Transcription
え、皆さん、こんにちは。え、比較宗教論の時間です。こんにちは。
えっと、色々な神観念の2回目。え、今日は神秘主義的宗教の神と多教の神について扱います。え、神秘主義の方はなかなかちょっとややこしいんですが、え、それでも、ま、頑張って、え、分かりやすく解説したいと思います。そして他教の方は、ま、特に日本の、えっと、神概念、え、神観念について、え、柳田国の説を、ま、中心に、え、紹介したいと思います。
で、えっと、これまでに予告したというか、どっかで話したような気がするんですが、あの、私の家の裏、実家の裏の神社ね、えっと、坂があって、その小さい山の上にあるっていう話、え、しましたね。ま、その点指摘したと思います。で、これ、あの、ちゃんと理由があるんだってことも言ったと思いますが、え、その話を、ま、トトロに引きつけながらですね、え、トトロ知ってますか?隣のトトロ。えー、ま、トトロがどこに住んでいるかっていうね、それ、え、に引きつけながらね、えっと、紹介したい、え、お話ししたいと思います。ま、あの、楽しみにしててください。見事にね、えっと、綺麗に説明できますね。トトロのあの、え、正体というかな。えー、じゃあ、えっと、授業行きましょう。
えっとこの表はですね、前回の事業の冒頭で、えっと紹介したものですが、ま、私なりに、えっと、分類したものですが、もう1回あの掲げておきます。ま、整理しましょうか。え、前回扱ったのは一心教です。で、存在の身分、神の存在の身分としては絶対的ですね。で、特色が人格的で、共のは神秘主義と多神鏡で、え、神秘主義の方は存在の部分絶対的です。え、そのじ、えっと、一心教の人格心よりもさらに徹底的に絶対的です。で、しかし特色があの面白くて一心教の場合の人格心とは違って神秘主義の方は非人格的ですね。え、で、多神鏡はどうかと言ったら相対的です。ま、いろんな神がいるからもちろん相対的ですよね。え、で、特色は人格的で、ま、それゆえ我々にあのより身近なあの存在になるという特色があります。え、というわけで、えっと、神秘主義多教見ていきましょう。
え、ではまず、え、神秘主義の神から見ていきます。えっと、一心教の神の場合は、え、その知性、能力、意思を、え、人間と比較して理解することができた、え、ことからも、え、分かるように、え、人間に名ぞらえてね、理解することが可能な人格心、え、と言えます。で、人格心というのは、えっと、ま、一般的にそう捉えがちですが、人間の形を持つ神ではありません。え、というよりかは人間の人格に通じるところがある神格を意味します。で、例えば理想的な人格とか完全なる人格といったような観点から把握可能で、え、あって、ま、それ故上に、ま、それゆえにこそ神が人間を導くという信仰が成立するわけですね。ま、こういうのが人格心です。
それ上人格心については、あの、ま、目に
見えないにしてもね、まだイメージしやすいわけです。ま、完全な人間っていうような、ま、そういうざっくりしたイメージが持てますので。で、しかしこのイメージしやすいという点はですね、考えてみるとかなり問題的です。というのも人間の自我意識というのは必ず歪んでいるので、そういう人間に、え、よって捉えられたイメージである神もまた、え、必ず歪んでいるに違いないからです。
え、それでこの自外意識が歪んでるということについてね、えっと、自外意識の本質的な歪みについてっていうことで、ちょっとだけ手確的な解説をしておきます。えっと、宗教の方、え、の、え、神秘主義の会のところでも、あの、自外意識が歪んでるっていうことは、あの、少し話しましたが、ま、多分詳しくは解説していなかったので、ここでやや詳しめに、え、解説しておきます。えっと、普段我々はですね、私の存在を中心にして世界を経験しています。例えば美味しいとか美しいといった価値もそうですが、それだけじゃなくてね、ここ、とかそこ、左右、あなた、彼と、こういう言葉が指示する内容も、ま、よく考えてみたら全て私ちゅうのが中心になってますわね。つまり自分が経験する世界というのは決して客観的な、ま、いわばありのままの世界なのではなくて、私中心的な世界である。えー、言い換えると世界は私の自我意識によって原理的に歪められたものとして、え、しか経験できないと言えます。
ところでこの私ですね、私というのはあなたに対して私であるし、彼に対して私であるし、左と右の真ん中に位置するものとしての私であるが、こういう風に私を規定するためのそういった諸々ろの情報はすでに私の自害意識によって歪められているわけですから、歪んだ情報で規定される私っていうのもまた歪んでしまってることになるという、ま、根本的な配りがここにはあります。
