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どうも、ドントテルミ新井です。今日はエジプトのギザっていうところに来ています。
ギザには、世界一有名な遺跡と言っても過言ではない、ギザの大ピラミッドがあります。ピラミッドって実は世界で1つだけってわけじゃなくて、エジプト中にたくさんあるんですけど、ピラミッドと言ったらこのギザの大ピラミッドって感じで、ギザの大ピラミッドがピラミッド界で最大にして一番有名です。
圧倒的な大きさもすごいんですけど、ギザの大ピラミッド見た目も超正確な四角錐で、砂漠の真ん中にそんな性格無比な建物がドーンとあるので、ま、ちょっとSF感があるというか、見るものを圧倒する存在感があります。
でも、そんなピラミッドってどうやって作られたのかとか、誰が何のために作ったのかとか、そういうことがほとんど分かってないです。それどころか、まだまだピラミッドの中に隠された謎の空間があるんじゃないかって言われてたりして、とにかく謎だらけなんですよ。
今日はそんなピラミッドを実際に見て回りながら、ピラミッドの謎に迫っていきます。
ギザの大ピラミッドがあるエジプトは、アフリカ大陸の北東、地図的に言うとアフリカ大陸の一番右上にある国です。地中海に面していて、ギリシャとかトルコの下で、右隣にサウジアラビアがあります。それで、ギザの大ピラミッドのギザはエジプトの北側、エジプトの首都カイロから南西、地図的に言うと左下に20kmくらい行ったところになります。
ピラミッドが建設された当時は、エジプトの首都はカイロじゃなくて、カイロから少しだけ南に行ったところにあるメンフィスっていうところでした。ギザは九州とメンフィスからも20kmくらい離れていて、今も昔も首都近郊の街っていう感じです。そんな首都の大隣の街ギザに今回見ていくギザの大ピラミッドがあります。
ピラミッドの「ピラミッド」っていう名前は、実はギリシャ人がつけた名前で、ギリシャにピラミスっていう三角形のパンがあって、そのピラミスに似てるので少しもじって「ピラミッド」っていう名前がつけられたとされています。
当時のエジプト人はピラミッドのことを「メル」って呼んでいました。「メル」は古代エジプト語で高いところみたいな意味で、ま、ピラミッドができるような時代に高い建物って本当にピラミッドしかなかったはずなので、高いところ、で「メル」っていう見たまんまの名前がつけられたわけです。
そんな「メル」、ピラミッドは古代エジプトに100個以上あって、何もバカでかいやつだけをピラミッドっていうわけじゃなくて、四角錐になって石だったら小さくてもピラミッドなので、高さ数メートルのものから、ギザの大ピラミッドみたいに100メートル超えのものまであります。小さいピラミッドってなかなかイメージないと思いますけど、こういう小さいやつもちゃんと定義上は孫ことなきピラミッドです。
そんな感じでいろんな大きさがあるピラミッドの中で、最大の高さを誇るのがこのギザの大ピラミッドです。このギザの大ピラミッドが有名になりすぎて、もうピラミッドといえばこのバカでかいギザの大ピラミッドっていうイメージになっちゃってるわけです。
それで、そんなピラミッドよく見てもらうと、ま、3つセットになってて、手前から小、中、大ってピラミッドが並んでます。それで一番小さいやつが61m、中くらいのやつが136m、一番大きいやつが139mです。小さい61mのピラミッドでもかなりの高さです。タワーマンション、タワマンって定義が60m以上高さがあることなんで、一番小さいやつでもタワマン級の高さです。で、中くらいのやつと一番大きいやつは小さいやつの倍以上の高さ、136mなんで、本当に東京とか大阪、名古屋とかの大都市に行かないとないレベルの超高層ビルくらいの高さがあります。
それでいて、ピラミッドの幅もとんでもなくて、横幅200m以上あります。ま、タワマンとか都心の超高層ビルの横幅って、ま、せいぜい100mくらいなので、横幅200mで高さ139mのピラミッドを見たんですけど、本当に存在感っていうか、圧がすごい。言葉にできない凄さがあるというか、とにかくスケールに圧倒されるような、そういう印象を受けます。
