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はい、ダメ製大学質問コーナーです。質問です。直感とは何なのでしょうかというシンプルな質問ですね。これは非常に難しい、難しいというか面白いですね。直感という風に、ま、我々考え、下した結論のことを、ま、考えた結果とか色々言いますけど、ま、そうじゃないもの直感と呼んでますよね。
一方で、直感とは違って当てずっぽという言葉もあって、じゃあ当てずっぽと直感の違いは何なのか。考えるってのはゆっくり考えて、直感ってのはなんか、ま、一瞬というか、なんとなく勘っぽい感じ。当てずっぽも勘なんですけど、こっちはまあ、なんていうか、適当にやってるだけじゃないか、という風に使われますよね。じゃあ一体、この考えること、当てずっぽの間の直感ってのは何なのか、ということだろうと思います。
これ私の中ではですね、結構整理がついていて、え、ま、端的に言うと、潜在的な世界によって、ま、無意識と言ってもいいかもしれませんけど、そこで溜まった経験から来る論理的帰結ということかなと思ってます。え、ま、あの有名なのでとカクテルパーティー効果っていうのはよくお話しされますけども、それは要するにですね、私たちがパーティーなんかで、ま、言ってですね、ワイワイワイワイこっちで喋ってると、こっちでもワイワイ喋ってる。これ目の前の会話に夢中だと、後ろの人は何喋ってるかわかんないと。ところが後ろの人がですね、「最近試大学が」とかっていうと、私なんかは「え、何悪い噂?」みたいな感じで気がつくわけです。
でもこれ面白い話でですね、え、聞こえてなかったわけですよね。今までだったら。なぜ「試大学」って言葉は聞こえたのか。で、聞こえたって言うんだったら、なぜ今までは聞こえていなかったのか。っていう、果たして今まで聞こえていたのか、聞こえていなかったのか、って問が成り立ちますよね。で、これらはま、要するに、私たちは耳にいろんな情報入ってきてるんだけれども、これはと思う情報をピックアップしてですね、意識に上げて、意識に上がると聞こえた感がありますから、「あ、聞こえた」としてそれに反応するわけですけど、ここで非常に面白いポイントは、一体何がそのトリガーになっているのか、ということ。そしてもう1つは、そのトリガーを、ま、要するに引き上げるところ。これ自体もまた無意識である、ということなんですね。
つまり、「試大学」だって聞こえたって思う私が、聞こえたって思うところに上げてるのは一体何なのかな、ということなんですけど、それ無意識が上げてるわけですね。で、これを考えていくとですね、どうも私たちは自分たちが聞こえた、見えた感じだと思う以上のことを身体が情報をこの中に受け入れて流れていってるんだろうと思うんですね。しかし意識されないと、そしてまるでそれはなかったかのように思われてる。え、つまりそのカクテルパーティーも、「試大学」という単語さえなければ、後ろの人たちの会話はまるで自分が体験しなかったように思って家に帰るわけです。なぜなら意識しないので。しかしこの身体はそれを受け止めているわけですね。
で、私はこの直感というのは、このように身体に蓄積されてきた情報で、え、しかし顕在的に頭の中考えて明らかに意識してますね、っていうものじゃない情報が蓄積されてくるとですね、ま、最終的に「よくわからないんだけど、そんな感じがする」というものが立ち上がってくると思ってるんです。これやっぱ量が必要だと思います。いきなりは直感は働かないですけど、たくさんのものがこの潜在世界に溜まってくると、ある日ふと「なんかこうじゃないか」ただし説明できないんだけど、というものは立ち上がると思うんですね。これなんで説明できないかって言うと、やっぱり潜在的な世界で集まった情報だからですね。説明がうまくできないと、やっぱり意識されないと説明できないわけです。だけど「そんな感じがする」っていう、これがま、直感の正体じゃないかと思ってます。
で、これこれで説明すると、当てずっぽと直感のさん、も分かりやすくて、つまり当てずっぽは十分な経験が溜まっていないのに勘で決めてる世界で、直感って言われてるものは、え、十分な経験が溜まった上で勘で決めてるっていう世界ですね。で、そしてもう1つの「考えて決める」っていうことは、意識的に顕在意識的に考えていくっていう世界で、この3つの恋愛があると思います。で、この直感と実は考える行為の間も非常に曖昧で、え、相互にきし、考えた結果もこちらに意識を与えますし、当然自分が考えてる時にこの意識的なもんじゃなくてもっと、え、あらゆるものは動員されているので、え、そういうことなんじゃないか。もっと混ざってると思うんですね。
で、これに紐付けていくと、ひらめきとは何か、っていうま、直感に似てますよね。でもなんかひらめきってのはもう少し、え、あの、それについて色々考えてきた結果パッとひらめくってことだと思うんですけど、これひらめきをですね、私熟達論の中で入れたくてですね、何年にお話聞くとパターンがあって、ほとんどトイレかシャワー、お風呂かシャワーか散歩なんですね。これ共通点はどれも身体運動的であるっていうこと、血流が変化してる行為なんですね。ま、こっから先非常に乱暴かもしれないですけど、やっぱり私はあの顕在的な頭だけを切り出した世界じゃなくて、この身体が活動しながら得てる情報が、ま、混ざり合ってですね、そこに人の意識や、え、思考が生まれてると、いう考えているので、体の方の動きを変化させるとか、十分に考えた後に何か血流が変わるようなことすると、パッとひらめきが生じるんじゃないかな、という風に思ってます。
あ、忘れてました。もう1つはベッドです。これちょっと私説明がつかないんで、根際のあのひらめきっていうのも結構おっしゃるんですけど、までもこれもちょっと眠そうになる時に無意識と意識の境い目に入るってことなのかなと思ってます。まいずれにしてもですね、こんな風にあの、その意識と無意識の間、え、ま、この辺りを、え、漂うところに私たちの直感って呼んでるものがあるんじゃないかな、という風に思ってます。
ま、私は常々ですね、とにかく人間は意識してるものだけを重視しすぎていると思って、それは言葉だったり、目に見えるものだったり、はっきり定義できるものでも、そうじゃないもっと曖昧もことした私たちと自然の間の愛境い目すら揺らぐような、そういう中に人間らしさや、あの人間の技の極みがあるんじゃないかと思っていて、この潜在と顕在の間、身体と環境の間、ま、この辺りに非常に昔から興味を持っておりまして、直感はそれのすごい象徴的な事例の1つかなと思っております。
え、こちらはですね、皆さんの質問で成り立っておりますので、え、質問をどんどんいただければありがたいです。