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た大学質問コーナーです。今日の質問はですね、幼少期の勝ち負けは将来に影響しますか?教えすぎとのバランスを知りたいです。長い文章ですが質問です。自分視点はもちろん、子供が低学年でサッカーをしており、両方の視点でいつも参考にさせていただいております。
サッカーは近年未就学児から習う選手も多く、低学年からダブルスクールで週6、7という子供も少なくありません。必然、そうした子が集まるチームはかなり強く、自分の子供のチームは大敗することもあります。また、色々と技術面を教えるチーム、教えすぎ「いいからやれ」と自分で習得を流すチームでは、低学年においては優劣が明確だと感じています。高学年では差が縮まってきているとも思います。たせさんのおっしゃるように、幼少期を教えすぎない、やりすぎない、色々な動作を行うというのが個人的に望ましいと思っています。一方で、子供の頃に負けがつく、配するといった経験は将来にわって負の側面もあると思います。バランスを取ることが良いと思っていますが、たせさんの考えをお聞きできればと思います。
はい、ありがとうございます。これは非常に悩ましいところですよね。おっしゃる側面はあると思ってますね。で、私なりにですね、3つの観点に絞ってお話したいなという風に思ってます。
まず最初に、ご懸念のところをですね、つまり子供の時に勝ったり負けたりすることが自信につながって、それがその後にも影響を与えるんじゃないかっていう点ですけれども、私はこれはやっぱりあると思いますね。やっぱり子供の時に何かスポーツで優れたり、勉強で優れた子っていうのは、自分自身っていうのはなんか能力あるんだとか、やればできるんだっていう風に、ま、分かりやすい言葉で言うと成功体験が回り始めてるわけです。で、案外人間って自分の能力っていうのは相対的にしか見ていないもので、本当の能力なんてな非常に曖昧なんだと思うんですよね。まあ、複雑ですしね。物事ってのは走る速さとかはね、シンプルですけど、ほとんど社会でやってることってのは非常に複雑で、いろんな能力の掛け合わせなので、やっぱり思い込みが非常に重要なんだと思います。自分自身は何者であるのかっていう。で、その時に自分は、ま、集団の中ではうまくできない側なんだっていう風にレッテル張っちゃうと、ま、当然そっちの方に意識もいきますし、自分はなんかやれる人間なんだって思うとなんか自信が出てくるしっていうので。で、これま、周りの大人がですね、そういう風に声がけしてあげるのが一番ですけど、やっぱり子供も子供で集団の中で自分の位置を見ながら探してるわけですよね。で、その時にやっぱり試合で勝ったり負けたりする中で、「あ、俺たちサッカー下手なんじゃないか」ってことでどんどん落ち込んでいって、それが影響するっていうことがあるんじゃないかっていうところだと思います。私、それはあの、やっぱりないとは言えないと思います。
ただ一方で、例えばですね、うんなんだろうな、これが何で起きるかというと、ま、2つ私あると思っていて、つまり人間の能力ってのはいつ開花するかわからないっていうこの前提に立つと、案外これって薄れると思うんですね。で、私、日本は結構ですね、あの努力を実はそんなに信じてない国なんじゃないかと思うんですね。だからこそ幼少期の天才ってのは日本大好きなんですけど、それはあの早期に才能があるってことは長期的にも才能があるはずだっていう風に思ってるわけです。つまり努力によってランキングがガチャガチャと変わるってことをあんまり信じてないから、え、ま、早期の天才っていうのは好きなわけです。意味があると思ってるわけですけど、これってちょっと私、思い込みに近いと思うんですね。現実を見てみても結構入れ替わりもありますし、ですからなんか社会全体のまず思い込みによって生まれてる側面が結構あると思うんですね。ま、とはいえ社会の思い込み変えるわけにいかないですけど、少なくとも周りの大人はですね、まだわかんないって子供たちに言い続けるのは非常に重要だと思いますね。「いつどうなるかわかんない」「まだわかんない」っていうんですね。
あの、私が子供にいろんなお話、自分の子供ですけどね、話した中で一番うちの子の目が輝いたのが、あの、ま、あんまりその、なんでしょうね、やっぱり苗字が私と同じなんで、なんか足が早くないとやっぱダメだって思い込んでるとこあるんですけど、それで初めてね、違う子に負けたりした時に言ったのが、「いや、まだわかんない」っていう。「大人になるまでいろんなこうガチャガチャしながら人ってのはいい時もあれば悪い時もあったりして、誰が本当に早かなんてわかんないんだ」って言った瞬間が一番目が輝いてたんですね。で、それを大人が信じるっていうのが一番大切だし、その前提でいろんな話をしていくっていうのが大事だと思います。