それで、高さだ、でかさだとか、それ以外にも本当にピラミッドっていろんなすごいところがあって、ま、なんと言っても一番すごいのは歴史、ま、その古さですね。ピラミッド4500年前に作られてます。4500年前って、暦で今2024年なんで、ま、西暦が始まるさらに2500年前、紀元前2500年頃に作られたってことになります。2024年前で西暦0年、どんだけ昔なんだよってなるのに、その倍以上昔、紀元前2500年ってもう昔すぎて、どんな感じの時代だったのかとか、全く想像がつかないですよね。そんな時からピラミッドはここに存在してたわけで、ま、それを2024年の今見てるって、本当にタイムスリップというか、すごい不思議な感じがします。
そんな大昔、今から4500年前にこの超巨大ピラミッドを建造したのはクフっていう人物です。クフ、その名の通り王様、古代エジプトの王様なんですけど、3つセットのピラミッドの第、中、小、何も全部クフが作ったわけじゃなくて、クフ王が作ったのは一番大きな大ピラミッドだけです。次に大きい中くらいのピラミッドはクフの息子のカフラー王が作ってて、一番小さいピラミッドはそのカフラー王の息子だから、クフの孫にあたるメンカウラー王が作ってます。なので、親子3代でこの3つセットの大ピラミッド群を作り上げたわけですね。
これがクフ王です。これエジプト考古学博物館にあるクフ王の像なんですけど、高さ7.5cmしかなくて、めちゃめちゃ小さいぞ。本当に大人の人差し指くらいしかないです。この像、右足のところに小さくクフの名前が刻まれてるので、クフの像だって分かるんですけど、クフ王の姿が分かる像って今この世にこの像しかない。きっと昔はもっと大きな巨像とかたくさんあったんだと思いますけど、壊されたり盗まれたり、またまたまだ見つかっていないのか、今クフ王の姿を知る手がかりはこれしかないです。
そんな小さな像しか残ってないクフ王なんですけど、像とは違って実際のクフ王は超強大な権力を手にしてました。正直、昔のことすぎてそこまで詳しく記録が残ってるわけではないんですけど、こんなに巨大なピラミッドを建造することができたってことは揺るぎない事実なわけですよ。当然、これだけ大きいピラミッド、かなり長い期間かけて作り上げられたわけで、それだけ長い期間ピラミッド作りに専念できるような国だったわけです。国内で氾濫があったり、外国からめちゃめちゃ攻められたりしてると、ピラミッドなんて作ってる場合じゃないってなってしまうわけなんで、それだけ長期間平和にエジプトを納めていたっていうのが分かります。
それでいて、ピラミッド、クフ王が作ったって言っても、当然クフ王一人で作ったわけじゃなくて、とんでもない数の国民を働かせて作り上げたわけですよ。なので、クフ王はピラミッド作りっていう一つの目標に向かって多くの国民を働かせることができるだけの統率力、借すませ、国民からの圧倒的な人気があったって推測されます。
そんな感じでクフ王がピラミッドを作ったわけですけど、じゃあ何のためにピラミッドが立てられたのかっていう明確な理由は、実は現在まではっきりとは分かっていません。でも、いくつか有力な説はあって、最も有力な説は王のお墓説。このギザの大ピラミッド、ただただ石を隙間なくガチガチに組み上げた四角錐ってわけじゃなくて、実は中に人が入れるようになってます。それで、ピラミッドの中にある小さな部屋に王の遺体が安置されていたんじゃないか。だからこのでっかいピラミッドはそれごと大きな王のお墓だったんじゃないかっていうのが、王のお墓説です。
あの地面からちょっと上に行ったところに、表面のコーティングがなくなって穴っぽくなっているところがあると思うんですけど、あそこがピラミッドの入り口で、そこからピラミッドの中に入っていけます。今も観光客の人たちが入っていってるのが分かりますね。でも、実はあの入り口って、古代エジプト人が作った正式な入り口ではなくて、正式な入り口はもう少し高いところに、あそこなんですよね。じゃあ、その下の穴、正式な入り口じゃないなら何の穴なんだよって思うところですけど、実はあの下側の入り口、元々盗掘用の穴でした。盗掘用って、盗むに掘る、なんで、つまりピラミッドの中にあるものを盗むために掘られた穴です。今から1200年くらい前に掘られた穴なんですけど、1200年くらい前、エジプトはイスラム帝国っていう国に支配されてて、そのイスラム帝国の皇帝が「ピラミッドの中には莫大な財産があるらしい。ピラミッドに穴を開けて中に何があるか調査しろ」って命令を出して、その時に掘られたわけです。
