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飽きについてどう向き合うといいのでしょうか?

為末大学 Tamesue Academy12:25

Transcription

はいた大学の質問コーナーですね。Q&Aコーナーです。

あるYouTubeチャンネルがある大学の4年生メンバーに、大会の度にインタビューを行っていました。最初はとても興味深い内容で、とても身のある内容でしたが、回数を何度も重ねることによって興味深さが薄れ、身のない内容へと変化し、頻度が多すぎることで価値が薄れていき、頻度が多いことの弊害のようなものを目の当たりにしました。私はこの現象に非常に興味深さを感じております。

いいですね。好きな食べ物を毎日食べ続けていると飽きていくような感覚と、どこか少し似ているような気もします。選手はこのような現象に対しての向き合い方、メディアはこのような現象に対しての向き合い方、そして我々第三者のそのような媒体への向き合い方、またそのような現象の存在についてお聞きしたいです。長い文章になってしまいましたが、よろしくお願いいたします。

これはもう私の大好物っていうか、これ素晴らしい感性ですね。やっぱりこういうのだと思うんですよ。その、ある出来事に出会って自分の心がふっと感じたことを面白いと思って、「どうして私はそれをそう感じたんだろうか?」そこから人間理解が始まると思ってるんですね。

以前、全然別の方と一緒にいる時に、すごい面白い出来事があった時に、その人が「なんでこれこうなってんだろう?」という風に言って、私は「どうして僕はこれを面白いと思ったんだろう?」という風に言ったんですけど、これやっぱり典型的な、外部に興味持つ人と内部に持つ人の違いなんじゃないかと思います。多分私と性格が似てらっしゃるんじゃないかと思いました。

で、これなんでこんなことが起きるかということの考察なんですけど、まず1つ、おっしゃる通り慣れですね。人は飽きるものですから、同じことが起きてると慣れて飽きていってしまうっていうわけなんですね。

で、ただですね、同じものでも飽きないようにする方法ってのもそれなりにはあると思ってます。例えばですね、え、毎回同じ質問をぶつけていって、毎回同じことが帰ってくるとこれ面白くないんですけど、前回こうおっしゃってましたけど、今回前回やろうとしたことが今回できましたか?となってくると少し変化があるわけですね。または、いろんな角度を変えていって、その人の人となりを当てていくとかですね。え、ま、全然違う関係を持ってくるとかですね。ま、少しはあの面白くし、すいません、私これを自体を見てないので分からないんですけど、ま、いろんな角度を変えながらやっていくことで、空を避けることができていくわけです。

で、何よりもこれ大事なことは、撮ってる自分とか、やってる自分がそれをすごい面白いと思って掘り下げてるってのは非常に重要なんですね。で、こったの難しいのはですね、面白いと思って掘り下げながら、だんだん自分がそのプレイヤーとして掘り下げながら、それを見ている観客の自分ってのもあって、「これって俺たちなんかタコつぼに入ってない?」いっけ、これよくあるんですけど、仲の良い人たち同士が作っていくと、なんかすごい身内のりになっていって、なんか急に白ける瞬間ってなるわけですね。なんかな、なんなそれ、あんたたちでやってたらいいでしょっていう。で、それが外にも開かれているか閉じているかってことの境い目って非常に微妙で、ま、その辺をちゃんと自分の中で感性でコントロールしていく必要があるかなと思いました。

で、頻度が多いことの弊害っていうのはこれ、おっしゃる通りなんですけど、ただ頻度が多すぎてもいいやり方があって、それはなんか淡々としているってことなんですね。例えば、これ私YouTubeのQ&Aですけど、毎日アップしてますから、まあ本当どうで、なんていうか、こんな毎朝おっさんの話聞きたくないよっていう人もいると思いますけど、まあなんて言うんでしょうね、あんまり私なりにも面白くないことは続けられないので、自分が興味深いな、ま、幸い皆さんの質問非常に興味深いので、それに答えていて楽しくやってるんですけど、ま、淡々と続けられるようにやっていきつつ、ま、なんかちょっと毎回視点が違ったりして、「あ、そういう感じか」と。だから過激さを狙ったら必ず満ねりという、え、副作用がついてくるっていう感じなんですね。

