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今日もついついサボってしまったわね。後回しにしても良いことがないはずなのに、どうして頑張れないのかしら。
どうしたんだ、霊夢。
あ、魔理沙。学校で宿題が出たんだけど、なかなか手がつかないのよ。こういう時、自分の自制心の弱さを痛感するわ。
まあ、人間は基本的に楽な方向へ流れがちだからな。その点、社会で成功している人って、大体逃げずに努力を続けていてすごいわよね。例えば、野球選手だったら素振りや筋トレを怠ることなく継続しているじゃない。そういった人たちは私とは違って、意思力がすごく強いんでしょうね。私にも、やるべきことから逃げなくて済むくらいの強い気概が備わっていればいいんだけど。
なるほど。確かに成功者と呼ばれる人々は意思の力が強固な場合が多いのは事実だろう。だが、意思力のみに頼って自制心を働かせようとするのはあまりお勧めしないぜ。もちろん、理性を活用することで自分をコントロールできるのは事実だ。だが、意思力の酷使はデメリットも大きいため、より負担のかからない別の手段も頼りにすべきだろう。
別の手段って何かしら?
それじゃあ、今回はなぜ人間の自制心は弱いのかについて解説していくぜ。
よろしくお願いするわ。
本題に入る前に、まず人の自制心がどれほど弱いかが分かる研究を紹介しよう。心理学者のピアカルロバルデソーレの研究だ。これは、参加者に2つの作業のうちどちらかを選んでもらうというものだった。1つは、特定の物体を見つけるだけという負担が少なく、比較的楽しいと感じやすいもの。もう1つは、45分間みっちりと時間をかけて難しい論理的問題を解かなくてはならないものだった。楽な作業と大変な作業の2種類にはっきり分けられていたわけね。
そして研究者は、この2つの作業を行う人数は同じでなければならないことを説明し、その特殊な割り振り方を説明した。
特殊な割り振り方?
それは、参加者を2人1組に分け、片方の参加者を「決断者」に任命し、その決断者がポイントスと同じ役割を果たす乱数装置を使って、自分のやる作業を決めるというものだった。この実験では、楽な作業を行う人数と大変な作業を行う人数は同じになる必要があるため、決断者に選ばれなかった方の参加者は消去法的に、決断者が行わない作業を行うことになる。
そしてこの実験の肝となるのは、このコイントスと同じ役割を果たす乱数装置を使うのはたった1人で、誰にも見られない部屋だと説明される点にある。要は、乱数装置を実際に使わずに虚偽の申告をしても誰にも知られないと、決断者が思い込むように仕組まれたわけだ。研究者たちによって、楽な作業を選ぶ隙を与えられたわけね。
あ、ただ誰にも見られない環境というのはあくまで建前で、実際には被験者が取る行動は隠された監視カメラによって観察されていた。そしてモニタリングの結果、およそ92%の決断者たちが乱数装置をそもそも使わなかったり、使ったとしてもその結果を無視して楽な方の作業を選ぶことが分かった。誰にもバレない状況だと9割以上の人がズルをするという結果になったわけね。
あ、このように人は簡単なことで自制を失い、衝動的で利己的な行動を取りやすい。そして自制心の脆弱さが問題として取り上げられる際、大抵の場合は意思力の弱さが原因とされる。だが、意思の強さでセルフコントロールしようとする方法には、どうして限界がある。
どうしてそんなことが分かるのかしら?
1つは、意思の力は使えば使うほど衰弱していく性質があるからだな。このことは、フロリダ大学の心理学者ロイ・バウマイスターによって実施された研究によって確認されている。彼は、自制心が効かなくなる原因の大部分は意思力の使いすぎだと考えた。そこで「ラディッシュ実験」と呼ばれる実験を行った。
なんだかマシュマロテストみたいな名前ね。
名前だけではなく、実験内容にも通ずる部分があるぜ。この実験ではまず、参加者をテーブルの前に座らせた。テーブルの上には、焼きたての美味しそうな匂いを放つクッキー数個、チョコレート、そしてボールいっぱいに積み上げられた生のラディッシュが置いてあった。参加者たちは、実験の数時間前から食事を取らないように指示されていたため、空腹な状態となっていた。
そして研究者は、一部の参加者にはお菓子を食べることを許可し、それ以外の人にはラディッシュを食べるように指示した。ラディッシュのグループに振り分けられた参加者は、良い香りを放って誘惑してくるお菓子を目の前で我慢させられたわけね。
ああ、お菓子を食べることを許可されなかった参加者は、マシュマロテストで我慢できた子供と同じように、目をそらすなどしてなんとか誘惑に耐えた。そしてその後に、研究者は参加者を別の部屋に移動させ、突然非常に難解なパズルを解くように命じた。そして実は、このパズルは絶対に解けないように設計されていた。
それはなかなか残酷なことをさせるわね。研究者たちはどうして正解がないパズルを解かせたのかしら?