いや、なんでわざわざ盗掘用の穴を掘って盗むんだよ、正式な入り口から入って盗めばいいのにって気がしますけど、1200年前は正式な入り口が綺麗に石で隠されていたんですよね。だから当てずっぽで盗掘用の穴が掘られて、そしたらたまたま正式な入り口のすぐ下を掘っていたっていう。ま、それで正式な入り口から入った道と盗掘用の通路も中で奇跡的に合流してます。だから、ま、どっちの穴から入っても大丈夫ってなってます。
はい、僕今日ピラミッドの中に入るチケットをゲットしてるので、あの盗掘用の穴からピラミッドの中に入ってみたいと思います。正式な入り口は今も石で隠されたままになっているんで、観光客はみんなあの盗掘用の穴から入るようになっています。僕もあの穴からついにピラミッドの中に入っていきたいと思います。
はい、ピラミッドの中に入ってきたんですけど、ピラミッドの中動画撮影は禁止で写真しか撮れないので、ここからは中で撮ってきた写真を見て欲しいんですけど、ここがピラミッドに入ってすぐのところですね。このピラミッドの入り口になっている盗掘用の穴。さっきも言ったように、ピラミッドの中のものを盗むぞっていう不純な動機で掘られた穴なわけですけど、この穴を掘るのもすごく大変です。ま、何しろ本当にただの石なんで、掘るっていうより砕いて割っていくみたいな感じになり ます。でも、この穴ができた1200年前、まだツルハシとかもちろんないし、ダイナマイトとか爆弾とかもないので、ツルハシです。ツルハシを持った男たちが人力で掘っていったわけです。盗掘の壁をよく見てみると、確かにゴツゴツしていて、人が手で掘っていったんだなっていうのが分かります。でも、ツルハシじゃどうしても硬くて掘れない場所は火で炙ったり、酢をかけたりして、なんとか石をひび割れさせて掘っていったそうです。ピラミッドに使われてる石、石なんで、酢とか酸をかけると溶けます。ま、そういった工夫はしてたみたいです。
そんな手掘り感溢れるところを進んでいくと、加工通路っていう通路が出てきます。ここが加工通路の入り口です。ここから先は一般の人は入ることができません。加工通路って、その名の通り下の方に行く通路で、ま、ピラミッドの斜め下に向かって100mくらい伸びています。この加工通路、100mほど下るとピラミッドの地下室にたどり着きます。地下室、縦7.2m、横14mで、バドミントンのコートより一回り大きいくらいの広さで、ま、高さは5.3mなんで、結構広い空間です。地下で風もないんで、ま、問題なくバドミントンはできると思います。これ今から100年以上前、1910年に撮影された地下室の写真なんですけど、今でもピラミッドの下にはこの地下室が眠っています。地下室っていうくらいなんで、地上に出てるピラミッドの三角錐の内側じゃなくて、その下の岩盤の中に地下室があります。
ピラミッドってさっきもちょっと言ったように、ひたすら石を積み上げて作られてるんですけど、ま、それってしっかりした土台がないと無理です。砂漠の砂の上だと石の重みで地面に石が沈んでいってしまって、ガタガタになっちゃいます。だからピラミッドってめちゃめちゃ硬い岩盤の上に作られてるんですけど、地下室はその岩盤を削った先、地下30mのところにあります。ギザの大ピラミッドを作ったクフ王のお父さん、スネフェル王っていうんですけど、スネフェル王も実はピラミッドを作ってます。でも、そのスネフェル王、ピラミッドを砂の上に立ててしまって、土台がしっかりしてないので、上に乗ってるピラミッドは傾いて崩壊しかけてます。途中でで急遽作り方を変えてなんとかしたらしいんですけど、そのお父さんの反省を生かして、息子のクフ王はちゃんと硬い岩盤の上にピラミッドを作ったわけです。だから岩盤をくり抜いた地下室まで作ることができた。でも、じゃあこの地下室が何のために作られたのかっていうのは、今も謎のままです。もしかしたら、本当にバドミントンのためだったのかもしれない。ま、そんなことはないと思うんですけど、有力なのは、王の死後の世界とか、ま、あの世の象徴みたいな感じで、作られた宗教的な空間だったんじゃないかみたいな説くらいで、ま、やっぱり何しろ証拠がないんで、何のために使われていたのか、どんな用途があったのかは、今も研究中ではっきりとは分かってないです。
