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スマートフォンの画面を君は今日も何度見ただろうか? タイムラインを開けば誰もが同じ話をしている。歴史的な上場が来る。乗るなら今だ。乗り遅れたものは二度とこの波には乗れない。投資を始めたばかりの同僚がもう口座を準備したと少し誇らしげに笑っている。週末にあった友人までがその話をしていた。何もしていないのは自分だけのような気がしてくる。
夜布団に入ってからももう一度だけと画面を開いてしまう。誰かの増えた資産のスクリーンショットがまた流れてくる。胸の奥が静かにざわつく。眠りが少し遠くなる。その感覚に君はまだはっきりとした名前をつけられずにいる。
これは強欲の話ではない。情報が足りない話でもない。むしろ逆だ。情報を浴びすぎて周りの熱に当てられて自分だけが何か大きなものを取り逃しているという焦りに静かに飲まれていく。働き方も暮らしも何も変えていないのに心だけが落ち着かなくなる。多くの人が今同じ焦りの中で同じ夜を過ごしている。世界が片時を飲んで待っている上場がある。ロケットで宇宙へ人と物を運ぶ会社。人と対話する人工知能を作る会社。そしてもう一つの人工知能の会社、X、OpenAI、アンソロピック。この三者の想定される価値を合計すると2026年の時点でおよそ3兆に登ると報じられている。日本という国が一年間に生み出す全ての富の7割を超える規模だ。それがわずか数ヶ月のうちに株式市場へなだれ込もうとしている。歴史が一つの章を閉じて次の章をめくろうとしている。そう語る声で世界は満ちている。
チャンネル投資の東大は歴史に名を刻んだ偉大な投資家たちの哲学を紐解く場だ。ただし、その解説には私個人の主観や解釈、偏りが多分に含まれている可能性がある。決して未来の利益を保証するものではない。投資に関する最終的な判断は必ず君自身の責任において行って欲しい。
本題に入る前に一つだけどうしても伝えておきたいことがある。このチャンネルの登録者が3万人を超えた。数字としてはただの通過点に過ぎないかもしれない。だが私にとっては暗い海に向けて灯した一つの光を3万人もの公開者が見つけ出してくれたということだ。派手な煽りもしない。過激な未来予測もしない。そういう地味で静かなこの場所にそれでも留まり続けてくれている君にまず心から礼を言いたい。本当にありがとう。
その君にもう一つだけ伝えておきたい。動画とは別に私はノートという場所でも文章を書き始めている。動画は耳から入って流れて消えていく。だが文字は何度でも立ち止まり線を引き読み返すことができる。動画では時間の都合で削らざるを得なかった深い部分、数字の裏側で動いている人間の心の動きを、あの場所ではもっとゆっくり綴っている。これから書いていきたいのはお金の増やし方だけではない。健康のこと、家族のこと、中年忍び寄る孤独のこと、働き方のこと、そして資産が増えてもなぜか満たされない人間の正体。データだけでは決して届かない問いをあの場所では扱っていきたいと思っている。今は誰でも読める記事も置いてある。この動画の概要欄にその場所へのリンクを貼ってある。何か立ち止まって読みたいと感じた時にそこから覗きに来てくれればそれでいい。来たいと思った夜に来てくれればそれでいい。
それでは本題に戻ろう。今日の話は、その上場祭りの正体についてだ。なぜ君の胸はざわつくのか。なぜ乗り遅れる恐怖はまさに今これほどまでに大きくなるのか。そしてその焦りが君を押し流していく問い、そのものが実は巧妙に仕掛けられた罠なのではないか。順番に一つずつ解剖していく。
最初に今何が起きているのかをできるだけ正確に把握しておきたい。複数の海外メディアの報道を総合すると、スペースXは早ければ2026年の初頭にも上場に向けた手続きを本格化させるという。想定される価値はおよそ1兆7500億ドル。実現すれば人類の歴史上最大級の上場になる。さらに伝えられているのは、創業者がこの会社の3割という大きな部分を機関投資家ではなく個人投資家へ回そうとしているということだ。これは過去の巨大な上場ではほとんど例のないことだ。普通の人々をこの祭りの中心へ招き入れる扉が意図的に大きく開かれようとしている。
