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世界史って最高に面白い!さあ、やってまいりました。中学生でもわかる、初めての世界史の授業をしていきます。全身全霊で世界一面白くて分かりやすい授業をしていきますので、最後までご視聴ください。
さあ、この動画を見てくださって皆さんは、世界史の勉強がしたくてしたくてたまらないんですよね。さあ、そんな世界史を勉強してる人によくある悩み、それは何かというと、世界史の全体像がわからない、そういった悩みなんですね。さあ、これはなぜか。例えば、日本酒を考えてみてください。日本史って、小学校や中学校で簡単な全体像を勉強するじゃないですか。だからこそ、高校に入ってから細かい知識っていうのを勉強していっても、その内容っていうのがどこの内容なのかって頭の中でうまく整理することができるんですね。だから皆さん、おそらく日本の歴史って言ったら、例えば平安時代、鎌倉時代、室町時代という風にどんどん時代区分が言えると思うんですよね。一方で世界史はどうでしょうか。世界史って、小学校や中学校ではあまり体系的に勉強しないので、いきなり高校に入ってから細かいところを習いますよね。すると何が起こってしまうのか。一体今、自分は何の勉強してるの?そんな悩みが起こるわけですね。だからこそ、この動画で、もし中学校とかより簡単に世界史を1回勉強することができるならということで、全ての全体像を網羅するような授業動画を作っていました。この動画を見れば皆さんがですね、今自分たちが何を習っている、そして世界の歴史というのはどういう風に動いていたのか、それが皆さんも語れるようになると思います。
この授業動画はどんな人に向けても見れるように、できるだけ分かりやすく構成をしています。なので、初めてこの動画から世界史を勉強するよって人はもちろんのこと、1回過去に世界史を勉強したことがある、ただ学び直しをしたいよっていう人だったら大丈夫ですし、何より定期テスト対策とか、あるいは入試対策として世界史を勉強したい人、大歓迎です。ぜひこの動画を何回も何回も活用していって、世界史の知識・経験を身につけていってください。
そして、僕が世界史を教えるときに2つ心がけていることがあります。まず1つ目は何か。それは、世界史にはたくさんの教訓があるよということです。例えば、世界史っていうのを過去の人がやっただけのことでしょう、どうでもいいじゃんっていう風に投げ捨ててしまうのはあまりにももったいないんです。世界史に含まれてる教訓っていうのは、過去だけじゃない、現在だって未来だって通じるような非常に大切な内容がたくさん含まれています。だからこそ、そういった教訓を抽出して、そして実感するプロセスを皆さんにも味わってもらいたいので、僕の方で10個法則を用意しました。この法則は今見てもなかなか分からないと思います。ただ、この授業動画最後まで見た時には、なるほどな、確かに法則だな、非常に大切だ、そして現在には未来も起こり得るだろうなというのを皆さんが納得できるはずです。是非最後まで授業動画をご覧ください。
そして2つ目、それは何かというと、世界史はストーリーだよってところです。世界史っていうのは、世界一面白いノンフィクションストーリーです。教科書とか、ドラマとか、あるいは参考書とかで断片的にですよ、細かく勉強したいのはあまりにもったいない。もちろんそれだっていいんですが、最初にストーリーを見てみましょう。例えば、いきなりですよ、細かい知識をインプットしてしまうようなのも、それはいきなりドラマを見たいのに、そのドラマの第7話の考察をインターネットで見てるようなものなんですよ。もったいないでしょ。せっかくドラマみたいになったら、1話から順番に見 てみようよ、そういうことですよ。今回の授業動画では、皆さんがその世界史の一貫したストーリーが見えやすいように、僕の方で構成を作り直しました。1本のストーリーとして見えるように、教科書の内容あるいは参考書の内容ですね、たくさん入れ替えて、そして1本の軸に見えるように編集しました。なので、皆さんはこの動画を見るだけで大丈夫です。ご心配なく!さあ、この授業動画を最後見た頃には、皆さんがなるほどな、確かに世界一面白いノンフィクションストーリーだと実感できることでしょう。さあ、皆さんの準備はできましたか?ここから僕と一緒に700万年もの人類歴史を一緒に見ていきましょう。それでは早速いきますよ!レッツゴー!
さあ、まず一つ目。一つ目は古代文明です。さあ、人間はどういう風に生まれたのか。まず4つのベースがありまして、エンジン原人、求人、新人ですね。さあ、私たち現在は新人の段階にいます。さあ、そんな新人、どういう風に生きていたのか。昔はですね、野生の動物というのを狩る、これが1つ。もう1つはですね、木の実を食べたりする、それを収集する、これがですねもう1つ言われてるところですね。なので、昔は狩猟採集が行われています。しかし、人間考えるわけです。これじゃあ効率悪いな、お腹すくじゃん。だからこそ、より効率的に、より多くの食料を得られる手段っていうのを考えました。それが農耕です。農耕というのは、自分たちで植物を育ててコントロールする方法。そして牧畜というのは、自分たちで動物を育てて食料を得ると、そういう風にまたコントロールする方法なんですね。さあ、その農耕・牧畜化ができるような場所、どんなところになったかというと4箇所です。エジプトのナイル川、インドのインダス川、そしてメソポタミアのユーフラテス川・ティグリス川、そして最後が中国の黄河です。さあ、この地域では何が起きたのか。農耕・牧畜ができると、たくさんの食料が生まれるんですね。食料があるということは、それだけたくさんの人が養えるわけです。なので、まず人口が増加しました。また、農耕でたくさんの食料ができるということは、農業をしなくても勝手に食べれるような人たちっていうのが生まれてくるんですよ。昔は自分で食べ物を作って取らなきゃ生きていけなかった。しかし、誰かが作ってくれるようになるので、統治者だったり、兵士あるいは商人などの身分っていうのがたくさん出てくるんですね。そして、農業をより効率的に行うためにはたくさん人手が必要です。1人では難しい。ただ人が集まればいいんじゃなくて、たくさん人が集まれば集まる分、その人たちを指導する人たちがが必要なんです。だからリーダーが生まれます。そして集団が生まれていくんですよね。そして、その集団がより効率的に農業を行うために、たくさんの集団と結びついていきます。それがやがて国が生まれていくきっかけとなるんです。そして、その国が生まれると、その中で農業を行わない人たちがたくさん生まれてきて、そこからどんどん文明ができていくんです。さあ、どんな文明が生まれてきたのか、この4つの地域に着目しながら見ていきましょう。
まず1つ目、エジプトですね。エジプトは3つの段階で動きます。古王国、中央国、新王国です。さあ、もう王様ができてるわけです。さあ、エジプト、何でこんな風に安定して3つの国が生まれたのかというと、海に囲まれていたんですよ。だから、他の人たちが邪魔しにくいんです。一つの集団ができたら、その人たちの中で収まるローカルコミュニティだったわけですね。さあ、そんなエジプトでは、ファラオという王が神政政治を行いました。そう、王様が神になるんですね。さあ、神政政治とは、これどういうことなのかというと、人をたくさん集めて指導するときに、人間そんな大差ないわけじゃないですか。だから、なんでリーダーの言うことを聞かなきゃいけないの?っていう疑問がおのずと生まれるわけですよ。そこで、王様自身が神様と同一視されるような、そんな神政政治を行うことで、他の人たちを束ねることができたんですよ。これが神政政治という技術なんです。そして、皆さんもご存知の通り、エジプト自体にピラミッド、つまり王様の墓が生まれたり、あるいは新王国時代にはですね、アトン進行ということでもう、今まではですね、たくさんの神様みたいのがいると思われてたんですが、もう一つの神様だけに集約して皆さん信仰してくださいという風に方針を変えます。こんな風にですね、エジプトでは政治が行われていました。ただ、一つの神様にまとめちゃうと何が起きたのかっていうと、いや、自分って他の神様信じてたのにっていう人たちが出てくるんですよね。だからこそ、そういう人たちから反発が起きます。さあ、こんなところから選んで、「異文化への寛容さが国家の安定度を決める」。これはですね、今後も何度も出てきます。さあ、これがどういうことなのかは追って説明していきますね。
