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え、続いてねえっと、出雲王朝とはどのような王朝だったのですか?どうして滅びたのでしょうか?詳しくお願いします。ということで、出雲王朝のこと、ちょっとじゃあご説明いただけますかね?
はい、まず出雲王朝っていう前に、日本への移住っていうのは5500年前。うんうん。ま、実際には一応言われてるのは5000年から、期限今から5000年から、あの6000年前、その頃に4族、ブリアードとか、あのドラビアンナイトね、南インドです。はい、元はエジプトです。うんうん。あとクトの一族っていう、これが出雲王朝の中心です。そうですね、クト。んで、クトの元っていうのはガンダーラって呼ばれてる場所です。ああ、インドの、とか、田さんとか、あの辺。あからはそうですね、あのそっちの方ですね。インドからちょっとまた出ますね。出ちゃうんですよ。それではい、あのシュメールってメソポタミア、だから今のイラク、あの辺、イラン、イラクを中心とした。うん、シュメール。うん、そういう人たちが日本に向かってきたっていう。うん。あとは、あのそれを道案内したのがブリアートっていう人たちです。以前しても系ですよね。はい。で、その人たちが元々来ていたんですけど、非常に平和主義者だったの。戦うことを嫌っていたっていう。まあ、あの縄文人自体が嫌っていたんで、みんな逃げちゃうっていう、そういう話もあったんで、全然あの戦いにもなんなかった。で、来た人たち も戦いを求めてじゃなくて、戦いが嫌だから逃げてきたうんっていう人たちだったんですね。
大きな括りではこう戦闘派とこうね、うん、非戦闘派っていうことでは同じ系統、ま、縄文には当然そうですけども、このトラしてきた人たちも、ま、非戦闘的な、はい、感じだったわけですね。ただ、やっぱり違ってたのは国を作るっていう思想の違いっていうこと。縄文人は、あの家族っていう、その家族を中心にあ、いかっていうか、そういう形で、あの1つの家っていう意味ですね、に住むっていう、あの反射的な何々いかとかって言ったら、あのいかと同じで、そういったりするのが縄文人の発動っていうか。さらにもっと大きい国という形で作っていくっていうのが、これが要するに出町とかそういった人たちの考え方だった。だから元々の始まりで行くと、そういった人たちが来たけど、戦いじゃなくて、でもある程度の規模を重視するために、あの集落を作ってった。その典型的なのが3大丸山遺跡なんかになってく。縄文人、あの辺がそれの要はトラジと縄文人が協力しあって作った都っていう意味では3大丸山がその典型的になってく何かね。そう、出雲区電とかにも若干そんなようなこと書かれてますね。元々の縄文人と、うん、やっぱりト系ののね、その縄文人とのが途中からやっぱりね、入ってきて、今の形というかね、遺跡の形に完成したとも言われてますもんね。
それで、そうしてる間に、あの戦闘的な人たちがトライしてくんですね。ああ、この戦闘的な人たちのトっていうのはいつ頃とというと、大体3000年前なんです。ようんだ、からまあ2500年ぐらいの、2500年、1500年?いや2000、まあ5500年前からすると2500年前ですね。はい、2500年ぐらい下がりますね。うん。だからその辺で来た人たちっていうのが、割と武力主義の人たちだ。で、先に来てる人たちを、あの抑えてっていう形になっていくんだけど、国土に対して人の数が少ないんで、なかなかそういう争いができなか、争い、要は制服ってできなくなってなかったっていうのがあって、戦闘的なんだけど、戦闘的な部族と非戦闘的な部族っていうのが混在する。でも仲間に入らずに距離を置いていた。その結果として王朝っていうのが作られてったんで、王朝っていう、出雲王朝なんかの王朝ですよね。これ、王家というのがあって、その王家の集合体なんです。一応言われてるのは1つの、あの王家っていう、これが協力し合って作ったのが出雲王朝だ。だから王朝って言った時には、王家の集合隊っていう見なし方をしてもらった方がいい。だから変な言い方だけど、これが滅びたのが8代の時、女によって聖王、福王が暗殺されたからで、暗殺されたんでそれが崩壊したって出雲長が。そこにいた水城が今という奈良の方に、移ってきた、関西方面に移ってきてた。で、いきなりなんで映ってこられのって言うと、実際にはそういう神たっていう、神って言われてるような人た、王様がそれぞれの国を持っていたから。だからあのいもの神、有月っていうのは、要はその王朝につく13の王家の人たちが中央政権に協力して大家を、王朝を作りました。その中の政策とか、それのをすり合わせで集まってきた。だから大様たちが集まって、年に一遍どういう風に今後、これから1年を過ごすかっていうのを決めていった、だっていう協議をした。それが出雲町っていう神。その中の神つきっては時期になってま、あの国って言とね、一般的にはこう1人の国王がいてっていうようなのが収めてっていう形ですけど、ま、この王朝っていうのがこう連合国みたいな、はいはい、感じで、え、いくつもね、細かい小国のおさというか王様みたいなのが存在していて、もちろんそれらを括するあの大王みたいなのがまたいるのかもしれませんけども、依然しても13のこう王族が連合を組んでっていうかね、1つになってたのが出雲王朝だったとはいうところで、あのね、こうま伝説というか神話というか、その上月うん、ま、それはじゃ出雲にこうまた散ってった王様たちがまた1回年に1回こう集まってきて、こうま会合みたいなのを開いてたものがそのまま神話みたいにね、民として伝わってったっていうイメージなんですかね?
