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店大学の質問コーナーです。
え、質問です。小学3年生になるがテニスを2年ほどやっているのですが、とても運動音痴です。監督からも運動だと言われ、今度勝てる、今後勝てる見込みはないと言われました。それでも本人はテニスが好きと言って自習性があります。親としては見切りをつけてやめさせたいのですが、本人のやる気を考えると悩みます。さん、この場合子供の自主性と親の諦めの共有どちらを優先されますか?
はい。あの子供が、ま、それやってるけれども、こう能力がどうもないんじゃないかというんな方の指摘もあってどうしようかところですかね。
ま、あの、うん、私の考えとしてはですね、え、子供の能力っていうのは、え、そんなに簡単に見極められないんじゃないかという風に思ってます。ま、確かに長く拒やっていくとですね、才能ってのは確かにあって、え、それは結構早い段階でも見つけられるかなと思うんですけども、それでもですね、うん、小学生の時には運動会で真ん中とか、え、わしが遅い方だった子がオリンピックに行ったっていう例もありますし、高橋の直子さんも確か足が遅かったですかね。で、キメラリストですから、ま、どこで才能が開花するか分からないというのを私は信じてますので、小学生ぐらいでですね、あの、いろんなこと言われたってのはあんまり気にしなくていいんじゃないかなと思ってます。
で、ですがですね、この個質問っていうのはちょっともう少し深い意味があると思うんですね。それは、え、子供たちがスポーツをすること、またスポーツ以外も含めてですけど、何かに一生懸命頑張るということはその道で成果を得るためなのかというとこなんですよね。質問はつまり、え、テニスを一生懸命やるのはテニスの世界で成果が出るためにやっていて、成果が出ないんであればテニスはやらないという風に考えるとべきかということだと思うんですね。
大人の世界はこの考え方非常に強いですよね。なんか一生懸命やるってことはちゃんと成果が出ることやって出ないこと頑張ってもしょうがないんだよというのは、ま、確かにそうだと思います。人間には向き不向き、好き嫌いありますから。好きでもなくて向いてもないものをやっちゃダメでしょう。ただ大人も迷いますよね。好きなんだけど向いてないもってこれやった方がいいのかどうなのかっていうのは非常に悩みますけれども。なんでま、リアリスト側の人はですね、あ、それは確かにそうですね。やっても意味がないんだったら頑張あの続けない方がいいんじゃないですかという風に言いますね。で、比較的この考え方って社会全体に広くてですね。え、昔私があの講演会した時にされた質問の1つに、え、ま、あのカジュアルな場だったんでその人もそんな意地悪な言い方ではないですけどでも陸上競技ってのはものすごい世界と距離ありますよね。で、ま、特に黒人の方大変強いですから、どうやっても世界一になれなさそうなのに、なんで皆さん陸上に一生懸命なるんですかという質問だったんですね。で、これはまさにおっしゃってるもののもうちょっと拡大バージョンなんだろうと思いますね。つまり世界一になれないもの、一番になれないもの、活躍できないものを頑張ることに意味なんてあるんでしょうかということですね。
で、これに対して反論する側がってのはこれ教育サイトの人間の物の見方は強いですけど、何かスポーツを一生懸命やるってことは一生懸命何かに打ち込んでうまくいくかいない。え、でもできたできないいろんな経験をするってこ一連のプロセスに意味があるんであって、ま、結果として、え、すごい選手になるかどうかってのはあんまり大事じゃないんだと。ま、そもそも確率論ですからね。そうなれる人ってのはそんな多くないから。だから好きで一生懸命なれるって言うんだったらそれこそが最も大きなベヒットを得られるものなんじゃないでしょうかというのがこれ教育者側の、え、立場ですね。なぜなら世の中において、え、成果が出るだけで判断するとですね、ま、ある意味でものすごくドライニング見ればほとんどの人は成果が出ないんですよね。人生でこのメリットクラシの問題と言っていいかもしれないですけど、もちろん公明けにしていけばあの成果は出ていきますけども、で、でもある意味、え、こうやって限っていくとですね、テニス陸上って限っていけば個別なものですけど、で、これ限ってるからで、区切っていくとそうなんですけどね。でもこれものすごく大きな区切り方することもできますね。それ何かって言うと資本主義という区切り方できますね。で、資本主義っていう区切り方で言えば、最も離得の最大化、収入の最大化をした人が偉いことになりますから、ま、そうすると当然あらゆる分が全部統合されてですね、この一直規制のこ中に物差しの中に収められるわけですね。で、こん中に収めるとさらに、え、問、え、発展しましてですね、え、世界一になったところで、え、メジャーリーグの足元にも及ばないのになんで陸場やるんですかという問が成り立つわけです。なぜな資本主義的な上から考えてみて、どんなにその業界で頑張っても上位に行けないんであれば最も離得が高いとこに行くべきじゃないかという問ですね。ま、そうなってくると選択肢はもう限られていて才能がある人はトップ3と、え、または、え、起業する人は起業する人、そうじゃない人であれば金融あたりの、ま、レバレッジが効く世界に行って給与が高いとこ行くとこういう風になっていくわけです。
