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え、それでは今回の授業内容に入ってまいりたいと思います。え、今回は、え、第2部、え、タドル、え、コミュニティという概念の由来、え、の、え、第4章、え、創像の共同体としての国民国家と地域社会、え、ということで、え、進めてまいりたいと思います。はい。
え、それでまず、え、この書の始めにというところで、え、この書の、え、主な目的というのが、ま、え、確認されますが、え、近代社会の国民国家で、この国民国家を、ま、ネトという風に言うこともあります。はい。ま、英語ではそのネステートと言います。はい。え、この国民国家ネーションステートですね。これマークやチェックなどをしておいてください。え、この賞の、ま、え、鍵となる、ま、え、重要な、ま、概念です。
え、この近代社会の国民国家ネーションステート、え、その成立についてですね、え、それが、え、近代社会の、え、よりも前、ま、金星以前の地域社会のあり方をどのように編成していったか、あるいは再編していったのか。え、まずこれが、え、1つ目のですね、この賞の、ま、主な大きな目的、え、そして問ですね。
で、2つ目として、ま、え、国民という共同体、え、この共同体というのは、え、コミュニティ、え、という風に、ま、言えるわけですけれども、え、国民という共同体、え、スナチコミュニティとしての意識というのがですね、え、この近代社会の国民国家の中ではどのようにして作り出されていったのか。で、そのためにその政府が、で、特にこの書では、ま、日本の、え、事例がですね、主に扱われるわけですが、え、その明治政府が、え、その地域社会のコミュニティっての、え、いかに再編していったか、ま、再編成して、え、それで、え、現在のようにですね、え、都道府県であるとか、え、市町村といったような、ま、地方行政の単位を作っていったかで、それらの単位を通じて、え、どのようにして、え、その国民国家、ま、近代の2本ですね、え、その一部として組み、え、込み、え、組み入れて、え、自命化していったのか、え、ということをですね、ま、この賞では主に、え、解き明かしていくと。
で、え、特にですね、その、え、現在、え、の日本で、え、地域としてですね、え、区分があるような、ま、こういうその都道府県、ま、47都道府県というのがありで、その47都道府県の中に、え、さらに市町村、え、あるいは宿村ですね、ま、雲入れて、え、そうしたその地方行政の単位という のが、ま、この都道府県の中にさらに小さく、え、含まれていると。で、この、え、市町村は、え、都道府県に含まれる。で、この都道府県からなる、え、1つの日本みたいなですね。え、それを、ま、え、現在私たちは、ま、え、当たり前なように思っているわけです。
で、例えば、え、この都道府県別ということで、ま、え、イメージしやすいのはその、え、高校野球ですね。ま、春と夏に行われる、ま、甲子園、え、の、え、で行われる、ま、高校野球、全国高校野球というようにですね。え、この高校野球は、え、特にその夏の、え、甲子園、え、夏の高校野球の大会というのは、え、都道府県別に、ま、行われますと。で、基本的には、ま、え、1都道府県につき、え、1チーム、ま、え、東京都などのようにですね、ま、大きい自治体で、え、まあ、2項、え、出す、え、代表、代表を出すというような、ま、そういったところもありますが、え、原則としては、まあ、1都道府県につき、え、1チーム、ま、1つの高校が、え、その件を代表して、え、講に全国大会に出場すると、で、その全国大会に出場するためには、え、やはりその予選というのが都道府県別に行われると。で、そこで、え、トーナメントをして、え、勝ちんだ、え、高校が、え、その件の代表として、え、それで甲子園でに進むと、で、その、え、全国大会甲子園では、え、東道府県の代表チームが来そうと。
で、この、え、高校野球などはですね、ま、この都道府県ごとの意識とかですね、あるいはそれ都道府県からなる日本という1つの、え、共通する、ま、あるしこう平的な、え、世界、ま、これを、ま、え、同新上の世界という風にですね、え、ま、ここでは表現されていますけれどもはい。つまり、え、ある市町村というのがあって、で、その市町村には、ま、高校があって、で、その市町村に、ま、高校があって、そこで野球が行われていて、え、野球チームとして、ま、県の予選に出ますと。で、その検態会で、ま、色々、え、各市町村の代表となる高校が、え、予選をで戦うと。で、それで、ま、その代表として1チームだけ都道府県から基本的には1チームだけ選ばれると。で、だから、ま、市町村から、ま、都道府県っていう風に、ま、同信所広がっていて、で、そこからさらに、え、日本全国大会っていうのは日本全国の大会ということですから、その延長上に、ま、日本という括りが出てくると。
で、え、その全国大会、甲子園高校野球の全国大会で、え、それでも、ま、トーナメントで進んでいって、え、そこで勝ち進んでいって、で、最後決勝戦で勝つ、勝つことができれば、そこでは、ま、え、日本一という風になるという風に言われると。はい。え、というようなですね、ま、例えばそのここで、え、言ってるようなですね、その都道府県とか市町村といった地方行政の単位で、それが同子園上に広がっていって、その先にまあ日本みたいなものもあると。え、で、これはもちろん日本に限った話ではないんですが、ま、ひまずここではその日本が事例として言われてるので、え、そこに従ってみますとですね。
で、え、こうしたその、ま、高校野球などもそうですが、更新園などもそうですが、え、イベント、ま、ここでは特に宿的なイベント、宿的なイベントというのは、ま、いわばお祭りのように盛り上がるようなイベントですね。ま、え、ここではスポーツの大会ってことですけれども、で、ま、特に代表的な宿材的イベントって言ったらですね、ま、やはり、ま、このスポーツなどはですね、ま、特にこれは、え、高校野球であれば、甲子園であれば、まあ、日本国内の、え、都道府県別、対抗別、それで、ま、影想と。で、それが、ま、世界レベルになると、例えばオリンピックであるとか、ま、サッのワールドカップ、ラングビーのワールドカップなどといったものもですね、ま、このこういった宿的イベント、お祭りのように盛り上がるイベントと。で、あるいはそこで用いられるシンボルの役割に、ま、注目してみると。