で、この歪みの根は限りなく、ま、深いと言えます。本当の私という表現がありますけど、これはね、その歪んでいない私のことを言ってるように、え、ま、見せかけて、え、実のところですね、歪んだ私と何も変わりません。なぜならこれこそ本当の私だという意識は自意識だからです。え、そうした自害意識によって捉えられた本当の私っていうのも当然歪んでいることになりますわね。
本当の自分を見つけたいなどという表現もありますけど、仮にね、本当の自分が見つかったと思っても、え、そう思うのは原理的に私の自我意識である以上はその本当の私は本当の本当の私ではないことになりますね。だからおそらく本当の私を探す人は見つけたと思った本当の私がまだ本当の本当の私ではなかったと気づいて新たに本当の本当の私を探すことになるんじゃないかなと思います。まあ、しかし仮にね、本当の本当の私を見つけてもやっぱり同じ理由でね、その本当の本当の私は本当の本当の本当の私、え、ではなかったことちょらきますね。こうなってくると、え、以下この自分探しっちゅうのは永遠に続くことになる、え、ことに、え、続くことになりますね。ま、つまりね、見つけようとする限り決して見つけることができないっていうのがこのあの自分探しの旅ですよ。で、というのも見つけるという営波みを行うのは字我が意識を持つ私以外にはありえません。
で、え、神秘主義が問題するのはこういった値深い自害意識です。そしてこの強固な自害意識を処悪の現凶として捉えて、ま、その根源る私を滅却することを目指すと。え、しかしこの私っていうのはもう強庫ですから、え、簡単には消せません。そこでも、ま、特殊な修行が必要になってくることになります。で、この修行についてはね、宗教の方を学ぶ、え、会で、え、お話しした通りです。ま、色々あの、紹介しましたね。ヨガとか座とかね。で、あの、この、あの、自外意識のあの、問題っていうのは、えっと、私の、えっと、自己最高築論という授業でも少しまだ違う角度から、あの、扱っていて、あの、問題にしてますので、え、哲学的な、えっと、議論を加え、考察を、え、哲学的な考察を加えてるので、え、興味のある人はですね、是非そちらの授業も取ってもらいたいなと思います。
え、さて、えっと、解説はこれぐらいで終わりにしまして、ま、本題に戻ります。え、ま、以上のように、え、神秘主義的宗教っていうのは自外意識が本来的に歪んでいると、ま、そうでそうならその自外意識によって把握される神のイメージ、つまり人格心っていうのも当然歪んでることになりますよね。で、えっと、ということで神と出会って触れ合ってると、ま、あの、特殊な経験をしてね、今神と触れ合ってると思ってる人も実はその神は人間の経験内で理解された限りの神でしかないのであって、つまり要するに歪んだ神でしかないのであって、真の神ではないということになるかもしれないわけですね。え、だから神と真に出会って、え、ま、真に触れ合うためには人格心ではダメだということになりますね。しかし人間が出会える神っていうのは人間と出会える限りで人格心でしかありません。原理的にそれしか不可能です。ここにね、神秘主義の問題意識があります。え、つまり自害意識を滅却した私に対応する神こそ真の神だというわけです。
え、自外意識っていうのは、ま、あの、すでに説明したようにありのままの世界を私中心的な仕方で、ま、都合をよく限定してしまうわけです。え、善悪や美種といった価値の世界も、え、左右や前後といった事実としての世界も全て私中心的であって、え、すでに一定の角度から限定されたものでしかありません。だから自害意識を滅却した私が出会う神は、あ、ま、そう いう神があるとすれば、え、一切の限定とは無縁の神であるはずですね。え、で、そういう神と出会えるとすれば、その出会いの場合では善と悪もないし、左も右もないし、私とあなたもないし、そしてもっと言えば私と神さえもないはずです。というのも、それらは全て自外意識の産物歌からです。
え、このようにして把握される無限定の神こそが神秘主義の神であると言えます。で、まだそのどんな限定も受けていないので存在ともムーとも言えないようなものです。で、哲学的にはこのような身分のものを、え、限定を受けていないという否定の面を強調して絶対ムと呼ぶ場合多いですね。で、ま、あの、ただのムと言ってもいいような気がするんですが、ムーはう、存在に対して初めてムであることができるので、え、その限りで相対的でしょ。ムーはあの存在がないとムと言えないわけでね、ま、左っていうのは右がないと左って言えないでしょ。それと同じようにムっていうのも存在があって初めてムと言えると、なればそのム、そのレベルのムーは相対的です。だからその限りで限定されています。え、だから要するには完璧じゃないと。だから限定されていないという点を強調するために、ま、そういうレベルのものを絶対無と呼ぶことが、ま、哲学的には、あの、定番ですね。