もう1つただ違う軸もあるよねって考え方もあって、これは名誉な軸ですね。つまり、え、ま、簡単にお金のことだけ私たち人を評価してませんからこれをやっていくと最も知名度が高まったり、みんなにすごいと言われたりするっていう世界の方向もありますよね。ま、億万長者になるんだけども、億マ長者会ではボトムの方にいる人よりはノーベル賞を取った科学者の方が我々社会的な尊敬を集めますよね。ま、生活としてはこっちが豊かかもしれないですけど、人生としてはもしかしたらノーベルを取った人の方が幸せかもしれない。みんなに尊敬されたりお弟子さんたちから支えられながら生きていかで、ま、そんな感じで、ま、概のこのアテンションって言うんですかね。名誉の、え、物差しと金銭の物差しとこん中に全部収めちゃえばですね、先ほどの問いはさらにシンプルになるわけですよね。
でもですね、私は、ま、こういうのをいつも考えながらですね、こう思うんですけども、え、な、何て言うんでしょうね。ん、それでどうするんだろうかっていうことなんですよね。人生を名誉も得ました。それから金銭も得ました。え、ま、ものすごいとんでもないお金持ちの人に私はお会いしたことないですけど、ま、で、それでもすごい方に会いあったり、ま、名誉を持ってる方にもいますけど、え、ま、簡単に言うと心の平穏にたどり着いた人は私はあんまり知らないですね。なぜなら、ま、え、次の世代の人が自分を追い落とそうとしていて、え、じく自分の地位から自分の追い落とされるかもしれない入れ替わってくわけですね。で、金銭においてももっと豊かな人はいくらでもいるという中で、そして自分が持ってるものが少しでも減ったり、または誰かと比較してあちのがすごいと言われるとなんだかその差を埋めなきゃいけない気になるとか、その差がそもそも苦しいっていうこういうのもあるわけですよね。
なのでちょっとメタになりましたけどもすごいメタに見ていくとですね、一体成果が出ることって本当に幸せになることなんだろうかと。もちろん最初はそれでいいわけですね。頑張っていけばなんですけど、ものすごく客観的に見ていくと実は人生っていうのはこのプロセスにおける実感に意味があるんじゃないかと。つまり何か感触があるってことですね。やっていく。で、ここにフォーカスをしてイタリア人の方ですかね。書かれてベストセラーになったのが生がっていうもので、ま、世界中色々見られていく中で確かあれは沖縄だった気がしますけれども、この何かをやっていくプロセスの中から感触を得ていき、そこに幸せを見い出すっていうことが大事なんじゃないでしょうか。そういう文化が日本にありますよという風に広げたものですね。ま、その後も擬賢一郎さんがそのことをあのいろんなところで書かれたりしてますけどもでこの生がっていうものとさっきのものは達成したことでプロセスの価値を図るのかこのプロセスを経ていく感触で図るのかまラソンで言えば、え、何時間何分で走ったかがマラソンの価値を決めている世界なのか走っているプロセスの中で得た喜びとか苦しみとか乗り越えた感触が大事だと考えるかっていう、ま、この違いですね。どっちも大事ですね。どっちも大事なんですけど、人生ってのはどちらかだけには決してならないということなんだろうと思うんですね。お金のため、名誉のためだけに自分はこれを好きでもないやってる感触もないものをやっていった人生で78になった時にま、それなりに豊かになったなったんだけれどもところで私の人生でたったの1度も生きがいを感じたことはなかった。この人生は成功だったのだろうかと問うこともできますよね。ま、それは豊かなれなかった人の日だと言われるかもしれないですけど、本当にそういうところもあるんじゃないかと思うわけです。
で、話は戻りまして、え、シンプルな問いでしたけれど も、私はですね、オルタナティブが現実的にはいいんじゃないかと思うんですね。テニスもやったらいいと思うんですね。好きなことをやれるって。好きなことがあ るってこんな目なんていうかな、ラッキーなことないですから、もうそれは好きなこと好きなだけやったらいいと思うんです。ただ一方で得意なことを見い出すっていうのも大事なことだと思うんで、あともう1つ、もう2つぐらいですね、え、いろんなものを経験して、これ複数経験した方が将来1個の競技に知るするにしても。いいというのは知られてますから、こう複数のものをやりながら、え、自分で何が向いてんのかな。その好き得意じゃないかもしれないけど、好きなことは好きでやるかという気になればそれはその子の人生ですからね。ま、そんな感じで、え、やる、やめるという00を親が決めるのではなくて、いくつかの選択肢を載せながらそのやってくプロセスの中で自分の人生どれを選択するかな、何を好きなことやる人生かな、得意なことやる人生かな、はたまた両方やるのかな?て、そういうことを考えていくのが大事なんじゃないか。ま、私が親やコーチであればそんな風にしていくかなと思いますね。