だからご飯が飽きちゃうって言うんですけど、白ご飯はなかなか飽きないんですよね、人間。なぜかって言うと、淡々としているからと私思っていて、これがあの分からないですけど、ビーフストロガノフとかだと飽きてくるみたいな感じになるかなと思います。だから主食的なやり方でいくのか、そういうちょっと晴れと系的なですね、なんかお祭りのような食べ物でいくのかっていうのは、とっても一つ選択かなと思います。

で、今アテンションエコノミーと言いまして、社会にあるメディアってのは全部世の中の注目を引くようなインセンティブ設計になってるわけですね。唯一そうなっていないのは、え、サブスクリプションで課金できるもので、これは過激にやらなくても毎月人が入れていただけるので、比較的安定的に、え、その時の過激なものを追っかけずにやっていけると。一方、広告がつくようなものはとにかくどのくらい見られたか、どのくらい着目集めたかが大事なんで、え、なんかその時のテーマがあって、兵庫県知事選つったらわあって、ま、僕もそれ配信しちゃってましたけど、すいません、片方の方とよく知ってたんで興味あったんでやったんですけど、まとにかくわっといったりですね、え、こっちテーマがあったらわーっといったりするってのは、その時にわっと人の目が集まるんで、そこで自分が、あるトラフィックを集めると、集めたトラフィックに応じて広告費が入るっていうビジネスモデルなんで、ならざるを得ないんです。

でもそうなってないサブスクリプションは、行こうが行く前があ、人がお金を払ってくれるわけなので、淡々と比較的ですけど、淡々と積み重ねられると、ま、世界的にこれでうまくいってるメディアっていうのはNetflixと、ま、国内においてはNHKですね。このビジネスモデル、ま、これをNHKの場合はビジネスモデルというかわからないですけど、ま、そうなってる。

で、ま、なので、え、そのアテンションエコノミーやるってのは、ま、簡単に言うと、その時の流行りのあの店を作り続け るっていう感じなんですね。え、今日はなんか派手ななんとかだ、なんとかだ、中華だって繰り出していくっていう感じなんですけど。でもそうじゃないやり方ってのはなかなか今の時代難しいんですけど、ま、私このた大学ってのはとにかく、え、主食のようにやろうっていうのと、え、あのNHKの言いテレのようにやろうっていうのが、ま、車内でのコンセンサスで、とにかく淡々としっかりと毎回落ち着いてやっていって、で、派手じゃないかもしれないけど、なんかじわじわとこれ楽しいかもなって思ってくださる方が出てくるような、ま、あんまり、え、めかし込んでいくお店じゃないんだけれども、家の近所にある中華みたいな感じになっていけたらいいなという風に思ってやっております。

で、これについての向き合い方なんですけども、これ非常にですね、私自身の経験でいくと、自分の人生ってのが本当に世間に本されていたなと思います。これ別に世間が悪いんじゃなくて私なんですけどね。要するに中学生の時に初めて全国大会で私優勝するんですけど、そうするともう学校の先生、それ浮き足立つわけですね。あの私最、私の顧問の先生は非常に落ち着いた方でしたけど、でもなんか隣のクラスの先生がなんかすごい、なんかわあっとチェしてくれたり、え、メディアの方もたくさん来たりとかするんですけど、でも高校になって成績が落ちるとふっとみんながいなくなるんですね。これ面白いことに、誰がいなくなったか私今でも顔と名前が一致するぐらい、ま、傷ついたんでしょうね、当時ピュアだから。すなって、高校3年になるとまた全国大会チャンピオンになるとわっと注目はで、大学1、2、3で悪くなるとまたさっと引いて、で、メダル取れと集まるっていうのを、これ3、4回私波が来て引いていくってのを繰り返し ていくうちに、だんだんとどうもこれを追いかけてしまうと、まるでえ、自分のを追いかけて最後はバターになってしまった、あの虎でしたかね、あのそんな風になっちゃうんじゃないかっていうのにさすがに気がつくんです。3回目ぐらいから。