その通り、あのそういう風に言われてます。うん。ま、大人主ってね、なんか大きい国を納めるリーダーみたいな、1つのそういう役職みたいな話っていうのも聞いたことありますけどね。その通りですね。うん。大国主の名称でいくと、人の見事っていう、あのそれがあのすなんかには残ってますけどね、名称として。だからあこの姫様ていう王女はこの酒姫ってなってんです。すの奥宮に祭られ。うんだからそういった意味では、あの色々細かいところで組み合わせっていうのがありますけど、基本的にはその戦いとかそういったもので滅んでいった。で、滅ぼしたのは服だっていう風に言われてま、福っていうと、紀元前2300年頃、200年、200年、うん、はいうんで、出雲長が始まったのが紀元前660年。うん、大和頂が作られたのも紀元前660年ってなってるんですけど、実際にその時に山本頂って存在しなかったんです。うんうん。ま、そうですよね、当然ね。だから出町が紀元前660年で王家っていう形で追ってきて、それが崩壊した後にそのままその出雲王朝を引き継いだ、うん、この方があの雨の村か、っていう、うん、あの剣の名所になった村かがその後をついだっていう伝承になっていて、そこから大本頂が出来上がったという話も出てるんで、ま、色々あの言われてるのはあるんで、その辺はもうちょっと歴史的なものの解明を待たないと出てこなって方がいいですね。
西暦535年の遺跡とは大和長手は関係してないんですか?大和調定自体は、あの実際に出来上がったのはそこなんですけど、その前段っていうか、その前段というのはもうちょっと前から存在してたってことですね。はい。じゃあ、まああの、ま、5000年以上前から非戦闘的なあの出雲系のね人たちが、ま、インドなどをね経由して、こう、ま、苦ではね、こううん、ま、モンゴルとか、え、北方領土とか北海道の方から、北から渡ってきて、それでま青森のねえ、山内丸山遺跡のところで、まね、土着の縄文人たちと、ま、1つの国に近い縄文風の国的都市をこう形成してったっていうところで、え、ま、そこからさらにね、こう何かしてってええ、出雲族として存在していたものの、ま、各地にこうね、そのそんなにまだ人数もいなくて、え、縄文人とも強制しながら各地、ま、点在していたんだと思いますけれども、それがま、途中から戦闘的なトラ系のまた一族がやってきて、え、その人たちはもうやっぱり戦的な感じで、どんどんあれなんですかね、あの拡大、土を広げてたりとか。はいはい。ま、そういう中で、結局13のこう王たちがこう連合を組んでったのが出雲王朝というものになっていて、え、それは正式に始まったのが、え、紀元前660年、はい、頃であり、一般的にね、こう事務が即したと、戦争降臨した、ま、2の命からのこの末裔で事務天皇が日本をね、こう作ったと、ま、初代天皇って言われてるのは実は出雲のこの歴史の方から見ると、この出雲王朝の始まりがそのことなんじゃないかといううん、感じですかね。で、その後、うん、あの大和長平はと言われてる存在はこの出雲王朝を引き継いだ。はい、あーま、コです。うん、ま、から始まっていて、それがだんだん継承されて、要はここで継承されていかないと出雲町が全くなくなっちゃって、その間が切れちゃうんです。ようん、その間を繋いでたのが村の一族で、だから出雲町があの潰れた後にその出雲っていうあの西の父親とじゃない、東大の父親と西家の母親の間から生まれた村がそれを継続していった。で、そのを継続していったものから改めて作られていったのが大和長手っていう。だからこれがさあ、さっき言った水星が落ちたところ時があるじゃない、うん、山本町はそっから始まるんですよ。ただ、その元々の出雲王朝、出雲王家ってあのあったじゃないですか、うん、それを継いでいったのが村っていう、その根源を作った人っていう言い方になって、うんうん。なるほど。