さあ、2個目。次はですね、メソポタミアの話をします。皆さんにですね、まずメソポタミアの地形を理解してほしいので、まず地図っていうのを用意しました。緑になってる部分がメソポタミアですね。メソポタミアではどんなことが起こったのか。シュメール人の国家やアッカド王国、そしてバビロニア王国という小さな国が誕生していきました。そんな国たちの様子を変えたのが、ヒッタイトという民族の登場です。さあ、このヒッタイト、これは何かというと、鉄器を持っている超強い民族だったんですね。そう、昔は鉄を作る技術っていうのが非常にレアだったんです。だからこそ、鉄を持っていたこのヒッタイトはまたたくまにあらゆるところを支配していたんですね。そして、ミタンニ、カッシートなどの技術を持っていた国というのがたくさん広がっていきます。そんな国がずっと1位の座を占めていたのかというと、そうではないんです。たまたまですね、その時期に気温が下がって、北方に住んでいた民族っていうのがですね、どんどんどんどん南下してったんですよ。さあ、そこで生まれてきたのが海の民というものです。これ面白いんですね。海の民って、まだ不明なんです。詳しいことはよくわかってないんです。そんな海の民がですね、ヒッタイトとか非常に強かった国を滅ぼしちゃうんですよね。そうそうすると何が起こるのかっていうと、元々あった国がなくなるので、その地域がですね空白になるんですよ。空白になると何が起こるのか。そこにですね、小さな民族が活躍し始めるわけです。例えば、海を拠点に攻撃を行っていたフェニキア人、あるいは陸地をメインに活動を行っていたアラム人などがですね、台頭しながら活躍していきます。あるいは、ヘブライ人、現在で言うとユダヤ人ですね、の祖先になった人たちがですね、ヘブライ王国っていうのを作っていきます。こんな風にですね、世界が大変していったわけです。
さあ、そんな世界にまたですね、新しい王国が生まれます。それはアッシリアです。アッシリアはですね、非常に戦闘力が高かったと言われていまして、それらの国はですね、一気に統一していきます。初めてオリエント世界、つまり中東のあそこの地域をですね、全て統一してしまうんです。さあ、そんな強い国が登場したから、じゃあメソポタミアはそれで終わり?違うんですね。このアッシリア、何をしちゃったのか。このアッシリアはあまりにも強かったから、他の民族とかに対して非常に高圧的に、つまり強制力働かせて支配っていうのを行っていったんですね。それに加えて、たくさんの課税を行ったんですよ。税を取り立てた。それと民衆は「どうもかいや、そんな税金払えないよ」ってことですね、たくさんの反発が生まれます。その結果ですね、アッシリアは滅んでしまうんですね。さあ、ここから得られる教訓は、「気候変動は世界に混乱をもたらす」。そして2つ目は「強大な国家は滅亡の源になるよ」ということです。これ何回も出てきますからね。さあ、次。今度はですね、新バビロニアの時代がやってきます。さあ、アッシリアが倒れると、そこの空白地帯にですね、たくさんの国が生まれます。それが新バビロニア、そしてエジプト、メディアの4カ国です。このうちの新バビロニアに関してはですね、バビロン捕囚ってのをを行いました。先ほどユダヤ人の話をしましたが、そのヘブライ人たちをですね、バビロンというところまで連れ去っちゃうんですよ。さあ、連れ去ってどうしたのかっていうと、その後ですね、ユダヤ人たちは自分たちの故郷を失うわけなので、世界中にですね、分散していきます。さあ、それが現代にもまつわるようなユダヤ人の問題になっているので、ぜひですね、詳しく勉強してる人は詳しく調べてみてください。そんな時代を終わらせたのがアケメネス朝、ペルシアです。大帝国が生まれるわけですね。さあ、このアッシリアが失敗したのを見ていたので、非常に賢い統治の仕方をするんですよ。まずですね、何をしたのか。サトラップっていう風にですね、各地の有力者というのをその地域のリーダーに仕立てたんですよ。自分たちが強制的に支配をするんじゃなくて、その地域のリーダーに任せてたんです。ただ、もちろん任せるだけだと反乱とか起こされる可能性ありますね。だからこそ賢いのは、王の耳、女王の耳と言って、監視役を付けたんですね。これが頭いいんだ。もちろん何か危険が起きたりだとか、危機が起きたらすぐその箇所にいけるように、王の道って言って、インフラ整備をしたんですね。そう、道をたくさん作っていたんです。それがね、国を作る時に非常に味噌になったんです。さあ、そんなアケメネス朝ペルシア。こんなペルシアは長いこと続いたんですが、この後ですね、カリスマのアレクサンドロス大王というのが登場します。聞いたことある人も多いかと思いますが、この人がですね、滅亡させてしまうわけです。さあ、今回の教訓は「異文化への寛容さが国家の安定度を決めるよ」というところでした。アケメネス朝はうまいこと寛容だったんですね。
さあ、次。インダス文明についてです。さあ、もう返上だろうという遺跡があったり、あるいはインダス文字というのが残っています。「え、何で2行だけなの?」って皆さん思いません?これはなぜかというと、実はインダス文字、まだ未解読なんですよ。理解不能。だから何が起きてるのかというと、何が起こってたのかわからないんですよ。だからこそ、なかなか記述っていうのがないので、どんな歴史だったのか分かっておりません。皆さんがもしインダス文字を読解したら、このスライドがうわーっと文字増えるわけですよ。ぜひですね、インダス文字に興味ある人は読解してみてください。
さあ、次。黄河文明に向けて話をしましょう。まず黄河文明流域にはですね、2つの文化が生まれます。まず黄河上流に関しては、仰韶文化と竜山文化です。この地域は降水量が少ないので、雨が少なくても作れるような畑作を中心にですね、文化が形成されていきます。そして黄河下流に関しては、良渚文化とあとは河姆渡文化というですね、稲作を中心とした文化が栄えていきます。これなぜかというと、黄河上流の方がですね、北にあるんです。だから降水量が多くて、稲作みたいにですね、水をたくさん使うような農業もできたからですね。点々と存在してた文化なんですが、これがですね、殷の時代になるとそれが結合していきます。そう、一つ一つのですね、小さな村というのは「邑」と呼んでたんです。その邑というのが1つずつくっついていくとですね、大きな国が生成していきます。それが「殷」だと思ってくれれば大丈夫です。さあ、そんな殷でも、エジプトと同様に神政政治というのが行われました。しかし、この神政政治、王様がですね、堕落していくんですよ。その結果ですね、何が起こったのかというと、周という新しい国が生まれます。この周というのはですね、殷の時代を見ていますから、何を変えたのか。新しい封建政治っていうのを開発するわけです。封建政治って何?つまり、自分たちが神様だよっていう風に振る舞うんじゃあまりにも弱いなと、何か上手い組織の形成の仕方はないかなって考えたんですよ。そこで気づいたんです。「皆さん見てくださいよ、母親、父親、子供と家族といういい組織があるじゃないか。家族みたいな国にしたらうまくまとまるんじゃないか」ということで、血縁関係をもとにした国っていうのを作ろうと思ったんですね。そんな周の時代はですね、大家族を形成していくわけです。それぞれの血のつながりでですね、国をどんどんどんどん大きくしていって、自分に使える人にはですね、土地を上げて、代わりに何かあったら逆に自分に仕えてねっていう封建制っていうのを開発したんですね。このことによってですね、周の政治っていうのが栄えていきます。さあ、この後の歴史楽しみになってきましたね。さあ、この次はギリシアそしてローマの文化について見ていきます。Enjoy!
続いて見ていくのは古代ギリシアとローマです。まずギリシアから説明していきますね。先ほどエジプトの文明のところで古王国、中央国、新王国ってありましたよね。そのうちの中央国の文明っていうのが、ギリシャの方に連覇してですね、ギリシャに影響を与えたと言われています。そこから生まれたのが、クレタ文明やミケーネ文明と言われるようなですね、エーゲ文明、総称されるんですが、そういった文明が生まれたわけです。で、じゃあそのままエジプトのように続いたのか?そうじゃないんです。さっきヒッタイトみたいな鉄器を持った強い国が海の民にやられてしまったって話をしましたよね。それがですね、まさにここでも起きるんです。同じ時期にですね、気温が下がって、北方の方に住んでた遊牧民っていうのはどんどんどんどん南下してたんですね。その影響で謎の民族っていうのが、このクレタ文明やミケーネ文明を駆逐しちゃったんですよね。そこで、暗黒時代っていう名前がついてるんですよ。すごい闇期みたいな名前ですけど、これどういうことかって言うと、鉄器っていうのが流入したものの、そのままですね、どんな歴史が進んだのかって何もわかんない記録が残ってない。だから暗黒、何も分かりませんよ、そういう意味です。ね。さあ、その時代が終わるとどうなるのか。この時代っていうのは、つまり治安が荒れていたので、お互いですね、鉄器を持ってるんですね。みんなこう怖い怖い。それぞれの住人が安全に暮らせるような状況じゃなかったわけです。そんな中で、周りの治安が悪いとどうなるのか。