で、このように神秘主義における神観念は、え、無限定の神、絶対無として、ま、把握することができるわけですが、こういった、ま、あの、こういった身分の神概念っていうのは西洋にも東洋にも見られます。例えば、あのイスラム教では、えっと、イブンアラビーという神秘主義思想家がおります。えー、ま、その彼の神概念が典型です。えー、人間に語りかける人格心。ま、あの、イスラム教の神はアラーだという風には、あの、この授業でも話したかもしれません。が、それは、ま、知ってる人も多いと思いますが、えっと、このアラーのさらに奥に無限定の神をね、イブンアラビは見ています。え、そこをあの、その神のことをアハドと名付けています。ま、あの、1という意味ですね。
え、それからキリスト教においてもそうで、え、神秘主義思想家として知られるエッグハルトという人がいます。で、この人は人格心、え、に囚われずに、え、そこを突き抜けてその奥にある神聖、え、神性ね、ここに至らなければならないと主張してます。え、それからまた原子仏教のだるまにしても、ま、あの、えっと、宇宙の理法とかいう風に訳せますかね。だるまにしても老シア総の無意自然とか他にしても、ま、この領域のことを言ってると考えることができます。
え、こういった神秘主義の無限定の神は、あの、悪人に対して罰を与え、え、善人にに対して幸福を与えるというような人格心ではないので、え、善悪を超越することになります。で、これも既でに言ったようにね、善は悪に対して初めて善であるし、悪は全に対して初めて悪であるから、え、こういう相対性っていうのは無限定の神とは無縁のはずですね。え、言い換えるとね、こういった神観念っていうのは、え、善悪というものさえまだない場所を指示していると言えます。え、全額を超越していると言っても、まあいいですね。え、神秘体験を重視する神秘主義的宗教は、え、全額を超越するような色彩を帯びることになると、えっと、宗教の会、え、宗教の方の会でお話ししたわけですが、その性質、その特徴が、え、神概念にも神観念にも現れていると言えます。
え、だからね、神は悪の根源でもあることになるわけですね。善悪を超越してるということはその、えっと、善役っていうのが存在していて、その上にあるるっていうよりかは善役が、ま、生まれる以前のところにあると。え、だからその神が神秘主義の神が全てを生み出す。え、その中には善も悪も含まれてる。だからこれ神が悪の根源でもあるっていうことになるわけです。だから政党的な立場がある宗教の場合は、えっと、神秘主義っていうのはあの、遺されることになりますね。神が悪の原因であるっていう風にあの直接的に言えちゃうので。えーでえっとまあと実践理論的な問題として今の話ですが実践的な面でも問題があってつまりその善悪を超越してるっていうんだったらえっとそういう神秘主義の神と出会うための修行あるいはその目指す目的っていうのはその善でも悪でもいいっていうようなことになりかねないですよね。だからちょっとあの、え、暴走しかねないというか危険な香りが漂ってます。だからね、それ故えにこういった神秘主義の神と出会うための修行においてはどういうに突き従うかということが極めて重要になってくるわけです。で、この点については修行テーマとする、ま、回を、ま、参照してください。えっと、多分楽器の最後かなでお話しします。
え、では神秘主義については、ま、これぐらいにしまして、え、多神教のね、神について見ていきましょうか。えっと、取り上げるのは日本ですね。え、最後に多神教の神について日本の神を取り上げて理解を深めていきましょう。えー、で、えっと、土着心やあの祖心を取り上げるって言い方しましたね。で、ま、それ、あの、どういうことかっていうのも今から話していきます。えっと、神社に祭祀れている神は例えば天照ラスやスノーといった神話に登場する神ですね。で、はっきりした名称がついてる場合がほとんどです。あの、近くの神社、あの、神社に最人が何かっていうのを書いてない場合も多いですけど、え、ま、ちょっと大きいとこ行ったら絶対書いてたりなんか分かったり、あの、分かるような仕方で、えっと、書かれてますね。で、しかしね、そのアマテラスにしろ、佐尾の脳にしろ、ま、そういった神々っていうのも古やらですね、これ、あの、あくまで諸説ありですが、え、古は落に密着した土着の神であって、その内術は落で死んだそれ祖先の霊ですね、それが集合してできた名前のない神であったと考えることが日本の宗教学ではスタンダードになってます。