で、こうした、ま、宿的イベントやそこで用るシンボルってはですね、人々がコミあるコミュニティとしての一体感を強調すると。で、日本の場合でだと、ま、例えば日本人意識が広がったり、日本代表方向らしく思ったりみたいなですね。え、例えばここで言うとですね、ま、例えば、え、オリンピックで、え、というオリンピックという、ま、宿的なイベントで、え、日本代表を応援する。で、例えばその会場に応援に行っている同じ日本人の人たちは、え、日本の国旗を、え、振ってそれで日本代表の選手を、ま、応援すると。で、そこで用いられるシンボルってのはこの場合ですと、ま、え、日本の国旗、え、などですよね。で、それで、え、例えばその、え、応援してる選手が、ま、金メダルを取りましたと。というと、ま、表彰台上がってで、国旗が形用され、え、そして国家、ま、君がを歌うと、ま、え、いうようなですね。これも、ま、シンボルの1つです。
で、その様子を例えばですね、え、テレビや、え、インターネットの中継、え、あるいはインターネットのニュース、SNSなどを見で、え、その様子を見てで日本代表を誇らしく思うみたいなですね。え、そこがそれがここでいう日本人識の広がりのようなものです。で、実はこうした日本人意識というのはですね、この後見るように、え、そのような日本人意識を持つようになったのは実は、ま、明治期以降の話であるんですけれど。はい。で、そこで、ま、え、当時行われたその地域社会の再編っていうのを見てくのが、ま、この後の主題です。
で、この賞では、ま、それぞれの検討を通じて、え、人々の生活や暮らしの中の課題をと、え、人々自身がですね、共に解決するコミュニティとしての地域者学会の可能性というのをですね、見ていく。で、特にその最後の、え、説で、え、柳男、え、という民族学者のですね、ま、共同教育や共同研究を参照とするとはい。え、これが本省の概要です。え、ということで、その次の2節に進みますが、え、国民、え、創像の共同体の、え、創失ということですね。はい。
で、これは先ほど出てきたネーションステート、ま、国民国家の国民ですね。え、それが、ま、ある種の想像の共同体である。え、この想像共同体ってのは後ほど説明しますがはい。で、今見たようにですですね、そのオリンピックであるとか、あるいはサッカーやラングビーなどのワールドカップの日本代表を応援する理由、え、それはま、え、もちろんですね、そのスポーツ選手として優れてるから応援するっていうのももちろんあると思います。が、え、特にその日本代表を応援する理由ってことになるとですね、やはり最も大きい理由っていうのは、え、その選手たちが自分と同じ国民、ま、ネであるからであると。ま、そんなにはっきり考えてなくてもですですね、それが1番、ま、え、理由としてですですね、大きいんで、多くの人が回答するんじゃないかと思います。同じ国民、同じ日本人だからで、その日本人が、ま、金メダルを取ったり、え、ま、え、して、え、それで誇らしを思うみたいなですね。で、先ほどもま、え、触れたように、え、例えばその金メダル、え、やる他の色のメダルをと、え、オリンピックで日本人選手は取ると、え、表彰台に登って、え、後期が、え、形用され、え、国家が成唱されると。これもやはりあの同じ日本人であるという、ま、同じ、え、国に住む人たち、え、我々意識みたいなものを、え、そういったものを意識させるためのシンボルとして例えば、ま、日の丸君を、ま、つまり国旗や国家などなどがありますと。はい。
で、ここでちょっと用語をチェックしておきたいんですが、え、このナショナリズムですね。はい。え、ナショナリズム、え、ということで、このナショナリズムをマークやチェックなどをしておいてください。はい。ナショナリズム。え、で、ま、日本語ではですね、ま、国民主義とか国家主義などという風に訳されることもありますが、ま、どちらかというとカタカナでですね、このように使うのが一般的です。で、このナショナリズムというのは先ほど見たあのネーションステートとかネ国民のですね、え、そのネに、え、との関連する用語です。ナショナリズムと。
で、そのナショナリズムというのはどういうものなのかっていうですね、その定義、え、なんですけれども、え、ここでは、ま、え、そのナショナリズム研究者の、ま、定義をちょっと、え、引用していますが、え、我々は我々つまり私たちは、え、他者とは異なる独自な、え、歴史的特徴、文化的特徴を持つ独自の国民であるネーションであるという、え、集合的な進行、え、さらにはそうした独自信仰事国の枠の中で、え、実現するあるいは推進する意思や感情や活動の総称、え、それをナショナリズムという風に呼んでいます。はい。で、このナショナリズムという用語と意味をですね、ちょっと抑えておいてください。つまり国民、え、国民あるいは私たちっていうですね、私たち同じ日本人みたいな、え、それは、ま、独自の国民であるっていう、ま、集合的な信仰、ま、そう いう風に信じている。で、あるいはそういう、えった、独自の存在であるってことをですね、え、国家の悪民の中で、ま、実現や推進していくような意思や感情や活動などの総称であると。はい。え、というのはナショナリズムです。
え、このナショナリズムというのが、ま、え、近代以降ですね、特にその近代の国民国家の中で、え、情勢してきた、ま、つまり、え、ナショナリズムというのが起こってきたと。え、ま、そういう議論がですね、ま、え、特に20世紀ですね、20世紀後半以降特に、ま、盛にされるようになると。で、ここでのそのナショナリズムと基盤となるようなものはですね、え、なん、まるま人 のような国民というコミュニティであると、ま、例えば日本であれば日本人のような国民というコミュニティみたいなですね。はい。
で、実はこのナショナリズムが起こったこと、あるいはその国民国家、え、が起こってきたこと、そしてその国民国家の中で、え、の、ま、国民ネーションですね。ま、そういうものがですね、見られるようになったのは、ま、人類の歴史上、ま、あまり大昔からっていうよりかは、え、近代社会になってからの話で具体的にはそのフランス革命、え、18世紀のですね、後半のフランス革命以降の、ま、社会なって、え、そのナショナリズム、近代国民、国家みたいなものがですね、ま、え、そう、こうはっきりとした形で起こってくると。