危ない時はですね、人間はどんどんどんどん集合していくんですね。例えば、お化け屋敷に入った時、本当に怖い時、友達とぎゅうぎゅうぎゅうぎゅうくっついていきますよね。そんなイメージだと思ってください。貴族たちもですね、その当時周りが良くないので、周りの人々とどんどんどんどん集合していくんですね。それが集落、ポリスモスって言うんです。そのポリスモスって言うのは、どんどんどんどん人が集まっていくとどうなるのかっていうと、ポリスっていうコミュニティになっていくんですよ。そう、つまり怖いからみんなどんどん人が集まってくるわけでしょ。そうなるとどんどんどんどん人の群れっていうのが大きくなってって、1個の町みたいなポリスが形成されていくんですね。で、そのままですね、どんどんどんどん人口が増加していくとどうなったのかっていうと、土地が不足するんですよ。要は、もともと怖いからみんな集まったのに、集まりすぎて今度はお前ら邪魔だよっていうぐらいおしくらまんじゅうみたいな状態になっちゃうわけですね。やっぱりじゃあ土地欲しいよってことで、どんどんどんどんですね、他の地域に侵略していくんですね。ただ、当たり前なんですけど、治安が悪かったですねっていうことは、外部地域に行ったら絶対戦争が起こるわけです。植民活動には必ず戦争が伴ってたわけですね。じゃあ、そこで戦ったのは誰か?貴族じゃありません。これ戦ったのは平民なんです。平民が金属類っていうのを身につけて重装歩兵っていうんですけど、そんなですね、がっちりした状態で戦争を仕掛けいくわけです。すると、そういった人たちの身分が上がってきます。戦争をする時に武士いなかったら成り立ちませんよね。その人たちが国を守ってると言っても過言じゃないので、どんどんどんどん国の中でのですね、立ち位置が上がっていくんですよ。ここからですね、どんな教訓が得られるかというと、「戦争は平民の意識と地位を変化させる」んです。これですね、この後も何回も出てきますよ。さあ、こういう風にしてですね、平民がのし上がっていくと、このまま最終的に平民は政治に参加します。じゃあ、どういう風に平民が参加したのかを次のページに見てみましょうね。
さあ、この5段階です。木属性子からメッセージ。これはちょっとずつ平民が関わっていたよという風に考えてください。まず1つ目の貴族政治。この時はですね、もちろん貴族が上なんだけど、ただ法律はもっと書いて明示しましょうねってことで、ドラコンの立法というのが起こります。そして次、財産政治。これはどういうことかというと、平民も政治参加。ただし財産で分けるよっていうような条件付きの政治の参加がどんどん認められていくんですね。それがソロンの改革です。そして3つ目。これは何かというと、平民と貴族は平等になりたいんでしょ?じゃあいいよということで、僭主政治って言ってですね、独裁者が現れるんです。すると、独裁者ってのは何かっていうと、貴族も平民も知るかあってことで、全員ですね、同じ立場になるんですよ。だからこそ、ペイシストラトスっていう人がトップに立ってた時は、ある意味みんな平等なんですね。皆さんも想像できると思うんですけど、あまりにも独裁者っていうのが生まれて、その人がもちろん優秀ならいいけど、そうじゃなくなると国はどんどんゴロゴロゴロゴロって衰退していきますよね。まさにギリシャでも同じことが起きました。ペイシストラトスは優秀だったので、その時はある程度良い政治が回ってたんです。ただ、この人がいなくなった瞬間にどんどんどんどん政治が落ちぶれます。そこからですね、ギリシャ人、アテネの人たちは学ぶわけです。クレイステネスという人が出てきます。この人は何を考えたのかというと、そんな悪者が出てきたら駆逐しなきゃということで、オストラキスモスっていうのを始めるわけです。これは何かっていうと、みんなでですね、投票し合うんです。もしヤバい奴がいたらそれの名前を書け。で、その名前が最も多かったらその人が追放されるよ、そんなシステムが採用されるわけですよ。そしてその次、デーモスっていうのが設定されます。デーモスって何?っていうと、ある意味ですね、地区みたいな風に想像してください。貴族っていうのはみんな血のつながりを持ってる家族のことですよね。当たり前なんですけど、それを解体して、貴族と平民を平等にしていきたいんだったら、血のつながりじゃない、そうじゃなくてその地域のつながりをもっと大事にしよう、そういう風にですね、促していく必要があったんですよ。そこで、血のつながりじゃなくてその地域の集まりをもっと強化できるように、地域ごとデーモスっていう区画を作ったんですね。さあ、これがこの時のクレイステネスの改革でした。最終的に平民が政治参加するのは決定づけたのがペルシア戦争です。このペルシア戦争って何か。さっきアケメネス朝ペルシアってやったの覚えてますか?この巨大な帝国とまさかのギリシャが衝突するんです。ここで衝突して何が起こったのか。すると、ギリシャの平民ですね、アテネの平民たち、無産市民っていうんですけど、何も生み出せないってことですよね。この人たちがですね、船の漕ぎ手としてめちゃくちゃ活躍するんですよ。たくさんの労働力として働いたので、そこでですね、周りのアテネの人たちがどんどんどんどん認められていくんです。それと無産市民みたいにほとんどめちゃくちゃ地位が低かった人たちもどんどんどんどん国の中枢に上がっていきます。するとどうなるのか。やっと本当の意味での民主政治ができるようになりました。これがですね、たまたま相当カリスマなペリクレスっていう人が出てきた時にちょうど実現するんですね。この時に何が起きたのかっていうと、民会、つまり今で国会みたいな想像してください。そういう風にみんなで集まる集会が行われて、直接民主主義っていうのが行われました。みんなで手を挙げ合って何がよいかっていう風に決めよう。この政治のシステムですね、こういうのがもうまさかギリシャの昔から生まれてたんですよ。これが本当に驚きですね。ここからですね、何が得られるのかっていうと、本当に戦争っていうのは平民の地位を上げるよ、そして意識も変えていくよ。ただ1個だけ、これすごい面白いのが、この後ギリシャずっと栄えたのが違うんですよ。ペリクレスみたいなあまりにも強力なカリスマというのが生まれてしまうと、その後国ってゴロゴロゴロゴロゴロって衰退するんですね。さあ、どうしてそうなってしまうのか。次見てください。まずですね、そういうペリクレスがいなくなるとどうなっちゃうのか。ペロポネソス戦争っていうのが行われるんですよ。このペロポネソス戦争って書いてありますが、これは何かっていうと、アテネの隣ですね、スパルタっていう違うですね、ポリスが存在したわけです。このスパルタっていうのと戦争になるんですが、その最中にですね、カリスマだったペリクレスがなくなっちゃうんですよ。大ピンチだ。だって、を統括してた最もえらい人ですよ、この人がいなくなっちゃうわけですね。するとどうなるのか。国をですね、周りの人が治めなきゃいけないんですが、その人がですね、あんまり優秀じゃないとすると、みんながですね、言いたい放題、自分たちの好きな通りに意見を出し合うだけの意味のない話し合いが増えて、混沌とした政治っていうのが行われるんですね。そんな風にですね、結局アテネ、理想的な瞬間っていうのが一時あったのに、どんどんどんどんグダグダになっていきます。そのグダグダの状態の中で、スパルタあるいはテーベっていうですね、他のポリスがどんどんどんどん覇権を握っていくんですよ。その間にちゃっかりですね、ちっちゃかったマケドニアっていう国のフィリポス2世っていうのがですね、アテネとスパルタを征服しちゃうんですよ。漁夫の利ですよね。周りは混乱してる時に一気にこう乗っ取って。そしてそこでさらに生まれたのがアレクサンドロス大王です。さあ、出ました。これがですね、カリスマなんですね。この人何をしたのかっていうと、先ほどギリシャとアケメネス朝ペルシアが戦ってるって言ったじゃないですか。もうギリシャの方はフィリポス2世が倒し、今度はアケメネス朝ペルシアの方を倒しちゃうんですよ。しかも1人、アレクサンドロス大王の知性の時に、一瞬でですね、巨大帝国だったりの面積って埋め尽くします。ただ、あまりにも優秀すぎて、一気に、まあ戦争したんですが、その人がすぐいなくなっちゃうんですよね。さあ、さっきのペリクレスに似てると思いませんか?優秀すぎるカリスマが生まれると、そのままいなくなる連れと、その後国は分裂します。さあ、ここにも書いてありますが、アンティゴノス朝、マケドニア、エジプト、セレウコス朝、ギリシア、そういう風に3つに分かれてしまいました。アレクサンドロスどれぐらい広い地域を支配してたのかというと、この地図見てください。このピンクの部分、全部アレクサンドロス大王の時に支配したところですよ。あまりにも強大ですよね。さあ、こんな一気に拡大したもんだから、すぐ分裂しちゃったわけですね。Enjoy!
