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運動神経が悪いのはなぜですか?

為末大学 Tamesue Academy9:56

Transcription

ため大学の質問コーナーです。いつも興味深く拝見しております。質問なのですが、ため勢さんはいわゆる運動神経が悪いということは身体的に見てどういうことだと思われますか?

私は今40代後半で数年前から趣味でクラシックバレエを始めたのですが、元々運動音痴でステップなどの早くて複雑な動きをイメージ通りトレースすることがすごく苦手です。運動神経が悪いというのは鈍いとか感が悪いと言い換えることもできると思います。個人的には蒸気のようなトレース能力の低さがそのような運動神経の悪さの中核にあるのではと思うのですが、いかがでしょうか?またこのような運動神経の悪さは改善できるのか、できないとしたらどのように補えばいいのか、ためさんのご意見をお聞かせください。

はい。え、運動神経の正体は何かって非常に興味深いですよね。うん、これトレースってのは要するにあれですかね。模倣するってことでいいんですかね?他者がやってるものね。ま、これも非常に大事な能力だと思うんですけど。

これはですね、め、名なんですけど、ベルティっていう確か名前だったと思いますけど、方がですね、デクステリティ。匠っていう、え、日本語で言うとね、デクステリティって本書いてるんですね。これ要するに人間の、えー、ま、様々な能力ありますけど、この運動能力と呼んでるものの根幹にあるのは匠さじゃないか。いかに匠に身体を使えるかってことはやっぱり能力の根幹じゃないかと。ある種の運動神経と言っていいかもしれないですけど、一部ですね。運動神経でこの匠についてずっと説明している、ま、身体論が好きな方は是非読んで欲しい本なんですね。

で、このな、どんな風にまず説明してるかというとですね、身体を扱うとはどういうことかって色々説明するんですけど、ま、非常に興味深かったところはですね、人間の体ってのは、ま、腱があって筋肉があって腱ですよね。で、その間に骨がついてると。で、骨のですね、この周りに筋肉と腱が外側を覆うようについてますね。だからイメージで言うとですね、私が手を動かすっていうのは、ま、な、何て言うんでしょうね。この棒が付いてて、その棒の先っぽについてるのをこうやって引っ張ることで自分の手を動かしてるもんなわけですね。こうやってこの肘側の筋肉がで、これがまず全身であると。で、さらにそのことだけでもちょっとマリオネット的で難しいんですけど、実はゴムと筋肉と腱ってゴム的なものなんで伸び縮みするわけですね。で、伸び縮みするってことは引っ張るとこうなるわけじゃなくてちょっとタイムがあるわけですよ。ビヨンとあの屋台のこうよみたいなもんですね。これちょっと落として引っ張り上げて同時に上がらなくてちょっとしばらく伸びた後に急に追いついてくるわけですよね。で、これを全身でやってると思うとですね、難しさがお分かりだと思うんですけど、確かデクステリティの中にこういう描写が出てきてですね、おへその先に棒を伸ばして、で、棒の先から紐がついてると、これを右手と左手で持ってますと。で、さらに頭にも紐がついてると。この3つを使いながら棒の先を上手にコントロールするわけですね。ただしこの付いてる紐はゴムであると。で、それを、ま、簡単に言うとそれをやりながらビタッと止めるだけで難しいんですけど、我々、え、人間、人類はですね、これをやってるわけですね。この瞬間に止めるってことはそのゴムがビヨンとならずに止まってるっていうま、この複雑さを考えるとですね、ちょっとやそっと400ハードルが早く走るとか足が遅い早いとか爆転できるできないなんてどうでもいいぐらいの複雑なことをすでに人類である前提で立てばですね、みんなできてるわけですね。ま、まずこのことの方がアメイジングだっていうのが私が思うところなんですね。だから細部に行けば運動神経に下がるように見えるけど、これを遠く見ると人間ってのは全て人類とんでもなく複雑なことをやってのけていると。

ま、とはいえですね、それでしょうねですけど、それで説明つかないわけですね。で、じゃ、一番興味が悪いのはこれ運動神経の正体何かって言うと、おそらくですね、そのことをこうしたいとまずイメージで思うってことと自分の知覚に出してそれが実際に行われるっていうこのプロセスの中にあのずれが生じる、ま、私は音痴なんですけどこういう声を出したいのに出てくる声が違うんですね。で、まずこのこと、このずれが生じてるってのは大きいんじゃないかと思うんですね。あの、以前たさんがですね、なんか自分が思ってるように手が動いたり、足が動いたりしてないっていう風におっしゃってますけど、まあまさにああいう世界でこう動こうと思ってるんだけど、それがうまくそこに調整できてないっていうことが人体で起きてる可能性がまずありますよね。