で、フランス革命以前の社会というのはどういうものであったかって言うと、ま、なんとか人、え、例えばフランス人であるとかフランス国民といったような意識や一体感みたいなものはですね、基本的に存在してなかったわけですね。で、それはもちろんあの当時はですね、現在のようにですね、え、ヨーロッパ諸国もそれぞれの独立国っていうかはもう少しこの色々な国々が、まあ今とは違った、え、国境で、え、の国であたって、ま、日本ももちろんそうですけれども、え、ま、え、そういう、そういう理由もありますが、1番大きかったのはですね、え、この身分制度というのが当時はまだあった、ま、身分制度が前提であると、え、つまり平え、平民っていうのは一般庶民ですね。一般庶民、え、と、え、それ以外の、ま、生殖者であるとか、え、貴族、え、といった平民と平民ではない特権階級。この間に、ま、え、かこたるです身分制度が存在していた時代ですと。で、身分制度がそ前提となっているんだから、え、同じ例えばフランスって、フランスの国内に暮らしていてもですね、平民、一般庶民と、え、その貴族や生殖者っていうのはですね、そもそも、ま、同じ国に暮らしていたとしてもですね、まず、え、日常の生活で会うことはないような、ま、そういう、それぐらい、ま、階級が、ま、はっきりしていたわけなので、で、そういう人たちその身分制度があるってことはですね、同じ国民っていう意識を持用がなかったわけですよね。確か に同じフランスってエにエリアには住ん でるんだけれども、え、まずその中でそもそも合わないし階級ごとにま、違ったあの階級がはっきりしてたで、え、身分がはっきりしてるので基本的には会うことはない。で、そういうそういう中では、ま、あの、連帯意識みたいなものも、ま、育ちようはないわけですよね。あの、特に平民の方はですね。
ところがですね、このフランス革命後の社会というのはですね、かなり、え、大きく変わって、まず大きかったのか身分制度の廃止ですよね。で、それによって、ま、え、その平民と、え、それ以外の生殖者や貴族っていうのは基本的には、ま、その身分制度っていうのが廃止されたので、え、法の元の平等みたいなものは、ま、実現すると。で、あとは、ま、その選挙が、ま、実施さで議会が成立するようになってくる。で、かつてはその平民、ま、つまり一般庶民、ま、貴族でもない生職者でもないような、ま、その辺りにたくさんいるような一般の平民、庶民、え、というのもこの平民を国民として設する、ま、つまり平民から国民へという風にですね、え、ある手行とこのフランス革命以前とは異なる、え、そうした国民としで、扱われるようになると。これはだから、ま、え、非常にあの、平等にな、平等にはなるわけですよね。その身分制度は廃止されて、え、かつての、え、貴族や生殖者と平民が、ま、同じような地位になると。これは別の言い方をすると、ま、え、平等になったってことは人々が禁質化するっていうことでもありますよね。禁質化あるいは確率化と言ってもいいと思いますけれども。はい。え、だから身分度がなくなったわけなので、ま、え、ま、平等にはなるわけですよね。え、ただ、ま、同時に禁質化もすると、ま、そういう風に言えます。はい。で、この、え、動きというのはですね、え、この流れは、ま、フランスを、ま、このフランス革命後の社会でまずフランスでこのような流れになって、で、このな、この動きはですね、他のヨーロッパ諸国などにも波及していくと。
で、その他に、ま、例えばその同じぐらい、え、これより少し後のですね、ま、日本でも同じような状況になってくる。ま、日本における国民意識の喪失ということでですね、やはりそのフランス革命の様子などを見つつ、ま、日本は、え、その江戸からのですね、え、体制交換を受けて今度、ま、明治維新政府っていうのが、ま、え、成立するような時期になってくると。で、え、この、ま、え、例えば副基地などはですね、ま、え、同じような状況に日本もあったんだけれども、ま、日本には、ま、ただ政府ありて未だ国民あらずというもかなりとうん。え、といったようにですね、ま、え、そのだんだんこう国民意識あ、あとはその国民国家というのが成立してくると。
で、この当時の日本というのはですね、まだ明治期に入ったぐらいの日本っていうのはそのかつてのその反のような体制というのがまだ少し残っていて、ま、身分、あ、ま、かつてのその明治、明治政府前の、え、日本というのは、ま、身分や地域に応じて人々の使う言葉や文化などは異なっていたと。また、ま、共通の日本語のようなものは基本的に存在してなかったわけですね。ただ、まあ、日本、ま、いわゆるその標準日本語ですね、はなくても特に問題はなかったと。ま、なぜかと言うとですね、ま、ここに例にあるように、ま、その武士と農民があるいはそのまた同じ農民であっても、ま、東北の農民と九州の農民同士が、ま、自分たちは同じ日本人であるっていう、まあ、一体感を持つことは難しいと。ま、このように、ま、え、この教科書にはですね、起がありますけれども、これなどはまさにそうで、え、この当時 はですね、まだそんなにあの、え、同じ国と言っても同じ日本レトって言っても、え、そんなにその移動が容易にできるわけじゃないので、え、今の今みたいに飛行機や新幹線などは当然そんなもそのようなものありませんでしたので、この後、ま、鉄道が整備されていくわけですけれども、基本的には特にあの平民というか一般的な庶民は、え、長距離の移動ってのは基本的 にしてなかった時代です。だから、ま、共通の日本語みたいなものがなくてもですね、え、ま、そもそも東北の農民と九州の農民がですね、ま、会う、会うような機会ってのはまず基本的にはほとんどないわけですよね。かなり稀れであると。で、あったとしてもおそらく、ま、こ言葉は通じないわけですよね。共通の日本語というものがないので。ま、東北に、え、東北、ま、東北の方言と九州の方言みたいなもの。で、これは、ま、かなり、ま、同じ日本語と言っても、ま、かなり異なる言葉になっているわけですよね。で、そのような状況だとですね、ま、自分たちは同じ日本人だみたいな意識や一体感みたいなもの持つのは、ま、難しいわけです。
で、その他にまだこの明治期はですね、ま、その強固な身分制度がまだ残っていて、で、社会は地域によって分断もされていたと。で、さらに、え、この国の政治に関わるのは基本的には、ま、え、近代よりも前だと、え、武士のみであると。で、民衆に国家や国民といった意識がないと。で、そこに、ま、え、そこでその明治政府は、このままだとまずいということで、え、人々に同じ、同じ国家、ま、同じ日本の、え、国民であるっていう一体感を持たせる必要を感じると。はい。