さあ、この後ローマについて見ていきましょう。先ほど別れた3つはですね、このローマが後にですね、征服していきますので、ローマを確認していきましょう。実はローマでもですね、ギリシャと同じく平民と貴族の対決がありました。このローマでは、貴族がパトリキという風に言っていました。まずですね、この平民がどんどんどんどん実力を付けるために、平民の言うことを代弁してくれるかとか、あるいは平民たちが集まって会議をする平民会っていうのをまず設置します。で、その後ですね、さっきドラコンの立法ってやったと思うんですが、それに似てますね。12表法っていうのを制定して、法律っていうのを整備していきますね。その上で、力を持ったセクスティウス。これは何かっていうと、ローマで一番上の人たちをコンスルって言ったんです。今のトップリーダーだと思ってください。国を回すリーダーです。そのリーダーの片方は平民から出してね、一般大衆の意見もわかるような人をリーダーにして、そんな法律が制定されます。そして最後にはホルテンシウス法って言って、これは何かっていうと、平民たちが話し合った内容がもう国の決定になるようにっていう風に、どんどんどんどん平民の言うことが採用されるようなシステムというのが成立しました。で、その結果ですね、ある程度ローマがまとまっていくわけなんですが、まとまるとどうなるのか。アテネがどんどん植民に出かけたように、ポエニ戦争っていうのが起こります。ポエニ戦争って何かっていうと、ローマが拡大してたんですね。さっきフェニキア人ってやったの覚えてますか?このフェニキア人がですね、カルタゴっていう都市を作ってたんですが、そのカルタゴとですね、ローマがあいにく衝突しちゃうんですね。自分がどんどん出かけてったら、やっぱり敵に出くわしたわけですよ。どんどんどんどんポエニ戦争みたいな戦争を仕掛けていて、ローマどんどん勝っていくんですね。「いいじゃん、いや、これも強いね」って思うかもしれないんですが、これがね、実は良くないんですよ。なんで良くないのかっていうと、植民活動をしててどんどんどんどん自分の支配下、つまり属州っていうんですけど、そういう場所が増えていきます。するとですね、何が起こっていくのか。どんどんどんどん違う地域に出かけてるんで、自分たちの本土がどんどん荒れていくんです。誰も手入れする人がいなくなるから。例えば、ほとんど農地だったところがもう完全に荒れ果ててちゃって、農業使えなくなるんですね。で、さらに新しいところに行けば、奴隷みたいのがどんどんできていくわけです。しかも、そういった地域で安く穀物とかを作ってると、元々本国で真面目に農業してた人たちが儲からなくなるし、そんな人たちよりももう見つけた奴隷に働かせた方がいいじゃんってことで、どんどんですね、もともといたローマの人たちは苦しんでいくんですよ。その結果何が起こるのかっていうと、小作農民って言って、その国を支えてたような平民たちがですね、どんどんどんどん没落します。その結果ですね、内乱の1世紀って言って、せっかくローマがどんどん勝ち続けて、支配下っていうのを増やしてったのに、なぜか混乱するんですね。で、その混乱収めようってことですね、三頭政治っていうのが生まれます。三頭政治。3人覚えてください。まずですね、第1回三頭政治が失敗するってことなんですが、はい、返され、ポンペイウス、クラッススっていうこの3人が政治を回そうとします。しかし、なんで失敗するのかっていうと、結局ですね、カエサルが1人勝ちしちゃうんですよ。で、それがもう実質的な独裁みたいなことをするんですが、独裁、つまりカリスマみたいのが1個生まれてしまうと、毎回反乱が起きるんです。優秀な指導者っていうのが生まれるんです。そういう奇跡もあってですね、ローマでは本当に安定した時代っていうのを迎えます。しかし、こういったのはみんなカリスマ、カリスマってことは、その後は衰退するんですね。軍人皇帝時代ってことで、どんどんどんどんですね、皇帝がコロコロコロコロコロコロ変わるような時代が来ちゃいます。で、この後ですね、気候変動でどんどんどんどん地域が寒くなっていくんですよ。寒くなると何が良くないのか。雪が降るじゃん、そんな話じゃないんです。寒くなると農作物が取れなくなるから、どんどんどんどんですね、生産力というのが落ちて、住民っていうのを養えなくなります。それだけじゃない。寒くなると、北方にいた民族っていうのはどんどんどんどん暖かいところへですね、下がってくるんですよね。すると、混乱っていうのが生まれるわけです。次ですね、台頭してきたディオクレティアヌスっていう人が皇帝になった時にはですね、たくさんの民族がもうローマの地域に流れ込んじゃってます。だからこそ、もうやばいな、こんな拡大した領土はもう支配できないからってことで、分割統治、テトラルキーアってのを始めます。もう広くなりすぎた、もういいや、半分に切っちゃえみたいな感じですよね。トカゲが尻尾を切るみたいな感じですよ。「もういいよ、半分に分けちゃって」ことで、東ローマと西ローマに分けちゃって、それぞれにですね、トップとナンバー2を置こうっていう風なシステムにします。やっぱりですね、統治が荒れてしまってたので、専制君主制っていうのを始めます。これ何かっていうと、もう皇帝が神だよ、この人を従えってことでもう圧倒的に皇帝の権力っていうのを高めてくる方針です。これさっきエジプトとかでやりましたね。神政政治。あと中国の殷も神政政治やってやってあります。それにちょっと近いです。ここでですね、キリスト教の大迫害ってのが分かります。いきなり何でキリスト教?って思うかもしれないんですが、実はこの時期ですね、貧しい人たちを中心にキリスト教ってのが広まってたんですよ。で、ここでですね、なんでキリスト教を迫害するのかっていうと、キリスト教って一神教なんです。1人しか神はいない。ここでですよ、もし皇帝が「我は神だ」っていう風に言うと、「俺は、お前何やねん、神じゃないだろ」っていう風に突っ込まれちゃうので都合が悪いんですね。だからこそ、一神教だってキリスト教だったら大迫害を受けるんです。「皇帝こそ神だぞ」なんですけど、これがですね、事態が変わってきます。コンスタンティヌス帝の時にはもうキリスト教があまりにも広がっちゃったんですよ。ローマの地域にいるような人たちは多くがもうキリスト教を信仰してる。「もう今更キリスト教を弾圧する無理だよね」っていう状況になりまして、思い返せばなんで皇帝を神にしたかったのかっていうと、統治をしやすくするためですよね。でも、気づいたんです。「自分が皇帝というよりも、もうキリスト教は認めちゃった方が統治しやすくならないか」そんなわけでですね、ミラノ勅令って言うのを出して、キリスト教を公認しちゃうんです。そんでもって、さっき2つに分けたって話をしましたよね。拠点を東側にうつすと、東側の方がなんか安全だし安定してるからってことで、ビザンティウムっていうところですね、ローマからも移転しちゃいます。現在ですね、コンスタンティノープルというところです。ね。さあ、こういう風にですね、ローマっていうのが分裂していきます。で、ここから得られる教訓は、ローマ、さっきですね、どんどんどんどん植民活動を広げていったって話をしましたが、「勢力は拡大しすぎると分裂する」。でもって「異文化への寛容さ」っていうのが国家の安定度を決めるっていう話がありましたよね。ローマっていうのはですね、元々キリスト教っていうのを弾圧してたので、その時はですね、統治がなかなか安定しなかったけれども、もう「いいよ、みんなが信仰してるんだ」ってことですね、キリスト教を認めるとですね、統治っていうのがですね、安定するようになります。まあ、これがですね、この後行き過ぎちゃうんですかね。
さあ、それでは続いては中世ヨーロッパを見ていきましょう。先ほどですね、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令の話がありましたが、実はあの後ですね、キリスト教っていうのが国教化されてしまうんです。国教化って何?かって言うと、ある意味ですね、キリスト教以外の宗教は受け付けないぞという風にしてしまうんです。ここからですね、西と東ローマが分かれたって話をしましたが、この東ローマの方はですね、ビザンツ帝国という名前がついています。このビザンツ帝国のですね、維持するために、まずはですね、ローマ法典ということで、法律体系ってのはまず整えます。で、その次、キリスト教が国教化されていたので、アヤソフィアとかセイロとかいうのですね、建ててキリスト教の保護っていうのを進めてたわけです。ここだけ見てると全然いいことじゃんって思うかもしれないんですが、これが違うんです。どういうことか。キリスト教国教化して他をですね、排除してしまうと、本来他で保護されるべきだった文化ってのが失われてしまうんですね。例えば、ギリシアとローマで培われていたようなプラトンやアリストテレス、哲学者たちの思想とかですね、そういったものは実はこの時期に弾圧されてるんです。じゃあ、弾圧されたらどうなったのかっていうと、そういった文化はですね、全てペルシア世界の方に行きます。イラン、イラン、あっちの方地域へ進んでいくわけですね。実はこういったところが問題点となって、ビザンツ帝国は最終的にですね、衰退していくんです。で、この行き過ぎたキリスト教の保護っていうのはですね、どういう結果を招いたか。次にですね、レオ3世が製造禁止令っていうのを出したんですよ。製造禁止令って何かっていうと、そもそもキリスト教って製造を作るのが禁止だったんですね。なんですけれども、西のですね、ローマ教会っていうのはそういうのを無視して、とにかくですね、自分たちの信者を増やしたいから製造を使って、あの宗教を普及させてたんですよ。それに対して怒ったレオ3世が製造禁止令を「それはけしからん」ということで、そういったものを出すんです。その結果としてですね、東西でどんどんどんどん対立していきます。これがですね、最終的にはその2つの教会の分裂に繋がるんです。また、分裂したままで実は終わらないのがこのヨーロッパの歴史の面白いところで、実はですね、最終的に東、さっき知識人が流入したって話をしましたが、ササン朝ペルシアそしてその後の登場してくるイスラム世界によって脅かされて、西にですね、助けを求めに行くんですね。まあ、そういったところはですね、後ほど見ていきましょう。
