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はい、瀬大学の質問コーナーです。質問です。コーチ、メンター、マネージャーと言われる方々の役割は何だと思われますか。私は運動でも仕事でも自分で考えて試行錯誤し、納得した上で物事を進めたいので、他人からあれこれアドバイスを受けたり、評価をされたりするのが苦手です。プロスポーツ選手は技術的にもメンタル的にも独自の蓄積に基づいて一人でも審議対の工ができると思うのですが、それでも高額な報酬を払ってコーチをつけるのはなぜなのでしょうか。単なる話相手であれば私は特に雑談をしたいと思わないのですが、コーチは選手に何をしてあげているのでしょうか。
たせさんは引退までコーチをつけなかったと存じておりますが、改めてその理由も含めて教えていただければ幸いです。ありがとうございます。
え、私もですね、多分おっしゃっている、今このご質問の方と同じような性格で、人に色々差しされるのが嫌だったわけですね。で、特に私たちの頃のコーチというのは、もうちょっと強権的な人が多くて、ま、陸上はそれでもだいぶ少なかったんですけどね。で、他の競技なんかでも科学的な議論があんまりできないみたいなコーチの人も結構いて、数字の根拠も出してくんないととか、ま、そういうのはなんかすごい嫌いだったんですね。だから、まあいいや、一人でやろうというのは、ま、一個ですね。ま、性格的なことがくると、もう一個は明らかにコーチがやっていることは面白いんですよ。なぜなら、情報収集して、多分こうやったら早くなるんじゃないか、この練習をすればいいんじゃないかという仮説を立ててやって、で、それをやっていたんでね。当時は。ま、今はね、そこも結構選手がいるんで、ま、半々で分けてる感じですけども。まだから、ま、自分でやった方がいいんじゃないのと思いました。
振り返って、コーチをつけた方が良かったのか、つかなかった方が良かったのか判断すると、私はつけた方が良かったと思ってます。そしたら銀メダルぐらい行ったかもしれないな、みたいな、ちょっと思ってます。え、なぜかというのをちょっとご説明しますね。
で、私はコーチがやる役割というのは、よくあのコーチング論ではですね、ティーチングとコーチングって二つに分けるんですけど、ま、これなんか便宜上分けただけで、ま、コーチング学っていう学問で分ける世界ですから分けたんですけど、私は実際にはティーチングもコーチングも分けられないという風に思ってますね。なぜなら、我々会話の中でそんなこと分けずに話しますし、よく言われるのはティーチングというのは何か教えることで、コーチングというのは引き出すんだって言うんですけども、でも引き出すったってね、という。なぜなら、我々言語的なものだけじゃないんで、情報は。で、コーチと言われている人が何も言わずに質問だけするんだけど、その人の立ち振る舞いがすでに誰かに何かを知識として教えていたりするわけです。だから、言葉で相手にコミュニケーション取ろうとした瞬間だけが教育であるという前提に立つと、ティーチング、コーチングって分け方成立するんですけど、もうその人相対がいる存在感自体が相手に影響を与えているという世界からすると、ティーチングもコーチングもないわけです。これ、ま、ある意味国分小一郎さんがおっしゃっている中道体みたいなもんで、私はティーチングとコーチングの境目に本当の、え、何かがあると思っています。私は教育の定義はコミュニケーションによって他者が変わることだという風に思っていて、他者を変えるではなくて、他者が変わるです。それは自分が変わるってことも含めてですけど、ま、これが教育だと思っているので、ま、分けてないんですね。
で、その上で、今まずこの三つ出されましたね。コーチング、コーチ、メンター、マネージャーの役割ですけど、まずコーチは相手を育てるということに、え、一定の責任を追っているということですね。で、メンターは、え、その人が育つということは、その人がやっているんだけれども、それが適切な方向か、本当、自覚を促すに近いですかね。メンターは、という役割ですね。で、マネージャーは何に向かうかを定義するということですね。管理するに、ま、管理よりも、管理というときついんですけど、ま、要するに、100m 10秒0で走りたいのねと。で、いついつまでにやるのねと。で、組織の方大体責任持ってますから、ま、それじゃ会社の方向とも勝するから、じゃあそれが3ヶ月でどうなるか、身長管理していきましょうか、と。ま、こういうのがマネージャーだと思ってます。