で、かといて世間と距離なんて取れないんですけど、でも少なくとも世間の注目集まる時に自分がすごいすーっと冷めてく感覚が出てくるし、世間が離れていった時になんか自分のの中で「よし、こっから頑張るぞ」って気持ちが出てくるっていこう上手な引き方が分かってくる感じですかね。で、ま、結果として、ま、川底に住む、川底を歩いていくようにっていうので、ま、川の上とか海のの上ではいろんなこと起きてくけども、自分はとにかく地面に足をつけてゆっくりゆっくり石を抱えて、川底で足がつきながらそれを歩いてくんだっていう、ま、こういうこれ性格はあるんでしょうけどね、ま、その波に乗って行けるとこまで行っちゃえっていう方もいて、ま、実際にこれでダンてブレイクすることもあると思うんですけど、ま、私は性格的にはあんまりそれができなかったので、淡々とやってくっていう風になっていくわけです。

だ からとにかく世間を追いかけてしまうって いうことは、まずっとそれをやり続けることなんだっていうことなわけです。かといって世間と速歩を向いてしまうと、これビジネスとしてもなんか社会との関係も成立しないしっていう、ま、そういうことなのかなと思ってます。

で、ま、皆さんはど、あのメディアの方は、ま、先ほど言ったビジネスモデルのところで、個人としてはその淡々とやるとしかないっていうことで、第三者はどうすればいいんだろうっていうと、ま、理想はサブスクリプションなんです。実はこの、あの我々のメディアもサブスクリプション一応作ってんですけど、ま、それをやりたいっていうのも、とにかくサブスクリプションモデルとアテンション集めて広告費が入るってモデルの比率が悪いとどうしても派手な方に行くわけです。ま、幸いうちの会社の場合は、ま、別の事業からの利益をこに突っ込み続けていくんで、ま、淡々となんとかやれてますけど、ま、そんな風に、あの比率をですね、やっぱり一定保つってのは大事なんですけど、ま、第三者の方は、ま、サブスク入ってくださいっていうの、それうちとしてはいいですけどね。

でも、それはそうとして、なんとなくこうちょっと歴史感を持つっていうんですかね、時間軸を広く持ってみて、今例えば2年前とかの新聞を今読んでみて、あの時の熱狂って何だっけとかって見てみるとか、ま、そんな風に、ま、なんて言うんでしょうね、あんまりこう常に興奮した状態を求めないで、ま、祝し淡々とやっていくっていうのが、あの別に正義、それの方が社会にとって正しいとかじゃなくて、ま、人の心の平穏に私はいいんじゃないかなと思ってます。ま、自由ですけどね、それもどんな風にやられるかなので。

私たち はそうなってる。で、最後に少し長くなりますけど、これパッと社会を見渡してみて、1番貴重、貴重って言うんですかね、希少なリソース、1番これがは数が少ないんだと、1番これをみんな取り合ってるんだと、リソースは人間のアテンションだと思ってます。人の意識がどこに向かうかっていう、株式市場もこれですね。やっぱり人のアテンションを集めることで株価がそこに高くなり、そのことによってM&Aをしやすかったり、いろんなことしていくと、メディアもそういう風になってると、政治もそうなってるということで、人のアテンション、ま、人間の意識って24時間の間にある一定量しかないんで、このアテンションをどこに向けるか、どうやって集めるかっていう競争を社会はしてるように思うんですね。

で、社会はそうだからアテンションとにかく人のアテンション引きたがると、広告も何もも全部そうですけど、一方で自分個人としてはこれ何も考え てないと外部からやってくるアテンションを引っ張ろうとする力学に負けて、ずっと人に着目されるところやっていきついぞ、人生を終わる時に「そういえば私が本当に注意を向けたかったことは何だっけ?」ということになりがちなんですね。ですから、あの個人の人生としては、この1番社会において、この現象は社会においてはアテンション、人間のアテンションっていうのは1番貴重なリソースで、このスマートフォンも結局はアテンション集め競争が多いと思いますから、ま、その中において自分の側にアテンションを選ぶ権利を持っていくんだっていうことが、え、人生の向き合い方として は良いんじゃないかなと思っております。