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評価基準がわかりにくいスポーツがモヤモヤします

為末大学 Tamesue Academy11:34

Transcription

た大学の質問コーナーです。昨年のオリンピックでブレイキンが行われました。とても盛り上がり注目を集めた一方で、ルールの分かりにくさなども浮き彫りになったかと思います。最も大きな問題点は審査基準の分かりにくさ、つまり単に技の難易度や成功率を競うだけでなく、表現力や芸術性といった部分も評価基準になっていることだと思います。これらは数字の落とし込みにくい点です。難しい技をやっていたけど芸術性にかける、簡単な技が多かったものの表現力に飛んでいたなど、観客からしたら「どのあたりがそんなの、審査員の主観 じゃん」という気持ちになるジャッジも少なくありません。私自身もブレイキンと同じストリートカルチャーにルーツを持つスポーツをしているため、同様のジレンマに悩んでいます。たさんなら、このようなスポーツの審査基準をどのように設定しようと思いますか。

ありがとうございます。これは非常に面白い問いですね。うん、ま、えっと、ま、簡単に言うと公平性と、ま、評価のシステムってことなんだろうと思うんです。公平な評価システムとは何かっていう。あの、これはま、どっから行こうかな。じゃあ、厳密にですね、これ評価基準やっていこうと思うとしたら、ま、例えばこの技ができたっていうものを、その時の安定性とかをですね、え、ま、主観で言ってるものだったとしてもですね、100人ぐらいの審査員の方が、「これはいい、悪い、なぜならば」って説明してもらって、その都度その画像にあの学習させていけば、ま、これデジタル上でですね、結局表現力に飛ぶっていうことは、ま、この手とか体との関係性においてのこの振りの大きさだったとか、そういうのが見えてくると思うんです。で、最終的にそれらが学習したAIがジャッジしてやるっていう方法はあると思うんです。これブラックボックスで評価基準が分からないけど、少なくともどうも公平そうだってことは分かっていくと思うんです。あれと似てますね、あのカラオケの採点システムと。カラオケの採点システムでいい点出たってやったりしてますけど、本当はどんなメカニズムが後ろに、ま、音程っていうのは、ま、1つありますけどね。でも、もうちょっと複雑なのでいくと、一体どんなシステムを後ろ走ってるか分からないけど、でもどうも確からしいシステムで評価されてんだろうなっていうことが言えると思うんです。多分これがいわゆる演技系の競技で公平性を追求していくと、これにならざるを得ないんじゃないかと。

それがどうしても不満なら、AIっていうシステムを3つ4つ走らせて、大陸ごとのですね、文化圏の反映して、西洋人はやっぱりちょっとこうでしょうとかっていうので、西洋系AI、ヨーロッパアメリカ系AI、それから東アジア系AI、中東系AI、アフリカ系AIとかて、ま、コンチネンツごとのAIとかですね、え、なん、そんなやり方もあるかと思うんです。で、それらの総合点で競争しようと。ただこれの問題点は、え、カラオケも同じようにですね、カラオケでいい点を取る歌い方とは何かから表現が決まっていくことになるんだろうと思うんです。ここがなんかね、表現の世界の面白いなって私思うところで、つまり最終的な基準がはっきりすればするほど、そこに合わせた鍛え方をしていくわけです。で、これがどんどんどんどん何回も何世代も繰り返されていくと、どっちかというと人間機械化みたいになってくわけです。人間をある評価システムに機械的に合わせに行くことで、点が取りやすくなるっていうことです。

で、でもでも例えばですね、じゃあカラオケがいい例なんでカラオケでいう話すると、カラオケでいい点を取る人がじゃあすごいアーティストになるんですかていうと、これまた別の話になるわけです。もしからしたらアーティストの方、カラオケだったら低い点出るかもしれないわけです。で、それ構わないと思うますよね。なぜならば好きだからその人が。で、このアートの世界って言んですかね、表現の世界は、あの評価人によって良い悪いを決める世界と好き嫌いで決まってる世界があって、この好き嫌いがあるからこそ、その世界が結構評価されてるみたいなところあるわけです。特にアートみたいになってくると、もう完全好き嫌いの世界とか、ま、色々説明はするんでしょうけど、好き嫌いの世界になってくるんで。それはでも、それがなくなっていいのって感じなんですね。

で、特に何か人が何かを表現する時に、ある評価基準に向かって自分を最適化していくってことを考えた時になんかどうも私たちは人間らしい営みじゃない感じがするわけです。例えば絵を書いている人が、何々しっていう絵はこの線の描写とかのこのブレが小さい人の方が評価されるとか、色々そういう準があって、その通りトレーニングしていると、できっちりできたと。で、最後にインタビューでおめでとうございます、優勝で。で、あなたはどんな絵を書きたかったんですかて言ったら、「え、優勝する絵を書きました」という。で、あなた絵は書きたいんですかったら、「優勝したかっただけです」っていう、こういうことが起こり得るわけです。で、それでいいんだろうと。優勝だけなら。だけどなんかどっか私たちの中に、アートや表現っていうのは、その人の内にある何かが身体を通じて道具を通じて外に表現されたものなんだろうと。で、そこを通じてその人の内側を私たちは見てるような感覚を覚え、またはその表現を通じてその人の背景による社会性とか文化を見てるような感じがして、それも含めてそこが素晴らしいって言ってるような気がするんです。アーティストも、あの年齢重ねて結構ある年齢ぐらいになってくると、大体皆さん自分自身の生まれのこととかおっしゃいますよね。自分は何人だからとか、どういうことだからこの表現になってて、文脈ができ始めると思うんです。ま、若い時からそうなんですがね、わかんないけど。ま、それつまり人間はこう服装的で、表面に見えてる個人ってのは小さなもので、背景にいろんな文化とかものがあるからなんだろうと思うんです。

