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僕自身が自分で小説書いたりとか小説について考えるようになってからの方が、より小説を楽しめるようになった。
小説家自体は、人間に対してはやっぱりポジティブじゃないと小説をかけないのかな、というか、人間自体を信じてないと、お話を立ち上げらんない。
言語っていうコミュニケーションが、なんか社会の基本のセットになってるんで、すごくこう言語化が、製造に対して有利な武器になってしまってる。言語ができるってことが、頭がいいとか賢いとかっていうことでもないのかな。
小説を読んだ方がいいなと思いますか?無理して小説を読まないといけないってことは全然なくて、自分と本当に合う小説読んだ時は、やっぱ他のメディアよりもすごく強烈な一撃を食らうことはあると思ってるんで、機会があったらとか、精神に余裕がある時とかに試してもらったらいいかなみたいな気もしますね。
クロスディグをご覧の皆さん、こんにちは。フューチャーカード始まります。本日は小説家であり、こちら言語化するための小説思考を書かれた小川サさんをお呼びして、言語化って一体どういうことなのか。そしてこの本の中で小説とは一種のコミュニケーションであるというお言葉があるんですけれども、その辺りは一体どういうことなのかということについて伺っていきたいと思います。今、ま、言語化と言っちゃうとおかしいかもしれませんが、皆さん関心あるテーマだと思います。ということで、本日は小川俊さんにお越しいただきました。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。小川さんは言葉のプロとして小説も配読したことがあるんですけども、SFの小説とそしてこの本は、なんというか、その小説家としての手の内を明かしてる的な本ですか?
ああ、そうかもしれないですね。別にそうですね。その隠してることとかは全くなくて、単純に僕がちゃんとこう言語化できてないことがいっぱいあるだけで、でもでき、異時点でできることは、ま、そのね、あの、言語時にや、やややったつもりではいますね。
本当にその小説ってやっぱりその、ま、アートの一種というか芸術だと思うんですけども、なんか小説ってどういう風に作ってるのかっていうことをこんなにもなんか聞いちゃっていいのかなっていう気持ちにさせられるような本でした。でもなんか僕自身が自分で小説書いたりとか小説について考えるようになってからの方が、より小説を楽しめるようになったというか。
なんて言うのかな。例えば美術館に行って絵を見る時も、ま、もちろんその絵の良さだけを感覚的に楽しむっていうのも1つの楽しみ方だと思うんですけど、その絵っていうのが作られた時代の背景とか、その時にその絵を書き手の人たちがどういうこと考えてたかとかっていう、なんか知識も入れた上で絵を読むと、よりこう楽しむポイントが分かるみたいなとこもあるじゃないですか。ま、だからこう、ま、そういう楽しみ方もできるようになるのかなって気もするんですよね。
ああ。確かこれを読んでから小説を読むと、また違う気持ちで読める部分があるか。あといいなと思ってますね。そしてその小説を正直な話、その全く読んだことないっていう人もこれを読むと、あ、小説ってこういうことなのか、じゃあ1個読んでみようかなっていうところで、ま、最後にまたあるわけですけれども、そういう楽しみ方もできるなという風に思います。で、本日はですね、キーワードをいくつかご用意してまして、本の内容に絡めて言語化の罠、そして小説の定義、え、そして伏線。これはね、本当に本好きとしてはもういっぱい聞きたいことがあるんですけど、あとコスパタイパ、そして小説の面白さ、このキーワードご用意しました。そしてこのジョーカーは、まあ、なんていうか、ここにないものを突然聞くという時に出します。
楽しみにしてます。ありがとうございます。楽しみにしていただけると嬉しいです。さて、ま、でもただ毎回出るわけじゃないですよ。出ない時もあるんですけど。盛り上がらないと出ないですか?いやいや、違います。あの、なんかこう大丈夫かなって時もあるんですけど。感もありますということでお願いします。
まずこうやっぱり言語化っていうのは本当になんですかね、もうあらゆる人が言語化について興味があると思うんですよ、今。で、そのただとはいえ言語化するやり方をもちろん学ぶことも大事なんですけど、その言語化しきる言語化できてるって思ってしまう罠みたいなのもあると思うんですよね。その辺りどうですか?