で、それで、え、その次のですね、この、え、ページのに行っていただいて、ま、明治政府による市民平等というのが、ま、え、なるわけですよね。はい。この市民平等もマークチェックなどをしておいてください。ま、え、日本市の事業などでも、ま、出てくることですが、ま、ここでその身分制度を廃止して、ま、いわゆるその、え、農民や、え、証人などのですね、ま、市の交渉と言われるような、ま、え、人の市民を平等にすると。で身分制度の廃止というのは先ほどフランス革命のところでも見たように、え、人々を禁止化するっていうことでもあるわけですよね。ま、平等になるっていうのは別の言い方すると、ま、え、それ人々が、ま、みんな禁化化すると。で、そこで人々は国民になる。で、え、例えばその富国、富国強兵、え、つまり国を経済的に豊かにするで、え、兵士を兵力を増強すると、え、そういったその明治国家として強化していくと。で、そのためには、ま、人手が必要であると、ま、具体的にはその富国兵、え、つまり、え、国を止ませる、経済的に発展させるための労働力、特に都市部の労働力、え、あとは強兵、つまり兵力ですよね。兵士で、そういった人で、え、はどこからやってくるかって言うと、脳部からやってくるわけですよね。え、つまりその脳民を、え、兵士としてあるいは都市の労働力として同員すると。で、そのためにはまず農村からですね、都市への移動手段っていうのを確保しなくちゃいけない。え、ということで、え、鉄道というのがですね、整備されるわけですね、この全国的に。で、で、その鉄道網を全国に引いて、え、それで農村から都市への移動をしやすくすると。ただそれはもちろんあの旅行をしやすくするとかではなくって、あくまでその農村から都市に、ま、都市にですね、労働力を集中させる、それで富国強兵をなす、そのための、ま、移動を、ま、スムーズにするということで、ま、鉄道が整備されると。
で、これは例えばですね、え、このアーネストゲルナーという、ま、え、著名なショリズム研究者がいるんですけれども、え、これは、ま、日本、これもやはりあの日本に限った話ではなくてですね、大体、え、ま、現在あの、え、先進諸国と言われるような国だと大体同じような経路を辿どっていると、ま、近代社会で産業家が、国民意識を生成するようなプロセス。え、それを例えばそのゲルナーは、え、色々な、ま、ヨーロッパ諸国などの事例で研究していると。はい。
で、あとはですね、これにもちょっと関連するところで、この教育にも変化が見られると、え、つまりその学校に、ま、1番大きいのは学校に通わせることを義務化するわけですよね。この時期、ま、明治期に、え、つまり今の義務教育の走りですよね。で、なぜ学校に、あの、親が子供を学校に学校に通わせることを義務化する。なぜかと言うとですね、これはその学校の先にある、え、その労働ですよね。仕事職職業将来的に例えば会社や工場などで働くあるいは兵士として働くでもいいですけれども兵力となる。いずれにしてもま、どのような場所でも労働するための基礎的な能力ってのを学校で、え、教え込む必要があると。え、それを義務化してしないと将来的に労働力として役に立たないからであると。はい。そのために、ま、その学校に通わせてることを義務、義務化する、ま、つまり義務教育というのがこの時期にまず、え、整備されると、え、ですから全国、全国に、え、全国に組なくあの鉄道と同じ、鉄道も同じように、え、小学校からまず作られるわけですよね。ま、義務化するわけだから、ま、みんな通うってことですから。はい。で、あとはその学校ではですね、その標準語、つまり標準2本を作って、え、その日本語のスタンダードとなるようなですね、標準語を作ってそこで教えると。で、かつてだったらその東北の脳民と九州の脳民が合うようなことはまずなかったわけですけれども、その交通手段、ま、つまり鉄道などが整備されてで、都市に人が集められると、え、いろんなバックグラウンド、ま、東北出身者もいれば、北海道出身者もいれば、九州出身者もいれば、え、ていうようなですね、え、そのような状況になってくるので、え、標準の日本語がないと、え、職場での労働というのに差し触があると。だから、ま、教える必要がある学校でって いうことなわけですよね。はい。で、その他に学校ではですね、そうした、ま、え、標準語とかですね、その勉強に関すること もそうですし、あとはその人々の身体な検化っていうことでですね、ま、具体的は例えば科目で言うと体育などですけれども、そこで正しい更新の仕方などを教えるわけですね。この更新というのも例えばその、え、軍隊兵士の更新のシーンなどをですね、ま、記録映像とかで見たこともある方いると思うんですが、その更新がうまくできるかどうかも結構その身体能力で重要なことだったりするわけですよね。ま、それにだけに限らないんですけれども、え、その体育っていう科目も必科目にすることによって身体を検化する、ま、そういった、ま、え、この教育の変化というのが、ま、見られたと。
で、やはりこれも教育、学校の学校教育の現場でもですね、え、行われるようなですですね、え、この、ま、シンボルを共有するイベントとメディアの重要性ということで、で、人々が同じシンボルや経験を共有できるイベント、え、これによって、ま、その同じ日本人みたいな意識をですね、強化すると、え、重要な役割を持っていると。で、そのため にこの明治政府で、え、採用されたのがですね、この政治的な象徴としての天皇、え、というものでしたと。ま、いわゆるその天皇性あるいは天皇陛下ですよね。で、この天皇陛下というのは、ま、え、ま、肖像画にされたり、ま、写真であったりとかですね。あとはその実際にこの明治期からですね、全国の人々に向けてですね、ま、え、人口業行を行う天皇というのが、ま、当時から、ま、え、いわばツアーのような形でですね、え、その東京の、ま、公挙にいるだけではなくて全国様々巡って、で、その土地の人たちと交流をすると、え、あるいは顔ま、え、実際そので天皇もその現地をしするみたいなですね。実はそれがイベントとして非常に重要だったと。で、そこではですね、その、ま、その土地を訪れた、ま、天皇でをですね、歓迎するために学校であるとかあるいは地域の人たちが同員されるとで、天皇に経令をしたり、え、お辞儀をしたりですね、日の丸を振ったりとかっていった議例を行ったりすると。で、それらの様子がですですね、え、やはりこの頃、ま、発達し始めた新聞とか、あとはもう少し時代が後になりますけれども、え、写真や映画、え、そしてラジオといったですね、え、そういった各種のメディアを通じて、え、全国的に報じられると。で、そこでさらにそれを見た、ま、え、人たちは、ま、その現場にいなかったとしても、ま、報道ニュースとかで見てですね、それ同じ日本人だっていう存在の、ま、それを意識させるということが、ま、え、起こってくるわけですよね。で、それで、ま、いわばその想像の共同体としての国民意識というものが反まれるで一体感を強める。で、同じ明治天皇の元で、え、生きる日本人みたいなですね。え、この写真や映画やラジオといったメディア、これは、ま、近代社会でやはり誕生したんですけれども、これらの発明と普及というのが天皇というイメージのルフにも、ま、貢献したと。で、それによってその日本人としての一体感とかですね、日本という国への国家への中心、そして地域社会の再編も起こってくると。はい。