古来日本ではね、人が死ぬとその魂は山へ行ってで、そこに存在すると考えられてきました。え、だから山は死者の魂の集まるところであって慎重に寄費されてたんですね。ま、怖いところっていうこと。で、例のその生徒族の分離の、ま、典型であると言えますね、これね。で、え、山自体がね、あの、身体山として、え、把握される場合もあるし、あり、あります。が、えー、その1つの場所として、え、山がね、そういう、えー、場所として神とか妖怪といった霊的存在が住まであると、え、把握されている場合もあって、え、人の魂も要するにその神とか妖怪っていった霊的存在の、え、仲間入りをすると、えー、そういう風にそう人の魂もそこに行くと信じられていたわけですね。ま、これも、えっと、諸説ありです。でも一応、ま、こう考えるのがあのスタンダードだということで、ま、そのスタンダードの話をね、え、今からしていきます。
山の中に高いを想定する世界観を山中高い感と言います。え、ですので、その山の中の高いっていうのを山中高いと言うんです。で、こういった感が典型的に見られるのは、あの、ま、右に上げた図が、ま、あの、そうだと思うんですけど、あ、これね、右の図は山岳修行の分布図です。えっと、ま、すぐ後で話しますが、え、この山中高い間ね、え、を持つ山っていうのは、あの、そこに神とか、ま、あの、霊が集まるわけで、え、要するに霊力がある山なんですね。で、要するにそういう場所に、え、入って修行してその霊力を身につけようと いう修行が、ま、行われることになります。ま、あの、えっと、そこはちょっと、あの、すぐ後で話すことして、え、今はですね、このそういう山中高感が見られる、えー、山として、ま、この右の図を出し ましたが、えっと、ま、典型的なの、ま、有名なやつがいくつかありますね。例えば青森の、え、分かるかな?恐れ山なんか典型ですね。えと、それから山形の、え、出三ですが、これ3つの山が有名で、えっと、ハグロさんと湯野さんと合さ、え、月の山と書いてガさンと言いますが、分かるかな場所。えっと、日本列のこの上から上の左側から降りていくと森吉さん、太平さん、長海さん、ハグロさ、湯戸園野さってありますね。ハグロさと湯野さんが出散の3つのうちの2つです。あ、ちなみにね、ハグロさんの上に書いてある超会。これ、あの、かこで書いてある数字は標高です。で、見たら分かるように2230で、えっと、すごい高いんですよ。で、これ綺麗な形をしててね、私日本銃弾の時にこの辺り歩いたのでよく分かるんですけど、えっと、海からあのなんか富士山がニョキっとこう出てるような綺麗な山形でね。で、えっと、逆に言ったら山の頂上から海の方へ、えっと、その両線がバーっ とこう流れ落ちていくっていうかな、え、非常に綺麗なあの山ですね。え、で、ガさはと言いますと、えっと、レオン列島の上、1番上恐れさんがありますね。右側で岩木さん、岩手さん、はやちさんでは金かさんでガさですね。え、このガさ、ハグロさん、湯戸さん、これ が、えっと、出散々です。で、他にはあの富山、え、の、え、館山とか、え、和歌山の荒野さん有名ですね。それから京都もあの、あります。え、比え山ですね。え、ま、などです。
え、今話したようにね、霊的存在の都う場所っていうのは霊的な力が充満した場所でもあるから山へ入って修行し、え、そういった力を得ようとする山岳修行という形態もやがて、え、成立してきます。つまり山節と言われる人たちがそういう修行者のことですね。え、ま、そう、それは、ま、あの、置いといて、いずれ修行に、え、ついて話しますので、それ置いといて、あ、第13回目の授業でね、扱う予定です。修行についてはね。で、え、それは、ま、今は置いといて、え、今はですね、霊的存在が都う山は瞬源な後方だけでなく、て、周囲よりも盛り上がっている小高い山、ま、小さい丘というか、小さい山もそうだという点に着目しましょう。この点では、あの、特に柳田国の説に従って検討して、え、行くことにしましょう。