で、その中で今回コーチにフォーカスされてるんで、コーチの話をしますと、コーチがやることっても私は端的に三つだと思っていて、で、一つは知識の提供ですね。教える。で、二つ目は応援する。エンパワメントですね、その人言で。で、三つ目は質問する。もうほぼこの三つに尽きると思ってます。教える、応援する、え、それから質問する。
で、教えるはですね、いわゆるティーチングというか、誰かに何かをこう伝えていくという場面ですね。で、こういう風にやった方がいいんじゃないかとか、え、こんな風になんだろうな、え、ま、あの、うまくいってないのをこうやってやるとうまくいくとか、とかアドバイスするとかですね。で、実はこの教えるの中に非常に重要な教えるがありました。それは何かって言うと、フィードバックなんですね。つまり、教えるというのは、コーチの中にある知識を相手に伝えるという風にだけに捉えられがちなんですけど、コーチが鏡になって、あ、コーチが見た事実を相手に伝えるということをやるわけです。例えば、選手が「私は大きな動きをしたいです」と言ってたら、「なるほど、でもこっちから見たら小さな動きに見えてるよ」とか。で、で、それ映像で見せたりとかですね。そんな風に鏡になって本人がそれを気づいていくということをやるというのが、ま、一つですね。
で、二つ目、応援するは、やっぱり、え、なんか元気が出る人と出ない人がいるんですね。で、選手も元気が出なくなる時あるんですけど、その時にお前ならやれるとかですね。ま、無言でもいいので、なんか自分はやれるんじゃないかという風に応援されていくという、やっぱ人間って個体ではいないんで、周辺の影響を受けますから、ま、最も影響を受ける相手が自分を信じてくれてたり、自分のこう能力を引き出そうとしてたり、ま、た、単純に元気がもらえたりですね。ま、そういうことがやる必要があって、この応援するですね。あの、味方になるでもいいかもしれないですね。
で、三つ目、質問するですね。え、どうしようとしてたのとか、どうなりたいのとか、今日の練習の目的は何と。で、そのためには何すんのとか。で、練習が終わった後に、それうまくいったとか。ま、こういう質問を返すことによって、本人の中に、ま、自覚的なですね、ま、客観的に自分を捉えることとか、そういうものを、取り戻して、あの、得ていくということになります。
ま、なので、ま、コーチがいなくて、私がいられたのは、ま、究極は自分で自分が見ているんだという自覚なんですね。で、これコーチがいる選手がよく陥る罠は、「私は一生懸命やったのに、僕は一生懸命やったのに、コーチが失敗したんだ」という、どっか、を、するっていう人いるんですね。で、これコーチいないとできないですから。全ての範囲は自分にあるというのが、個人主義、個人のやっている世界なんで、ま、これ強力に強烈に反省して、強烈に次へどうすればいいか考えるわけです。ま、究極の主体性の世界なんで、これ良かったですね。あとは誰にも言われないんで、自分のペースでできると。
で、コーチがいなくて失われたものは何かっていうと、客観性ですね。じゃあ、客観的に自分を見るというのは、やっぱり誰にでもできることじゃないので、それがうまくできなかったなと。でもう一つは、やっぱりコーチはいろんな選手を見ていく中で疑似体験するんですね。で、そうすると、ある程度メタな、なんかそういう情報を持ってるんで、ま、大体こういう傾向にあるねとか、これやると大体失敗するねっていうパターンを知っていて、その確率を相手に伝えられるんですね。で、これを知っておくだけで、選手が穴にはまる確率は一定が減るんじゃないかなという風に思ってます。ま、それを総合すると、私もコーチが、特に客観性のとこですね。それはコーチが言ったら良かったなと思ってます。
最後に、これコーチングの究極の世界というのは何かっていうと、ま、コーチングが提供しているものの価値を戦術めて、ぎゅっと上げていくと、結局気づき、一点なんですね。本人が何かに気づくために教えてもいるし、応援してもいるし、質問しているわけです。この気づきの提供ができるようになったコーチというのは、私は究極だと思っています。