OpenAIはまだ未公開のまま8520億ドルという価値をつけられ、年の後半に1兆規模での上場を伺っている。ただし、この会社の財務の責任者は準備はまだ整っていないと慎重な姿勢も見せている。アンソロピックはわずか半年ほどでその価値を倍以上に膨らませ、3800億ドルを超えた。空前の IPOが取り沙汰されている。いずれもまだ確定した話ではない。確定していないものを人々はすでに確定したもののように語り始めている。問題はこの三者の登場を前に世間とメディアがどう動いているかだ。すでに目新しいのが、この三者を市場で入れる可能性のある投資信託、ETFを固有の名前をあげて次々次々と並べ立てていることだ。「買えばこの祭りに乗れるのか?」「商品ならこの三者の値上がりを一滴も取りこぼさずに済むのか?」検索すればそういう解説が山のように出てくる。雑誌の見出しが踊る。動画のサムネイルが君をせかす。「乗るなら今、乗らなければ一生後悔する」と。
ここで君に問いたい。その問いの立て方、そのものは本当に正しいのか。人間の脳には取り残されることを過剰に恐れる仕組みが生まれつき深く組み込まれている。FOMOと呼ばれる、取り残される恐怖だ。これは君の弱さではない。太古の昔、群れから取り残されることはそのまま死を意味した。食のある森へ、川のある土地へ、群れが一斉に移動する時、一人立ち止まって考えていたものは生き残れなかった。だから人間の脳は、みんなが向かう方向へ自分も向かわなければ強い不安の信号を出すように進化の中で設計された。この信号は論理よりも早く、そして遥かに強い。だからデータを開いて冷静に検算するよりも先に胸ざわつき、指がスマートフォンへ伸びる。君が感じているそのざわつきは血管ではない。何万年もかけて磨かれた正常に作動する古い警報だ。問題はこの太古の警報が現代の市場ではしばしば誤って鳴り君を崖の方へ走らせることだ。
考えてみて欲しい。君のタイムラインに流れてくるのは誰かの成功の話ばかりではないか。「あのIPO前の株で何倍になった?」「あの祭りに乗って半年で資産がこれだけ増えた。」だが、その同じ祭りで静かに資金を溶かし、何も言わずに退場していった遥かに多くの人々の声は君の画面には決して流れてこない。負けたものは黙る。語る言葉を持たない。生き残って声を上げているごく一部の勝者だけが見え、そこに沈んでいった大多数は初めから存在しなかったかのように見えなくなる。これを生存者バイアスという。
さらに画面の向こうの仕組みは、人が反応するものをより多く見せようとする。興奮は最もよく反応を呼ぶ。君が今見ている祭りの風景は、勝者だけを残して切り取られ、その上で最も興奮する部分だけを濃く塗り直された歪んだ景色なのだ。ここにその火に油を注ぐものがある。比較だ。君の資産はおそらくゆっくりとしか増えていない。地味な積み立ての地味な数字だ。その地味な数字を君は画面に流れてくる誰かの派手な急騰と無意識のうちに並べてしまう。長い距離を走るマラソン走者が横を全力で駆け抜けていく短距離走者を見て、自分は決定的に遅れていると感じる。だが君とその走者はそもそも違う距離を違うルールで走っている。比較はその距離の違いを一瞬で消してしまう。そして消えた距離の分だけ根拠のない焦りだけが手元に残る。
そしてもう一つ残酷な事実がある。期に駆られて高値で飛びつく衝動と恐怖に駆られて底値で投げ売りする衝動は、実は同じ一つの衝動の裏と表だ。脳の同じ場所が緑に輝く画面でも赤に染まる画面でも同じように発する。暴落の中で慌てて売ってしまうものを君は愚かだと思うかもしれない。だが祭りに浮かれて高値に飛びつく君も全く同じ脳の癖に動かされている。方向が逆なだけだ。冷静な投資家と群れに流されるものを分けるのは知能ではない。この警報が鳴っていることに気づけるかどうか。それだけだ。
それではなぜこれほど多くの人がこの三者の祭りにこれほどの確信を持てるのか?理由の一つは、土俵の制度そのものがごく最近変わったことにある。これまで新しく上場した会社が主要な株価指数に組み入れられるには、最低でも9ヶ月の待機期間が必要だった。会社が市場で十分に揉まれ、値が落ち着くのを指数の側が待っていたのだ。ところが指数を運営する側が公表し、2026年の5月から実際に動き出した規則の改定によって、その仕組みが大きく変わった。時価総額が指数の上位に食い込むほど巨大な会社であれば、上場からわずか15営業日ほどで指数に組み入れられるようになったのだ。別の主要な指数でも、必要な待機期間をこれまでの半分に縮めようとする動きが進んでいる。巨人はもう列の最後尾に並ばない。登場した瞬間に最前列へ通される。