え、柳田君のね、先祖の話っていう本があるんですけど、それによると、え、人が死ぬとその魂はどこか遠くの山に行ってしまうんじゃなくて、え、村の近くにある山に行ってそこに進み、え、子孫を見守る神になるとこういう風に、え、されてます。で、ま、最もね、魂は死んですぐに神になるわけじゃないんだね。ここがポイントで長い時間をかけて徐々に神へと変化していくことになります。で、33回機っていうのはね、この変化の終了のタイミングなんだね。で、その辺りの詳細については私感を扱う自習で、ま、扱うことにします。ともかくですね、柳田は山に住まう死者の、え、魂は子孫に祭祀によって徐々に個性を失っていき、祖先たちの魂が集合したものである祖心神に、え、融合すると考えます。で、え、この祖心神っていうのは山の神でもある。え、し、え、春には子孫のいる、え、里に降りてきて他の神になるし、え、というあの、ま、いろんなあの姿を持って現れると考えたらいいかな。で、え、収穫が終わるとまた山に戻っていくというわけですね。で、日本の神っていうのは元々はこういった土着の神であったというのが柳田の学説です。で、あの、実際にね、歴史的にこの通りの家庭を経て神概念が出来上がったかどうかていうのは分かりませんので、ま、それはさておき、えっと、ま、理論としては、ま、あの、日本人のね、肌の感覚にあった考え方だろうと思います。
とやら国王のね、え、言葉引いておきましょうか。人が亡くなって通礼は33年、稀れには、え、49年50年の、え、奇心、え、名日ですね、え、にい上げ、え、あ、トって書いてるね。ま、戸村い上げ、え、または問い切りして最終の法事を営む。その日を持って人は先祖になるというのである。つまりは一定の年月を過ぎるとそれは個性を捨て融合して一体になるものと認められていたのである。
日本の村にはこういった土の神がいて、それがいわゆるう砂の神です。あのこの、えっと、生まれるに土と書いてう砂と読みます。ま、え、変な読み方ですね。え、う砂の神です。で、だからね、この神には元々名前はないんですね。えー、ぼヤっとしてます。え、ご先祖様という表現にはなんとなくそのぼヤっとしたイメージありますね。それはね、こういう理由があるわけですね。
で、さて、先ほど死者の魂は子孫に祭祀によってそれと一体化すると、え、こういう説明を行いましたが、例外もあるんですね。それがね、悪僚です。え、死者の魂はね、生前の色々な思いをまだ持っていて、え、死んだ悲しみや生前の恨みなどによって乱れている、え、わけです。え、ま、あの、見たことないからね。そうだと考えられてるってことね。で、またしそのものの汚れも付着してますので、え、死後の最初の段階では魂は荒れているんですね。で、これを荒みた言います。で、しかしね、子孫がこの祭祀で魂は落ち着いて、で、やがて汚れも浄化されて清らかで穏やかな状態になります。で、これが要するに祖心なんですけど、えー、荒みたの退避で、え、これをね、賑み三たとも呼びます。
しかしね、非常に大きな恨みとか悲しみを持って死んだ人の魂っていうのは子孫による祭り上げによっては浄化せずにね、え、ソレー心賑みたにはならない場合があります。穏やかにならないと33年経ったら、えっと、個性を失ってそれ死にになる賑みたになるわけですけど、ならへん場合があります。え、つまりいつまでも荒御見たのままで浮かばれないわけなんです。これが要するに悪僚です。で、悪僚はあの村やま、その村に住む人々に様々な外悪をもたらす悪信ですね。え、作物の負作とか、ま、火災とか自然災害、ま、え、そういうものが色々起こる、え、病気の蔓延とかね、え、悪児を働く人の増加、ま、そういうものが色々起こってくると。で、それは全てこの悪信の仕業である、え、と考えるわけです。で、え、だからそのなんとかしてをあのえっと浮か浮かばさなければならないと浮かばれない荒み玉をそのちゃんとえ穏やかにしてね、え、賑みたにしないといけないっていうことでいろんな包まあの行われたりとかま、そういうことになるわけですが、え、これをね、あの今はそのえっと善悪のあのね世界になんで悪があんのかっていうその話に引きつけえ、見ると、え、善悪の期限ですね、え、という問題に引きつけてみれば、え、世界における善っていうのは賑みたに、そして悪は荒みたに紐付けられるという風に見ることができますね。
え、このように日本の神は一心教の神とも、え、神秘主義の神とも違って、え、超越性の度合はかなり低そうですよね。え、神である限り確かに超自然的な働きをします。が、世界全体を統治するような知性と能力を持つどころか基本的に守備範囲はう砂神として一だけです。で、しかし、ま、その分だけ身近ですよね。え、という特徴が、あの、大きな特徴があります。神神秘主義の神なんかちょっともうあの徒方もなさすぎて到底身近とは言えないような点があります。修行した市長にとっては、あの、ものすごい身近であるっていうことになりますけどね。一般的には、えっと、なんか豊かな実りをもたらす神と かそういうあの身近なものではありませんよね。え、しかし多神鏡の場合はそういう短さというのが大きな特徴の1つです。で、善役の説明もクリアですね。