先ほど説明したペルシア世界っていうのはですね、ササン朝ペルシアという国ができてました。で、ササン朝ペルシアはイラン。ここはですね、アジアとヨーロッパをつなぐ中継地点でもありましたし、先ほど知識人が逃げ込んだっていうのもあって、その交易、何か貿易をする意味での中間地点でもありましたし、知識人たちを保護するっていう意味での文化の中継っていうのも行っていました。こういった意味でもですね、異文化っていうのは、どれだけ受け入れるかっていうのがですね、国家の安定に非常に大きな影響を与えてるんだってことです。で、そして次。先ほど異民族がたくさん流入してきたからローマを維持できなくなったって話をしましたね。この次にですね、大打撃が来るんですよ。この表を見てください。たくさんですね、あの民族が書いてあると思うんですが、これ全部ゲルマン人です。そう、皆さん聞いたことがあるかもしれません。ゲルマン人の大移動っていうですね、出来事が起きます。これ別にピクニックみたいな感じで楽しいもんじゃないんですよ。地球がですね、寒冷化、つまり冷えたことによって、どんどんどんどんですね、ゲルマン人、元々北方に住んでた人たちが南へ南へ押し寄せてきたんです。その結果、元々ヨーロッパのですね、西の方には全然ゲルマン人がいなかったところにゲルマン人が入り込んできます。で、そのうちですね、国家を作ったものとして有名なのがフランク王国というものです。このフランク王国のまず1個目の王朝がメローウィング朝というものです。このメローウィング朝のクロービスがですね、なかなかに賢い人だったんですよ。もともとゲルマン人がいないところで王国を作るってことは、その現地の人たちをうまいこと支配しなきゃいけないわけです。ね。でも、普通民族系と違ったりだとか、文化違ったらうまく支配できないじゃないですか。そこでクロービスは何を考えたかというと、元々その地域に根付いてる文化を吸収したんです。それがカトリックです。クロービスは元々カトリック知らなかったんですが、その地域の人たちがカトリックを信仰してたので、わざわざ本人がカトリックに改宗します。それで現地の人たちとですね、なじ
ですね、実はロシアがこのロシア遠征を止めることができたんです。ここでですね、歴史の潮目が変わります。この後ですね、ナポレオンはライプツィヒの戦いでも諸国に敗北してしまいます。で、ここからですね、まあこうずっとうなぎ上りで登ってきたこのナポレオンのフランス革命に関してもですね、転換期を迎えます。この後はやっぱりカリスマが登場した後は衰退しかないので、フランスの権力というのですね、そのまま下がっていくことになります。ただ1個だけ覚えといて欲しいのは、このアウステルリッツの戦いとか、あるいはライン同盟の時、これはですね、ヨーロッパ需要も支配するだけの範囲を拡大してたんです。だからこそ、歴史の法則ですが、一気に範囲を拡大しすぎると分裂するよって話でしたね。
さあ、こうして終わったナポレオンの時代なんですが、このナポレオンの時代の反省とに関してですね、この次のウィーン体制ってのが進んでいきます。ウィーン体制ってのは簡単に言うとですね、ナポレオンの時代の反省を生かした反動的な政治体制だと思ってください。ナポレオンがですね、勢いを失ってこの後没落するわけなんですが、その後のですね、ヨーロッパの社会秩序再形成するためにウィーン会議っていうのが開催されました。会議にはですね、各国の首脳たちが集まったりして、この子のヨーロッパはどういう風に構成していこうかって話をしました。この長きにわたるですね、話し合いの結果、結論としてはどうなったのかというと、政党主義っていうのが採用されました。政党主義って、まあ言い換えると何かというと、ナポレオン以前のヨーロッパの社会を取り戻しましょうねという話です。なので、結局ですね、ナポレオンは自由や平等というのを掲げて戦争をどんどん行っていったにも関わらず、それはなかったことにということですね、目をつぶることになるわけです。ただ、これ国単位ではですね、この取り決めめで良かったんですが、国民に対してうまくいかないんです。なんでかって言うと、もうヨーロッパ中の国民たちはもうすでにナポレオン戦争の時代に自由や平等っていうのはもう体感してたんですよね。だからこそ、いきなりですよ、あ、さっきのはなかったことだっていうのがね、通じないんですよ。だからこそ、この国とですね、ええ、国民とのギャップっていうのが今後の判断っていうのを生み出していくわけです。
例えば、一番最初に起きたのがオスマン帝国からのギリシャの独立、あるいはラテンアメリカの諸国がですね、まあ続々と独立をしていたわけですね。で、本当であれば、政党主義に基づくんだったらこういうのは止めなきゃいけないんですよ。ちょっとそれじゃあ元々の体勢と変わるからギリシャは独立してくれるなって話なんですが、これをですね、認めざるを得なくなってたんです。するとですね、もうこの後は抑えが効かなくなります。フランスではですね、まず1個目、7月革命というものが起きます。フランスはですね、ナポレオンが失墜した後はブルボン朝がもう1回復活しています。ブルボン朝が復活してですね、ルイ18世が登場してたんですが、そこに対してですね、反乱が起きます。その結果どうなったのかというと、ルイ・フィリップという人がですね、7月革命っての起こすことになるんですよ。で、これに連動した形で周りの国にですね、どんどん刺激を渡っていって、2個目、オランダからですね、まずベルギーが独立するんですよ。つまり、一国がもう完成しちゃうレベルなんですよね。で、これ本当に政党主義を基づくんだったらベルギーの独立ってのはもちろん認められないんですが、これがですね、もうヨーロッパ全体でですね、起きていくんです。例えば、その次ポーランドでもですね、実は蜂起が発生します。これに関してはですね、なんとかロシアが抑え込みをするんですが、もうですね、各地で民族はそれぞれ自分たちで独立したい、自分たちに国を作りたいっていう風にですね、活発に活動するようになってたんです。そして、これにとどまらないのがですね、ウィーン体制の次は諸国民の春というのが訪れます。
まずフランスでは何が起きたのかというと、先ほどのルイ・フィリップの7月王政は続いていましたが、結局ですね、4月王政もお金持ちたちを優遇するような政策ばかり行ってたんですね。結局、それじゃあ意味がないと、けしからんと、いうことでですね、2月革命が起きるんですよ。で、この2月革命の結果どうなるのかというと、第二共和制が生まれます。つまり、王様やっぱりいらないわっていうことになるんですよ。結局ですね、共和制ってのは始まったのはいいんですけども、この後ですね、フランスでどんな対立が起きちゃうと思いますか?王様がいなくなって、じゃあみんな平等かというと、そうではなくて、労働者と農業に従事する人たちの間でも差が生まれきちゃうんです。つまり、産業革命の時にですね、今までは貴族と平民ってまあ単純な二項対立みたいだったのが、資本家と労働者っていう風にですね、また違う対立軸が生まれたよって話をしたじゃないですか。この2つの対立軸がですね、絡み合うことによって、なかなかフランスは国内でもですね、複雑な身分関係になってたんですね。それが原因となってですね、6月蜂起ってのが起こるんですよ。これは国立作業所っていうところですね、停止したことに対する反乱って起きちゃうんですよね。まあ、そんなフランスの中で何が起きるのかっていうと、ルイ・ナポレオンっていう人がですね、現れてきます。結局ですよ、ナポレオンがいたのを静止して、元の状態戻そうねって言ったのに、その代わりになるような訂正を引き入れるような類ナポレオンがまた出てきたんです。つまり、結局、抑えようとしても抑えれないような歴史の流れだったんだよってことなんですね。で、このようにですね、フランスでもまた結局訂正が生まれ、これは他の国にも波及していきます。例えば、3月革命が起こったオーストリアではメッテルニヒがですね、まさかイギリスに亡命するような事態になります。またハンガリーやベーメン、こういった国々でですね、それぞれの民族が独立したいよって独立運動とか相当盛んになりました。あとはイギリスでもそうなんです。イギリスではチャーチスト運動というの活発化していきます。諸国民がそれぞれ独立をかけて争っていくこんな様子を表して諸国民の春というわけです。それでは諸国民の春が起きた後各国がどのような動きを見せていたのかっていうのを、それぞれの国に着目しながら確認していきましょう。
まずフランスです。フランスはですね、結局ルイ・ナポレオンが即位してナポレオン3世になるわけですね。で、このナポレオン3世はですね、今非常にその政治的な手腕が優れていて、まずはパリ改造って行います。まず市街地をですね、まあきれいにまた整備し直して、都市としての構造をですね、根本的に改変するわけですね。それに合わせてパリ万博っていうのを開催して、フランスの権威というのですね、世界中に見せつけていくわけです。それだけにとどまりません。自分自身がナポレオンの後継者だというのはですね、より積極的にアピールするために積極的に対外戦争に出発していきました。例えば、クリミア戦争やアロー戦争、こういったところではですね、フランスが勝利したんですよ。だからこそ、いやーすごいってルイ・ナポレオンの素晴らしさというのがですね、国民にどんどん評価されていったんです。だからこそ、ルイ・ナポレオンはどう考えたのか、なるほど、戦争を行うことで自分の評価が上がるならば、少し不利な状況でもいろんな戦争を仕掛けていこうということでですね、割と際限なく戦争に挑むことになるんです。ここがですね、1個ナポレオン3世の誤った判断だったのではないかなと思われるところなんですが、メキシコ出兵、あるいはプロイセン・フランス戦争とか、そういう風にですね、明らかに不利な戦争っていうのが仕掛けていて失敗していくんですね。これが原因となってナポレオン3世は失墜してきます。ここから分かる通りですね、教訓としては戦争というのはやはり人々の意識やあるいは地位を変えているんだよってところなんですよね。で、この後ですね、ナポレオン3世がですね、どうなってしまうのか、先ほどのプロイセン・フランス戦争っていうのは普仏戦争と結局戦うわけなんですよ。しかし、そこ戦場でですよ、ナポレオン3世まさかのプロイセンの捕虜になっちゃうんですよ。え?って感じなんですけど、一国の皇帝がまさかの戦時中に捕まるんです。そんなまさかのまさかが起きたらどうなっちゃったのか。フランスではですね、その中でも労働者たちが立ち上がってパリ・コミューンっていうのですね、作ってしまいますね。これは世界初だったんですよ。今までは平民がのし上がるというストーリーだったじゃないですか。今回の場合違います。資本家と労働者の、労働者たちのコミュニティというのが結局国を作ろうとしたんですね。ただ、それはさすがにまずいということで臨時政府のティエールたちがですね、全力で抑え込みます。その結果どうなったのかというと、第三共和国憲法っていうのは制定されて第三共和制って落ち着くんですね。まあ、こういったフランス革命の歴史っていうのは続いていきました。フランス革命っていうのは1789年始まってから非常に長い年月がかかってしまうんですよ。その自由や平等っていうのは定着するまで本当に何回も何回もリセットってのは繰り返されてたことです。