あ、それは確かにそうですね。あとやっぱり自分が、ま、言語化することが日常的な業務なんで、他の人よりも多分何倍も言語化をしてる気がするんですけど、仕事の上で、あの、言語に押し込めたことによって本来その自分の中にあった観念とか感情とかで削ぎ落とされちゃう部分っていうのはあって、やっぱり1回言語化するとそれが自分の中で歴史としてさ定さ定まっちゃうというか。
うん、ま、それこそ例えば日記を書いてる人だったら今日何があったっていうのを日記に記した段階で、その日あったことの何かをこう捨てて何かをピックアップしてるわけですよね。で、5年後とか10年後とかに見返した時に、その日起こったことっていうのはその瞬間に言語化したものだけが残ってるわけですよね。だからその言語化するっていうこと自体が何かこう自分の中の重要な部分をあの捨て去ってしまっている可能性もあるっていうのは常で警戒しないといけないことだし。
はい。あの、ま、例えば僕なんかはあの小説1本書くと、ま、取材っていうか、このどうしてこの小説書こうと思ったんですかって、こう新聞だったり雑誌とかに雑誌の方とかに聞かれることあるんですけど、そういう時とかに、ま、なんか適当に答えるわけですよね。なんか、ま、実際どうして書こうかとかあんま覚えてないし、わかんないんですけど。こう、こういうことに心を痛めてとか言ってるうちにそうだったことにだんだんなってくみたいな。
で、それは例えばあの学生さんだったら就活とかも面接してなんかね、音者を希望したのはなんかこの時にこういう体験をしてこう思ったからですとか言ってる間に、自分の中で嘘の歴史みたいなのが、嘘というかま、必ずしも嘘とは言えないんだけど、言語化したことによって自分の何かこう不定型だった部分が固まってしまうってことは大いに あるし、それは、あ、ある側面では怖いことだと思いますね。
うん。だからその情報、ま、ま、メディアが変わればその記録してる情報も変わるみたいな、そのレコードとCDとデジタルと色々違うよねみたいなこともそうですけど、やっぱり言葉にするとこぼれ落ちるものもあるし、時間軸っていうそのどっちが先なんだ、言葉が先なのか、事実が先なのかみたいなこと思い返るとありますね。
確かに。ま、でも逆にその自分の中でふわふわしたものが言葉にすることによって気持ちとして、例えば悩みとか辛いこととかを何が辛いのかとかを言語にすることで、辛さのなんというかこう余計な部分がそぎ落とされて楽になるみたいなこともあるし、あの、ま、なんか負側面だけじゃなくて、その削ぎ落とすってことにもいい側面もはもうあるとは思うんですけどね。
そ以外に言語ってこういうものだっていうのはありますか?
そうですね。やっぱ僕は常々思ってるんですけど、あの、ま、現代社会っていうか、ま、人類の長い歴史の中で言語化できる人ってやっぱすごい強いと強く有利だったと思うんですよね。生存においてというか。
はい。で、例えばそう、それこそさっき就活話したんですけど、就活が得意な人って言語化が多分うまい人ですよね。だからいい会社に行けたりとかする人っていうのも基本的にはやっぱりこう自分の希望した会社に行ける人ってのは言語がうまい人だったりするし、人とコミュニケーションするのが上手な人っていうのもやっぱり言葉にするのがうまい人だし、なんか人間ってこのうん、言語っていうコミュニケーションをがなんか社会の基本のセットになってるんで、すごくこう言語化が製造に対して有利な武器になってしまってる。それはいいことか悪いことかってのは別として。
はい。でもなんていうか、その、あの、自分のその考えてる概念とか感情とかを表現するやり方って言語じゃなくても絵だったり、音楽だったり、まあ、なんか造形だったり、なんかその表現の仕方って本来はあるべきで。だからそのなんて言うかな、こう言語ができるってことがなんかそのそれイコールその頭がいいとか賢いとかっていうことでもないのかなみたいな、その1つのその自分の表内面にあるものを表現する1つのやり方として言語があって、それが上手なだけで、でまなんか小説を書いてるんで普段からその言語にするっていうトレーニングというか、ま、作業をずっとやってるから、ま、そこでこうなんていうか、こうそれだけに、それだけがなんかこう決してこうすごいことなんだよっていう風には思わないように自分の中では心がけてますね。
ああ、その逆に自分のフィールドだからこそってことですか?
そうですね。はい。それはもちろんだから言語にできないけど、言語にできないからと言ってその人は何も考えてないわけじゃないというか、何も感じてないわけじゃなくて、それは表現の仕方の問題なんだなっていうのは、それはいろんな人にもね、そう思ってほしいというか、言語にするのがたまたま苦手な、苦手だっただけで、決してそれはなんかその知的が自的じゃないかとかっていう話じゃないなと思いますね。
はい。はい。そう。でも確かにその受け取る言語かもそうですけど、その言葉から受け取るのも能力じゃないですか。やっぱりそこはある程度言語化する力とあの相関がある。もちろん完全に同じではないと思うんですけど、でもそれって結構私はうん、なんというか閉じ閉じてるというか、その言語化されたものをちゃんとそのまま受け取る力ってそんなに、なんていうか、開かれてるわけじゃないというか、そういうことがすごく好きだったり得意だったりする人だけがそういう力があるんじゃないかと思うんですけど、どうですか?
そうですね。ある意味その小説っていうのは究極の言語化の形で。でもその多分対人のコミュニケーションだったらその言葉以外にも身振り手ぶりとか雰囲気とかその人のその表情とか、あの、ま、声のトーンとかいろんなその言語外のあの伝達される情報もあって。で、だからその言葉で言ってることがその伝達内容の全てじゃないわけですよね。
はい。だからその僕はその小説を普段書いてるし、この新しいのも本っていうメディアなんで、究極的に言語のみでその基本的には伝えなきゃいけないんですけど、その普段のコミュニケーションとかっていうのはもちろんその言語の、ものもいっぱいあるし、そういうのをどれだけ組み取れるかっていうのが重要だし、ま、それが開かれてるってことにもなんのかもしれないですね。
うん。うん。なん、その小説ってまたうん、ま、この最後の短編を除いて小説ではない部分だと思うんですけども、小説とまた本とは違うと、ま、本の中に含まれてるけどもという中でその小説っていうのは何だと思いますか?