パズルに取り組む時間を比較することで、参加者の忍耐力を確かめるためだな。ラディッシュを食べるように指示された参加者は、クッキーを食べることを許可された参加者に比べて、誘惑に耐えるためにあらかじめ意思の力を使っている状態と言える。そしてこの意思力を直前に使った状態の人と使っていない人を比べた時に、自制心の差が発生するかを確かめようとしたわけだ。
答えがないパズルということは、パズルが解けていくやりがいがなく、楽しさを感じられるようなものではないはずだから、パズルに向き合う時間が自制心の強さに対応していると考えたわけね。
あ、そしてこの実験の結果、クッキーを食べることを許可されたグループは平均して20分ほどの間パズルを解こうとしたが、目の前でお菓子を食べることをお預けにされ、ラディッシュを食べるように命じられたグループは、その半分ほどの時間しかパズルに向き合わなかった。お菓子の誘惑に耐え続けた参加者は、パズルを解くのをやめて楽になりたいという誘惑に抗いづらくなったわけね。
そういうことだ。このように、意思の力は使えば使うほど弱まっていく性質があり、限界が存在すると考えられる。そしてさらに注目すべきは、意思力の酷使はストレスを増大させやすい点にある。意思の力は、欲求が起こらないように予防するのではなく、すでに発生している欲求から無理やり目をそらし、抑圧しようとするものだ。そのため、緊張が生じストレスを感じさせる。
加えて、ボリック大学の心理学者であるクリストファー・ボイスの研究によって、目標達成において意思の力によるセルフコントロールに頼る傾向が強い人物ほど、失敗した時に強く苦しむことが確認されている。もちろん、強い理性を発揮することが成功確率を上げるのは事実だろうけど、その反面、失敗した時に追うダメージが大きくなりがちというわけね。
ああ、さらにこれらの問題に加えて、意外なことに理性が働いている状態が人に良い行動をするように促すどころか、逆に短期的な利益を衝動的に追い求めるように駆り立てる場合もある。
え、そうなの?それはちょっと困るわ。例えばダイエットしている人がケーキを食べるか葛藤している時の、食べるように誘惑してくる感情があくまで思いとどまらせようとする理性が天使みたいな感じで扱われているイメージがあるんだけど。
確かに、理性は基本的には良き行動を促す場合が多いだろう。しかし、だからと言って理性を働かせた状態が必ずしも道徳性を高めるとは限らないことが、ハーバード大学の心理学者であるジョシュア・グリーンが行った研究によって明らかになった。被験者たちは、未来に対する予測の正確さを図るという名目で実験に集められた。未来の予測、具体的にはMRIスキャナーで脳の画像を撮影しながら、コイントスで裏が出るか表が出るかの予測を行うといった内容だな。そしてこの予測が正解した数が多ければ多いほど、報酬が多くもらえると説明された。
ただ、この予測の正確さを図るという実験内容はあくまで被験者たちが思い込まされている建前で、実際には1つの仕掛けがされていた。
1つの仕掛け?
一言で言うと、虚偽の申告ができるように実験がデザインされていた。この実験は、コイントスを行った後に事後報告として自分の予測を報告するという流れで行われた。そして事後報告できるということは、自分の心の中で決めた予測を改ざんして正当率を高め、より多くの報酬を得ることができる。要は、ズルをすることもできたわけね。
ああ、そして不正を働いたかどうかの結果を見れば一目瞭然だ。なぜなら、彼らは統計的に見てありえないような確率で正解したためだ。そしてズルをした被験者の脳をMRIで撮影した像を元に解析したところ、前頭葉の領域、言い換えると認知機能の基盤となる理性を司る部分が活性化していることが発見された。これはつまり、理性が働いている状態ほど悪事を働きやすくなる場合があることを示唆している。もちろん、今回の事例が全てに当てはまるわけではないだろうけど、理性=良いものという単純な図式は必ずしも正しいわけではなさそうね。
そうだろう。また、理性が働くことによるデメリットとして、他には自らの行動を反省しにくくなる点も上げられる。これは最初に紹介した自制心がいかに脆弱なものかを明らかにしたピアカルロ・バルデソーレの実験の続きから確認できる。誰にもバレない環境だと自分が楽な作業を選択できるよう、不正しやすいっていう研究だったわね。
この実験にはどんな続きがあったのかしら?