イギリス見てみましょう。イギリスに関してはですね、立憲政治ってのがまあ長いこと続いていたので、フランス革命とかあるいはアメリカ独立戦争みたいに武力を伴わないでですね、内部で改変することができました。例えば、今回ABCDにあるもの、東インド会社の商業活動禁止とか、審査法の廃止、カトリック教徒会法の制定、そしてこの情報の制定による労働環境の改善、選挙法改善による選挙権の拡大、こういったものはですね、全てその平民からの要望で出てきたわけなんですが、それを議会を通じてすべて解決されたこれがすごいんですよ。他の国じゃ必ず武力伴ってたのが、早い時期からですよ、責任内閣制っていうのが整ってたイギリスではこれが本当に武力なしで実現してたんですね。で、この時代はヴィクトリア女王という女王が即位していて、アヘン戦争とかクリミア戦争、アロー戦争、様々な戦争に挑んでは全て勝利してたんです。これがイギリスの覇権っていう言われる時代ですね。この時代はですね、ただ戦争に勝てただけではなくて、内政も優れて良かったんです。保守党の実例、リーと自由党のグラッドストンっていうですね、2人の優秀な首相が交互にですね、首相の仕事を行うような時代が訪れていたわけです。なので、本当にイギリスはですね、この時期安定した政治っていうのを迎えていました。それでは続いてドイツ見てみましょうか。
ドイツではですね、どういうことが起きるのかというと、フランクフルト国民会議っていうのが起こります。これはですね、どうにかしてドイツを統一しないかという会議だったんですね。ただ、これドイツっていう言葉が非常に難しくて、ドイツの2通りの解釈があったんです。1通り目の解釈はオーストリアを入れて、プロイセンとか含めためちゃくちゃ大きなくくりのドイツです。これが大ドイツ主義。一方でオーストリアを含まないちっちゃいちっちゃいドイツっていうのを指す場合は小ドイツ主義になります。で、ドイツを統一しようってなった時に、どっちを取るかってみんな非常に揉めるんですよ。変な話ですよね。ドイツをどう統一するかじゃなくて、どこがドイツですかっていうのを揉めてるんですよ。で、結局ですね、これどうなるのかというと、プロイセンっていうのはですね、小ドイツ主義をしていきます。なぜかというと、オーストリアとプロイセンというのはですね、本当は対立してたんです。じゃあ、ABCDEFのところ見てください。まずですね、プロイセン王のヴィルヘルム1世が即位して、同時に首相にビスマルクというの がですね就任するとですね、鉄血政策ってのを推進していくわけです。軍事力の強化していって、戦争によってこそ改革できるよっていうですね、かなり剛腕な政治方法でした。結局ですね、これによって代々収入へのそれとも衝動資源へのこの悩みをですね、戦争1つでぶち壊すんですよ。さあ、この戦争がオーストリア・プロイセン戦争です。この戦争でですね、プロイセンはオーストリアを破ることができます。この結果、小ドイツ主義っていうのがですね、もう自動的に採用されるわけです。この結果、北ドイツ連邦っていうですね、北部に小さなドイツの国ができるわけです。ただ、これで飽きたらこれだけだと、含まれていないようなドイツの地域がたくさんあったんですね。どうやってそこを統一しようかなという考えた時に、賢いヴィルヘルムたちはですね、思ったんです。戦争っていうのは人々の意識や地位を変化させるんですね。戦争をすれば同じドイツ国民っていうのはより一体感を持って一丸となって吸収されていくんです。同一人っていうのが分かりやすいようにドイツ対フランスっていう戦争を仕掛けたんです。するとどうなるのか、フランスにも属してないし、北ドイツ連邦に付属してないような人たちは自分たちはどっちかっていう帰属意識を持つようにですね、すると自分たちが積極的に統治したり支配してもないのに、勝手にですね、ドイツの方に吸収されるような形になるんですね。そういう風な本当に歴史の法則を心得てたビスマルクはフランスに対してですね、挑発をうまいことを行ってプロイセン・フランス戦争を行います。その結果ですね、結局プロイセンが勝利してドイツ帝国ってのが成立します。このドイツ帝国を成立させた時には本来ですね、想像してた大きなドイツを統一することができていたんです。
はい、それではこの地図を見てみてください。今話したところがですね、上のピンク、オレンジのところの領域についてでしたね。で、この後ですね、ビスマルクは実際にじゃあどういう政策を行ってたの?ってどういう内政だったの?って言うと2つあります。飴と鞭ってよく言われるんですよ。飴っていうのは相手に対してですね、こう譲歩するような形で、鞭っていうのはですね、自分たちの思った通りに支配するために高圧的に動くんですね。飴っていうのは何だったのかっていうと、国内のですね、商工業者たちを保護するために保護関税っていうのですね、どんどん設定していったよと、あるいはですね、国内の貧困者層とかを救うために社会保険制度っていうのですね、拡充させていったと、かなり先進的な制度を取り入れてるんですよね。しかも鞭に関しては何をしたのかというと、国内のですね、南ドイツとかの方に自分たちのポリシーと異なるような文化を持った人たちがいたので、文化闘争ということでそういう文化をですね、徹底的に潰しにかかるんですね。これが文化闘争。そして、社会主義鎮圧法というのは何かというと、国内にあったですね、社会主義の風潮って全部取り締まってたんです。こういう意味では自分たちのやりたいように取り締まるという側面はあったんですけども、これはですね、飴と鞭を交互に入れていくことで国内のですね、反乱というのをうまくことを抑えてたんですね。本当にですね、歴史に学んでその法則ってのは分かって、あえて政策を行うとですね、本当に強いです。その次イタリア見てみましょうか。
イタリアはですね、ずっと長いこと不統一の状況が続いてたんですが、これをですね、統一しなければということで、それでニャー王のヴィットリオ・エマヌエーレ2世と首相のカヴールがですね、動き始めます。自分たちだけではなかなか統一が難しかったので、フランスの支援っていうのを取ってですね、イタリア統一戦争というのを行います。これでイタリアの北部と中部にはですね、うまいこと統一することができたんですよ。ただ、南部に関してはですね、力が及ばなかったんですね。じゃあ、南部を誰が統一したのかっていうと、義勇軍の1000人隊、赤シャツ隊と呼ばれるですね、ガリバルディという人だったんです。このガリバルディはですね、この選任タイトルを引き連れて、南部にあったですね、両シチリア王国の征服します。そうすると、イタリアが真っ二つに分かれてるわけですよ。それでニャー王を中心に統一された北部中部とガリバルディを中心に統一された両シチリア王国です。この2つがバチバチに争ったんですよ。結局、イタリアは二分されるっていうまあ、そういう恐れがあったんですね。しかし、これが起きないんですよ。どういうことかというと、ガリバルディがですよ、まさかの自分が取った領土をサルデーニャ王にあげちゃうんです。これすごいと思いませんか?自分たちが頑張ったのに、イタリアを統一したいっていう信念のもと、無料でですね、そのまま渡しちゃうと。これがイタリア統一のキーになったんですね。で、この結果ですね、イタリア王国っていうのが成立するんです。ただ、これ1点だけ補足があって、未回収のイタリアっていう地域が含まれてます。これはどういうことかって言うと、今回の統一戦争だけはですね、統一することのできなかった地域っていうのが一部含まれていたんです。この一部っていうのを獲得するためにですね、イタリアはこの後の世界大戦に挑んでいくんですね。さあ、次アメリカについて見てみましょう。
アメリカはですね、独立を勝ち取った後、国内でですね、経済回してたわけなんですが、ナポレオンがですね、イギリスと対立した時、大陸封鎖令っていうのを行ったのを覚えてますか?その大陸封鎖令っていうのはまあイギリスの方にですね、食料とか物資とかを運ぶの、供給するの止めるためにもう行ってたんですが、イギリスはですね、今度逆に海上封鎖っていうのを行いました。で、海上封鎖だってもちろんナポレオン対策ってのは確かにあったんですが、それと同時にアメリカとも交易できなくなるんですよね。すると、おいおいおい、アメリカからしたらイギリスと交易を行ってたのに、こんな勝手に解消、封鎖されたら困るぞということで、アメリカとイギリスが対立してですね、米英戦争ってのが起こるんですよ。ここでですね、なんとかアメリカが勝利をすることができ、この後ですね、アメリカはモンロー宣言ってのを出します。これは何かというと、もう自分たちはヨーロッパのことどうでもいいや、自分たちは自分たちで、ヨーロッパはヨーロッパでしょ、お互い好きにやりましょうよってことですね、実は提唱するんです。こっからですね、アメリカの自由な開発っていうのが進んでいきます。まずはですね、アメリカ最初13州しかなかったのをどんどんどんどん併合したり買収したりしていてですね、領土を拡大していきます。で、この時、明白な天命というスローガンですね。つまり、領土とかどんどん広がっていくのは当たり前だという風に言ってるわけですね。で、この時期にですね、西部開拓が進んでいって、ゴールドラッシュとかも起こるんですね。じゃあ、こういう風に一気にアメリカが拡大してったらいいことだらけかというと、実はそうじゃないんです。