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え、大学の質問コーナーです。実力主義の是非についてご意見いただきたいです。私は大学の教科ラグビー部、現在までも長年トップチームに所属していました。大学監督側の結果主義なのは分かるのですが、レギュラークラスの部員は問題行動を起こしても、とにかく秘しをして試合当日にベストコンディションで出させる風土がありました。他協議の大学スポーツ全体も似た風土だと聞きました。子供が習い事でそこそこ強いクラブで頑張っていますが、いずれ歳月を重ねた時に費用対効果の合わない大学スポーツに幻想を抱いた時に得られるものは限りなく少ないのになんとアドバイスしていいか真剣に悩んでいます。たくさんのご意見をいただけないでしょうか。ありがとうございます。
ま、これご質問ちょっと短く私なりに整理すると、まお子さんが今スポーツやってるんだけれども、いずれえ、年齢を重ねてトップに上がっていった時に、え、こういう場所なの、なんかスポーツで色々人育てるとか言ってるけど、結局そうじゃないの本音の部分はっていうことに減滅するんじゃないの、というお話かなという風に思いました。
おそらく私も世代が近いんですかね、少し下の世代の方かなと思うんですけど、我々の頃も確かにこういう部分はあったかなと思います。ま、私自身がパフォーマンスが結構高かったですから、ま、そういう風に見られていた可能性もな、あるんじゃないかなというのはちょっと思ってますね。
で、これ実はトッププロリーグになると話は違うと思うんですね。ま、これ多分同じように思われると思うんですけど、プロリーグっていうのはプロの世界ですので、ま、え、競技力と言うんですかね、ま、普通の会社と同じようにパフォーマンスさえ良ければ、それでいい。ともちろんその中にコンプライアンスとかですね、チームの中で重視するものがあって、それをはみ出た場合ってのは、ま、これは一律アウトですよ、ということやるべきだろうと思います。スポーツの場合。ただちょっとそれが緩くてですね、おそらく個人のパフォーマンスの影響が結果に与、影響を与えすぎるんだろうと思うんですね。会社の場合はいくらエースがいても、え、ま、数千人とか、ま、数百人でもそうなんですけど、数百人の会社であれば1人のスーパーエースを切った方が、え、それ以外の人のパフォーマンスが少し上がることを考えると、ま、または起立を保ってですね、ま、強く、何、あいつ成績体出ていれば会社で定めったコンプライアンスはみ出てもいいの、ということによって全員の式低下とかですね、起立が緩んだりとか、ま、倫理的に崩れていくってことを考えると、やっぱ1人のスーパース切った方がいいわけです。その方が全体にとっても良いという力学が働くわけですけど、スポーツどんなに多くても15人です。ラグビーの、え、もっと少ないスポーツだとな、数人なので、こういう世界になるとその人1人で勝てちゃうことが出てくるわけです。そうすると会社の場合であなたちょっとコンプライ違反なんで、ということよりももっとプレッシャーがかかってしまうと切りにくくなってしまうわけです。排除しにくい。これが背景にあるんじゃないかと思うんですが、ま、それでもやっぱりプロスポーツの世界では、え、これでもあの、ま、なん、でしょうね、プロスポーツの世界で私はそれやるべきだと思います。これでも私日本得意の問題、日本らしいね、とかって議論したことあるんですけど、気になって調べたらもう世界中そうらしいっていうか、アメリカとかもっとひどいみたいですね。なんか、え、パフォーマンスさ良ければ、ま、ドラッグとか、そういうのも多めに見ちゃえ、みたいなところがあった、ま、今わかんないですけどね、昔はあったそうで、ま、全然なんかすげえなと思いましたけど、ま、考え方なので、世界的に見て日本遅れてるみたいなことはこの世界においてはあんまり議論できないんだろうと思います。
ただ私は日本って世界中から見てスポーツを教育だと思ってる人が非常に多い国なんですね。で、スポーツは教育だって思ってる以上は、スポーツで育てる人ってのは社会的に認められる人であるべきだと、思っていて、ちょっとスポーツ会が正面から言ってることと実際に中で起きてる出来事が違うんじゃないの、多分同じようなものを見られたんじゃないかと思うんですけど、思うことありますよね。なんか全然最後の最後はただ強きらいいって言ってんじゃん、あなたたちその監督の皆さん、表面では人育てとか言っておきながら、っていのがちょっとは思う時がありますよね。