ま、それとは別に社会のシステムとして私は、子供の時の競争っていうのを、トーナメントとにかく小さくするっていうのは非常に重要だと思ってます。これ頂点を決めないと潰しておいていく。これは才能が、ま、残念ながらない子にとってもその方が楽しいですし、ある子にとってみても、あの、すり減らさなくて済むので、やる気をですね。ま、それは前提としてありながら、ま、大人がまずは「まだわかんない」「まだまだだよ」っていう風に思っておくのが大切だと思います。
2つ目はですね、これやっぱり子供の時に、えっと、ま、私が普段話してますけど、楽しくやってくやり、自由なことやるっていうのは、ま、一つはなんて言うんでしょうね、戦術の固定化みたいなものを避ける面があるんじゃないかと思うんです。ま、簡単に言うと、言われて動くってことやりすぎちゃうと良くないので、だから自発的に動くってことをやると。で、それがあんまりにもこう価値に行きすぎるとですね、言われた通りやると、ま、勝てると思うんです。焼酎ぐらいは。だけどその後にうまく勝てなくなるので、やっぱ自分の頭で考えてやるのが大事だねっていうのはお話してるとこです。
でもう一方でですね、これちょっと私、休業は違うかなと思ってる面がありまして、それ何かって言うとですね、ま、将棋は非常に、なんて言うんでしょう、技術度が高いですね、スポーツの中では。で、つまりあるものがある前提じゃないとその上に戦術が組み立てられない競技なんじゃないかっていう感じもするわけです。ま、なんかイメージで言うと、え、英語の詩を書きたいんだけど、非英語ネイティブの人がですね、かなり英語の文法とか基礎的なものをかっちり作った上じゃないとポエムも書けないねっていうのに近くてですね、サッカーで何も基礎がない中でいきなり自由に考えてっていうのは結構難しいような気もするんですね。で、これ一番分かりやすいの私、将棋の世界のあれだけ自由に独創的な手を打つ藤井さんやですね、羽生さんが子供の時には定石を勉強しまくったっていうのが私は結構、あの参考になるなと思って。やっぱりある程度サッカー100年以上ですね、歴史があるので、なんか定石があるんじゃないかと思うんですね。こうするとこうなるとか、こうなるとこうするとかっていう。で、それはですね、子供たちは自分から定石をクリエイティブに生み出すことは難しいと思いますし、せっかく先人が生み出したものなんで、それはなんでこれやるのって言われても、ま、ちょっとやっといて、となぜならこれは色々この何百、100何年の歴史の中に積み上がってきた、ま、大体こういうもの使えるよねってやつなんで、覚えといて損はないからっていう風になんでやるかよくわかんないけど覚えるべき戦術や動きっていうのが私は複雑な競技にはあるんじゃないかと思ってます。で、その上にもちろん独創的なものを積んでいくんだけど、その時に、ま、いいからやれじゃなくて、とにかく定石だけは体に身につけようねと。で、それを使って何をやるかはみんなのクリエイティビティだよっていう、ま、2層になってる気がしていて。で、だからじゃあなんだ、いいからやれでやればいいのかっていうと、それともちょっと違っていてですね、基本的には楽しくて自由やるんだけど、この部分はちょっと覚えといて、まだわかんないだろうけど10年後になんでこれやったか分かるから、ま、これやっとこうねっていうものを、ま、混ぜる必要があるんじゃないかと思ってます。
私はあの、非常に運よくですね、サッカーの岡田監督と、あの、いろんな場面でお話しさせていただいたり、食事をさせていただくこともあるんですけど、ま、非常に自由にプレイをするさ、あのスペインの選手たちは子供の時にこの定石を学ぶってことをたくさんやるそうなんですね。練習料はもちろん日本の子供たちの先週6、7って言いましたけど、これもう多分1/3ぐらいだと思いますけど、そもそも1年間ずっと練習しちゃいけないってスペインのサッカーリーグのかな、サッカー協会のルールがあったと思うんですけど、ま、そんな中でも定石をしっかり学んで、その上にクリエイティビティを積むんだってことおっしゃっていて、なんかこの辺りは少し研究しがいがあるんじゃないかと思うんですね。ななので一面的に自由があって方っていうだけではなくて、なんかある程度の塊の定石みたいなものは必要な競技なのかもしれないなという風に思っています。
ありがとうございます。こちら皆さんの質問で成り立っておりますので、是非質問いただけるとありがたいです。