決断者に認知的負荷をかけて理性を弱らせた状態で、自らが行ってしまった不正に対して自己評価を下してもらうというものだった。認知機能には当然だが限界が存在する。そのため、決断者たちに備わった認知機能の容量が他のことで占領されるように仕向けることで、理性を弱らせることが可能となる。もし感情が自らの利益のために衝動的な行動を行うように仕向け、理性がその衝動を抑える自制心の働きを担うというシンプルな図式が成り立つなら、理性を司る認知機能が弱った状態だと、決断者たちは自らが犯してしまった不正に対して反省しにくくなるはずだ。
確かに、そういう風に考えられるわね。そこで、決断者たちを2つのグループに分け、片方のグループには一連の数字を記憶するように促した状態で、自らの行動を振り返ってもらうような質問を行い、もう片方は乱数の暗記を行ってもらうことなく、フラットな状態で質問を行った。つまり、乱数を覚えるように言われたグループは、認知機能のリソースが数字の記憶に割かれてしまって、万全な形で理性が働かない状態になっているわけね。
あ、その結果、理性が弱っている状態の人ほど、自らの不正を認めて批判的に捉え、罪悪感に苛まれるという傾向が確認された。そして逆に、認知機能負荷がかかっていない状態の被験者は、自らの行動を正当化しやすい傾向にあった。要は、良心の呵責を言い訳で取り除いたわけだ。自分を正当化するために理性というツールを使用してしまっているという感じかしら。反省は改善の第一歩だから、自らの行動を客観的な目で振り返れないのはあまり良いこととは言えなさそうね。
そうだろう。さて、話が少し長くなってきたから一度まとめるぜ。理性は確かに目の前の欲求から目をそらしたり、抑え込むことが可能だ。しかし、意思力に頼ったセルフコントロールには、一時的にしか機能せず、ストレスを感じやすくさせ、さらに逆境にめげやすくさせるといったデメリットがあり、さらに言えば不正を働かせたり、反省せずに開き直らせる効果さえ確認されている。今回は尺の都合で省略したが、スタンフォード大学の心理学者ジェームス・グロスが実施した実験によって、脳の実行機能を利用して感情や欲望を抑えると記憶力が低下するといったことも確認されているため、理性によって意思の力を使って自分の欲求や行動をコントロールする行為には、本質的な限界が存在すると言っていいだろう。
ここまでの話で、私たちが意思の力を使って自制心をうまく機能できない理由については、ざっくりと理解できた気がするわ。でも、理性に頼らないなら、どうやって誘惑に惑わされないようにすれば良いのかしら?
一般的に良いとされている方法の1つは、誘惑から距離を取るというものだな。ミネソタ大学のキャスリーン・ボッシュの研究によって、成功者たちは意思の力が一般人よりも並外れて優れているのではなく、うまく誘惑を避ける、先手を打つ傾向にあることが確認されている。自制心をいかに発揮するかじゃなくて、自制心が働かなくても大丈夫な環境を構築しているわけね。
ああ、しかし現代ではスマホのように誘惑の塊であるにも関わらず、手放しづらいものも多い。スマホの中毒性の強さについては以前の動画で解説してくれていたわね。そもそも、急ぎの電話にすぐ出れるようにするためには、スマホを手元に置いておかなくちゃいけない場合も少なくないことを考えると、実践するのは少し難しい側面がありそうね。
誘惑から距離を取る以外には、何か良い解決策はないのかしら?
