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【書くということ】AI時代に「意味」を取り戻す芸術家たちの生存戦略

謎解き統計学 | サトマイ12:23

Transcription

うん。例えるんであれば闇の中で祈る儀式に結構近いです。

はい、皆さんこんにちは。里ま井です。今日のテーマは「書く」ということ。AI時代に意味を取り戻す芸術家の形の生存戦略というテーマでございます。

日本での前にお知らせでございます。え、こちら「あっという間にお金はなくなるから足りないの原因と直し方」公表発売中でございます。え、内容は経済的な自立について書いた本です。え、それでですね、あの、先月までやっていた初店応援キャンペーンを好評につき、来月まで延長することになりました。応法いただいた方、え、ありがとうございます。で、初店で本を買ってくださった方はですね、限定の特典が漏れなくゲットできるお得なキャンペーンとなっておりますので、詳しくは概要欄のキャンペーンページからご覧ください。

え、さて、本題に戻りたいと思います。最近ですね、編集者のみ助さんがXで、あの、ちょっと興味深いポストをされていました。本のオファーが3冊あって、2冊は今年出したい。2月は絶対に本を書く。AIによって本が書きやすくなったというか、理論的には1日で書ける。しかしそれが分かった時点でやる気がなくなってしまう。「AIがやれるから俺やる必要ないじゃん」的な。あと僕の使い方が悪いのかもしれないが、ダメではあるが迫ってくるものがない。AIの文章が好きになれなくて気持ちが乗らず手が止まってしまう。「本を書くなんてことは原子的なことなのだから効率化してまでやる意味はないのかもしれない。」自分で書こうという感じで、ちょっとこのポスト私もすごくですね、確かにと思いまして、共感される方も多いんじゃないでしょうか。

で、特に「本を書くなんてことは原子的なことなのだから効率化してまでやる意味はないのかもしれない」のところをですね、ま、作家にとってですね、この文章を書くとか本を書くっていうことの意義を問われている時代なんじゃないかなという風に思っております。情報を伝達する手段というだけでは、やはりその本を書けなくなってきているというか、あの、書く意味があるのかすら分からないと。ま、これはですね、実は私自身も結構めちゃくちゃ考えてきた問いの一つでございます。で、言ってしまえば何らかの、ま、与えられたお題に対して、ま、例えば、ま、今回の本であれば、ま、お金で、前回の本であれば時間っていう、ま、のお題に対して、いろんな論文をキュレーションして、それを一つの本にして、あの、発売しましたっていうことも簡単にやろうとしたらできるんですけど、それって別に私がやらなくてもいいよねっていう風に思っているので、私がそのテーマについて書く意味っていうのはあるのかなっていうところを見い出しながら、あの、本作り、作品を行っております。で、これ、あの、作家に限った話ではなくてですね、AI等々の技術によって、ま、自分がですね、今までやってきたことの最低を責められている方っていうのは多いんじゃないかなという風に思っております。

え、ただですね、別にこの手の問題って今新しく出てきたわけではないと思います。歴史は繰り返しますので、ま、そこで今回はですね、技術によって食を奪われそうになった人が取ってきた、え、特に今回は画家とかアーティストの生存戦略についてこうざっとですね、さらってみたいなという風に思います。働くことの意義を見い出したいとか、意義が分からなくなってきたとか、あとはセカンドキャリアとか第の人生考えてる人とかですね。ま、そういった方の参考になれば幸いでございます。で、私もこの、ま、芸術領域は、あの、全然詳しくないので、ちょっと間違っていることもあるかもしれないんですけど、その辺り詳しい方是非コメント欄で教えていただければ幸いでございます。

では、まずですね、19世紀に時を戻しまして、その当時画家たちに起こった悲劇ですね、ま、出来事をちょっと見てみますと、ま、それまでアーティストの最大の武器とか、ま、役割っていうのは現実を正確に記録すること、ま、つまりあの、なんか写実って言いますよね。でした。例えば王様の肖像画とか歴史的な場面っていうのをいかにリアルに残すか。こういったことがですね、彼らの、ま、飯の種であり社会的な価値だったわけです。しかしですね、カメラが登場した瞬間にその前提が崩壊してしまいます。え、物事を正確に記録する、映し取るっていうものにおいて人間は機械に勝てないからですね。特にそれまで画の大きな収入源であった肖像家の仕事っていうのが写真家に奪われていきました。