それで、地下室に向かう加工通路の入り口の上には坂になってて、上に向かう上昇通路があって、こっちの道は一般の観光客も入っていきます。でも、上昇通路かなり狭くて、高さ1.2m、幅1mしかないです。だから中腰でかがんでいかないといけないんですけど、それでいて長さは40m、傾斜もまあまあある坂道なので、結構きついです。それで、ピラミッドの中ってなんかひんやりしてるイメージがあるかもしれないんですけど、外より湿っぽい感じがして、結構暑い。全然快適じゃないです。ピラミッドの中って貫通してるトンネルってなくて、どの道も全部中で行き止まりになっちゃってて、もちろん換気扇とかもないんで、ピラミッド内で空気が循環しない。だからなんか不快というか、まずっと同じ空気がむわっと止まってる感じがあって、なんだか息苦しいです。
そんな息苦しい上昇通路をなんとか抜けると、突然巨大な空間が現れます。ここ、大回廊っていう、ピラミッド内部で一番大きな部屋です。幅は2mしかないんですけど、長さは47m、高さは9mもあって、入った瞬間に「おお」ってなるというか、こんなに大きな空間がピラミッド内にあるっていうことが信じられない、圧倒されるような広さです。この大回廊、ま、今は石作りの簡素な見た目ですけど、昔はそうじゃなかったんじゃないかって言われていて、これよく見て欲しくて、これ通路の両脇にある石なんですけど、等間隔で謎の窪みが残ってます。だから昔はこの溝に木がはめ込まれてて、アーチ状になってたって、ただ、だから立派なアーケードみたいな感じになってたんじゃないかって言われています。この大回廊の先に、ピラミッド内で一番大切な王の間があるんで、その前の道みたいな感じで、昔は綺麗に装飾されていたっていう説があるわけです。
それで、この大回廊がピラミッド内で一番大きな空間っていう風に言ったんですけど、それってちゃんと見つかって確認されてるものの中で一番大きいだけで、実は最近の研究で、この大回廊の上に、大回廊に匹敵するくらいの大きさの空間があることが明らかになってます。ピラミッドの高さ60〜70mくらいのところに、長さ30m、幅や高さもおそらく大回廊くらいはあるであろう巨大空間があることが分かったんですよね。しかも、このピラミッドの未知の空間を見つけたの、日本の研究チームです。2017年に名古屋大学の研究チームが発見して、世界中で大きな話題になりました。名古屋大学の研究チームがどうやって未知の空間を見つけたかていうと、僕らが病院で受けるレントゲンみたいな感じで、ピラミッドを投資しました。それで、大回廊の上に未知の空間があるぞって分かったんですよ。ま、でも、はっきりと全部が見えたぞってなったわけじゃなくて、具体的にその大きな空間の中がどうなっているかとか、中に何があるのかとかってことまでは分かってないんですけど、ま、少なくとも大きな空洞があることは間違いない。なので、もしかしたら何かすごいものがその部屋に残されているかもしれないし、現在もその空間については研究が進められている最中です。も、日本の研究チームがピラミッドの謎を解き明かしてるってすごいかっこいいですよね。
それで、大回廊を抜けるとついにピラミッドの最終目的地、王の間に到達します。王の間はピラミッドのほぼど真ん中、地上からの高さ40mから50mくらいのところにあります。畳30畳分くらいの広い空間で、綺麗に切り取られた石でぴっしりと覆われています。それであそこにぽつりと一つ、石でできた大きな器が置いてあるのが分かるともうんですけど、あの器こそクフ王の遺体が収められていた棺だと考えられています。今は中は空っぽなんですけど、ここにクフ王の遺体が入っていたわけです。ま、何を隠そう、これがピラミッドは王のお墓として作られたっていう説の根拠になってます。ピラミッドの中に通路があって、その終点にある立派な部屋にクフ王の遺体が入っていたであろう棺があるんだから、ま、これは王のお墓として作られた建造物でしょって言われているわけです。