ま、えっと、紀元前660年からね、こう出町始まってていうのと、あと紀元前200年に、え、除服によって滅ぼされたってことを考えると、ま、そういう意味では400年ぐらいが1つの、はい、全盛だったっていう感じなんですかね?その、そのくらいですね。まとまってからあんまり長くないんですね。その、ええ、ちゃんと統一されてからで、ま、上腹に滅ぼされた後をちょっと一時的に村雲、村雲です。うん、一遺族というか、それがこう間を取り付いてって、大和頂点まで繋いでったって形になるんですかね。それで最終的に。で、ちなみに天皇の1番最初の天皇っていうのは天部天皇が天皇としては初代になります。天、はいはい、あの紀元、紀元600年ぐらいの、うんふんふ。で、その前は天皇という場になくって呼んで、大きね。はいはい。で、大きって必ずあのどんなものでも全部大きになってるんですけど、うん、大きだった理由っていうのは最初が別にいたんです。ようん。んで、あの天部の時に祭祀と統治を両方を一緒にしなくちゃいけないっていうのが権力の集中ですよね。それがあって、その集中したのを天皇っていう呼び方をしたんです。だから時代とあれによって全部それが違ってくるっていうのがあるんで、一概にどれが正しいっていう言い方はできないんだけど、そういった繋がりの中で色々作られていったっていうのが出てきます。ちなみにあの東大家って富家というこの元っていうのは、要はあのあそこです。えっと、あどせ王家が、えっと、クトの、クト、うん、はい、クト一族、うん、これがトミカの一番元になってるっていう。あ、そうですよね。はい、そのクトが、あの苦っていうか、それをやったあの出町っていうのが出いという出雲神社ってのがありますけど、出井神社ね、はい、ありますよね。ええ、あそこもすごいですよね。うん、あそこが苦の場所っていう風に言われてます。そうですね。うん。それで国って言った時に想像してほしいのは日本っていう国全体を国っていうと見ちゃうんだけど、その当時の国っていうのは剣だと思ってくですよね。え、だからたくさんあって、で、13の朝しかないっていう風に思われちゃ困るんですよ。東の方には別の長があって、うん、ただそれが連携してなかったっていうか、単独で存在してるそれぞれの戦国部を見て。だから出雲王朝っていうのは強調されるのは13の王朝っていうか王国が1つになったから巨大な勢力になったんですよね。兵力と。だから歴史に残るものになってったけどっていう括りで言ったら、もっとたくさんあったっていうのが分かりづらいんですけどね。そう。うん、ま、確かにね、あのアメリカだってね、うん、50種とかこうあれ1つ1つ見たらもうね、国レベルの、はい、もだと思いますし、あのま、地球全体で見たらね、こうヨーロッパとかにはね、アメリカの州よりもちっちゃい国々みたいなのはね、山ほど小国ってのはあるわけで、あって、ま、日本もね、昔はだからこうのが山ほどきっとね、ある時代があったと思うんですよね。だからこそこうご統治神話みたいなのもたくさん残ってるのは、こう今だと日本っていうとね、こう日本列島全体ね、もう北海道から沖縄まで全部をひっくるめて日本ってイメージありますけども、まあまあ昔の人からするとね、このこう自分の国ってなった場合にはこの島の中のごくごく一部のエリアを指してたんだろうなと思いますので、ま、それはその国としての神話であったり伝説っていうのはね、山ほどあってもおかしくないんだろうなとは思いますね。ま、またちょっとこれね、出雲をテーマにしてなんかね、どっかでね、長さんも直接出雲長さんとね、出雲、出雲神社とかもやっぱりね、やっぱすごいとこなんでね、出雲ツアーとかもね、今度やってみたいなと思いますね。