他の手段としては、習慣化が挙げられるだろう。習慣として自らにすり込みを行うと、労力をかけずともやるべきことを実行できる。ただ、これは1つ1つの作業に対して個別にしか効果が現れない対処法だ。例えば、運動する習慣を身につけたからと言って、勉強に自然と取り組めるようになるわけではない。つまり、習慣化によるセルフコントロールは、適用範囲が非常に限定的になるという問題が存在する。どちらの解決策も、割と大きなデメリットがあるわけね。
あ、そこで近年評価され始めているのが、感情を利用する方法だ。感情を起点にすれば、自らの行動を無理に理性する必要がなく、自発的にやるべきことに取り組むことが可能になる。
そう言われても、いまいち納得できないわ。誘惑に惑わされず、やるべきことをやるには感情を抑えるのが有効っていう話はよく聞くもの。
確かに、そういった研究は少なくないな。霊夢が今言ってくれた、感情による反応を抑えるか、あるいは消してしまうことが自制心につながるという考えが広く浸透するきっかけとなったのは、ハーバード大学の経済学者デビッド・レイブンが行った実験だろう。研究者は実験の参加者たちに、すぐに現金を受け取るか、それとも後で少しかましされた金額を受け取るか選択させた。この実験の肝となるのは、MRIの中に入った状態で意思決定を行ってもらった点にある。これにより、経済的な決断を行う際に脳のどの部分が関与しているかを確かめることができるわけだ。
そして実験の結果、支払いは早くても少ない金額を望むという非合理で衝動的な選択は、感情システムを司る大脳辺縁系が活性化した人によく見られ、逆に理性と強く関わる前頭前皮質が活性化すると、受け取りを先延ばしにしてでも金額が大きい方を選択することが分かった。このように、感情を抑えることが長期的な目標を達成する上で重要とされる場合も多い。やっぱりそうなのね。
しかし一方で、現在行われている感情に関する研究は、怒りや性欲などの衝動的な行動と関連する感情ばかりに注目しがちな側面がある。確かに、全ての感情が目標達成に役立つわけではない。例えば、壁にぶつかった時、感情の働きによって快楽の方向へ現実逃避させるのは事実だろう。だが、だからと言って感情の全てが悪いということにはならない。もちろん、感情任せに動くのは良くないが、感情を無理に抑えつけるのではなく、うまく利用すれば目標達成における強固な手段となる。感情と一言で言っても、自制心を働かせる上で役に立つものと、むしろ邪魔してしまうものがあるわけね。
その通り。それじゃあ、どんな感情が自制心にとってプラスに働くのかしら?
複数の研究によって、長期的な成功に関しては、思いやりや感謝といった感情が重要であることが確認されている。これらは幸福や悲しさ、怒り、恐怖などのシンプルな感情とは異なり、社会生活と本質的に結びついていて、組織をうまく機能させ、さらには自らにとって有益に働くものだ。感謝や思いやりって、社会的には美徳とされているものだから、これらが自制心に良い影響を与えるなら一石二鳥って感じがするわね。でも、どうしてこの2つの感情を利用することが、理性を買って自制心を働かせるよりも良い結果になりやすいのかしら?どちらも脳の機能を使いという点において違いがない気がするんだけど。
その問いに答えるには、そもそもなぜ人間に自制心が生まれたのかについて知る必要がある。自制心を測る実験として、貯金をするか散財をするかを選択させるといったものが挙げられる。しかし、自然の世界では貯蓄の概念はほとんど存在しない。例えば、目の前にある食べ物はすぐに食べないと、他の動物に奪われたり、腐って口にすることができなくなる恐れがある。そのため、将来のことを考えて自制するのではなく、本能の赴くままに行動した方が、基本的に生存確率が高くなりやすい。つまり、自制心が今ほど役立つようになったのは人間社会が発達した最近のことであって、長期的な見通しが立たず、今この瞬間を生きることで精一杯の自然の世界では、有益に働く場面は多くないと言える。
言われてみれば、確かにそうかもしれないわね。しかし、現実として人間に自制心が、ある程度備わっているのは、人類が社会的動物だからだ。人間1人1人は力が弱くて脆弱な存在だが、高い知能をチームワークで発揮することによって、ここまで反映してきた。そして、集団をうまく機能させるためには、短期的な衝動に身を任せるだけでは不十分だ。例えば、集団の前に餌があったとして、それぞれの個体が本能に任せて独り占めしようとした場合、信頼関係を築くのは不可能と言えるだろう。
そこで役立つのが、思いやりや感謝の感情だ。思いやりという感情は、他者の利益を考え、場合によっては自らの欲求を後回しにして、集団の利益を優先させる。また、感謝に関しても、自身の短期的な衝動を抑制し、思いやりによって生まれた理性的行動を集団内で循環させる。これは自制心に他ならない。つまり、自制心は人間の「社会的動物」という性質によって生まれたと言える。そして、元をたどると、思いやりや感謝といった感情によって自制心を機能させていたため、理性や意思の力といった最近発生した能力よりも、これらの感情を利用した方が良い結果になることも珍しくないわけだ。
確かに、未来の計画を立てるための認知能力を司る脳の部分が生まれるよりも、はるか昔から感情に関する機能は存在したっていうもんね。脳の進化という観点から考えても、古くから人間の深いところに備わっているのは理性よりも感情だから、感情を利用するのは理にかなっているのかもしれないわね。
そういうことだ。でも、本当に思いやりや感謝が自制心と関係があるのかしら?普段の生活でそんな印象を持ったことがない気がするんだけど。
ま、直感的にはイメージしづらい話だろうな。だが、これらの感情が自制心を増強させることは、いくつもの研究で確認済みだ。1つはモニカ・バートレットの実験があげられる。この実験の内容は、一度苦境に陥った人を救うことで感謝の念を生じさせ、その状態での行動を観察するというものだった。
苦境から救って、どういうことかしら?