ま、それを聞くと説っていうか、もうピラミッドは王のお墓だったってことでいいじゃんって思うかもしれないんですけど、ここがピラミッドが作られた目的を推理する上で難しいところで、ま、これ多分棺なんですけど、中からクフ王の遺体は見つかってないんですよ。だから確実に棺だったとは言えないんですよ。っていうのも、ピラミッドって盗掘されまくってて、中身がほとんど残ってないんです。僕も1200年前に盗掘された時の入り口からピラミッドに入っていったわけですけど、その1200年前の時点で、ピラミッドの中はすっからかんで、何も残されていなかったっていう記録が残っています。なので、多分この器にクフ王の遺体が眠っていたはずなんですけど、その後数百年、数千年経って、誰かがピラミッドに忍び込んで遺体を持ち去ってしまったと考えられています。ま、クフ王エジプトの王様なわけなんで、おそらく遺体にも金銀財宝が散りばめられてて、そのお宝ごと遺体も盗まれてしまったんじゃないかって言われてます。
そんな感じで、何者かが泥棒に入って中のものがごっそり盗まれてしまったので、棺には遺体もないし、ここがクフ王のお墓だったっていう証拠が何も残ってないんですよ。ま、棺だけは取られずに残ってて、ま、かつピラミッドはクフ王によって作られたっていうのは確実なんで、ま、それだったらおそらくギザの大ピラミッドはクフ王のお墓なんでしょうっていうのが、今のピラミッド研究では一番有力な説になっています。
そんな感じで、王の遺体とかお宝が盗まれてしまってるわけなんで、今はすっからかんの王の間なんですけど、でもこの部屋一つとっても、古代エジプト人の凄さは分かります。例えば、この石の棺。これ、長方形の巨大な石の中身がくり抜かれて、こう中に人が入れるような棺の形になってるわけですけど、これ今だったら人工ダイヤモンドを塗布したノコギリみたいな機械で切っていって、長方形の中に一回り小さい長方形の形で切り出して、ま、そのままパコって外して完成って感じになるんですけど、当時はもちろん人工ダイヤモンドを塗布したノコギリだなんて、そんな機会ないし、それどころか鉄もまだほとんど使われてないような時代です。そんな時代に、古代エジプト人は木と砂、あと鉄よりも柔らかい銅だけを使ってこの棺を作り上げてます。木と砂と銅でどうやったかっていうと、穴を開けまくった、切り出したでっかい長方形の石の上から弓引きに穴を開けていきました。弓引き式って、古代人の火起こしの再現の時によく出てくる、ま、あの棒に弓の弦を巻きつけて、弓を前後にギコギコして棒が高速回転するやつです。その切りでっかいやつを作って、木の棒の先端に銅をつけて、ま、それで摩擦が大きくなるように砂漠の砂もつけて、弓引きに動かして、少しずつ少しずつ上から石を削っていったと考えられています。なので、この石の棺の内側、くり抜かれた側の縁をよく見てみると、ま、こうやってほんのちょっとだけ丸くなっています。これは丸い木の棒を上から垂直に押し立てるようにして削っていったから、こんな跡が残ってるんじゃないかって言われてます。
でも、そんなやり方で石を削ると、めちゃめちゃ時間がかかります。この弓引きで石を削れるスピードを測って、そのスピードからこの棺を完成させるまでにかかる時間を計算したら、23人で作っても1日10時間労働で大体9年かかるっていう試算が出てます。9年って、子供が小学校に入学して中学校卒業するまでですよ。機械とか鉄すらない時代に石の棺を作るって、めちゃめちゃ大変で、ま、根性のいる仕事だったことは間違いないです。ま、それでも逆に言えば、機械も鉄もなくてもガッツと時間があれば石の棺も作れるってことが証明されてるわけで、ま、人間の可能性とか、ま、何事も不可能だって思うのは早いんじゃないかとか、色々考えさせられますね。
