Transcription
はい、ダメ星大学の質問コーナーです。
え、今日は質問に回答しますね。
質問です。センスが良いや才能があるといった言葉を使うことがありますが、その正体はどんなもので共通しているものはあるのでしょうか?そしてそれは先天的ものなのか、後天的に養えるものなのか、養えるとしたらどんな方法がいいのかためになるさんの考えを聞いてみたいです。はい。
え、まあ、うん。おそらくですね、このセンス才能っていうですね、というのを言語化するとですね、ま、あの、正直なこと申し上げるとちょっとよくわかんない、説明しがいけどその人の能力を支えてる要因をセンスがあるとかって言われ言ってるんじゃないかと思うんですね。でも現代的にですね、分けると多分後天的に学習しがいもの、後天的に学習しがい、え、パフォーマンスに大きな影響を与えてるものですかね。これが多分定義としてはしっくりくるんじゃないかと思うんです。
なぜならば後天的に学習できるものであればそれは後で練習して学習すればいいじゃないかとなりまして、じゃあセンスを鍛えようかとかですね。センスを学ぼうって話になりますよね。でもなんか言語的に変ですよね。才能を獲得しようとか才能を鍛えていこうみたいな話になっていや才能って最初から付与されたまるで生まれた時に渡されたカードみたいなもんじゃないのっていう印象がありますよね。で、センスにおいてあいつセンスあるなって言って俺もセンス欲しいから教えてもらおうっていう表現も変ですよね。やっぱり教えてもらえない技術や考え方であって、ま、そういう意味でセンスや才能、ま、センスに今回絞った方がいいと思いますけど、センスっていうのは後から学習することは難しいんだけれども、どうもそれが自分がやっている、え、もののパフォーマンスに大きな影響を与えているとあれって何だろうねって語るような対象がセンスって呼ばれてるもんじゃないかと思うんですね。
で、じゃあそれの正体って何ですかって言うとですね、これ各、え、カテゴリーによってだいぶ違いがあると思うんですよね。え、音楽の世界のセンスは違うでしょうし、え、純粋数学とかの世界でもきっとセンスってのはあるでしょうし、でも、ま、一つ一般的に言われるセンスっていうこの、え、え、得する方ですね。あいつセンスがいいねって言われてるものは、ま、簡単に言うと1を聞いて10を知るってやつだと思うんですね。で、それもうちょっと言語化するとですね、え、少ない情報量からパターンを読み取ることができるって言い方だと思うんですね。え、つまりちょっと見ただけなのに、あ、多分こういうロジックで動いてるんですねっていうことだと思うんですよ。なんか問題見ただけでパッと答えが見えるとかも、ま、論理性があるとかって言えるかもしれないですけど、ま、ある意味で後ろに動いてるパターンをその人が少ない情報なので読み取ることができっていうのがあの読み取り系のセンスの良さじゃないかと思うんですね。ま、人の動きをパッと見た瞬間にその人のパターンを読み取ってます。で、それを、ま、自分で表現するってのは今度また別の、アウトプットのセンスってありますけど、何かを情報入れる時のセンスってのは見た瞬間に、あ、これが肝なんじゃないか、こうやって動いてんじゃないかっていうのを感じ取るセンスなんじゃないかと思うんです。
あの、パターン認識って大変て、昔なんだっけな、意識のあの研究者の集まりに行った時になんかトルコ人の研究者の方が発表してたのは大変面白くて、それは、え、ま、チンパンジーとか1234こうやって、あの、順番に光っていくのをこうやって当てるのって人間よりもあの早いんですね。早くて賢いんだ。だ、人間にも賢いんだねっていう風になりがちなんですけど、ところがに猿はですね、こうやってランダムに光るのとこういう風にZ上に光るのでは違いがないそうなんですね。パフォーマンスでところが人間全然違いますよね。こうやってランダムにボタン押すのとこうやってZに押すのとかギザギザにしますとかですよね。それはつまり人間はパターン認識、パターンを認識しやすいということなんだと思うんですね。で、これは記号につがっていくんで、実は私たちが言語を喋ったりなんかシンボルに意味を込めることができるのはこのパターン認識ができてるからじゃないかということをおっしゃる方もいて、ま、その言語枠の人だった気がするんですけど、そういうことをややられてたんです。
