げるように展開します。この範囲に収まった他者の状況や状態を精査して見極めます。全体の捉え方もできる利益を与えたり集団での自分の立ち振る舞い方、これも考慮した上で自分の行動を作れます。これが社交的な振る舞いを完成させます。
人当たりが良くて適度な笑顔を忘れない、自分と相手の間に違和感を作らない演技である自覚があると、違和感になってしまうので演技だと思わないような認識を作ります。周囲には演技だと気づかれなくなりながら、自分も気づかなくなっていきます。これが社交的なのに心を開かない人。実際には人見知りなのに人見知りに見えない人がしていることです。
ただここで1つ忘れてはならないことがあります。このような摂理、カルマの法則です。ここにちょっと精神理解を言えます。カルマの法則とはエネルギーの等価性を意味します。いわゆる等価効果みたいなものですね。これまで得てきた社交性、または能力や才能の高まり、周囲からの評価の取得、あらゆる恩恵がありながら、もちろん見返りがあります。その見返りとなるのが心の封鎖です。
恐怖心をごまかすことは心を閉じる結果を作ります。ただもちろん強い心をごまかしてはいけないなんてことはありません。価交換として自らがした行為の理解が来ているという考え方の話です。演じることは他者に利益を与えながら、自らにも恐怖心と向き合わずに住む膨大な利益を与え続けています。本当に向き合わなければならない現実を心の奥へ奥へぎゅぎゅとしまい込みます。
そんなものはなかったんだと、私の場合、完全にないものとして封印していた過去があります。自分の過去のことを誰かに言うなんて絶対にない、そんな過去なども存在しないんだと思い込んで忘れようともしました。社交的になることは大切だと思います。ただ人見知りである利点や、自分自身を見ない嫌なことをごまかして対処する行為、これをすればするほど心を強固に閉じていきます。
この結果、大きなことが起きます。心を開かないのではなく、開けなくなります。開き方が分からなくなります。開いていない、閉じているとは思いもしなくなっていきます。現実は社交的なのに心を開かないのではなく、社交的になったから心を開けないかもしれません。
無意識の行動によって社交的になっており、結果的に心が開けなくなっているこの可能性には、心の根底にある1つの観念が潜みます。無意識の修行観念です。この修行とは我慢の修行です。我慢というのは強さの源でもありますが、弱さの源にもなります。「うれ」を作り、プライドを強めることで自己ルール以外が見えづらくなっていきます。そして気づかないうちに自己中心的になったりもします。自己愛をどんどん強める行為でもあります。
そしてこの時に起きているエフェクトは、恐怖心と向き合わずに住むこと。本来人と関わる時に感じていたとっても嫌な気持ちを抱かずに済むこと。これによって人との関わりもできている。我慢をやめる理由がどこにもありません。ここには大きな矛盾があり、幼い頃からの出来事が我慢しなければ生きられなかった現実があったと思います。これは自分の正体をごまかさないための対処でした。
自分のことは自分で認めて決める意思があるからこそ、自分の正体をごまかさないために、自らを我慢という方法で貫こうとしました。そして実際に貫いてきました。自分に負けない強さを育んできました。ただ、恐怖心と向き合わないという道を選んだので、ごまかすという道を選んだのです。自分の正体をごまかさないために向き合えない教師をごまかすという矛盾を作りました。これが修行観念であり、我慢から抜けられない修行のあり方を作ります。
あくまで私の経験からの理解なので、万が一これに該当する場合には、修行を辞めると少しずつ心を開くことができます。本来の自分はどんな人だったでしょうか。社交的や社会的な自分なんてどうでもいい。そういうのをなくした本来の自分はどんなだったのか、全くしっかり者なんかではなく、めんどくさがりなのかもしれません。
人当たりが柔らかい人間ではなく、純粋な人間嫌い、そして動物好きだったのかもしれません。本当は多くの人と関わる必要なんて全くなくて、他者に興味なんてなくていいのかもしれません。無意識のごまかしと我慢による修行、実際にしている場合には、この修行をしていると理解することが大切です。どんな修行をしているかを自分で把握していき、修行を少しずつ変えたり辞めたりしていく。その先に心の開閉レバーが見つかるのです。
心を他者に開いてもらうことはできません。特に自分の正体認知に対する意思がある人ほど開きません。その心を開けるのは自分です。心を開かないからといって開く必要があるのかないのか、これは人それぞれだと思います。心を開くかどうかは選択が大切です。そしてその選択をするためには、どうやったら心が開くかどうか、そのための自己理解が大切です。
そしてそのためにお伝えしたかったのが、いつの間にか修行観念ができている、これを知ることが大切だと思います。社交的なのに心を開かない人は、強いパイプを人と人の間に作れる人だと思います。自己理解だけでなく、他者理解に寄与する人です。そしてそれは人を助ける力にもなっていきます。
皆様にとって、とても大切なあり方を活用していくことができますように。そのための一助となる考え方になれば幸いです。それでは、ありがとうございました。
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