で、ここで、ま、重要なキーワードとしてですね、この想像の共同体は、これマークやチェックなどをしておいてください。想像の共同隊でこれはあの、え、ベネディクトアンダーソン、ま、アンダーソンというですね、え、主にアメリカで活躍した政治学者が提唱した、ま、有名な概念ですね。ま、その近代社会のそのナショナリズムというのを読み解く上で、ま、近代の国民国家というものは、ま、創造の共同体であると。この想像の共同体、え、英語ではですね、この、ま、アンダーソンは英語で書いてるわけですけれども、これですね、この想像の共同体、え、イマジドコミュニティ、え、これを、ま、訳して、え、想像の共同体と言っていい ます。え、イマジコミュニティですね。ま、つまりコミュニティなんですけれども、この共同体っていうのは。で、この想像のっていうのは、ま、つまりその例えば天皇というイメージ、え、これがま、え、ルフしてで、それで、ま、日本人意識みたいなものが立ち上がってくるみたいなですね。ナショナリズムみたいな感じで。はい。
ということで、ま、これが、ま、特にその明治期の、ま、え、国民国家の形成で、ま、重要であったことであると。で、ここでは、ま、日本の事例を中心に扱ってますけれども、これはま、え、世界の、ま、当時のですね、ま、現在も、ま、精神諸国と呼ばれるような国々では具体的にはそのヨーロッパ諸国であるとか、あとは、ま、アメリカであるとかですね。ま、そういった、え、国、国々では、ま、天皇星ではない世をですね、え、何らかの形で、ま、その国や地域によってですね、ま、それぞれそのシンボルみたいなものがあって、それによって、ま、ナショナリズムが形成されるみたいな、ま、そういった流れになってくるのがこの時代。ま、19世紀から20世紀初にかけてという時代だったと。はい。ということです。はい。
はい。え、それで次にですね、え、この国民国家と再編される地域社会ということではい、ここをちょっと見ていきたいと思うんですが、そうしたその明治政府の中でですね、え、その国民国家、ま、近代国民国家が、ま、明治政府を中心にですね、成立してくると。で、その中で地域社会、ま、地域の社会、え、日本国内の社会、え、地域社会というのもですね、再変されてくると。で、その動きをちょっと見ていくわけですけれども、え、ここではまずその、え、姿勢、え、町村性の導入ということでですね。ええ、市勢町村性の導入。え、この制度というのは、ま、先ほども少し出てきた同新所の世界の形成、ま、な、え、ま、え、バ市、まるま県、え、その先に ある日本国みたいな同新延上に広がっていると。で、これができてきたのは実は近代以降の話で、え、金星までの基本的な構成単位というのは、ま、町村町と村だったわけですよね。で、当時はその爆犯体制ですので、え、まだその明治政府重立前ですので、町と村を支配する領主はいると。で、その1つの村に複数の漁師が存在するってことも普通にあった。これは、ま、現在だと、ま、考えられないわけですよ ね。ま、1つの村に、え、1つの領収とは限らず複数いることもあったと。はい。
で、こうしたその、え、村の中で生きる、ま、100章、ま、つまり農民ですけれども、え、農民は、ま、生産や、ま、政策を支えるような、ま、え、共同意識、え、共同組織を作っていたと。例えば、ま、水の分配、ま、え、多を耕すのに必要な、ま、水であるとか肥料や燃料祭取のための参輪の管理、え、あとは、え、脳半期、ま、つまり農業が、え、半忙機になっている時の、ま、総合扶助組織などですね。え、その農民はですね、ま、こういった組織をそれぞれ自主的に作っていた、共同組織を作っていた。ま、え、1人だとやっぱり難しいので、ま、共同で村で共同でと。で、あとはですね、その村の中だけではなくて、例え、ま、支配する村を支配する両親者が異なっていたとしてもですね、え、その村の範囲を超えて村同士の連合組織を作ると、で、そこでその生活上の関係が結ばれるっていうこともあったと。ま、だからお互い助け合うネットワークみたいなものですね。村の中 に限らず外の他の村にもですね、え、求めて、え、それで、ま、実際共同組織を作ったりしていたと。で、ここではその課題ごとに、え、組み合いが形成され、え、1つの村ってのは複数の組合に所属していた。それがまあ普通だったと。
で、これがですね、ま、え、このように、ま、その明治政府以前受立以前の、え、日本の地域社会っていうのはこれが、ま、重立ったものだったんですが、それが、ま、メイン政府のですね、地域社会の再編っていうことで、え、まずその、え、軍町村編成法が制定される、これが、まあ、1878年、ま、明治11年のことであると。で、これはま、その国の下にですね、権を置くと、え、ふと剣を置くと、で、まだこここの段階で、ま、北海道と東京都というのはありませんのではい。ま、負と県、え、東京は東京府だったところですね。はい。で、その下に、ま、軍農村部を置く、あるいは区を置く、ま、都市部ですね。で、さらにそれらの下に村と町を設置するっていう地方行政の仕組みが、ま、整備されると。
で、さらに大きかったのが先ほどもちょっと出てきた、え、市町村性の導入であると。で、これが、え、それからさらに10年後、え、明治21年1888円であると、え、ここで、ま、地方自治という考え方が導入される。で、え、身近な自治体の行政の事務を、え、住民自ら、え、遂行する、行うことで行政の責任持たせようとすると。で、そのためにその町村合併というのを、ま、300から500個ぐらいを基準として、え、ま、町と村を合併するわけですよね。で、自治体としての行政を作り出すと、ま、新しく作り出す。で、これは実はかつて見た、あ、先ほど見たようなかつての町や村とは全く異なる性質を持っているとはい。いうものであったと。
ま、このように、ま、明治政府が、ま、上からの上からですね、その町や村をですね、合併して、え、それで新しい地域社会の単位を作るというわけでなんですが、ところが、ま、そのでは人々はそれらをすぐに受け入れた、受け入れたかというとですね、新しいその町村をすぐにコミュニティとして意したわけではなかったと。はい。で、そのように、ま、言えるわけですよね。ま、そのコミュニティとしてすぐに意識したわけではないと。はい。