え、あの、良い、え、例えば良い実りがもたらされたらそれは善なる神がやったんであるし、善なる神のおかげだってことになるし、えっと不作だったらあのそれは悪い神の仕業だってことになるし、え、だから説明はクリアにできます。世の中の、え、世の中における悪の存在根拠も悪の神、え、によるという風に説明付けられるので、これはあの非常に簡単なんですね。悪の説明はね。で、え、という風に、ま、言えますが、その神としては明らかに弱い感じがあるでしょう。え、ここもだから問題ですよね。神の概念、この場合多神鏡の神の場合は相対的で絶対的ではないという点で、えっと、絶対的な神の方が強そうだって いう、これが多神鏡のあの、あの、大きな難点というか、多神鏡の神における、え、大きな難点の1つと言えますね。
で、え、今日のポイントです。ま、えっと、宗教の概念と同じくですね、え、神と一口に打ってもその内は多様であるということを奇に命じるべ、我々の日本人の我々 の感覚の神とね、え、一心教の神とは、ま、全然違っているとことが分かったと思います。さらには神秘主義の神なんかこれまた全然違ってるわけで、え、ですので自分たちが知ってる神っていうのを念頭に置いて他の宗教を見れば間違うことになるから気をつけてください。えっと、同じ神っていう言葉を使っていても全然違うものが意味されていると、え、いう場合が多いということを知ってください。え、一般的に言うと自分の常識が世界の常識だと決して思うなということ。
えっと、自主予告です。え、神の概念ね、え、は世間とかなり密接に関係してます。で、神は元世ではなく来世に報意を用意してるかもしれないし、え、祖心っていうのは死後の世界の観念とセットになってますわね。というわけで、あの、やっぱり姿勢感をね、え、しっかり扱っとこうというわけで、え、自習は姿勢感について考察することにします。
では、え、映画教室から行きましょう。え、今日紹介するのは教祖誕生というね、映画です。え、ビートしが出てる映画で、えっと、萩原正斗でしょう。それから玉木浩司がね、役者として出てますね。え、あと岸辺一徳さん、ま、個性派が揃っております。えー、読んでいきましょうか。
日本人が思い描くうさ臭い宗教の典型を皮肉たっぷりに描いた社会派映画です。で、この授業でね、宗教とは何かという問題への応答が難しい理由として、え、非合理性ね、奇跡とか不可といった合理的説明を拒否する否定性という観点を紹介しました。で、この映画でもまさにその点を軸にした宗教理害行われていると言えます。え、と同時に、え、興味本位で入進した若者が、え、やがて、え、本物の教祖として目覚めていくと、つまり萩原正が、あの、うさ臭いな、この人らと思ってた。え、だけどなんか気になるからちょっと見てみようみたいな感じで、え、この宗教の教団についていくんですけど、やがて彼がね、競争になるんですね。え、そういうストーリーです。で、え、その本物の競争に目覚めていく様子については、え、岸本秀やテのね、え、人間存在の究極的な問題への解決という定義から分析可能かもしれんね。え、ま、単純にね、コメディとして非常に面白い映画ですが、宗教の定義を考察するその学術的観点を念頭において見ても、あの、大変興味深い映画ですね。え、というわけで今回は教祖誕生という映画を紹介しました。
DJネのスクールオブロック。え、今日はですね、ブライアンジョーンズのソロアルバムを紹介します。え、ブライアンジョーンズはあのローリングストーンズのギタリストですね。え、1970年に亡くなってます。え、あ、で、これアルバムが71年ですので、ま、あの、残っていたあの音源をまとめて、えっと、発売されたもんですが、え、これね、あの、モロッコの民族音楽をベースにしている、ま、あの、モロッコの民族音楽を紹介するアルバムでもあるし、えっと、彼自身がアレンジを加えてすごいあの、曲になってるやつとかもあって、え、ま、ちょっと一言呼んでいきます。え、ストーンズのギタリストであるブライアンジョーンズのソロアルバムでモロッコの民族音楽を彼自身が録音してスタジオ処理を加えたものである。おすめ曲はですね、ハードロックミックスバージョン。これすごい。もうね、トランス系、ゴリゴリトランス系のぶっ飛んだ仕上がりです。これね、あの、作ったのは60、ま、60年代なんですけど、後半なんですけど、その今からだからもう何十年前ですか?50年以上前ですけど、それもうびっくりしますよね。今年作成されたと言っても普通に通じるサウンドクオリティとアイデアです。ま、センスがすごいです。ま、あの、えっと、ワールド系っていうか、民族音楽に興味のある人も聞いててもらいたいですし、あと、ま、あの、テクノやトランス好きな人なんかも行けると思いますね。で、もちろんあの、私のにハードロックが大好きな人もいけると、まあ、一ぺ聞いてみてください。えー、ブライアンジョンズのソロアルバムを紹介しました。
