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なぜ人は天狗になってしまうのですか?

為末大学 Tamesue Academy14:10

Transcription

はい、試せ大学の質問コーナーです。これはいい、シンプルでいい質問ですね。いつも楽しく動画を拝見しております。なぜ強くなったら天狗になってしまう選手がいるのでしょうか?是非田さんの意見や考えをお聞きしたいです。

これはありますよね。ま、私も各意私もそうでしたけども、ま、今もかもしれないですが、あの、ま、ありますね。で、これまず最初に考えなきゃいけないなと思うのは、その人は天狗ではなかったのか、元々ってとこですね。あの、ま、スポーツではないんですけども、こういわゆる実会に出てですね、ま、いろんな方にお会いしますけども、成功者の中にやっぱり天狗になってる方いるんですけど、ま、で、ま、その人の話を聞いてみると、あ、これもう子供の時から天狗だったんだなっていう人って結構いるわけですね。で、一方で成功したから天狗になるってパターンもありますよね。まずこの2つは結構違うんだ。先天的天狗とですね、後天的天狗が違うんだっていうのはまず一つ念頭のあの頭に置きたいなと思うんですね。

で、まずこの天狗とは何かってところをですね、抑えなきゃいけないような天狗になったから失敗するとは限らないっていうことなんですね。むしろ天狗になったからこそ成功するような世界もあるんだってことなんですね。なぜなら、あの、ま、よく成功者の方とかですね、お話してるならありますけども、とにかくあの話されるのはもうダメだ。うまくいかないっていう声耳に人の声に耳を傾けなくて自分を信じたんだっていうんですね。で、あの、どんなものを天狗ってイメージするかによるんですけど、やっぱり自分を信じて貫き通してる人に芸人ってのはやっぱ外から見てるとちょっとあいつ天狗になってんなって思ったりするわけですね。または評価がずれる場合ですね。って何かって言うと、自分世界一になるんだと思っていて、そのことを疑ってない人がですね、え、みんなと話してる時に、いや、俺あの世界一になる予定だからっていうか、世界一のふりをして振る舞ってるとちょっとあいつ天狗だってんじゃないかって見える時ありますよね。で、こんな風に本人が自己認識してるあの場所とみんながその人の、ま、実際こっちは正しいんですけどね。現状として見てるのがずれてる時にこのギャップがなんか生意気とか天狗に見えることもあるわけですね。

で、ま、ある種の傲慢さっていうのは決定のシンプルさとかですね、大胆さに繋がりますから、みんなの声聞き始めたらこう心が乱れてですね、ま、客観的になったり優しくはなるんだけど鋭い意思決定とか大胆し決定できなくなるってこともあってですね。ま、前提として天狗になることは悪いことかどうかったら別の話だと。ま、見てる側としては気分悪かったらあるんんですけど、本人の成功として悪いことかいいことかってのは実はあんま関係ないんだってところを是非抑えたいと思うんです。なぜな、なぜこんなこと言うかと言うとですね、あの、私は結構、ま、長く競技やってるとですね、中高時代のある選手とそれからその後トップ選手になった選手をこれあの自系列でずっと見ることできますけど、結構中高時代に天狗だ、あいつは天狗になったとか、あいつは変わったって言われてる選手がオリンピアとかトップ選手になってんですね。で、当然本当の意味でなんて言うかな、天狗になってる人はこうなってないんですよ。で、話をよく聞いてると、なんか礼儀がなってないとかですね。いわゆる教育的な文脈における、え、生意気な感じなんだけど、ただ一方で意思の強さにも見えるわけです。先生を対に見てたり、あの、本来先生敬うべきなのを対等に見てて議論深かけてたりしてる感じなんですよ。で、他の選手と一緒に行動しようとしないし、ま、時には規範を破るしで、これって、ま、学校からしてそれ良くないっていうの、これ、ま、非常に正しいんですけど、一方で規範って常識なんで、常識ってのは当たり前で当たり前からはみ出てるからトップ選手なんですよ。この例外トップ選手になるってのは例外になることであるっていう人の規範から外れることであるっていうのがやっぱどっかの部分にあってですね、いい人勝つトップ選手ってのは我々イメージしたいんですけど、この人もたくさんいますけど、まあでも普通じゃないことやるからね、普通じゃないことはできるわけで、やっぱ規範を当てはめるにはちょっとあんまり向いてない世界なんですよね。唯一無理の人間になろうとする人に関しては。っていう意味で結構そういうことがあるんだと思ってるわけです。ま、そういう意味で、実はこの話の中核は天狗になるってどういうことなのかってことだと思うんですね。

