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はい、質問コーナーです。運動学習と言語の関係について2点お尋ねします。
1点目は、そもそも扱う言語の特徴が運動の学習に与える影響はあると考えでしょうか。国際的に活動された政策のお考えをお聞きしたいです。
2点目は、学力が高くても運動を言語的に整理する能力が低い選手がいるように思います。おそらくはこのも時期に遊びや運動を現行的に自然と半数する経験を積み重ねることが重要だと考えていますが、その他にもたさんの経験から何かご意見があればお伺いしたいです。ありがとうございます。
私の人生はですね、え陸上競技と読書部と、つまり言葉と運動、言葉と体、スポーツとえ言語というまこの2つで生きてきましたので、こういう質問は非常に私にとってみると興味をそられてありがたいです。
さて、1点目ですね。え言語の特徴と運動学習ですけれども、あると思います。まご存知の通りですね、雪を表す言葉はエスキモーは非常に多様にあって、雪が降らないエリアでは非常に少ないという風に言われています。え虹もですね、虹が7色の国はえ日本を含めていくつかしかなくてですね、え最小で2色か3色、最大では10色ぐらいあったと思います。で、そういった国の人間はえ例えばレインボーのですですね、この色とこの色の境い目がま増えるわけですけど、この境い目の認識ができるんじゃ ないか、または2色の国は境い目の認識がしがいんじゃないか、ていうのがありまして、はっきりとそうだとは言えないけれども、若干影響ありそうだみたいな結果だったように記憶してます。
まですので言葉、これ言い換えるとですね、言葉と世界の認識の仕方は関係しうるのかってことだろうと思います。ま扱う言葉によって世界を認識しているのか、世界を認識する仕方に よって言葉を生み出したのかっていう、まこういう問でもあると思います。で、あると思っていて、例えばですね、まあ1番分かりやすいので英語と日本語なんですけど、やっぱり英語はですね、指し示す言語だと いう風にいつも思うんですね。え何かこちらから何かへという差し示すことが非常にえ明確なんですね。ですから守護がないと英語の場合は分かりにくいってのは差し方向性がそこで示されるからだと思うんですね。で、日本語の場合はですね、まなくてもいいわけです。ああ楽しかったねとか、えとか、やったらしいよとかでも結構いけちゃうと。で、誰が何をやったのとか、そういうのをなくてもなんとなくだと成立しちゃうわけですね。で、それはなんか日本語の場合は、うまく言えないんですけれども、ある描写を示している。もうちょっと言うと、観察してる自分がそれを言語的に表現してるってよりも、自らがその中に飛び込んでいるような、私からするとそんな印象があるんです。つまり対象物と自分があんまり分かれてないような感じですかね。
あの素晴らしい本で生生と消滅の精神史っていうのが書かれていますけれども、この本の中の最後の章が日本の心のあり方を書かれてるんですけれども、ま非常にここでの説明も私は腑に落ちたなと思ってます。ですので、まこれが明確にというのはないんですけれども、私は言語、どのような言語を扱うかなよによによって運動様式が少し変わり、そのことに よってえ競技力頭また動きの特徴に影響するということは十分あるんじゃないかなという風に思ってます。ま分かりやすいので言いますと、他者との距離感みたいなものですかね。これ日本に住んだ長く住んだ外国人の人がもう明確に言うのがですね、日本に住んだ途端にあの自分の動きがなんて言うかこう小さくなるとかですね、なんかこう言うんですね。ま我わかんないですけどね。日本で生まれ揃った人だ、この辺も非常に言語的なものか、文化的なものか、空気か分からないですけど、影響があるんじゃないかと思ってます。
2点目ですね。これはですね、私は運動を言語的にせえ、言葉で整理運動だ。だから言葉で整理するっていうことって、あの2つあると思ってるんですね。1つはまず自分の身体に起きてる感覚を掴むこと。それからある動きを構造的にっていうか、この動きとして説明することです。で、全車はですね、え自分の体の中で感じ取るものがないとそのヒントが得られにくいわけですよね。当たり前ですけれども。で、これがなんかなんて言うんでしょう、内政感覚っていうんですけど、自分の身体内にあるいろんなセンサーが感じ取ることに影響してるだろうと思うんですね。であの、ま自閉傾向がある子供たちにトレーニング教えたことあるんですけど、やっぱり自分たちの身体感覚ってのを感触をですね、味わうのが得意じゃない子が結構いて、ま転んじゃったりするんですね、走る時に。で、それはあの自分の体をどう扱うかってことと同時にですね、えこう感触ですね、自分がこう踏ん でるとか、掴んでるとか、ちょっとこういう感じがしてるみたいなことがこっち側にベクトルが向かずにこっちに向いているので、それが難しいみたいな説明を受けたことがあります。ただその子宇宙を理解したいって言ってる中学1年生でなんかめちゃくちゃ難しい宇宙の式見せられて、私なったよくわかんないよ、ますごい馬鹿にしてたわけでも走ると僕足が早かったんで、それでお前なんかいいなみたいな感じにれたんですけど、まそういうのが結構あるんじゃないかなという風に思ってます。まこれ特性の方ですね。
でもう1つはやっぱり自分の動きを説明するって、ある程度こうなんて言うんでしょうね、うん、ある物事をこう3次元的にながら動きを説明するっていう、しかも例え話も必要でコミュニケーション能力もいるので、本人のの中で分かってるんだけど多しには伝えられないってパターンもあるのかなっていう風に気がしてます。で、まこれ特性の話がちょっと強いですかね。
じゃどうやって子供たちのそういうの鍛えたらいいのって言うと、ま結局おっしゃる通り色々自分であの体を使って遊んでみるっていうこと、あとは説明する機会を持つっていうことだと思うんですね。あのできるんだけど分からないっていう子供の多くはですね、自分であの話していくと、自分で動きを説明することってあんまなかったっていうんですね。言われた通りやってきたと。つまり外から言われたように体を動かすことはできても、この動かしてるようなことを他者に伝えるってことはあんまり経験してこなかったというパターンがあるので、だから動いてみる、遊んでみる、そしてそれがどんな感じか、あの話す機会を持ってみるっていう、これらによってま私は運動を言葉で整理する能力ってのがついてくくるんじゃないかと考えています。
まいずれにしてもとても楽しい質問どうもありがとうございました。まこれに関しては何の答えもねあるわけでもないので、皆さんどんな風にお考えでか、是非色々教えていただければと思います。
こちら質問コーナーではですね、皆さんの質問を受けてそれに回答するって形で住んでますので、ま何か質問があればですね、こちらにお寄せください。