今の私たちは結構似ている状況だと思いませんでしょうか?現代におけるその写真っていうのは例えばAIであったりとかあと何らかのアルゴリズムであったりとかあとはま過度な効率化とかですよね。ま、事務処理、何らかの計算、情報整理、そして論理的な文章作成もですね、正確に効率よくこなすことの価値っていうのはどんどん機械に代替されていっているわけです。で、今まで私たちが社会的価値だという風に思っていたものが急速にコモディティ化していると。なので、いくらスキルを、ま、磨いてそのハウツーの部分極めてたとしても、心のどこかで、ま、これ私じゃなくても良くないっていう不安が、ま、消えないんじゃないかなという風に思います。

ではこの19世紀の画家たち、え、役割を奪われた画家たちはこの後どういう風にしていったのか、ま、ここに私たちがこう生きるヒントがあるんじゃないかなという風に思ってます。で、そこでまず現れたのがですね、モネとかルノワールといった、ま、印象派と言われる人たちですね。で、彼らはまず開き直りました。正確さは機械に任せようと。で、我々画家は人間の目にどういう風に写ったかを書けばいいんじゃないかと。こう光のきらめきとか時間のうつろいとか、ま、空気感とか客観的な事実ではなくて、その画家自身の主体的な体験とか感覚に価値を移していったんですね。ま、現代で言ったら正確な情報を伝えるっていう仕事から、その人がどう感じたかっていうストーリーをま、語るような仕事へのシフトですね。当時アカデミーが求めた神話とか歴史の立派なテーマを捨てて、ただの風景とかただの攻落地といったま、画家の個人的な視覚体系の共有みたいなような表現にこの辺りからなっていったようです。

そして次に出てきたのが、ま、ピカソたちに代表されるキュビズムの動きですね。彼らはですね、基本ひねくれてます。あの、ていうか生き残ってきた画家たちは、基本ひねくれています。で、彼らはどういう風に問い直したかというと、いや、世界は一つの見方しかないのかと。そう問いかけて、前から見た顔と横から見た顔を一つの画面に書いたわけですね。これはあの、いわゆる上手な絵ではありません。で、ここで芸術はですね、目で見た通り、ま、模倣的に正しい表現をするっていうところから、新しい見方を提案するっていうようなあり方へとシフトしていきました。ま、現代で言うのであれば、基準のルールの中で点数を取る、とかではなくて、そもそもこのルールでいいんだっけとか、この習慣ってそもそも必要なんだっけとか、なんかその枠組み自体を問い直す人たちですね。

そして時代は、ま、戦争とか産業化へと進んでいって、この辺りからだんだんこう現代アートの接続が始まっていくわけです。で、ま、時代が時代なので、その当時の画家たちというか、ま、あの、一般市民も含めてですけれども、「美しい絵なんか書いてられるかよ、クソが!」という必要な叫びからですね、ま、表現主義とかシュルレアリズムって呼ばれるような表現が生まれてきます。例えばあのダリの歪んだ時計をイメージしていただいたりとか、あと多分ムンクの叫びとかもそうだと思います。で、彼らはもう美しさすら目指しません。ま、上手さも特に目指してたし、美しさすらも目指していないと。そこには人間の不安とか、なんか社会の狂気とか、無意識の恐怖とか、人間の生きづらさそのものっていうのを可視化し始めたわけです。で、ここで芸術は完全に実存的な問題になります。絵をうまく書くっていうことではなくて、この理不尽な世界とどういう風に対峙するかっていう、こう姿勢の表明にどんどんこの辺りからなっていったようです。