定義ですか?定義と言われるとかなり自書的な定義になっちゃうんですけど、物語性のある3分とか多分なんかそういう感じだと思いますね。そのつ575とかじゃない。その定形化されてない交互に近い口で喋る言葉に近い文章のことを3分って言うんですけど、ま、そのになんていうかこうストーリーがついてるもののことを小説とは言うと思ってます。
で、ま、ただうんと書き手側のやっぱりその意識として僕の意識としてはやっぱりその小説っていうのはやっぱりその1つの作品というか、ま、アートというと大げさなんですけど、あの、なんて言うのかな、その芸術作品。で、こういう本、こういう風に僕が書いた本とかエッセとか、ま、論文とかみたいなものっていうのはどっちかっていうとそういう芸術性とかじゃなくて、えっと、いかにそのなんていうか、こう自分の主張とかを、ま、エッセはそうとも言えないのかな。ま、自分の主張をこう端的に論理的に読みたいな人に納得してもらうかみたいなところがあるのかなみたいな気がしますね。
あの、言葉っていうのは何かを伝えるためにあると思うんですけど、だからそれ小説っていう形になっているだけで何かを伝えるってことは変わらない。ま、基本的にはでも小説の場合は別に何かを極端と話なし、ま、なんて言うのかな、その視張がなくてもいいというか、ま、多くの諸説は主張とかってないと思うんですけど、ま、商業出版とか、ま、その本にして世の中に送り出す、いろんな人に読んでもらうっていう行為自体は基本的に僕はコミュニケーションだと思ってて。
その、ま、小説であれ、他の本でありそうなんですけど、ま、著者が何かこう書いたものを読者がそれを読み取って感じる。で、その、ま、僕がそのこの本の中でも何度も言ってるのは、ま、著者がこういうことが言いたかったんだよっていうのはもちろん大事なんだけど、こういうことは伝えたかったんだよっていうのは大事なんだけど、究極はやっぱり読者がそこから何を感じ取ったかっていうのがその文章のよしやに関わってしまう。
で、うんと普通人と話をする時とかっていうのは自分は相手がどういう人でどういう価値観を持っててとかっていうのをなんとなく想像できたりすごく仲いい人とか家族だったらよく知ってた。するわけですよね。だから自分が言った言葉っていうのがどう届くかっていうのを結構ある程度想像しながら選ぶことができるんだけど、ま、小説っていうのは、ま、小説に限らず本全般は本当に自分が会ったこともない、自分がその書いてる瞬間には顔もすらもわかんないし、ま、書いた後もわかんないんですけど想像もできない人がそれを読んで、そこから何かを感じ取る。で、その人がその想像もできない未知の人が何を感じ取るかっていうのを想像しなきゃいけないんですよね。各に。それがやっぱりその文章だったり何かをこう世の中に全体に向けて発信するっていうことの難しさだと思いますね。
はい。うん。その、ま、読者の数だけ読み方があるじゃないですか。
はい。それ。どう思ってますか?そのこういう読み方されるんだみたいなことって例えば何かで見たりされるんですか?
もちろん、あの、それこそ、あの、SNS の感想とかもそうだし、あの、うん。なんかのレビューとかもそうだし、ま、あの、そうじゃなくても、も、あの、プロの書の方とか、えっと、同業者の人、がこう書表という形でこう書いてる文章だったりとかで、日々驚きですよね。あ、そういうどあるんだとか、あ、こういう風に書くとこう伝わっちゃうんだとか。もう自分の担当の編集者ですら、あ、こういう風に思われちゃうんだとかいうのは本当に日々起こりますね。それはやっぱりそれこそ読者の数だけ読み方があるんで。で、僕は僕の読み方しか知らないんで、給力的には。だ、それがなんかこう難しいところでありつつはそれが面白いところだなと思いますね。
ああ。それってどう思うんですか?なんかこんな読み方されてるわってその予想外の読み方されてる時にどういう風に感じるんですか?