で、え、ここでもう1つその、ま、先ほど見たその、え、この指勢町村性の導入であるとかですね、ま、え、関連する法律の制定というのがあった後のですね、その後のちょっと流れを見ていきますとはい。え、この地方改良運動と、ま、共同性の、え、消失っていうことでですね。はい。この地方改良運動っていうのはちょっと、ま、ここで見ていくわけですが。はい。えっと、その前にですね、この募新少書ですね。はい。え、1908年、ま、明治41年のですね、母少々はい。え、というですね、これがま、その、え、明治天皇による少書ということなんですけれど。はい。え、これちょっと、ま、母心少書チェックマークなどをしておいてください。で、これはどういうものかと言うと、え、この日路戦争ですね、ま、ロシアとのす戦争後のですね、日本が、え、この、ま、国際部隊に、ま、踊り出て、で、え、欧米列教、ま、ヨーロッパや、ま、アメリカなどと、ま、肩を並べて、ま、帝国主義の国家として発展するという、そのために、ま、その天皇、天皇性を、ま、中心として、え、国家政策に国民が共同一致体で協力する。え、そして金動に励むっていうことをですですね、ま、精神的にあるいは道徳的に掲示し た、ま、え、明治点との面治天皇による少々、え、それは、ま、母心少々です。
で、この地方改良運動というのはそれを受けてですね、この、ま、え、地域社会、え、町や村の水準から、え、財政的、経済的、社会的を喪出する。ま、この、え、欧米教と肩を並べる、え、帝国主義国家、ま、大日本帝国ですね。え、その、ま、え、地域社会の、え、水準での基盤を、え、作る、え、それを目指し た国家政策のことをですね、地方改良運動と言います。はい。地方改良運動、マーク、チェックなどをしておいてください。はい。え、これがその、え、この少書を受けて、ま、展開されると。で、ここではその、え、先ほどメイ政府によって決められた、え、新しいタ、町や村っていうのをですね、え、国家のための共同体として、ま、え、構築していくっていうことが行われるようになる。はい。そういうになってきますと。え、ではこの地方改良運動で具体的にどういうことが行われたかというのがですね、え、次なんですが、え、例えばそのブラク、え、ブラクの、ま、リ、リア統一政策、ま、つまり、え、ある集落のですね、ま、え、リや林ですね、3輪を統一するような政策で、これがですね、ま、かつてだ、昔は、え、以前は、え、それ、え、その住民1人1人が、ま、その3輪を保有していたのを、ま、一旦その政府が、ま、政府や自治体はですね、ま、え、統一すると、ま、個人所有ではなくなしな、個人所有ではなくて統一してしまうと、ま、そういったやりか、そういった、ま、政策であるとか、ま、あとは先ほどもちょっと触れたその小学校教育を強化すると、さらに強化するとですね。あとは、ま、その村落の若者組織、ま、若者のが組織するような、ま、集団への弾圧をしたり、え、あるいはその青年会を再変したりみたいなですね。ま、そういったことが行われるようになると。ま、だから上から上からの、ま、え、管理が結構厳しくなってくると。で、極めつけは、その芸能の取り締まりですね。え、具体的にはその盆踊りなどのですね、ま、芸能を取り締まる、厳しく取り締まるように なると、ま、風気の乱れみたいなものをですね、取れ締まりすると。
で、その一方でですね、この青年会や青年団といった組織、え、これは、ま、若者組織としてですね、その国家秩序の中に組み込まれると、ま、メイ政府の中に若者たちを組み込むと言ったように、ま、これもある種の管理を強める。え、管理や介入を強めると。で、あとはこの青年会や青年代といった若、新しいその若者組織ではですね、野学会に参加させたり、え、野学会ってのは、ま、補修教育のようなものです。あとはその農時改良事業への参加を推進したりとか、ま、農業関係の改良事業へに参加を促したり、え、このかつてだったらその重視的な若者組織ってのはあったんですが、ま、それがその、え、弾圧されて、ま、解体されると。で、その代わりに、ま、青年間、成電、青年会が強化されると。で、ここではその指導者というのも、ま、え、町や村のま、村長みたいな人とや、ま、小学校の校長みたいな人が、ま、その仙南会の会長などになったりすると、ま、そういった、ま、え、ことも行われるとようになると。
で、あとはもう1つ大きかったのはですね、この神社合子ですね。はい。この、ま、地方改良運動の、え、試作の1つではい。この神社号士マークやチェックなど押しておいてください。え、神社号士、ま、神社号士えと言いますが、え、これはつまり、ま、神社を合併するということなんですけれども、ま、現在でもですね、え、日本の各地には、ま、神社がですね、たくさんありますが、実 はこの時代、ま、え、明治期のこのぐらいの時期までは、え、今以上に波数というか、ま、無数に存在していたわけですね。神社が、ま、現在よりも、え、圧倒的に多くのですね、神社が、ま、え、存在していたと。で、それらをですね、この時期に、え、多数存在した神社の多くを廃止し たり、あるいは合併したりして、え、原則 として1、1村、ま、1つの町や村に1つの神社っていうのに統合する政策が行に なると。あ、それがその神社合子というものです。だから神社合、ま、つまり、え、神社を、ま、合併したり廃止したりすると。で、ここではその町や村をですね、新しいコミュニティ、ま、明治期に作られた新しいコミュニティとして再編成するため、編成するための核として神社がいつけられる。で、それで合子が強皇的に行われると。で、それによって、ま、亡くなった神社っていうのも多数あるわけですよね。はい。ま、このようにですね、ま、え、これ、これらが、ま、地方改良運動の主な施策、具体的に取られた施策なんですけれども、え、このようにその地域のコミュニティっていうのも実はですね、もう必ずしは自然派生的に起こったものではなくてですね、いやば、そ、ま、行政あるいは政府の介入がかなり、え、入っていると。それで、ま、成立したコミュニティという風に言うことができるわけですね。
で、え、こうして、ま、ま、あるですね、かなり強引な手法で、え、上から、ま、メイ政府はですね、その町村合併や地域社会の再編をですね、進めていった、ま、神社合師なんかもそうですけれども、え、その1つですがはい。で、これ当初はですですね、ま、かなり住民からですね、その上からの、ま、強行的な手段持ってきて、ま、メイ政府がこのようなことを行って、大きな反発がかなりあったわけですね。え、しかし、ま、かなり、ま、反対運動とか起こったりはしてたんですけれども、え、一期が起こったりとかですね。ま、しかしその時間が経過するについてだんだん定着したりしていって、え、それ自命化されるようになったっていうですね。ま、そういった、ま、え、経緯を辿っています。はい。