で、ちょっとここまで流れを整理しますと、写真の登場以降ですね、アーティストたちはこの価値の軸っていうのをどんどんどんどん変えていったわけです。元々はですね、あの、自分の絵が社会の役に立つかとか、ま、これが儲かるかとか、ま、よりうまくかけるかとかですね。それっていうのは、ま、他者評価とかスキルの熟達みたいなところがあの求められていたんですけれども、それがえっとアフターどうなったかというと、ま、その画家自身が何を問い続けているとか、その時代の流れにおいてとか、どういう風にその画家自身が世界と関わっているか、どういう風に提案していくかといった、その自己定義とか自分にとっての絵の表現って何なのかとか、この時代においての絵のあり方とか、自分のその絵を書くっていう仕事に対するスタンス、なんか姿勢みたいなものに価値がこうどんどん映っていったわけです。つまりその意味っていうのは何を成したか、その成果ではなくて、そのものに対して自分はどういう風に関わり続けているか、プロセスに宿るようになっていたと。ま、これが画家たちがですね、こういった、ま、絶望の果てというか、そういった技術革新で、え、自分たちの存在意義を問われている中で生み出していった答えである問いっていう感じですね。

じゃ、ちょっと冒頭の身のさんの話に戻りたいと思います。「本を書くなんてことは原子的なことなのだから効率化してまでやる意味はないのかもしれない」と。で、これに対して社会の役に立つかとかうまくかけるかといったその機能性だけではなかなかその作家自身も書けなくなってきていると。私自身もそれだけだと書くモチベーションが、あのぶっちゃけ全然湧きません。ハウツーとか全然出したくないですね。じゃあ、その本を書くっていうものが原子的なんだってみさんはおっしゃってるんですけど、本を書くのが原子的な行為なのだとしたら、私にとってそれは何かなっていう風にこのポストを見た後にちょっと考えてみたんです。何かなってめっちゃ考えた結果、例えるんであれば闇の中で祈る儀式に結構近いです。こう答えのない闇の中で、え、しかもなんか生きづらさとか色々抱えながら、ま、それでもですね、その言葉っていう輪郭を頼りに真実であるとか、自分にとって美しいものとか、自分にとってこれが大切だと思うっていうもの、ま、全能の感覚にたどり着こうとするような姿勢なのかなっていう風に思いました。

なんで私にとって書くっていう行為は、こちらの人生の3つの断り、孤独、責任ですね。ま、この闇の中で自分が正気でい続けるための日常的な儀式が、それが書くことだなっていう風に私の中で位置づけております。で、ちょっと補足なんですけど、死っていうのは今どんだけお金稼ごうが、どんだけ人気者になろうが、いつかは終わりがあって、あの生涯稼いでお金だったりとか仲間だったりとか、なんかその時の思い出とかっていうのは、あの持って行けないわけですね。死んだ後は。そして孤独っていうのは、ま、人は根本的に孤独で100%分かり合えるってことはありえないです。生まれてくる時も一人だし、死ぬ時も一人だし。で、3つ目の責任っていうのは、自分のえっと取ってきた責任っていうのは自分で取らなければいけないっていう、ま、このま、人生の3つの断りですね。ま、なかなか苦悩に満ちた世界かなっていう風に思っています。3つの断りがある、ま、そういった闇の中でそれでも正気でい続けるための日常的な儀式として書くっていうものが私の中ではあるっていう感じですね。で、その儀式に私の本の読者の方たちがですね、道連れになってくれてるっていう感じですね。

今はですね、こういった本っていう形で、あの、そういったこと表現してるんですけれども、もしかしたらそうじゃない表現の形っていうのもおそらく今後出てくるかもしれません。で、実はですね、あの、最近この「あっという間にお金はなくなるから」をですね、漫画っていう表現にする試みを始めまして、えっと、実はXとインスタで投稿し始めましたので、よかったらこちらチェックしてみて下さい。一応毎週土曜日更新になっております。

ま、ということで今日は「書く」ということ。AI時代に意味を取り戻す芸術家の生存戦略について解説しましたが、いかがでしたでしょうか?このチャンネルでは確率統計を使っている中の謎を解く、リアル時を体験していただく教育エンタメチャンネルです。高評価とチャンネル登録よろしくお願いします。新しい動画を見逃さないようにオンにしてください。そして各手イベントの告知や有料サービスのご案内は公式LINEでお知らせしますので、まずLINEでお友達になってください。それでは次回の動画でお会いしましょう。バイバイ。