そうですね。あのそれで言うと最初は、僕もそのデビューした手の頃は、ま、腹が立ってたんですよ。ふざけんなよみたいな。もう一度日本語勉強し直せみたいな。はい。いや、ちゃんとこう書いてあるだろうみたいな。もちろんその間違ってる見方自分の中ではねされた時とか、で、編集者がなんか全然なんだろう、こう検討な感想とか送ってくると、お前よくそんなんで出発車し入れたなみたいな一瞬ちょっと思ってたんですよね、最初は。でもそれはかなり、ま、間違いって言うと、ま、間違いですね。で、まあね、僕は間違いだと思ってて、ま、そもそもその自分の編集者って自分の作品好きで一緒に仕事仕事しようって言ってる人が、そのちゃ正しく読めてないんだったら書き方が悪いんですよね。
ああ。そのやこにこう書いてあるとか言っても、その人間って本読む時にそんな一分一分絶対間違えないようにしようとかって思いながら読むわけじゃなくて人によってはね、そのもうなんか通勤中に読んだりとか、ま、お風呂の中でなんか読んだりとかま、人に最近だったらなんか家事とかしながらオディブリで流してたりとか、ま、その読む時のその集中力って人によってバラバラで、で、なんか自分は書いてるから100回も200回もその同じ文章読み直してるけど、他の人は1回しか読まないし、だからその、ま、その時点で僕の書き方が間違ってるし、だからうん、そのなんだろうな、こういろんな人のろんな読み方があるところで、もちろんその全ての人に納得してもらえる書方っていうのは原理的に存在しないんだけど、自分の伝え方。例えばやっぱりものすごい意地悪い人とかいるんですよね。もうなんか全然話を聞く気ない人みたいな僕の本をもう読む気ないのになんか読ん感想言ってる人みたいな。
で、そういう人も最初はなんだよこいつ。お前なんかもう読むねとか思ってたんだけど、ま、今はなんかこの人はじゃどういう時にその納得してくれるのかなとかって考えてみんのも面白かったりするわけですよね。自分の中にない視点がそこに生まれたりとかするんではい。読者に対してどうアプローチするかで、それいっぱい人がいて、いろんな価値観持ってて、で、こうやるとこういう人には多分こう思われちゃうかもなとか、ここまで言い切るとこの辺の人には野望に思われちゃうかもなとか、ていうのをこう色々考えながら1つのなんか新しいコミュニケーションの形というか、作品ごとに考えてくのは僕は結構面白いしそこでなんか作家としての力の何かが伸びてる感じもしますね。
うん。うん。条件っていうか、その相手がどういう状態で、どういう、条件かで自分の言葉を受け取ってるか、もうそれもう組み込んで。
そうです。もうもちろんもうだから一番集中してなさそうなところに設定するのも面白いですよね。だからもうなんだろう。小学生、中学生とかがなんか課題図書とかで与えられたバージョンとかに合わせるとかぐらいの気持ちで書くとかも面白いし、それこそまももう読む人はもう全集中もう100%本気でこっから何か読み取るんだっていう気持ちで読んでくれてるって前提で書くっていうのもそれはそれでそこでしか書けないこともあるし。
うん。やっぱりだからそのでもどっちにしろやっぱり読み手がどういう状況なのかで、その本を読む時に正しい読み方とかって僕がないと思ってるんで。そのどんな人にでもなんか伝わるやり方ないかなって考えるみたいなのは面白いですね。
ああ。読み手のことを想像してでもそれってだからやっぱコミュニケーションってことなんですね。
あ、そうです。そうです。相手の姿は見えないんだけど結果としてやっぱも読み手が受け取ってしまってるんで僕の言葉を。で、そこで1つ完結するんで、それは僕はコミュニケーションだなと思いますね。
うん。うん。その動画ってその今やっぱそのコスパタイパーっていうのもすごく、ま、人工されてる、すごく盛り上がってきてると思うんですけど動画メディアってどう思います?
ま、これもだから一種のコミュニケーションですよね。この画面の向こうにはおそらくこの動画を見ている僕は想像もできない人がいて、ただ別に僕はその動画メディアでお金を生活していこうと今は思ってないんで、その画面の向こうにいる人の姿を普段から想像してこう改善しようとかって反省することはないんですけど。
はい。はい。でもま、その動画メディアで活躍してる人は多分そういうことをやってるとは思うんですよね。あの豪化してるかどうか別として日々のその動画作りの中で。で、ま、すごく動画ミリアでこんなこと言うのも、ま、動画、僕も動画見るんで気持ち分かるんですけど、小説ってやっぱり大変なんですよ。小説とか本とかって読むの。
はい。動画って1回再生ボタン押したら勝手に流れてくるんで。はい。で、他のことしながらできるし、あの、音声だけでいいなら、特にこういう番組だったらね。そう、別に画面見てなくても内容は入ってくるんで、だからそういう意味ではすごくこうハードルは低い。
だけど、ま、正直あのコスパタイパっていうのが何か僕もよく分かってないところもあって、え、最近ね、あ、そういうちょっと話がもちょっと飛ぶんですけど、コスパの悪いことこそしなさいっていうみたいな本がコスパの悪いことことそしなさいっていう本が発売されてて。で、例えば、えっと、会議はリモートじゃなくて対面でやりなさいとか、無駄な飲み会えに行きなさいとか。ま、ちょっと内容読んでないんでわかんないんですけど、どういう本、どういう主張なのか。でも対面会議やリモートじゃなくて対面でやりなさいっていうのはコスパをだからコスパの対面がコスパコスパが悪いからやりなさいって言ってるに思えるんだけど、対面でやった方がコスパいいじゃないですか。
その別に会議ってできんなら。そう。はい。そうですね。あの、だってさっきも言ったけどリモートと違って大面って言語のいろんな情報のコミュニケーションやりできるから、伝わできる情報量が多いんですよね、圧倒的に。で、無駄な飲み会えに行きなさいとかも僕はすごいひねくれ物なんでコスパ市場主義の人って一見無駄に見えるコスパのいい飲み会えとか多分言ってるんですよね。だからああ、いや、本当の無駄な飲み会って僕も本当に無駄な飲み会行ったことあるんですけど、なん か先輩がただ自慢話し3時間してるだけとかでなんかその後カラオケ行ってなんかよくわかんない昭和会を歌われ続けるみたいな飲み会って果たしてじゃあその著者はそれも行けっていうのかなとか。