はい、ピラミッドの内側を紹介したので、今度はピラミッドの外側をじっくり見ていきたいんですけど、改めてこの本物のピラミッドをよく見てください。すごい雄大で、圧倒されるような重厚感があります。ピラミッドの特徴なんと言ってもこの雄大さ、大きさで、最初の方でピラミッド界最大のこのギザの大ピラミッドは高さ139m。昔はもう数メートル高かった。本来、ピラミッドって先端にキャップストーンっていう超小さなピラミッドみたいな石がひょこって乗ってて、それで完成なんですよね。これ、他のピラミッドのキャップストーンなんですけど、ギザの大ピラミッドにもおそらくこんなやつが乗ってて、少なくとももう7mは高かっただろうって言われてます。ピラミッドのキャップストーンは盗まれたのか、ま、何かに採用されてしまったのか、現在まで発見されていません。なので、言ってみれば、このピラミッドの今の姿、完全体ではないわけで、ま、そう思うとちょっと悲しい気もしますけど、ま、さらに言うと、実はピラミッドの表面も完成した時とは姿が変わってしまっていて、実は昔、ピラミッドって表面に全面コーティングがされてました。でも、そのコーティングが剥がれてしまってるんですよね。一部だけ名残りが残ってるところがあって、これとかがそうなんで すけど、こういう綺麗に斜めに切られた石でピラミッドの表面が覆われてました。完成した当時は全部こういう感じで、斜めの石で覆われてた。だから今、ピラミッドを見ると、表面がカクカクって階段上になってるわけですけど、も当時は斜めにつるっと平面、急勾配なスロープ上だったわけです。表面のコーティングに使われてた石は、すごく白くて綺麗な石だったので、ピラミッドが完成してから何千年とか経った後に、別の建物を作るための材料にしたいってことで剥がされて、別の建物の資材として転用されちゃってます。だから今のピラミッドって、本来あったコーティングが全部剥がされて、見えちゃいけないところが露出しちゃってるような状態なんですよ。
そんな感じで、大ピラミッドの表面のコーティングは全部剥がれちゃってるんですけど、大ピラミッドの隣のピラミッド、中くらいのピラミッドは上1/4くらいだけ表面のコーティングがそのまま残っています。この辺がコーティングが残ってるところですね。完成した当時は、大ピラミッドもあんな感じの表面が全面に広がっていたわけです。しかも、ピラミッドが作られた当時って、今よりもっとコーティングの石が白かった。ま、やっぱり4500年経って汚れてしまって、も、もっとピカピカの真っ白でした。このコーティングに使われてる石、途中でも言ったんですけど、黒板に字を描くチョークとか、学校のグランドに白線を引く粉とかと同じ成分です。だから本当に削り立てだと真っ白なんですよね。ピラミッドができた当時はもちろん石も削り立てだったわけなんで、4500年前は本当に真っ白な石でピラミッドが綺麗に覆われていたわけです。なので、僕らが今見ているピラミッドは本当に全然完全体じゃなくて、本来は真っ白でつるつるで、頂点にはキャップストーンが乗っててっていう感じで、今とは全く違う見た目をしていたわけです。もしタイムスリップできるなら、4500年前に行って、白く光り輝くピラミッドを見てみたいですよね。今の状態でも十分すごいのに、完全な形のピラミッド、もう想像するだけでも興奮します。
それで、高さだ、コーティングだとかも派手で凄いんですけど、地味に凄いのが横幅。ピラミッド上から見ると真四角、綺麗な正方形の形をしてますけど、一辺の長さ230mあります。だから一周するだけで約1kmあるっていう、とんでもない大きさです。それですごいのが、この方形の4つの辺、ほぼ正確に東西南北を向いています。古代エジプト人って東西南北をめちゃめちゃちゃんと把握してて、なぜかというと、星をすごくよく観察してたから。古代エジプト人農業してたので、農業する時の種まきの時期とか収穫の時期とかを正確に把握する必要があって、それを星の位置で把握してたんです。オリオン座が22時頃東の空に見えるってことは、今は10月の半ばだな、みたいなに星を勉強すれば季節が正確に分かります。そんな感じで、星の位置とか方角とか、かなり正確に把握していて、それで北極星ってありますよね。