で、その中で、え、もう1つクローズ、ここの賞のですね、必者がクローズアップするのがこのコミュニティソングというものなんですね。はい。え、このコミュニティソング、はい、これちょっとマークチェックなど押しておいてください。え、コミュニティソング、ま、つまりそのコミュニティの象徴として作られるような歌のことをコミュニティソングと言っています。で、例えばどういったものかというと日本というコミュニティを考えるんであれば日本国っていうコミュニティだったら国家、ま、つまり君が用ですよね。で、その他にも例えば学校というコミュニティだったらその学校の効果であるとか、ま、ま、学校の量の歌ですね。え、あるいは、ま、応援みたいなものも含まれるかもしれません。で、あとは会社の社、会社の歌ですね。会社だったらはい。会社っていうコミュニティ、え、あとは県という単位だったらの歌もありますし、え、市町村の歌もある。で、その他に、ま、民用や新民用と呼ばれるような、ま、ジャンルの音楽がありますと。
で、こうしたそのコミュニティソングというのがですね、多数現れた最初の時期、え、それいつぐらいだったかていうと明治20年から明治30年代にかけてだったと。ま、ちょうど19世紀の、え、終わりから、まあ、20世紀諸島にかけて、で、ここではその地理教育、え、この地理消化、ま、つまり地理の歌ですよね。で、ここで日本全国のその地理っていうのをですね、え、自分たちが住む地域を強度への愛教心を情成することを単にしてですね、え、愛国、愛国心を観用すると、え、つまりそのコミュニティソングを歌うことによって、で、それが学校教育で、ま、地理教育の一環として行こでですね、自分たちが住む地域アイデンティみたいなものを強める、ま、愛教心を作、作り出す。で、引い手はですね、その愛教心の延長上に、ま、愛国心、ま、つまり国家への中、え、中神みたいな、え、それを、ま、養っていくみたいなことが、ま、試みられると。ま、これもやはりあのメイ政府がですね、その国民としての一体感みたいなものを作、作っていくと。ただし、ま、この地理消化はですね、この時代はもちろんよく歌われてたんですが、現在ではですね、この長野県の見下として今でも歌われているこのシナの国っていうですね、え、この、え、喧嘩を例外として、え、そのほとんどを現在でもうすでに忘れ去られていると、ま、だからこの長野県 の県の国はその例外であるとはい。いう風に紹介されています。はい。で、これは、ま、あの、現在でも、ま、あの、例えばそのYouTubeなどでもですね、え、この動画として、え、その歌ですね、合唱が、ま、聞けますので、興味ある方は見てみてください。はい。あとはその長野県の紹介もあります。はい。
で、これらはですね、ま、そのコミュニティソが最初に現れたこの時期っていうのは、そのへの愛教心とか愛国心を養うみたいなですね。え、そういったものが中心だったんですが、え、そっからさらにですね、え、その15年後、20年後ぐらいになると、え、住民たちによる自発的なコミュニティソングというのが出てくると。で、それが1920年代から30年代にかけて、え、言語で言えば、え、対象時代から昭和時代に移り変わるの時期ですよね。で、ここではその市町村の単位に、え、捜索された民用や新民用などのご投資損が流行する。え、鉄道などの交通が発展し、え、最終的な観光旅行ブーム、ま、つまりその、え、一般庶民がですね、観光旅行をするっていうブームがこの時代に起こると、え、ただ同じぐらいの時期にですね、世界教皇とかあるいは日本だとその昭和大教皇ってのが起こると。で、それによって地方経済が疲弊する。で、そうした中でその地方のですね、ま、ご知ではないんですが、ま、その市町村やあるいはその市町村で、え、商売を営む自衛業者がですね、その地元地域のことをですね、宣伝して、え、それで観光客を有知するための手段としてコミュニティソングを活用し始めるっていうのがこの住民たちによる、え、自発的なコミュニティソングの登場であると。で、さらにですね、この時期はですね、え、音声メディアが発達した時期でもあるんですね。え、具体的にはラジオが放送開始するってのがですね、これがちょうどあの1925年、え、対象時代の終わりにですですね、ラジオ放送が開始される。え、当然あのテレビというのはもっとさらに後なので、え、まずラジオが放送回避でかなり画期的なメディアとして登場する。で、あとはレコードですね。LPレコード、え、にこれも普及し始めた頃なので、え、それで、ま、このコミュニティソングが、ま、それに伴って普及していく。で、それが観光客の誘致であったり、え、商業振行、ま、商業、ま、観光客が、え、を呼び呼んで、え、それで商業が地元の商業が潤ってですね。で、あとはその、え、それによってコミュニティソングが、ま、例えばヒットしたりすることによって、え、地域の地元の人たちの共同愛みたいなものもですね、さらに強まる。
で、こうしたその民用、ま、特にこの新民と呼ばれるようなジャンルですけれども、新民用の誘致や地域宣伝の成功によって地域の中でコミュニティソングとして活用できる歌や伝統的な再例、民族用事などが あるかどうかっていうのをですね、ま、掘いばその掘り起こすような動きってのも出てくると。で、この新かつてのだから、ま、元々昔から歌いつがれてきた民用をなんとかこの、え、コミュニティソングとしてブームに載せられないかみたいなですね。え、そういうな動きも出てくると。で、その代表例としてここではですね、この、え、ここでの記述では、え、この新潟の作動さというですね、民用、え、これが、ま、いかにその元々確かに作動さは歌い継がれていたんだけれども、え、このコミュニティソングとして売り出すってことにあたって、え、作家や作曲家が、ま、かなりアレンジをして、え、それで、ま、いやば、その都市部、都会向けに、ま、ある種こう作り直していったみたいなんですね。で、これをその、ま、え、このエリックホブズウォームという、これもあの有名な、ま、ナショナリズムの研究者なんですが、え、いやば、その伝統、伝統の想像をすると、ま、伝統っていう言われてきたものを取り起こしてきて、で、それを、ま、新たに作り替えて、で、それ例えば都市部に向けて売るみたいなですね。で、それを作動さの例から、ま、見ていいます。はい。ま、佐さんも、ま、非常に有名な民用でありまして、ま、いくつかその、ま、実際にその、え、歌っている様子、民を歌ってる様子、作動客さんの、え、それが、ま、いくつかのサイトで見ることもできますので、え、関心ある方は是非見てみてください。はい。