だなんか言ったらその一見コスパが悪そう、だコスパ悪いことがいいんだって言ってる人はいやそれがコスパがいいんだって言ってるに過ぎないんじゃないかみたいな、そもそもコスパって何なのって。あ、そうそうそう。そもそもコスパってんなのみたいななん なんか急が回れって言うじゃないですか。でもあれって回った方がコスパいいよって話じゃないですか?はい。はい。そうですね。回った方が近道だよっていう。結局急いでんだったら回った方が早いよみたいな。で、磯が回れをコスパの悪いことっていうような言ってるのとかは僕にとってはそれコスパいいからなみたいな気もしてて、だからコスパって言葉が僕の中でちょっとうん。よく分かってないというか。
っ ていうのを踏まえた上で、で、本っていうのは、ま、すごく、ま、集中力も必要だし、濃度的なんだけど、僕はめちゃくちゃコスパタイパいいと思うんですよね。で、それは多分あの、本読む人みんなそう思ってると思うんですよ。あの、別に日常的じゃなくても、ま、年に何冊とかでもいいけど、ま、この一切本読まない人と、ま、本読んだり、ま、進められた本は読むとか、ま、いろんな本の読むにもレイヤー上があるんだけど、本ってやっぱ圧倒的に情報の密度が高くて、なんだろう。じゃあ本2時間見た時に得られる知識と動画メディアとかを2時間聞いた時に得られる知識だったら、ま、読む本にも読るのかもしんないけど、圧倒的にやっぱりその本2時間読んだ時に情報、知識の方が多いし、ま、それは小説でもそうで、小説って、ま、そのやっぱり読む側に集中力を要求する分、その集中してもし読むことはできればかなりその密度の高いその体験というかあるいはあの想像力をあのが生まれたりとかま、なんかいろんな訓練になるというか。で、それってなんかやっぱ一定の人はそれに気づいてて、本読んできた人と本読まなかった人ってやっぱりある程度のところでその人が持ってるなんて言うのか別に知識があのこのこの世で生きることの全てじゃないんだけど知識の量には結構差がついちゃうのかなみたいな気はして。だからま知識を得たいとかそういうこう気持ちがあるんであれば、ま、本読むのは僕はめちゃくちゃコスパがいいとは思ってるんですよね。どうですかね?原さん、本読みますか?
私も本がコスパがいいと思ってるんですけど、動画の方が頭に入ってくるから、てていうなっていうその目が滑っちゃうというかあ。ま、そう。なんか単純にその言葉を読むも書かれてる文字を読むよりも動画の方が情報接取率がいいからそうしてる人もいる。
それね、なって本がね、合ってない気がするんですよね。だってその人とかもどうせTwitter とか読んでるでしょ。Web の記事とかも読むだろうし、Twitterも読む。TwitterX か。今はね、Xも読むだろうし。だから文章が頭に入ってこないのは、ま、単純に本の著とのその情報とか文章の作り方の相性とかが合ってないだけで、ていう気もするんですよね。どうですかね?
そうですね。確かにその長さとか言葉の選び方とかそういうのが合ってれば確かにそうなるのかもしれないですね。うわ、でもそこはちょっと考えたことなかったな。そうですね。それこそ僕がその受験生だった時とか参考書とか教科書って本やるじゃないですか、やっぱり。本はでやっぱ授業だけ受けてたりとかあの衛生授業の動画だけ見ててたりとかする人よりやっぱり最終的には究極やっぱ本読んで文字で情報得っていうのがやっぱ知識の詰め込みに詰め込みっていうか知識を習得する時に1番いいっていうのがなんかやっぱ体験としてあるからそういうのがあんのかもしんないなみたいな気はするんですけどやっぱりだからうん。本に読むの苦手って人はそういうこう自分今まで自分にこうあったやり方でこう情報とか知識とかを提示してくれる本とあんまりまだうまく出会えてないのかもしんないみたいな。あ、で、それを探してみる作業っての確かにそうですね。それこそ友達から進めてもらったりとかあるいはね、そのなんだろう、あの、こういう動画メディアとか見て、あ、この人の話は分かりやすいと思った人のが本出してたら、それを読んでみるとか。うん。はい。あの、割とね、そうで、本ってやっぱ1冊、2冊読むとそっからやっぱグーンって5冊、10冊って広がっていくんで。はい。やっぱこれだっていうのが見つかると結構いいかもしれないですよね。
うん。の、ちょっとごめんなさい。急で申し訳ないですけど。なんで東大受けたんですか?
僕ですか?学生時代に。東京大学で、え、そして拍手家庭まで結構長く在籍されてるじゃないですか。その辺り、あの、もちろんそのなんていうか、その言語化の力っていうのがある意味そこでその論文を書いたりすることによって、あの、そっちの方に行かれたこともあるのかなと推はするんですけど。
僕はね、色々ね、嘘理由は、嘘理由というかなんかいろんな理由100個ぐらいあの答えてきた気がするんですけど。おお。ま、例えば東だと東大だけが唯一東台行けば1人暮らしさしてくれるって親がああ、それ以外の大学は1人暮らしはできなかったんで、ま、実家から通えって言われてたんで、ま、それもあって1人暮らしがめっちゃしたかったとか。はい。あと高校にいた俺があんま好きじゃない嫌いだったやつがKO死亡だったからそいつよりはいい大学行きたいと思ったとかま色々100個ぐらい細かい理由はあるんですけど、でも当時多分僕ね東大行くとモテるって勘違いしてましたね。なん か1番だってハト大変だから、あの、すごい持てるんじゃないかと思って。
うん。思ってだから半年ぐらい僕は本当勉強スタートしたの遅かったんで53の夏ぐらいからなんですけど、めっちゃ勉強しましたね。で、推薦でなんか大学決まった友達とかがなんか彼女連れてなんか僕の自習室とかに来て俺も大学決まったわとか言って言ってんのに。あ、俺が大学生になったらうはウになるんだみたいなこと考えてた気がしますね。ま、実際全然そんなことなかったんですけど、でも1番実際言動力だった気がすんな、あんまり。あ、うん。あ、そうですね。じゃあそれは嘘理由ではなくて。
そうですね。すごくそ、正直に言うと、ま、色々あるんですよ。なんか新振りがあるからとか、うん。なんか色々あるんですけど。はい。行ってよかったですか?東大ですか?