北にあって沈まない星、北極星ですけど、沈まないので永遠の星的な扱いをされていて、死んでしまったけど王の命も永遠だ的な意味を込めて、お墓の入り口を正確に北に向けたっていう説が濃厚です。お墓の入り口を正確に北に向けると、必然的に他の3辺もピタッと東西南って向くことになりますよね。そんな感じで、古代エジプト人方角をすごい重視します。ピラミッドって全部ナイル川の西側に立ってて、東側には一つもないんですけど、これは太陽は東から登って西に沈むから、太陽の沈む方角があの世に繋がってるみたいに考えられていたからじゃないかっていう説があります。そんな感じで、古代の人たちが何を考えていたのか、ま、残された遺跡とかから探っていくのはすごい面白いですよ。
それでもう見慣れちゃって当たり前になってるかもしれないんですけど、ピラミッドを見た時に一番すごいのは、とんでもない高さまで石が積み上げられてることですよ。ね。ピラミッド作りに使われてる石、見ての通り高さ1mくらいあります。重さは一つ平均2.5トン、ま、メスのアジア象くらいの重さです。そんな重たい石が合計250万個積み重ねられてできています。そりゃもうとんでもない重厚感なのも納得ですよ。実際に重たすぎる。でもすごいんだが、そんなピラミッド、凄まじいペースで出来上がっていったとされています。ピラミッドの建造にかかった時間、クフ王が王として君臨していた期間内の約20年から30年くらいだと考えられていて、ここから計算すると、1日時間ピラミッド造を行うとして、30年以内にピラミッドを完成させるためには、なんと5分に1つのペースで石が積まれた計算になり ます。もちろん4500年前のエジプトに石を切り出す機会もないし、トラックもない。ま、トラックどころか車輪すらまだ発明されてませんでした。ま、そんな中、5分に1つのペースで石を積んだっていう超人的というか、本当にどうやったんだよっていう謎なんですよ。ま、クフ王がこうして目の前に存在してる以上、なんとかして積み上げていったっていうのは間違いないわけで、実際どうやって積み上げたんだって色々説はあって、今のところ有力な説は、まずこういう感じでギザギザの坂道を作って石を積んでいった説。ま、それかこうやって真ん中に細い坂道を作って、中心からだんだん石を積み上げていくようにした説。もしくはこうやって表面をぐるぐる回るようにして坂道を作って、そこを登って説とか色々あります。でも、いまだにどの積み方で作られたのかっていう正解は明らかになっていません。ま、ちょっと崩れちゃってるところとかから石の詰まり方とかを分析して、今なお研究がなされてるってことでした。これだけ文明が進んだ現代人からしても分からない方法で石を積み上げたっていうのは、古代エジプト人の凄まじいパワーを感じますよ。ね。
石の積み方は今なお研究中なんですけど、石の運び方は割と細かく分かってて、もちろん人力は人力だったんですけど、色々工夫はしてたみたいで、ピラミッドの近くにナイル川っていう川が流れているんで、川にでっかい船を浮かべて、その上に石を積んで、川に沿って船で運んでたみたいです。川からピラミッドまでは、石に紐をかけてソリに乗せて、滑りやすくなるように地面に水を巻いて、ま、それで男10人くらいで引っ張って運んでいました。それで、ピラミッドのそばまで持ってきたら、もちろん石を積み上げていかないといけないわけなので、ま、よいしょって石の上に石を乗せていかないといけないわけですけど、どうやったかっていうと、まず石の下に木の棒を引っ掛ける。これさっき見たピラミッドのコーティング用の石なんですけど、よく見たら下のところにこういう小さい窪みがいくつかあります。ここに長めの木の棒を引っ掛けて、テコの原理で持ち上げた。斜めになってる棒の下の先に石、真ん中に石のヘリ、反対側の上の先を人がグイって下に引っ張るような形で、シーソーみたいにして持ち上げたわけです。それで石が持ち上がる先にはモルタルっていう泥みたいなやつを塗っときます。そうすると石同士滑りやすくなって、こうずずっと石を引きずりやすくなる。で、モルタルって時間が経つとカチカチに固まるんで、そのまま石を運んでいったら下が固まって固定できるっていう、ま、そういう流れになってます。これをひたすら繰り返して、巨大な岩を人力だけでぴっちりと積み上げていったわけです。