順を追って説明するぜ。研究者はまず、実験室に2人の人物を入室させ、隣り合わせの小さく区切られたスペースに座ってもらった。この2人のうち1人は実際の実験参加者で、もう1人は実は研究者が用意した仕掛け人だった。そして実験参加者に、非常に長い時間がかかる上に退屈な内容となるような、コンピューター制御の作業を行ってもらった。実験参加者は当初、この作業の終わりに行った作業が採点されて特典がモニターに表示され、それを研究者が記録するという流れで実験が取り行われると説明されていた。
しかし実際は、実験参加者の使用したパソコンには1つ細工が施されており、作業が終わる間際の段階でコンピューターが故障したかのような演出が出るように仕込まれていた。そしてその様子を目撃した実験参加者は、研究者にパソコンの調子がおかしいことを告げると、残念ながら0からこの非常に退屈で面倒な作業をやり直すように言われた。それは大きなストレスがかかりそうね。
ここで研究者は、実験参加者に感謝の念が生じるような仕掛けをした。感謝の念が生じる仕掛け?同じ実験室で作業していたもう1人の人物、つまり研究者によって仕込まれた仕掛け人に、パソコンを修理できるかもしれないと声をかけさせた。そして実際、この仕掛け人の手によってパソコンが復旧して、面倒な作業をゼロからやり直さなくても済むようになった。
確かに、こんなことをしてもらえたら感謝の感情が生まれるのは自然な感じがするわね。あ、そして実験が終わり、感謝の気持ちに溢れた状態で参加者が建物を出た後、あらかじめ建物の外で待機していたもう1人の仕掛け人に声をかけられた。それは心理テストに参加して欲しいというものだった。その心理テストは退屈な内容であり、いつテストを中断して帰宅しても構わないが、なるべく長い時間回答してくれると助かると仕掛け人は頼んだ。
そしてその結果、パソコンの故障を助けてもらい感謝の念を抱いているであろう人物は、比較的フラットな感情の人、つまり同じコンピューター制御の作業を行ったがパソコンが壊れる演出がなかった人に比べて、頼みを引き受けて心理テストを行う確率が大幅に向上し、さらにテストに取り組んだ時間もかなり伸びたという結果になった。
それは面白い実験結果ね。パソコンを修理した仕掛け人と、心理テストのお願いをした仕掛け人は別の人間だったことを考えると、単純に「借りを作ったから返したかった」っていう話じゃないはずだし、感謝という感情は汎用的に忍耐力を上げる効果がありそうな感じがするわね。
そうだろう。でも1つ気になることがあるわ。確かに今回の実験の被験者が面倒な心理テストを引き受けるという、他人を助ける行為を高い自制心を持って行えたのは、倫理的に考えると良いことだと思うわ。でも一方で、この行動は自分の成功とは逆行してしまっている気もするわ。例えば今回の場合は、他人に恩返しする時間を自分のために使った方が成功につながりやすいんじゃないかしら。
いや、そうとは限らないぜ。ペンシルベニア大学のアダム・グラントは、複数の実験から長期的に見ると、人を助けることは自身の成功につながりやすいことを明らかにした。もちろん、度を超えた思いやりは他人につけ込まれるリスクが上がってしまうが、他人に貢献できる寛大さは周囲からの評価を高めて成功に導いてくれることが、統計的なデータから確かめられている。「情けは人のためならず」という言葉の通り、人に与えた優しさは回り回って自分のためになることが科学的にも証明されているわけね。
あ、さらに思いやりや感謝には、もっと直接的な効果があることもノースイースタン大学のデビッド・デステノの実験によって確認されている。彼は被験者たちに、今すぐお金をもらうか、後からさらに金額を上乗せされたお金をもらうかを選択させた。その際、直前に人生で感謝の気持ちを抱いた出来事を振り返ってもらった人の方が、衝動を抑えて将来的に大きな金額をもらう選択ができる傾向にあった。感謝の気持ちがより合理的な選択を促したわけね。
