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1年間で新たに癌を宣告される日本人はおよそ99万人。そして一生のうちに癌と診断される割合は2人に1人。あなたかあなたの隣にいる誰かは非常に高い確率でこの病に直面すると考えてください。
として絶望とも言えるこの運命に対抗すべく人類が磨き上げた最も強力でかつ最も過酷な兵器。それが抗がん剤です。しかし、これほど重大な存在でありながら抗がん剤について深く知っている人は少ないでしょう。この薬剤は体内で何を引き起こしているのでしょうか?そしてその救いの裏にどのような副作用が隠されているのでしょうか?今回は抗がん剤を使用するとどうなるのかについてご紹介したいと思います。
まずは癌という病、そして細胞とは何かという点を簡単に整理しておきましょう。この疾患は一言で言ってしまえば遺伝子の病いです。具体的には、細胞の増殖を促進するがん遺伝子とその増殖を抑制するがん抑制遺伝子の変異が蓄積し、がん細胞が発生します。この細胞は一種の暴走モードに入っており、無秩序と呼ぶにふさわしい暴力的な増殖を続け、あなたの体の大事な組織を破壊します。さらに、このがん細胞は血管やリンパ管を利用して体中へと拡散し、転移先でも同様の破壊を行うことで人体の秩序を崩壊させるのです。元々はあなたの味方、そしてあなたそのものであった細胞の氾濫。それが癌の本質と言えるでしょうか。
あなたたち人間は、この病を克服するために多くの治療法を開発してきました。いくつか例を上げると、がん細胞そのものを物理的に切り出し排除する外科的切除。がん細胞のDNAを放射線で切断してがん部にダメージを与える放射線治療。他にも免疫療法やホルモン療法などが上げられますが、これらの治療法と並んで代表的なものが化学療法、つまり抗がん剤を用いた治療法となります。
抗がん剤という言葉は、多くの皆様にとってもきっと馴染み深いものでしょう。そして意外かもしれませんが、人類がこの薬物を発見したきっかけは第一次、第二次世界大戦で登場したマスタードガス、つまり毒ガスにありました。このガスに暴露した兵士の白血球が著しく減少するという観察結果をもとに、細胞を強く障害する性質をがん治療に応用できるのではないかという発想が生まれ、イエール大学の著名な薬学者であるアルフレッド・ギルマンとルイス・グッドマンが実験に着手します。彼らはナイトロジェンマスタードという化合物が血液の癌の一種であるリンパ腫に効果的であることを動物実験そして人体への臨床試験で確認しています。時は1943年。人類が毒を味方につけた画期的な成果でした。そしてこの発見は後の抗がん剤開発の流れを強く後押しすることになります。
このような流れで開発された抗がん剤は、言ってしまえばただの細胞毒であり、その攻撃部位はDNAである場合が多いです。皆様もご存知かと思いますが、この事実はがん細胞だけでなく正常な細胞、特に細胞分裂が活発な細胞も攻撃対象となることを意味しており、重篤な副作用がその裏に隠れています。現在化学療法で用いられている多くの抗がん剤も本質的にはこの原理から逃れることができません。
それでは、もしあなたが癌に犯され抗がん剤を使用すると、どのような体験をすることになるのでしょうか?その詳細を科学的に紐解いてみましょう。
まずは現在臨床の場で用いられている抗がん剤の種類と、その作用メカニズムについて代表的なものをいくつか解説しましょう。すでに紹介したように、初期の抗がん剤、そして現在でも用いられている抗がん剤の1ジャンルは、端的に言えば細胞の分裂を阻害する毒です。がんの化学療法に用いられる薬といえば、多くの場合はこの薬剤を意味します。概念的な話をすると、がん細胞は正常な細胞と比べて細胞分裂の速度と増殖のスピードが早いです。そして抗がん剤は分裂細胞に無差別に毒性を示すため、抗がん作用を発揮します。
代表的な薬剤としてはフルオロウラシルが上げられます。この薬剤はRNAの構成要素であるウラシルの構造類似体なのですが、生体内でウラシルの偽物として作用します。その結果、DNAの複製を阻害したり、DNAやRNAに取り込まれることで重要な細胞機能を阻害するのです。ウラシルの模倣犯。それがこの抗がん剤の本質と考えてください。