で、ですので、ま、まず全体像としてはそういうところがあるかなと思います。で、私はあの、実はこれ多いんですけど、私たち、の周辺のトップアスリートは自分の子供にスポーツをさせないパターンが結構あります。え、私も自分の息子はスポーツしなくてもいいと思ってますけど、するんだったら、したら、あの、やったらいいなと思うけど、ただオリンピック目指すたか、そういうのは別にいいんじゃないの、という風に正直思っております。ま、本人が目指したければどうぞ、という感じですけど。なんでかって言うと、え、名誉と金銭以外に人間的な成長を何か得たかって言うと、あの微妙なところがあると思います。から私自身は非常に学びが多かったですね。他の人生体験してないんで、ま、あの、普通に会社に所属した場合方が学んだ可能性もありますけど、ま、オリンピックに出るために色々やってきて出て、ま、それなりに戦った経験は自分なりには非常に学びに、なりましたけど、なんかあんまこの人オリンピック出ない方が良かったんじゃないかっていう選手も正直いるわけです。なんでかって言うと、え、生路成功体験を得てしまうっていうことと、え、ま、これはなんか傲慢タイプの方ですね。成功体験を得て、みんながちやほやするけど、当然引退したら普通の人ですから、今度普通の人として生きてく時にそこにフィットできないわけです。1度なりともスポットライト浴びた経験がありますから、うまく自分を小さくできなくて、それで苦しむっていう人非常に多いんです。オリンピックにさえ行かなければこの人の人生は良かったんじゃないかっていうことも、あるわけです。ま、この辺り興味ある方は、あの、五輪の十字架って言って、今はちょっとタイトル変わったかなと思うんですけど、ま、五輪の十字架でも出てくると思いますけど、これで1964年の東京ゴリに出た、え、選手、の皆さんがその後こう人生で色々苦しむ要素を書かれているので、ま、是非読んでみていただきたいなと思います。
で、これゴマタイプの方ですね。でもう1つの方は、あの、なんて言うんでしょうね、強烈なプレッシャーと社会性を帯びなきゃいけないんですね。社会からすごい見られると、私はただ好きなことやりたかったのに、急に上まで行くとみんなにこう全部360°見張れるようになって、これが苦しいって言って精神的に崩れてしまうっていうパターンもあるんですね。こういう人もま、オリンピックに行かなかったら自分が崩れなかったかも、そこまで目指さなければ。でもこれ本人だけじゃないんですね。あの指導者とかですね、親もそう、地域もそうですけど、オリンピックに行けるかもしれないって才能にはほとんど出会わないので、自分の人生でです。で出会ったらやっぱ人間興奮しちゃうわけです。なんて言うしょ、本当によかれを思って、よかれと思ってなんですけど、よかれと思ってこの子オリンピックに行かせなきゃいけないって思うわけです。でも本人が本当に、行きたいと思ってるかどうかとはまたちょっと別で、そうなっちゃうわけです。だ、これでもなかなかねえ、これで苦しむ人も多いと思います。
ま、ともかく話はそれましたけど、ま、そういうことがあっていく。で、あの、ま、私がちょっとこれ思うところはですね、やっぱりまずスポーツってのはプロスポーツって実力主義なんだけど、ある程度コンプラなんて言うのかな、コンプラアンスっていうか基準を定めて、それを一線超えたら普通にやりましょうね、ってやるのが大事だと思います。私は1番大事なのは企業スポーツは普通の企業のコンプライアンスがしかかけで、でチームにはそれをちゃんと申請する義務を与えるということですね。あの、ご存知かと思いますけど、日本の実業団って企業って実業なスポーツ自体を我慢、ナンスできてませんよね。実際にはチームの中で何が起きてるかを企業はあんま分かってないと。で、監督は非常に強くて、この中で起きてることはコントロールできてます、って言ってるけど、で、この中で起きたこと企業、の責任なんですよね。私今フジテレビで問題になってますけど、外資系の企業が入ってきて、いろんな企業に入って企業スポーツが、って企業スポーツの中で落した不祥事を、あなたこれ監督できてませんね、って、いう風に言って株主提案で役員の入れ替えとかを提案すること今後起きると思ってます。