そういうテコを使ったりっていう知恵はもちろん、なんですけど、ま、そうは言ってもすごかったのは労働力、とんでもない人海戦術で作られてます。石を運んで積む人以外にも、石を切り出す人、石を運ぶ坂道を作る人、地面に巻く水を運ぶ人、モルタルを準備する人、作業員たちのご飯を作る人などなど、各所に、とんでもない数の人員が配置されていました。ピラミッドの建設には常時2〜3万人が従事していたと考えられています。2〜3万人の人々がここでピラミッドを作らされていたのか、それは大変だったというか、ま、正直ピラミッドなんて作りたいのは王様だけで、みんな国民たちは強制的に働かされていたんだろうな、かわいそうにって思うかもしれないんですけど、みんなそんなにいやいや働かされていたってわけじゃないです。ピラミッド作りに従事していた人たちは奴隷とかではなくて、普通に給料をもらって働いている労働者でした。ピラミッドの近くに労働者たちが暮らしていた村があって、そこで労働者たちは給料をもらいながらピラミッド建造に参加してました。ま、給料って言ってもこの時代はまだお金が発明されてないので、現物支給で食べ物が支給されていました。ピラミッドで働く人たちが暮らしていた村にはパン工房とかビール製造所があったってことが分かってて、労働者たちには国からパンとかビールが支給されていたと考えられています。この時代のパンとかビールって、もちろん今のパンとビールとはだいぶ違って、ま、パンはペラペラでビールもぬるくて、飲み物というよりは栄養価が高いスープみたいな感じで飲まれてたんですけど、ま、なんか職場の近くに住んでパンを食べてビールを飲んで、みんなで仕事をするって、今の僕たちとそんなに変わらない生活というか、古代エジプト人に親近感が湧いてきますよ。ね。
しかも、ピラミッドを作ってたのって主に農業しない時期、農作物を収穫してから次に種を巻くまでの農業がお休みになる時に集中して行われていました。エジプト文明の動画でも解説したんですけど、毎年夏頃ナイル川が氾濫して農地が全部水浸しになるんで、その間は農業はできないんですよね。川が氾濫してる間は農民たちは暇なんで、それだったらお給料を出すからピラミッド建造を手伝ってって感じで、国民にピラミッド建造をさせていたわけです。これは農家の人たちとしても助かりますよね。ナイル川の洪水中は何もすることがないわけなんで、ピラミッド建造の短期住み込みバイトで臨時収入をゲットできるような感じ。あと、自分で農業できる土地を持ってないこう、無職の人とかもピラミッド建造に参加して、なんとか食いついたりすることができたと言い ます。だから、王様のわがままで王様のでっかいお墓を作りますって感じじゃなくて、仕事がない国民のために仕事を準備してあげようて考えて、ピラミッドを作らせたんじゃないかって考えられています。だからこそ、みんなしっかり言うことを聞いて、ピラミッド作りにちゃんと従事してくれて、こんなに立派なピラミッドができてるわけですよ。だから今の公共事業に近い。今でも道路建設とかダム建設とかって、国が行う公共事業、公共事業には国が税金を出して、税金から給料をもらう形で大勢の人が仕事をしてます。そういう公共事業って、特に国全体が不景気の時に職を失ってしまった国民に仕事を与えて、給料を払うためにあえて増やしたりとかされます。だからピラミッド造も今と全く同じというか、本当に公共事業みたいな感じで、当時エジプトの町にいた失業者とか、農業がオフシーズンの農民たちに仕事を与えて、お給料を払ってあげるために、正直あんまり必要ないけど、国指導の事業を作るためにこあえて作らせたんじゃないかって考えられているわけです。なんか王様が自分の立派な墓を作ろうっていう理屈のためだけじゃなくて、仕事がない国民のために仕事を準備してあげようて考えてピラミッドを作ったって考えると、ピラミッドもまた違って見えてきますよ。ね。
はい、というわけで今日はピラミッド解説していきました。他にも解説して欲しいスポットとか建造物とかがあったらコメントで教えてください。ではまた。