ま、他行ってないから比較がしようがないんですけど。うん。ま、別に行かなきゃよかったとは思わなかったですね。
勉強ってする意味あると思いますか?
受験勉強ですか?難しいな。うんとね、これ難しくないですか?どう思います?いや、難しいなと思って自分の中では答えは出てないんですけど。いや、高校の勉強とか中学の勉強とかってたまにひょって使ったりとかたまにいろんななんか日常的なことが高校時代とか中学時代の知識と結びついたりすることもあるし、あとその時に身につけた学問のなんか考え方とかは多分すごく役に立ってるし、あと単純にその受験免許する時のもの考え方とか努力の仕方とかっていうこと自体は人間大人になって役に立ってるなみたいな。僕例えばその自分が小説をあの大学で先行しようって思った時に、あの、まず何したかって言うと、あの、僕その時小説は好きなものをパラパラ読んでるだけで、なんかその体型的に知らなかったんですよ。だ、小説研究するために何すればいいのかわかんなくて、その時に僕思いついたと思ったのがまず赤本だろと。はい。その受験受験する時に守を受ける時にやるのってあの過去問じゃないですか?小説の過去問って何だって言った時に岩波文庫の古典を橋からこう1冊毎日読んでくっていう。それとかはもう受験のマインドですよね。そういうのやったりしてましたね。で、それとかは明らかに多分今役に立ってると思うし。だ、なんかそうですね。わかんないですね。そのでももちろん受験をしたことによって僕の考え方とか、なんか知識とかが歪んでしまって、何かこうもっと本当だったらあったはずの豊かな未来がなくなってしまってる可能性もあるし、ま、他の可能性がね、自分が体験してないからわかんない以上ね。無駄だったのかどうかって言われると難しいですよね。
はい。そうですね。やる必要ありますかって言われたら別にないと思いますって言うけど、やって意味ありましたかって言われたら、まあなかったとは言いきれないみたいな。うん。はい。その程で色々得るものはもうあったしなっていうね。そうね。そうな気がしますね。ま、何か1つのこと頑張るっていうことなのかもしれない。
そうですね。ま、その経験自体は絶対に必要だと思いますよね。自分のなんかこう目標に向かって計画し立てて何か努力するで、それをうまくいった、うまくいかなかったっていう経験は、ま、それは単純にね、人生長い人生きてく上でそれを10代のうちにやっておくっていうのはすごく重要なことだと思いますね。
うん。ありがとうございます。あの、伏線についてのお話がすごく面白かったんですけど、その本を読んでる時に例えばそのなんかこうなりそうだなとか、あれ、この話は何かの伏線かなって思うと大体そうじゃないですか。で、逆に言うとそれを裏切られることも、ま、確かにあるけどそれも伏線なんだっていうもう小説って結局伏線なんだみたいな、そういうことなんですか?
そうですね。その、ま、わゆるみんなが意識、意識する伏線っていうのはなんか例えばあん時にちょっと出てた人が実はこんな人間だったとか、あそこでなんかこう拾った何かが重要な場面ですごい役立つとか、ま、そういうようなことのような気がしてるんですけど、ま、小説に限らず、ま、あらゆるこうフィクションの作品っていうのはやっぱりこういう、ま、ノンフィクションでもそうですね。その、ま、無駄なことって書かない方がいいんですよね。
だからその、例えばこうみんなはあんまり議論っていうか、あんまりこれをそれを伏線だって呼ばないんだけど、そんな小説はないんですけど、朝こうりんごを食べるシーンから始まった小説が、夕日が沈むシーンで終わったりとかするわけですよ。で、そういう時ってその赤い球体から始まって最後赤いもっとでかい球体で話が終わってるわけじゃないですか。そのりんごと夕日のその赤い球体っていうものが作品をこう繋いでるわけですよね。
で、そういうのも実は僕は伏線だと思ってて、その最後にこの夕日が沈むシーンを気立たせるために冒頭でりんごを食べてとかするわけですよ。で、で、そういうのって、ま、読者は別にその最後のラストのシーンでその夕日見ながらりんごだとか言ってくんない場合は気づかないんだけど、でもそれって朝りんご食べたシーンは読者の心の中に多分残ってて、それがすごくこう1つのイメージとして最後のシーンに重なり合ってくきて話のこうおまとまりがすごくしっくりくるみたいな効果ってあったりしてそういうのを小説ってめちゃくちゃいっぱいあるんですよね。
はい。だからその1つ1つの描写とか何かこう文章とか一見は一見してなんか別にその伏線ぽくなくても他の文章にこう聞いてるとか次のシーンにこういう風な繋がりを実は持ってるとかこういうイメージの連鎖があるとか、そういうものだけで基本的には小説って僕は構成されてたと思ってて、逆に言うと全くそういうのがない。ただ単にこうはみ出してる文章があるんだったらそれはま必要ないわけですよね。ま、削った方がいいというか。ま、もちろんそういうのあるのかもしんないけど、ま、それはだから僕の小説にもあるかもしんないけど、それは本当は削った方がいいと僕は思ってて。