で、2つ目ですね。で、これは確かめるのが難しいんですけど、私結構あるんじゃないかと思うんですけど、そもそもこう動こうというイメージがクリアではないっていう場合もあるわけですね。これ実は私、ま、繰り返しますけど、私音痴なんで、あの、聞いただけで はですね、こういう声を出していきたいってのはあんまクリアに多分浮かんでないんですね。だからそこに当てに行ってなんか音が外れてるは分かってもどのくらい外れたかどっちが外れたかあんまよくわかんないんですね。だからフィードバックが聞きにくいわけですね。学習も聞きにくい。なぜならクリアにこういう音を出したいっていうのはあんま浮かんでないから。だからまずこれがトレースに近いんじゃないかと思うんですよ。見たものを自分のものとしてこう動きたいと思いで、まずそれがクリアできるか第1段階で、それに対して自分が動いてみてうまくできてるかを客観評価してずれてるかどうか分から ない。これ第2段階です。そして第3段階ですね。これ何かって言うとずっと私たち鏡で自分見てるわけにいかないですから自分の身体を動かしながらあずなとかずれてないなってことを感じながら修正をかける必要があるんですね。で、これは視覚的には無理なんですね。あの、自分の全身にいられないですから。そうすると自分が身体で動きながらこの辺でなんか動きをこうこう誓みたいなものが身体にあるそうなんですけど、そういうものがどんどんどんどん情報を拾ってフィードバックして若干ずれてますよとか、うまくいってますよみたいな情報が入ってきながら修正してんですね。こういう動きの中からも。で、このリアルタイムのフィードバック、ま、フィードフォードって言ったりするそうなんですけど、これをこうぐるぐる回しながら微調整を行っていくっていう、つまり大きな、え、クリアに思う高期待で、それに対して動ける得る、そしてさらに動こうと思いながら微妙に出ていくずれみたいなものを修正していくと小さなずれ修正サイクル、大きなビジョンがあって小さなずれ修正サイクル、そしてずれるところもちゃんと、え、自分で何のずれが起きたかを自覚学習していけるサイクルっていうこれらが回って人は運動神経がうまくなっていくんだろうと思うんですね。

で、え、まず学習できるかって言うと私学習できると思います。ま、幼少期の方がですね、いいっちゃいいんですけど、大人になっても十分学習可能だと思うんですね。好きな人もある領域を絞ればですね。で、子供の方がいいのはですね、言語と一緒で、ま、まだ環境に対して適用が曖昧な時にその動きを繰り返せば回路ができてやっぱりうまくなっていくので、ま、これ第1位であると思うんですけど、大人になると固まりますからね。その中でやるしかないけど、ま、これはこれで面白い話なんでね、いいと思いますよね。

で、じゃあどんな風に運動神経鍛えられるかって言うとですね、私は結局うん。まあ、ある領域も決めてあるんだったらですね、バレーやられてるってことなんで、ま、やっぱり結局バレーをよく見るっていういろんなパターンを見てでやってみるってことと、そして良いコーチにフィードバックをもらうって、なぜなら自分自身でセルフ、え、客観視をしてフィードバックを自分にかけることができないと思うんで、最初に、な、これ誰もできないですから、どんな優秀な人でも。だそれをちゃんといいコーチからそのフィードバックをもらいながらいいっぱい見てで自分でやってみてっていうこれらをぐるぐる回していくってことでうまくなっていくしかないんじゃないかなってのが私が思ってるところでございますね。

なので運動神経ってのは色々ありますけれども、まあ多分一番のこの正体ってのは、え、ま、見たものをそのままこう、ま、ま、ちなみにですね、えっと、うまくなってくると相手が動いてるのを見た時に自分が動いてるかのように錯覚できるようになってくる。これ実際になんだっけな。ま、ミラーニューロンとかなんかそれっぽい研究の中に確かあったと思うんですね。相手がそういう風に動いてるのを見るだけで自分の側も活性化するっていう。ちなみに他者の感情を推測するのも自分自身の中の心拍数とかから自分の感情を推測しますね。自分のなんか内側にあるような体制感覚とそういうものからで環境を見てあ、こんな状況で人がたくさんいるところで自分の身体が心拍上がってんだから緊張してんだろうって推測するというま、こういう感じで人は感じを見てるそうなんですけどそれは相手にまとめてあの環境でこういう感じだからあの人はこんな気持ちじゃないかっていうま、それと同じように他者の動きを、え、予想してんじゃないかと思うんですね。だからまさに他者の動きを見る時には実は我々観察するだけではなくて体験もしてるっていうことなんだろうと思いますね。で、それはやっぱりコツはなくて、ま、結局ありやありとその様子を何度も見て、え、何度も見て、え、どうやるのかなってちょっと動いてみるみたいなものからだんだんだんだん生じてくる感覚なんじゃないかと私は思っております。