なぜならこれ監督する責任がありますから、あの、干渉している役員の責任ですからね。で、これが起きた途端に急激に実業団スポーツ側に、企業のスポーツの、え、ガバナンスですね。例えばサブロ協定とか破ってるとこ、いっぱいですから、そういうものもざっ、と一気に入ってくるってのが今後あると思います。なので、え、実業団スポーツは、あの、企業人であるっていう前提をあんまり分かってないですけど、これが一気に売り出しが来た時に企業のルールって何だったっけ、ってのを急激に学ばなきゃいけない流れがやってくると思いますし、私であれば、なんか、ま、ま、まともかく、そういうことを、あの、やってくると思います。なのでご心配されてるものは、実業団においては、あの、いずれ揺り戻しは必ず来ると私は思ってます。
で、大学側ですね。これもうちょっと複雑で、大学はやっぱり教育の場所ですよね。で、ほとんどの人は別にそれで食ってくわけじゃなくて、スポーツを通じて何か大事なことを学んでいくための場所なのに、え、あんまりにも大学スポーツっていうのが、ま、正直ビジネス化してますよね。大学の名前を売るための箱根で、とかも大学の名前を売るために思いっきり大学は予算かけて強化してますから。で、そうなると監督プロですよね。で、プロが見てる選手たちを本当に教育の領域で留めてるか、やっぱりこの選手たちを使って大学が活躍して、大学名が世に出ることで、大学経営がうまくいくっていう、この構造に組み込まれてますね。大学のみならず高校もそうですけど。で、この構造ってのは私は結構問題だと思っていて、ま、行きすぎ始めってるなと思います。で、どうやって止めるの、ってのは正直難しいんですけど、ま、結局私は先ほど言ったような、え、世間一般でダメとされてることはスポーツ選手であってもダメよ、っていうことを大学にしろ高校にしろ、かけていって、それ全然、え、いやうち野球部なんで、とかそういう話じゃなくて、いやいやそうじゃなくて学生ですよね、ってところから入っていくというのが、え、いやラグビー部なんで、じゃなくて、いや社会人ですよね、うちの会社の社員ですよね、じゃあこの木、ちゃんと規定守ってくださいね、っていう風にやっていくのをやるしかないんじゃないかと思い、ます。
で、最後になりますけれども、あの私もこれ、が1番実はスポーツが社会から厳密される理由の1つになり得ると思ってるんです。つまりスポーツ会、日本のスポーツは繰り返しますけど、グローバルに見ると教育なんですね。日本のスポーツの特徴は、にて言ってるにも関わらず、スポーツから生み出してる人材がこれですか、っていうことが何回も繰り返して出されることに、よってスポーツが厳密されて、そういったスポーツに入っていく人の数が減っていく、ということが起きていくんだろうと思い、ます。これ一見スポーツを触れる機会の問題だ、っていう風にスポーツ会の人言うんですけど、私は本質的には社会がスポーツに厳密して減滅していってることが現れてると、思います。あの、ま、名前を出してしまってあれですけど、野球の人口が今減っていってるっていうのは、やっぱり野球会、野球人が平気でタバコを吸う監督が、で、それでいろんな不祥事が起きてるのを見ていますから、我の世代はタバコ吸わないプロ野球選手の方が少ないんじゃないか、みたいなのをみんなメディアの人知ってますから、そこに自分の子供を入れますかっていうことを、やっぱりみんな考え出しますね。次の世代は、ま、そういうことが問われていく中で、今のトップ選手を見た時に、あんな風に打ちのししたいですか、ってことを、ま、見ていく時代がこれから始まっていくんだろうと思います。私も同じでだと思いますけど、ま、あの、やら、れてる自分のスポーツがそんな風になって欲しくないっていう思いを持ちながら、で、それに影響を与えてるのは結局トップ選手だったりするって構造もあると思うんですけど、これは本当に各スポーツがあの自分たちで改善していかない限りは、スポーツが私は見限られるんじゃないかなというのは、思ってるところでございます。
でも、あのお子さんがスポーツをやって、それ楽しいと思ってやってる間はいいんだけれども、やっぱ現実も含めて少し教えて、なんて言のかな、少しずつ学ぶっていうことも大切なのかなっていうのは、私が思ってるところでですね。すいません、はまとまりのないお答えになりました。