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えた大学の質問コーナーです。これはですね、質問というよりも私が、え、お話をしました。1流の人はシンプルに考えて、2流の人は複雑に考えると、質問に対して回答したものに対しての回答ですね。で、これ非常に興味深かったので、お話をしてみたいなと思います。
まずコメントですね。私は理論物理で博士を取り、大学院生の指導もした経験があるのですが、私の考えるシンプルについて述べさせていただきます。有名大学には多くの優秀な学生がいるのですが、大半が研究者としては生き残れません。ここで私が感じたことは、複雑なものを複雑なまま理解する人は研究者としての目がなく、簡潔に整理をする能力がある人だけが生き残っているということです。しかも、完結に整理をした結果に正解はなく、これが個性となって研究者としての価値が生まれます。全体を見た上で完結に整理をした結果として、最先端のさらに先に進むべき方向が見えてくるのであって、誰かの整理をどんなに完璧に理解をしても、研究者としての個性は生まれてきません。これらの研究者としての簡潔な整理と対局にあるのが、素人に説明する時のシンプルだと思います。これらの多くは枝葉の部分を全て切り捨てることによって得られるシンプルなので、分かった気になることはあっても、理解するための手助けとなることはほぼありえません。全てを見た上で、他の誰とも違う整理をする能力が研究として重要になるものと感じています。おそらく力場競技においても似たようなものがあると思うのですが、いかがでしょうか。
ありがとうございます。え、あの、ま、私この動画やっている目的の1つに、実は私の自分の人生で1番好きなあのジャンルの方々っていうのが研究者の方たちなんです。なぜかと言うと、自分の好奇心を追求していくってこと私は一番娯楽で最上位だと思っていて、ま、それと実は並びしするのが研究者の方と職人の方なんですけど、ま、そういう方たちとこういう風にこう、あの往来って言うんですかね、お話をできるってのは非常に嬉しく思ってますし、ま、まさにこの動画やってきてよかったなと思ってるところでございます。
で、まあのご存知の通り私全く理系の素もなくて理論物理も分からないという中で、お話をスポーツ、あくまでスポーツの世界の中から頂いたものでお話をしたいなと思います。まず校舎の部分ですね。素人に説明する時のシンプルって枝葉を全てキリストにことによって得られるシンプルというこだと思うんですけど、実は、おっしゃってると、ままさにおっしゃってる通りだと思うんですけど、これ枝葉を捨ててもですね、え、素人の方は実はあんまり分かっていただけないってことが多いんじゃないかなと思います。で、それはやはり、いくらシンプルにしてもですね、おそらく理論物の世界も陸上の世界も基本となるこれだけは抑えといてねっていう知識や、え、知識、ま、知識ですね、知識が必要なんです。それが分かった上でその上に構築されるシンプルさなので、これもない場合だとする、とですね、やっぱり結構説明が難しい気がするんですね。で、そういう時にこれメディアに出る時に私たちがよくやる手法なんですけど、アナロジーを使うわけですね。まるで何々のようにという説明の仕方をいたします。
え、ま、例えば理論物理の方で言うと、ま、この間は先生っていう宇宙物理なんですかね、の先生とお話しした時に、ま、非常にアナロジーを上手に使って、まるで私たちが宇宙の原理について分かったような気にさせていただけるんですけど、やっぱり飲み会で最終的に本気出してみてくださいって話を聞くと全く分からないわけですね。それは専門の人に分かるシンプルさっていうのは、やっぱり聖地な知識の上に乗っかってるわけですから、これ全然分からなかったというのが、ま、正直なところでございました。
で、このアナロジって結局何なのかっていうと、例えば陸上競技で言うとですね、自分が走る時にどういう風になるかっていうと、自分の足を、え、ゴムのような硬いゴムのようなものとして想定して、その上に上半が乗っかってくると。で、潰して得た反発によって自分の身体を前に進めるんだっていう、こう、こういう説明の仕方をするわけですね。もうちょっとこ細かくこれを説明していくと、ま、各関節角度っていうのある程度固めた上で、筋肉を緊張させながら、これ、え、身長性収縮とかって言うんですけど、ま、要するに伸ばされ前として耐えながら、それでも圧に負けて伸びていくような時に力ってのは一番大きく伸ばされそうとなるゴムみたいなもんですけどね、が一番大きな力が出るんだけど、それ1個1個説明するの大変なんで、まるで足を硬いゴムのようにするんだ、という風に話をしたりするわけです。でもこれって現実じゃないわけです。