うん。うん。だからそのある意味そういうその小説ってそういうこう何かの1つの文章はやっぱり何かの文章だったり何かのシーンだったり のためにこうやっぱりこうそれはメタファーだったり、ま、伏線だったりあるいはこう語り手の心情の変化を表してたり何らかの機能を持って他の文章と繋がってるから。
うん。うん。ま、僕はそもそも小説って全部伏線なんじゃないのってかなり過激な伏線の定義をしてて、ま、あんまりこう同業者に理解されないんですけど。はい。ま、そういう主張してるって感じですね。うん。だ、これはだからこの描写はここと繋がってあ、なるほど。こういう繋がりがあったんだみたいなこともまで含めて全部伏線という風に。
そうです。で、そういう僕が自分がそういう風に作ってるんで、そうすると小説ってもっと豊かに楽しめたりとかするというか、あ、ここではあえてこういうシーンを書いてんのはここのこういうのためなのかなとかっていうのが色々とこう想像できるようになるというかそうするとより奥行きが小説に出てくる気がしてて。だなんかそういう意味でもうなんか是非ねそれはなんか読者の方も意識してもらいたないみたいな気がしますよね。うん。うん。確かにその読み方、小説の読み方としてそこに注目。してみるっていうのは確かに面白いですよね。ま、そういうのが好きな方もちろんいらっしゃると思いますけど、元々。うん。そうですね。
で、あと小説の面白さについてなんですが、まず小説がなぜお好きなんですか?
僕ですか?ああ、好きなものをね、何で好きかって言われるのって一番難しいですよね。好きだからみたいなね。楽しいからみたいな。
楽しいから。で、それを、それこそ言語化しようとするとどんどんなんか世界平和のためとかなんかよくわかんないこと言って言ってるみたいななんか小説がね、あの、面白い。なんでかってね。いや、僕はでもやっぱりだから単純にやっぱりこの読んで小説を読んだこ、読んだ時にしか味わえないなんか感動とか、なんか感動以外の感情とかもあるし。うん。でも今はでももう自分が仕事として小説を書いてるから、自分が読んで面白いとかっていうよりも、どういう時に人は面白いって感じるのかなみたいなのはなんかこう色々考えてて、ま、それについてこうむしろね、そのこの本の中で色々考えたにもしたんですけど。
何なんでしょうね。小説の面白さってね。ま、人によってそれこそ違うと思うんですけど、なん かどういうジャンルの小説が好きとかってあったりします?
私は裏切られるのが好きですね。あ、じゃ、ドで返しじゃなくて、そのなんか裏切られた、想定と違う展開に進はい。そのこう、こういう何かを読んだ時にこの先こういうルートがありうるなって思ってなかったところに行くと、あ、いいですね。面白い。それめっちゃ好きですね。
あ、はい。あ、その小川さんとの小説すごい好きなんですけど。ありがとうございます。本当に。なんかそう、あの、僕も1つ好きなのは自分の、ま、裏切られるとちょっと違うかもしんないけど偏見がなんかこうやっぱり明らかにされるというか。だ、例えばなんかこういうやつってこういうこういうキャラってどうせこういうやつなんだろうなって思ってたら、そいつの視点に映ったら全然違ったみたいな。そいつはそいつなりにすごいなんかこういうこと考えてその結果こういうキャラになってたみたい。うん。あ、俺ってこういう人に対してこういう見してたんだなっていうので、すごいドキッとするというかで自分が実生活でもそういう偏見を他人にしてたかもしれないみたいな自分をこう見直すきっかけになったりあるいはこう自分の実世界自体が楽しくなるわけですよね。それによってその自分が今まで嫌いしてた人が、いや、ひょっとしたらそんなことないのかもしれないって思える時点で、ま、ちょっとこう実生活のあの人間関係も好きな人が増えるんでね、このように。
で、例えばそれは別に人だけじゃなくてなんかこう自分のあの全然興味がなかったジャンルの趣味とかも、そのそれに対してすごく一生懸命やってる人の話を読んだらなんか俺こうどうせああいうことやってるやつって6でもないやつなんだなって思ってたら、意外とそんなことなかったみたいなね。うん。ま、だからそういうなんかうんろんな形を取り払ってくれるってのは僕の中で小説読む時に1個あるし、ま、裏切りっていうのもあるし自分がこうはこう、こういう風に話が済んだらま、どうせこういう感じだろうって思ってるものが、あ、こんなこともあるんだとかっていう風にするとやっぱり自分の、な、なんだろう、世界見えてた世界がやっぱ、あ、この道はこっちにし続いてないと思ったらね、こんな道もあるんだって言って自分の世界自体が豊かになるというかね。うん。それもすごくこう楽しい体験ですよね。
うん。うん。小説を読むってでもやっぱり大変じゃないですか?ていうのはそのものすごく疲れたりとかもう本当に酔っ払ってたりとかすると読めないと思うんですけど。そういう意味ではその、ま、脳の体力みたいなのは小説を読む時いると思うんですけどね。
はい。でもやっぱりそれでも小説を読んだ方がいいなと思いますか?