ネムの読書教室です。え、今日紹介するのはですね、私の人生を変えたこの3冊です。え、上村直美、そして、野田と、ま、この3人の本だったらどれ読んでもあの良かったと思うんですけど、えっと、私の人生に大きな影響を与えたと思うんですけど、最初に呼んだのがこの、え、上村の場合はこの曲を北にかけるでカ校の場合はフィッシュ音で、野田の場合は川からの眺めだったんですね。え、ま、それぞれね、ま、アウトドアの達人で、ま、達人というかな、上村はもう日本を代表するあの冒険家です。世界を代表する冒険がですね、えっと、もうあのな、えっとなくなってるんですけど、日本で1番あの、えっと、なんか優れた鉱石を残した冒険家に与えられる賞の名前が上村美ですね。え、ま、それぐらいあのすごい人です。で、開校は、ま、この人あ田川小作家ですけど、えっ と、ま、日本を代表する小説家の1人です。が、あの、私は小説も、ま、あの、好きは好きですけど、それよりもノンフィクションの、え、この人も釣り超マニアで、え、釣りの気候文たくさんあるんですよ。で、私も台の釣り好きで、え、で、あの、高校1年の時に、あ、この3冊どれも高校、あの、1年の時に出会ったんですけど、ま、あの、こんなすごい人がいんのかと思った。あの、ま、釣り、え、人生をね、釣りで豊かにしてる人の代表者ですね。で、野田చేసు助。この人は日本にツーリングカヌーという概念を持ち込んだ最初の人で、あのカヌーっていうとオリンピックの競技みたいに給流をこうバッと下っていくやつを思い浮かべるかもしれません。が、この人のやってるカヌーはあののんびりと下っていってね、何日も何日もかけて、えー、下っていくとで、気に入った場所でキャンプをして釣りをしてという、ま、そういうのどかなというかね、え、のんびりしたスタイルの、え、川下りのキャンプの話です。で、極に、え、かけるはね、あの、上村の網は、あの、あの、グリーンランドを、えっと、これ犬ぞりで、ま、現地で犬ぞりのやり方を覚えて、そして、えっと、ま、人力、あ、人力っていうか犬力になんのかな。ま、あの、え、そのなんかエンジン付きのものとか使わずに犬ぞりで、グリーンランドを、あの、横断するというすごい冒険の話です。
私はですね、この上村のこの本を読んでね、人生をこう前に進めていくという自分の自分で人生を前に進め るっていうことを学びましたね。え、そしてフィッシュオン、え、解古剣を呼んで、ま、その自分の人生を豊かにするっていうことを学びましたね。そして野田川からの眺め。これね、だから陸からの眺めとは違うんですね。ま、そういう話が書いてあるわけじゃないんですけど、川から眺めるっていうことで、えっと、自分の人生を相対化するっていうことを私は学びましたね。え、だからこの3冊に出会ってなかったら確実に今の私はないという点で、あの、どこでも私このあの、3人、え、を紹介してます。え、ということ で皆さんもね、是非あの、ま、すぐに読める簡単な本なんで、え、是非ね、読んでもらいたいなと思いますね。
どうも皆さんこんにちは。ネの筋トレ教室の時間です。今日は、え、ヒップアップを目指す筋トレです。ま、結果的に太もにも聞きますので、ま、あの、だから微脚とヒップアップってことになるか。え、でもとにかくお尻がすごい効きます。え、これをやった次の日はお尻が痛い、え、という感覚を手に入れることができます。往復なこの痛い感覚是非は味わって欲しいと思います。えっと、3種類あります。え、簡単です。まず片足のスクワット。え、上下じゃない左右やります。えっと、ま、あの、深くやりすぎると、あの、上がれなくなるので、え、ま、限界の半分ぐらいのところかな。10回セットいきましょう。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10。これだけでももう随分お尻に効いてると思います。[咳払い]ま、これね、あの、バランス感覚も鍛えられていいですね。左もいきます。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10。