なぜ制度の側が巨人をこれほど急いで通すように変わったのか?同じ改定では、市場に出回っている株の割合が一定以上なければならないという長年の条件までもが取り払われた。まだ世の中に十分な株が出回っていない、生まれたばかりの巨人でもすぐに迎え入れられるようになったということだ。ここで一つ考えて欲しい。この変更によって誰の都合が最もよく叶えられるのか。少なくともそれは、まだ一株も持っていない後から列に並ぶ君の都合ではない。これが何を意味するか。指数に組み入れられた瞬間、その指数に連動する世界中の途方もない量の資金が機械的にその株を買う。だから上場した直後の株価はその買いに支えられ、しばらくは比較的崩れにくい構造になる。ただし、それは数ある要因の一つに過ぎない。市況次第、業績次第では、その支えがあってもなお短期で大きく崩れることもある。値動きそのものは誰にも約束できない。
だがここでよく考えて欲しい。その支えの恩恵を最も深く受けるのは誰か。ずっと早くからずっと安くその株を持っていたベンチャーキャピタルや創業期から働いてきた人々だ。彼らが長く握り続けた利益を確定させ、静かに出口へ向かう。その出口を通り抜けるための流動性を、後から熱狂して買い向かう何もない個人が提供する構図になりやすい。祭りの中心へ招かれた客はしばしば、最初にかけた者たちが降りるための出口の床になる。
そしてここに歴史の因がある。巨大な期待を背負って登場する会社の株価には、その期待が買う前から既に価格へ折り込まれている。輝かしい未来を君が今日その値段で買う時、君はもうその輝かしい未来の代金を先払いしている。期待が大きいほど、現実がその期待にほんのわずかでも届かなかった時の落胆は深くなる。誰かがもっと高い値段で買ってくれるはずだ。その前提だけで値段が釣り上がっていく相場を「大馬鹿理論」と呼ぶ。自分より大きな馬鹿が後から現れる。その確信だけで人は高い値段を掴む。そして行列の最後に最も高い値段を掴んだものが最も深く傷つく。歴史は繰り返さないが、因を踏む。新しい技術が世界を全て変える。これは今までとは違うという声が市場を覆い尽くした時、その先で何が起きたかを市場は何度も何度も経験してきた。
ここで一つだけ切り分けておきたい。その技術が本物だったかどうかと、その熱狂のさなかに君がつけた株価が適正だったかどうかが、全く別の問いなのだ。技術は本物でなお株価だけが砕けた時代を歴史は知っている。
ここまで見て君はこう思ったかもしれない。「では結局、どの商品を選べばこの祭りに賢く乗れるのか?」その問いそのものを私は静かに手放すことを勧めたい。世間が個有の名前をあげて並べ立てる少数の銘柄に絞った投資の箱には共通の弱点がある。何を入れて何を外すか。その選別の基準そのものが、初期の最も激しい値動きを取り逃したり、巨大すぎる会社を分類の都合だけで弾いてしまったりする。中身を入れ替えるたびに君はそれを気にし、明細を確認し、時間と神経を少しずつすり減らす。どの箱が当たりかを当て続ける作業は、結局のところどの株が上がるかを当て続ける作業と同じ難しさを持つ。君は答えから逃げたつもりで、同じ問いを形を変えて抱え直しているだけだ。そして構成する銘柄が少なければ少ないほど、たった一社の失敗が箱の全体を大きく揺らす。
さらに最も見えにくいコストがある。決断の疲れだ。毎月入れ替えを追い、買いますかどうにかを迷い、別の箱と並べて比べ直す。その一つ一つは小さいが、人間が1日に使える判断の総量には限りがある。同様に判断力を吸い取られた後も脳で、君は本当に大切な仕事の判断や目の前の人と向き合う判断を誤った状態で下すことになる。盤面の外側で見えない負けが静かに積み上がっていく。
近年の分散投資に関する研究では、保有する銘柄の数が30を超えたあたりから、個別の会社が固有に抱えるリスクのその大半が薄まっていくとされている。古い時代にはもっと少ない銘柄数で足りるとも言われていた。だが一社一社の値動きが昔より荒くなった今は、必要な銘柄数はむしろ増える方向にある。いずれにせよ、銘柄に絞り込んだ箱はその水準には構造として届かない。
もちろん、どれだけ広く分散したところで、市場全体が一斉に下げるリスクそのものは決して消えない。それは引き受けるしかない。だが、たった一社の不調や、たった一つの分類の都合で君の資産の全部が傾いてしまう。その種類のもろさからは抜け出すことができる。ここにほとんどの人が見落としている、ひどく静かな事実がある。