いや、どうなんだろうな。それ僕はもちろんね、小説家なんでポジショントークとして小説読んだ方がいいって言った気持ちはあるけど多分別にうん。小説必ずし、もう別に例えばその僕が今言ったような変解放されたりとか社会のね、その自分が嫌いだったものを好きになったりとかいろんなこう自分の社会の見方が広がって人生自体が豊かになるっていうのは、ま、小説だけじゃなくて映画でも、あの、なんだろう、音楽でもなんか演劇でも漫画でも多分得られるものだと思うんで。
はい。別にそのなんだろうな、無理して小説を読まないといけないってことは全然なくて。うん。はい。やっぱりなんかそういうそのうん。あの、その人に向いた何かこうメディアというかがあるのかなって気はしてて。うん。ま、だからそう、その小説だけがそのなんかあなたというか、ま、その見てる動画見てる方とかを救うわけでもないし、その人の人性高にするわけでもないんで、ま、うん。読みたくないんだったら読まなくても別にいいとか僕は思ってるんですけど、ま、読んでくれたら嬉しいですけど。うん。うん。
ただ、まあ、小説を普段読まない人でもやっぱ自分と本当に合う小説読んだ時は、やっぱ他のメディアよりもすごく強烈な一撃を食らうことはあると思ってるんで。うん。はい。小説でしか得られないものっていうのも確実にあると思ってるんで。ま、嫌いせずになんかこう機会があったらとか余裕が精神に余裕がある時とかに試してもらったらいいかなみたいな気もしますね。
うん。あの、これは皆さんに絶対聞きたい質問なんですけども、人間に対してポジティブな感じを持ってますか?
ああ、人間に対して。基本的にはポジティブにだと思います。うん。はい。なんか人類とかって言うとね、なんかネガティブになりそうですけど、なんかその地球は大丈夫だろうかみたいなのはあるんですけど、小説って。
あの、じゃあそのなんだろうな、歴史と歴史とか他のものと何が違うかって、歴史の教科書とかに乗ってることっていうのは、ま、人物のことも載ってるんだけど、ま、人類のことが乗ってたりするわけですよね。例えば第2世界大戦が起こりました。何々国の兵士が何万人なくなりましたとかっていうのが歴史の教科書に乗ってることなんで、もちろん教科書に乗ってる個人ってはいるんだけど、それはすごく異業なし遂げた人とかすごく歴史上になった人とかんですけど。
小説っていうのは人類の話じゃなくて人間の話なんですよね。基本的にま、人間が出てこない小説もあるんですけど、その第2世界大戦で何十万に死にましたっていうのは何十万っていう数字で雑に扱われてるうちの誰か1人の話とか書くわけですよ。小説ってで、その人間って何十万とかにくるとすごくひどいことしたりとか人類ってくっちゃうとすごくこういろんな最悪な歴史とかは経てきてるんだけど、その1人の個人っていうところにそこにこう焦点当てるとで小説はそういう個人にね当てるものなんで。だからその個人っていうものに当てるとまたちょっとその違った見方が出てくるというかで、うん、個人からやっぱりこの大きな流れだったりとか世の中世界全体を世界全体を見るっていうのがやっぱ小説のうん、よくも悪くも特徴だなと思っててだからやっぱりこううん、小説家自体は人人間に対してはやっぱりポジティブじゃないと小説をかけないのかなというか人間自体を信じてないと、はい。そのお話を立ち上げらんない、じゃないかなっていう気はしてますね。それはやっぱり人類とかっていう桁で扱うんじゃなくて、うん。はい。1人の個人個人の人間は必ず何か救いがあるはずだっていう思いでみんな書いてるんじゃないかなっていう気がしますね。うん。ま、もうどうにでもなれって思ってたら、そもそもそもそもやっぱりその視点というのを立ち上げらんないというか、その、書いてて楽しくないしね。多分その自分が人間っていうのじゃないのに人間を書かなきゃいけないから実は基本的には。だからやっぱうん。もちろんね、人間について考えすぎて嫌になったりすることもあんのかもしれないけど、僕は基本的にはそうですね、個人っていうのに対してはすごくポジティブな気持ちを持ってて、だからそれがね、やっぱりこうます、何百万、何億とかになってくるとすごく難しくなってくるのかなみたいな気がしますね。
うん。ありがとうございます。この言語化するための小説思考と今回のインタビューと是非両方皆さんには。より深まるという是非。実は結構ね、本の中に書いてない話もしてるんでね。あの小説あの本価するための小説思考を読んで、ま、ちょっと疲れたなってなったら、よりこう、ハードルの低い動画メディアでね、移動中とかね、再生をしていただいてをして家事でも何度もしていただいて。はい。ありがとうございます。皆さん是非チャンネル登録、高評価をよろしくお願いします。小川さん、本日本当にありがとうございました。いや、こちらこそありがとうございました。