え、それでは次は、えっと、前に踏み出すで戻る。え、この前に踏み出して戻るっていうシンプルでしょ。で、え、これもま、なるべく遠いところが良いですね。こんな感じで戻る時に、え、蹴ってお尻に、えっと、力が入ってることを感じながらやってください。ま、10回いきます。5、6、7、8、9、10。え、左も行きます。50234568910。え、こう踏み込んだ時にえっとお尻に負荷がぐーっとかかってそのまま負荷をかけながらこう蹴って戻す感覚ですね。お尻にガンガンに効いております。で、えっと、今のの、え、今は前に行ってますが、次は後ろに行くバージョン。こんな感じです。1こっちから行こうか。1、2、分かるかな?え、こ向きか。これがいいか。こう下がる。オッケーですか?じゃあ10回いきます。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10。え、左も行きます。ま、これ慣れない人は結構グラグラすると思うので、手をなんかこう振るとバランスが取れますね。1こんな感じ。2、3、あ、ついでやからこんな感じ。笑顔で89。結構しんどいです。10。え、どうでしょうか?これ3種目1回やっただけでもなかなか来てると思うんで、え、頑張ってもう1セットですね。今の種、え、3種目やってみてください。
ネムの料理教室の時間です。え、今回はお米のサラダを紹介します。え、ご飯さえ炊いてあればですね、え、これは火を使わずに、えっと、混ぜるだけでできる非常に簡単な料理です。え、そしてめちゃくちゃ美味しいですので、え、是非ね、やってみて欲しいですね。じゃあ、作り方紹介しましょう。本当に簡単です。
え、使う材料、ま、こんなもんです。ま、お好みで色々あの、アレンジしてもいいんですけどね。えっと、ツナ缶と、えっと、ハム、そしてイタリアンパセリは絶対いりますね。あと、ま、レモンもいります。え、ま、あとキュウリとチーズでオリーブと、え、ミリトマトを、え、並べてあります。大体こんな感じで用意してくれたらいいですね。ま、分量も大体でいいです。
では、作り方です。え、これはもうね、本当に簡単で、え、ま、炊いてある米をですね、え、水で洗ってぬめりを取ってザに開けておきます。で、えっと、米をね、先に味付けするとうまくいきます。えっと、[咳払い]オリーブ油、え、大さじ2で、レモンをあの、絞れ入れます。ま、半分ぐらい。ま、お好みでもっと増やしても減らしてもいいです。で、塩、塩加減大事でね、えっと、このバランスでうまくいきます。で、え、胡椒、少々で味付けと。で、あとは、ま、そのこんな写真の感じで、え、それぞれもうなんか細かく切ったやつを、あの、なんていうか混ぜて、え、それで完成です。ま、料理というほどのものでもないですね。え、簡単です。
え、もうあっという間にできてしまいます。ま、材料をね、切り揃えるあの手間がありますけど、あとは混ぜるだけなんで本当にすぐできます。え、であ、最後飾りで茹で卵を飾あのね、乗せてますけど、ま、これはあってもなくてもいいです。で、えっと、あ、さらにあの乾燥パセリも最後かけてますけど、これもあってもなくても別にいいです。イタリアンパセリ残しておいて最後にあの上にかけてもいいしね。え、というわけで非常に簡単でものすごい美味しいので、え、是非作ってみてください。
はい。え、授業お疲れ様でした。えっと、トトロの王が、ま、祖心であるっていうこの分析、えっと、柳田国を説に従えば、ま、明らかにそのタイプの、え、神だろうという風に言えるわけですが、え、これ実はその先がありまして、この授業ではもう扱えませんが、えっと、トトロが妖怪かどうか、え、という、そう いうあの観点で論じることも可能です。で、これ、えっと、あの、つ森の、えっと、祠がありましたね。あの、祠がどうにもなんか錆びれてるというか、廃されてると いうか、なんか、あの、もう、えっと、全然人の手が加わっていなくて、ボロボロな雰囲気が出てますよね。あれ、つまりもう、え、つまりそこの祠は神、え、人々によって、え、祭り上げられていないような雰囲気が出てます。これがまたね、1つあの面白い、えっと、観点を提供していて、ま、この需要ではもう扱う余裕がありま せんが、え、興味のある人はですね、あの、えっと、2期にやっているフォークロアエスノロジー研究で、え、トトロは妖怪家という、こういうテーマでお話ししますので、え、是非受行して欲しいですね。えっと、今日扱ったあの祖心の話。えっと、山の上に、えー、魂が集まって祖霊になるっていう。ま、その話から解き起こして、え、そして、えっと、その祖心が、え、妖怪に変わっていく過程とかね、柳田国は実はそういうことも論じてます。で、この授業ではそこまで話しませんでしたが、ま、そういうことを、ま、1つ授業のテーマとしてやりたいと思ってます。え、フォークロアエスノロジー研究面白そうでしょ。えー、是非ね、そちらも受けてもらいたいなと思います。
え、それでは、え、また次回、え、YouTubeでお会いしましょう。さよなら。
[音楽] [音楽] [音楽] [音楽]