領土は拡大しすぎると分裂するっていう法則がありましたね。今回ですね、北部と南部で分かれちゃったんです。何で別れたかというと、北部の地域はですね、商工業が中心になったんです。なので、商工業を行うためにはその知的な作業でやれるような市民を育成しなきゃいけないので、奴隷制みたいなのがあるって厄介だったんですよ。だから奴隷制に反対。しかも、自分たちが作った物って売り込みたいから安値でたくさんの工業製品が入るの嫌だから保護関税っていうのをつけてほしい。だから保護貿易推奨派だったんですよ。一方で南部の人たちはどういう人たちだったかっていうと、農業を中心の人たちでした。農業っていうのは別に市民を育てる必要はないので、むしろ安く働いてくれる奴隷がたくさん欲しかったですね。で、しかも農業をやるってことはできるだけ安く他の国にたくさん販売したいわけなので、保護関税とかやられてると困るんですよ。だからこそ、自由貿易ってのを推奨してました。こんな感じでですね、北部と南部が根本的に対立してたんです。で、この対立っていうのが表面化するのが、共和党のリンカーンという人がですね、大統領に就任した時なんですね。この時に南部の代表だったジェファーソン・デービスがですね、アメリカ連合国ってのは形成して、アメリカは完全に二分してしまうんです。これをですね、南北戦争という風に言うわけですね。この南北戦争非常にですね、あの、こんな極まったわけなんですが、ゲティスバーグの演説ですね、リンカーンが奴隷解放宣言ってのをを行いました。で、この奴隷解放宣言とはもちろんその人道的にって話もありますが、奴隷を解放した方が北部からしたら便利だったわけですよね。そういった意図もありながらまあ、リンカーンってのがですね、多くの聴衆の関心というのを集めていき、最終的にはですね、北部が勝利するわけです。で、こういったゴタゴタはあったものの、アメリカがこれで南北戦争で1回統一されるとですね、ここからは一気にアメリカがヨーロッパに追いつくためのですね、政策ってのをやっていくことになるわけです。で、今回のですね、その南北戦争の事実がこちらです。この北のですね、黄色やオレンジのところが南部、そして緑や緑のところがですね、北部です。完全にですね、きっぱり分かれてるんですよね。じゃあ、次ロシア見てみましょう。
ロシアはですね、何をめざしてたのかというと、黒海とボスホラス海峡っていうのをですね、目指してます。何が問題だったのかっていうと、ロシアってまあ北にあるわけじゃないですか。だから、冬って港がですね、凍ってしまって使えなくなるんですよ。なんだって、港ぐらいでしょ?別にいいじゃんと思わないでください。港が使えないってことは、そっからどこに自由に移動することもできないわけですし、物資を輸送することとかもできないんですよ。これって致命傷ですよ。つまり、兵糧攻めにされてるようなもんです。だからこそ、どこか1年中ですね、凍らない港っていうのが欲しいよってことで、まずはですね、ロシアは地中海の方に抜けられるような港を探したわけです。それが黒海とボスホラス海峡だったんですね。で、そこを獲得したいがために、その当時オスマン帝国がそこの覇権を握ってたんですよ。だから、オスマン帝国の内戦に干渉していくことで取れないかなということで、エジプト・トルコ戦争というのはですね、ロシアが介入していくわけなんですよ。で、上手いこと介入して、取れないかなって測ったんですが、やっぱりこれは失敗しちゃいました。そっか、ダメか。オスマン帝国に内政干渉するだけで取れない。じゃあ、自分が戦ってるわということで、クリミア戦争を起こすんですよ。クリミア戦争ではオスマン帝国とイギリス、フランスにですね、直接ロシアが宣戦布告をしてその後戦うわけです。ただ、ロシアはですね、イギリスやフランスに比べたら産業革命遅れてたので、やっぱりですね、軍事力って劣ってたんですね。なので、激闘の末ですね、結局ロシアは負けてしまうわけです。ここでですね、非常に衝撃が国内に走ります。自分たちはこのままじゃまずい、もっと産業化しなきゃということで、アレクサンドル2世がですね、農奴解放令っていうのを出します。今までですね、農業だけをする奴隷のようにですね、畑に縛り付けられてる人民が多いからロシアが成長しないんだ、そういった人たちを解放してもっと産業育成しようよっていう風な動きが始まるわけですね。これがですね、なるほど、知識人運動ってにつながっていきます。一部のですね、非常に知的な人達っていうのが、より多くの庶民をですね、感化させてより成長させるためってことで、知識人運動ってのがですね、ずっと広がっていくんですよ。ただ、これがあまりにもね、トップダウン、賢い人たちが知らない人たちに知識を伝授するんだみたいなところばっかりに焦点が当たってしまって、うまいことですね、ロシアの社会実情にあったような改革ができなかったんですよ。つまり、ちょっと急ぎすぎたんですね。その結果、国内の再構成みたいのがうまくいきません。結局ですね、ロシアはこの黒海を獲得するためにどういう手段に出たのかというと、リベンジマッチということで露土戦争に挑むわけです。で、この戦争ですね、もちろん勝利することが実はできて、サン・ステファノ条約を結べたんですよね。よっしゃー、ついに念願が叶ったじゃんと思うんですが、これですね、邪魔者が入ります。これがですね、ドイツなんですよ。ドイツのですね、ビスマルクはいや、ロシアがそんなところを取ったら困るな、自分たちがむしろ取りたいと思っていたわけなので、ベルリン条約というのを結んでですね、何をしたのかと言うと、ロシアがですね、言ってたものは全部破棄せよ、それをですね、ヨーロッパ中の国を集めて合意を取り付けちゃうわけですね。つまり、せっかくロシアは頑張ってね、獲得しようとしたのに、ビスマルクのですね、邪魔者が入ってまあうまくいかなくなっちゃったわけです。そこで考えたロシアは、そっか、西の方から南下したらこれは無理なのかもしれない。じゃあ、東の方から行こうじゃないかということですね、シベリアの方に行きます。つまり、日本の方で衝突していくわけなんです。はい、それではですね、続いてこの後は植民地活動の話を見ていきましょう。
ベルリン会議の話です。まずですね、この大前提としてなるのがこの時期、産業革命だけでなく第二次産業革命ってのが起こっていました。これはですね、エネルギーの転換とかが起こってたわけです。例えば、石炭は石油に変更になっていきましたし、電力がというのがですね、主なエネルギー源になっていたわけです。この時代はですね、機械を機械で作る時代になってくるんです。つまり、生産力がですね、もう格段に上がってたんですね。するとどうなるのか、たくさん物が作れるようになるっていうのはもちろんいいことなんですけど、物っていうのは作ったら売らなきゃいけないんですね。売らないと赤字になっちゃうわけです。だからたくさんのものをですね、どんどんどんどんこの時期は生産しては売ってってのを繰り返すんですが、やっぱり国内だけのものを売るのにも限界があります。だから新しい市場を求めて植民地活動っていうのもですね、どの国も行うようになるんです。で、この植民地活動のスタートラインになるようなものがこのベルリン会議なんですね。で、このベルリン会議は何かというと、ビスマルクが主導でですね、今後アフリカの植民地というのを取るには先占権っていうのを取ることが大事だよってルール確認をしたんです。先占権とは何かというと、先にですね、実質的に実行支配してください、とある地域をその国が本当に納めてますっていう事実が必要ですよっていう定めたわけです。つまり、早い者勝ちの原理みたいのをしっかりみんなに共有したわけです。それぞれですね、用意、スタートっていう感じで、どの国もですね、アフリカに進出するようになります。まずイギリスに関しては、アフリカ縦断政策ということで、縦にじゃあ国もらったって言ってですね、まっすぐ進んでいくんです。ここの時にですね、イギリスは3C政策っていうのを進めていました。3Cっていうのは何かっていうと、イギリスの拠点となるような3つの、この3C政策の3C、これはですね、全て頭文字を取ってます。ケープタウン、カイロ、カルカッタ。まずはですね、エジプトのカイロ、そして南アフリカのケープタウン、そしてインドのカルカッタ。この3つの都市をつないでイギリスがですね、アフリカやアジアに進出していこうというような政策を取っていたわけですね。この時にですね、これを実現するために南アフリカ戦争っていうのに挑んだり、あるいはスエズ運河っていうのを買収してエジプトの支配っていうのですね、行おうとしたりしました。もちろんエジプトではですね、そのイギリスの支配に対してですね、対抗するウラービーの反乱とかも起きるんですが、その後はですね、それを強制的に沈めて、エジプトですね、保護国にしていくわけですね。じゃあ次フランスはどうだったのかと言うと、イギリスがですね、アフリカを縦に行ったのと対照的にフランスは横に行きます。アフリカ横断政策ですね。でも、オーナー制作をする時にですね、チュニジアやモロッコに着目しながら保護国家を進めていきます。しかし、皆さん分かりますよね。縦に行くものと横に行くものがいればどこかで衝突します。そう、クロスした時にですね、事件っていうのが起こるわけですよ。つまり、どっちのものだっていう日が絶対来るわけですよね。ただ、実はここ実は争いにならないんですよ。なぜこれ争いにならないのかというと、例えばイギリスとフランスがそこでずっと争ってたら、他の国が他の領土を取ってしまう可能性があるわけじゃないですか。そういった脅威がですね、目の前にあったんです。さあ、その脅威は何だったのかというと、実はドイツなんですね。この後は説明をしますが、ドイツがですね、イギリスやフランスには増して植民地を獲得しようとしているので、あやばいぞこれ。仲間割れしていたらドイツにやられてしまうということですね。意外とですね、ファショダ事件ってのは簡単に解決するんですね。さあ、この次はい、アフリカの地図を見てください。そのうちのピンクになってるところはイギリスが支配を拡大してたところです。一方で紫色っぽくなっているところは、これはフランスが支配を確立しているところですね。ほぼ全てのアフリカの地形っていうのがイギリスあるいはフランスの支配にいくわけですよ。じゃあ、こんな中で中東や中央アジアあるいは南アジアはどうだったのか確認しましょう。