で、今話してるような天狗はですね、ま、簡単に言うとみんなとはちょっとずれてるとか、ま、ゴーイングマウだとか、ま、その中で名前きが潜んでたり色々こそういうこと天狗って言うんですけど、もう一方の多分おっしゃりたい天狗はですね、もうちょっと人を見下したりとか、自分の道をいくってよりも、むしろ周りのとの高いとの関係性の方に着目して、あいつより自分が植えだとかそういうむしろな言うんでしょうね。カウントを取ったりとかそこに囚われてる人のイメージなんだろうと思うんですね。

で、じゃあこういう人って何なのかって言うと、ま、端的に言うと自分の価値っていうのを社会におけるポジションで測ってるってことなんで自分のポジションが高くなれば、え、価値があるし低くなると価値がないと。ま、応にしてそのポジションって何で決まるかって言うと社会の側が決まりますから。自分の側じゃなくて、ま、言い換えるとですね、だから校舎の天狗は評価の軸が自分じゃなくて世間にある人なんですね。で、世間にあるから世間が評価するポジションを自分が取るとこれは立派になったっていうことの振る舞いをしていくだけなんです。自分に軸があると世間が立派に言うかどうかと関係なくなるんで、ま、本当は物事そんな綺麗じゃないですけどね。グラデーションですけど、ま、大雑把に言うとそんな感じと。だ、つまり世間的な評価が低い時の振る舞いと世間的な評価が得た時の振る舞いが変わるっていうことはその人は社会に自分の価値を依損してるってことなんですね。自分の価値ってのは世間が決めると思ってる。ま、そうするとその人は一体どういう行動取りがちかって言うと世間がいいっていうものを追っかけがちなんでいわゆる権威的なものとかブランドとか、え、立派って言われるものに対してわーっと走っていく傾向にあります。なぜなら世間なんで評価軸だから世間がいってものは自分がいいと思うもんだと。

で、そういう価値観持ってるさらに背景にあの特権意識って言うんですかね。やっぱりあるうん。地位を得たりした人っていうのはそのように振る舞っていいという風に背景に、ま、物事フラットに人間ってのはフラットに見ないでですね。ま、簡単に言うと物事は立派なもんとそうじゃないものがあるっていう価値観。これ誰にもありますけどこれが強い人は自分のが立派な側に回った時にそのように振る舞うわけですよね。物事に対して。で、これが私は天狗の正体なんじゃないかなと思ってるわけです。つまり、え、ま、自分自身で頑張ったかなんか、ま、運あると思いますけど、その土地を、あの、そのポジションを得た時にそれらしく振る舞っていくってことはいわゆる天狗になるっていうことで、ま、前脳に溢れるわけです。これが一個うまくいったんだ他もうまくいくはずだっていう、ま、ベクトルで見ますから人間未来をこうなってるってことはこのまま行くんだっていうので、まあなんかこの感じと他者に対して見下す感じみたいなものが天狗感に現れてんじゃないかとと思います。で、それが、ま、さっき申し上げた通り、本質的な自信なのか天狗なのかは、ま、いずれその後の結果が決めると思うんですけど、ま、ややこしいのがこのパターンの天狗であってもですね、人間って生意気なんて言うかな、自信がないよりある方がうまくいく確率はちょっと高いんで、それでうまくいっちゃうってこともあるかなと思います。ま、私はとはいえ、あの、天狗になっちゃうと、その校舎の方の天狗ですね、他者を見下す系の天狗ってのはいずれこう失ぺ返し食らってうまくいかなくなるなと思うんですけども、ま、そういうことなんじゃないかと思います。

で、あの話はですね、そのいよいよ私の言いいたい確信にしてもありました。じゃあ天狗になること何なのか。そうじゃなくなるとどういうことなのか言うと一言で言うと世界を個で見るか関係で見るかってことだと思うんですね。もし個で見るならえーま天になる結果が出たか天になるってことだと思うんですけど結果が出たのは全部自分がやったことになるわけです。なぜならんだこの子だからですね。Aっていう人間が優勝したんならAっていう人間が頑張ったからだっていう一方で、え、Aさんを育てたご両親もいますし、それをサポートした、え、指導者もいますし、え、ご飯を食べてんで、それを作ってくれた人もいますし、ま、友達からの友情があったりすると思うんですよね。ま、いろんな関係の中で人間ってのは結果を出すんで、ま、簡単に言うと人間のやってることってのは環境から切り離すことは難しいわけですよね。あの、にでもじゃあ全部その人のもんじゃないのかって言うとそうでもなさそうだっていうこの子なのか関係なのかっていうこの二つの考え方で個の方が天狗になりやすいです。やっぱ人間はなぜなら自分でやったことは自分でやったからなんだってことでだからその成果も全部自分のもんなんだ。そんな俺がこんな風にして何が悪いみたいになりがちですよね。で、それで関係を意識させるんですけども、で、関係を意識させる時の指導者の上等文句はですね、譲渡の言葉はですね、感謝なんですよね。でもなんで感謝出てくんのと、この個別のね、あの、個人で行くっていう人が急に関係意識するっていうのは感謝なんだと。周りの人に感謝しなさい。いろんなサポートしてことに感謝しなさいっていう風に、あの、言うんですよね。まあ、なんか分からんでもないなって気もするけど、なんか今一つピンとこないですよね。