他にもシスプラチンという薬剤もあります。こちらは白金という金属を分子内に含む化合物であり、DNAに結合することでがん細胞に損傷を与え、その修復や複製を阻害します。DNAを標的とした無差別爆撃により細胞を殺す薬剤。それがシスプラチンと言えるでしょう。
このような第1世代とも言える抗がん剤は、現在でもがん治療の主役ではありますが、その作用メカニズムの特性上、細胞分裂が活発である正常な細胞の損傷、すなわち副作用を避けることができません。ですが、人類はやはり強い生き物です。このデメリットを少しでも解消するための施策を絶えず模索し続けており、部分的には成功しています。例えば分子標的薬。こちらはがん細胞の増殖、分裂、転移を制御するタンパク質を標的とする選択的な薬剤であり、ベバシズマブ、トラスツズマブなどが上げられます。それぞれの詳細な作用メカニズムは省略しますが、特有の副作用や機能の限界はあるものの、従来の化学療法に比べて副作用は軽減しています。
他にも、がん細胞はあなたたちの免疫機構を回避し、その攻撃から巧みに逃れるシステムを有しているのですが、このシステムそのものを崩壊させる免疫チェックポイント阻害薬という薬剤もあり、がん治療における新たなパラダイムとなっています。
とは言っても、残念ながらその強い毒性からは逃れられません。それでは、抗がん剤を使用するとどのような副作用に襲われるのでしょうか?ここでは化学療法を主な例にその悪夢を紹介しましょう。
癌に犯され化学療法を受けることになったあなた。抗がん剤が体内を巡る日々で常に感じる大きな苦痛は吐き気です。これは抗がん剤が中枢神経を刺激することや、細胞分裂の比較的早い消化管が影響を受けやすいことによって生じる、抗がん剤の最も辛い副作用の1つと言えます。近年の制吐剤の進歩により吐き気そのものは減少しましたが、吐き気は常にあなたを襲い続ける場合があります。
それでもあなたは人間です。生きるために食べ、そして水分を取らなければなりません。吐き気と隣合わせのこの義務がどれほどあなたの幸福度を下げるかについては言うまでもありません。人間にとって食事とは義務であるとともに、快楽であり楽しみでもあります。ですが、抗がん剤は時にこの喜びをあなたから奪います。何を食べても味が分からない。このような味覚障害は、他人に苦しみを理解してもらうことが困難な事です。一人孤独に砂を噛むだけのような虚しい食事は、あなたから生きる喜びを大きく奪いかねません。
他にも、常に鉛りを背負っているかのような倦怠感が全身を襲ってくることもあります。起き上がるどころか、重力そのものが数倍になったかのような指1本動かすことすら拒絶される縛り付けの拷問。苦しみを理解してもらえないあなたは自暴自棄になり頭をかきむしります。すると手のひらに違和感が走り、その両手を眺めると髪の毛がまとわりついていることに気がつくでしょう。これは細胞分裂が活発な細胞に抗がん剤が作用しやすいため の副作用であり、毛を作る元になる毛母細胞が攻撃された証拠です。鏡の向こうのあなたに、以前の活力に溢れた面影はもうありません。
副作用は身体的症状だけにとどまりません。苦痛の戦いの日々は、あなたの精神すらも崩壊させることがあります。「この治療は本当に有効なのだろうか?」「私は家族のお荷物ではないだろうか?」「治療費は払えるだろうか?」このような精神的苦痛もまた、抗がん剤の副次的な副作用と呼べるかもしれません。場合によっては、心が悲鳴を上げうつ病を併発することすらあります。
抗がん剤は確かにある側面から見れば毒そのものです。ここでは紹介しきれなかった副作用も数えきれないほど存在します。そのため、日々は苦痛を前提とすることもあるでしょう。ですが、どうか諦めないでください。すでに紹介したように、がん細胞特異的な抗がん剤は今も開発され続けています。そしてがん治療は化学療法だけに限定されるものではなく、切除手術、放射線治療など様々な手法との組み合わせで達成されるものです。あなたの苦痛を根本から取り去るために、科学はその歩みを止めることはないでしょう。そのため、1秒でも長く生き続けることを諦めてはならないのです。
今回のバイエンスはここまで。頑張って。