まずオスマン帝国です。一時期まではですよ、オスマン帝国が非常にヨーロッパの脅威になってはいたんですが、その後はですね、落ちぶれていく一方でした。まずは欧米列強に対してですね、ちゃんとか改革しなきゃということで、タンジマートを実施します。つまり、近代化政策を施すわけですね。その中でじゃあ近代的な憲法をということで、ミドハット憲法っていうのを成立させました。ただ、これだけではですね、なかなかオスマン帝国の根本的な改善までつながらず、どうしてもですね、産業革命を遅れた影響もあって、ヨーロッパの他国にですね、常に弱い状況が続いちゃいました。次にイランに関してはですね、タバコ・ボイコット運動ということで、イギリスやロシアにですね、なんとか抵抗するという運動が続いていくんですが、どうしてもやっぱりですね、イギリスやロシアに奪われるがままの状態が続いてしまっていました。そして、アフガニスタンも同じです。アフガニスタンはですね、ずっとイギリスの支配に対抗するためにアフガン戦争って戦ってたんですが、結局はイギリスの保護国にされます。最後にインドに関しては、イギリスがですね、どんどん支配していくことに対して反対してですね、インド大反乱っていうのが起こりました。ただ、このインド大反乱っていうのはイギリスがですね、収めてしまうと、なんとですよ、イギリスの本土の女王だったヴィクトリア女王がインド帝国の皇帝としてですね、即位するんですよ。インド帝国っていうのがですね、成立します。こんな風にですね、アジアや中東や南アジア、中央アジアはですね、完全にイギリスやロシアにですね、侵略されていくことになりました。そして、次東南アジア。東南アジアに関してまずはですね、イギリスのインド帝国に合併されるような形で吸収されていきますし、マレー半島に関してはですね、イギリス領のマレーとして成立していきます。そして、インドネシアに関してはですね、何回もですね、ジャワ戦争っていうのを戦って、オランダには支配されるもんかっていう風に抵抗したんですが、最終的にはですね、オランダ領インドっていうのが成立してしまいます。で、次ベトナムやカンボジア、ラオス。ここに関してはですね、ずーっとフランスが支配しようとしてるんですよ。それに対抗するために、普通戦争とかあるいは進仏戦争とかたくさんの戦争を経るんですが、結局はですね、フランス領のですね、インドシナ連邦というのが成立します。次フィリピンに関してはですね、もともとはスペインが所有してたんですが、米西戦争、アメリカとスペインが戦争した後はですね、アメリカになります。で、なんでこんな簡単にアジアの地域を欧米が駆逐されていくのかというと、産業革命のタイミングなんですよ。軍事力がですね、もう雲泥の差があったので、戦ってもどうしようもないような状況が続いてたんですね。なので、ほぼですね、アジアの国っていうのはヨーロッパのやりたい放題っていう状態は続いていました。次は清王朝を見てみましょう。つい前まではですよ、清朝っていうのが世界で最も覇権を握るような非常に強い国だったんですよね。例えば、乾隆帝の時代はヨーロッパの国々が清朝に対してですよ、港を開けてくださいとお願いしても断れるようなそんな関係性だったわけです。よ、じゃあそれがいつ逆転してたのかというと、産業革命があったからなんですよね。まずはですね、イギリスの策略でどうにかですよ、清朝っていうところからお金を搾取したいということで、アヘンをですね、たくさん売り込むんです。あえて麻薬ですよ。この麻薬をですね、たくさん清朝に売り込んで、自分たちがですね、茶を買って銀を流出してしまってたものを何とか回収しようとするんです。ここにもまた出てくるのが三角貿易ですね。それをやられたら、もちろん清朝怒るじゃないですか。なんでそんな麻薬売るのか。そこで起こった清朝とですね、イギリスの間でアヘン戦争というのが起こるんですね。ただ、この当時もう既にイギリスが圧倒的な力を得ていたので、イギリスがですね、圧勝してしまいます。この結果ですね、南京条約を締結することになるわけです。これに収まらないんですね、清朝はこのままですね、ずっと負け続けます。何が起こるのか。次はですね、アロー戦争でイギリスとフランスに負けます。これで北京条約っていうのを結んで、このままじゃまずいということで、洋務運動、先ほどのトルコのですね、タンジマートに近いですね、近代化政策ってのをやろうとするんですが、もう時すでに遅し。この後は心不全や日清戦争で敗北しては天津条約や下関条約を結びます。これで終わらない。もう清朝っていうのは弱いじゃん、眠れる獅子だよねと言われてしまったらですね、この後はイギリスやフランス、ドイツ、ロシア、日本ですね、どんどんどんどん領土を食べるかのごとく分割されてしまうんですよ。で、さすがにここまでいってですね、清朝も目覚めます。これはまずいということで、国家を上げてですね、憲法制定運動あるいは交渉申請などのですね、改革ってのが行われていきます。ただ、それでもどうしようもなかったので、もうそもそも清朝っていう王朝の体制がまずいんじゃないということで、三民主義っていうのですね、主張していた孫文を中心に辛亥革命というものが起こります。この辛亥革命によってですね、ついに長く続いていた中国の清王朝というのはですね、途絶えてしまうんですよ。この後ですね、中華民国という国が建ちます。こんな風にですね、一時は世界の覇気を握った清朝ももう一瞬にして産業革命を経たヨーロッパの餌食になってしまったわけですね。じゃあ、日本はどういう話です。
日本もですね、同じく江戸時代まではヨーロッパとの接触を受けないで鎖国をしていたので、軍事力に関してはですね、ほぼ皆無でした。ただ、欧米列強にですね、開国をですね、要求されてから開国して、その後ですね、急激な近代化ってのをやっていったその過程ですね、まあ、もちろん国内での分立、戊辰戦争みたいのが起こったりはしたんですが、それ以降はですね、明治政府が立てたら急激に富国強兵政策を進めていきます。で、これ日本と清朝の違いなのはもう当初からですよ、一番最初の頃から富国強兵政策っていうのを日本は進めていったんですね。あれこれ考えずに、もうとにかく一刻も早く欧米に追いつこうという風な活動してたわけですね。その結果ですね、早いこと内閣制度や国会、そして大日本帝国憲法なんか整って、本当に一流の国としてのですね、制度ってのが整ったんです。その状態で産業革命もある程度状態できちんと対決して、日清戦争で勝利をするわけです。そこで勢いづいた日本はですね、もちろん三国干渉っていうのを受けて、ロシアとかドイツ、フランス、ここにですね、領土奪われてしまうんですが、それでもですね、ここで諦めることはなく日英同盟っていうのを結びます。日英同盟、なぜ結んだのかというと、イギリスはですよ、ロシアのことを警戒してたわけです。ロシアが勝手に南下されたら困る。で、日本も日本でもロシアがですね、そのまま自分たちのところに来るのは怖いっていう思惑があったんですね。なので、敵の敵は味方ですよ。つまり、イギリスの敵はロシアで、ロシアの敵は日本ってことは、イギリスと日本は味方ってことですね。敵の敵は味方って法則に従って日英同盟が結ばれるわけです。で、この同盟をですね、武器に日露戦争っていうのまで発展します。で、これよく考えてほしいんですけど、先ほどのそのロシアがですね、南下政策っていうので露土戦争ってのをやって、クリミア戦争ってのをやったりして、ロシアの進出っていうのはヨーロッパ側だから防がれてたわけです。普通だったらアジアだったらですよ、中央アジアとかみたいですね、ロシアの思う通りに進んたんですが、なんと日本は日露戦争で勝利するんですよ。だから、なんとロシアは思ってもまさかここでっていうことですね、つまずいてしまうんです。で、この日露戦争の結果としてポーツマス条約を結んで、日本はですね、日韓併合を進めていきます。から日本はですね、この急激な明治維新っていうのを経た後に列強の仲間入りをしていきます。で、こういう風にですね、やっぱり科学技術がどれだけ発展してるかっていうのと政治ってのはね、完全に一致していくわけですね。さあ、この日露戦争非常に大きな意義があったんです。それは何かというと、立憲君主制というのをどの国でも採用していこうという動きですね。日本がなぜロシアに勝てたのか。それは急速に立憲君主制というのを導入したからではないかという風にですね、色んな国が刺激を受けるわけです。まず負けたロシアに関してはですね、国内で不満が高まって、デモというのが起こるわけですね。ただ、それをその当時のですね、王様だったらニコライ2世が血の日曜日事件って言って、まさかのですね、全員を銃で倒してしまうんですよ。このですね、衝撃から第一次ロシア革命っていうのが起こりました。どういうことかというと、ニコライ2世もですね、ある程度日本のように立憲君主制度に進めなきゃなっていうのを自覚したわけなので、十月宣言っていうのを発表します。ここでですね、ある程度国民に譲歩したような形で、二元制に進むよって言った。やっぱりまあ口だけだったんですよね。この後ですね、トルコ、イラン、インド、ベトナムとかでもですね、立憲君主制の動きってのが進みます。トルコだったらトルコ革命、イランだったらイラン立憲革命、で、インドだったらインド国民会議とかカルカッタ大会とかで自分たちのですね、国の独立をかけて話し合いが進んでいきます。ベトナムであれば日本を見習おうということで、ドンズ運動ってのがですね、盛んに行われてたわけです。そして最後ドイツの躍進です。
先ほどイギリスとフランスっていうのがですね、植民地活動してる時に、ちょっと待ったドイツのことが怖いからお互い仲良くしようよって話があったって話をしましたね。この当時ドイツは何をしてたのか?もともとですね、ビスマルクは守りの外交っていうことで、ドイツとオーストリアとイタリア、そしてドイツとオーストリアとロシアっていうのをですね、組み合わせる三国同盟と再保険同盟を結んでたんですよ。ドイツっていうのはですね、非常に安全な基盤にあった。しかし、これをですね、ヴィルヘルム2世という人が王様に直撃するとですね、一変します。この人はですね、非常に攻めの世界政策というのを実施したんですね。イギリスが3C政策ならドイツは3B政策だってことで、3つのBから始まる都市、ベルリン、そして、そしてバグダード。この3つをですね、1