そういうことだ。さて、今までの話を総合すると、感謝の念を抱くことは、将来的により大きな報酬を得るために、今目の前にある衝動を抑え、辛抱するように促す効果があることが分かる。もちろん、感情を利用することで自制心に関わる問題が全て解決できるわけではないが、例えば過去の出来事を思い出すという、比較的労力が小さい行為によって自制心を強固にできるのは確かだ。
また、長くなりすぎるため実験内容の説明は割愛するが、インディアナ大学の神経学者プラテック・キーの実験によって、感謝や思いやりによる自制心は、使えば使うほど楽にコントロールできるようになることが確認されている。意思の力によって自らの行動を律しようとする場合は、その効果が弱まっていく点と比較すると、少なくともこの点に関しては感情を利用する方法に軍配が上がると言えるだろう。
さっき上げてくれた、誘惑から距離を取ったり、習慣化した場合の実現する難易度の高さと効果範囲の狭さというデメリットも、感情を利用した方法にはないし、確かに試してみる価値はありそうね。
ああ、世間では「理性は善、感情は悪」といった風潮が稀に見られるが、ここまで見てきたように、この考え方は必ずしも正しいとは言えない。さらに今回、悪者のような扱いをしてしまった「衝動的に動く」という性質も、本来は生き残る上で重要に働くものだ。アメリカの格言で「一羽の鳥は籠の中の鳥に値する」というものがある。客観的に考えて、一羽よりも籠の中の鳥を食べ方が空腹を満たすことができる。しかし、一羽を確実に口にすることが可能な状況と、逃げられるかもしれない二羽に遭遇した場合を比較すると、空腹を満たす上でどちらの選択肢が適切かは曖昧だ。さらに言えば、自然界において未来の報酬が確実に貰えるシチュエーションはほとんど存在しないため、自然で生きる上で衝動は必要なものと言えるだろう。むしろ、地球全体においては人間社会が特殊なわけね。
ああ、生物に備わった性質は、それが子孫繁栄で有益だったためだ。この原則は人間にも当てはまり、人類が自制心を発達させたのは、何も試験のために勉強したり、将来のために貯金するためではない。こういった現代での自己研鑽などは、人類の進化の歴史の大半においてほとんど無縁と呼べるものだ。そのため、今の社会で必要とされる自制心を発揮するには、元々備わった社会性を高めるための、思いやりや感謝といった感情を活用するのがベターと言えるはずだ。もちろん、意思力を利用する方法も有効な場面はたくさんあるだろうけど、感情を利用する方が適している場合もあるということね。
そういうことだ。とまあ、今回はこんなところかな。
ありがとう、魔理沙。思いやりや感謝が無理なく自制心を強めるだなんて、考えたことがなかったから勉強になったわ。
それは良かったぜ。感情には周囲の人へと伝染し広がっていく性質があるため、周りに感謝や思いやりを振りまく人は、周囲からも道徳性の高い行動が返ってくる可能性が高くなり、良い循環が生まれやすい。そのため、これらの感情をうまく利用できるようになれば、自信はもちろん、周囲にとっても良い影響が出やすいと言えるだろう。
まあでも、人の行為にタダ乗りする人が多かったら成り立ちにくい話だから、なるべく性格が良い人と一緒に助け合って生きるのが一番な気がするわね。
そうだな。さて、今回はこんなところで終わろうと思うぜ。最後までの視聴お疲れ様だ。こんな感じで科学の面白そうな話を解説しているから、よければまた遊びに来てくれ。チャンネル登録、高評価してくれると励みになるわ。それでは、ご視聴ありがとうございました。
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