これが面白いことにですね、いやでも学習でしょと。我々小さい時からいろんなパターン見せられるじゃないと。で、それで学習してんじゃないのっていう風に言うんですけど、これが生まれたばっかりのですね、チンパンジーの赤ちゃんとか人間の赤ちゃんに学習させてやっても、赤ちゃんが、ま、あの、手ではね、動かせないにしても、あの、目の黒目の軌道を見てると赤ちゃんがパターン、あるパターンを示したものの時だけ同校が開いたり、ま、簡単に言うと興味を持つような反応したそうなんですね。ですから我々は先天的にパターンを、え、ランダムなものと何かパターンがあるものでこっちに興味を持つようにできてるんじゃないかという説を唱えてたんですね。で、私は、ま、もしそうじゃないかって感じがそれ聞きながらしたんですけど、もちろん反論もあり得るかもしれないですけど、ま、もしかしたらそれが我々と、え、他のですね、長類っていうかなを分けている大きなもので、我々は何かパターンを認識するあの、ようなものを持っていて、で、そのことが言語や記号のシンボルみたいなものに対して興味を持つっていうか、理解、他と違いを持つようにできて、で、それが意味を持つようになり、他者とのコミュニケーションの言語を喋られるようになり、ま、こうして、ま、ある意味知的なですね、社会を構築してるっていう可能性があるかなと思うんですね。
で、何の話だったっけ?認識じゃなくて、えっと、あ、センスですね。で、センスで行くとですね、ま、そういう形だと思う。だからパターンをパッと認識、それのなん、早い、速度が早く正確だとこを掴むっていう。こを掴むって何かって言うとですね、ま、そのことを意味付けてる中心と枝葉ってのがあるわけですよね。で、その中心をパッと掴めるっていうことが、え、見る上でのセンスなんじゃないかと思います。で、中心と枝葉って何かって言うと、ま、多分言葉で言うと、それをそれらしめる、え、最も大きな要因と、え、それを補助する要因っていうのが、ま、まるで幹とですね、こう枝葉のように木のようになっているわけです。で、それが遠くから見てるとモコモコしてて、どれが中心に、ま、例えば葉っぱが全体を覆ってるような木だと思ってください。で、どれが幹か、どれが枝葉かよくわかんないわけですね。いろんな条件を持ってみて、例えばりんごだとしたら、え、甘いとか、え、木になる、赤色だとか、え、なんとかとか色々条件は種があるとかあると思うんですけど、これを省くとりんごじゃなくなるねっていう、ま、概ねってよりは人間の場合はあの、食感とか味のような気がするんですけど、シャキシャキした食感とか、ま、そうすると梨と近くなっちゃうとか色々あるかもしれないですけど、ま、なんとなくりんごといえばこれだよねというある中心的なものを見た瞬間に掴める人の動きにしても走る見た瞬間に枝いっぱいありますから人間のランニングとか動きってね。で、そういうもの全部省いていった上でここだよね結局っていう風にこの枝を省いて中になんていうかならしいものをつかめる能力ってのがセンスなんですね。そういう意味でセンスがある人の議論を聞いてるとまあ早いんですね。だからね、枝葉を切り落とすのが早いので、で、枝葉を切り落としたってことも理解しながら話す。ま、それで頭のいい人が先生きた、あの、議論に慣れてる人はこれ枝葉はあえて切り落としながら話すんだけど、枝葉の話が出てくると、あ、枝葉は枝葉で話せますけどね。でもそれ多分幹じゃないですよねっていうことを、あの、お互い指摘するところがこの幹と枝葉が遠価値で見える人ってのがいて、これがやっぱりセンスがない。ま、言葉悪いですけどセンスがないわけですね。そうすると本当はこっちが原因でこっちが結果なんだけど結果の方を変えれば何か変わるっていう風に思っていってしまうわけです。で、ランニングの指導はこれがまあ一瞬で見えるって感じですね。指導者の人がパッとしてきた瞬間に幹の方に行ってる人なのか枝葉に行くのかこう循環温度なんで分かりにくいんですよね。でも分かるようになっていけば、ま、ここを変えればあとは全部他変わるねっていうんだけど、そこが結果として動いてる。こっち変えても変わんないねっていうので、ま、それでだんだんいい指導者ってのはシンプルになっていき、最終的に、ま、ほとんどの指導者が着地の瞬間の体の姿勢を、え、言葉にし始めるっていう感じなんだろうと思います。ま、ともかくそういうのがセンスなんじゃないかと思います。動きに関して。