ま、ということなので、この評価基準がはっきりすることは、あ、一応やれると思うんですけど、基準懸命で。ただやった場合に、その競技が持っているアイデンティティみたいなものの根幹に私はヒットしそうだなっていう感じがあのしてます。ちなみに体操はAIで富士通さんがですかね、開発してやったって、おっしゃってましたね。細かい例ですけど、局所の1つの例であげると、え、例えば膝が伸びてるって評価も3、4段階だったらしいんです。よく伸びている、伸びている、ちょっと曲がっているとか、そういう評価なんですけど、それ審判の人たち結構ばらついてたみたいで評価が。で、最終的に揃えていくと、え、伸びているだと180度で、1700度とか分かんないけど、ちょっと曲がっていると、やや伸びているとか、そういう風に細かい数値を出して、それを温めて体操の動きを評価できるようにしたっていうことみたいです。だ、体操の世界はもう完全に出来上がってますよね、評価基準がくっきりするんで。トレーニングもまたそのそこに最適化されるためのトレーニングになっていってると。でもあれをヒップホップダンスとか社交ダンスにはめるとなんか多分私たち抵抗を感じる気がするんです。そんなことより、その人が動きたいように動いている姿を見て感動するような気もするんです。だ、なんか方向が私はちょっと別のものなんじゃないかなっていうのは思ってるところですかね。

ですので、いつも私はこのストリートスポーツがオリンピック入りする時にいつも感じるんです。それは本当にその方たちにとっていいことなんだろうか。私たちの世界はとっても優等の世界で、そして公平性を異常に重んじる世界で、向かい風か追い風かで厳密にじゃないととかってやる世界なんでね。この世界に来ることが本当にいいことなのかなってのは思ったりしますか。

また余談ですけども、このどのような表現を良いものと見なすかっていうことって、つまり評価基準ってありますけど、その評価基準を決めるための背景にさらに価値観ってあるわけです。で、ここって1番ふわふわしてるますけど、ま、考えてみるとめっちゃ強力ですよ。なぜならば、このふわっとした価値観を現実に落とした、つまり体操とかの動きもですね、なんでそれを良いとするのって基準が必要です。あの説明が必要ですよね。膝が伸びてるといいんです。なん でって言うと、ま、美しいからとかしか言いようがないわけです。そっちの方が早いからとかじゃないんでね。やっぱり演技系は。で、美しいからとか、ま、元々そうだからとは言うかもしれないですけど、ま、多分美しいからだと思うんです。じゃ、美しさって色々あるじゃないですか、文化圏にもね。いろんな、じゃ、何を美しいとするのっていうと、今度価値観の話に入ってくるわけです。つまり構造的にアスリートっていうのは、あるルールの中で演技をしてる競技をしてんだ けど、そのルール自体は価値観によって定められてる。価値観がルールを決め、そのルールのに最適化されるように選手がプレイしてるってこういう構造なんです。じゃあ、この価値観って何が決めてんのっていうことが考えると、これは私は結局、ま、いろんな時代の空気もあるんですけど、やっぱり文化の発信の基準の作る力っていうんですかね。うん、ま、例えばハウトだったりとかですね、そのルーブル博物館とか、そういうものが柔らかく影響を与えてるんじゃないかと思うんです。直接的じゃないんだ けど、あの本の中でですね、なんだっけな、「収集とは何か」みたいな本があるんですけど、これは元々シオ主義の世界にいた金融の世界にいた方がアートディレクターになって、アートの世界を資本主義的に説明するっていう非常に面白い本なんですけど、この中に大英帝国博物館とルーブル博物館っていうのは、やっぱり非常にフランスとイギリスにとって重要なもんだと。なぜなら、あそこにBを陳列するっていう権利を有してるからと。つまり美しさを並べるってことは、何が美しいかをそとなく世界に伝えるシステムを持ってるんだと。で、これが強力なんだと。ま、確かにこのBBのシステムにより、ま、結局価値観なんてなんていうか、そうそう相対的なもんと言うんですかね、なんか空気にも影響されるもんなんで、このBがルールメイキングの時の何か根本的な地続きのものに影響を与えてるんじゃないかと。だ、だからここを抑えるってことは非常に重要な んじゃないかと。ま、考えてみると、今ヨーロッパルールメイキング1本1本って言ったか、でもメイキングで戦うね、あの国家っていうか、そういう地域になってますから、そのルールメイキングに大きく影響与えるようなものってやっぱ握りたいですよね。ま、そう考えていくと、ユスコ、それからIOC、それから大学博物館、ルーブル博物館、様々な世界をノーベル賞もそうですけど、表彰する何かっていうのをヨーロッパが全部有してるっていうのは、文化的歴史的な背景もあるんですけど、やっぱりそれは1つのヨーロッパからおける世界に対しての戦略の1つでもあるのかなという風に思ってますね。