で、私は突き詰めるとですね、え、感謝っていうのは日本語にするとありがとうとかありがたいって書きますけど、あることが難しいっていう風に書きますよね。で、一般的な感謝ってのはしてもらったことをありがとうございますと。で、ありがとうって思ってのなんか返せっていうこのギブアテイクですよね。何かベネフィットがあって、そのベニフィットが支払いをしてないベネフィット、つまり等価交換じゃないとちょっと差があると。え、もう自分は3000しか払ってないのに3万円もらっちゃったと。これ2万7000のギャップがあると。これなんかお返ししなきゃいけない。ま、みんなこんな感じがだからありがとうとかですね。あの、返せないからありがとうとかこういう損得って言うんですかね。ギブアテイクのま、こうありがとうって言うんですかね。感謝をイメージすること多いんですけど、でももうちょっと本質的な感謝っていうのは私が思うのはあの三浦梅園ていう方がですね、あの江戸時代のま、哲学者って言っていいと思うんですけど彼が気に花が咲くよりも生きに花が咲く驚けって言ってるんですね。つまり枯れた木に花が咲くってことよりもあの生きてる木に花が咲いて生命が式があり生命が動いてること自体が実は驚きなんじゃないかっていう風に言うんですね。で、これはま、レイチェルカーソンかあの何でしたっけ?センスオブワンダーと本の中でそういう自然環境の中で当たり前に見えたものが当たり前に見えなくなるっていうこのセンスのことをセンスオブワンダーって言うんですけど私はセンスオブ感謝ってもしあるとしたらその本質は世界が当たり前に見えなくなる瞬間のことだと思うんです。で、当たり前で見えないってどういうことかって言うと、あの、あらゆるものが奇跡的なバランスで成り立っていて、ま、考えてみたら不思議ですよね。なんで単細胞生物の中に何かある種いきなりくっつけましたと。ま、そもそも生命が何で誕生したか不思議ですけど。で、それでミトコンドリアが中にあって、ま、強制生物って言うんですかね。多細胞生物みたいになってで色々進化のプロセスもありますしもあって死にたいってのもおかしくないところを哺乳量が生き残ってそして今の我々になりそして太陽の温度もこんなちょうどいい加減になりって色々な奇跡のもで今自分が生きてるんだと。これ何つ自分がやってないわけですよね。宇宙の誕生も太陽も生命の誕生も何もかもやってなくて最後の最後のリレーのバトンを受け取ったのが自分に過ぎないんだっていう感じのこの圧倒的な圧倒的な合う世界の中の関係者の中にポツンと存在する関係の中においてのみ存在する自分っていうのを自覚することそしてその世界に対してのイフとなんか言いのない喜びが感じられることが感謝なんじゃないかと思うわけです。すごい圧倒的な関係性を自覚するってことが感謝の根源にあり、そうなると個人でやってることなんてな何もひつないぐらいの感覚になるわけですよね。こうあると天も何もみたいな世界がやってくるんだと思うんですね。ま、なかなかこれちょっとそこまで言うと悟りみたいな話ですかみたいな、あの空を自覚することですかとかそんな感じになっちゃいますけどでも感謝をしようしようっていうのはまあなかなかみんなできないですけど本質的なものはでもそういうような感覚を少なくとも意識しようぜっていうそういうアドバイスなんじゃないかと思うんですね。ですので、え、天狗に対抗するのは感謝しかないんだけど、でも本質的な感謝っていうのはそのようなあの圧倒的な宇宙感を自分が自覚するってことになっていくんじゃないかとと思っておりますね。ちょっとだいぶぶっ飛んな話になりましたけど。そんなな感じでこれため世代では皆さんの質問に私は回答するって形でお答えしてますので是非質問がありましたらこちらにお寄せください。