でもこれよく考えてみると、実は私たちが素人の方にお話する時に、これ理論物理の世界は私、おそらく違うと思ってるのは数式があると思うんですけど、私たちの世界も一応あるんですけど、ま、やっぱり言葉で説明するんです。技術の世界。そうすると言葉自体がある情報を無理やり収縮したようなものだと思うんですね。例えば今無理やりという風に言いましたけど、無理やりっていうのも強引にとかいろんなものがありますけど、なんかこう、え、ちょっと力づくで自然となったわけではなく、ええ、ま、力づくってことは誰かの主観が入るわけですけど、その人がそうギュっとしたのを無理やりって表現してると思うんですけど、ま、そんな風に言葉自体がこの複雑なままの世界のある部分だけに着目して、そこに情報をギュっと寄せることで、まるでその言いたいとしてる事の要点だけを伝えることで、それ以外の部分も含んでるっていう、まあ、え、なんかインターネットで言えば縮小して相手に届けて、相手がメメールで展開するようなことをやってるんじゃないかと思うんですね。ま、そういう意味で二重のアナロジーが起きてるような気がする。つまり言葉自体が結構アナロジーなのに、それに対してさらにアナロジーも使ってるっていうことで、二重の縮小をして相手に伝えて、そして相手があ、分かった感じがすると言って展開するんだけど、おそらくその方の脳内で展開されたものはこちらにあるものとは違うものなんだけど、でも何か1つ、雲のいというのに繋がっている、え、理解というものがあるんじゃないかと期待しながらお話をするというのが、え、校舎の素人の方へのシンプルさなんじゃないかと思うんですね。
で、全社の方ですね。これ、ま、非常に興味深いんですけど、私はあの、実は複雑なものを複雑なまま理解するってこ自体に矛盾があると思ってるんですね。それは何かって言うと、複雑なものを複雑まま捉える以外に方法がないかと思ってるんですね。理解するってこはあくまで私たち側のこの主観、あの、一個人がそのことを分かった感じがするってとこに落とし込むわけですけど、これかなり情報量を張り込むないと理解ができないんじゃないかと思うわけです。で、複雑なものを複雑なまま理解するにはあまりにも私たちの知力が劣っているので、それは自分たちの身体がそれをそのままずっとこう受け止める以外になあないんじゃないかというのが私は考えてることなんです。
ま、どういうことかって言うと、ま、これ認知科学なんかでよくお話しされますけど、ま、これも実はアナロジーちゃアナロジーなんですが、カクテルパーティー効果っていうのがありまして、これは、え、私たちがあの、例えばパーティーで目の前の人と話をしてますね。例えばこれが今ネットを返してじゃなくて実際にお会いして今このような会話をしてる時に、多分夢中になりますよね、これ知的に興味深いので。でお互い夢中で話ししてる時に、後ろにいる人たちがなんか話ししてるけど聞こえないですよね。ところが後ろにいる人たちが急にた大学でこの前でやったって言うと、ま、双方にその認識があると、はって思って、あれ、え、俺たちの話してるみたいなことになるわけですよね。でもそれは今までは聞こえていたであれば、今までの会話も理解できるはずだし、今まで聞こえていなかったんであれば、なぜた大学だけは聞こえたのかっていう問が成り立ちますよ。これつまり私たちが、え、聞こえたという風に意識に上がる情報っていうのは、聞こえていないけれども身体を通っていった情報よりも少ないわけです。つまり私たちは聞こえたと意識されないけれども受け取った情報がもっと無数にあるんだという風に私は仮定をしてるわけです。で、その中の1部が意識として上がり、その上がったものがを私たちを転がして考えてるとか、実際には意識されないものも含めて考えてるんだと思ってるんですけども、ま、そういう構造になってるんじゃないかと思うんです。
そうすると結局私たちが世界を捉える時に、意識的に捉えたものではない自分は意識もしてないけど、この身体を返していってるんだろうなぐらいの情報もまた、え、私たちの理解の石にの一部になってるんじゃないかというのは私は思ってるとこなんですね。で、この世界をこの身体をを返して捉えていくっていう、ま、このことを端的に表現したのがレイチェルカーソンが言ったセンスオブワンダーという、この身体がワンダーを引き起こす、つまり驚きや知的好奇心ってのを引き起こす、考えるでもなく、この身体的に湧き上がってくる知的な喜びみたいなものを、戦争ボワンダーとあの紹介したんだろうと思います。
お話に戻っていくとですね、この、え、複雑なものを複雑なも理解するってのはそれをなんか簡潔に、え、ま、ブリッジするっていうか、な、そのよ中小度高くできないとまとめることができないと、要するにっていうことできないと、でもそう要するにってできるだけでは独自性は生まれないわけですよね。あの人はとても理解が早い人で終わってしまうと。で、この一歩先にその人特有のもの見方とか、もしかしてって思いつくような部分が必要なんじゃなかろうかというトートを私は受け取ったんです。それは何かって言うと、私はこのセンスオブワンダーっていうか、あの何の知識があるわけでもなく、ただ漠然と世界を受け取った時にふっと湧き上がる好奇心、なぜこうなのかとか、どうしてこのような感じが私のはしているのかっていうことに対して着眼して興味を持ってそれを掘り下げていくっていう、ここ。ここに私は独自性が生まれると思っていて、で、そのものすごく知的な世界の上に理論物理のそういう方々はいると思うんですけど、一方でアスリートにとってみると、身体を動かす中でふっと不思議に思う瞬間、当たり前のことが不思議に思うっていうことを追っかけていく選手は良いコーチになったり、面白いアスリートになっていったりすると思うんです。このセンスブワンダー、これどうやって身につくのかっていうことに私は非常に興味がありまして、このタ大学やってる、ま、理由の実は大部分もセンスブワンダーを突き詰めてみたいと。これが私は人間らしさの根源あるんじゃないかと思いながらやってるんですけれど、もま、そんなところがあの伺って思ったところです。ま、是非これお会いして話してみたいほど知的に面白いお話コメントいただきましてありがとうございます。