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共に名刺を求める会飯が正明氏を進格、家世界メシ屋教の新の皆さん方は名主様と出会い、名主様に救われて、名主様を信じ、名主様信仰を長年に渡り実践されてきたことと思います。それがただひたすらに名主様の血闘を引くということを強調する洋一師の言動に惑わされて、この度世界教から離脱されたことは非常に残念な思いがします。そして、そのような事態に至るまで洋一師の言動を除長してきた教団の責任は非常に重いものであると反省しております。洋一師は、渡辺理事長が亡くなられ、それまで秘めていた自らの考えを主張する環境が整ったと見るや態度を豹変させました。教の立場で異教の教えを唱え、教として守るべき名主様の教えを遍設させ、果ては新の分断を図り、結果的には新の皆さんを離脱させてしまったのが実情です。飯の新の皆さんには今一度立ち止まって考えていただきたいと願います。条例を禁じ、アーメンを唱えさせ、聖書を教えの基本にしていることを見ても、洋一師と正明氏は口では名主様と唱えますが、名主様を利用しているだけに過ぎません。新の皆さんは今まで名主様信仰の中で頂いたご守護や救いの体験に照らして、洋一師や正明氏が唱えるキリスト教の教えを本当に心から信じることができているでしょうか?名主様の教えが、名主様の救いが絶対と信じて、名主様に仕える喜びを持っておられた皆さんが、洋一師や正明氏が進歩するイエスに乗り換えられるのでしょうか?名主様の血を引くというだけのことで、洋一師や正明氏の言動に惑わされてはいないでしょうか?メシア教では尾行、盗聴、盗撮を攻撃材料として、断るごとに世界教を批判し、世界教が犯罪を犯しているというような偽情報を流してきました。そのため、飯や教の新の中にはそのことが心の傷になっている方もおられるでしょう。しかし、これは飯や教による問題のすり替えでしかありません。教の教祖が口では教祖の名前を唱えながら、その実、信じる異教の教えをあたかも教祖の教えであるかのように信徒に布教することは、教祖の教えに反する行為であり、宗教団体としての教団の最も基本的なルールである教則に違反し、倫理観が一著しく欠除した行為であると言えます。尾行、盗聴、盗撮を批判する前に、教として自らの行為、名主様の教えを棄てて異教を唱えていることの違法性を自覚していただきたいと思います。確かに一般的に言えば、尾行、盗聴、盗撮は良くない行為ということになります。しかし、洋一師の教祖が教祖の教えに対して異議を唱え、その教えの根本部分を変更しようとするという前代未聞の状況において、教えを守り、教団を守るという目的で、やむを得ずに行われたという意味で、飯や教が言うように犯罪となるような尾行、盗聴、盗撮と同列にできるものではありません。もしこの事実が明らかになっていなかった場合、誰も気がつかないうちに教団全体に、正統ではないキリスト教系の教えが浸透し、別の宗教に変えられてしまっていた可能性があります。事実、平成29年2月に洋一師氏が立春祭の場で教団執行部の発言をした当時、そのような流れが教団で加速しつつありました。それが事実が明らかになったことでその流れを阻止できたわけです。洋一師と正明氏はルールを無視してまでも自分たちの信じるところを世界救世教の組織の中で実現させようとの思いがあったのでしょう。しかし、その企てはあと一歩のところで暴露され、結果的に彼らは離脱を余儀なくされました。このような事態に至ったことは非常に残念ですが、名主様の法統が守られたことは唯一の救いだと思います。新の皆さんにはこの事実を知って、名主様から先の先生方によって連綿と続く名主様信仰に立ち戻られるよう祈っています。
メシア教では世界教が洋一師、正明氏、家族を追放したとの報道を続けており、その報道内容を信じておられるメシア教の信者が多いようです。しかし、決して世界教が彼らを追放したわけではありません。メシア教が自ら離脱を選択したというのが事実です。皆さんご存知の通り、飯が起こした裁判において、この度和解が成立しました。和解というのは、お互いが話し合って争いのないようにと決めたことです。その過程で飯や教が自ら離脱を選択したということが事実です。飯や教の新の皆さんにはこのような説明はなかったと思います。が、飯や教執行部としては口が避けてもそのようなことは言えないでしょう。出ていく、すなわち離脱するということは、和解といえども離反を意味します。だからこそ、まだ裁判所の和解命令が出る一ヶ月前から「勝った、勝った」と浮かれて、和解の内容が明らかになる前に先んじて自派の新の結束を図ったのでしょう。しかし、信仰的な観点から見て、私たちは飯や教の聖地からの離脱は名主様がなさったことと受け止めております。しかし、新徒の皆さんはいつでも元の教えに帰ることができます。是非熟慮していただきたいと思います。何度も言います。が、世界教が飯や教を追放したのではないということは知っていただきたいと思います。飯や教の執行部の方、特に正明氏は新徒の皆さんにその事実を十分説明していただきたいと思います。