広く分散された指数は、極めて単純な一つの物理的なルールだけで動いている。時価総額が大きい会社ほど大きく組み入れる。ただそれだけだ。このルールには人間の感情も、流行への忖度も、誰かの願望も入り込む余地がない。価値を本当に失っていく会社は、時価総額が縮むことで勝手に存在感を失い、やがて誰にも惜しまれることもなく静かに外れていく。逆に新しく登場した本物の巨人は、先ほど話した新しい仕組みによって自動で最適なタイミングと最適な比率で君の箱へ取り込まれていく。つまり、君が眠っている夜の間も、その箱は勝者を取り込み敗者を捨てるという冷鉄な作業を君に代わって文句一つ言わず淡々と続けている。想像的な破壊を君は何もせずに自分のものにしている。
これは今に始まった話ではない。かつて世界の頂点に君臨し、永遠に揺るがないと誰もが信じていた巨大な会社が、時代の底でいくつも静かに沈んでいった。そしてその時何もなかった会社が次の頂点へと登っていった。その途方もない入れ替えを、広く分散された箱は持ち主に何の相談もなく、何十年もの間、ただ淡々と続けてきた。誰が次の覇者になるかを君が事前に言い当てる必要は最初からなかったのだ。
だからここで本当に難しいのは知識ではない。分析を捨てる勇気だ。何かを調べ、何かを選び、何かを当てに行きたいというあの強い衝動をあえて手放す。それは怠けることとはまるで違う。むしろ最も強い規律の一つの形だ。どの祭りに乗るべきか、どの投資信託が正解か。その問いに君は本当は一秒も悩まなくていい。悩む必要のなかった問いに悩むために、君の夜が削られ、君の集中が削られ、戻ってこない君の人生の時間が静かに削られていく。それこそがこの祭りが君から奪う最も大きな損失だ。
広く分散された箱を持ち、淡々と積み立て、開いた時間と気力を君の本当の仕事や君の本当に大切な人へ向け。投資が君の人生を支配する主人になるのではなく、君の人生を静かに支える一本の道具に戻る。それがこの祭りの季節に私が最も価値があると考えていることだ。
ここで、ある投資家の言葉を思い出す。ウォーレン・バフェットは、自分が深く理解できる範囲を「能力の輪」と呼び、その輪の外側には決して手を出さないことを生涯にわたって繰り返し説いてきた。そして彼は「リスクとは自分が何をしているのかを分かっていないことから生まれる」と語ったとされる。知らないものに資金を投じる行為そのものがリスクの正体だということだ。さらに彼は「他人が貪欲になっている時にこそ恐れよ」とも説いてきた。今、市場の貪欲さを測るメモリはどの辺りを指して震えているだろうか。
祭りはいつだって美しい。灯りが灯り太鼓が鳴り、誰もが笑い頬を蒸気させている。その輪の中に入らないものは何か大事なものを一人逃しているように見える。しかし祭りの本当の主役は、入場料を払って中へ入っていく客ではない。屋台を出している側だ。熱狂して飛び込んでいく大衆はしばしば、ずっと早くにずっと安く仕込んだ者たちが利益を抱えて静かに降りていくための踏み台になる。しかしこれは君を脅すための話ではない。むしろ怖がった肩の力を抜いて欲しくて話している。君は乗り遅れていない。なぜならそもそもその船に慌てて飛び乗る必要が最初から全くないからだ。広く世界に分散した箱を持っている限り、もしその三者が本物の巨人であったなら、君の箱は君が指一本動かさなくてもそれを、あるべき重さで取り込んでいく。君は祭りの外に取り残されて震えているのではない。最も静かで最も揺れない場所から、その祭りの全部をただ眺めているだけだ。
私は君を導く教師ではない。同じ海の上で同じ風を受け、同じ霧の中を進んでいる、ほんの少しだけ前を行く一隻の船に過ぎない。だから上から指図はしない。ただ隣で同じものを見ているものとして、これだけは言える。祭りの灯りは確かに美しい。だがそれは、航路を照らさない。航路を照らすのはもっと地味で、もっと動かない別の光だ。君がどう動くかは君が決めることだ。煽りに乗るのも、静かに見送るのも、君の後悔の火種は初めから君自身の手の中にある。それでも私は祭りの灯を追わない。遠くで揺れる他人の松明の方ではなく、自分の航路を照らす動かない星の方を見続ける。
そう問いたい。君が本当に恐れているのは、この祭りに乗り遅れることなのか?それとも、自分の頭で考えることをやめ、群れの足音に合わせて考えるより先に走り出してしまっあの、一瞬の自分なのか。答えは誰の画面の中にもない。君の中にしかない。今夜画面を閉じた後の、あの静けさの中で、もう一度だけ自分に静かに聞いてみてほしい。