で、このようにですね、ま、そのイベントやメディアをとつ通してですね、ま、その想像の共同とのがというのが自化化してくると、ま、民用や新民用っていうのは先ほど見たようにラジオや、え、レコードを通じてですね、音声メディア、あとは保存会、観光博覧会、発表会などで、え、教授されるようになる。で、実はその中で最も大きなイベントというのは盆踊りだったんですね。で、このボ通りという踊りは先ほど見たようにかつてはその、ま、明治期の、え、ま、その地域社会の再編の中で弾圧の対象となったわけですよね。ま、風気を乱出すものであると。え、ところがこのコミュニティソングの、え、ブームの時期になるとですね、民用のブームの時期になると、え、むしろこの盆踊りの中でコミュニティソングが、ま、その、え、ま、え、ぼ踊りとして使、盆おり踊りで使われて、で、コミュニティソングも、ま、ボ踊りのために作りましたみたいなですね、曲もたくさんあったわけですよね。で、それで、ま、急速に盛になったというですね。ま、そういう、ま、あの、ボドりに 対する評価ってのが、ま、その国民国が警戒すべき対象としてのボ取りから、え、その商業観光進行、ま、地域のイメージを表する地域アイデンティティのための、え、ま、ただし、あの、かなり、ま、え、歌詞も曲もコントロールされていると、ま、先ほどの作動さのようにですね、ま、そういった、ま、いやば、ま、かなり脱色化されたボ踊りがあるんだけれども、そのボ踊りに対する評価がかなり変わったと。はい。ま、そういう、ま、興味深いことも起こっていると。はい。
で、ここではその新民用っていうのはですね、ま、え、町村学によって作り出された町村を全体とする共同意識の換期であると。はい。で、こここの、え、この民用ブームの時期ですね、え、1920年代、30年代、ま、全国的に共演大会行われたり、あるいはラジオ放送で盛りを行われる。ま、これで地方アイデンティティが強化されたり、ま、民用や新民用を全国にアピールするで、あとは他の地域の民用とあの競い合うみたいなですね。こうしたプロセスの中で、ま、日本という想像の共同体は形成されていったと。で、それぞれが住んでいる町村のようなコミュニティをその中の一部として自名するような認識、ま、日本という想像の共同体の認識は自然と国民が持つように なるとはい。え、というような流れにとになってくると。はい。
で、それらを受けてですね、この4節コミュニティとしての強度の可能性ということで、ま、結論付けられるわけですが、はい。これまでの議論をまとめた上でですね、必この必社は、え、ま、近代日本の地域社会における町や村というものは国民国家の支配のための単位であったと。ま、人意的に上から愛教心と愛国を勘用する ための対象。ま、こうしたその同子園上の世界の枠民を自命化したものであると。で、先ほど見たようにこのに、ま、一役買っ たのがですね、制度が、え、私性であったと。で、ここではそのいわばこの上からの自治みたいなことがですね、なされて、ど、どちらかというと、その住民の、え、ま、自治というよりは国家政策に一致共同するような町や村の民を作り出すと、え、町民村民を作り出すと、そう いう風に、ま、働いてきたわけですよ ね。で、ここで必社が注目するのがこの柳田、え、柳田国の、え、強度教育、強度研究論というものです。はい。コミュニティ、ここにコミュニティとしての強度の可能性を探ると、え、柳男王、はい、この人命をチェックしておいてください。柳男王です。はい。AB王、え、は、ま、民族学者で、で、特にその日本の民族学を確立した、ま、総者と言って良い、ま、え、人物です。はい。で、元々、ま、政府の官僚として働いていた、え、柳北が、ま、その後、ま、民族学者に展じて、で、1930年代にはこの共同研究や共同教育に、え、力を注ぎます。で、そこでは、え、かつてのですね、その戦前の多くの共同教育を、ま、え、柳は批判して、え、この新しい自治の単位、地方自治の単位が、え、町や村といったもの が共同生活。ま、これはコミュニティと言い換えることができるわけですが、え、共同生活コミュニティとしての自という課題に見通しが立ってないという風に批判的に指摘すると。
で、その中でその、ま、柳の、ま、え、共同教育、共同研究の目的として、ま、貧困や移植、婚姻、ま、結婚ですね。あと はその労働などの人々が共通して抱える日常生活の場合での不幸、え、困難原因、それらの原因を、え、歴史的に救命し、え、課題解決の手がかりを提供すると。で、例えばここではその農民の貧困、ま、脳村部の貧困といった問題っていうのも、ま、必ず、ま、歴史的な期限を持っているからその原因を解明するで問い直し、え、解決施策を探求する。で、この貧困だけに限らずですね、生活原般の問題について、え、人が知らんと する願いに答えることこそが、え、共同研究と共同教育の役割であると。で、それはその、え、ある地域だけではなくてですね、それぞれの強度で問題を考えるだけではなく、え、各地の共同研究者はお互いに知識を共有比較検討し、相互に啓発することが必要であると。で、これがまあ従来、ま、その柳が提唱する以前の共同教育、共同研究に内在する強度自慢みたいなものを反省的に乗り越える論理になるという風に、ま、必者は評価するわけですね。
で、ここではその、え、社会学者の佐藤健二のですね、え、このそれぞれの身体にいわば与の存在として当たられてる日常であり、ま、実践として使いこなされ、再生産されている意識感覚のあり用そのもの。え、これこそがまあ強度であると、ま、だから単純にその強度というのは場所、単なる場所ではないと。あるし、この意識感覚のようなものがあると。はい。え、そのように、ま、え、その柳の議論を受けてですね、ま、この、え、社会学者の佐藤健二のですね、ま、こうした、ま、え、見解を、ま、引いていると。
で、以上からですね、この柳田の共同研究、共同教育から、ま、え、この書の必者は、え、コミュニティを通じた自治の可能性というのを探る。ま、理害に関わる、え、問題への自発的参加による問題解決というものであると。で、先ほども見たようにこの柳度というのはですね、え、単に場所っていうことではなくって、え、人々の自治を可能するようなコミュニティとしての自治体、ま、本来の意味での自治体、え、の可能性を、え、与えるものであるという風に、ま、え、この賞の必社は、え、決断付けています。はい。で、え、この柳男についてはですね、この、ま、日本の民族学の総者でもありますので、ま、非常に、ま、重要な人物、あの、特にその近代日本を、え、語る上では、ま、欠かすことができない、え、人物ということで、ま、様々な研究や、え、あとは、ま、え、昭和時代、中期ぐらいまでは、ま、生きてましたのでテレビに出店した時の映像なども残ってますのではい。え、これであのですですね、え、こういった、ま、参考資料の一部でありますが、え、興味関心にある方は是非この参考サイトからですね、あの、え、関連情報を見てか確認して、え、読んで読む、読むなどしていただければと思います。はい。
え、ということで、え、今回、え、第4章は、え、これで終了と、え、なります。