一方、最近の飯や教内部の動向に目を転じると、洋一師と正明氏との間で世代交代が進んでいるようです。洋一師はすでに新徒を指導する立場から徐々に身を引いているようで、飯や教から拡散されている様々な情報や布教の内容は全て正明氏が中心になっているようです。すでに正明氏は教祖であった洋一師を凌駕した存在になっているように見受けられます。そこには正明氏が教祖を超えた存在になるように教団として組織的に動いている様子が見て取れます。次の文章を見てきたいと思います。これは飯や教が2025年5月並祭、正明様聖誕祭について通達文と題して各教会に発信された通達文です。「君の誠名主様であられる正明様が発せられる真実の御言葉の一言一言を中心よりお受けし、重大なご発表を賜わり、さらに新しい段階へと進ませていただく火の聖地建設に、真の救いの三本柱、祈り、職、音楽の実践に、そして全人類を真実の道へご案内する扇状電動の見業に大いなる希望と喜びを持ってお使いさせていただきましょう」と綴っています。冒頭から「生身の」との書き出しです。その意味するところは、正明氏が生きているイエスであり、名主様ということではないでしょうか。これはメシア教では正明氏を救い主に位置づけようとする布石の一環であろうと受け止められます。正明氏の原説を信じきっている人すればありがたいという思いでしょうが、一般的な思考で少し考えれば、非常識極まりない表現であることは容易にわかります。「イエスの生身、真実の御言葉」といった正明氏の存在と発言がイエスの御言葉であるかのような表現は一般的な社会常識からかけ離れています。このような、ほとんど洗脳と言っても良いような手法では、世界メシア教はカルト的な体質を持っていると指摘されるのも無理はないかもしれません。飯や教がこのような表現を使ったのは初めてのことだと認識していますが、書いたのは選教部長です。彼がこのような重大なことを自身の判断で書くことは不可能でしょう。少なくとも理事長、正明氏の文書の中にあった教えよりも給与細彩という金の亡者のような表現についても正明氏の指示があったはずであり、今回も選教部長ではありますが、主導しているのは正明氏であることは間違いないでしょう。この通知にも見られるように、飯や教においては正明氏を組織的に過剰に美化し宣伝する行動が日に日に際立ってきていることが非常に気になります。この動きは正明氏が自作自演で自らを進歩させるセクト作りに入っているのではないかと疑います。それも単なる信法ではなく、イエスと名主様の再臨という、いわば星人、生き神様という位置づけの世論作りをしているのではないのではないでしょうか。今回の通知が出されるに至って、やはりここまで来たかという気もします。血統であることを金科玉条のごとく唯一の価値として取り上げ、常に名主様の親族であることを訴えてきましたが、その行きつく先はある程度予想ができるものでありました。また、正明氏はまだ若く、一連の言動からはあまり苦労せずに育ってきたように見えます。正明氏の幼少期からの成長の過程についてその詳細は知る由もありませんが、少なくとも四大教の息子という立場において庶民の苦労という経験は少なかったはずです。信仰の世界において指導者となるには学問的な学びも必要でしょうが、それよりも精神的な学びと宗教としての救いの実践経験が求められるのは当然のことでしょう。その経験が乏しい中では、自らの存在を進格化し、その発言を唯一の教えとする手法、すなわちお告げ信仰に向かわざるを得ないのではないでしょうか。今回の通達文の「生身の正名主様であられる正明様が発せられる真実の御言葉の一言一言を中心よりお受けし」という文面からは、正明氏を進格化してその権威を絶対的なものにしようとする思いが透けて見えます。飯や教の新の皆さんの中には、このまま正明氏についていっても良いのか疑問を持ちながらも、様々な事情で動くことができないでいる方がきっといらっしゃると思います。今一度よく考えていただき、改めて名主様信仰の道へ向かわれることを願っております。主に名主様を求める