で、もう一方でアウトプットの方のセンスは何かって言うとですね。うん。ま、結局そのそういう風にパッと見た瞬間にそういう体できま、これしかも分別れてないと思うんですけどね。体でできるからこそインプットってもの中心を見抜くってことはできると思うんですけど、ま、こうすればこうなんじゃないかっていうなんとなくの予測が成り立つってことと、あの、修正でき るってことなんじゃないかと思うんですよ。あの、人間って何だっけな?なんとか、ちょっと忘れちゃったな。フリーエネルギーセオリーかなんか、あの自由エネルギー理論っていうのはあって、ま、人間の意識とかってその、ま、頭の中で色んなモデル回ってますから人間って、ま、要するに外の世界とこっちの世界が両方回ってるような、ま、大げさに言うと感覚らしいんですね。で、そうなんだけど、ま、日常的にこっちに慣れてくるとですね、色んな経験すると、ま、大体外の世界がそのままモデルになってるんで、あの、ずっと違和感がないわけですね。予想した通り世界も動いてるところがあっと意外なことが起きるとこっちで回ってるモデルとは違うことが世界に起きるんでそこにあえなんでって着目してその瞬間にま人の頭意識がすごい立ち上がってきてでそれが修正するまではなんか人はそれを修正したくなっちゃうとま、つまり基本的な予測の範囲に起きたがるってのは人間の意識なんじゃないかということなんです。ま、それと同じような感じ。センスがいい人ってのはそれを、ま、それアナロジーですけど、体の動きの中でパッとやった瞬間に、あ、このぐらいのずれがあるんだ。じゃあこう修正しようと。で、外から見てると3cm右とかそういう修正ですけど、身体の内部に入るとそんな修正しないですね。我々3cmとかじゃなくて、もうちょっと肘の力強くしてみようかなとか、あ、もうちょっと体の傾きこうかなとか。でもこう傾くと首も一緒に行っちゃうんで首は寄せないとねとかそういうでも首寄せないで、も客観的に寄せるってよりは寄せるってことはこの辺にこういう首力の入れ方かなとかまその時の入れ方ってのはなんかまるでここの枕を押し付ける時のような感じかな。いやそれともこの辺の枕を押し付ける感じかなっていうそういうものをうまく引っ張ってきたりしながら自分の身体を扱っていくとま、その引き出しの多さと的確さですね。それらがあるってことがセンスがいいってことなんじゃないかと思うんですね。ま、話はぐるぐる回りましたけど、要するに、え、修正能力なんじゃないかと思うんですね。ま、1発目にパッとできるのもあるんだけど、そのずれを察知してその後にその修正し、修正する、ま、引き出しがあるって言うと、それ学習可能になりますけど、ま、なんかそのパど所の良さと修正のセンスの良さみたいなところがあるかなと思います。
で、このことスポーツに関して言うとですね、やっぱり後天的に画がいセンスって何かって言うと、メンタルには、え、一瞬で没頭できる能力ですね。瞬間的にパッと周りが見えなくなって入れる能力ってのはこれやっぱセンスだなって思いますね。だからもしお子さんで夢中な時に何言っても聞こえないのよってお子さんがいるとしたらそれは才能なんで、ま、ちょっと認めてあげてくださいってのは一つですね。で、もう一つは連動ですね。やっぱり体が色んなものが連動してるってのは後からすごい絵がいんですよ。だからそういうものがある。または幼少期の遊び、ま、幼少期の遊びである程度獲得できるんでセンスとも言えないかもしれないですけど、ま、そういうものがあるっていうのは後天的に力強くするとか、あの技を覚えるとか色々あるんですけど、この体の滑らかさ全体の連動ってのは後からは得にくいかなという気がしました。以上になります。
え、こちらではですね、皆さんの質問にお答えする形でやっておりますので、質問がありましたらどしどしお寄せください。